はてなキーワード: 実存主義とは
ざっくり言えば、ストーリーがある物語は通時性の性格を持っていて、元増田のいうキャラクターと世界観は、共時性の性格が強いのでしょう。
これって、神話など、伝承的な物語とかでもはっきりしたストーリーのないものがあったりするので、そうおかしなことではなくて、むしろこれまでのあり方が通時性に偏重していたと考えてもよいのかもね。
ネットを通じて、不特定多数の人と、共時的な場の共有ができるようになったけれど、それまでは、直接にあったときにしか、共時的な体験をすることは難しかったんじゃないかな。
もうちょっとにわか知識をひけらかすならば、通時性の共時性に対する優位を主張するのは、サルトルの実存主義の負の側面であって、両者に本質的な違いはないと構造主義的に(ないしはレヴィストロース的に)思います。
元増田です。
お恥ずかしながら、実存主義というワードは高校の倫理の授業以来です。
大学生になって活字の重厚な哲学書や文学をほとんど読まず…自分の無学を恥じるばかりです。
「元増田は無駄な努力はせずにコスパ良く今の社会構造でできるだけマシとされるところに行きたい人なんじゃないかなと思う。
でもその生き方だと元増田が言うように薄っぺらい人生に嫌気が差してくるんだよね。」
まさに、言い得て妙です。自分はこだわりなんてものがなくて、長く続けられたこともわずかです。流されつつも合理的に、言い換えれば情には薄く、冷淡に判断を下して生きてきたと思います。
もっと単純なこと言えば、「好きなものは?」「好きな本は?」「好きな音楽は?」「好きな芸能人は?」そういうアイスブレイクも苦手です。こだわりなんてないんですし、その場に合わせて、適度な流行を加味して受け答えする作業になりつつあります。
ただ、一見矛盾しているとは思いますが、好きなこと、そして、その喜び、逆に、嫌なことに対する苦しみや不快感はその瞬間瞬間感じます。
ですので、それをどう”こだわり”レベルまでシフトさせるか、自分と対話していく必要があるのでしょう。気づきを得られてとても嬉しいです。
「物事は自分がやりたいかやりたくないかだし、選んだことに対しては責任を持って遂行するしか自分の気持ちが救われることは無い」
そういえば、今付き合っている恋人にもこれと同じことを寝ている時に言われたことがあります。正直、かなり驚きました。
どうやら自分は現実でもこの空間でも悩みの本質やその解決となる決定打を見抜かれてしまっていたのかもしれません。これまたお恥ずかしい限りです。
自分の悩みなんて宇宙レベルで考えればかなりちっぽけですので、何かこだわりをもって生きる大切さを実際に身体で知り、自分の主体性をもっと大事にして生きていこうと思います。すぐになんとかなるとは思いませんが。。
大学生のとき、昔から何もできない自分が嫌でせめて哲学書を読んで思想を理解しようと思ってサルトルを読んだりしてた。
その後大学の授業である女の子と知り合ったんだけど、その子は幼少期から父親のDV、両親の離婚、付いていった母親の統失発症、虐待、そこからの逃亡とかで苦労してきた人だった。
普通なら心が折れるような波乱の人生を乗り越えてきたからか物凄い努力家でめちゃくちゃ優秀な子だった。
ある時、その子の考え方を聞く機会があった。
その考え方っていうのは、物事は自分がやりたいかやりたくないかだし、選んだことに対しては責任を持って遂行するしか自分の気持ちが救われることは無いということだった。
自分はそれを聞いてびっくりした。
その子は本は全然読まないらしいから、多分哲学書を読んで得た思想とかじゃなかったんだと思う。
自らの経験を通してずっと考え抜いてきて、それに基いて行動していた。
自分はサルトルの本を読んで実存主義、というか人間がよく生きるということがどういうことか分かってた気になってたけど、結局それは行動に移してなければ意味がないんだなと理解させられた。
そのことで自分が主体性を持つということを学んで、自分はその当時他に比べると少しは興味のあった情報系の学問を究めることにした。
そして責任を持って色々な選択をした結果、今は情報系の研究職に就いている。
自分もそうだったけど、元増田は無駄な努力はせずにコスパ良く今の社会構造でできるだけマシとされるところに行きたい人なんじゃないかなと思う。
でもその生き方だと元増田が言うように薄っぺらい人生に嫌気が差してくるんだよね。
もし少しでも元増田がそこから脱出したいと思うなら、少しこだわりを持ってみてもいいんじゃないかなと思う。
長くなったけど、元増田には今より少しだけ頑張ってみて欲しいと思う。
何となく思ったことを書き散らかす。
あそこで提示されてる問題の1つは、人生はそれ自体、生きるに値するかという問題だ。
つまり、中卒で女にモテず、金もなく、コミュ力もない。家族とうまくいかず、友達もいない。この状況でも、自殺しないでいられるのか、生きる意味はあるのか、という問題だ。
この問題については、宗教、哲学、文学などでさんざん論じられていて、それなりに答えは出ている。
キリスト教であれば例えば以下のように答えるだろう。
「人生の価値(幸福)は神との関係の回復にあり、経済的安定や社会的地位にはない。
信仰と人格の完成を得るためには、上のような困窮はむしろ望ましい環境と言える」と。
「神がいない以上、すべてのものは本来的に無価値であって、人生の意味も努力して獲得していくしかない。
どちらの議論も良いところ、悪いところがあるが、どちらにしてもそれなりの慰めや考えるきっかけにはなる。
ただどちらにしても、これらの議論を理解するにはそれなりの知識と労力を要する。
中卒で友達のいない彼がこれらの議論にアクセスするのは困難を極めたのではないか。
「エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
エレーン その答を誰もが知ってるから誰も問えない
エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
エレーン その答を誰もが知ってるから誰も問えない」
http://anond.hatelabo.jp/20160927025207
続き
現在:P280
前作まででも、ここまで丁寧だったかな
変な客が来たとおもったら自宅に引き返されて
(おそらく)自室に見送って待ってたら帰ってこないとか
20分分のタクシー料金をもらうために待ってたんだろうなあとか思ったら可哀想
私は時折思う
小説のメタ読みとして「男性が論理や道義を主張する、女性が感情を主張する。はじめは男性が正しいとされるが、次に女性が正しいとされ、感じる者、感じたものをそのまま信じ受け取ることこそが大事である。それが賢いのである。それに男性側も気づく」という展開が
あれか?なんだー?実存主義の席巻かー?
いや、私もそれで良いとは思うが
まあ「理解」は可能だろうな。『こころ』も解説されれば分かるし(たぶん)。
でも学生の悩みに沿った(「共感」しうる)文章をもっと載せてもいいと思うんだよね。
けどそうなると結局「何で俺は生まれてきたの?」ってところになって、実存主義やらキリスト教の本に突入せざるを得ないので、やっぱ『こころ』読むしかないんだろうな。
価値判断を含んだ文章を理解するには、ある程度、筆者の価値判断の材料を理解しなくてはなりません
しない場合、自分の共感しなさをどのように伝えるか、と言った問題があります
すぐれて教育的な問題ですが、時間のなさ、カリキュラム、教師の能力、生徒の能力といった諸々の事情から、厳しいのが現実ですね
なるほど。こういうことなんだろうな。
俺は男子校出身なんだけど、9割9分の学生が童貞で恋愛の悩みなんか抱えたこともないのに、『こころ』を読まされたのはよく分からんかったな。
先生も「お前ら童貞には分からんだろうが・・・。」って言ってて、「明治の精神の終わり」とかのテーマを中心に解説していたが、そっちの方が関心ないというオチ。
http://anond.hatelabo.jp/20160903194513
選定基準は
・他文庫で手に入りにくい
・ジャンル小説寄りだったり、わりとライトに愉しめる感じのやつ
順不同
脚本家・ミステリ作家として有名なデュレンマットの粋が収められた傑作選。
デュレンマット独特のケレン味の効いたツイストは、高度な本格ミステリに馴れた現代の読者にも新鮮な驚きをもたらす。
ちなみに「巫女の死」は『オイディプス王』をベースにしているが、本文庫で『オイディプス王』は出されていない。すなおに岩波で読んでおこう。
・ウォー『ご遺体』
第二次大戦前後の暮れゆくイギリス貴族やイギリス男性の生態を皮肉たっぷりに描くユーモア作家イーヴリン・ウォー、その傑作の一。
セレブが利用する葬儀社兼霊園で働くことになった青年をとりまく変なキャラたちが見どころ。
夏目漱石がイギリス留学時代に部屋に引きこもって読みふけったという文豪スティーブンソン。
日本で知名度の高い『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』もこの文庫に入っているが、実は最高傑作と言われているのはこの『新アラビア夜話』。
ボヘミアの王子フロリゼルを主人公に、ミステリーのようなファンタジーのような摩訶不思議な短編が並ぶ。
・ブッツアーティ『神を見た犬』、ピランデッロ『月を見つけたチャウラ』、ロダーリ『猫とともに去りぬ』
ここらでイタリアを代表する三人の作家の幻想短編集をつまんで、ラクしてライバルに差をつけよう。
ロダーリはあたたかみのある笑いを、ピランデッロはどこかとぼけたシニカルな味わいを、ブッツアーティは得体のしれない不安をあなたに提供してくれるはずだ。
ならば,フレンチ・ノワールの法王(本当にそう呼ばれている)パトリック・マンシェットだ。
ノンストップという形容すらなまぬるいほどの疾走感で綴られる犯罪劇は、頭で理解するではなく、心で感じるんだ。
エリート寄宿舎学校! 生徒内権力争い! 美少年! 同性愛! いじめ! 実存主義!
全部もってけ、あなたがたが欲しているものはすべてここにある。
・ロブ=グリエ『消しゴム』
とはいえ、基本的にどうでもいい情景描写が七割くらいを占めているのでそこを飛ばせば一気に読めるぞ!!
リオオリンピックは終わったが、文学の聖火はいつでもブラジルで燃え盛っておるぞ!!!!!
神とかいないし、キリスト教とかクソだな、と思ってたんですが、最近、生きる意味を考えるようになりまして、ニーチェをはじめとする実存主義の本を読むことが多くなりました。
ただね~神否定しちゃうと面倒くさいんですよね。結局突き詰めると、人生とか意味ねぇわ~ってことになっちゃうし、がんばって神なしで生きる意味を論証してる本もあるんですけど、ぐちゃぐちゃ言ってる割に実りがないというか、結局それ聖書の言ってることを違うルートで言ってるだけじゃね?みたいなのが多いんです。
ニーチェに至ってはほとんど過激思想ですよ。本人も発狂して死んでるし。幸せそうには見えない。
だったらキリスト教信じたほうが早いんじゃないかと、分かりやすいし。具体的にあーしろこーしろと言ってくれるから楽なんですよね。
なんか、世の中と自分に対する違和感あったんだけど。ようやく分かった。
世の中じゃなくて、俺が本当におかしかったらしい。
俺は、16歳まで自分の名前を漢字で書けない(一応でも高学歴)
俺は、22歳までずーっとおねしょしていた。
知能指数も高い。
多分なんか障害あるんだろうけど、それらしい病気は無い。本当に発達が遅いだけかもしれない。
で、俺の性格っていうか考え方って、周りとずれてるな、発達障害なのかなって思ってたんだけど。
ようやく分かった。
普通の人は、普通の感覚を持って周りの人間と同じように育って、周りの人間のように性格を形成していくのが普通だけど。
俺は周りの環境になじめず、自分の理性と本だけで世界を作ってきた、高校くらいからは後はネットか。
中二とかじゃなく、本当にマジで普通の人間的な感覚が無いから、漫画とか小説で納得のいく「考えたらそういう風な考え方が論理的だよね」っていうのの積み重ねでしか自分の性格を形成できなかったっぽい。
周りの人間の人間的な感覚に対して、「それ根拠は?矛盾あるけどなぜその矛盾のまま生きられるの?」みたいな風に疑問に感じてきたけど。
プログラムされてる生物としての人間性を身につけられてないんだ、俺。
<追記>
スカトロを最初から理解して、「世の中と俺は最初から感覚が違うんだ!」みたいなことを理解したスカトロ好きが居たら、なるほどってなるだろ。
「生きるのは辛い。でも死ぬのは怖い」というのを、何とか誤魔化す為につくった、防波堤のようなものさ
もちろん、思想だけでは死の波を防ぐだけの由はないが、無いよりはあった方がマシである
それに、いくつあっても困るものでもないしね
「死にたけりゃ死ねばいい」なんてのは、ガキの理屈にすぎないですよ
ただ、悲しきかな、人間だけが死ぬ事に拘るようになってしまった
動物は余計な事を考えられないので、死ぬこともないだけの話である
ホントの事なぞ、言わないでもよろしい
敬虔な宗教者になり、心底まで人の編んだ理屈に浸れるなら、強いのである
それも生きるための理屈にすぎませんよ
(そんな事を言っても詮無い事ではありますが)
宗教と言うのはそれを良く分かっているので、神とやらを作ったわけです
実存主義なんて、いけない
彼らはよりよく生きるために、生き続けるというたったそれだけのために、人間を見ろという
人間の素の姿、そんなところを探してもなぁんにも出てきやしないんです、砂漠です
藪を突いて蛇を出すなんてものじゃない
それは自殺に近いのです
そこにある不動のもの、あふれる光の強さに目が焼け、死ぬか、狂人になるに過ぎません
しかしそれは、焦げた肌がかさぶたになり、生きているという熱に強くなっただけの事です
生存と言うどうしようもなく、生々しいものを露呈し、それでも我に恥じなしとふんぞり返っているだけです
それは道化に過ぎませんよ
悲惨なのが、自分自身は真実に近づいていると思いつつも、目が焼けているので却って常識的な目線に欠けるているので自分の姿が見えていないところです
人間存在の真実を見たと言いながら、いつまで経っても実存的で在れないところが悲劇的である
一歩間違えるとそうなってしまう
そんなものはないと思うがね
ここまで書いて、私はもうやめることにした
そもそも、書いても書いても終わらないのだ、生きることについては
書くことで救われるなら、終われるなら、こんな楽な事はないし、宗教以上の発明であるだろう
しかし、書く事でしか救われないというのも、これもまた人の編んだ理屈にすぎないよ
不変なものは、人には作れないよ
もう、10時を回る頃です
ここらでそろそろ、私も私の救済を編み始めなければならない
ひとまずは、目の前にある仕事と言う名の救済を、ね
「一つ一つ、目の前の事を片づけなければならない」と誰かが言う
残る者にこそ意味はあるのです
最後に立ってたものが強いのであって、強いから勝つのではないのですよ
私も、立ち続けなければならない
自分たちの権利が社会的に抑圧されていると思ったら活動するのは真っ当なことで、フェミニストはその意味で十全に活動しているだろう。
そこに相乗りさせてもらえずに嘆くばかりの連中が弱者男性だと言うのなら、それこそ遺伝的に淘汰されてしかるべきだ。
フェミニズムが弱者男性に敵視されるのは、結局フェミニズムが強者男性との取引に見えるからだと思う。
フェミニズムで女性は強者男性から権利を与えられ、強者男性は「女性に優しい強者男性」と見なされてモテることができる。
フェミニズムがそれなりに実効性を持ててきたのは、割とこの構造に負っている気がする。
(弱者女性については、男性フェミニストはどんな女性にも優しくあるべきという規範が強力なので、多少恩恵に預かる)
(弱者男性に優しくする規範は男女ともに脆い。男性フェミニストはいかがわしい男から女性を守るという規範もあったりして、架橋できない)
フェミニズムのこういった構造から抜け落ちているとはいえ、弱者男性の問題は女性抑圧よりも本質的な、ジェンダーだけの問題ではないと思う。
キモくて金のない人格破綻した中年女性という人もやはり存在するだろうし、ほぼ弱者男性と同様の問題を抱えている。
この問題はフェミニズムというより実存主義の問題で、実存主義を超える男性哲学がまだ生まれていないことによる問題だろう。
誰にも愛されず評価されず、大した楽しみも目的もなく、ただ時間だけが過ぎてやがて遺伝的淘汰を迎える。
それでも良いという世俗的な言い訳は叩き潰されてきたし(「家族」「村」「国家」「会社」「共産主義」)、新しい言い訳はまだ見つかっていない。