はてなキーワード: 天皇とは
細野ほか、ほんとにわかってないやつ多いけど、日本の憲法9条はドイツのナチス戦犯追跡と同じで、「われわれはあの戦争を反省してます、二度と同じような侵略しません」という国際的な認知獲得のためにある装置。
天皇処刑されなかったし、結構な高級官僚までしれっと復帰してる日本が、ケジメ見せるには軍事力放棄の構えなど見せなしゃーない。大日本帝国による侵略の社会トラウマ抱えるアジア諸国に再進出するには、特に絶対に必要。
どさくさ紛れで自衛隊というなの軍備あるし、集団的自衛権まで持ってるんだから、これで十分。今回のドイツみたいに、「これは自由主義同盟の自衛のたたかいだから、地域の大国として武力行使してちょーよ!」という諸外国の要請受けてから出ていくくらいにしとかないと、アジア諸国に警戒されるだけだし、うっかり“一人前の国”になって、アメリカから太平洋北部の保安官に任命されても困るじゃん。
細野ほか、ほんとにわかってないやつ多いけど、日本の憲法9条はドイツのナチス戦犯追跡と同じで、「われわれはあの戦争を反省してます、二度と同じような侵略しません」という国際的な認知獲得のためにある装置。
天皇処刑されなかったし、結構な高級官僚までしれっと復帰してる日本が、ケジメ見せるには軍事力放棄の構えなど見せなしゃーない。大日本帝国による侵略の社会トラウマ抱えるアジア諸国に再進出するには、特に絶対に必要。
どさくさ紛れで自衛隊というなの軍備あるし、集団的自衛権まで持ってるんだから、これで十分。今回のドイツみたいに、「これは自由主義同盟の自衛のたたかいだから、地域の大国として武力行使してちょーよ!」という諸外国の要請受けてから出ていくくらいにしとかないと、アジア諸国に警戒されるだけだし、うっかり“一人前の国”になって、アメリカから太平洋北部の保安官に任命されても困るじゃん。
と始めたものだから、ここはまぁ納得(というか詳しく私は存じ上げないがそうらしい)なのだが、
いや私が詳しくないだけで、最近の学説や学校では実在が確定したことになってる?
(追記)
Googleにはこうある。
大和を平定した日本国の創始者・初代天皇。 アマテラスをはじめとする天津神の末裔で、山・海といった大自然の神々の系譜も取り込み、さらに国津神の末裔と婚姻を果たし、あらゆる神々を合一化。 そのため国家安寧や安泰を意味し、建国記念の日においては、その即位を祝う紀元節が祝われてきた。
ウィキペディアの「皇室」の中にはこれもある。これには反論もある。
大正時代には、津田左右吉は記紀の成立過程に関して本格的な文献批判を行い、神話学、民俗学の成果を援用しつつ、「神武天皇は弥生時代の何らかの事実を反映したものではなく、主として皇室による日本の統治に対して『正統性』を付与する意図をもって編纂された日本神話の一部として理解すべきである」とした。
・『教育勅語にも良いところはあった』『国体をどう守るのか(国民体育大会ではなく天皇中心体制のこと)』
・(拉致被害者のことは)行方不明者としてもいいから、例えば北京でも、パリでも、バンコクでも、そこに住んでいたということにすれば良いんじゃないか。
もともと気さくな性格で支持者をはじめファンに対してはサインも握手もツーショットも拒まない人であったが、あろうことか指定暴力団の稲川会に属する暴力団組員とツーショットを撮ってしまい
森内閣の政権末期は既に小泉純一郎の国民的人気がピークになっており、
一方で森内閣で裏の総理と言われた野中広務は国民から嫌われて森喜朗は現職総理にもかかわらず過去の人扱いになっていた。
関東軍参謀であった石原はこのイデオロギーに基づいて奉天郊外で柳条湖事件を起こし、
これを中国軍のしわざとして軍事行動を開始したことが満州事変となった。
最終戦争では航空機や大量破壊兵器によって殲滅戦略が実施され極めて短期間のうちに戦争は終結することになる。このような最終戦争を戦う国としてはブロック化したいくつかの勢力を列挙することができる。つまり世界はヨーロッパ、ソビエト連邦、東亜、南北アメリカの連合国家へと発展し、つまり日本の天皇を盟主とする東亜と、ヒトラーを中心としたヨーロッパ対アメリカを中心とした南北アメリカと、中立のようだが南北アメリカ寄りのソ連の対立となる。しかしヨーロッパは大国が密集しているため、うまくまとまることができない。ソビエト連邦は全体主義でいかにも強そうに見えるが、ヨシフ・スターリンの死後は内部崩壊する。そうなると、東亜連盟と、アメリカ合衆国の決戦となる。その決勝戦(最終戦争)に勝った国を中心に世界はまとまることになる。これは東洋の王道と西洋の覇道のどちらが世界統一において原理となるのかを決定する戦争となる。
決戦兵器が飛躍的に発達し、特に飛行機は無着陸にて容易に世界を一周し得ること。
の3つを挙げている。
研究者のだれかが「後白河が殺されなかったのはただ単に上皇だったからだ」って書いてたのをみた。上皇じゃなきゃやらかしの数々で命を落とすはずなんだけど、ただ天皇にならなきゃそもそも権力闘争の俎上にあがってきていない気がする。
殺してしまったら上から下まで総スカンやで。天皇自体に権威があった (古来からの儀式とかの継承者) からというのはそうだけど、洋の東西を問わず権力掌握のために主君殺すってなかなかない気が...「主君すら簡単に殺す奴が他の勢力ならもっと簡単に潰しに来る」みたいに思わるので相当な根回しが必要やと思う。
臣下に殺されたっていうので思いつくのは三国魏の高貴郷公やけど、これは高貴郷公自らが兵を率いて司馬昭を始末しに行って逆襲されて殺されたから 、後白河が直接平家にぶつかれば殺されるかも?高貴郷公の件は名ばかり皇帝に落ちぶれた東晋の皇帝がこのことを知ったときにそら(皇帝殺して皇帝になったら)そう(権威なんてなくなって名ばかりになる)よ...orz ってなってたので、主君殺すってなかなかできないんちゃうか。
あと、後白河と平家が決定的にこじれたのって鹿ケ谷の陰謀のさらに後の重盛の死後処理で後白河がやらかしたからで、その先は後白河がいようがいまいが戦乱になってたんちゃうか?源平合戦に火をつけたのは後白河じゃなくて八条院周辺だし。後白河にしても平家にしても自分ところの利益だけを場当たり的に追及するところがあって、それがgdgdの源泉だと思う。
なんで天皇がここまで尊くなったかは不明なんだけどやる夫スレでよければ やる夫が大海皇子になるそうです というのを読むといいかも。長いけど。この作者の前作が やる夫が鎌倉幕府の成立を見るそうです でちょうどこの時代やな。こっちも長いけど。
以仁王のことか?そりゃ天皇でもなければ自分で反乱起こして戦場に出ちゃったからね。後白河も後鳥羽も戦場に兵を率いて出てはいないのに注意。どちらも合戦は部下に戦わせて自分のところまで敵が来たら素直に従っている (法住寺合戦、承久の乱等)。ここで抵抗したらなにかのはずみで殺されていても不思議ではない、が天皇とはそういうものではない。また当然ながら尊さにも位があって 天皇・上皇 >> 皇太子 >> 親王 >> ただの王 で、天皇家に連なっていても親王宣下されなきゃたいしてえらくはないで。
このころの上皇とか法皇とかは事実上の最高権力者やで。平安中期は摂関家が自分の甥である天皇の後見をすることで権力を握ったが、平安後期では天皇の直系尊属である上皇、法皇が天皇家の家父長権でもって天皇の後見をすることで権力を握った。最高の権門である天皇家の家長として荘園も集積しているので財産も持っている。まあ後白河は中継ぎって見られてたから前任の白河とか鳥羽とかみたいな盤石の権力ってないけど。ついでに父の鳥羽から財産を受け継いでないし。
頼朝は蔵人を務めていた上西門院(統子内親王・後白河の姉にして准母)と母親の実家である熱田大神宮家が助命に動いて助命されたんやで。これらの貴人達の反対を押し切って殺すのは政治コストが高すぎる。そもそも平治の乱時点での清盛は財力武力はあっても正四位大宰大弐にすぎないわけで政権の中枢にいたわけでもないし、反乱鎮圧の立役者ではあっても処刑にどこまで関与できたというと疑問な気がする。平家政権ができあがるのはこのあと後白河法皇と二条天皇の間を上手に泳ぎ回った(平時の乱もその上手に泳ぎ回ったの一部だが)上で1165ごろに二条天皇と政界の大物複数名が相次いで死んだ結果なので、このときの清盛に平家政権全盛期の公卿殿上人数多という未来を言っても信じなかったんではないか?
そもそも天皇家は神道の権威だろうに、後白河法皇は何で出家してるんだろう。
昔は仏教と神道密着してたのか?神の子孫の天皇家がバンバン出家していた頃って、どんな宗教観なんだろう。
仏が神より高い位置にいたとか?
日本古来の伝統がたった150年ほどで忘れさられるとは嘆かわしい。明治政府のなんと罪深いことよ。仏教は日本に受け入れられる際に神道を取り込んでこのころには不可分になってるで。そのあたりの理屈をつけたのが本地垂迹説やな。出家すると神道の儀式を主催するのは不適切という概念はあったらしいので、神道の儀式は現役の天皇にまかせて退位したら出家して仏教の儀式に専念する、というのはありかもしれない。神道も仏教もどちらも国を護るには重要やしな。
彼は簒奪をしなかった。
皇帝を操って影の実力者となったわけだし。
実質的には簒奪だろうけど、あくまで自分が皇帝になったわけじゃない。
同様のことはフランク王国のカール・マルテルと子供のピピン3世でも同じ構図があるし、
共和政ローマを乗っ取って帝政にしたアウグストゥスも似たようなものだろう。
実質的には皇帝や議会を上回る力を得たのに、簒奪はせずに第一人者みたいな地位に収まる方が都合が良かったのだろう。
そしてそれを長期間続けて事実上認めさせた上で、次の世代で名実ともに簒奪する。
そちらのほうが反発が起きなかったのではないかと思う。
安易に簒奪した結果、反発を起こされ反乱が起きると面倒だしね。
平家の場合、彼らの支配が長く続かなかったのが最大の誤算だったように思う。
じゃあなんで長期間続いた江戸幕府は天皇から簒奪しなかったのか?っていうのも面白いところなんだろうけど。