はてなキーワード: 某氏とは
前にもなぜか同じ垢名でJKのパンチラやエロ絵だらけのpixivがヒットしたりしてたんだけど本人はのらりくらりと否定して現在に至る
この件で興味深いのはまず当該垢の振る舞いが某暇にロックオンされてる某氏とよく似てること
状況証拠をビシバシ出されてるけど最後の決定的なワンピースが埋まらないことを頼りにシラを切り通し続けてる
まあまともにかんがえれば同一人物だよねって世間に思われながらのこれって普通の神経してたらまず続かないと思うんだけど
それは名が売れてる複数のフェミ垢が比較的最近になって当該垢をフォローしてること
私にとっては足尾銅山といえば足尾鉱毒事件と田中正造であった。小中学校の国語と社会科でダブルで(ひょっとしたら道徳を含めてトリプルで)足尾鉱毒事件と田中正造について学んでいたので、足尾銅山の鉱山見学施設でも当然のことながら、そうした足尾銅山の明治近辺の負の歴史は重点的に扱われていると思っていた。ところが、鉱毒事件が無かったことになっていたというのは言い過ぎにしても、施設内部の展示でそこら辺のいきさつは非常にあっさりとした扱いであった。基本的に足尾銅山における銅採掘が江戸時代から明治大正昭和の日本の発展に対して如何に寄与してきたのかというポジティブな面を中心に打ち出していた。
私は恥ずかしながら知らなかったのだが、古河電工や富士通に代表される古河財閥グループの成り立ちが、財閥初代の古河某氏が渋沢栄一と組んで政府から足尾銅山の払い下げを受け、近代化に成功したことがきっかけだということである。想像するだに、いまでも古河グループの聖地ともいえるのが足尾銅山なのではないか。鉱山見学施設のすぐ近くでは、古河財閥の迎賓館が今でも有料で観覧できる。東京で言えば、鳩山会館や岩崎邸のようなセンスのいい明治風の洋館で、そこは今でも古河グループの研修に使われてたりするらしい。内部には古河グループのポスターが各種貼られていて非常に味わい深い。
足尾銅山が負の記憶の象徴であるというのが事実である一方で、ここが日本の近代化や一企業グループの発展において非常に重要な役割を担ったというのもまた事実であり、複雑な思いを抱えながら、自分も少しまた大人になったなあと感じた(実年齢はもうだいぶ中年だが)。
某氏への批判の内容で多かったのは、子供がいるのに〜ってところ
要は女性は自分だけ子育てという罰ゲーム押し付けられるのをものすごく恐れてるんだよね
自分の旦那がトランスで離婚して親権がこっちに来ると考えた時が恐ろしいってことなんだろう
子捨てが簡単にできればこんなに責められることも無かったのにと思う
実感したことから言って、希死念慮は苦痛に対する反応だ。自殺はその結果の一つである。
もちろん全ての人に、苦痛の反応としての希死念慮、希死念慮の結果としての自殺が当てはまるとは思わない。
けれど、今回の某氏の場合は、ラジオ番組の話しぶりから察するに、実際に死ぬしかないなんて状況はほぼあり得ないのに、それを冷静に考えられない状態になっていたのだと思う。
このとき、当人は強力な非合理的な信念を持っている。大袈裟に感じられるかもしれないが、自分に何事もなく翌日がやってくることすら意外に感じるようになる。
そういった状態にある人物が、自分の死を社会に位置付け、そこになんらかの含意を与えようとするゆとりを持っていたとは思えない。
何かに影響を与えるためだとか、贖罪の手段であるとか、とにかくそうやって死に何かを見出すのは勝手だけれど、少なくとも当人がそれを第一の理由として意図することはまずないと思う。
まず苦しみがあって、次に(主観において)死ぬことが自明になり、そして何かを契機に死ぬのである。主張を挟み込むほどの余裕はない。
ジャニーズファンの友人がいる。彼女は子供のころからジャニーズが好きで、それこそ知り合いであるこの数十年、ずっとジャニーズ所属のタレント・グループをおっかけている。
本命の最推しグループはあれど、他にもいくつもファンクラブに入っていて、数グループかけもちしてる。
その姿をずっと見てて、好きなものを好きと言えるのはいいことだよねーと思っていたし、一緒にライブ連れてってもらったこともあるし、話聞いてるからメンバーやグループのこと私もそれなりに知ってるから応援する気持ちはあるんだけど、最近どうしても気になることがある。ジャニーズ性加害問題に関心が低いんだよ。いや、低いと言うより認めていないというか…。
私は昔からジャニー氏の性加害問題や経営陣の噂が気になっていて、いまいちジャニーズを推す気になれなかった。某氏の激太りや某氏の鬱っぽいうつろな瞳、某氏の休養、某氏の脱退、なんか心を病む子が多くない?と思ってたし、そういったことを見てきて、おかしさや違和感みたいなのはずっとあった。
所属タレントを色眼鏡で見てるとかそういう訳じゃなくて、単純に心配だし怖い。自分も痴漢や付き纏いの被害にあったことがあり、それだけでも暫くは人が怖くなるくらいの気持ちだった。性被害というものは心に傷をつける。それが小学生や中学生(勿論もっと大きくても)の子の身の上に身体接触をもって起きたと思ったら、泣きそうにつらい。先日8歳からジャニー氏の加害に晒されたというインタビューを読んだ。つらい話だったし、その手段のおぞましさたるや…という内容だった。私の兄にも子どもがいる。甥が夢見て芸能界に入って、知識も経験も乏しい中性加害されたら、耐えられない。
男性が性被害にあうことは非常に表明しづらいことなんだと思う。被害者の多くはもう大人になって社会的な地位や知名度もある。家族がいる人もいるだろう。だから対世間に向けて全部を公にしろ、とは全く思わない。セカンドレイプにもなり得るし不幸の再生産だ。でも当事者側は全く違う。事務所側が調査をして事実関係を把握して、被害者には謝罪や補償をしたり、事実関係に基づいて責任の取り方を考えることは必要だと思う。
1番許せないのは加害者本人。次いで見て見ぬふりや助長をした関係者だと思う。関係者はまだ生きてるんだから、本人が亡くなったのでもーわかりません!は許されないと思う。
それでいくと、友人はジャニーズへの依存が強すぎて、擁護というか、事務所側の気配がある。
先日会った時もジャニーズはエンタメにおいて重要な存在、ジャニーズが好き、と話していて、その屈託のなさに怖くなって、長い間聞いてた話が急速におぞましく思えてきた。この騒ぎになっていても何もなかったみたいな態度なんだ…って。別にファンにも加害責任が!どうするつもりだ!とまでは言わないけど、不信感がつのる。軽く、「ニュースになって騒ぎになってるよね」と世間話的に出してみたら、ジャニー氏や事務所の功績を引き合いに出してきたので、あ、もうダメかもと思った。
かつて、ジャニー氏が死んだ時に、あんまりに世の中が氏を持ち上げるのでなんかなぁと思って彼女に性被害問題はどうなるんだろうって話したことがあるんだけど、その時も「そうだよねぇ〜」って流されて、しばらくしたら某グループが氏との思い出を歌にした話をされた。その的外れで危機感のない会話の流れに感じたゾワゾワ感が蘇ってきた。
なんで私がもっと直接彼女にこの話をしないかって、ガチトーンでジャニーズ性加害問題を持ちかけても、以前のように流されるか、気を損ねるイメージしか持てないから。あまつさえTwitterで彼女がリツイしている「告発者だって後ろ暗いところがある」的なセカンドレイプみたいな話を真正面からされてしまったらどうしよう。そこまでいったら彼女も人の不幸をエンタメで搾取する「あちら側」で、もう話すのも嫌になってしまう。
ジャニーズファンの友人がいる。彼女は子供のころからジャニーズが好きで、それこそ知り合いであるこの数十年、ずっとジャニーズ所属のタレント・グループをおっかけている。
本命の最推しグループはあれど、他にもいくつもファンクラブに入っていて、数グループかけもちしてる。
その姿をずっと見てて、好きなものを好きと言えるのはいいことだよねーと思っていたし、一緒にライブ連れてってもらったこともあるし、話聞いてるからメンバーやグループのこと私もそれなりに知ってるから応援する気持ちはあるんだけど、最近どうしても気になることがある。ジャニーズ性加害問題に関心が低いんだよ。いや、低いと言うより認めていないというか…。
私は昔からジャニー氏の性加害問題や経営陣の噂が気になっていて、いまいちジャニーズを推す気になれなかった。某氏の激太りや某氏の鬱っぽいうつろな瞳、某氏の休養、某氏の脱退、なんか心を病む子が多くない?と思ってたし、そういったことを見てきて、おかしさや違和感みたいなのはずっとあった。
所属タレントを色眼鏡で見てるとかそういう訳じゃなくて、単純に心配だし怖い。自分も痴漢や付き纏いの被害にあったことがあり、それだけでも暫くは人が怖くなるくらいの気持ちだった。性被害というものは心に傷をつける。それが小学生や中学生(勿論もっと大きくても)の子の身の上に身体接触をもって起きたと思ったら、泣きそうにつらい。先日8歳からジャニー氏の加害に晒されたというインタビューを読んだ。つらい話だったし、その手段のおぞましさたるや…という内容だった。私の兄にも子どもがいる。甥が夢見て芸能界に入って、知識も経験も乏しい中性加害されたら、耐えられない。
男性が性被害にあうことは非常に表明しづらいことなんだと思う。被害者の多くはもう大人になって社会的な地位や知名度もある。家族がいる人もいるだろう。だから対世間に向けて全部を公にしろ、とは全く思わない。セカンドレイプにもなり得るし不幸の再生産だ。でも当事者側は全く違う。事務所側が調査をして事実関係を把握して、被害者には謝罪や補償をしたり、事実関係に基づいて責任の取り方を考えることは必要だと思う。
1番許せないのは加害者本人。次いで見て見ぬふりや助長をした関係者だと思う。関係者はまだ生きてるんだから、本人が亡くなったのでもーわかりません!は許されないと思う。
それでいくと、友人はジャニーズへの依存が強すぎて、擁護というか、事務所側の気配がある。
先日会った時もジャニーズはエンタメにおいて重要な存在、ジャニーズが好き、と話していて、その屈託のなさに怖くなって、長い間聞いてた話が急速におぞましく思えてきた。この騒ぎになっていても何もなかったみたいな態度なんだ…って。別にファンにも加害責任が!どうするつもりだ!とまでは言わないけど、不信感がつのる。軽く、「ニュースになって騒ぎになってるよね」と世間話的に出してみたら、ジャニー氏や事務所の功績を引き合いに出してきたので、あ、もうダメかもと思った。
かつて、ジャニー氏が死んだ時に、あんまりに世の中が氏を持ち上げるのでなんかなぁと思って彼女に性被害問題はどうなるんだろうって話したことがあるんだけど、その時も「そうだよねぇ〜」って流されて、しばらくしたら某グループが氏との思い出を歌にした話をされた。その的外れで危機感のない会話の流れに感じたゾワゾワ感が蘇ってきた。
なんで私がもっと直接彼女にこの話をしないかって、ガチトーンでジャニーズ性加害問題を持ちかけても、以前のように流されるか、気を損ねるイメージしか持てないから。あまつさえTwitterで彼女がリツイしている「告発者だって後ろ暗いところがある」的なセカンドレイプみたいな話を真正面からされてしまったらどうしよう。そこまでいったら彼女も人の不幸をエンタメで搾取する「あちら側」で、もう話すのも嫌になってしまう。
だいぶ周回遅れではあるが、気になったので備忘録に。
すでに別の方が同じ疑問を呈しているので参考にそのスレも
https://twitter.com/Natsu_Rayfield/status/1533010620055842816?t=ysiCpl6Sp1MuPwhnmogxtA&s=19
このスレをみると2016年にシュナムル氏の姪と一緒に七五三をしたとある。
シュナムル氏が某氏のおかげ(?)でかなりツイ消ししているようで、七五三の下りのツイの原本は見つけられなかった。
※それはそれで姪は満年齢でやったことになるが、例えば弟一家は弟の妻、シュナムル氏からみて義妹一族の方針にあわせて
七五三の祝いをしたと考えれば大きな矛盾とはならない。そもそも本来、五歳は男児のみ。
七五三以上に気になったのは、シュナムル氏の娘の年齢の表現である。
https://twitter.com/chounamoul/status/1298114794218590208
https://twitter.com/chounamoul/status/1038299328060612608
https://twitter.com/chounamoul/status/1655798965508648961
https://twitter.com/chounamoul/status/1644289144619941888
2020年8月25日時点で9歳とあるが、誕生日が夏休み中なら遅くとも8月31日までに誕生日を迎えることになる。
また、2023年時点で中学生なので、2020年にシュナムル氏の娘は10歳となる。
普通、こういうときは「もうすぐ10歳になる」と表現するのではないか。
そのまま誕生日前の年齢を言うより、誕生日を迎えた時の年齢で表現するのが自然な気がする。
無論人によると言われたらそれまでではあるが……。
https://note.com/neroreport/n/nc2486046cb39
(引用されている「赤の他人の男が損をするのを願うのが女という性か」については、第三者が勝手に転載したものである、別に怒ってはいないが)
利用者に「好評な」レディースデーは、回数を増やす事になった。
それだけ毎日の様に通う少年達が、食という最低限の福祉にすらありつけなくなった。
更に割合を増やす事を主張する人もいたが、さすがに自分がブチ切れて支援者も巻き込み騒いだ結果、それ以上の悪化は防げた。
しかしそれ以来、ある事ない事、他スタッフや支援者(主に女性)に、陰口を叩かれる様になった。
団体の迷惑にならぬ様に記事を削除したが、正直今では後悔している。
そうなると、よく通っているあの子や彼はどうなるのだろう?
それが心配で仕方が無い。
別に未成年の少年に重点的に支援をしろ、とまでは思っていない。
男女問わず、生活に困っている人間、特に自らではどうしようもない未成年は救われるべきだ。
「性別」という自分ではどうしようも無い所で、区別され差別される。
そんな事はあってはいけなかったのに。
一部の異常な差別者と、彼女ら・彼らに影響されてしまった人達のせいで、結果的に福祉の前提を崩壊させてしまった。
本当に申し訳なく思っている。
しかし責任を取って活動から身を引けば、男子を福祉から排除する抑止力が小さくなる。
それも避けたく、結果的に活動を続けてしまっている。後ろめたい思いをしながら。
貧困のネグレクト家庭に育ち、ロクな学歴も無く不況の社会に放り出された過去の自分は、生活困窮者だった。
住み込みの仕事を給料未払いの上追い出され、20そこそこで健康的に働ける体があるにも関わらず、炊き出しにありつかなければ飢えをしのげなかった、
そこから何とか福祉に繋がらなければ嘘偽り無く死んでいたであろう自分は、間違いなく生活が困難だっただろう。
それでも当時は、皆が辛い時代だった。
だから男女差別がどうこうは何も思わなかった。考える余裕すら無かったと言われればそれまでだが。
しかし今は、女性に対する様々な支援は、寧ろ手厚く過剰なまでに溢れている一方で、男性に対してのそれは女性ほどは少ない。
寧ろあっても、様々な立場から邪険にされ妨害され、支援や福祉を受けられないケースも多々ある。
先の日記で嘆いた様な、男性への福祉を意図的にカットする様な胸糞悪い事実が現場で起きている。
抗議をしても、最早あるのかどうかも分からない、福祉の支援が必要な人達には間違いなく存在しない、
ありもしない「男性特権」があるのだから(支援など)無くても問題無いだろうと、抗議の声すら大声で感情的な反論を喚かれ、かき消されてしまう。
女性よりも上回る権利など欲していない、ただ平等に、同じものが欲しいという、ただそれだけなのに。
レディースデーに「好評」をした女性達の歪んだ笑顔が忘れられない。
「女性が安心して、女性だけで食事を出来て満足しています」と。
自らが得をしなくても、男を排除したい。それが女の得に繋がる、という歪んだ思想。
男の加害性があるのならば、これこそが女の加害性なのだろう。
若く多感な時期に、生活困難に追い込まれた挙げ句、「性別」というどうしようも無い性で差別され区別され、
最低限度の支援からも追い返された人達に対し、救われる側の性を恨むな、羨むなとは、俺には言えないし言う資格も無い。
彼らが社会の一定を占めた時、女性への過剰な支援に対し大目に見る事が出来ると思っているのだろうか?
「男性だから」と救いを求める手を跳ね除けられ、一方で諸手をあげて歓迎されながら救われる「女性」を横目で見てきた人達が。
今、差別をしている者達では無く、関係無い人達が次に差別される側になる。
今、フェミニズムと共に植えてばらまいている怨恨の種は、後の世代で女性を脅かす存在に成長するのかもしれないという暗澹たる将来への絶望がある。
そして、恐らくこの声は、自ら「だけ」が差別される側だと思いこんでいる差別者の側にいる女達と、彼女らに味方をする者達には決して届かないという絶望も。