はてなキーワード: パプリカとは
できるだけ早めに死にたいと思い続けて27年も経ってしまった。前はもっともっと巨大だった「死にたい」という衝動は歳を重ねるごとに緩やかになり、いつも見下ろせばそこにある影と同じような存在になっていた。
できるだけ早めに死にたい、怖い思いをする前に。
理由なんていくらでもあって、多分そんなに重要じゃない。問題はなぜ私が死ねば楽になれると思っているのかという点。死は救済である、また死ねばもう煩わしいさまざまなことから解放される、そして許されるとなんとなく思っている。
ホテルにあった聖書の影響だろうか?虚淵玄のPSYCHO-PASS?それとも今敏のパプリカ?
賢くなければないほど、人の言うことに影響されやすくって、それがまるで真実かのように思い込んでしまう。心を病んだ人間はこういうふうに考える、こういうふうな症状に悩まされる、そんなことをいちいち検索して当てはまったらなんとなく解決策が見つかったような気がして落ち着く。現実は何も変わらないままなのに、問題を先延ばしにして。
もう12年も精神科に通っている。薬の量は減ったかもしれないがよく分からない。昔より安定したか?と問われれば確実にイエスと答えるだろうが、ただ私が望む「普通の人」には永遠になれないことを一年、二年経つごとにまざまざと思い知らされる。お父さんとお母さん、温かいご飯にふかふかの布団、なんの怖いこともなく育った普通の女の子になれなかった私は、それでも真面目に生きていればいつか普通の人間にはなれると思ってた。
いつか病院に行かなくてもいい日が来る。
いつか誰かを好きになったり、恋をしたりすることができる。
いつか私も、子供を産んでお母さんになる。
いつかは多分、来ない。来るか来ないかが問題なんじゃなくて、来ないだろうなという漠然とした絶望感みたいなものが、もう誤魔化しようもないほど自分をがんじがらめにしていて、毎日生きるのに精一杯だということ。
きっとこれからいいことあるよ。そう言ったたくさんの人に悪気はなくて、もちろん優しさしかないのだけれど、私の人生、私が動かしていくもので。いいことも悪いことも私が進まなきゃやってこない。
自分という体、自分という車のようなものを操縦して人生という道を走っている感覚なのだけれど、私の車は人よりボロくて、あちこち壊れている。それをどこが悪いのかしら?どこが壊れたのかしら?と煙が出るたびに止まって、確認して、もう起こらないように手配して、つまり、そういうことがもういっぺんに面倒臭くなってしまったのだ。それは怠慢だろうか、悪いことだろうか。
誰かが自分の人生をなんとかしてくれるわけではないことも、劇的に毎日が変わることなんてないことももう充分学んできたけれど、それでも私は私のできる限り、真面目に、真っ当に、真摯に自分という生き物に向き合ってきた。壊れやすい体と、正しくホルモンを出さない脳みそ、あとフラッシュバックする過去や、愛着障害ですねの一言で何も生まない育ちとか。どうしようもないことを生まれながらに沢山背負って、(背負わされてというと怒られそう)それでも生きていかなきゃいけないのは私だからって踏ん張って、歩いてきた。
長いなぁって思ってた。産まれてから死ぬまで、途方もなく長い。迷うことと困ることばかりで、動けなくなるたびに今回は何が悪かったんだろう?って考えて、薬を増やしたり減らしたり。よく眠れるようにって対策をしたり、全部がどうでも良くなって酒と薬をちゃんぽんしたり。一進一退。ずっと。この先も。死ぬまで。
うんざりするし、怖くない?変わらないのって。怖くないのかな、みんな。私だけ?12年通ったらなんとかなると思ってた。大人になったら病気との付き合い方もわかってきて、難しいことは減るんだと思ってた。27歳になったら、怖いことばかり増えた。この先どうやって生きていくの?一人で死ぬの?また誰かが死んだ時私は葬式に行くか?そんなことばっかり考える。不安ばっかり増えて、騙し騙し生きる毎日がこのままずっと続く怖さがふわふわ漂う。
「先生、いつまでこうなんですか」と聞いた私に、父は「それを先生に言うのか?」と苦笑いしていた。「責任を医者に求めるの?」だって。すごい真っ当なこと言うじゃん、ひどいね。
どんどん人に優しくできなくなっていく気がする。初めて先生に会った15歳の頃、私は彼を神様だと思っていたのに。今はただ薬をくれるだけの人に見える。彼がどんな気持ちで12年間同じ患者を見ているか、私の変化をカルテに書いているか、そんなことを想像するのも億劫で、ただどうにもならない人生を彼がたとえばいなくなっても私は違う医者を見つけて走り続けなければいけないことの理不尽さに苛立っている。あなたはこのレースから降りられるけど、私は永遠に降りられない。それを理不尽だと、精神障害者であり続ける私の身を考えたことがあるのかと誰かに問うのは、あまりに傲慢なことだろうか。分からない、それくらい言ってもいいと思うのだけれど思いやりはないかもね。
いつかは普通の人になれると思ってた。親が死んでも、自分が死にかけても、親類が死んでも、まぁつまり何度か死にかけても、誰が死んでも私は、サザエさんになれると思って頑張ってきたわけ。27歳だよ、サザエさん余裕で越えちゃったし。今からどう頑張っても私は、平和な家庭で育ったちゃんとしたお嬢さんにはなれないわけで。人にも優しくできないし。それがこの先生きていく気力みたいなものをごっそり削って、なくしてしまうほど大きなショックだということがなぜ伝わらないんだろう?
ソースも何もなくふと思った話
昔の2chでメンヘラといえば鬱に次いで統合失調症みたいなイメージで、ふつうに2chうろうろしてたらたまーにそういう書き込みを見かけた気がする
具体的には、映画のパプリカの所長が狂った時のセリフの「さぁ、この祭典こそ内なる小学3年生が決めた遙かなる望遠カメラ!」みたいな、言ってることが支離滅裂になっちゃった書き込み
で、そういうタイプの発言の類を、最近ネットで見てない気がする
そして代わりに、語彙力や論理思考力が欠けてる人や何かを糾弾せずにいられない強迫性障害みたいな人はよく見るようになった気がする
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あれは若手アーティストが好きだったり影響を受けた平成の歌ってかなり範囲の狭いランキングだからな
関ジャムの「J-POP20年史 プロが選ぶ最強の名曲ベスト30」ってランキングの方がもっと一般的なランキングだと思う
49位 Sign/Mr.Children
48位 キセキ/GReeeeN
46位 つけまつける/きゃりーぱみゅぱみゅ
37位 Can You Keep A Secret?/宇多田ヒカル
35位 Dragon Night/SKAI NO OWARI
30位 ultra soul/B’z
22位 私以外私じゃないの/ゲスの極み乙女。
8位 夜に駆ける/YOASOBI
7位 パプリカ/Foorin
5位 白日/King Gnu
3位 Everything/MISIA
1位 Pretender/オフィシャル髭男dism
この記事はなんか「教養」を優先してばかりで「面白いから」見るべきアニメをめっちゃ見落としてる気がしてならんので補足したい。
その時点で厄介オタクだわ。
とりあえず先に一覧。次に解説
ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城
劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太の魔界大冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破
トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー
serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/まどかマギカ/ゼーガペイン
ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城
日本人の半分ぐらいは全部見てるんじゃないかと思うが、たまたまタイミングが合わずに見てない作品が1つ2つある人もいると思うが絶対見て欲しい。
千と千尋だけはストーリーラインがちょっと退屈かもしれないけど映像は凄いので見る。
他のジブリ作品は気になったら見ていけばいいのでまずはこの5+1は確実に抑える。
パロディに使われることも多いし。
1stガンダム→Z→逆シャアまでの時系列で展開される物語は単に続編って言うだけじゃなくて、作中時間が大きく流れることで描ける世界観の広がりがあるのでやっぱ見て欲しい。
Wはガンダムシリーズが派生の果てに手に入れた多様性の一つとして抑えて欲しい。
イケメンがバンバン出てくるアニメながら、戦争の時代の中で新時代の感性を持った少年たちがその中でもがくというシリーズの基本骨子を踏襲している所を感じるにはコレが手っ取り早い。
∀は多様に膨らんだガンダムシリーズの集大成としての、いわばガンダムを四季になぞらえたときの冬、人間に例えたときの壮年期を描くような作品であり、シリーズの生前葬を看取るような気持ちで鑑賞すると流れが見えてくると思われる。
劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太の魔界大冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破
ひとまずコナン、ドラえもん、ドラゴンボールは名作を一個ぐらいは見ておいてもいいと思う。
たまたま微妙なの引いてそれ以降見てない人とかもいるかもだし。
デジモンなんだけど、たしかにぼくらのウォーゲームは最高に面白いんだが、アニメ映画としての美しさは先に作った方の「ボレロのシーン」の方が上だと思うんだよな。
あとウォーゲームとサマーウォーズで展開を使いまわしつつもより大衆向けに作り直されている所も見比べて欲しい。
時かけ~エヴァ破までのは似たような作品があるから弾かれたんだろうけど、こっちも普通におもしろいので見ろって感じ。
特にパーフェクトブルーは突破力のヤバさにおいてパプリカや千年女優さえ大きく凌いでると思うので、アニメを楽しむにしろ「語る」にしろ抑えておくべき優先度は上な気がするんだよな。
エヴァは旧劇も見てほしいしシンも終わりまで見てほしいけど人を選ぶからひとまず外す。
トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー
歴史を語る上で重要じゃないからってことで外された感じなんだろうけど……巨人の星やガンバの冒険を令和になって見返すならその時間でこっちの中でまだ見てないの見たほうがいいでしょ……。
ギアスは中二病アニメの最高峰、宇宙よりも遠い場所は単純に名作、プラネテスは入ってない理由がわからないレベル、ガルパンはいいぞ。
serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/ゼーガペイン
下手に入れると本筋から迷子になるから外されたであろうアニメ達。
lainは不世出と言って良いほどのオカルトアニメで見ているだけで電波で頭がおかしくなる。
マクロス7もこれこそまさに不世出のオンリーワンとしか言いようがない狂った世界を展開しておりアニメという表現が秘めた可能性を感じ取れる。
電脳コイルはマイルドな攻殻機動隊と言った作品なのだが、この作品が出た直後ぐらいからデジタル技術やITが物珍しさを失い単品でテーマになりにくなっていった歴史的背景が面白い。
スクライド・GUNGRAVEは共に男の義務教育と言われるほどの意味不明な暑苦しさによりカルト的人気が今でもある。
ギャラクシーエンジェル・ぱにぽにだっしゅはどちらもパロディやコメディを扱った作品であり、内容にその当時に流行ったネタが込められていて年代を意識して見返すとリアルタイムとは違った趣がある。
リヴァイアスはロボットアニメと見せかけて宇宙空間で少年少女が蠅の王をやることで普通のロボットアニメを期待して見に来た視聴者に大きなトラウマを残す作品。
まどマギはそういった既存文脈をひっくり返して露悪趣味に転じる作品において最も成功した作品だと思われる。
ゼーガペインは「◯話まで見ろ」の最高峰の1つなのでぜひ主人公の妹が登場するところまで見て今後切り時を考えるときにより深く悩んでもらいたい。
お前が好きなアニメ並べてるだけだろって感じになっちゃった……。
でもさ、こういうのってまずは「自分が見て楽しいと思った作品」を紹介するのが大前提だと思うんだよね。
「白蛇伝や巨人の星見ようぜ!アニメの歴史学ぶために!」とか言われてもね……
あ、商用じゃないから書き忘れたけど「DAICONFILM」は見たほうがいいな。
アオイホノオのドラマの中で見るだけでもいいけどアレを見ておくと「どういう作画技法がオタクの間で人気が出るのか」がひと目で分かるから。
ケバブか?っていうとやや微妙で、タンドリーチキンっぽい気もするんだけど、そもそもその二者ってわりと似たようなもんだし、どうでもいいのかも
うまいんすよね
なんか、エスニックとか書いてあるし、ケバブってエネルギッシュなイメージだし、ガツンと来るんかな?と思いながら食うんですが、そうでもない
スパイスが効いてるんだが、味自体はあまり濃くないし、ビリビリくるような辛さもあんまり無いんで、存外さわやかな後味
ちょっと食って、味の方向性を見極め、合いそうだったら冷凍ピザにでものっけて食おう、と思っていたのだが、いきおいで全部食べちゃった
俺の一番好きなケバブはイタリア・ローマ郊外にあって、ケバボーンっつう店なんだけど、ケバブロールがすっげえうまかった
ローストしたタマネギとかパプリカとか、そういう具材がジェラート屋みたいな感じで並んでいて、好きなものをいくつかピックアップし、肉と一緒にロールしてもらう形式だ
そもそも日本語でも何て表現したらいいのかよくわからない具材を、全然わからん英語で指さないといけない(移民っぽいオッチャンがやってたので、たぶんイタリア語や彼の母語でも注文できそうだが、俺の喋れるイタリア語は"Purtroppo non posso”(残念ですが、できません)だけなのでムリだった)ので、けっこうキツイんだけど、そこを乗り越えて食えるケバブロールがめちゃくちゃ良かった
セットみたいな感じでついてくる、安い油の風味がして塩の効きすぎたポテトすら愛嬌と感じられるくらいにうまい
肉というより野菜がメインみたいな、いや、何もメインではなく、あるいは全てがメインみたいな、そういうケバブだった
なんかわかんねーけどメチャクチャうまい どこをどう食ってもうまい 筒状のうまさそのもの
そういうケバブだった
あのケバブとセブンイレブンのケバブは比べるべくもない……のはそれはそうで、そもそもチキンケバブ単体とロールケバブだし、コンビニっつう日常の場所と旅行中の謎の店だし、土俵が違いすぎる
しかし、方向性が違うけど、セブンイレブンのケバブもいけるやん!と素直に思えるうまさだったのは確かだ
これ何の話なんだ
ケバブ屋が近所にできて欲しい
マジでできて欲しい
パン1個(30g程度)
キュウリ半分
ミニトマト1個
卵1個
果物少し
コーヒー1杯
平日
弁当上段
冷食肉系orソーセージ50g
弁当下段
米0.5合弱
冷蔵庫の余り物消費(肉野菜炒め/肉野菜煮込み/謎パスタ/謎おじや/謎サンドイッチ)
おやつ(体調調整)
牛乳消費レシピ(杏仁豆腐/ミルクカン/プリン/カフェオレゼリー)なし〜80g
チョコ系 なし〜20g
コーヒー1杯
夜(ノルマ)
(使う肉の選定→肉料理の選定→肉に合わせる野菜の選定→要消費食品の処遇検討→ノルマの不足を補う副菜選定→全体調整)
米0.5合強
肉(+魚)80g以上
緑担当野菜(ほうれん草/小松菜/ブロッコリー/いんげんまめ)50g〜100g
88年の長野生まれが〝あの頃〟を振り返ってみる。あの頃〝半ドン〟があってたまに土曜日は午前だけ学校で週休2日じゃなかった。あの頃〝改札にPASMOなんてなかった〟まだ駅員さんが立って切符切ってた気がする。あの頃テープが廃れて〝8センチCDがなんかおしゃれな存在だった〟今は存在感すらない、ちなみにシャ乱Qだった。あの頃〝おじさん達は職員室でもふつうに煙草を吸ってた気がする〟小学生だったから朧げだけど。あの頃〝電話帳に個人宅の電話番号のってた〟小学校とかでも住所の情報とかガバガバだったような。あの頃〝冷凍食品がまずかった〟今では普通においしい。あの頃〝セクハラとかパワハラなんて概念はまだ微塵も存在していなかった〝むしろ劇的に良くなったのはここ5~10年という真新しさ。あの頃〝長野オリンピックで踊らされたけどなんのステージなのか理解してない小学生だった〟
あの頃、私たちはたまごっちに飽きてデジモン育ててて、同世代のSPEEDを聞きながら安室奈美恵に憧れて、でも服装はシノラーから影響受けてBettysBlue買ってもらって誇らしかった。テレビでやってるコギャルに中学生になったらなる気がしてて、高校生になったらポケベル鳴らすつもりだった。でも高校生になる頃には二つ折りの携帯の時代になってて、デコメが流行ってて、ポケベルなんて消えてピッチすらちょっとダサい存在だった。セブンティーン読んでラブワゴンに盛り上がるミーハーな友達をちょっと白い目で見ながら、タワレコでレディヘのCD借りてMDにまとめて友達にあげたりしてた。ウォークマンなんてのもあったなぁ。サブスクなんてなくて、インターネットでHTML書いて友達がHP作ってた〝あの頃〟キリ番踏み逃げ禁止だった〝あの頃〟ズッキーニとかパプリカがスーパーで珍しい野菜として並ぶようになって段々標準装備されていった〝あの頃〟外に散歩に行きたがる猫には網戸をあけてあげるのが優しさだとみんな思ってた〝あの頃〟
増田ではもう多分おなじみで飽きられてる例の話題における「女性の表象」について。
今週いろいろ考えていたことを書いておきたい。
多分この文章は文脈的にも時期的にもアンチフェミだとみなされると思うんだけど、自分j心にはそんなつもりはない。そもそもあの変な議連をフェミだとも思ってないし。
むしろ自分としてはクリエイターとしての違和感と普段の気持ちのメモとして残したい。
文章畑とはいえ自分はクリエイターでいわゆるオタク界隈でくらしていて商業化もコミカライズもしたっていう立場だけど、多分立場そのものとはあんまり関係ない。
はじめに感じたのは「なんか雑だな」という気持ちだった。
「女性の表象」というざっくりした単語の選択と、そこに込められた視線についてだ。
昨今のオタク界隈クリエイターとして女性キャラはいっぱい作ったし書いてきた。ヒロインとしてサブキャラとしてモブとして。それぞれに主入れを持って作り込んできた。それって「女性の表象」なのか? 自分は「女性の表象」を描いてきたか?
その答えは一般的にはYesではあるけれど、自分自身の中ではNoだ。
一般的なボリュームのラノベをささっと書くのに、自分は調子が良ければ大体三週間くらいかかると思う(念の為にこれは完成に要する時間ではない)。もちろん作中ではいろんな事が起きるし、ヒロインやヒロインとの関係は重要ではあるけれどパーツの全てではないので、この時間はそのままヒロインを描くのに使った時間ではないけれど、ひとつの参考としてそれくらいかかる。
そして読むのは早ければ二時間弱とかじゃなかろうか?
つまり作るのにめちゃくちゃ時間がかかってさっくり消費できる。これは文章畑に限らずコンテンツは何でもそうだと思う。むしろ文章畑なんてすごく素早く手軽に作れるジャンルで、映像やゲームは桁違いに時間がかかるだろう。
実際そういう現場に協力することもあるけれど、気が遠くなるくらいの人手と時間と、つまりはリソースが消費される。
それだけの時間を投下して、「女性の表象」をつくって、満足できるかといえば、自分はできない。
嫌われるかもしれない言葉をつかうけれど、正直に言う。
現実の女性の方々に訪ねたいけれど、たとえば大好きな人ができて、そのひとと来週デートするとする。初めてのデートだとする。
胸がはちきれそうなほど嬉しいとともに、膝が震えるほど怖い。なんだか冴えない一日になってしまうのが怖い。がっかりされるのが怖い。思ったよりうまくしゃべれないと思うと怖い。相手の期待ほど可愛くない自分だったらと思うと怖い。
そんなときはないだろうか? そんな時何らかの努力をしないだろうか?
自分の知る限りの知己もいままでめぐりあいのあった女性も、すごい何かをしていた。正直男性である自分からは理解しがたいほどのエネルギーをそこに注ぎ込んでいた。
その日その瞬間を「いい感じ」にするために、髪型や服を整えて、時には体型やら自分の好みまで変えて、とっておきを提供しようとしていた。そういうのを見ると恐れ多いような頭が下がる様な気持ちになったのを覚えている。
デートの時にやってくる「一番好的な彼女」というのは上記のような女性の努力の、つまりはクリエイトの結果だと自分は思っている。
ディズニーのいうありのままの自分がなんだかよくわからないけれど、彼女たちは、確かに自分自身を超えた自分を顕現させようとして、いっときそれに成功する。
自分はそれを偉大だと思う。女性だからとかそういう理由ではなくて、クリエイターとして尊敬する。言語化出来ているかどうかは定かではないけれど、彼女らはなりたい自分をクリエイトして作ったからだ。
創作物には、描きたいものがある。その描きたいものが例えば出会いとか、別れとか、嬉しいとか悲しいとか楽しいとか懐かしいとか、恋とか、そういうものがあって、その過程で必要となってヒロインがいる。
卑俗なところで言えば、可愛いとかもっと見ていたいとか、エッチなことをしたいとかでも良い。とにかくそういうエモーショナルな何かを伝えたくて創作物を作る。
女性のキャラは、例の言葉を借りれば女性の表象は、そのための道具に過ぎない。大事だし思い入れもあるけれど、過程に過ぎない。読者に伝えたいもののために必要であれば何かを盛るし、邪魔であれば削る。
それは現実の女性には不可能だ。だって現実の女性は主人公のために、あるいは読者や視聴者のためにだけは生きられないでしょう? 現実の自分の生活があって、趣味もやるべきこともたくさんあって、理想の魅力的な自分だけでは生きられないでしょう?
世の中で言われている萌キャラなんてものは、愛されるために生まれてきたものだと自分は思う。自分が関わった仕事は、全てそのつもりで仕事をしてきた。現実の女性と違って、彼女らはそれに全力投球だ。なぜなら、それが彼女らの存在意義で、全てだからだ。そのために生まれたからだ。
それ以外の私生活なんてものはない。あるように見えたとしたら、それは覗き見される前提で作られた、いわば公開用の私生活だ。飾り気のない普段の姿、という形態の作り込まれた物語にすぎない。
つまり、創作物のキャラは、現実の女性がデートの瞬間ほんの一瞬だけできる「すごい自分」でいるのをフルタイムで続けられる存在だし、それが存在価値だ。何ヶ月も、場合によっては何年もかかって産み出されて、一瞬で消費される。その巨大なコストを代償にして、現実を超えるために産み出されるのが創作物のキャラクターだ。
自分は、「現実を超える」使命を持った創作物が、そのために悩んでカロリーを叩きつけた創作物が、「女性の表象」だなんて、そんなふうに単純化されるのを我慢できない。
たとえば、あるヒロインの不安と絶望を表現するのに、創作者は雨を降らせることができる。人気のないコンビニの駐車場の暗がりを作ることも出来る。つながらないSNSを登場させることも出来る。それらは舞台背景であって舞台背景ではなくて、彼女の内面を表す暗喩だし、読者に感情移入してもらうための動線だ。
そのキャラクターが気高くて必死で尊敬に値すると伝えるために銃弾の降り注ぐ戦場も用意できるし、水晶の花咲く庭園でのダンスシーンも描ける。
彼女の魅力を伝えるためなら、そこまでやる。女性としての魅力を伝えるためにもし必要だと判断するならば、女性の体さえ抹消する。耳やら尻尾やら砲塔やらを生やす程度なら序の口で、人面蛇身にすることもあるし、なんだったらAI宇宙船の金属筒に収められた脳髄だけの少女なんて世界観にすることも出来る。
雨やコンビニや水晶の庭園が女性の表象かといわれれば誰もがNoと言うだろうと思う。でも創作者の中でそれは渾然一体で不可分だ。その時それが必要ならつくるまで。舞台だけじゃなくて、演出も、エピソードも、言葉選びも、同じ語句をひらがなで書くか漢字にするのかさえ、伝えたいものを伝えるための道具であって、ヒロインと等価で同じものだ。
読者や視聴者の人に、紙面やモニターの向こうで、恋をしてもらえるなら、涙してもらえるなら、どれだけカロリーがかかってもそれら全部はやるべきことだ。
つまりやっていることは「女性の表象を作ること」なんかじゃないのだ。青椒肉絲定食を作ってるのに対して「ピーマン切るのは許可されるか」「いやピーマンは不許可だろ」みたいな議論をされてる置いてけぼり感。
こちらはピーマン千切り業者をやってるつもりはないし、ピーマン千切りを提供したつもりもない。もっといっちゃえばお前らがいじくり回してるその皿には、パプリカは入っててもピーマンは入ってないよまである。あるいはししとう叩いて大喜びだな、なんてのも。
以上で率直な感想は終わりだ。フェミがどうこうとか性的搾取とかは、自分にはよくわからない。
でもこっちは現実の女性を周回遅れにする純度のために何かを描いてるので、現実の女性の投影であるとか、模造であるとか、そういう雑な用語選びは好きになれない。という話だと思う。