はてなキーワード: フランクとは
今もはてブで延々と関連増田がホットエントリー入りしてるけど、潔癖的というか原理主義的というか差別とか偏見を「あってはならないもの」「あれば即、是正or叩き潰さなければならないもの」って考えてる人が多いのまずいんじゃないかなーと思う。
差別、偏見ってのは本能的なものもあるし無意識下も含めれば誰だって持ってるってのは、まず大前提でしょ。
その上で必要なのは、差別や偏見を自分で認識するまたは相互に指摘しあって、知性や倫理で乗り越えたりコントロールすること。
確信犯的なやつもいるにはいるけど、無意識に自分が持ってる差別観・偏見が表出しただけで、棍棒持ってる人たちが嬉々として集まってきて下手したら人生終わり。
そんな状況おかしいでしょ。(明確な敵意を持って危害を加えるようなのはもちろん別だよ)
差別や偏見は誰でも持ってるんだから、もっとフランクに指摘しあって自分の差別や偏見をきちんと認識して、それとうまく付き合えるように社会全体がなった方が健全だと思うんだよね。
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
アーネストヘミングウェイは、1899年7月21日にシカゴの特権的な郊外であるオークパークの村(米国イリノイ州)で生まれました[4]。彼の父、クラレンス・エドモント・ヘミングウェイは医師であり、彼の母、グレース・アーネスティン・ホール-ヘミングウェイはオペラ歌手でした。どちらも、保守的なオークパークコミュニティ[5]で十分な教育を受け、尊敬されている人々でした。このコミュニティについては、有名な建築家フランクロイドライトが次のように述べています。 ")[6]に行く多くの良い人。結婚式の後[7]クラレンスとグレース・ヘミングウェイはグレースの父、アーネスト・ホールとしばらく一緒に暮らし、その後夫婦は長男を指名した[注1]。
いや居るに居るんだろうけど。
多分世代ごとにアンケート取ったら今の50代後半以上あたりで結果別れると思うんだよね。
50代くらいまでは長寿万歳!長生きするぞー!みたいな人間そこそこ居ると思うけど。
それから下は多分どんどん少なくなるよね。
何年か前スパ銭でお湯に浸かってたら20代くらいの女子二人が「長生きなんてしても意味ないよねー」「ねー40代くらいで死にたいわー」ってめちゃくちゃフランクに話してるのを聞いて、その時「若い女の子がお風呂で癒されながらそんな事話す時代なんだな…今って…」ってなんとも言えない気持ちになったよ。
あと10年くらいしたら長生き賛美は無くなると思うし、「新ながいきくん」とかふざけた名前の商品もなくなると思う。生命保険もどんどん売れなくなるかもね。
元増田だけど、あのあと「婚活で着飾りたくない女子」と話をしていて少し分かったことがある。
「着飾る」ことに「自分を曲げた」みたいな拒絶感を感じる人って「最初に見せた姿をデフォルトにしなければ」っていう、自分の中の縛りが出来ている人がいるんじゃないだろうか。
メガネ女子と「写真と最初のデートだけコンタクトにした方が映えるかな」って話をしてたら「何回目かのデートでメガネの時は『目が疲れてコンタクトできなかった』って言えば良いよね」って言ってたの。
いや、そこは最初のデートで「いつもはメガネだけど今日はお洒落したくてコンタクト頑張りました」みたいに言った方が良くない!?
ってなことがあって、あー彼女は女子アナ服を見せたらずっと女子アナ服じゃないとダメだと思ってるんだなーって思った。そんなことないのに。
でも拒絶する人の中には一定数いるんじゃないかなー、こういう人。
そこを理解した上でフォローしたり「着飾りな」って言ってあげないとしんどかったろうなーとちょっと申し訳なく思った。
いや、増田一介のOLでお金もらってるわけじゃないからそこまでフォローするのおかしいけど。
婚活なんて興味持ってもらって深堀しあうとこにいってからが本番だから、その前の興味持つ持たないとかもっとフランクに考えていいと思うんだよね。
ただ上で言ったみたいな人って「着飾ったら好かれる」「婚活すぐ終わる」っていう自己評価の高さと「後から本当の自分を見せたら嫌われてしまう」っていう自己肯定感の低さが同居してたりすのでは?と思った。
あなたはステキだし、そう思ってくれる異性は絶対いるから大丈夫だよと思う。
服はさ、お菓子の缶だよね。
美味しいお菓子を作っても、ただビニールに入れて売るより、ステキな缶に入れた方が購入を検討してくれる人多いじゃん。
購入検討が最初のお見合いなりデートで、「美味しかったからリピートしよう!」がデートを重ねている状態じゃん。
そこが!!本番!!
リピートし始めたら缶なんかいらないから、別にしまむら服でもなんでもいいと思うの。
そういうことだよね。
ほんとにクソリプっていうかおもんないオタク臭常に出てるんだろうなって文体だった。
フランクにかわいい「ありがとうございます!」って正解わかってるのにやらないのは羞恥?
わたしなら匿名日記ですら「うわあああああ」とか打つほうが恥ずかしいが。
・自虐しない(こんなので~ まさか感想もらえるなんて~ なれてなくて 拙くて~ 全部やめろ)
・すっきりした文章
・元気
これだけ心がけて頑張れ
あとクソリプの意味するところはたいてい「重箱の隅をつつくような指摘的なリプライ」だからね、あなたそういうこと返信でやってるの?違うでしょ
よく知らないで自虐に使えそうって理由で微妙に古いスラングを取り入れるな。見様見真似のぎこちないオタク喋りの真似じゃなくて、普通の日本語だよ求められてるのは。
周回遅れだけどなんかモヤっとしたので書かせてください。
例の記事が無邪気に書かれたものなのは間違いないけど、一方であの無邪気さを持てるほどの関係性を築けているからこそのあの文章だというふうにも読めてしまった。たぶんインド人とかと同じような感じでインドの良いところを紹介しますみたいなノリだったんだろうな。カースト制度が残っていたり女性がレイプにあいやすかったりそういうセンシティブな側面もあるけどそれには言及しないでインド人の良いところを紹介したらああいう文章になるのだと思う。それにたいしてインドはそんなポジティブなことばかりではありませんとメタな話へ転換してそんな軽いノリで語るなと批判されていた。
けどそれって批判になってるのだろうか。
インド人を異文化扱いして良いところを語るのは別に差別でもなんでもなくて単なる体験の紹介以上のものではない。だからなんかズレてる。ホームレスを紹介することを差別だという人達のほうが差別的じゃないだろうか。
ホームレスを神経質な人達としてとらえていて知識がない状態で語るのは駄目だってのが批判している人達のスタンスだったけど、それってホームレスを自分達とは別な存在として考えていないと出てこない批判だよね。ホームレスを語るには前後の知識がある状態で語れ、無知は差別だって言うけどそうやってホームレスを神経質な他人として扱い差別してるのはむしろ批判者のほうじゃないのか?ホームレスに関してはその背景を考慮して普段おこなっているコミュニケーションとは別のコードを用意したうえで語るべきだってそれこそが差別じゃないのか?なんで普通に話しちゃいけないの?なんで普通にホームレスの生活の知恵はすごいって思ってはいけないの?
例の記事の筆者はとても無邪気でホームレスにたいしてものすごいフランクに語っていたけれどそれこそがむしろ非差別的であってホームレスを異文化扱いするのが駄目だって言うことのほうがむしろホームレスを異人として扱っているように感じる。
文章は得意ではないが、知人に話すような内容でもないしちょっとショックで興奮しているのでここに書く。今日驚いた出来事について記させてほしい。
ジャンルは女性向け。で、グッズとかのトレード募集をツイッターでするやつあるよね。あれで、条件の合う人がいたから交渉を持ちかけたんだけど断られた。
はじめ意味がわからなくて自分なりに考えてみたけど、交渉を持ちかける際キャラクターの表記の仕方に於いてさん付け・呼び捨ての有無、あだ名で呼ぶ呼ばないみたいなそういうものが「贔屓」に感じるのだと思われる。
じゃあ作品内で用いられている呼称(呼び捨て、さん付けとか)を作品への敬意を持ち倣って使っている場合、それをキャラクター単位の贔屓というのか?呼び捨てがそのキャラクターを大切にしていないことの表れなのか?それはあなたの中の価値観でしかないのでは?
…とか思うんだけど、これもまた自分の中の価値観でしかないわけであって、むやみに否定するのもできねえ……モヤモヤ…モヤモヤ…みたいなノリでここに書いた。
それさえなければ成立した取引だった。
解釈違いは人それぞれあって仕方がないにしても、ある程度は自分の中だけで上手いことやっていくしかないと思うし、他人の介入する取引に個人的な感情を持ち込むのって、うーん。今までなかったからすっごく新鮮だなあ〜。って興奮してる。
実は呼称云々〜は相手のプロフィールにも表記されてて、交渉する前に見たは見た。が、さほど重要と思わずに(というか意味がわからなかった)気をつけなかった自分にも落ち度がある。相手の提示する条件をしっかり把握しなかった。
あと、今まで交渉してきた人はほとんどさん付け等を普通にしていたので完全に「ここの界隈はこのくらいフランクで大丈夫なんだな」と思いこんでいた。この辺反省点。
それでもやっぱショックだったし「ああ、そういう人もいるのか…」ってかなり驚いた。それだけ。今度から気をつけよ。にんげんこわいや。読んでくれてありがとう。みんなも気をつけてね。いいことないかなあ…
趣味の繋がりで半年前くらいに知り合ったSNS友達がいるんだけど、最初のうちは楽しく話せてたのに最近解釈違いが続いていて、「それって**だったりしてー」みたいなフランクな話題に対して「そんなわけないでしょ、これは**で****だから…(中略)」って大量にDM返してきて、挙句「なんでそういう解釈するの?大丈夫?」って言われて段々付き合うのしんどいなって思い始めた。
最初のうちはあまりに向こうが楽しそうに話すから否定もせず同調してて、自分も全くの見当違いでもないから肯定ばっかりしてたんだけど。
自分の意見と違うことを元々認めない人だったのか、こちらの言うことに対してストレートに肯定はしないし、付き合う人間違えたなって思ってる。
フランクな人なんだろう。親しみを感じておけ。