はてなキーワード: セクハラとは
https://anond.hatelabo.jp/20230328174533
この増田でも触れてるように、2017年時点(ジャニー喜多川86歳)でようやく違法化された
それ以前も一応親告罪ではあったが訴える人が居なかった
適法であったからこそ、言うほど周りも叩きづらいという状態もあった
※ちなみにジャニー喜多川のセクハラ行為は結構前から言われているけど
年齢を加味してやってたのは平成中期より前の時代だろうと言われている
1990年代といえば、ディスコや援助交際やブルセラ全盛期の時代だ
その時代のある行為・事件を指して、「あの頃は良くなかったな」「今はいい時代だな」となるのはわかるが
じゃあジャニー喜多川の作ったものや、今のジャニーズにNOを言おうというのは
そりゃ全員に受け入れられるようなものじゃないだろう
MeTooで大昔の話を掘り返してみたり
例えばじゃあこれが100年前の出来事だったとしたら、多くの日本人は「そういうもの」として扱うだろう
100年前じゃないにしても、おニャン子クラブをただの「懐かしいもの」として扱ってる時点で感覚が違うんだろう(80年代の私ですら、あれはすげー時代だなと今でも思う)
これがもし誰が見ても明らかに酷い、つまり大昔から犯罪の類であったらまた変わったんだと思う
ただ淫行関係は時代によって犯罪かどうかが度々揺れている領域だ
だからこそ日本人も言うほど叩けないし、というか欧米でも昔のそういうのを叩いてるのは一部という認識
まあBBC的には海外のおもしろコンテンツの一つなんだろう、彼ら的にJapanはHentaiの国でなきゃならない、これは昔から変わっていない
ジャニー喜多川をボロカスに叩いてジャニーズを潰さない限り、奴らは「それみたことか日本人は変態だ」とコンテンツにするだけだ
せめて今まさに起こってることを取り上げろよと思うが
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パワハラ、セクハラの社内通報相談窓口の対応やってて、なんかちょっと入れ込み過ぎちゃってる気がする。
立場上ある程度フラットな姿勢が必要なわけなんだけど、被害を受けている人たちの今後とかバックグラウンドまで思いをはせると、なんか勝手に俺の共感回路が異常に活性化するというか、異常に不安になってしまう。
その不安で他の業務に身が入らなくてボケっとすることが最近多くなってきた。ちょっとタスクが遅延気味でチームに迷惑をかけてる罪悪感もある。あの人大丈夫なんだろうかとか思ってると時間がどんどん過ぎていくので。
そりゃここが間違いだからね
明治以前はイエの利害や存続が個人の自由に優先するのがアタリマエの時代で
同性愛でも異性愛でも、そもそも「個人の自由恋愛」自体が抑圧の対象であり隠れてやるべきものでしかなかった
そんな価値観がまかり通っていた時代から同性愛だけを都合よく切り取ってきて
「昔は寛容だったんだもん!」なんて強弁して、いったいなんの意味があるのか
そりゃジャニーズ糾弾しても自民党叩きにつながらないからでしょ
セクハラにしても結局全部そこが原動力になっているからここで頑張れない
ご都合セクハラはそういうのに特化した作品があるけど、決して胸を張って勧められる作品枠にはならないだろ
個人的にその手のジャンルにハマる時期は誰しもあるんだろうが、結局は誰もがそういうのはB級以下の俗っぽいものだと認識するようになる
なんで100か0かで考えるんだよ。
ちょいエロは単なるエンタメ要素の1つで、あとは内容次第だろ。
セクハラ・レイプ肯定はアウト、愛し合う2人が結ばれるのはセーフで、その間が沢山ある。
どこで線を引くかは人によっても社会によっても違う。
話し合うべきは「どこに線を引くか」の具体的な内容だろ。
ビビりましたわ。
我が駐(我らが駐屯地の略ですわ)の新人教育資料をチラ見したら相変わらずでしたわ。
こんなアホはじめてみましたわ。
嘘ですわ。
見飽きましたわ。
あれだけニュースになって日本中の我が社(我らが会社。つまりは自衛隊㈲のことですわ。㈲は有権者という意味ですわ。ちなみに自衛隊は大和魂で無限軌道できるから無限会社ですわ)で「セクハラとかまだ隠してるやついたら自衛隊ポリスに突き出してボコボコにしてやるからバンバンチクれよ」キャンペーンをしても結局こういう所が残念だなんて笑うしかないですわ。
セクハラもパワハラも判断基準なんて「社会通念に照らし合わせてアウトかどうか」「業務上その行為に必然性があるか」「本人含めて誰かがメンタルヘルスフルボッコにされたか」しか気にするべきポイントなんてありませんわ。
パワハラの世界にも「相手のメンタルが元々極めて不安定だった所に、最後の一藁を投げ込んで自殺させた」というパターンがありますのに「相手の気持とは無関係である」なんて全く笑えなくて吉本だったらパワハラされながら追い出しですわ。
もちろんセクハラにだって「業務上の必然性が明白であり一般的な基準で与える精神的苦痛も限りなく低いと考えられるため、相手側の過剰反応だったと言わざるをえない」というパターンもありますわ。
結局我が社的にはセクハラとパワハラを区分けすることで「パワハラ事案においては必然性があったと言い張り続ける限り何人首吊りが起ころうが知ったこっちゃないで通せる」をやりたいだけですわ。
そもそも「必然性」の判断自体が「社会通念」を基準に行われるのだから我が社の中で決めた基準ではどうなのだと言い張っても無駄でしか無いですわ。
本当に頭が悪すぎますわ。
悲しいですわ。
元々頭の悪い人達が頭が悪いまま暮らし続けたくて入ってくるような組織だからといってここまで進んで自分から愚かであり続けようとする姿はもう見たくありませんわ。
子供が読む物なのに、あんまり不健全な描写はどうなのかな…と思う。
もし自分の子供(男の子)が少年漫画のパンチラとかセクハラシーンを読んでニヤニヤしてたら?
…って考えたらそれだけで嫌な感じでたまらなくなりそう…
BBCワールドで放送されてブクマでも話題になった「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」が、アマプラのBBCニュースチャンネルで4/18まで配信される。
アマプラでBBCワールド契約している人、またアマプラだけ契約しててBBCは契約してない人でも14日間の無料トライアル中なので無料で見られる。
https://twitter.com/BBCNewsPRJapan/status/1640017376837275650
このジャニー喜多川とジャニーズ事務所への告発ともいえる1時間弱の番組で、私にとって想像していた内容と違ったのは、ジャニー喜多川からの性加害を受けてきた人のインタビューが「かわいそうな被害者としての証言」ではないということだった。被害者の告発は多くの場合おぞましいものであることが多いので見る前にはネガティブに感じていたのだが、それを見るストレスはなかった。
番組でインタビューに答えた数人の彼ら(元ジャニーズJr.で性被害を受けた経験がある人)は、全員が、自分たちはジャニーさんに性的いたずらをされた、だがジャニー喜多川を憎んではいないしむしろ尊敬しているし好きだったと答える。そして彼らは「最後まで」はされていないと言う。自分は触られはしたが嫌がったら止めて謝られ、ジャニーさんは別の人を物色しに行ったというのが彼らのインタビューの共通点。
「最後まで」がどこまでのことかは答えがなく、記者が更に質問を重ねても笑顔と共にあいまいにされる。”手口”は誰もおおむね同じで、『合宿所』で、風呂に入っておいでと(ジャニー喜多川に)言われその後で(ジャニー喜多川に)体を触られる、寝ていたらジャニーさんが潜り込んで触りに来る、といったもの。インタビュー中に下の方に手が伸びるジェスチャーがあるので下半身(性器)への何かしらはあるのだろうとも推察はできる(番組内で明らかにはされない)。
被害の告発ではない被害体験を語られて、見ている私は告発とは異なる気持ち悪さを感じた。自分の身に置き換えると吐き気がするのにインタビューに答えている人たちは平気そうなのだ。中には(ジャニー喜多川から性被害を受けても)「それで売れるなら受け入れる」という人も出てくる。まるで「未成年への性加害の犠牲者」=被害者は存在しないみたいだ。
番組には「被害を訴える被害者」のインタビューは一つも出てこない。ジャニー喜多川の性加害についての記事を出してきた文春の記者へのインタビューはあり、彼らは何人もの被害者への取材を行ってきたことを明らかにしているし、そもそも、何せ文春がジャニーズ事務所に訴えられた裁判でジャニー喜多川本人が加害をうっかり認めてしまっている。
被害者は居るのだ。
この番組中にも触れられているが、そもそも日本では2017年(たった5年前だ)に法改正されるまでは男性への性加害を起訴することすらできなかったわけで、ジャニー喜多川から性被害を受けた人たちに被害自認がないのもしょうがないのだろう、ということもできるかもしれない。男→女の性加害、または女→男の性加害であれば「最後まで」が比較的明確で「セックス≒性器への挿入」だろうと思うのだが、男→男だと「最後」があいまいだ。
スキンシップやふざけあいの線上の少し逸脱した何かだと思えばいい。うまくやり過ごせればデビュー後にちょっとトークのネタになる武勇伝であり、ジャニーズ事務所的な世界観の中ではむしろ「ジャニーさんのお手付きのジュニアは売れる」という伝説ですらある。だが、「ジャニーさんのお手付きは売れる」は、少し見方を変えれば、「ジャニーさんのお手付きにならないと売れない」だし、もっと言えば「ジャニーさんのお手付きにならないとデビューさせない」でもありうる。
番組では記者が、「ジャニーさんに性的いたずらをされたけど僕は元気です」といった様子の彼らに、被害自認がないことに驚いている様子が映し出される。また、『被害自認のない被害者』の一人から、母親が、息子が生まれたら絶対ジャニーズに入れたいと思っていたと言うのでジャニーズに入った、母親も「そういうところ(ジャニーさんの性加害があるところ)」だと知っていたと思う、というインタビューも流れる。
更に渋谷のハチ公前で撮られた街頭インタビューの様子。「そういう話は知ってはいるが、だから何なんだ」というトーンのものが、選ばれ取り上げられている。街頭インタビューに答えた一人は自分はゲイであると前置きし、日本ではLGBTQへの理解がないから(ゲイのジャニー喜多川にとってアイドル事務所をやることは)大変だったんだろう、と言う。記者が、加害者の性的指向(ゲイかどうか)と、未成年に性加害を行うかは関係がないだろうと更に質問を重ねると「表立って追求するべきではない」という答えが返ってくる。また(ジャニー喜多川は)もう死んでしまったので(彼の未成年への性加害について)話したくない、という人も出てくる。街頭インタビューに答えた善良な市民にとっては、被害者も、そして加害者すら存在しないように見える。
そして記者の、ジャニーズ事務所への取材が断られる様子が映し出されていく。最後はジャニーズの本社ビルの「建物に入るな」「建物を映すな」と広報担当者や警備スタッフの要望がエスカレートしていく。
未成年への性加害の加害者はジャニー喜多川である。だが、加害者はもう死んでこの世にいない。でもまるで、加害者がまだ存在しているような気がしてくる。もちろん直接的な性加害はなくなっているだろうと思う、何しろ本人死んでいるので。でも番組の終盤には「加害の気配」が強く印象付けられていく。
「やられたけど、大したことない」という元Jr.たちの、市井の街行く人たちの、そしてジャニーズ事務所の、「だから何?」という態度という形をとった、加害の気配。
このドキュメンタリ番組で映し出されていく被害者と加害者は複層的で複雑に絡み合っている。
(A)被害者については、
(A1)わかりやすい被害者は存在しているがこの番組には出てこない。
(文春裁判同様被害者保護の観点か?本件で一部のジャニオタはインターネットの各所で酷い二次加害を行っている)
(A')被害自認がない人々(法的に言えば被害者だが、自らを被害者とは認識していない)。
(B)加害者については、
(B1)明快にわかりやすい加害者は「ジャニー喜多川」である。
(B2)ジャニーズ事務所という法人も、代表(というか弟や叔父だ)の性加害を何十年も放置していた協力的加害者である。
(B’)性加害ありきで成り立つスターシステムを「伝説」のように扱い、またはタブー視する人々は、間接的にせよ「加害的空間」を醸成する加害者ともいえる。
(B'')=(A')、被害自認のない被害者は、間接的に、そして不可抗力にせよ加害的な存在にもなっている。
ややこしいのはこの(B'')=被害自認のない被害者の存在である。「被害自認のない被害者」は、不可抗力ではあるが更なる被害者の拡大(自分はうまく躱せたが別のジュニアに被害が向かったなど)や、「加害的空間の醸成」に図らずも貢献してしまっている。被害者だが加害者。
このように被害、加害の関係が複雑なため、そしてジャニー喜多川本人がもう死んでるので、そして何よりも、大手メディアの大半がこの件を、逆らうとタレントを使わせない、そして独立しようとすると干すことでおなじみのジャニーズ事務所に忖度してか全く報道しないことで、また下火になってしまうのだろうなと残念に思う。
とても残念に思うので、やりようによっては無料で見られる今の時期に、興味がある人もない人も、番組を一度見てほしいと願う。
私の知り合いに、インビューライターがいる。彼女は色んな仕事をしているのだが、その中の一つとしてジャニーズ事務所のあるタレントのインタビューというのがあった。そのタレントは彼女以外からのインタビューを嫌い、できるだけ彼女をブッキングしてほしいと言われていたのだそうだ。
彼女と私は、そういう華やかな場所ではなく、極めて地味なところで一緒に10年以上仕事をしていたのだが、彼女は自分から「私はジャニーズの〇〇君の専属なのよ」などと言うことはなく、彼女を私に紹介してくれた人からそういう風に聞いていたのだ。
一方で、私はジャニーズタレントに全く自信がなく(顔と名前が一致しない)、私は彼女の仕事に満足していて、また彼女がポートフォリオにも入れていないので、最初に紹介された時の売り文句?を忘れていた。だが長く仕事をお願いしている中でだんだん個人的にも仲良くなり、そしてそのタレントが小さいある事件を起こしたときに、そういえば!と思いだしたので、野次馬根性がもたげてつい聞いてみたのだ。専属って本当?
専属ではないと彼女は言った。専属ではない、いろんな人がインタビューしていると思うわよ、と。
ある話題についての質問に上手に答えられない時があるのだという。そしてその話題をNGにもできない。彼らの歌や彼らが出演するドラマや映画の多くはそのテーマが主題になるので、プロモーション時には避けて通れない。それが彼女がインタビューする場合には何とかなるのだという。彼女自身は、何を気に入られたのかは分からないけど長い付き合いだし気楽に話してくれるのかも、と笑っていたが、(間接的に加害空間を醸成してしまっていたであろう)私は、ジャニー喜多川にまつわる「噂」に関係があるのかな…と思ったのだ。だが「あの噂と関係あるのかな」とは尋ねられなかった。
私が、自分は間接的に加害空間を醸成している人間である、と思ったのはその時で、それまで以上に、TV番組にたまに出てくる彼らの「ジャニーさんの話」を聞くたびにとても不安な、困った気持ちになる。
こういう気持ちはファンの人や、それ以外の一般の人は思ったりしないのだろうか…。
踊りと作法を覚えられてちやほやされることにあこがれて舞妓(誤字りました。←舞子)になって、15で酒席で酌をしたり性行為をさせられるという話や、ミスコンに出たらスポンサーの偉い人にセクハラされるとか、そういう話と通底する何かが、この社会にはずっとある。少しでも、出来るだけ世の中から減っていくといいな…。
別に紹介とかなくてよいが、なんらかの個人情報紐づけた会員証。スマホアプリでよいか
いうなれば罰金。会員登録の際、3枚ほど購入義務。入店時には3枚ほど所持義務がある
1枚1000円とか500円とか。
・度を越したセクハラ発言や暴言はキャストの申告でペナルティを与えることができる
その日から1週間は残り2ペナで退店みたいなことやそもそも3日は来店不可などの制度も導入できる
・制限解除
キャストの意思でペナルティの制限解除が可能。3ペナルティ以降もペナチケさえ支払えばペナ行為が可能となる
なお、制限解除はキャストに対してではなく、あくまで客個人に対して。(キャストαが客Aに対して解除していても客Bはαに退場させられうる)
キャストは適当なタイミングで制限解除を終了させることが可能。要事前告知。終了後はノーペナか1ペナぐらいにリセット。
大声で品のない話をするなど、制限解除中の他の客の発言があまりにもきにさわるばあいは、他の客が制限解除を強制終了できる。
客Aが制限解除中、客Bが強制終了を要望した場合、Bが支払ったペナチケ+1をキャストに支払うことで制限解除を続行できる
当然、客Bはさらに一枚出して再度キャンセルを要求できる。要は札束での殴り合い
初め普通にラミネートしたカードみたいな(ちょっとやる気のある地下アイドルさんのチェキ券とか)のを考えてたが、会員証思いついてアプリにするならそっちも電子でいいか、とか思ったが、やっぱり物理のカードが良さそう。で、会員証必須にした理由忘れた。退場後の出場停止とかの管理のためだっけ?
言ってる意味わかってないよね?若い人がいくら老人を貶そうがどうでもよくて、むしろ老人は「勝手にしとけ」精神でいいんだよ
でも今の老人はそれを無視できず若い子達にオッサン達がセクハラ・パワハラし放題なんだよ
そして勢力は老人の方に傾きつつあるため、どう頑張っても若者に勝ち目がない
基本的にこれくらい厳しいところの話を聞いたほうがいいです。負け犬というのはそういうことです。
傷づいたとかセクハラとかパワハラとかジェンダー平等とか嫁呼ばわりはいやだとか、そんなことを言っている人は婚活には向かないのでそのまま死ぬしかありません。負け犬として死ぬのです。
せいぜい若い女の子がちやほやされてイケメンと結婚していくのを指を加えて眺めることしかできません。
アラサーのくせにまだ寝言を行っている女性をみると呆れてしまう。ネットにある膨大な知見を一切理解できていない。今まで何をやっていたのか?
@hikarin22
https://twitter.com/hikarin22/status/1634789063189200898?s=20
しかも35歳なら2人めは無理かもしれない。
よくわからないけど、最も家庭の事情がある場合は別ですが、こういう物事が理解できないバカしか独身のアラサー女性しかおらず、「救いは上野千鶴子とジェンダー平等」しかないバカってことです。マスコミに踊らされてきた情弱です。
接触多めのセクハラオヤジ、と言っても「悪気はない」タイプの存在なので女に接触するのはもはや良くないと思ってる。
そんなオヤジは弱そうな目下の男、すなわち俺に目を付けた。
セクハラの代償行為だ!しかも男同士だから問題がないと思ってる。
仕事してるだけなのに急に後ろから肩をモミモミ!マジで肝が冷える。
キツい立ち仕事の後太ももを触って「ここに来るでしょ」太もも触んな!
女性諸氏の恐怖心、憤りを一片だけでも感じる日々だ。