私は、とかく死にたい
しかし、私は生きている
「私は、今、生きている」というその事、その一事を以って、私は生き続けなければならない
生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。
本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。
おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。
生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。
いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。
私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。
そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。
生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。
然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。
戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。
是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。
それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。
決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。
たゞ、負けないのだ。
勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。
誰に、何者に、勝つつもりなんだ。
そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。
大ゲサすぎたのだ。限度。
――坂口安吾著 「不良少年とキリスト」より
そもそも、思想なんてものは、オタメゴカシにすぎないよ 「生きるのは辛い。でも死ぬのは怖い」というのを、何とか誤魔化す為につくった、防波堤のようなものさ もちろん、思想だ...