はてなキーワード: 小児性愛とは
虐待をおこなっていないなんて当たり前の前提で、
そのうえで特定の指向(小児性愛)を持っているというだけで「特別の配慮をしろと命じられること」が差別
私にはその前提が抜けてた。申し訳ない。小児性愛があろうがなかろうが、子どもに対しての配慮をするのは当たり前だよね。そんな当たり前のことに個人の性的嗜好は関係ないわ。
達成うんぬんの話は、元のnoteの記事が言っていたことです。小児性愛の達成は犯罪である、だからそういう嗜好を持つものは他の人より配慮すべきだとの意見です。
でもラブドールの記事の人だって法犯してないのにそんなこと言われる筋合いないわな。
いろいろありがとうございました。
前半では「達成」を目指していない人を前提に話ができるのに、なんでそこでいきなり「達成」が前提になるのかな。
そもそも「達成」とか妙な表現でぼかすなよ。児童への虐待だよ。
虐待をおこなっていないなんて当たり前の前提で、
そのうえで特定の指向(小児性愛)を持っているというだけで「特別の配慮をしろと命じられること」が差別なんだよ。
米国において黒人は白人より粗暴犯として検挙される確率が高いが、それを理由に「お前は黒人だから特別善良そうにふるまえ」とか直球の差別でしょ。
ショタ用ラブドールの話が燃えているので自分を思ったことを適当に吐き出そうと思う。
まだ本格的に燃える前にリツイートされてきたのであのレポ漫画にはしっかりと目を通している。
感想としては、「配慮の行き届きにくい性的嗜好にもちゃんと捌け口があるんだな」というのと、「なんか主語デカくね?」だった。
前者は書いてる通りだ。もともと規制反対派なので、まだ日本は寛容でよかったな、この先も自由が守られるといいな、って感じ。
元ツイはもう見れないので適当な書き方になってしまうが、確か『ロリ/ショタコンは実在の児童に手を出す前にラブドールを!』みたいなことが書いてあったような気がする。
この書き方が妙に気に障った。なんか、「世のロリコンは全員現実の児童に手を出したいと思っている」という風に受け取ってしまったからだ。
私はロリコンではないので彼らに完璧な理解を示すことはできないが、全員が全員そうではないだろ、と思った。非実在あるいは非現実だから安心して手を出してるだけで、現実でどうこうする気はそもそもない人だっているだろ、と。AVのレイプ物好きとガチのレイパーは違うだろ。
そこを区別せずに書いたから、側から見るとショタコン=現実で小児を犯したい欲求を持っている人みたいに見えてしまったんだと思う。
せめて、もっと真面目に書いてくれてたらな。このように犯罪防止に役立っていますみたいな書き方だったらまた見方も違ったのに。まあレポ漫画だから軽いノリで書いてしまうだろうし、ここまで大きな話題になると予測してたわけじゃないからそこは責められないだろうけど。
件のツイートが炎上した後にあげられたnoteも話題になっている。そちらの方も目を通した。
そこでは、未成年を性的に見ているからこそなお一層の未成年に対する人権を尊重するべきだ。みたいなことが書かれており、この意見に対しても、小児性愛に対する人権差別だという意見がわいている。
はっきりいって、小児性愛の達成は罪だと思う。そして、この意見が小児性愛者の人権侵害と言われる理由が分からない。
そもそも、性交というのは両者の合意がなければ致していいものではないだろう。異性だろうが同性だろうがお互いがこの人とならSEXしてもよいと思わなければしてはいけないものだと思う。だから性の知識が不十分な小児に合意がとれるわけがない。
同性間の性交が罪に問われず小児との性交が罪に問われるのは小児性愛差別ではなくて、性交についての知識を有していない者、性交することへの合意が得られない者との性交は認められないだけだ。
性的嗜好うんぬんの前にやりたがらない相手や、やることの意味を分かってない相手にやろうとすんなってだけの話だ。
最後に重ねて言っておくが、やりたいという気持ちの否定ではない。実際に手を出すな。それだけ。
長々と書いてきたけど、私の意見にもいくつか穴はあると思う。性的嗜好なんて個人によって違う曖昧なものに正解はないだろうし。でも規制反対派として、法を犯していない者に対しては寛容になってほしいなと願う。
鋭いなぁ。
あいつらは本物の愛ってやつを知らないんだよ。
お前が教えてやれよ。
小児性愛って言葉は単に性的指向が小児に向いているという以上の意味でしかないのに
愛の部分だけ抜き出して「そんなに愛してるなら~」とか愛について語りだすお前ならきっとできるよ。
頑張れよ、愛の伝道師。
kotobuki_84 「馬鹿はすぐ感情ベースで差別するので、弱い立場は自衛のために賢く振る舞おう」と読んだ。例えば「若い女性は男を扇情しない服装をしろ」「留守中は家に鍵掛けろ」等に近い。肯定し難いが、仕方ないとは思う。
「馬鹿はすぐ「扇情する服装の女」と「小児性愛者」を対比とみなし「「扇情する服装の女」に対して行われる「性的暴行(犯罪)」」と「「小児性愛者」に対して行われる「小児性愛者への反発意見(お気持ち)」を一緒くたにする」と読んだ。
もううんざりだ、俺は差別主義者じゃない、差別と共に戦ってるつもりだった
だがやり方を考えろと、苦々しく思ってきた
お前らの擁護するあいつは、やりすぎだ、叱られる理由があると物申したい
でも俺はそいつらに袋叩きにされるのが怖い、息苦しい、もううんざりだ
だいたい、ラブドールに実在の子役の顔を再現したいという奴を何で擁護しなくちゃいけないんだよ?
ま、俺も小児性愛傾向があってロリ同人出してるから他人の事は言えませんがね
でも、アイコラだって捕まる世の中にあんな放言をしておいて、炎上しない方がおかしいんだよ
未遂行為を必要以上に咎めても仕方ないが、批判される理由は十分ある
でも、叱りもせず「人形で発散してえらいでちゅね~とっても模範的な人間でちゅね~」
とさも慈愛に溢れたリベラル善人ぶって擁護する奴らがいる、そいつらが持て囃される
腐ってんな
分かりますよ?
悪しき規制派だの悪辣なフェミと戦うにはこれくらいしないとだめと言うんでしょう?
表現の自由戦士さんよ、お前らあれほど嫌っている腐ったクソリベラルそっくりになってきたよ
そこに落ち度を何も無かったかのように整地している
言論の自由を行使して「徹底的に批判」しているだけなんでしょうけども
それでいいの?
差別を消し飛ばす成果を急いだ結果が、あんたらの大嫌いなクソリベラルなんだよ
こればかりは、程々で動いてじっくり待つしかないと痛感したさ
もう見たくもない
ま、そんな彼らの暴れっぷりを知らんぷりして今日も俺もロリエロ描くよ?
かなり同意。炎上してしまったラブドール漫画の方の謝罪文からは小児性愛であることの挫折感やそれでも社会と共存していきたい意志や絶対にリアル児童に手を出してはいけないという分別が感じられた。
生まれた時から性的指向が「小児性愛」で、大人の女性にどうしても性的興奮をできないのは人生のコマをすすめるにあたってかなりの挫折感を味わうだろうね。生まれながらの十字架を背負っているというか。
そして自分の性的指向が決して許されないもので、社会からも排除されるべき人間だと自覚をする人生って、かなり精神的にキツいと思う
「食事の前に手を洗おう」
という文を真に受けた人間は、食事をしたいから手を洗って食事をする。
「手遅れになる前に病院に行こう」
という文を真に受けた人間は、手遅れになりたくないから病院に行き、手遅れになることを免れる」
〇〇の前にの〇〇が発言者にとって望ましいことか望ましくないことかで全く意味が異なるのだ。厄介なことに発言者の望みは聞き手が勝手に解釈するしかない。
で、最近問題の「実在の児童に手を出す前に、ラブドールを」って文を読もう。
小児性愛者は実在の児童に手を出そうとしているに違いないという予断を持って読む人は「食事の前に手を洗おう」と同じ解釈をする。即ち、ラブドールを使った後実在の児童への加害に発展すると読む。
逆にいくら小児性愛者といえど犯罪かつ凶悪な行為に手を染めたくないに違いないという予断を持って読む人は「手遅れになる前に病院に行こう」と同じ解釈をする。即ち、ラブドールを使うことで加害が避けられると読む。
前者と後者で実在児童の被害という結果は真逆だ。だから前者は「犯罪者が増える、許せない」と思い、後者は「犯罪予備軍が犯罪しなくてよかったなあ」と思う。
あたかもこれから犯罪を犯しかねない人みたいな扱いの罵倒が結構あったと思うんだが(一般にある人が将来的に犯罪を犯すかどうかは誰にもわからんけど)
「性的加害欲求を表に出すな」ってやつか。それだけなら「殺人ゲーム」と同じってことで話が早いと思う。軽いゾーニングでいい。見たくない人の目に入らないように。でもGTA程度には認められてもいいんじゃないか。
最初に投稿した日本語の文脈がいろいろおかしかったのはご指摘の通り。指摘される前にこっそり訂正したつもりだったのだがお恥ずかしい。日本語の欠陥を指摘する前に当増田の日本語力が低い。
追記2
それは聞き手のブコメへの認識がポジティブかネガティブかで解釈が分かれるよい例と思う。
本文を読んでより良いブコメをすべしととるか、本文を読んでアホなブコメをやめろととるか。
問題になるのは文の強調部分との指摘。
となると「YESロリータNOタッチ」はNOタッチが強調になるからブコメで褒めそやされてたけど、もし仮に「NOタッチYESロリータ」だったらYESロリータが主になって炎上してた可能性もあるんだろうか。
言われれば「YESロリータNOタッチ」のほうが圧倒的に良い。今回も「ラブドールとしよう。実在児童には手を出すな。」だったらそれほど炎上しなかっただろうな。
センシティブな問題ならそのへんは気を使えというのは正論だが日本語難しい。
トラバの「自殺する前に誰かに相談しよう」は後者のよい例だと思う。自殺を考えること自体が倫理的ではないと非難するのはどうなんだろうな。
最近は色々なところで色々なものが燃えているがとうとう自村も燃やされた。
・これまでのあらすじ
発端はとある絵師が男児型ラブドールを購入し、そのレポ漫画をpixivにアップしたことらしい。
私はその漫画を読んでいないし、リアルタイムで事態を追っていたわけではないので、漫画の内容や作者本人の発言等についての言及はしないが、ようはリアルなショタコンの実態が描かれた漫画が非ショタコンの目に触れてヤバイキモい性犯罪者やんけ!!!と批判されてしまったというのが大筋のようだ。
まず本題に入る前に、ペドフィリアという性癖がペドフィリア以外の人にとっては気持ち悪く、危険なもののように感じられるということについて、私は反論するつもりはない。
小児性愛は倫理的に大きな問題を抱えた性的嗜好(指向)であり、性的マイノリティのLGBTQと比べても、受け入れられ難い。
また、児童への性的行為は明確に犯罪であり、その被害者が実在する以上、けして公にできない趣味である。
当事者は自分の性癖に関して慎重に振る舞う責任があると思うし、理解のない人たちがペドフィリアに対して身構えてしまうのも仕方のないことだ。
そのうえで、今回の漫画の内容、公開手段には問題がなかったと主張したい。
ここでは、争点の一つとなったであろう「インターネットの公共性」について考えてみようと思う。
これ、本当か?
・「公共性」とは
「公共性」、最近一部界隈でよく見かけるようになった言葉だ。インターネット激アツエクストリームスポーツであるところのツイフェミvsアンチフェミ闘争では毎秒この言葉が使用され、醜い表現物を公共の場に持ってくる持ってこないの論争が日々行われている。
これまでツイフェミ陣が燃やしてきたものは、主に自治体や献血等のコラボポスターだったりテレビCMだったりした。
フェミ陣営の批判の根拠は多岐に渡るが、その中の一つが「公共の場に相応しくない表現である」というものだ。
ポスター、広告、政府のHP、そのどれもが(一応は)不特定多数に向けて無差別に公開されているものであり、しかるべき場所に行けばいやでも目に入ってくるため、それが苦手な人たちにとってハラスメントになりうるというのがだいたいの主旨である。
この話題に深く突っ込むことはしないが、これらの炎上と今回の炎上が決定的に異なる点があるとするなら「公共性」、この点だと思う。
過去、インターネットとは便所の落書きであった。汚い言葉の廃棄場であり、そこには現実とは異なる独自のルールが存在した。
インターネットにおいては、基本的に「嫌なら見ない」がマナーだった。そもそも歩いていれば目に入ってくるような看板広告などとは違い、インターネット上のコンテンツは基本的に検索しなければ出てこない。
「全世界どこからでもアクセスできるから」「誰でも見られるから」
だから発信するな、やるにしてももっと隠れてやれ、そんな意見をたくさん見た。
でも、本当にこれが規制の根拠になり得るのだろうか。誰でも見ることができる、ということは、誰の前にも無差別に出てくる可能性がある、ということではない。
インターネットの仕組みは見たい人が見れるというものであって、見たくない人に無理やり見せつけるようなものではない。
今回の漫画に関して言えば、これはpixivにアップされたようだ(もちろんR18タグや注意書きありで)。あとTwitterで告知もしたかもしれない。
この時点で、件の漫画が目に入るのは「pixivで作者をフォローしている人」「似たような絵をいいねしていてオススメ欄に表示された人」「Twitterのフォロワー」そして「RTでそれを目にした人」たったそれだけだ。作者には3万人フォロワーがいたらしいが、絵師のフォロワーは大多数が作品のファンであると考えられるので、数の多さは重要ではない。
この中のうち、一つの集団を除いては、誰もあの漫画を問題とは思わないだろう。好きで見ているのだから。
この点から、問題の本質はインターネット上で公開したことではない、ということがわかってくる。好きで見るなら問題はない。
彼らはどうだろう。もちろんショタラブドールレポ漫画を堂々とRTするような人をフォローしている人は、似たような変態だろうと考えるのが自然ではある。
でも万が一、そうでない人がいたら。見たくもない特殊性癖のディープな漫画を見つけてしまい、さぞ不愉快な気持ちになってしまうことだろう。
つまり、問題の核心は「公開をある程度限定しているにもかかわらず、見たくない人の前にその情報が流れた」というところにある。
なぜショタコンでもない人にショタラブドールレポ漫画がシェアされてしまったのか?
これはTwitterの仕様であるリツイート機能が原因だと思う。
自分のフォロワーに向けて特定のツイートやウェブ情報を公開できる機能は、手軽に情報を共有できるという利点はあるが、相手に見たくないものを見せてしまう危険性を常にはらんでいる。
リツイートはたんに便利なだけの緑色のボタンではない。ある意味では、二次的な情報発信手段なのだ。だからリツイートする人は、その情報がフォロワーにどんな影響を及ぼすかを配慮する必要があると私は思う。
RT先で誰かが嫌な思いをした場合、そのツイート主本人よりも、むしろリツイートした人間にこそ責任が問われるべきなのではないだろうか。
そう、まさにこのリツイートという行為こそ、炎上を引き起こす諸悪の根源に他ならない。
想像してほしい。
インターネット教室の隅で、オタクがキモい絵を描いている。それ自体めちゃくちゃキモいし、周囲から白い目で見られてしまうのはもう仕方がないことだが、その中に猛然と突っ込んできて絵を引っ掴んで
「おい!!!!!!オタクがこんなキモい絵描いてる!!!!!!!」
と触れ回る奴がいたら、どうだろう。
オタクは自分たちのキモい絵をパンピに見られたくはないし、みんなもそんなもの見たくない。なのに、わざわざそれをオタク→一般人に拡散するやつ……
なんでそんなことするんですか。
放っといてくれればいいじゃないですか。
不快なものを見たとき、「ウワ!マジでキモい!!」と言いたくなる気持ちはわかる。だが幸にして、インターネットは情報を選択することができる。見たくないものはミュートできるし、気に入らないユーザーはブロックできる。
もしオタクのキモい絵をみて反射的にRTしてしまったら、フォロワー全体にそのキモい絵が拡散されてしまう。キモい絵をみた人たちは嫌な気分になり、その中からさらに絵を拡散する人が出てくる。
だが、最初にキモい絵を見たとき、「これキモいんだけど〜!」と言いたい気持ちをグッと抑えてRTの代わりにブロックボタンを押すことができたら。キモい絵はオタクたちの間でひっそり閲覧されるし、フォロワーはそんな絵のことなど知らずに可愛いねこの画像とかにいいねをする。
それは被害者の方であれ、まだ幼い子ども(といってもインターネットは使える程度の)であれ。嫌だなと思うものは見なくていいし、公開する側もそういう選択ができるように、キャプションやbioで注意書きをしている。
見たくないし、見られたくない。ペドフィリアと一般人の間の距離感はそんなふうに保たれてきたし、これからもそうあるべきだと思う。
結論。燃えるべき問題など最初からどこにもない。ショタコンの漫画はショタコンしか見ない。内容が多少、かなり、めちゃくちゃ過激だったとしても、見ない人には「関係ない」。
それなのに、
性犯罪の被害者や、子持ちの親御さんや、多感な時期の子供を不安にさせる、
そんな人たちこそ、1番の加害者なのではありませんか。
今、現在、性犯罪の被害者や子供たちを直接傷つけているのは、気持ち悪いペドフィリアたちではなく、あなたかもしれないのです。
・おわりに
これを書く前、あるツイートをみた。
「自分はショタコンだったが、子供が生まれて考えが変わった。ペドはいるだけで不安だから、規制してほしい」
なんだよそれ。子供産まれたら気が変わったからもうショタコンは消えてくれって?
ふざけやがってクソが。テメーみたいなのが一番迷惑なんだよ。そんな程度の気持ちでショタコンやってんじゃねー
以上です。
昔は小児性愛が今ほどタブー視も犯罪扱いもされてなかったからカジュアルに楽しんでる奴が多かった。
児童ポルノなんて概念もなくて、実写のロリコンエロ写真集とか普通に本屋で売ってて普通の男が普通に買ってたわけだし
虐待も多かった。
んで、それは「多くの男にとって子供=他人事だったから」だと思う。
結婚しても子供が出来ても家庭なんか顧みないのが当たり前、育児なんかしないのが当たり前だった時代で
子供がいても真っ当な父親の自覚なんかなくて、子供を性の対象にして平気な男が多かったってだけだと。
自分の子を虐待してたのも多かったわけだし、その虐待も隠蔽されてたわけで。
有名な尊属殺人違憲判決が出た事件とかもろそうだろ。ああいう事があっても周りも誰も子供を助けず
子供側が思い余って父親を殺すまで放置されてた時代があったわけ。
別増田も言ってるけど、「性行為=嗜好品」って意識も高かっただろうしな。
小児性愛者は異常者だと思われるよあれでは
「twitterみたいな、誰でも見られる場所に公開するべきじゃなかったよな」
って当事者や周りが言えば、
「ほーん、君らちゃんとしてるやん」ってなるのに
こっちから必死に見つけに行くからtwitterで公にしなくていいんだよ
ってさ
あと核家族化
自分に子供が居たら、小児のエロは無理になる人の方が圧倒的に多いと思うんだよ
一部の真性の小児性愛者を除いて
だってフィクションじゃない現実の小児の性被害は、エロ度0パーの血塗れ虐待拷問になるからな
どこまでも他人事
身近にいないから
知らんし どうでもいい
ウゼーって思ってる
一生人工肛門になろうがどうでもいいじゃん
それを前提にして、仕方ないって切り替えて
守る側ばかりが考えていくんだろうね
何か方法あるとおもう?
表現規制以外でさ
そういう話じゃん、これ
に、違いってあるのか?
どちらも抗い難い気持ちに変わりはないのでは?
合意なく手を出してはいけないのは異性愛も同性愛も小児性愛も同じ。
「子供だから合意関係ない」というけど、同性愛が犯罪の国があり、子供でも結婚できる国がある時点で、社会が「許さないと決めた」規範が存在するだけで、世界共通の自然の決め事ではない。
罪を犯していないなら、異性愛者、同性愛者、小児性愛者、全て等しいと思うんだけど。