はてなキーワード: インスパイアとは
というよりPocketpairの嫌いなところ
独り言。
ストアページを見ればわかるが
https://store.steampowered.com/app/1623730/Palworld/?curator_clanid=41648656
デザインが似ていることはしぶしぶだがかまわない。
現在あるものや過去のものも模倣、インスパイアされて新たに生み出されていると思うから。
しかし似たようなかわいい世界観ということを表現させているのだから、
銃というどうやったって血や死をイメージさせるものを持たせる事は、
もととなったと予想するポケモンに対するイメージを壊す中学生的な悪ふざけが過ぎると思う。
キャラクターを大切にしておらずおもちゃや道具のように扱う様は、
GTAのMODで主人公を人気キャラクターに変えたりする物などがあるが、
面白いことでもなぜ公式でやらずアングラな方法になっているかを考えていないとしか思えない。
目ただないような場でやるべきだと思う。
パクリを隠そうともせず金儲けしたいという思いがとても不愉快だった。下品に感じる。
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/190906a
パクリゲームの数が一定の閾値を超えるとそれが「ジャンル」となり、
と発言していて法律やルールを重んじるような発言をしているが、
JPモルガンの在籍時に副業が駄目なのにSTORYS.JPを立ち上げたと発言していたり、
一貫性もなく自身で善悪を考えていない事もわかりどうかと思う。
前作のクラフトピアでもベルトコンベアで牛をベルトコンベアで鍋に放り込むムービーが出てくる。
https://store.steampowered.com/app/1307550/Craftopia/
面白いと感じたのだろうがバグや意図せず発生したことならともかくわかっていたことは明らかなので
あとnoteの内容が
グラブル最近触ってないけどフライデーさん闇堕ちしてブラックフライデーになってないかな…と思ったら
プレミアムフライデーじゃなくなったんだね
グラブルでプレミアムフライデーネタが始まったときはついに政治ネタにまで突っ込んできたよと感心してたのだが
ウマ娘が訴えられてたがサイゲはもともとアウトだろってとこまで全力で踏み込むのが魅力だった
ネタ元まるわかりパクリといえばグラブル…というかソシャゲはどれもそうだが
「元ネタまるわかりだけど元ネタ1・オリジナル9だからまあ…」って気にさせられるのがサイゲだった
型月のきのこシナリオのインスパイア元まるわかりとはまた違って
「正々堂々とパクるけどパクリ元より盛りまくってもっと面白くしてやる」みたいなアグレッシブ感があった
のだが流石に訴えられたら今後は控えるのかな
今のSNS炎上待ち構え・小ネタに飛びついて無理やりバズったふりを自演してる時代では難しいか
ブルアカのシナリオ読んでても往時のプリコネのコッコロたんのヤバさに全然届いてなくて、ほんと大人しいものな
ウマ娘というエイプリルフールか低予算インディーズレベルの際物を全力でオーソドックスに仕立て上げたのがネタ路線の頂点になってしまうのだろうか
二郎は直径店舗でも意外と店舗によって味が違うし、インスパイア系も違う。
二郎大好きなやつだとニンニク無いとパンチが足りないとか言い出すんだろうけど、店にもよるがニンニクのデフォの量が多くてアリだとニンニク味にスープが染まっちゃうんだよ。
この増田を見ていたら、俺も同じような経験が有って、それを思い出した。
(ちんぽの事じゃない)
「浅◯開化◯の麺を使ってます」というところが有るけど、
ここのスープも不味い。臭みはそれほどなかったと思う。
ただしょっぱいだけで、極太の麺に合うように設定されているのか、スープだけ啜るとくそ不味い。
麺は麺で大したことないし、太いから茹でるのに10分かかると言われていて、
カウンターに座って待ってるのにも時間が掛かるし、食べるのにも時間が掛かるので、
大して旨くもないのに昼休みだと入店するのにも時間が掛かることがある。
なぜ他人は待ってまであんなもん食べようとするのか分からない。
獣臭がそんなに無いことを考えると、俺の喰ったやつの方がまだましってことかな。
二郎系とか二郎インスパイア系とかって、上手いからリピしてるわけじゃないよな?
ただ腹パンになるだけなんだけど、喰った満足感がそうさせるのか、なんか中毒性が有るのかな。
俺はもういいけど。
実家太くないし、地方出身だし、なんとか勉強して年収500ぐらいまで来たけど
周りを見れば20代で年収1000万越えとかそんな世界があって
恐ろしいことに、おそらく今後こういう人たちが「普通の日本人」になるんじゃないかな
たとえば今まで中流階級ぐらいで「自分は普通の日本人だ」と思って暮らしてきた人
育ってきた人は「普通の日本人」から「貧乏な日本人」に変わっていってるよね
よく言われてることだけど
snsでよく「私のような普通の日本人が真っ当に暮らせないなんてこの国はおかしい!!」ってニュアンスの
怒りぶちまけてる人いるけど。つまり、生活が苦しい時点で、もう日本人の普通じゃないところまで落ちたんだよ
子供の頃からテレビとかで「あなたが一番でこの国の主流」みたいなインスパイアされた人たち
そうやって育ったのに貧困層に落ちてるみたいな
「普通の日本人」だと言われて育ったのに
そういう感じの人がブチギレてる感じがある
まあ、どのくらいの数のよねぽオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないミステリの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、よねぽのことを紹介するために読ませるべき10作を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にミステリを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、情緒に過大な負担を伴う短編集は避けたい。
あと、いくらよねぽ的に基礎といっても雑誌でしか読めないものは避けたい。
よねぽの歴史小説好きが「安寿と厨子王ファーストツアー」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ミステリ知識はいわゆる『名探偵コナン』的なものを除けば、古畑任三郎程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「よねぽ以前」を濃縮しきっていて、「よねぽ以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも200ページちょいだし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える映像化がうまくいきそうな推理小説(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際はインシテミルは一度も映像化されてない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「よねぽオタとしてはこの二つは“謎解き”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFミステリオタが持ってるファンタジィとミステリの両立への憧憬と、中世ヨーロッパについてみっちり調べたオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも漫画映えしそうな
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを読んだ彼女は「フィリップ・マーロウだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
このシリーズの作品がその後続いていないこと、これがミステリ読みのあいだでは大人気になったこと、アメリカなら実写映画になって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり学園ミステリは少年少女のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは『秋期限定栗きんとん事件』でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるよねぽの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも368ページ、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
〈図書委員〉シリーズの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが相沢沙呼や似鳥鶏だったらきっちり300ページにしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて368ページを作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえよねぽがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でユーゴスラヴィア見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
折れた竜骨よりも前の段階で、よねぽの哲学とかヨーロッパ描写とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品がソフトカバー単行本でこの時代に出ていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくミステリ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるジブリ劇場用アニメでしかユーゴスラヴィアを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
よねぽの「目」あるいは「伏線張り」をオタとして教えたい、というお節介焼きから読ませる、ということではなくて。
「終わらない学校祭を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』で一番印象的なシーンはハルヒが学園祭で歌う「God knows...」以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は学園祭での謎解きにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の青春をこういうかたちでオススメして、それが非オタに受け入れられるか「二度と勧めてこなくて構いません」という反応を誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に直木賞受賞作を選んだ。
角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞から始まって直木三十五賞で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、日本の歴史をガッツリ舞台にする作風の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
id:lady_jokerさんの書いた増田を見て急によねぽ語りをしたくなったので書いた。今は反省していない。
「おもしろいミステリ」を読みたい増田はこれを参考に米澤穂信を読むか有栖川有栖の江神シリーズを読んでくれ。
〈小市民〉シリーズがないのはツッコまれるかな、と思ってたけど(どれ入れるかは迷うところだけど、やっぱ仮に入れるとしたら『秋期限定栗きんとん事件』かな? でも『夏期限定トロピカルパフェ事件』もいいんだよなぁ〜〜〜……)、予想以上に『儚い羊たちの祝宴』がブコメで言及されててビックリした。いや、たしかに良い短編集ではあるけど、そんな高評価するか? 短編集から1冊選ぶならどう考えても『儚い羊たちの祝宴』じゃなくて『満願』だろJK……
君たちはどう生きるかを見てきた。思ってたより面白かったけど俺のみたいジブリ映画とは違っていた。
この映画を見に行く直前にゼルダのティアーズオブザキングダムをクリアしていた。
俺が見たかったジブリはティアキンの中にたくさん詰まっていたなあとしみじみ思ったのだ。
宮崎駿は作家だから、新しい作品を作るたびに過去作の焼き直しみたいなことはしたくないだろう。
ましてや年齢的にもこれが最後かと思いながら作るわけで、どうしたって自分がなにを作りたいかということを突きつけられたんじゃないだろうか。
そう考えると俺の好きなジブリ作品は宮崎駿にとっては既に過去のもので、同じことはしたくないと考えるのは当然だと思う。
それに、君たち~もジブリの映画としての面白さも十分あったと思う。目が釘付けになるような色彩やアニメーションはそれだけで美しい。
だけど俺が見たかったジブリというのはもっとシンプルな冒険活劇だったのだ。
今までとは違う世界観で、違うキャラクター達が、自由自在に動き回って、ひとつの物語を完成させる、そういうのが見たかった。
それはもう叶わない事だし、それでいいんだと思う。
なんだか寂しいなと思う。
でもティアキンをやっていて、俺はこのゲームの中にすごくジブリ映画的なものを感じた。
今までのゼルダシリーズで物語としてそこまで入り込んだものはなかった。
前作のブレワイは衝撃だったけど、それはゲームとしてであって物語はいつものゼルダだよなという感じ。
しかしティアキンに関してはシナリオ部分でめちゃくちゃグっときてしまった。なんならちょっと泣いてしまった。
そしてビジュアル、アニメーションともに、まさにジブリ的ななにかを感じまくった。
グラフィックなどは基本的に前作ブレワイとそれほど変わってないと思うけど、宮崎駿の新作が上映されるタイミングとカブったというのもあってか、
自分はティアキンをプレイしながら改めてこれもだよな、ここもっぽいなあと、とにかくジブリ作品からの影響を強く感じずにはいられなかった。
必要以上に手足をバタつかせちょっとやりすぎなくらい早いモーションだ。実際の移動距離からするとお前もうちょっとうまく走れないか?と思ってしまうほどドタバタしてる。
これはもちろんジブリ作品の登場人物の動きからの影響だと思う。
アクションはゲームとしての気持ちよさが優先されるので、さすがにジブリほどの間を持たせた動きはできないけど、細かいところの緩急の付け方もきっと宮崎駿作品を参考にしてるんだろうなと思う。
コログ族はもののけ姫のこだまからインスパイアされてそうだなとか、料理のビジュアルとか、風景、ギミックデザイン、ありとあらゆるとこにジブリ的ななにかを感じる。
これはパクったとかそういう次元の話ではなく、ジブリ以外にもたくさんのリファレンスがあって、それらから生み出されたオリジナルなものであるのは間違いない。
ただブレワイを作る時のイメージとして、ラピュタを筆頭にジブリ映画のイメージはかなり強く意識されていたんじゃないだろうかと想像してる。
ブレワイは間違いなく傑作だけど、俺の中でそれはあくまでゲームとして、という事に過ぎなかった。
数あるゲームの中では間違いなく傑作なのだけど、映画や小説なども含めたコンテンツの中ではRPGゲームのシナリオというのはそこまで良いと思えるものはほとんど無かった。
特に任天堂のゲームはシナリオはあくまで分かりやすく、エンタメに振り切ってるので重要なのはあくまでプレイの部分。
ただティアキンに至っては、シナリオ自体がひとつラインを超えてきた感がある。
そのアイデアと、そのビジュアル化は完全に「これもうジブリじゃん」と俺は感じてしまった。
でもこれこれこういうストーリーで、こんな映像なんですよって見せたらどんな反応をするのかとても興味深い。