はてなキーワード: オープンとは
“痴漢の常習犯なんかにエネルギー割いてないで勉強しなさい、いじめられてることにエネルギー割いてないで勉強しなさい、って子供にも言うんだろか。人間としての尊厳を傷つけられてるんですけど。”
“ハラスメントに抗議する研究者への「研究しろ」と、政治的発言をするミュージシャンへの「幻滅しました」は相似。純粋性、ある種「うぶ」でいることを求める圧がある(私は時折自分に対してかけてしまう)。でも研究・音楽を皆が健全に持続できるよう社会に働きかけることは、研究活動・音楽活動だ。”
オープンレターにケチつけて回ってる研究者のハラッサー臭すごい。実際ハラスメント防止に取り組もうとしている若手研究者にオンラインハラスメントやってるでしょ。”
“その手の人は人文的な領域を「雑なもの」としたがるんだけど、それは質的分析の精確さを目指すことを自ら放棄することでしかないし、結局自分自身の見方が雑になるだけなんだよな。”
オープンレターの話題で運営も署名した人もアホだと思うし酷いからそっちの批判がメインなのもわかるけど
そもそもの呉座の北村紗衣への鍵アカ内での悪口は小学生並に頭悪いよ。
罵倒の言葉が汚いのも酷いけど、鍵アカなのにアカウント名は本名でそのまま書き込んでたのはなんでよ。
あと北村紗衣から内容証明送られたガンリンとかいう人も、実質本名みたいなアカウントで悪口言ってたけどふたりともアラフォーとかそんなでしょ。
呉座が解職されようが訴えられようが、ぶっちゃけどうでもいい。
権威ある学者先生が、自らの差別的な発言を無効化しつつ、他人を一方的に殴っているのを問題視しているだけだ。
私自身は、呉座氏のツイートが問題になった時点からフォローしていましたから、ある程度は知っています。しかし、オープンレターに賛同するためには、賛同者は、「呉座氏が謝罪したこと」を知るだけで十分です。彼は「悪いこと」をしたことを自分で認めたのだから。— 植村恒一郎 (@charis1756) February 7, 2022
それで俺がさらに言いたかったのは1についての話にしてもさ、結局批判してる側は2〜4まで混ぜてくるから、俺はオープンレター擁護側なんだわ
そういうことは隠されて、まるで「被害者面」というのが、全部そういう人間であるかのように批判してるだろ
そんで、否定や批判が来ると、個別具体的な話に逃げ込んで、「お前はこれが正しいと思うのかぁ」みたいになる
話にならんよな
ども。110分6万円台の吉原S着高級でまんこ売ってる風の者なんだけど。お陰様で1月までは出勤を減らした関係もあって完売続きだったのに、流石にオミクロンの状況から完売は難しいということで実家に帰って長期休暇に入った。待機の時間があると気分が悪くなるから。その暇潰し。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1838463
風の人間にゴムつけろっていうのは簡単だけど、それは中々に難しい。増田はSWASHの人間というわけではないのだが、要さんの主張というのは現行の法規制を前提とする限りは明らかに正しい。「べき」論としてはよくわからない。事業として売春を認めるなら、性病検査は義務化してもいいのかなと思うので。で、本来これはスタッフであるらしいid:wuzukiなんかが書くべきと思うけど、なんか他人事でそのつもり無さそうだから自分で書くことにした。
最初に一つだけ指摘しておくと、現状の売春業者なりスカウトなりが売春合法化に賛成するかどうかは極めて怪しいと思う。それは箱にも新規参入を認めることになるだろうし、当局は次のターゲットとして職安法フル回転させてスカウト壊滅させることになると思うので、多分そんなロビイングみたいな真似しないんじゃないかと思った。単なる想像だけど。
で、増田は高校中退なので間違いがあったら訂正してね。内容は自信あるけど。
風の者にゴムを付けろという人々は、かんなみ新地が潰されたときは「いや〜潰れてスッキリですね、住みよい街になりそうです」みたいな感じだったんじゃないの。関西の新地はGフェラS着キスNGという粘膜接触ナッシングな皆様の理想郷なのに、そのときのブコメでは誰一人だって取り潰しに反対していなかったと記憶してるんだけど?
尼崎の女市長が潰すと言って女性票を集めて当選したので潰れることになったらしいけど、実際そこんとこどう考えてるんだろうね。「女の敵は女」というのが正解かどうかは分からないけど「売春婦の敵は普通の女」というのは間違いなくあると思う。
温泉むすめ騒動でも当初の問題について口を挟もうとは思わないけれども、「温泉街からコンパニオンが消えてみんながハッピーになった」という言説の登場には呆れた。「みんな」の中に温泉コンパニオンが含まれていないのは全く市民扱いされてないなと思う。
これは箱とデリでは箱の方が安全だし、新地はその最たるものなのに、法制度や現実の行政はデリやP活に誘導しているのと同じ現象がここにあると思う。本当は風の人間がどうなろうが知ったことではなくて、社会から存在が消えて(見えなくなって)ほしいという要求ってところが同じなのだ。
このブコメで安全性がどうとか言ってる奴も、保健所が数えた性病のカウントが上がることを嫌っているだけで、その先の風俗嬢がどうなるかなんて知ったことじゃないでしょ?
クラ淋は抗生物質飲むだけだし、梅も注射一本になった時代に何を言ってんだかね。性病の蔓延が全く問題ないとはいわないけれど、明らかに恐怖を煽って風の者を攻撃する材料に使ってるだろ。そういうのヘイトスピーチって言うんじゃないの?
で、前々から思ってるんだけど普通の女さんの特権階級ぶりって凄いよな。ちょっと怪我したくらいでフェミサイドでポストイットをペタペタとか一体どういうことなんだか意味分かんない。
大宮で風俗嬢が大量に焼け死んだときにそんな言葉どこからも聞かなかったんだけど。あれは風営法上の問題で建て替えが事実上不可能だからあんなオンボロビルで働かなきゃいけなかった結果なんだけど。風俗嬢が火事で焼け死ぬなり地震で壊れて下敷きになれば街が浄化されるだろうって考えの下に風営法があって、その結果として死人出したんだよ。これって国家によるジェノサイドそのものじゃない?未必の故意による虐殺でしょ。
あのとき誰もフェミサイドだなんて言わなかったよね。だから、まんこ売りにフェミニズムは百年早いってことで、別の主義主張が必要なのかなと思った。
はてな村では誰も知らない衝撃の事実なんだけど、ソープランドには保健所による立ち入り検査がある。この検査ってのが全くの無意味(遮蔽がどーたら水質がどーたら意味分からん)で、個室にゴム置いてあったら最悪の場合は営業停止になる。だから検査があると用意しているゴムは隠す。風呂屋は風呂屋なんだから売春は行われていないはずなのに、コンドーム置いてるのはおかしいよな?という理屈なんだけど、売防法的には全く正しいので反論のしようもない。
逆に、あくまで売春は行われていないのだから、保健所がセックスについて何かを指導することも出来ない。これが重要。
売防法を維持しながらコンドーム義務化というアクロバットをどうやって達成できるのか、誰か教えてくんない?売春なんてしていない自由恋愛のセックスなのに、その内容をどうやって規制できると考えるわけ?自由恋愛という建前がある限りGフェラか生フェラか、NSかS着かを法によって規制することはできない。スタッフすら命じることが出来ないので(命じたら管理売春だから)風の民の一人一人が経済的にどうとか健康的にどうとか考えながらゴムをどうするかについて選択しなければならんのは単なる現実。それが嫌なら売防法は改正しなきゃいけない。
売防法に文句つけたついでだから書いとくんだけど写メ日記に写り込んではいけないものが沢山あって(たとえばマット)、写り込んだものを見つけるとヘブンのパトロールが削除する。写メだけではなくて、そもそもマットとかイスとかチンコとか書いてもNGワードとして処理されるという中国のプーさん笑えないような規制があって、増田も部屋の中で撮ったなんでもない写メ日記を削除されたりする。これは削除しないようだとヘブンか店が摘発されることになるんで仕方なくやってる自主規制ね。
ネットでBBA学者いじめてる暇あるんだったら浅草警察に突撃した方がよっぽど表現の自由に資すると思うんだけど、何考えてんだか。どいつもこいつも全く使えないクズばかり。
売防法を改正して自由恋愛と売春のセックスを区分したとして、コンドームの着用を規制できるという考えもまた成立しない。たとえば、現行法でデリヘルではやってはいけないはずの本番行為をDC店はやってるんだけど、セックスはオープンに行うわけではないのだから規制・監視できていないので摘発なんてのは滅多にない。本番やったかやってないかを調べる方法なんかないし、店のスタッフがキャストにそういう指導したという証拠がなかったら摘発はできないから。逆に本デリが摘発されてるのはそういう証拠なり証言なりがあったということになる。というわけで、繰り返すけど滅多に摘発されないために成立してる。
で、今ですらNSってのは源氏名の前に☆が付いてるかどうかが違ったりするだけで、誰もゴムなしでセックスしろなんて命じてないって建前があるわけよね。今は客とのセックスを命じたら売防法に引っかかるんだけど、それをNSを命じることを禁止するようにラインを引き直したら何が変わるの?変わんなくね?
だからセックスの内容を法的には規制するってことはできないんだよ。増田はS着店にいるけど、客層が荒れるために店で禁止されている(もちろん明示的に禁止はしてないという建前だよ!売春してないからね!)NS営業をしている子は稀によくいる。うちの店の場合は義理風呂でスパイ入れて監視したりしてるらしいけど、それを法的に義務付けでもするわけ?使用済みコンドームを数える義務でも作る?部屋に監視カメラでも取り付けて客や嬢を処罰する?
するかどうかじゃなくて、できないんだよ。それを分かんなきゃ。だから法ではなく「掟」や「常識」で縛るしかないんだよ。新地がそうでしょ?
金持って来いっての。客としてS着店に行って、流行らせてやれば誰もNS店なんかじゃ働かないよ。Gフェラも自分から要求すればいいのに、なんでそうしないの?断らないよ。
とりあえず客になろうよ。そして、できれば良い客になろうよ。そうなってから他人に説教しようよ。
wuzukiはクソ客が風俗嬢最大の悩みだと書いてたけど、それは違うと思う。程度にもよるけど、本当に嫌なのは誰だって待機と茶なんだと思う。だからクソ客を受け入れるべきか悩むわけで。そしてスタッフもなるべくNGにしたがらない店があるわけでしょ?結局スタッフが客集められないからクソ客でも受け入れざるを得なくなってるわけで、そういう客に責任転嫁するところはスタッフやってますという人間としてどうなのよと思うわけでして。
そんで、ぶっちゃけ吉原ってNS店の増え方ヤバくない?もう半分くらいNSじゃないの?コロナ前から増えていたのは確かなんだけど、それが一段と加速してて怖いなと思う。大衆なんかでもやってて安売りが凄まじい。混合店もNSの子しか回転しないようで、厳しい時代だよね。私自身はS着で今の単価を下げることになったら引退するつもりだけど、どこまで下げずに済むのかな?と不安になってきた。
というわけで、四の五の言わずに来て頂いて、不安を解消するところから始めていただけませんか。そこんとこ、どうですか皆さん。
オープンレター問題は「人文学」という主語で語られがちだが、オープンレターの発起人の出身大学が非常に偏っていることが気になる。
現在残っている発起人のうち、「人文学者」と呼べそうな大学教員、研究者をピックアップして、その出身大学を記すと、以下のようになる。
清水晶子氏→東京大学/ウェールズ大学卒、ウェールズ大学大学院修了
※上記はresearchmapおよびWikipediaを参照して作成している。
小宮氏、三木氏、山口氏を除いて、全員が東京大学の学部か院を出ている。
このような偏りは、東京大学が最も偏差値の高い日本の大学であるからして、東京大学出身の研究者の母数が多い、という話では説明できない。
多いと言ったって、東大は1つ、その他に研究者を輩出してきた大学は20や30はある。40や50くらいあるかもしれない。これらの大学出身者がほとんど含まれないのは、多様性やグローバル化を率先して推進してきた人々のコミュニティの形態としては極めて不自然である。
オープンレター発起人の中には、グローバルな視野を強調する研究者もいるが、オープンレター発起人のメンバーからは、そのようなグローバルさは感じられないし、むしろ内輪の狭いコミュニティですべてがまわっている印象を受けざるをえない。
(ちなみに、オープンレターに名前の挙がっている呉座勇一氏も東京大学出身であり、この度の騒動の中心人物はみな東京大学関係者だったりする。)
東京大学出身の研究者がやや特別な地位にあることは、特に根拠を示す必要を感じないので示さないが、人文学系学界では周知のことと言える。
東京大学は、「植民地」と呼ばれる非常勤先や就職先を多数確保しており、東大出身者を、研究能力とは別の力学で、優先してそこに就職させてきた。
(京都大学も当然同様の要素があるが、やっぱり「強い」のは東大だ。ただ、この強弱は分野によって違うかもしれない。)
そして、そのような天下りともいえるポストをゲットしても、それを天下り、既得権益、つまり特権とは思わず、私は東大出身で優秀だからポストを獲得できたんだ、という思考回路に陥る大学教員がたくさんいるのである。彼らの中には、東大が最も優れた大学であり、東大以外の大学出身者は「東大に入れなかった人である」、と信じている者もまれではない。そして、自分たちは偉いと信じている。このことはまったく証明する必要を感じない、周知の事実である。
東京大学出身の研究者は多く、当然のことながら、非常に尊敬できる、素晴らしい人格を持った大学教員はもちろんたくさんいる。
しかし、このような素晴らしい人格をもった東大出身の大学教員は、上記のような現状を決して否定しないであろう。
このような現状は、女性差別的なアカデミズムの慣例と同じくらい、負の影響をアカデミズムにもたらしている、このことも周知の事実だろう。
しかし、このような、誰の目にも明らかな問題構造については、誰も批判しないし、できないのである。
オープンレターが掲げた志は理解できるが、東大集団にいわれてもシラける、というのがオープンレターを読んだ初見の感想だ。
理系の状況はわからないが、おそらく似たような構造があるのではないだろうか。
つまり、オープンレターで明らかになった大学教員の醜態は、人文学者の醜態というより、東大をめぐるアカデミズムの権威主義という、文理問わず共通の、醜い醜い構造があらわになったものなのではないだろうか。
人文学ではなく、東京大学をめぐる力学を、ほかならぬ東大出身者が自省して自浄してほしい。
他大学出身者は、それこそハラスメントや今後の不利益を考慮すると、それを成すのにあなたたちの100倍勇気が必要なのだから。
訊かれたことに答えられないし本当に頭が悪いんだな。情報を整理して事実を識別する能力がない。
頭が悪い人でもわかるようにストレートに書きます。「発起人が嘘だった」というのは嘘です。あなたは嘘つきです。
2021年4月4日付のオープンレターでは、最初期の賛同者という意味合いで小木田氏の名前があります。これは現在も変わっていません。
https://sites.google.com/view/againstm/home
一方で、約10ヶ月後、2022年1月31日付で公開された「お知らせ」ページには、小木田氏の名前はありません。(オープンレターのページからリンクできます)これは、お知らせページを出す際に単に連絡がつかなかったとか、小木田氏はいたずら署名された古谷氏と出版社つながりで関わりがあるなどの事情で名前を載せたくなかったとか、10ヶ月前は初期賛同者として参画していたけれど、10ヶ月も経過してもうオープンレター運営には関わっていないので名前を載せなかったとか、10ヶ月前は賛同していたけど今回のお知らせを機にオプトアウトしたとか、いくらでも理由は考えられる訳です。
また理由の如何にせよ、小木田氏がオープンレターに賛同していたことに変わりはありません。これはオープンレターに批判的な我那覇氏が確認しています。
従って、「発起人が嘘だった」というのは嘘です。あなたは嘘つきです。
被害者の存在と女性差別撤廃という看板を否定できないけど、オープンレターが気にくわないから、何とかしてケチつけてやろうとしてる。
個人を十何回も出したとか、意思もない人の名前が呼びかけ人や賛同者のリストに混じってたとか、賛同者の側に暴言を吐く人物がいるとか、どうでもいい揚げ足で勝利宣言してるからね。
被害者の存在と女性差別撤廃を否定している人なんていないだろ。
被害者であると同時に加害者であるのに被害者であること一点で押し切ろうとする素振りとか、
いや、白饅頭に対する正面からの反論が難しいからこそ、彼とは一緒に仕事するなとか、なぜ発言の場を与えてるのかとか、メルマガかなんかを読むなって圧力をかけて回ってるのと違う?
でも、正直どっちもどっちだよね。
被害者の存在と女性差別撤廃という看板を否定できないけど、オープンレターが気にくわないから、何とかしてケチつけてやろうとしてる。
個人名を十何回も出したとか、意思もない人の名前が呼びかけ人や賛同者のリストに混じってたとか、賛同者の側に暴言を吐く人物がいるとか、どうでもいい揚げ足で勝利宣言してるからね。
オープンレターの瑕疵について批判の声が上がったわけなんだけど
それに対して「瑕疵に付け込んでsaebou先生の」という様な個人の被害者性を前面に出した防御や逸らしって
オープンレターへの批判を、その「間違っている事」だと印象付けるような話をして
全部が全部をsaebou先生の被害者性で回収するの、なんか違わね?
誰も彼もが「saebou先生は実際に被害にあってるんだ」という話を大声でして、オープンレターの瑕疵を「付け込んで」のように小声で話す
宮沢章夫『NHKニッポン戦後サブカルチャー史』(NHK出版)を筆頭に、ピテカンの誕生は1982年3月と
言われているのだけれど、磯部涼氏がcakesで連載していた『日本語ラップ史』にはそう書いていなかった。
例えば、2017年6月16日に投稿された「中西俊夫はNYでアフリカ・バンバータを聴いた〜ピテカン誕生前夜」では、
と書いてある。で、どっちが正しいんだろう、と思った。
このときは、cakesの無料部分しか読んでおらず、ちゃんと読めばわかるかな? と思って有料会員に登録し、
すると2017年5月26日の記事、「戦後、原宿の変遷〜セントラル・アパート、竹の子族、ピテカン」では、
となっている。ん? やっぱり3月? と思ったが、
2017年6月9日の記事、「映画『ワイルドスタイル』と原宿「ピテカントロプス」の交接点」では、
と書かれていた。これはタイプミスなのかもしれないが、それにしても、と思う。なにしろ
「「日本語ラップの歴史」をはじめてひもとく」連載なのである。磯部涼氏も2017年5月11日のツイッターで
と述べている。そういう場所にあって、ヒップホップだけではなく、アートや演劇、80年代の
ロック等とも関わりの深いピテカンの開業日すらぶれている、て、どうなんだろう。
どうなんだろう、と思ったので、その旨を先月(2022年1月)ツイートした。そうしたら、なんと、
連載の記事がほとんど消えてしまった。2017年の連載以来、ずっとインターネットに漂っていた
磯部涼『日本語ラップ史』から、上記にあげた「中西俊夫は〜」も「戦後、原宿の変遷〜」も
「映画『ワイルド〜」も全部、きれいに「記事が存在しません」になった。
私のツイートは全然バズったわけではない。0いいね、0リツイートだ(普段からそんな感じ。な、なによ!)。
だから関連があるかはわからない。偶然、cakesのサイトに異常が生じたのかもしれない。スクショとか魚拓もない。
だから上に書いてある内容も、実際そう書いてあったか保証はできない(なにしろ記事が全部消えてしまったので)。
記事の無料範囲のキャッシュがグーグルに残っていて、6月16日に「12月20日」と書いてあるのは読めたけれど。
私は別に、これが悪いことだとは思わない。記事の内容がちがっていることも、インターネットに