2015-06-04

蜘蛛の糸(救いの手)は独善疑心暗鬼によって断ち切られる

私は、とかく死にたい

しかし、私は生きている

「私は、今、生きている」というその事、その一事を以って、私は生き続けなければならない

 生きることだけが大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。

本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。

おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。

生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。

いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。

 死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間まこと義務に忠実でなければならぬ。

私は、これを、人間義務とみるのである。生きているだけが人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である

そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義真実が、生れる。

生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。

 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。

いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。

是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。

それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。

決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。

たゞ、負けないのだ。

 勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。

誰に、何者に、勝つつもりなんだ。

 時間というものを、無限と見ては、いけないのである

そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。

時間というものは、自分が生れてから死ぬまでの間です。

 大ゲサすぎたのだ。限度。

学問とは、限度の発見にあるのだよ。

大ゲサなのは子供夢想で、学問じゃないのです。

――坂口安吾著 「不良少年とキリスト」より 

  • そもそも、思想なんてものは、オタメゴカシにすぎないよ 「生きるのは辛い。でも死ぬのは怖い」というのを、何とか誤魔化す為につくった、防波堤のようなものさ もちろん、思想だ...

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