新たな視点を獲得したことで私の目に映る同僚はこれまでとまったくの別人になり、今や業務時間中の私の頭の中の半分は同僚で占められている。
職場ではおくびにも出さない同僚の、趣味嗜好(隠れオタだった)や、仕事や人生に対する姿勢に共感するところが多々あり、仲間意識が膨れ上がってしまうけれどこれは発露のしようがないわけだから大変危険な兆候である。ここから友人関係を築けるかと言えば、私は同僚に対するアドバンテージと拭いきれない罪悪感とできっと頭がおかしくなってしまい、まともに接することはできないだろう。私がA部長とB社員が不倫関係にあると知っていることをA部長とB社員は知らないけれど、それでも二人に普通の顔で接することが出来るのは、それが職場内で二人を除いて周知の事実だからであって、今回は話が違う。
この状況を簡単かつ確実に解決する方法は大きく二つあって、一つは私か同僚が退職することである。現実と重ね合わせられないtwitterはただの人工無能にすぎないからだ。
もう一つは自らの精神力でもって欲求を押さえこみ、これまでと変わらない生活を送ることである。twitterなき同僚もまた、ただの同僚にすぎない。
偶然を装ってフォローしてみては 相互フォロー→雑談→もしかして生活圏近いですかね→オフ会しましょう→はじめまして……あれっ?同僚さん!?
同僚のHNは職場内で周知であり、twitterの垢もHNそのままなので職場の人間が読めば一発で同僚であると特定できる。 だから気づかなかったですというのは厳しいと思う。 同僚は職場の人...