はてなキーワード: 赤松健とは
他にも表現問題を掲げている人はいますが、ここはひとまず赤松健に票を集中させましょう。
他にも表現問題を掲げている人はいますが、ここはひとまず赤松健に票を集中させましょう。
赤松健に100万票入れば「オタクは票田になる」と認識され不当な二次元弾圧を止めることができます。
実際のところ、栗下善行の言ってることって、立憲民主党の従来の政策とそこまで大きくは変わらないんだよね。
「表現の自由を守る」にしても、枝野や辻元はもともと表現規制反対の人だし(赤松健もそれは認めてる)。まあ一部の議員がときどき変な動きをするけど、それを言うなら自民党もそう。「インボイス導入反対」なんかはもともと野党がずっと言ってたことだし。
でも世の中的には「栗下善行はいいけど立憲民主党は大嫌い」っていう人が多いわけでしょ。はてサは別として。それって要するに、立憲民主党が自分の支持層以外の大多数の人とこれまでちゃんと向き合って来なかったってことだと思う。
少し前に一部で話題になったHPVワクチンの件にしても、実は立憲民主党にはHPV推進派の候補者もいるわけ(比例代表で立候補してる石川雅俊)。彼は、はたともこの「子宮頸がんは検診で防げる」っていう主張を「とんでもないデマ」と言って批判してる。同じ党の候補者なのに。しかも選挙期間中なのに。でも誰もそんなこと知らないでしょ。話題にもなっていない。完全に情報発信に失敗してるんだよね。
栗下善行が今のところそこまで嫌われてない理由は、要するに世論に対する感度が高いってことだと思う。今の立憲民主党に欠けてるのはこれ。HPVワクチンでも「この件はコメントしないとやばい」と思ったのか、話題になった当日に「自分はHPVワクチン推進していきます」ってコメント出してたし。ちゃんと世間の空気が読めてる。
そういうコミュニケーション能力とアカウンタビリティが、立憲民主党には絶対的に欠けてるところ。(そもそもワクチンデマの候補者を平然と立てること自体が、科学リテラシーの欠如だけじゃなくて世論に対する感度の低さでもあるし)
自分は個人的に維新には期待していないし、国民民主党も残念ながら支持率がいまいち上がらないみたいだから、なんだかんだで立憲民主党に立ち直ってもらわないといけないと思ってる。
2020年に開催された『表現の自由を守る会フォーラム』のスライドに『アクタージュ』が載っている事が話題に
https://i.imgur.com/PU83wZN.jpg
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https://i.imgur.com/q5MtQOa.jpg
https://i.imgur.com/QXYBC4z.jpg
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山田太郎はスライドには載せたものの取り上げる時間が無かった事、赤松健は出席していなかった事を説明し、悪意ある取り上げ方を批判
https://i.imgur.com/dZ75Zk0.jpg
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それ弁明になってなくない?とツッコまれ鎮火に失敗する
https://i.imgur.com/SJPbRe0.jpg
https://i.imgur.com/weCTvwC.jpg
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「アクタージュ打ち切りは表現の自由問題」と掲げた集まりに赤松が出席したというのはデマ
↑これこそがデマだと発覚した途端急に騒いでた奴らが引いてった
2020年の集まりに出てなかったら2021年の集まりについては不問ですってどういう理屈だよ
アクタージュの打ち切りが決まってから一年たち事件の概要もより詳しくなってからも宇崎ちゃん問題と並べて表現の自由問題扱いしてた方がむしろヤバイ
最近、赤松健候補をレドマツ呼ばわりするのがニガーと同種の深刻な差別問題だという主張が頻繁にされていて、酷暑の残酷さに心を痛め後遺症を心配するところなのだが、「ニガーを当事者が言うのはOKだが外部が言うのはダメ」という言説はちょっと違うので一言言わせてくれ。
この「罵倒文句を己らの呼称として使うようになる」っていうのはアメリカの伝統なんよ。
Yankeeは元々北部のアメリカ人の事で、主に南部人(デキシー)が使う罵倒語だった。
ところがこれを北部の連中は気に入ってしまい、自分らの事をヤンキーと自称するようになった。NY州の大リーグチームはNYヤンキースだ。今ではアメリカ人=ヤンキーという使い方も一般的だ。
一方外国がヤンキーという場合は大抵が罵倒語だ。でも当のヤンキー達は気にせず使い続けた。
日本の『アルプス一万尺』はアメリカの愛国歌、ヤンキードゥードゥル Yankee Doodleの歌詞を勝手に改変したものだ。
元は独立戦争に先立つフレンチインディアン戦争時に参戦したアメリカ植民地軍を揶揄した歌だった。
軍服も揃えておらず統率も取れていない、キビキビも出来ないアメリカ人達を正規軍人の英国人達が嗤った歌詞だ。
doodleとはダラダラテレテレしてる、ボケっとしてる、暇なのでイタズラ描きするってな意味だ。特別な日にGoogleロゴが特別なモノに変わるアレもdoodleだがこれは最後の意味のイタズラ描きって意味だな。
そんなアホアメリカ人が手入れもちゃんとしてるか判らん鉄砲持ってテレテレタラタラやってきたよ、あーあ。ってな感じの歌なんだな。
「いなかっぺのキョロ充が街に行った。羽付き帽被っただけでダンディのつもりだ。イカしてるねぇ神聖モテモテ王国だねぇ」
ところがアメリカ人たちはこの侮蔑的な歌を気に入ってしまった。それで自分らの歌としてしまったのである。
独立戦争で歌われ演奏され、独立後の米国軍の行進曲にしてしまった。
ペリーが日本にやってきた時に上陸後は鼓笛隊の演奏で行進したのだが、その時の曲はヤンキードゥードゥルだったのだ。
こんな風に建国の初めからしてこうなので、「罵倒語を気に入って使い始める」というのは後にアチコチで見られるようになった。
思いつく限り列挙してみたい。
The blackとかblack manとか使われていたが、肌の色を直接に示すので差別的だった。特にトイレやバスの座席、施設の入り口の区分けなどで「black」「colored」と書かれていたので猶更である。
だが公民権運動で「ブラック イズ ビューティフル」のスローガンが使われると当事者のプライドと結びつき、やがてblack musicなど一般化された。
南部の白人の事で、農作業で首が赤く灼けた様をからかった語で、保守退嬰的、閉鎖的、進取の気性が無い、低学歴、民度が低い、反国家的など酷い意味が凝縮された罵倒語。
それは「なんでも自分らでやる」というライフスタイルへの愛着と自負で、南部の農家は食料の入手から機械の手入れ、家の修繕、家具の作成、車の修理や改造など、何でも自分でやる。これは日本の農家なども変わらない事で、全体的に器用貧乏だったり詰めが甘かったりするが都会の人間からすると広く何でも出来るスーパーマンみたいに見えるものだ。
以前、トラクター会社が機械部分をブラックボックス化して信頼性を上げる代わりにメーカーじゃなきゃ修理できないようにしたら大炎上した事があった。https://jfaco.jp/column/2435
「レッドネックスタイル」を理解していなかったのが原因だ。これは米国では結構大きな問題になり、欧州の「修理する権利」と結びつける形で法制化が進んでいる。
日本メーカーやアップルが欧州の「修理する権利」で叩かれて電池交換や社外インク可能にさせられているが、この背景にもこの「何でも自分でやりたい」というマインドがあるのを忘れてはいけない。金と財産権の問題にしか見えないのは飼い慣らされている為だ。
だから今では米国外で何でも自分で作ってみる、直してみるのを動画にしているDIY youtuberなどもレッドネックを自称している。
Queerは元々罵倒語で変なやつ、男性同性愛者(婉曲)とかの意味だったのだが、意味が逆転されてポジティブな意味になった。
1985年のバロウズ著『Queer』の日本語は『おかま』だ。この題は訳者の山形浩生が付けたのか?ちょっと意味が違うと思うのだが。つーか、1985年でも男性同性愛を一緒くたにおかま呼ばわりはしてなかったんじゃないか?どうも腑に落ちない邦題だ。
Wikipediaには頭でっかちな事ばかり書いてあるが、実際はドラッグクイーンとかのワザとらしい性的倒錯仕草をクィアとよんでたのが、マジのトランス女性などが世間に認められるようになると(イスラエルのDana Internationalなど)弾き出されて「LBGTに収まらない性的違和」を是認する意味になったとう感じだ。
この辺の変化、日本だと90sドラッグクイーンの代表格井原秀和円奴S(まるやっこスーパー)が女性目指すようになったのが象徴的。90sのクィアポジティブ化は米国のハウスシーンと共にあった。
ロバには馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の含意がある。
勘違いしてはいけないのは、当初の民主党は南部の農民が支持層の保守政党で黒人奴隷解放に大反対していた。民主党、共和党共に今と支持層、支持地域が逆転しているのである。
大統領選で、そんな南部の民主党出身の大統領候補、アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)をスマートで都会的な北部の共和党の議員たちがjackassと詰って呼んでいた。jackassは雄ロバの事だが、馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の意味もある。
これをレドマツさんじゃなかった、アンドリュー・ジャクソンは気に入ってしまい、「アンドリュー・ジャッカスです(観客ワハハ)」とか自陣の象徴として使ったのである。
それでその後もそのうすらバカでグズで間抜けの象徴であるロバを大統領選で使うようになって今に至るというわけだ。
ビデオチャットで「いい女やな~」「ぎゃ!ちんこある罠や!」っていうイタズラが元々なんだけど、すぐに生えてないなら興味ないっていう増田みたいなのが増えてtrapは売りに。
これはアメリカの伝統関係あるだろうか?3%ぐらいは関係ある気がする。付いててお得だし。
1987年のブライアン・デ・パルマ『アンタッチャブル 』では主任捜査官エリオット・ネスがガサ入れでヘマした所を記者に写真に撮られ新聞のトップ記事にされ、その記事をオフィスに貼るシーンがある。
これもアメリカの伝統があっての事なんだろう。屈辱に耐えるのではなく、「侮辱を気に入る」のだ。それが先人がしてきた事だから。
という訳で単にいつの間にか意味が逆転してしてしまうのではなくて、アメリカの場合「侮辱を気に入る」「恒久的に自分の表象にする」というコードがあるのだ。単に悪口を逆手にとって「○○ですが何か?」というのと違うのはその語をずっと使うって事だ。逆手に取るのとは違うマインドなんである。
だからニガーを当事者だけが言ってもいいというのはこのアメリカ的伝統の過渡期にある可能性があって、そのうち普通に使われるようになるかも知れないって事である。
だったら差別語は何言ってもいいんだな、とか言って差別発言で炎上して失職したり家が突き止められたりというバカが出るのもネットの常である。
ほな「赤松健」を叩いとるツイートってどれやねんって話になるやん
少なくとも「アクタージュ 表現の自由 min_retweets:100」でツイート検索して出てくるなかには無いで。
「表現の自由にまつわる事件」の中にアクタージュが入ってんの何なの。 — Lhasa (@AtTheBlackLodge) July 2, 2022
アクタージュガチ勢として、あの事件を「表現の自由にまつわる事件」と捉えることには大いに疑問を抱くし批判したい。アクタージュは“規制”されて打ち切りになったのではない。あくまで作画担当と出版社の協議検討のもと、被害者への“配慮”として自主的に連載を終了したのである。 — りおて (@ri_o30coin) July 3, 2022
アクタージュの原作作者が女子中学生への性加害(痴漢)で捕まって、連載中止になったのは「表現の自由にまつわる事件」ではありません。
被害者の一人である作画の方も「アクタージュで、痴漢被害者の方が性加害をフラッシュバックしないように」って大人として子どもを守る当然の対処しただけです— まさかなぜねこ (@gumioisi) July 3, 2022
これは山田太郎による「我々は作者が性犯罪を起こした結果として編集部と作画担当者が自主的に連載を終了させた『アクタージュ』も表現の自由の侵害だと思っている」という明確な意思表明であり、「私達は作者による性犯罪を軽視しています」と彼らがミソジニーとはっきり結びついてることを示してるな — つりがねむし💙💛 (@Tsurigane_mushi) July 3, 2022
作者が重大犯罪やって、作画担当者が「打ち切りは仕方ない」とまで仰ったアクタージュが「表現の自由にまつわる事件」扱いされるというのは認知の歪みってレベルじゃない。— ストルガツカヤ (@Laika_1995) July 3, 2022
「赤松健が集会でアクタージュを取り上げた 」これ言った奴がまず誰だ?
件のまとめですらそんな主張はない
赤松が最高顧問を務める「表現の自由の会」でのプレゼンテーションについて赤松は無関係だとする方がデマ
プレゼンテーション画像のヤバさを擁護しようがないために「赤松健が集会でアクタージュを取り上げた 」と発言した人物がいたとデマ飛ばしてるだけじゃん
なんかややこしいけど
リベ「山田太郎のフォーラムでアクタージュ事件が『表現の自由の問題』として取り上げられてるんだが」
トゥギャ「【悲報】赤松健がアクタージュ事件を『表現の自由の問題』として取り上げる」
って流れ?
選挙期間中に匿名ネットユーザーに根拠不明のデマ流される赤松さん可哀想です
yarukimedesu 可能性はほぼゼロだけど、原作者が罪を償い、被害者や作画担当、集英社と和解して、アクタージュが再始動してほしいと静かに思ってるのに、赤松なる奴に俺の思いが蹂躙された気分だ。 ジャンプ感想
kubodee 仕方のない事だけれども、赤松先生はパートパートで納得できるところと出来ないところが目立つなぁ まぁ全体を見て投票先を決めるしか無い
hatebooon 犯罪により作品を抹消することへの是非はあれど、それは出版社や関わった作家達がどうしたいか決めることで、赤松氏が外からどうこう言う事ではないと思う。
worris 宇佐崎しろ氏が危惧したセカンドレイプを、赤松健&山田太郎がやらかしている。
z1h4784 作画の宇佐崎しろには別の原作者を迎えて連載を続けるという選択肢もあったが、被害者のことを考えて終了を決断した。赤松健にそういう葛藤は理解できないだろうなあ
worris 宇佐崎しろ氏が危惧したフラッシュバック誘発やセカンドレイプ行為を、赤松健&山田太郎&表自戦士がやらかしているんだよ。 id:entry:4690408465055713122 現実の加害を起こしているのであって、表現の自由の話じゃない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ri_o30coin/status/1543452939926118401
grdgs 普通に自己規制ですね。都合良くゴールポスト動かすなよ。表自戦士のみなさん、山田は規制派ですよ。
cinefuk 『栗下善行氏は比例当選圏外』と投稿した赤松健氏のTwitterも選挙違反になっちゃう!id:entry:4721631353893800482 ”当選を得させない目的をもって公職の候補者に関し虚偽の事実を公にし、又は事実をゆがめて公にした者は”
mouseion アクタージュがロリコン漫画なのは事件前から分かってた事なので表現の自由と絡めるのも分からない話ではなかったけど山田太郎先生の中では事件と結び付けてたという残念な結果に。
cha9 山田「アカ松先生はこの場にいませんでした!アカ松無罪!」→山田「え?なぜアクタージュを表現にまつわる事件簿に入れてるかって?ソレハ…ソノウ…シドロ…モドロ…」 どうやら間抜けは見つかったようだな?
まだだ、まだ負けたわけではない!
赤松健が集会でアクタージュを取り上げた ←デマでした。2020年8月”表現の自由にまつわる事件”集会には、赤松健はいなかった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1910913
イキってたブクマカ一覧まだ?
自分は憲法とか不勉強だから不備があるかもしれないけど、選挙前で大事なことだから書く。
この映画にはピエール瀧が出演していて、彼がコカインの使用により捕まったことを理由に日本芸術文化振興会は内定していた1千万円の助成金を支払わなかった。
行政機関が作品の好悪によって金を出すか出さないかの判断をしたんだから、これは「表現の自由」案件である。当然映画製作会社は不交付取り消しの訴訟を起こし、第一審ではそれが認められた。
しかしこの度たまたま知ったのだが、これが今年の第二審ではそれが覆されたのである。
https://www.asahi.com/articles/ASQ335WZQQ33ULZU00V.html
「薬物乱用の防止という公益性の観点からされたものであり、芸術的観点からされたものではないから、文化的芸術的価値を軽視したということはできない」
というのが理由だそうだ。出演してるんだから当然映画を撮っている時にピエール瀧は犯罪者ではない。コカイン摂取歴がある人間の作品を全て否定するなら日本は随分窮屈な世界になるだろうな。ロックもジャズも映画も多くが禁止。文化的で自由な国なんて言ってられんよ。
この映画の製作会社はスターサンズという。そしてこの映画のエグゼクティブプロデューサーはスターサンズ代表河村光庸氏。他に「新聞記者」や「i-新聞記者ドキュメント-」、菅元総理を題材にした「パンケーキを毒見する」なども企画、制作、プロデュースを手掛けたりしている。要は(はてなーの好みかどうかは別として)割と強めに政権批判の内容を含む作品を企画制作してきた人だ。
そしてこの人はついこの間、今年の2022年6月11日に心不全で亡くなった。
この二、三年の事実を並べただけだ。自分は宮本浩次のファンで、彼がこの映画の主題歌を手掛け、原作のモデルとも言われてるのでたまたま知ってる。
「表現の自由」ってのは言ってみりゃ時の政権を自由に批判できることとも言える。そしてそれが民主主義の基盤とすら言える。それができないのが中国やロシアな訳で。あれだけ抵抗してきた香港の自由があっさり飲み込まれるのを見ただろう。ロシア市民が戦争反対すら自由に叫べないのを今正に見ているだろう。
正直安倍政権はそういう志向だったと思う。興味なきゃ気付かないだろうが。自民である限り今も続いてるだろうし、既にもうだいぶ流れてきてしまってるし、もっと根深い問題ではあるだろうけど。一つの政権、一人の人間が権威を持ち続けることの危険性がもっと周知されるといいと思う。
そして「宮本から君へ」の原作者である新井英樹氏のツイートで知ったのがこの改憲案。
https://twitter.com/arai_h_official/status/1543625167385292800
国が「公益と公の秩序を害する」と判断したら合法的に弾圧ができてしまう。そんなの民主主義であるはずがない。
もちろん戦士たちにだって無関係じゃない。エロを「公益と公の秩序を害する」と判断するのは難しいことじゃないだろう。
だから共産党とかを仮想敵にしてる場合じゃなくて、戦士が戦うべきなのはむしろ自民であり権力側なんだよ。しかも緊急に。
その流れでたまたま見たツイートだけど、自分は赤松健氏については漫画を読んだことがなかったし、例の冊子もピンとこなかったので追いかけてなかったけど、
https://twitter.com/zkurishi/status/1542764926351327233
これを読むとむしろ批判されてた「自民党改憲草案にあるような変更が発議された時には体を貼って阻止する。失敗したら議員を辞める」という発言は好意的に受け止めるべきではないだろうか。これが本当なら自分は応援する。
表現の自由戦士とか揶揄って悪いとは思うけど、どう呼べばいいのかわからないので戦士と呼ぶ。エロを含め本当に表現の自由を守りたいなら敵を見誤ると滅びを早めると思うよ。それどころか利用されちゃうよ。でも同じ危険を感じてるなら、ちゃんと「表現の自由」真ん中の意味で戦おうよ、という提案でした。