社会人になって数年経って実家で父親と飲んでいて、その前段で何を話していたのか忘れたけれど父親が唐突に泣きだした。
自分の人生を憂いてのことだった。自分が能動的に人生を楽しんだことがない、というようなことを嘆いて泣いた。正直親父がそのようなことを考えていたとは知らず、突然の父親の涙に狼狽した。
別に実家は貧乏暮らしだったというわけではなく、私を含んだ子供らもみな大学を出て就職している。父親は安定した職業に就いており、涙を見たのはそれを退職する前だったと思うが、自分の人生のあまりの普通さを嘆いて涙が出たのだろう。何かにのめりこむタイプではなかったと思う。
パチンコも自分が物心つく頃には止めていて、株で少し損をすることなどもあったが、家計を圧迫するということはなかった。大した倹約家で、いくら貯金があるのか知らないが、出不精もあって今後生活に困ることはないと思う。
そんな父親が「俺の人生って何だったんだ」、と酒の席で泣いた。家も子供も妻もいるのに。
父親のやりたいことになんて思いをはせたことはなかったが、何か夢があったのだろうか。
自分も今人生が終わります、とか言われたら、親父と同じことを考えるのだろうか。
タスクをこなしていく人生。自分にはぼんやりとやりたいことがあって、それと現状を比較して、今の自分がずっと宙に浮いている。やりたいことをやりたいということは非常に大きな覚悟がいる。自分の人生もかなり他力本願で走ってきたところはある。
今の仕事が面白いかといわれればそんなことはない。田舎者なので、といえば偏見になるが、田舎者にありがちな卑屈さを発揮して何とかお目こぼしといくばくかの、かなり多い給料を毎月もらって過ごしている。けれどちっとも楽しくない。自分はこうやって、年を取っていくのか、と思うと、少し悲しくなる。何か無茶をやったほうがいいんだろうな、と思う。
そこから実存主義が始まる