はてなキーワード: 天皇とは
皆そこは知りたいところだろう。
何者が黒幕であれ被害者は、その犯罪を身に受けどのような者達が行っているか知っている。
それは大掛かりにお金をかけ、大勢の人を動員し一人の人間を虐待する、理不尽で卑怯な単なるマイノリティ攻撃である。
いつ頃からこのような風潮が広まったのか、昔からあった犯罪と主張する人もいる。
だがここまで徹底した犯罪は、ここ20年位前からと思うが自然発生的に時代の空気に乗り発生した犯罪のようにも思える。
独裁国家ならいざ知らず、自由主義民主主義国家で日本のような大昔から独自の民主主義を持っていた国で、
武士道を重んじて来た世界でも稀有な民族性を持つ国とは思えないほどの犯罪である。
マイノリティを「頭のオカシイ人」扱いして徹底的に吊るしあげるやり方はマスコミに於いて顕著にみられる。
そして黒幕が何者か、それ例え国家権力、天皇、ユダ金、宇宙人でも許せるものではない!
しかし日本は、我々のように人数は少ないがこういう活動も許されネットに真実を発信出来る事はありがたいことだ。
我々が屈せず戦い続ける限り、いずれこの時代は過ぎ去るはずだ。
俺はコレでいいと思う。
だって今までだってそうしてきたし、その方が良かったって分かってるもの。
日本だってその昔、天皇が死にかけてるから国民皆で沈んだ気分で暮らしましょうねなんてバカみたいなこと試してみたけど、結果的には天皇を崇め奉ることの馬鹿馬鹿しさが世の中に広まっていくだけで終わった。
震災が起きたとき、近くにいる軍隊や消防隊員は死ぬ気で働いて貰う必要があるけど、そうでない人達が仕事の手を止めたら結果的には支援をするための余力が世界中から消えていくだけだと知った。
それの延長だよ。
今、現地で頑張ってる人達は頑張ってもらう。
それとは別にこっちは普通の暮らしを続けながら、その人達を支援するための余力を淡々と生み出し続けていく。
一時の感情から変な緊縮を行えば反動によって最終的には散財や暴走に向かってしまうのは色んな歴史が証明している。
いつもどおりを続けるのが一番いい。
俺はそう思うよ。
「ちゃんと考えた上で」ね。
満州事変まで遡らなくても、まさに自民党が繰り返しやってきた憲法改正や軍備増強の向かう先はこの路線だが?
もちろんこれは共産党に投票して日本の軍備を骨抜きにしたらウクライナ側になった時に死ぬことも意味してる。
真剣に考えろ。
「戦争怖かったね~~80年前にあったらしいよ~~~」でのんきに話し合っているのをいい加減やめろ。
ボケたジジイから「いや~~マジ怖かったっすわ……戦争が終わったあともね~~闇市でお菓子盗んだらボッコッボッコですよ。今でも傷残ってますよ。本当戦争って最悪。あとね、不発弾見つけて泥団子みたいな感覚でピカピカに磨いてたら爆発しちゃってそれで友達も腕なくなっちゃたんすよ。戦争って本当最悪だと思いません?いや~~でも天皇はマジで格好良かったわ~~お兄ちゃんが兵隊になったときヤッター!と思ったもん。マッカーサーも格好良かったね~~~救世主だー!って感じよ」みたいな話聞かされても「(は?単にこのジジイとダチがクズでバカのゲロカスだったから辛い目にあっただけでは?僕たちはバカじゃないしクズじゃないし騙されないから平気で~~~す)」としか思われんよ。
プロゲーマーや渡部や小山田や中西アルノのニュースみて思ったんだけど、ネット黎明期のときに比べて、私人の制裁の破壊力って滅茶苦茶増してると思うんだがどうだろう?
具体的にいうと、ヤフコメをみて思ったんですよ。
現代社会って私人の発信力が大きくなりすぎて、私人による私刑みたいなことが可能ってこと?
渡部じゃイメージわかないから、例えばお前らが痴漢の冤罪で逮捕されたとするじゃん?
それに私人がブチ切れたら、↓みたいな対応もできちゃうってこと?
私人C「許せない。家に凸して実況するわ」
私人E「こいつの生い立ちから親の職業とかまとめたまとめサイト欲しい」
私人F「それいいな。じゃあYouTubeで動画も作ってTwitterで拡散するわ」
↑こういうことされたら、だいたいの人が半年持たないんじゃないですかね?
私人がこういうこと出来ちゃうとしたら、安全なのは私人が反撃を無視できない人、実質天皇以外は私人に屈するしかないと思うんです。
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。
この増田は下記ロシアサッカー選手への提言増田を、太平洋戦争開戦当時のアメリカ社会の日本人に対する感情を考慮しつつ、元増田に沿って日系人排斥の歴史的事実に基づき改変しました
https://anond.hatelabo.jp/20220302171738
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アメリカ議会が日系人を正式に市民社会から排除する法案を決定し、大統領も日系人をアメリカ社会から排除し収容所に入れる大統領令を発した。
このことは正しいのだろうか?それを問いたい。
イギリスでは、従前よりヒトラーと親交があったイギリスファシスト党指導者のオズワルド・モーズリーが、ドイツが始めた侵略戦争に対してどう考えるのか?を表明するように期日を設けて要求され、モーズリーはこれに対して恭順しイギリス軍と王室への忠誠と協力を呼びかけたが、
「敵国政府指導者と関係を持っている組織のメンバーを誰であろうとも裁判なしで無期限に投獄できるものとする」という防衛規則18Bにより裁判無しで刑務所に無期限収監となった。
このケースなどは、同指導者がヒトラー総統と同じ考えを持っていると考えられても仕方ないと言えるし、英国にとってのイメージ悪化を損害と考えるのであれば収監するのは正しい判断と言える。
であれば、日系人、日系人団体に対して日本が始めた侵略戦争に対しての批判と抵抗を求めてはどうだろう?
日本の侵略に強い反対を示させ、星条旗に敬意を払わせ、アメリカ軍に志願して日本の同盟国であるドイツと戦う意思を示した者のみアメリカ市民と認めて収容所から出したらどうだ?
とは言え、心情的には飲み込めない問題もある。既に報じられているように、パールハーバーの米軍人数百名が日本軍からの卑劣な騙し討ちによって命を失っている。
まだ生きている米国人の若者は徴兵令によって故国を守る防衛戦争に従事する為に、家にいることも家族と語らう事も出来ない。
このような状況で、侵略をしている最中の当事者である日系人がアメリカ市民として自由を謳歌出来る事に、心情的には許せない怒りを覚えるのは普通の人間だろう。
だが一方で、この日系人は直接戦闘を行っている兵士でもなければ、意思決定にかかわった政治家でもないということは言える。
侵略に賛成しているのであれば権利を奪われて当然だが、反対している日系人までが自由を奪われてしまっていいのか?とは考える余地があるだろう。
例えばだが、今後労働で得られる賃金やこれまで稼いできた財産などの全てを、合衆国政府に寄付させるのはどうだろうか?
日系人団体を含めて、彼らが働くのは本国のジャップへの仕送りや自分の利益の為ではなく、米国のためであればどうだろう?
仮に必死に働いても財産を得ず、稼ぎ全てを合衆国に譲るという労働のみの市民権にしてはどうだろう?
全ての日系人を罰していいのか?
日系人の中には侵略を正当化し賛成する者から、反対を表明し本国の親類が非国民認定された者までいる。
侵略に関与した者も、賛成する者も許されなくていいし、それは罪だ。日本人は、その存在すら許さなくていい。
だが反対するものから、アメリカ市民として米軍に志願する権利までを奪う事は、はたして適切なのか?とは考えてしまう。
とは言え、パールハーバーで殺された米軍人が今後合衆国に奉仕することすらできない時に、日系人が米軍に志願し合衆国へ貢献する栄誉を得る、それは酷い冒涜であるようにも思えるのは事実だ。
合衆国が尊ぶ民主主義的には、天皇制に反対して日本の民主化を訴えてきた日系人だけが志願出来るべきなんだろう。
天皇制に賛成し天皇を敬っている日系人がアメリカ軍人であることはパールハーバー犠牲者への酷い冒涜だと思うし、個人的にも人間として許せない思いも強い。
だから収容所にいる日系人にブーイングと石を投げつけたい気分ではあるのだが、それでも彼らは米軍に志願してもいいのではないかとも思うのだ。
皆さんはどう考えているだろうか?
細野ほか、ほんとにわかってないやつ多いけど、日本の憲法9条はドイツのナチス戦犯追跡と同じで、「われわれはあの戦争を反省してます、二度と同じような侵略しません」という国際的な認知獲得のためにある装置。
天皇処刑されなかったし、結構な高級官僚までしれっと復帰してる日本が、ケジメ見せるには軍事力放棄の構えなど見せなしゃーない。大日本帝国による侵略の社会トラウマ抱えるアジア諸国に再進出するには、特に絶対に必要。
どさくさ紛れで自衛隊というなの軍備あるし、集団的自衛権まで持ってるんだから、これで十分。今回のドイツみたいに、「これは自由主義同盟の自衛のたたかいだから、地域の大国として武力行使してちょーよ!」という諸外国の要請受けてから出ていくくらいにしとかないと、アジア諸国に警戒されるだけだし、うっかり“一人前の国”になって、アメリカから太平洋北部の保安官に任命されても困るじゃん。