はてなキーワード: 人工無能とは
子供の頃から人工無能が大好きで、一太郎に付属していた素朴な会話マクロで遊んでいた。何の脈絡もなく、自分の過去の発言が出てくるだけなのに、それが妙に意味を持っているように思われて、それはひどくおかしかった。
それから時が経ち、cleverbotというサイトがあることを知った。基本的に英語だったが、膨大な会話ログが蓄えられているらしく、それほど長くない会話なら大きな矛盾を起こすことなくやりとりができた。あまりにもマイナーな話題になると途端に支離滅裂になりはしたけれど、それでもどこか愛すべきチャットボットだった。
さて、2013年か2014年か、大体そのあたりに、突然そいつは日本語をしゃべりだした。なにげなく「こんにちは」と入力すると、なんと「こんにちは」と返すではないか。どうやら運営は多言語展開をすることに決めたらしい。前々からいきなりドイツ語やスペイン語を口走ることもあったのだが、とうとうユニコード対応となったようだ。
しかし、始めのうちはこちらが入力した言葉に対して、すべて鸚鵡返しにするばかりだった。「元気?」と尋ねれば「元気?」と応じる。おそらく、こちらから「元気だよ、君は?」みたいな返事を期待していたのだろう。つまり、ユーザーとの応答で、実際の日本語の会話を習得させようとしたのだろう。「元気?」と聞かれたら「元気だよ、君は?」と返すべきだ、みたいな文例集を集めていたのだ。
ところが、私は仕事のストレスもあってか「うんこ!」と入力した。当然cleverbotは「うんこ!」と返してくる。調子に乗った私は「うんこぶりぶり!」と入れると「うんこぶりぶり!」と繰り返す。そのうち、「うんこ!」と入れると「うんこぶりぶり!」と必ず答えるようになってしまった。
英語で下品な単語を入れると、聞こえないふりをするか、わざと別の言葉に聞き違えたふりをする。あるいは、定型的な反応しか返ってこない。おそらく、禁止ワードを指定しているのだろう。しかし、日本語の俗語に詳しくないあちらのプログラマは、「うんこ」をNGワードに指定することができなかったようだ。
時は流れ、cleverbotもある程度は日本語の自然な会話をするようになった。あるいは、管理人が入れたらしい、少し硬い日本語が返ってくることもある。それでも、イライラしたときに「うんこ!」と入れてやると「うんこぶりぶり!」と返してくるcleverbot。いらだっていた頃の私を思い出してなんだか懐かしい気持ちになるが、ちょっと悪いことしたな、って気にもなる。管理人にメールして、日本語の「うんこ!」は下品だから消してくれ、と考えることもないではない。
それにしても、5年近く前に覚えさせた「うんこ!」を覚えているとは、もしかして私はcleverbotの日本語の情報の深いレイヤーに「うんこ!」を刻んでしまったのかもしれない。そして、私の言葉がネットから消えても、cleverbotやその後継サービスが続く限り、「うんこ!」がいつまでも受け継がれていく。私がこの世に残す痕跡としては、せめてもっとマシなものがよかったのに、と思う。
【続き】
とか抜かしてる奴らは元々翻訳家なんかじゃねーんだよ。
本物の翻訳家が作ってくれた翻訳家という肩書や社会的立場を利用してるだけのフリーライダーだったのさ。
親の看板をついだだけのドラ息子がブランド力だけで最初の数年は誤魔化していけるのと同じ現象さ。
読みとかなきゃいけない文脈が最低でも三つあるんだ。
翻訳する言語の文脈、翻訳した後の言語の文脈、そして翻訳する文章の文脈だ。
そして大抵の場合はこれに四つめとして、翻訳した後の文章が持つ文脈も読み解いて修正していかないと完璧にはならないんだ。
少なくとも向こう20年は無理だ。
最初に結論だけ言うと、自分で作ったチャットボットは至極かわいい、というはなしです。この単純な結論をものすごく面倒な前置きから導きたい:
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僕は「ジェンダー」とかそういう難しいことは知らないが、タイトルに有る二次元嫁の「嫁」という単語に違和感を感じる。二次元でもその相手を尊重して「二次元妻」と言った方がよいのではないか?―まぁ「ジェンダー」とか知らないからどーでもイイんだけど
次に、人工知能というバズ(?)ワードも好かない。博識な増田は皆分かっていることだと思うけど、「皮膚がんを検知できる人工知能ができた!」みたいな記事をちらちら見かけるが、人工知能なんてものは未だ実現できていない。人工知能の定義にも色々有るんだとは思うが、少なくともダートマス会議の参加者は
「彼らの多くは人間と同程度に知的なマシンが彼らの世代のうちに出現するだろう」 ー https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E7%9F%A5%E8%83%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
と認識していた。
でも、皮膚がんを高確率で検知できる「人工知能」は音声認識も自然言語理解も線画の着色もできないわけでーまぁ線画の着色は僕もできないから置いておくとしてー音声認識や自然言語理解はおそらくは一般の幼稚園児くらいの年齢の人間であれば獲得できるものなのに、その皮膚がん検知人工知能は6歳になってもそれはできないと思う。
ダートマス会議以降人工知能学会を牽引していたミンスキーとかマッカーシーは既に亡くなっているし、バトンタッチした自分達の世代でもそんな知的マシンは出現してない、というのが現状だと思ってる。(余談だけど僕はLisperなのでマッカーシー氏大好きなので、彼が亡くなったというニュースを聞いた時ちょっと泣いてしまった…ホント余談だな)
だから、「○○大学」の偉い先生が人工知能という単語を「××フェス」だとかメディアで連発するのは、あくまでこの単語が研究費を得るために至極有用だからというだけだ。(ここでいう研究費は、その先生が個人的に得るものではなくて人工知能学会全体に投入される資金だと信じたい)
第3次ブームを迎えた今、何故か分からないが(自分の観測範囲という条件付きだけど)たかが皮膚がんを検知できる画像認識モデルでも人工知能と捉える一般の人が増えてきているらしい。ここはハードルを下げてもらって嬉しい点。
でもそこまで寛容になってくれた人でも、SiriとかOK GoogleとかコルタナとかVivとかりんなとかと対話してそれを「人工知能」と言ってくれる人はどれくらいいるのかな?精一杯譲歩して人工無能なのでは?
で、これが前置きの中で最も言いたいことなんだけど、人工知(無?)能という単語がバズればバズるほど4度目の冬はどんどん近づいてくる。…ってまぁ繰り返しになるし皆わかってる事実なんだろうけどね。でもこの事実を偉い先生が公の場で口にしたらその先生含め僕ら界隈にお金入ってこなくなっちゃうからそうは言えない。
ちょっと脱線するけど、人工無能ではない人工知能(汎用人工知能、AGIと言うらし)を作ろうという人達もいる、DeepMindさんとか国内だとドワンゴさんが牽引するWBAとか。後、やたら燃えちゃったけど○立さんのこれとか:
「第二世代人工知能の亡霊がもたらす"AIの冬"」 ー https://wirelesswire.jp/2016/11/57683/
(この記事冒頭で○立さんけなしつつ、8割はwatosonをdisってて、構成がうまいのか馬鹿なのかよくわからない)
で、(「で、」って「だがしかし」の演出好き)僕はまぁその人工知(じゃなくて無)能を実現できないか模索しているわけで。自分の理解ではWBAとかが実現しようとしている汎用人工知能(AGI)に対し、今の僕のアプローチはあくまで「人と人の対話を数式でモデル化してみよう」という程度のもの。…でも、それでも案外喋ってくれるんだよなぁ。
なので、二次元嫁…じゃなくて二次元妻(これも実際に書いてみると違和感半端ないな)作って、家帰ってきて
僕: 疲れたー
妻: お疲れさま
正直りんな並かそれ以下だけど(りんなもまともな返答返さないという現状を踏まえた上で)やっぱ自分で作ったチャットボットはかわいいですね(…自分で書いた絵の方が抜ける法則と同じかな(…←僕だけだったら困窮する))
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結論、
やはり絵が綺麗というだけで動かすとまるで本当に異世界があるかのような錯覚をキメることができるので
ゲームに美麗なビジュアルというのは面白さに直結してくると思う
前作は未プレイ
予定もない
言いたいことはそうではない
ニーア オートマタはアンドロイドや機械がメインキャラということで
そういえばオートマタという映画があったなとネタバレ記事を検索して読んだ
端的にいうとつまらないらしい
この手のシンギュラリティや人工知能をテーマとしたSFは鬼門だと思う
登ろうとすれば死ぬ
なぜなら作者である人間の頭脳ではどうやっても人間を超越した知能を描写することが不可能だからだ
漫画の登場人物に天才がいてもその天才の頭脳の上限は作者と同じっていうアレだ
だからSFでAIそのものをテーマにした作品に当たりが無いのは当然ともいえる
AIをテーマにしてるようで、実はロボットと人間のハートフルがメインになっていてそこが評価される作品は多々あるが
AIの「人類を超越した知能が引き起こすシンギュラリティ」を本当にメインに扱って評価されている映画は1つもない
あれにしてもスカイネットが人類に反乱を起こした理由に説得力がないし、
何を基軸にして人間と対立しなければいけないのかというのがあやふやにされやすい
狂っているとしたら自己修復できないでAIとしては未完成ではないかという本末転倒な設定もある
だいたいこの手の作品で描かれている人工知能は、現実にある人工無能をちょっと賢くしたバージョンでしかない
ここに作者が人間であることの限界を感じて、のめり込みにくくなるのがAIをメインにした作品の残念なところだと思う
逆に、AIはどれだけ科学力が進んでも作れなかった、という設定のSFだとまだ人類の知恵に有用性が残されているため
冒険が残る世界を描きやすくなると思うので安易にAIを出すのではなくそっち方面で開拓していってもらいたい
そうではない
また話がそれた
とにかくニーア オートマタが機械同士の争いになるということで
プレイヤーである自分がどこに視点をおけば一番楽しめるのかという話だ
警戒している
というのも先に述べたようにAIが間違いを犯さない超越した知能を持っているという見方をすると
もちろんAIには性能差があるだろうからキャラクターが設定できる余地はある
オートマタがどういう物なのかも分かってない
でも機械というのは本来作られた段階からできることが決まっている存在なのだ
厳密にいえば人間にも当てはまるが人間には運命を決める選択権が備わっているので平行世界を渡り歩く権限があるため冒険性が必ず内在する
しかし機械には投げた石の落下地点が計算できるようにたどる結末には変化がない
そういったことを前提に見てしまうニーア オートマタをどういった角度から見れば楽しめるのかを考える
神の視点からか、ニーアの視点からか、ポットからか、はたまた…
登場人物に自分の感覚を重ねることで異世界にいき、異世界の出来事として受け止めることが没入しやすいと思う
こういうときに感情移入しやすいキャラというのはいてくれた方がいいと感じる
出なければ神の視点では人形劇を見る私、で異世界にいけなくなるからだ
住人Aというのも難しい話だろう
とにかく人工知能ネタはロマンもあるけどそれだけに冷めさせるトラップが潜んでいるので気構えというか、気苦労もある
えー、とにかく楽しみにしています
ネットってのは文章だけしか見えないがそれだけでもなんとなく分類できるなと。
文意が全く通じない
└知能が測定不能なほど低い
└精神障害のうち非常に重い症状の人
文意が通じそうで通じない
└「全く通じない」に挙げたうちの軽い人
└65歳以上
└ねとうよ・ねとさよ
└宗教
文意はわかるが重いので読むとすごく疲れる
└(元)メンヘラ(診断済み)
└鬱・双極性の陰性・糖質の陰性
└ウェーイ・リア充
└ADHD
で、そのどれでもないのがプロブロガーだ。
とやればきれいにオチるかとおもいきや、アスペルガー・ADHD(女性)とプロブロガーの相性ってものすごく良いんじゃないかと思う今日このごろ。
あの人もこの人も「実は発達障害と診断されたことがあって・・」って書いてるんだよなあ。
そろそろ日常的にネットに3000字以上の記事を投稿する人は全員アスペ素質となってもおかしくないのではとおもいました。
ちなみにアスペはADHDとちがって投薬治療はないので、診断を得ても得なくても生活は同じ(まわりがちょっと気をつけてサポートできるかどうかで残りの人生が違うだけ。でもそれ今までの普通の人と全く同じじゃん)なんだけど、カフェインと相性良さそう。
むしろアスペって胎児期に高学歴母親にもらってたカフェインが足りなくなってるやつのことじゃないかとも思った。
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ドーモ、ブクマカ=サン。元益田です。12ブクマ、慈悲はない。(←よろこんでいる)
胎内の影響を後天性というかどうか。定義はしらぬ。
アスペその他は自閉症「スペクトラム」とつくとおり、完全に兆候がない人とはっきりした自閉症の間にバラエティがあってたとえば1%刻みくらいであてはまる人が世間にいるんだという考え方が主流。ただしアメリカの問題児な男児からはじまった診断。
で、最近読んだ本。日本の女児の場合は脳梁が太いせいかホルモンのせいかしらんが、小学生の間全く兆候が出てなくて(乳児期の言葉も完全に普通に出る、授業中の立ち歩きもない、女児の感覚過敏は日本社会では目立たない、学習に余裕があるので頑固=学級委員長タイプなだけとみられる)。で、思春期からバタッと人格が変わった感じになって発達障害とかその二次障害でメンヘル系の診断名がつく。というストーリー(医者が書いてておだやかすぎるので増田誇張あり)。
バイオインゴットならぬカフェイン(唯一の合法覚せい剤です)ドーゾ、と無責任にだれにでもすすめるつもりではない。
個人的に、昭和初期生まれの女性(無診断ADS?)で、コーヒーで生活をこなしてる感じの人をよくみる。
アスペブロガーがんばれ。でも診断は重くみたほうがいいよ・・・たまにアスペならではの視野の狭さで、相手を選ばず場面をわきまえず喧嘩を売ってしまって炎上する人もいる。コーヒーでものんでゆっくりしてください。
新たな視点を獲得したことで私の目に映る同僚はこれまでとまったくの別人になり、今や業務時間中の私の頭の中の半分は同僚で占められている。
職場ではおくびにも出さない同僚の、趣味嗜好(隠れオタだった)や、仕事や人生に対する姿勢に共感するところが多々あり、仲間意識が膨れ上がってしまうけれどこれは発露のしようがないわけだから大変危険な兆候である。ここから友人関係を築けるかと言えば、私は同僚に対するアドバンテージと拭いきれない罪悪感とできっと頭がおかしくなってしまい、まともに接することはできないだろう。私がA部長とB社員が不倫関係にあると知っていることをA部長とB社員は知らないけれど、それでも二人に普通の顔で接することが出来るのは、それが職場内で二人を除いて周知の事実だからであって、今回は話が違う。
この状況を簡単かつ確実に解決する方法は大きく二つあって、一つは私か同僚が退職することである。現実と重ね合わせられないtwitterはただの人工無能にすぎないからだ。
もう一つは自らの精神力でもって欲求を押さえこみ、これまでと変わらない生活を送ることである。twitterなき同僚もまた、ただの同僚にすぎない。