はてなキーワード: たんぽぽとは
脱出編から読んだから結末も知ってるんだけど、それで結末だけ聞いて「これ超つまんなそうだな」と思ってた。
ポーカーっていうゲームのクソゲーでしかない部分を暴き出して、結局このクソゲーの中で如何に戦略っぽいことやるかがテーブルゲームなんだって話になってる。
たとえば麻雀なんて究極運ゲーのゴミだけど、さも見事な打ち筋、完璧な思考、頭脳明晰、全知全能とばかりに漫画では描かれる。
よくよく考えると実際には単なる運ゲーでしかないし、その運ゲーの中でそれほど多くもない選択肢の中から半ば運任せで勝負してるだけ。
でもそこにブラフやハッタリが加わることで辛うじてただのくじ引き勝負やジャンケンにならずに済んでる。
でも普通のポーカーだって麻雀だって、今回のゲームでは降りるしかないなって手番がしょっちゅう回ってくるし、逆にひたすら押してりゃいいだけの手札も来る運ゲー。
ようはブラフの部分以外は頭良さげに見せるだけの贅肉でしかないんだよね。
贅肉っていうかデコレーション?
たんぽぽ山盛りの刺し身っていうか、サンタのフィギア差し過ぎのクリスマスケーキっていうか。
そこから本体だけ取り出したら、確かにワンポーカーみたいになるわな。
これには既にインディアンポーカーっていう別ルートでの正解もあるんだけど、あっちはもう剥き出しだよな。
ケーキのスポンジもイチゴも邪魔だって生クリームだけにしたようなもの。
せめてスポンジは残そうってスポンジの上にクリーム絞ったのがワンポーカー。
うーむ、なかなか考えてるわ。
才能どんどん枯れていってる中でこんなの出せたら、そりゃもうギャンブルは一度置いといて別の話したくもなるんじゃね?
はこべ、たんぽぽ、虎杖とか食うだろ?
「夫は仕事が忙しくて(家事をろくすっぽしないのです)」と、あなたは言う。
「仕事が忙しい」というのは、いったい、どういうことなんであろうか。
夫は朝から晩まで、パソコンに向かってカチカチカチカチなーにしてんのか。
忙しいというのは、つまり、目に見えないほど細かく小さく取るに足らないタスクが、さばききれないほど存在するということ。そして毎時毎秒、増え続けている状況だ。
取るに足らないタスクが1つあるとする。
なんかの集計をエクセルで整える、みたいな。
10分で済まようぜなみたいな。
しかし実際に触ってみると、
直す際に正確な名称をちくちく調べ、ちくちくコピペし、ちくちく再チェックし、ようやく整える作業に入り、
終わったと思ったら後輩に頼んだもう一方のエクセルが、不ぞろいなままだったことに気づく。
非難しているニュアンスを入念に排して後輩にメールで聞いたり、
そしたら「確認致しました。問題ございません」と返ってきたり、
人を傷つけたいな、誰か傷つけたいな、だけどできない理由は、やっぱりただ自分が恐いだけなんだな…Uh…
といったことが、「エクセル作業」と6文字で表現される中に詰まっている。
名もなき仕事。
だれでもできる、取るに足らない、そして誰にも知られないタスクの集積。
それが仕事だ。
ていうか、頭のいい偉い人が「そもそもこの事業いらないんじゃね」と言う可能性はつねにあるし。うすうすそんなん現場は分かってるし。
話がずれた。
家の外の仕事だろうと、家の中の仕事だろうと、仕事なんてのは担当者にしか見えない細かいタスクの集積なんだよ。
違うのは、「私がやっていることが認識されていない、褒めてもらえない」と喚いたら、外の仕事では、じゃああなた要らないって、言われるんだよ。
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
干していた布団が洒落ではなく本当に吹っ飛んでいた
笑う隙間もない
干していた掛け布団がまず吹っ飛んでいて、芝生の上にその痴態をさらしていた
次に敷布団のタオルケットみたいな布団が吹っ飛んでて、布団は吹っ飛ぶもんだというコペルニクス的転換点を知った
何しろ布団は吹っ飛ぶ
これでもか、というくらいに吹っ飛んで、可憐な姿でたんぽぽと一緒に咲き狂う
そんなに布団は吹っ飛びたいのかと思う
ともかく遊びに来ていた近所の灰トラの猫が驚いて逃げるほど布団は吹っ飛ぶ
こんなにも吹っ飛ぶのか
そんなにお前は吹っ飛びたいのか
お茶を入れてる隙きに素早く布団は吹っ飛ぶ
ふっとばすぞ布団と宣言したところでお前は吹っ飛ぶ
もうほんと布団は吹っ飛ぶ
軽度知的障碍者が嫌いだ。社会的弱者の振りした卑怯者だと思っている。
生後7ヶ月から児童福祉施設で育った僕は、比較的知的障碍者と多く関わる環境にあった。
僕のいた福祉施設は、家庭の事情で入所する0歳から18歳までの児童がいて、その3割は軽度知的障碍者だ。
僕が入所したのは生後1歳未満。5歳の頃に同い年の知的障碍者Mが入所してくる。Mの障碍については詳しく知らない。中~重度の知的障碍者は対応しない施設だったので、軽度であることは間違いない。
Mは、日常会話はできるしコミュニケーション能力もあるが、ただ人前で発言ができない。教室のような数十人の面前では以ての外、5~6人以上の前で発言となっても頷くくらいしかできなくなる。多数決で手を挙げることすらできない。会話もできるし、意思もあるのに。ただ、出会ったばかりの5歳の僕はそんなこと気にする由もない。物心がつき始めた時期だし、当然だ。Mの障碍を意識し始めたのは小学校入学以降。入学式で名前を呼ばれても返事ができなかったり、自己紹介も担任が代わりにしていたり。入学当初こそ、緊張しているものだと思いきや、授業中も終わりの会でも、6人程度の班会議であっても、人前だと一切発言しない。一人ひとり全員と仲が良くてもそれが複数名となると何も話さなくなる。そうこうしているうちに、Mは3年生の夏以降、国語算数理科社会の授業は特別支援学級たんぽぽクラスへ通うようになっていた。
僕はMの世話を焼くのが好きだった。帰宅先が同じなので毎日Mを迎えにいって下校していたし、なにか意見を発表しなければならない場面では、施設でも学校でも僕がその代役を務めた。Mも僕にべったりで、行事ごとの班分けは同じに、席も隣に配置された。
喧嘩をすることもあったが、何かある度にMは僕を頼りにしたし、僕もMには僕がいないとダメだと思っていた。
障碍者に対する優越感あっての行動と言われれば、そうだと思う。小学生なんて、差別や偏見よりは「周りから褒められるから、頼られているからやってる」が最大の動機だし、それが優越感だと言われれば間違いないと思う。
前置きが長くなったが、事が起きたのは小学5年の春。
福祉施設は1部屋6人に施設職員1人の担当制でグループ分けされている。総勢60人程度の施設になるのだが、年齢で分かれているわけではなく、一部屋に0歳~18歳までの同性の児童が振り分けられる。当時は、18歳の高校生H・僕・M・小学2年生の軽度知的障碍者N・中学3年生2人というメンバーだった。
小学生は9時に就寝なのだが、僕は大体毎日こっそり夜更かしをしていてカーテンで仕切られたベッドで読書をしていた。ある日、高校生のHが担当と話しているのが聞こえる。かいつまんで話すと、Hが友人からもらった地域限定版おっとっとが盗まれたそうだ。僕を完全に寝ていると思い込んでる二人は、お菓子の空き袋がNのロッカーから見つかっているのにも関わらず、犯人を僕という前提で話していた。理由は簡単で「中学生2名は修学旅行中でアリバイ有。ゴミを自分のところに残すようなことを犯人はしないだろう。かといって他人のロッカーに入れることも、障碍者にはできない」という理由らしい。本来就寝時間のため、その場で違うと否定できず、眠れないまま朝を迎えた。学校へ行くと僕はさっそくNを問い詰める。「知らない」とNは即答した。Mの元へ向かう。答えは同じだ。もちろん他の部屋の人が盗んだ線もあるが、僕は長年Mといた経験から、Mが嘘をつくときの癖を知っている。Mは、そんなことつゆ知らず目を泳がせながら知らないという。本当のことを話してとお願いしても知らないの一点張り。詰んだ。まぁ僕じゃないことを証明できればいいと帰宅した。
だが、一度「犯人」と思い込まれた人間は、その濡れ衣を払拭できない。もちろん日頃の行いは影響するだろうが、僕は学校で児童会役員を務め、成績も悪くなく、大人からは好かれていた。はずだった。
部屋で正座をさせられ、施設長・担当・高校生・N・Mが僕を囲む。鼻から「お菓子を盗んだのはお前だろう」と決めつけられ、否定しても「もう一回聞くぞ、犯人はお前だろう」の繰り返し。どれだけ否定しても「わかってる」「お前しかいない」と話しすら聞かない。その上、知的障碍者Nが「今日学校で私が盗ったことにしろと言ってきた」と嘯いた。知的障碍者の小学2年生がだ。は?
施設長が嬉々とした顔で「Mもそういわれたんじゃないか?」と聞いた。Mは人前で発言できない都合のいい能力者だ。「盗ったことにしろとは言われていないが詰問はされた」と話せず、首を縦に振った。施設長が怒鳴る。頭に入ってこない。最初こそ「なんで最初から僕だけを疑うのか」と聞いたが、「障碍者は純粋だからそんなことをしない」との一点張り。バカか。MもNも通常クラスの勉強にはついていけないし、九九も言えないが、そこまで馬鹿じゃないぞ。嘘もつくし施設内であるいじめにだって加担する。人の陥れ方も媚の売り方も知っている。
想像してほしい。小学5年生が頼れる親がいない状態で、最初から人を疑い話を聞かない大人3名に囲まれ怒鳴られる3時間。感じたのは恐怖よりも、呆れと絶望だった。
気が付いたら僕は、「僕がやりました」と言っていた。心が限界だった。土下座しろと怒鳴られ、頭を下げる。これで解放されるという清々しさがあったが、頭を挙げた瞬間にバツが悪そうに目をそらし、でも口元は笑っているMが視界に映り、舌を噛み切ってやろうかと思う。
後日、Mに聞いた。やはり、Mがお菓子を盗みNとともに食べたそう。僕に濡れ衣を着せるつもりはなかったが、人前で発言ができなかったため結果的にそうなってしまったと言った。僕が自殺する素振りを見せると泣きながら謝ってきた。
Mを同席させ担当に伝えたが、一度目を見開いて驚いた表情をした以外では、謝罪もなく「そうなんだ、じゃあ肯定しなきゃよかったじゃん」と言っただけだった。すでに大人へなにかを期待しなくなっていた僕は、その対応に驚きもしなかった。
未だに、社会的弱者な知的障碍者を応援しよう的なフレーズをみると虫唾が走る。シャワーを浴びる瞬間、頭を下げると、卑怯な知的障碍者2人の前で土下座させられた事実を思い出して吐き気がする。たくさんの人の支援を受け、福祉的に優遇されている知的障碍者を見ると反吐が出る。あいつらは、世の中が想像しているほど純粋でも馬鹿でもないぞ。
結論から言うと、どうしようもなく無能で「カネやサポートといったリソースを注ぐだけ無駄」な人間というのは現実にいるのだから、見極めがついたらさっさとパージしないとリスクだけ増えるという話です。
github上げ太郎のニュースにおける「本人の反応」を見て真っ先に思ったのは、「ウチの会社にもいるわこういう異常に能力・危機感・当事者意識ないアホ」だった。
本当にいる。複数年勤めてても一切仕事能力が成長せず、入社一週間ぐらいの新卒にすら実務能力で抜き去られてく奴。
そういう奴がいるチームはえてしてタスク配分の不均衡だったり無能の介護役の負荷が大きくなったりでどんどん空気が悪くなっていくんだけど、当の無能は知らん顔してたりする。
この手の無能は本当に「頭が悪い」としか表現しようがなくて、そもそも自分に振られたタスクを自分で完遂できない。
通常、ある程度以上にまともな社会人は(それこそ入社すぐの研修期間でもないかぎり)仕事を振られた場合、
自分が担当するタスク内容を把握する→タスクの解決方法を検討する→タスクの進行を自分で管理する→タスクが終わった後改善点を考える
を自力でできる(どこの現場にも転がってるPDCAとかそういう類いだ)んだけど、この手の無能は上記の全部ができなくて
誰かが実行方法検討から進捗管理まで全部やってくれる「手を動かすだけの仕事」、言い換えれば「刺身にたんぽぽのせる延長線上の仕事」しかできない。
手を動かしてる間も思考はゼロなので、実際のところ自分が何をしてるかなんて理解してない。
(なので、仕組みなどを理解してないとできないことはできず、誰かがうまく行かせてるものをなんとなくコピペして、誰かが気づいて手直しするまでは何もしない。コピペした後で自分で最適化とかできない。)
これはスキルとか適性とかの問題じゃなくて、根本的な思考能力の話だろう。
普通の人間なら小学校の自由研究や総合学習の時間で(とくに下準備すら必要とせずに)発揮するタイプのパフォーマンスが発揮できない人間、というのは実在する。
当然ながら何か問題を起こしたとしても「何が悪かったのか」を自力で思考できないので、周りの人間が対策に走り回ることになる。
ここでリーダー的な人間がお役所主義だったり変に意識が高かったりして「無能だからって現場から追い出すのはよくない」みたいなことを言い出すと、無能がずっとそのチームに寄生し続けることになる。
そうなるとひたすら「無能当人以外の人間」が状況の改善のために努力を重ねていくので、無能自身は何の能力も伸びない=年収等の待遇も上がる余地がないままずっと時間が経過するようになる。
こういう無能の実例を見てきたので、多分github上げ太郎も待遇が悪かったから復讐とか、忠誠心の不足とかもっとずっと前の段階で、単に何も考えてなかったんだと思う。
何も考えないままなんとなくカネがほしくなって、年収判定にソースが必要という文字列の通りに(あげちゃまずい)ソースを流しこんだ。
こういう無能にカネをたくさんやった問題を起こさなくなるかというと、もちろんそんなことはない。だってそもそも考えてないんだから。
なので、無能に一切の自由を与えない(情報持ち出し対策とか)か、そもそも無能をチームから排除するかのいずれかしか現実的な対策は存在しない。