はてなキーワード: 伝統とは
周知のように、第一次世界大戦はセルビアの青年がオーストリア皇太子を射殺したのが発端だった。
これがかつてのテロリズムだった。
少数民族や反政府分子が、窮鼠猫を噛むの喩え通りに、支配層の要人を斃すことで、敵の民衆に自らの存在を恐怖と共に訴えること。
例は枚挙にいとまがないが、例えばジョン・F・ケネディを撃ったオズワルドは、護送中に射殺されたことで暗殺の目的は誰にもわからなくなってしまった。
その意味では、不幸にも自らの口を封じられたことで、テロリストとしてのオズワルドの目論見は歴史上最も成功した事例と言えるかもしれない。
だがケネディの暗殺は、おそらく、世界中の国家が要人警護の強化へと舵を切らせるきっかけになったのだろう。
その帰結は早くも1970年代、IRAとPLOそれぞれが独立に採用したソフトターゲット戦術となって現れる。
襲撃困難な政府要人より、警備の薄い無辜の市民を狙っても宣伝効果は同じ。しかも無防備な相手なら襲う方の訓練もそれほどいらない。
要人警備の強化が、テロリストに「コスパ」のいい方法を見つけさせてしまったとも言える。
そこから先はソフトターゲットをいかに大量に、派手に殺すかで諸勢力がシノギを削っているような状況だ。
派手にやれば、テレビもYouTubeもその映像を繰り返し流すからだ。
そしていつの間にか、大量殺人の報道がされるたびに我々は「テロだ」と反応するようになってしまった。
実行犯が何を訴えようとしているのかわからない。だけどこれは間違いなくテロだ。なぜなら人がいっぱい殺されているから。
なぜ狙われるのかって? そんなことは狙う奴らに聞いとくれ。
ウガリ(スワヒリ語:Ugali)は、穀物の粉を湯で練り上げたアフリカ伝統の食品である。
ウガリは、コーンミールやキャッサバの粉を湯で練って作る。水分を含ませる度合いによって団子状から粥状のものまで
様々なバリエーションがある。ザンビアやマラウイではンシマ(nshima)、ウガンダではポショ(posho)など、地域によって硬さや弾力、
名称が異なる。
味は「味のないおからのよう」と形容されるが、食べなれてくると穀物自体の味があるのがわかるようになるという。
アルジェリアではタアム(ta`aam طعام)、つまり食べ物と呼ばれるほど常食されている。
アルジェリアを含む北アフリカ諸国では、クスクスとウガリは厳密に区別されるのではなく、現地では同じようなものと扱われており、
ニンジャスレイヤーこそが現代日本のリアル忍者だということを主張したい。
ニンジャスレイヤーは一見奇天烈な道化師を装っているがその実徹底してネットユーザーの逆鱗に触れぬよう賢く立ち回っている。
あたかも儀礼的チャドーのイエモトがムラハチトラップをかいくぐる様のようだ。
ちなみに私は一部とwikiを読んだだけのにわかヘッズなので新章では以下の駄論が否定される展開があるかもしれないことをここに断っておく。
私は原作者が本当にアメリカ人かどうか怪しんでいるが、というのも普通欧米人は日本の物と朝鮮の物を区別できないからだ。
愛国者の方々からすれば憤懣やるかたないであろうが外国人からはアジア諸国の区別などつかないし日本人が信じているほど特別扱いしてもいない。
アメリカ人も日本について全然知らない。スシと日本車の国でしかない。重要なパートナーという思い込みは日本人の片思いなのだ。
カラテやその他の武術にはあらゆる流派が含まれているがテコンドーだけは省かれている。
テコンドーはアメリカではかなりメジャーな武術で軍隊の教本でも言及されているほどだ。
日本のネット事情をわかっていて意図的に省いたとみるべきだろう。
それも有名すぎるほど有名なマジックモンキーとか鉄拳などでおなじみのポンパンチ(崩拳)のような『安牌』に限っている。
日本人がギリギリ許す線をイアイドのタツジンのごとく完全に見切っているのだ。
第二にパチンコの扱い。
パチンコ店が襲撃されるシーンがあるがこれも日本のネットユーザーの怨嗟の対象を知った上でのことだろう。
企業批判という大義名分を装うことで差別性がないことを弁明しつつネットユーザーの留飲を下げる展開に持っていくのだ。
ヨゴレ役も我らがニンジャスレイヤーではなくキリステ可能な戯画的な共産主義者であるイッキウチコワシに押し付けているという点もワザマエ。
はっきり言えばニンジャスレイヤーは日本ネットユーザーに媚びているのだが、しかし差別性はなるべく出さないように注意が払われている。
ただ媚びたいだけなら数多あるヘイトコンテンツの後を追えばよいが、それは客層を狭める上に炎上の危険が付きまとうゆえに避けられているのだろう。
ニンジャスレイヤーで悪役を務めるのは大企業だがこれはサイバーパンクの伝統というだけでなく『安全に批判できる』対象であるという点も大きいのだろう。
一方かませ犬役にはヤクザ、ジョック、無軌道ヤンク、カルトなどのネットユーザーの敵を的確に選んでいる。
ここでも彼らがカチグミまたは横暴であることを強調して差別性を薄れさせる細工を怠らない。
マケグミたちは地の分で同情しつつ弄ぶことで観客の嗜虐心を満たしつつ涙させる感動ポルノの王道を行っている。
日本批判的な文言は少なくないのだがいずれも『効きすぎない』程度の物、日本人自身が自虐的に言及できるものに限っている。
あるヘッズが「ニンジャスレイヤーを楽しめる俺たちは寛容。韓国版があったら大炎上していたことだろう」と言っていた。
彼は完全にジツ中にはめられている。
あたかも道化師が王が耐えられる程度に嘲ることで王の寛容さを衆目に喧伝するかのようだ。
ニンジャスレイヤーは破天荒な展開と素っ頓狂な忍殺語を吐きつつも『誰も敵に回さないように』綱渡りの曲芸師のごとく的確に立ち回っている。
ネオサイタマは炎上させてもニンジャスレイヤーは決して炎上しない。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54234
興味深い記事
以下抜粋
どんなものでも「日本化」したあとは、器が小さくなり「井のなかの蛙」的な雰囲気をまとう。
「井のなかの蛙」になるとは、自分たちが永遠に他よりも優れていると陶酔的に思い込むことだ。日本は本当の改革をやりたがらないのに、世界が自分たちから遠ざかっていることを受け入れられない。中国が刻一刻と進歩を模索しているのとは大違いだ。
中国人のなかには、中国がまだまだ非常に遅れているのに対して、日本は各方面で世界のトップクラスの水準にあって国民は幸福に暮らしているのだから、日本人が「井のなかの蛙」になるのも当然だろうと考える向きもある。ただ、私はすべてがあながちそうとは言えないと思う。
日本人が「井のなかの蛙」に甘んじる理由は、安逸に流れている以上に深刻な怯懦があるゆえだ。中国人は通常、「井戸の外」の景色を見ることを好み、外に出ていこうと考えて、世界に対して純粋な好奇心を持っているのだが、日本人はこうした純粋さや勇敢さや「ものごとをもっと知りたい」という冒険心をまったく失っていて、自分たちの世界の狭さを感じるときがあっても「まあ仕方ないや」と自分を慰めるだけで終わる。
この意見、実のところ日本人の日本観中国観とも大差ないのではないか?
もちろん日本には謙虚、伝統尊重、節度、温厚、成熟といった正のワードを、中国には傲慢、伝統軽視、貪欲、攻撃的、未熟といった負のワードをつけた上で語られるだろうけど
なにが言いたいかというと日本人はずいぶん前から好奇心、向上心を失ってしまった
あるいは事実はどうあれ好奇心を失ったと日本人自身が思い込んでいる
司馬遼太郎はたしか項羽と劉邦の中で「ある時期から中国人は好奇心を失ってしまった」と評したが20~30年程のうちにそれが逆転してしまった
2010年、学部卒、採用も緩んできていたので、就職そのものが難しいという感覚は無かった。
国家一種も受けてはいたが、とうの先に民間の内定が出ているので、官庁訪問はしなかった(防衛省は楽しそうだな、とは思った。)。
就活は、証券一社、銀行一社、特殊法人ひとつに内定が出て、なんとなく銀行選んじまった。
ゴミな点:
大量採用、年功序列、採用時点で出世コースがほぼ決まっている、大量採用ゆえに減点方式で昇格が決まる。
人事制度は硬直化。減点方式の昇格制度ゆえに、新しいことが評価されない(ふつうの上司は拒否反応を示す。)。
給料はたいしたことない。(ご存知、新卒で20万前後。やめた時点で年収は700万円くらい。)
良し悪しあれど、日本で根強く尊重される社会人の流儀は学ぶことができる。 学んだあと、アレンジするのも、唾棄するのも自由だ。
あと、堅い文章の書き方も覚えることができる。
1年で支店業務が不向きなことがわかり、なぜかラッキーに本部のリスク管理関係部門に回り、良い上司と巡り合った。
そこで激しい修行を積み、ある金融商品のリスク評価は得意になる。文章もうまくなる。
加えて、英語は普通に中学卒業から学んできたものを使って業務をしていたら、海外支店に長期出張に飛ばされた。
机に脚のっけていい。
早く帰っていい。 仕事やってりゃいい。 仕事やってりゃ、むしろみんな優しい。 会議室の予約とか、全部アシスタントがやってくれる。
こんな経歴で転職マーケットに飛び出てみると、けっこう引き合いがある。
外資系はクビになるのだろうか?でも、若いうちにクビになっても死なないじゃん、と思って受けてみた。受かった。銀行は3年でやめた。
また銀行かよ、という感じですが、業務は非伝統的な銀行業務。楽しい。
たしかに、毎年5%程度の人間が「明確にクビだな」って感じで消えるし、そのほかに10%くらいの人が色々な理由で去っていくが、まじめにやってれば残れる。
20代だけど、去年は1500万円貰った。今まで、年200万ペースでのびてきたけれど、さすがにことしはのびないかな・・・。
何が違うって、自分でやる仕事を考えて、提案して、OKもらったらやれば評価されること。 (自分で仕事を思いつけない奴、言われた仕事だけしかできない奴は、いやしくも大卒以上で存在しないと思ってるが。)
これで毎日がんばって、クビになったとしても本望。
転職してよかった。
1990年代から続く韓国の日本に対する横暴、2002年ワールドカップや2006年WBCの韓国のひどさを経験している私・元増田のような人間からすれば。
今回の日本政府の対応はすごくうれしかったし、胸がスカッとしてよかった。
具体的には、テレビやスマートフォンの有機ELディスプレー部分に使われるフッ化ポリイミドや、半導体の製造過程で不可欠なレジストとエッチングガス(高純度フッ化水素)の計3品目の輸出規制のこと。
これで日本以上に輸出依存している韓国産業界はどうなるのか、怖いもの見たさでもウキウキしてくる。
今現在の文在寅大統領は、ご存じのように親北・親中でアメリカと日本をわかりやすく敵視している。
絵に描いたような極左大統領なので、大統領が変われば日韓関係も正常に戻るので、経済制裁まではやり過ぎだという意見もあるだろう。
文政権の以前の歴代の右派政権も、政権末期になってくると反日になるのが伝統芸であることを。
天皇に謝罪しろ、だなんて頭のおかしいことを言っていたのもいたよね。
なのでこの際、日韓関係は徹底的に対立し合って、行きつくところまで行くのがいいのかもしれないのだ。
韓国がどんな政権になろうが、日本は絶対に妥協しないという「歴史的事実」を作るいいチャンスだからね。
文政権は後残り2年間をしっかり務め上げて、韓国経済や日韓関係を修復不能なレベルまでぶっ壊してほしい。
あれ、本当にある伝統なんじゃないの?
「シンデレラストーリー」という言葉を使う場合は、厳密にはただ成り上がるんじゃなくて、王子さまに見出されて他人の力で突如社会的価値を引き上げさせられる、という意味があるからな。
スカウトされたアイドルや玉の輿にのった人はシンデレラだけど、努力して勝利したオリンピック選手や女社長はシンデレラじゃない。
で、男の場合は、ただただ他人に引き上げてもらうなんて伝統的にただの恥だからな。
強いて言えば、豊富秀吉みたいなパターンかなあ。でもそれは出世物語とかビルディングスロマンとかいうし、条件にあわないよな。
先日漫才を見に行った。
具体的な内容は伏せるが、そこで「痴漢」や「レイプ」を漫才のネタとして扱っている芸人さんがいた。
一応言っておくと、その扱われ方はポリコレ勢が好みそうなある種の真面目さを含んだものなどではなく、伝統的な笑いのネタとしてだ。
私は嫌悪感を覚えて、多分その場では真顔だったと思う。
そういうネタってブラックフェイス並にタブーじゃないのかな、と思っていた。
でも一番驚いたのは、周りのお客さん男女大勢がそのネタで大いに笑っていたこと。
痴漢被害経験のある人が周りからどういう圧を受ければ痴漢ネタで笑えるようになるんだろうとか、性犯罪の多い現状を逆に笑いに昇華しているのか、とか色々考えてしまった。
一番強く思ったのは、性犯罪を笑いのネタにすることを許容する人たちが男女問わずこの社会に大勢存在するんだなってことだった。