はてなキーワード: プレゼンとは
滝川クリステル。お手軽アンケート増田。戦国時代の人と「プレゼン」を結び付けるんじゃない。説得を「プレゼン」と呼ぶのも間違い。それだと権力で支配するのもプレゼンになってしまう。
プレゼンする相手が敵(利益相反する人)で、更にその敵が複数いてそれぞれも利益相反している中でプレゼンによって自分の要求を飲ませることができた人かな
昭和天皇を生き残らせることができた人は?天皇が政治に関与できなくなったからダメ?
プレゼンって相手が決まってたら割と楽なので、昔みたいに関係者が少ない、征夷大将軍、関白など上司一人と数人の部下がイイネといえばすべて収まるような場で働いてた人のプレゼン能力が高かったかどうはわからんな
単純に偉い人のオキニだっただけかもしれないし
豊臣の四奉行(石田三成、増田長盛、長束正家、前田玄以)は当然として、
本多正純とか浅野長政とかの奉行職、たとえば宮部継潤、富田一白、佐々行政、寺西正勝、毛利吉成、堀田一継、石田正澄、片桐貞隆、石川光元、山中長俊、木下延重あたりはプレゼンがうまくなければ奉行にはなれない。
今や高校のカリキュラムとして学生のうちに実践的に学べるまでになったロジカルシンキング。
ロジカルシンキングがどういうものであるかは今更説明しないが、近年急速に共産党や立民などの左派政党が凋落した原因の1つが、このロジカルシンキングの普及だと思っている。
何故なら、左翼的思考とロジカルシンキングは非常に相性が悪いのだ。
怒りが起点となり、そこから理由付けを行う左翼的思考は、ロジカルシンキングの観点から見たら穴だらけになりやすい。
左翼的思考の人に、例えば論文やプレゼン用のパワポを書かせてみたら冒頭でAとBとCについて論ずると書いてあるのに、中身は本人が最も主張したいAの論説に重視していてBとCがない、という文章が多発する。
それと論理の飛躍も起こりやすいし、BとCの記述があっても順不同で書かれていたりあっちこっち行ったり来たりするので「で、何なの?」という状況に陥りやすい。良く言われる「MECEではない」状態だ。
そして、そのような傾向にあることを何度指摘しても直らない。お気持ち文章ばかりになる。起点が怒りだから仕方ないのだが。
ただ、万年野党で良いのなら敢えて「反ロジカル・お気持ち路線」を取るのもアリだとは思う。最近の共産党はこの方面に舵を切っている。ロジカルシンキング重視に対応出来ない層は一定居るので、そういう人達の拠り所として一定の勢力を確保する戦略は取り得るのでは。ストレートに言えば「バカを確保」なのだが。
『セクシー田中さん』芦原妃名子さんの一件から「原作改変は悪」「原作者を尊重しろ」という言がそこかしこで聞かれるが嘘もいいところである。
今や日本国民の基礎教養であるジブリは原作改変しまくりで原作者の苦言もあるのに受け入れられている。
上記は国内でも評価の芳しくないゲド戦記だが宮崎駿作品でも同じ事だ。
【インタビュー前編】『魔女の宅急便』作者明かす本音、ジブリ映画観て驚き 原作と異なる展開に「あれ?と思いました」 | ORICON NEWS
https://www.oricon.co.jp/special/66472/
「あれ?」と思いました。私だったらこうしないなと思うところもあって。(中略)でも、あれは宮崎さんの作品だからと、すぐ切り替えました。
(ちなみにインタビュー後編も公開されている
https://www.oricon.co.jp/special/66504/
https://ja.wikipedia.org/wiki/魔女の宅急便_(1989年の映画)
角野は「タイトルと名前」そして「世界を変えないで下さい」と伝えていたものの、「(映画は)お話の筋がちょっと違うのでびっくりしました。私はもう少しかわいいラブストーリーになるかと思ってたんです」と述べ、「映画を見てから原作を読む方がすごく多くて、それはそれで良かったと思います」と振り返っている。-『週刊朝日』2019年7月19日号
いずれも近年のコメントでこれなので公開当時の心中はお察しである。
『耳をすませば』も大幅に改変されているが…
[B! 映画] Season11/3本目 耳をすませば / 邦画プレゼン女子高生 邦キチ! 映子さん - 服部昇大 | COMIC OGYAAA!! (コミックオギャー)|おもしろい、がうまれるところ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/comic-ogyaaa.com/episode/14079602755325900906
ジブリのすごいところはアレンジするとそちらの方が自然だと思わされるところ。こういうふうに設定したらもっと面白くなる、というアイデア力がすごいのだろう。
ぎりぎり37.5℃を超えない微熱ときつめの咳が4日ぐらい続いていて、それでも仕事に行こうとする私に、同棲中のパートナーが心底うんざりした顔で「休めよ」って言ってきて、正直かなり不愉快だった。
自分の体調的にも公衆衛生的にも休んだほうがいいってことなんて分かってるよ(だから毎日体温を計って平熱に戻ったのを確認してから出社してるよ)! いい大人なんだから体調管理ぐらいちゃんとしとけよって正論も分かってるよ! 転職して半年、今の会社に声をかけてくれた上司と一緒に、古く閉鎖的な会社にちょっとでも前向きな動きがあればとじわじわと進めてきたプロジェクトの、大事なプレゼンの日なんだよ。ようやく自分の色が出せる、ずっと楽しく準備してきた仕事なんだよ!
「休めない仕事なんてない」って思ってるけど、休めない仕事と休みたくない仕事は別だよね。仕事なんてクソだと思ってるし、毎日休みたいとも思ってるけど、自分のキャリアのためにもやりたい仕事にとやかく言わないでほしい。
結論から言えば、任天堂の偉い人たちにオンラインゲームの素養がない、もしくは、伝統的価値観への固執。
任天堂に限らず多くの日本のゲームメーカーは家庭用ゲーム機のソフトで成功してきた。
今でこそ大手も焦ってオンラインゲームを作り始めているが、13年くらい前まではオンラインゲームを作りたい人が就職する会社は外資を除けばソシャゲメーカーくらいしかなかった。
プレイヤー目線でみても、13年前の当時、PCでは既にオンラインゲームが成熟しつつあった一方で、コンシューマゲームは相当出遅れていた。
当時、ゲーム制作サークルの作知り合いの何人かゲームメーカーに就職していったが、彼らは皆コンシューマゲームに憧れ、それらを再生産したい願望を持っていた。
そうしたある種のエコーチェンバー化しやすい環境が、CC2松山さんのプチ炎上発言
https://note.com/wwise/n/ndf5b3d0b161d
を可能にさせるわけだ。
未だに「ゲーム=コンシューマゲーム」という業界なんだなと再認識させてくれる。
当然、そんな人達が集まっているわけだから、オンラインゲーム的なものを作ろうって機運にもなりにくい。
なので、第一の理由としては、作る人達のゲームに対する趣味嗜好が伝統的な家庭用ゲーム機的なものに偏りがあるだろうという説。
パルワールドというゲームが極めて奇抜なアイデアの組み合わせによってようやく成立するなら、まあ簡単には生み出せなかったよね、と言えるのだが、ポケモンの魅力が何かを理解していればパルワールドに近いものを生み出せる時間はいくらでもあった。
ポケモンの最大の魅力はそのペット的性質を持ったキャラクターにあり、この魅力を最大限に引き出すには、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」というゲーム体験に必然的に帰着する。
このことはみんな分かっていて、だからNINTENDO64の時代ですら、『ポケモンスナップ』『ピカチュウげんきでちゅう』など、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」体験を模索する試みがあった。
でも、2010年代に入っても何も動きがなかった。
3D技術やオンラインゲームの技術はすでに十分成熟しており、PCゲームでは家庭用ゲーム機に先駆けてオンライン対戦ゲームやよりリッチなゲーム体験ができるようになっていた。
ポケモンGOが出てきて、ようやく次の動きが来たかと思えば、これは任天堂が作ったものではなくIPだけ貸しているのだそうだ。
やり方や発想が、没落してゆくスクエニの姿と被っており、嫌な予感を感じさせた。
「今、バトロワが流行ってます。だから弊社の人気IPドラクエと組み合わせれば売れます」
「今、MOBAが流行ってます。だから弊社の人気IPポケモンと組み合わせれば売れます」
IPの切り売りが始まってしまったか、というか、それしかやることがないんだ、という残念感。
ポケモン本シリーズの方も、最新作でも未だに最大4人の協力プレイしかできないらしい。
なぜたった4人? 発想が通信ケーブルの時代から進んでおらず、基本的にゲームがオフラインに閉じている。
なぜ普通に、素直に、MMORPG的なオンラインゲームとして作らないのか。
なぜ未だにコマンドバトル形式を踏襲するのかも謎。それって全然ポケモンの本質じゃない。
ゲームボーイ時代はスペックの制約上あれしかできなかったが、3Dでグリグリアクションができる時代に何をやっているんだろう感。
こんな保守的なポケモンの最新作の出来を見て、誰がこの会社でポケモンをアップデートしたいと思うだろうか。
パルワールドの作者も任天堂にいたらしいが、きっとそんな思いで任天堂を去っていったのだろうと勝手に想像する。
もしこれが、子どもたちを野蛮なオンラインゲーム世界に染めさせない健全なブランドイメージのために、あえてそうしているんだとしたら任天堂は長期的に終わりだと思う。
ゲームの面白さの追求よりもブランドイメージの守ることを優先する会社が、ゲームの面白さを本気で追求する会社に勝てるわけがない。
知り合いの友達同士だけで遊ばせたいみたいな価値観の押し付けをとても感じるのだけれど、ゲームを本気で遊びたい人からするとマジで興ざめする。
仮にも、各家庭の教育方針は様々であるにもかかわらず、任天堂がその上限を勝手に決めてしまっているというこの不愉快さ。
ゲームはもはや子供をあやす玩具ではない。玩具という域を超えて、コミュニケーションのライフラインになっている人も多い。
20年とか40年スパンで想像力を働かせてほしいのだけれど、ゲーム上の世界についてどのようにリアリティを感じるか、何を楽しいと思うか、という価値観の長期的トレンド変化について真剣に考えてほしい。
それはある人の言葉を借りれば「コミュニケーションそれ自体が目的化する」価値観への変化。
ゲームに限らず、アニメなんかを見ても例えば「けいおん」では、友達がワイワイだらだらと過ごすだけの日常が憧憬として消費されている。
これは、コミュニケーションの基盤がリアルからオンラインへ移行し、その分リアルでの人間関係が希薄になることの埋め合わせと考えられる。
つまり、ある時期から、コンテンツ(とその周辺)にはコミュニケーション的な欲求が求められ始めた。
ゲームを楽しみたいという以前に、人々はコミュニケーション的欲求をゲームを通じて満たしたいと思うようになってきている。
パルワールドとは、そのような新しい欲望や価値観の中で生まれたオンラインゲーム体験がベースにある。
ゲームをあくまでも玩具と割り切って楽しむのか、それとも、ゲームをリアル世界の延長のライフラインの1つとして暮らすのか。
このような価値観の変化を任天堂の幹部らのおっさん達が、理屈でなく、体感として、自らの経験に基づいて理解できているのだろうか。
・セブンの🍩
これ以上だったものある?
(追記)
コンビニ業界ウォッチャー的には確かに良いところ突いてると思うが、それでも7payには負けると思うぞ…(まあ7payは戦略的にも大物だったんで、カウンターFFよりも事前宣伝力入れてたのは当たり前と言えば当たり前だけど
セブンウォッチャー的にはドーナツよりも「オムニセブン」。カリスマ鈴木会長の肝煎りだったが、出来上がったのは時代遅れのゴミみたいな通販サイトで、担当役員だった息子ともども失脚。カリスマ時代終焉の象徴。
セブンの鳴り物って独特よななんか。これぞ覇権コンビニの新しモノでござい感みたいの出してくるんだよな
まあクドみはあるけどそういえばワイも7pay入れてしまったしちょいちょい引っかかる層がわりといそうだからある意味堅い宣伝手法なのかもしれん
発表前の噂の大きさと発表後のズッコケっぷりの落差、って意味ではセグウェイが印象に残ってるなあ。世界が変わるとか喧伝されてたよね
あったあった。なんか最初のほう「謎の大発明!コードネームジンジャー!」とか言って尋常じゃなく盛り上がったよな。乗り物かどうかも謎だったし。異様にワクワクしたわ
実際の規模は分からんけど、鳴り物入りのギャップで思い出すのはシェンムーっていうセガのゲームがあったね。(近年オープンワールドの早すぎた先駆者として再評価されつつあり嬉しみがある)
子宮をぞうきん絞りされる中
ビチグソと鮮血を何度も何度もトイペで拭き上げ
蒸され擦られヒリつくケツにため息をついたこともないくせに
女の生理に何かを言うな
合わない机、届かない棚、手が痛くなるキーボード
エレベーターでの1%の神経
残業帰りの夜道
少なくとも労働させていただくということは
お前は「熱があるので休みます」に何℃か確かめないと気が済まないのか
賢しらにお前の薄っぺらな定規を当てて
誰かのしんどいを計ろうとするな
ましてや家に住めない災いの只中にある人の、
「ナプキンがほしいです」に、一体、何を言うんだ
十代のある日突然パンツに鮮血がついて
もう自由に走り回る日々は終わったと知って
下腹部と地面が鎖で繋がれて
たくさんのポケットを持てるくせに
ぐったりとした眠気 血が足りないまま薬を探す朝
「ああ今日か」を知らないくせに
惨いニュースにあと何度心を折らなければならない
痛みをくれてやりたいよお前の気が済むように
無関心をくれ
それは配慮じゃないんだとあと何度
無関心をくれ
一抹でも怒りを覚えた、おまえ
大丈夫です。もういいです
大丈夫です。諦めて下さい
そっと安心だけをくれる人もいた
無遠慮の盾となり守ってくれる人もいた
痴漢を捕まえてくれてありがとうと泣きながら何度頭を下げても名乗らなかったあの人
一人一人をずっと覚えている
もうとっくに、お前は違うってだけなんで
大丈夫です。消えてください
だからどうか見ないでくれ
近付かないでくれ
関心を持たないでくれ
陳列しないでくれ
女は脱げない
人間でいたい
女へ言いたいことは、一つだけ