タイトルで落ちてるのであまり語ることもないが、自分はこのたとえが一番しっくりくる。
従来の(リアル)ユーチューバーや、地下アイドル、アイドル声優などと本質が変わらないという指摘は最もだと思う。
自分はバーチャルユーチューバーがものすごく新しい、次世代のアイドル像とは思わない。
取りざたされるのは中の人の「素」が見える場面であることが多く、持ち上げられ方は既視感にまみれている。
でもやっぱり決定的に違う部分があって、それがこの着ぐるみ性なんだと思う。
ディズニーに行って、ミッキーの対応の良さにいたく感動したとする。
感動した対応の一つ一つは中の人が主体的に起こしたことだけれど、だから中の人のファンになろうとは(多くの人は)ならない。
よって、中の人がプライベートではミッキーらしからぬ生活をしている、裏切られた!とも多分ならない。
一方で、園内にいるときにちょっと暑いから頭を外そう、というのはご法度だ。
多くの人は中の人なんてどうでも良くて、その"キャラの"素の部分を見たがっている。
それはキャラクターの設計上、たまたま、中の人の素の部分と一致しているだけで、本当は中の人なんてどうでもいいのではないか。
もちろん中の人まで気になる人も少数いて、何人かのバーチャルユーチューバーは中の人が割れてしまっているが、
案外、ツイッターのフォロワー数などはやってるキャラクターに比べて全然伸びていない。
自分はアイドルの業界は詳しくないから断言はできないが、実は本来そうなんじゃないか。