はてなキーワード: 陣営とは
れいわ新選組から重度の障害を持つ二人の候補者が当選したことは、先日あらためてクローズアップされたやまゆり園の事件に対する冷淡な反応などへの最大のカウンターとなった。
一部で熱狂的な支持を集めた山本の演説における主張の多くは、現状追認主義者に鼻で笑われるような理想論に聞こえるかもしれない。
しかし今回選挙で採用した戦術(特定枠という制度と自らの知名度を最大限利用することで組織力不足を補いつつ、知名度の低い舩後氏と木村氏を国会に送り込む)は、他のどの陣営よりも括弧付きの「政治」として徹底的にリアリズムに根ざした実効性のあるもの、即現実を変えられるものであり、そしてそのために利用された特定枠は合区で議席を失う自民党議員の救済のために作られた、近年稀に見るキングオブクソな制度であったということも特筆すべきだと思う。
山田太郎前参院議員が今回の選挙で当選したようで、ひとまずはよかった。
彼が当選したことは表現規制反対派としては喜ばしいことだと思う。しかし同時に、彼には注文をつけたい点がある。
それは、「幅広いオタクの利害の代弁者としてではなく、右派オタクの代弁者としての立ち位置を自覚すべきだ」ということだ。
当たり前だが、オタクには右派も左派もいるし、なんなら極右も極左もいれば中道にノンポリもいる。オタクとは趣味を共有しているだけの集団であり、本来であれば政治的に何らかの共通軸を見出し得るようなものではない。それが唯一共闘できる、共闘し得るイシューが表現規制問題だった。
だから山田前議員が「オタク全体からの支持」を目指すのはどだい無茶な話であった。山田前議員にしても、表現規制反対とは別のイシューでご自分の意見をお持ちだろう。もしも表現規制反対以外に共通軸の乏しい集団をまとめ上げようとするなら、表現規制反対以外の「自分の意見」はなるべく封印してシングルイシューに徹しなければならないが、活動家ならともかく国会議員でシングルイシューに徹することはやはり難しかった。
共謀罪とか、表現規制問題とは直接関係がないかに見えるイシューにおける山田前議員の投票行動は、オタクの一部に深刻な疑念をもたらした。国会議員である以上は様々なテーマをめぐる審議において賛成か反対か旗幟を鮮明にせざるを得ず、その他の審議を欠席したり棄権したりでもしない限りシングルイシューを貫くのは困難だ。
そして今回の選挙に際して、山田前議員は自民党に入党した。前の参院選で所属していた、独自のカラーがちっとも見えない新党改革のようなマイナー政党であればともかく、右派政党の筆頭格である自民党に所属しておいて左右を超えたシングルイシューも何もなかろう。自民党入党の時点で山田前議員は「超党派のオタクの代表」ではなく「右派のオタクの代表」に変質した。オタクといってもその優先順位には濃淡があり、自民党には絶対に投票したくないと考えている左派オタクが、山田前議員に投票なんてできるはずがない。
これは逆を考えてみれば当たり前の話だろう。いくら表現規制に反対の立場を表明していたからといって、右派オタクたちは福島瑞穂議員に敵対し続けてきたではないか。それが悪いとはもちろん言わない。右派が左派の候補に投票したくないと考えるのは当たり前だ。だが、だったら左派が右派の候補を支持しないのも当然だということだ。
山田太郎前議員がオタク票を掘り起こしてくれたことに対して、私は素直に感謝したい。そして潮目はオタクの方に向き始めた。与野党の政治家で、オタクアピールを(自然にこなすかぎこちなくするかの違いはあれど)してくる議員は明らかに増えた。国民民主党の玉木雄一郎代表がコスプレで話題になっていたが、そういうアピールをする対象として我々は認められたのだ。これは喜ばしいことだ。
だから、そろそろ山田太郎前議員、およびその支持者の方々におかれては、「反表現規制で幅広いオタクを糾合する超党派の政治家」ではなく、「右派オタクを代弁する政治家」という立ち位置を自覚された方がいいんじゃないかと思う。
つまり、「国会におけるオタクの唯一の代弁者」とか「表現規制反対派の唯一の救世主」とかではなく、「国会に何人もいる表現規制反対派のうちの一人」としての立ち位置を自覚してほしい、ということだ。
なんでそう思うかといえば、この点の自覚が薄い一部の支持者が、山田前議員を持ち上げる一方で他の政治家(主に左派の政治家)を腐すような言動を振りまいているからだ。山田前議員以外にも国会に表現規制反対派はいること、オタクの政治的属性は右派から左派まで幅広いこと、こういったことを自覚せずにまるで山田氏が唯一のオタクの代表であるかのように振る舞えば、山田氏に必ずしも賛成できないオタクだけでなく、オタクではないけどオタクの権利に配慮しようとしている政治家やオタク層にアピールしようとしている政治家の離反を招くことにもなりかねない。
オタクの代弁者、あるいは表現規制に反対の政治家は山田太郎氏だけではなく左右両陣営にいること、このことを自覚してもうちょっと支持者の皆様には謙虚になっていただきたいというのが正直なところだ。
「自分は右派の政治家として表現規制に反対する。普段は右派として左派政治家と敵対するが、表現規制が浮上してきたら敵陣営の表現規制反対派と手を組んで表現規制反対のために闘う」とハッキリさせれば、左派寄りの支持者は離れていくかもしれない。だが重要なのは、あらゆる陣営に表現規制反対の種を蒔くことであり、山田太郎前議員のみが反対派の希望であるかのように持ち上げることではない。
「いかに我々オタクの代弁者山田太郎先生を盛り上げていくか」という視点は危うい。もちろん山田氏には頑張ってほしいのだが、彼が病に倒れたり事故に遭ったり致命的なスキャンダルを起こしたりしたときに、代わりの者がいないような状況では困るのだ。それよりも、多少山田前議員の得票が減ったとしても、その分が他の政党の表現規制反対の候補に流れているならそちらの方が好ましい。卵を一つの籠に入れないのは政治の世界でも重要なことだろう。
なのでまあ、左派寄りのオタクとしては、山田太郎さんには右派オタクの代表としての自覚を持っていただき、その立ち位置にふさわしい振る舞いをしていただきたいというのが正直なところです。別に左派の政治家が気にくわんなら好きなだけ批判すればいいとは思うが、だったら超党派でオタクを糾合することは諦め、右派オタクを票田にするのだと決意していただきたい。こちらも左派の反表現規制派の人たちを応援するんで、お互いに頑張りましょう。
日本人の表現だけを規制しようとしたり、違法なデモで国民の権利を阻害したり、
そんなこと言ったらバリバリの表現規制派である葉梨康弘議員みたいなのをのさばらせておく自民党に入党した段階で規制派になっちゃうじゃん。イザンベールと違ってこっちは現職国会議員だよ。
腹立ちまぎれに分断を尚煽ろうとするの図
枝野幸男が右も左もないと言っているのにいつまで右だの左だのにこだわっているのか。ここまでの票田になる山田太郎を右も左もないという理念を掲げている立憲民主党に引き入れられなかった失策を反省するべきだろう
分断は煽ろうとかそれ以前に現にそこにあり、その存在に気づかずに、あるいは軽視して超党派で結集ムーブをされると踏みつけられたり軽視された側としてはいい気分はしないので、分断のどっち側につくのかちゃんと旗幟鮮明にしてよね、って話です。
分断を乗り越えようとしているにしては片っぽを軽視する言動・行動が目立ちはしませんか、どうしてもその片っぽを軽視したいのなら超党派ムーブやめませんか、って話。
何度も言うけど表現規制問題が浮上したら左右を超えて手を携えるべき。でも表現規制以外のイシューでも山田さんを推せるかっていうとそうじゃないわけですよ。山田さんを一致して推せない理由をこちらだけに求められても困る。だったら「お互い一致はできないね」「表現規制問題が浮上したら一緒に戦おうね」と約束して今は袂を分かとうよ、という趣旨です。
枝野さんとか保坂さんといった先達の存在に目を向けずまるで山田さんだけが反表現規制の旗手であるかのように言ったらそりゃ反感を買うわな、という当たり前のことがわからんのかね。
左派に表現規制派がいないとは言わないし、だからあらゆる陣営に反対派は必要だよね、と言っているわけだが、なんかもうこのレベルのイチャモンに真面目に返答するのアホらしいな。何にでも性的消費ーとか噛み付く一部の自称フェミを見てるみたいな感じ。
まあ、山田さんも支持者の皆様も、頑張ってくださいね。応援はしてます。
左翼は原則として表現の自由を守ってきてる。例外としてオタクを規制してる。右翼は逆で、原則として表現の自由を規制して、例外として山田太郎がオタクのご機嫌をとってる。それで表現の自由ヅラされてもなあ。
しゃべるセレクティブエネミーかな? 例外もクソもあるかオタクの自由も守られるべきに決まってんだろ。進歩派の皮を被った保守主義者は我々自由主義者の敵なので右側の自由主義者と協働して打倒していこうな。
自民支持や無投票の奴らは消費税10%になったらギャーギャー文句言うくせに、みたいなコメントを各所で見るんだけど、これを言う人は、自民支持層には文句言ってほしくないの? 税率増がほぼ確定な以上、善後策としてはむしろ増税後に支持層が騒いだ方が自民不支持陣営として嬉しい気がするが。「どうせその時騒いでも政権にダメージはないし、だったら今回ダメな選択をした奴らが文句も言わず雑草のように増税で枯死させられるのが見たい。俺も枯れ死ぬが今回反対したことで悲鳴をあげる権利はあるから叫んで少しでも溜飲を下げつつ死ぬ」って感じ? それとも「その時に粛々と受け入れられたら困る。遅まきながらも自民支持層はキツさに気づいて俺らと一緒に騒いでほしい。だがそれはそれとして今回の選択は腹立つから皮肉の一つ二つ言わせてもらわんと精神が保たない。皮肉を言ったからってそれに萎縮して増税時の不満の声が小さくなることもないだろうし」とかだろうか。
主語がでかくなるのは
問題意識が強く
自分のそれに対する意識の大きさを合致するように、殊更に大きな主張をする
と言うシーンで起こりがちなのではないか
で、「一人で盛り上がってテンション上がってる人」というのは政治問題に傾倒したりするし
今はそれがサヨクって呼ばれているだけ
つまり
「一人で盛り上がってテンション上がってる人」が主語を大きくしがち
かつ
「一人で盛り上がってテンション上がってる人」はサヨクになりがち
ちなみに「一人で盛り上がってテンション上がってる人」っていうのは他の領域でも発生する
ウヨク側にも発現するし、フェミニストや危険厨、表現の自由を訴えるオタクのような部分でも起こる
ただ一部の領域については「そもそも自分らがマイノリティだとわかっている」とか「最大限主語を大きくしてもたかが知れている」ということもあるので目立ちにくい場合もある
よく使われるのは「日本人」とかだけど、昔はこれ「我が国」とか「わが帝国」とか我が◯◯ってイメージが有る
これは単なるイメージだけど
天下布武を唱え、腹心であった飯島摂津守及び家臣団五人衆、すなわち中居弾正、木村内匠、稲垣五郎右衛門、香取金吾、草薙武蔵らの離反も、その強大な力により押し潰し、今や鳥を落とす勢いであった喜多川右府が、突如、京にて薨去されたとの噂が、日の本じゅうを駆け巡った。
ある者は流行病によるものと噂し、またある者は家臣による毒殺とも噂しあったが、果たしてその真相は、右府の生死も含めて杳として判らなかった。
マスメディアが十分に発達した現代とは違い、当時は、重大な事件は全て人々の口伝えに頼らざるをえない。戦国武将達は、不確かな状況の中で自らの去就を決めねばならず、その対応如何によって、ある家は栄え、ある家は滅びるといった悲喜劇が、絶えず繰り返されたのであった。
ところで、右府のもとには、二人の有力家臣がいた。木村内匠と滝沢左近である。
木村内匠については、飯島の乱において仲間の謀議を主君へ密告した功により取り立てられ、右府からの覚えもめでたく、非常に権勢を振るったことは、既に述べた。(https://anond.hatelabo.jp/20160119162624)
もう一人の重臣、滝沢左近は、元は一介の素浪人であったが、右府に仕官すると俄に頭角を現し、今や右府の最側近として大いに活躍していた。
さて、両者ともに、この悲報に接したのは、京から遠く離れた土地であった。
その時、木村内匠は、右府の命を受けて城攻めを行っていた。梅雨空の下、城の周囲に幾重にも堤を築き上げ、増水した川の水を中へ流し込む「水攻め」を行うこと約1ヶ月、もはや天守は湖の中の孤島と化していた。
「ってゆーかさぁ、もうそろそろ落ちるんじゃね?」
そんなある晩のこと、勝ち戦への楽観が広がりつつあった木村陣営に、突如、右府逝去の激震が走った。京からも離れていたため情報が錯綜し、いつしか町奉行である東山越前守により弑逆されたとの誤報にすり替わっていたのだった。
突然の悲報に接し、大声を上げて悲嘆する木村内匠に、その妻、静御前は冷徹な言葉を投げかけた。
「殿さま!今すぐ京へ引き返して、逆賊、越前守を討ち滅ぼし、御館様の無念を晴らすのです!」
「よく言うた。それでこそ我が妻よ!」
木村は電撃を受けたように飛び上がると、すぐさま敵方と講和を取りまとめ、全軍を京へ向けて引き返し始めた。
一方、滝沢左近は、遠く関東にてこの悲報に接した。ただし、右府の側近中の側近であったことが幸いし、在京の東山越前守から直接、正確な情報を書簡で受け取ることとなった。滝沢左近は、俄に活発化した敵勢と対峙しつつも、手堅く京へ軍勢を引き返した。
実際のところ、この時点では右府はまだ逝去してはいなかったが、今で言うところのクモ膜下出血により、ほぼ危篤状態であったらしいので、死へ向かいつつあったというのが真相であろう。だが、意識を失う直前、右府は「余の影武者を立てて、死を三年間、隠すように」との遺言を、側近の東山越前守へ伝えていたため、先のような虚実入り混じった噂話を生む結果となってしまったのだった。こうして、両者が接した情報の確度の違いが、やがて両家の命運を全く違うものにしてゆく。
まずは木村内匠であるが、弔い合戦のつもりで軍勢を摂津と山城の国境、山崎まで進めたところで、東山越前守の軍勢と対峙することとなった。
「やれ、賊軍ども、なにゆえ京へ攻め上った!御館様に楯突くものは、尽く成敗してくれる!」
木村内匠、答えて曰く、
「傍ら痛いわっ!お前こそ、御館様の亡き後、政を私しようとする賊軍であろう!」
「何をたわけたことを!ここに、御館様はおわすぞっ!」
銅鑼の合図とともに東山軍が左右に割れると、その間から見覚えのある輿が進み出てきた。そう、それは右府の豪奢な輿であった。
「やばっ!御館様!」
突然の状況に、木村軍は戦わずして敗走を始めた。更に間が悪いことに、関東より引き上げてきた滝沢軍が退路を断つ形になり、木村軍は徹底的に殲滅されることとなった。
ちなみに、東山越前守の機転によって引き出された輿であったが、その中には、既に意識のない主人が乗っていようとは、木村内匠は知る由もなかった。
こして敗退した木村内匠は、ひとり戦場より落ち延びると、ある禅寺でひっそりと出家して生き延びたという。一時は、かつて裏切った自分の主君であり、既に出家して名を改めていた飯島摂津守の元に、弟子として身を寄せていた時期もあったようであり、何とも皮肉な人生である。
こまかいところにこだわらず最終的にエロいことをヤッチャッテればいい男性向けジャンルのほうが腐女子からみたら不思議だけど
「難解な腐女子」という漫画でナメクジとカエルとヘビの三すくみをつかって
上手く説明してるからよんでみればいいよ。(プロトタイプはツイッターで全部よめたんだけど商業出版されたから掲載とりさげてるかもしれん)
一つ言えることはジャンル違いは腐女子同士で戦争になることがしれてるから
表現の自由の戦士なんて聞き分けの悪いやつは腐女子だと最初からジャンルの爪弾き。
そういう状況におけるABだのBCだのってのは戦記物の陣営ごとにわけた戦力説明とおもって、分かる人だけが愉快に読めばいいだけの話。
この増田で「編集からも嫌がられる」っていうのを見てなんとなく。
男のほうがずっと、人の欲望するものを欲望してるだけ、の傾向強いんじゃないかなって。
「他人も欲しがるんだから俺も欲しい」ってのは競争心に火をつけるのにすごく都合のいい仕組みなのかな、って。
もっと他の生き方、なんか主役になれなかったけど、その競争から下りた後の生き方を提示されても、それを他の男が欲望しない以上、需要がない、ってことかと。
自分自身が、心の底から、ガチでこれがいい、と思いながら娯楽を消費してる男ってどれくらいいるんだろう?
流行に流される人たちを苦々しく眺めてるおっさん達の嗜んでる趣味も、本人が楽しい、というよりも自分をどう見せるか、のほうに重点があるように見える。
昔は(おもに2ちゃんねるで)けっこう激しかった、オタクがお互いの嗜好する作品を貶しあう抗争なんかもそうかな。
並び立つことを極端に嫌って、作品そのものを愛でるのではなく、後から来る奴をどうやって自陣営に取り込むか、普遍的な利点を喧伝しあい争う。白黒ハッキリさせて敵・味方を分断する。
敵か味方か、でしか他者を計れないから、競争的でない形で自分自身の嗜好を示すことが不得手だから
そういう競争とは無縁な形で「こういうのもあるよ」っていうモノの提示に対しては著しく鈍いんじゃないか? って思いました。
なんとなくだが、増田が描きたいと思ってる作品がいくつか世に送り出されるようになったとして。
そうしたら男はそれらの作品群に序列つけて、「自分は良かったと思う」という表明をするのではなくライバルとなる作品を貶し合うようになるんじゃないかな、と予想。
たぶん、何を与えてもそういう消費しか出来ない気がする。
その通り、誰もが自分の敵対陣営からクソ人間を抽出し、あるいは発言を曲解し、それは相手の陣営に特有あるいは顕著だと主張する。
そして「男は暴力的・差別的」「女は陰湿・媚びてる」「朝鮮人・中国人には嘘つきや犯罪傾向のある人間が多い」「オタクには性犯罪傾向のある人間が多い」といった差別を正当化する。
自分たちの社会の側に相手の側と同じ闇があることは一切見えていない。
それはもちろん増田の指摘する通り自分は悪くないと思っているいじめ体質の女たちにも言えることだし。
ひどいいじめを受けていた増田にこんなことは言いたくないが、うっすら視点に男女差別傾向が見える増田本人にも言えることだと思う。自覚せよ。
何がくそみたいにバカバカしいかって、批判対象が「批判しやすい意見」だからだ
Aという意見が出され、Bという反論があり、Cという反応が返り、Dという揶揄が飛ぶ
このときのDは揶揄であり、どストレートな現状への意見ではないのだ
何故って、文脈から切り離して、陣営◆◆の可笑しさここに極まれりとやれるからだ
書いててとても気持ちがいいことだろう
結局レスバに参加してる全員が、もうバトルしてる時点でオカシイのだが
この最後の方に湧いて出る、「応報の果てに極端になった意見」を取り上げて
そこだけ批判するやつは、糞中のクソ
前段で○○はともかくと語られたあとに
「××は△△じゃないのか?」