はてなキーワード: グランディアとは
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追記: コメントで教えてもらった創作物を追加しました。 まだまだ募集中
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リメイクで盛り上がってるから、今まで気になりつつもプレイせずスルーしてきたFF7をiphoneにダウンロードしたよ。
1作目はかの名作クロノ・トリガー。バトルの時にカーソル合わせるのがちょっと難しかったけど、長押ししてからスライドすればうまくできることに気づいて、ストレスなくエンディングまで突っ走れたんだ。
クロノをプレイするのは小学生のとき以来だったけど、めちゃくちゃ面白かったよ。
ゲームの余韻もあって、鳥山明の画集がめちゃくちゃ欲しくなったんだけど、クロノ・トリガーの絵がまとまってる画集ってあるのかな?
知ってるひとがいたら教えてください。
それで本題はこちらなんだけど、クロノがめっちゃ操作しやすかったから、おんなじスクエニが作ってるんだしFF7もまあ大丈夫だよねって思ってダウンロードしたんだ。
なんで? なんでなんで?
色々ぐぐってみたんだけど、セーブデータはファイル10のスロット15に保存されるって公式サイトにも書いてあるんだ。でも全然保存されてないんだよ。
アプリをバックグラウンドに入れてSafariとか開くとすぐ落ちるし。
クロノ・トリガーはアプリがおちても「ちゅうだん」扱いになって、ダンジョンの入り口とか、きりがいいところからまた始められるからすごくよかったのに、FF7はなんでこんな仕様なの?
家庭の事情でサターン派だったから、発売当時はFF7になかなか手が出せなくってごめんね。FF6が大好きでした。
セガサターン派はプレステ派にいつも馬鹿にされてたけど、カプコンの格闘ゲームがめっちゃやれたし、グランディアと魔法騎士レイアースとか街みたいな傑作もあったし、エネミーゼロとかリアルサウンド風のリグレットとかへんなゲームもいっぱいあって楽しかったよ。ときめもで詩織ちゃんも落とせたし。後悔してないよ。
とにかく口喧嘩が多すぎる
なぜ口喧嘩が多いのかというと登場人物が気の強いキャラクター、ヤンキー系ばっかりだからだ
*会話例
ヤンキーA「おまえバカじゃねえの?(あいさつ代わりに煽る)」
ヤンキーB「知らないのか?バカっていうやつがバカなんだぜ?」
ヤンキーB「上等だオラァ!」
ヤンキーC「キャハハ!どっちもバカぁ~もっとやれもっとやれ~(火に油を注ぐ)」
こんな会話が延々と続く
キャラクターがヤンキーとヤンキー上がりとヤンキーくずればかりなせいでこうなっている
ここで「やめんか!」と一喝して強制終了できるようなカリスマキャラがいればもう少しましになっていただろう
※ネタばれ注意※
初代が20周年なのに配信を終了されてしまったグランディアIIIちゃんは
どうすれば許されたのかって考えるつもりで比較対象として初代を振り返ってたら思いの外ヤバい
いや、たぶん気づいてた人はプレイしてた当時から気づいてたんだろうけど俺はいまさら理解した
■テーマの一貫ぶりがすごい
・物語が動き出すきっかけは冒険者である父親の形見(精霊石=これがキーになって古代文明の遺跡に導かれる)
・「精霊石は冒険者の魂」と主人公に語らせた後、「軍」が精霊石を狙う展開になる
つまり自由vs規律の暗喩と子供vs大人の暗喩をまとめてこなしてる
「探求心は悪にもなる」「大人からの抑圧」「偉大な父親からの抑圧」「探求心の喪失は死に繋がる」
・「真理にたどり着いた者」だけに開かれる「精霊の聖地」で主人公は「精霊石」を提示された後、それを否定して「精霊の剣」を受け取る。
・「精霊の剣」はプロローグ直後のごっこ遊びで集める勇者の証として一度登場する
あえて説明するまでもないぐらいわかりやすい暗喩だろうと笑われそうだけど
「少年が男になる物語」がここまで丁寧にゲームで描かれてるのすごくね?
■シナリオの置き方が丁寧
3.母親が子離れして独り立ち
4.でも幼馴染はついてくる(=まだ子供)
5.ほぼ同い年の女の子に認められる
6.軍(大人)を出し抜く
7.閉鎖的な村の村長に認められる
8.巨大な壁を越える
9.勇者として認められる
ここでdisc1終了、先の精霊石メインの話=父親殺しの流れに。
■メタファーの置き方も丁寧
・登場人物の見た目が東に行く(=主人公の冒険が進む)ほど動物に近づいていき、自然も険しくなる。
幼馴染がリボン代わりにつけてるのは主人公の父親が見つけてきた「虫」とも「動物」ともつかない生き物。
…あれ、てかガイアはラストダンジョン攻略中羽化しようとしてたよね?
羽化しようとしたガイアは精霊石を破壊するとデカい樹(=世界樹)に。
敵ボス(将軍=仮置きの父親)が企てていたのは「ユグドラシル(世界樹)計画」。
ヒロインが虫ってことはそれよりデカい虫は母親としか考えられない気がする。
つまり世界樹=大人としての人格というメタファーになってるようにしか見えない。
どうやらガイアは悪の象徴ではなく「制御できない感情」のメタファーらしい。
いやいやこえーよ書いた人何者だよ
・敵将軍(=野望に囚われた父親)は「ガイアの芽」によっておかしくなった。
・「霧の樹海」の中にある村も「未開の森」の中にある村も閉鎖的
「石の森」の中に滅びた村が存在している
光翼人に力を注がれると蘇って石ではないロボットのような姿になる。
光翼人の力で制止されると石に戻る。
精霊=意思 であり、意思がなくなる=石になる と表現されている。
人→動物→植物→石の流れは意志の強弱も暗喩しているらしい。(街や村のあり方を見るに)
精霊石=眠っている意思とも受け取れるし、父の遺志=精霊石でメタファーが完璧。
深読み苦手な自分がここまで読み取れるってことは読解力高めな人はもっといろいろ読めるだろう。
いや、怖!
キャラクターの一人がヒロインを参考にしていると明言されているし、
某深読み系ロボットアニメの影響は多少あるにしても十分冒険譚として独自性を構築できていると思う
「女の子も楽しめるように王道冒険活劇書きました」でここまで色々仕込める人の後釜、務めようと思うか?
てか一介のゲーム会社の社員がこれに「原点回帰」できるのか??
この織り込みに織り込まれた上でほどほどに読み取りやすいメタファーの数々、
これを「16歳の飛行機乗り」「空」をベースにして再構築できるかって言われてホイホイできちゃうひとはどれぐらいいるんだろうか。
しかもここまでメタファーてんこ盛りなのにパッと見ただの冒険活劇を装うとか
出来上がってきたIIIはひどすぎたけどこの初代を踏襲したうえでパクリにならないような王道冒険活劇って、
ゲームシナリオ界にオリンピックがあったら確実に金メダル級の超難易度だと思う
話づくりに自信がある人、「俺が作るグランディアIII」にチャレンジしてみてほしい
「空」「飛行機」「(ヒロインが空から)落ち(てくる)物」ベースで
「16歳の少年が親離れして一人の男になる」話を「ただの冒険活劇」に見せかけて
初代相当のクオリティでかつ初代化とラピュタ化を回避しつつ完成させる。
初代のシナリオ作った人たちはすごいし
個人的にはIIIのシナリオにチャレンジした人々も十分敢闘賞もらっていいんじゃなかろうかと思ったりする
IIIのシナリオを見るに、おそらく思いついたシーンを組み合わせるだけで精一杯だったんだろう
メタファー仕込む余裕なんかなく、「青年主人公が長旅を経て強敵を倒す」話を構築するのがやっとだったように見える
ミランダとユウキのバックボーンから「父親殺し(母親殺し)」を実現するにはエメリウスでは役者不足もいいところ、
子供をほぼ捨てたユウキの父親と妹を守ろうとするエメリウスではシンクロするところがほぼなく
仮にエメリウスの行動原理が完璧にゲーム内で表現されていたとしても何の暗喩にもなっていない。
暗喩の有無は別にどうでもいいっちゃいいけど、問題は「父親殺し」が行われていないといけないのに
それをユウキが成し遂げていないところ。
暗喩はあるとカッコいいとか文章表現的な技巧を披露して俺つえーするとかそういう余剰ではなく、
本来物語の外にいる読み手に己との共通点を無意識に物語から見出してもらい、より感情移入してもらうための道具だろうと思う。
手だけでも布を縫い合わせることはできるが、ミシンを使えばもっときれいに縫製できると言う話だ。
血縁のない飛行王シュミットを「父親」に仕立てるために実の父親を物語から消し、アロンソを途中退場させたのだということはさすがに読み取れる。
そういう小細工で作り上げた「父親」をいくら「腰抜け」と罵ってもその「父親」が作った飛行機に乗って空を飛んでしまっては何の意味もない。
それは父親の敷いた線路を辿っているだけであり、まだ子供のままであることの証左になってしまう。
むしろこの状況での「腰抜け」呼ばわりは
「何故お前は父親を全うしていないのだ」という糾弾になっている。
つまりグランディアIIIには「殺すべき父親」が存在していないのだ。
父親を精神的に「殺し」て、別個の人間=大人になっていく成長物語のはずなのに。
これではラスボスがどこにもいないのと一緒だ。
それを見定めずにシナリオ作りに移行してしまったことなのではなかろうか。
テーマソングを聞いてもわかるが「見果てぬ夢」なのか「素晴らしい場所」なのか「行き着く先」なのか定まっていない。
初代が「死にゆく先、生まれくる源」を「大地(地母神)」と定義したことで
芋づる式に様々なものを定義付けすることに成功し、植物の根が土を抱き込むように物語を包括したのとは対照的に映る。
また、成長とは生から死の一過程であり、生と死の描写から逃げては成長を描き出すことはできないのだと逆接的に証明しているようにも感じられる。
もしかすると、初代を見上げたまま物語を模索した結果、「初代=空」になってしまったのかもしれない。
ユウキは映画の中で活躍するシュミットの姿に憧れを抱いたようだが、
言うまでもなく、何のメタファーも仮託されていない空はただの背景であり景色である。
景色は人を動かしたりしない。
これは続編がふがいなかったというよりは初代が「偉大な父」になりすぎてしまったんだろう。
ジャスティンが大変な苦労を伴って「父殺し」を成し遂げたように、
「偉大な父」を乗り越えるのはそれだけ困難だということなのかもしれない。
グランディアの世界の果てを超えるシーンは素晴らしい。それと、スーとの別れも印象的
スー(8)は主人公ジャスティン(14)の幼なじみで子供のクセに「ジャスティンには私がついていないとね」的なことを言って保護者ぶるBJのピノコポジション
スーはジャスティンと一緒に旅に出て、世界の果てを越えた後も旅を続けるが、ムリがたたり寝込む。自分は子供でジャスティンたちの足手まといになるからとパーティー離脱を決意。ジャスティンはならばと先へ進むために取ってきたはずの転送アイテムをスーを故郷へ帰すために使うことに
その別れのシーンでプレイ当時、自分ボロボロ泣いて、今もちょっと調べてまたホロっとした
冒険途中でフィーナ(15)という真打ちメインヒロインが仲間になって、バトルでもスーの影が薄くなるんだけど、スーからするとフィーナみたいな圧倒的才能を隣にするプレッシャーは相当だ
増田が「上手が怖い」という流れでグランディスの話を始めたのでスーとの別れが出るかと期待したけど出なかったので自分で書いた
それでも、スーはジャスティンが居なければ世界の果てを越えてその先を見ることはなかったことも事実
世界の果てのその先への冒険を創作に喩えるなら、冒険者には様々な支援が必要で、金銭的なものはもちろん、作品発表直後のポジティブなフィードバックが一番精神的支えになるという言は多くの創作者から聞く
スーはED後美しく成長し故郷でジャスティン、フィーナ達を待つ「港の女」ポジションに収まっているけど、こうして何者にもなれずにボンクラに年を経た自分でも「港の女」になれるなら、それはとても嬉しいことだと思う
昔ちょっとだけでも一緒に冒険した想い出が、冒険譚を語るその舌を少しだけ滑らかにし、彼らが次の冒険へ進む一歩の僅かな助けになるのなら
何かを作る人は、上手なものが怖くなったりしないだろうか?
私は怖い。誰よりもいいものを作って、一番になりたい。
でも、他人の新作は絶えず生まれ続け、時々、若くてすごい作品が現れる。
最初は他人の作品に憧れ、感銘を受け、それにたどり着きたいと思った。
心の中では思っていたはずなんだ。。。
しかし自分で創作を試み、他人に評価され、誰かより劣っていると・・・
「お前には才能がない」と面と向かって言われるようになり、
だんだん焦ってくる。
誰よりもいいものを作って、一番になりたい。
そう願えば願うほど、意識せず、自分の作風や限界値みたいなものが見え始め、
夢の輪郭・・・わかりやすく言うと終わりのようなものが見え始める。
話は変わるが、昔「グランディア」というテレビゲームがあった。
簡単なあらすじはこうだ。
人はそれを世界の果てだと呼び、この世界はあの壁までしか存在しないと信じていた。
冒険者の時代はすっかり終わってしまっていた。誰もがこの世界はあの壁までしか存在しないと信じ込んでいたから。
世界の果て(あの壁)の向こうにはさらなる世界が広がっているのは信じる主人公だけ。
どうだろう。
私にとって他人の上手な作品は、世界の果ての向こう側が見つかったというニュースに思える。
目に見えるあそこに辿り着けばゴールだという分かりやすい指標が崩れる。
世界がどこまでも広がって、私は途端に怖くなる。
ただただ私はいつのまにか私だけを愛するようになってしまった。
上手なものが怖い。