はてなキーワード: らするとは
とりあえず心臓マッサージの交代として上がってた女性達への攻撃を一部を貼っとく、脳卒中には心臓マッサージが必要ないのにやっていた等、心臓マッサージをしていた女性達へのバッシングまであった。頭がくらくらする。
土俵まで入り込んで野次馬しにきた女達。何の役にもたってない。あれだけ人数いるのだか、人が増えるほど作業がしにくくなると何故わからないのだろうか?
事件が起きて、土俵に上がれるから興味本意で登ってきたようなもの。
女の人たちもっと賢くならないと。
何故に野次馬女2名を削除してんの?
それで、人命救助してる看護師の女性2名だけの映像写して性差別?
ヾノ・ω・`)イヤイヤ
マスコミ……怖いな……
こうして洗脳が始まるんやろうな……
相撲のアナウンスのやつ、タイミングが明らかに後から来た野次馬女が上がった直後なんだけど。
あの女の人二人組が土俵に上がって何もしないでうろちょろうろちょろしてただの野次馬に見えたからアナウンスでそう言ったんじゃないですか
#大相撲
言い方にもよるけど、心臓マッサージした女性1人やん。野次馬の女多すぎじゃない??笑
ただつったてる女達にいってるんじゃないの?そいつらはおりろよ(笑)
野次馬女が何か手伝いしたんですか?
立ってただけですよね?
それとも土俵から降りろっていうのは女性差別って言いたいだけなんですか?
ちゃんと調べたほうがいいですよ
野次馬女については何も触れないんですね
舞鶴市長が倒れた時のアナウンスの件、問題のアナウンス直前にふわふわ〜って土俵に上がってきた謎の女2人に言ったんじゃね?とも取れる。
まあそれでもアナウンスは言葉選び間違ってる。とっさに出た言葉かな?
どうでもいいけど。
正直、相撲アナウンス問題は「医療関係者以外の方は降りてください」って言えば良かったのにな。最初に上がってた女の方は知識ある方だと思うが
後から上がった2人組の人は野次馬みたいな感じだったし邪魔なだけだろって勝手に思ってる。アナウンスの人は先走ってしまったんだな
勘違いされてる方も多いですが
土俵から降りてとは心臓マッサージしてる女性の後で来た野次馬女二人に言ったものですよ
テレビの映像しか見てないけど心臓マッサージしてる人には行事さん降りろって言ってなくない?あとから来た女の人二人に言ってるよね?すでに処置しはじめてたんだから、その二人には言って間違いではなくない?どんな人かはわからない訳だし。それこそ野次馬みたいのが続いて上がってきたらやばいよ
わたしの一挙手一投足が誰かに不快感与えてないか心配で、わたしの書いたものがあまりに不快でジャンルの人たちに嫌われてやしないか心配で……。気になりすぎてツイッターの2次創作用に作った公開のアカウント、鍵掛けたり外したりしてしまう。ただの被害妄想と自己否定ってことは分かってるけどやめられない。
無言=否定と受け取ってしまう。わたし個人的には嬉しい?というかマシ?なのは「好かれる>嫌われる>いてもいなくても同じ」という感じ。好かれたら嬉しいけど、好かれないなら嫌われたい。いっそあなたの書くものが不快ですって言ってきてほしい。いてもいなくても同じ空気より、マシ。たとえマイナスの感情でも誰かには見てもらえたんだからそれでいいや……って、思えちゃう。
反対に、全然知らない人からいいねをもらえたらするとすごく嬉しくなる。相互さんだから……フォローしてるから……で見てあげてるんじゃない、検索やタグからわたしを見つけて、何かしら反応をしたいと思ってくれたのかな……と舞い上がる。
誰にも見てもらえなくてもわたしが気に入ってるから良し!って言える人はすごい。わたしは一時的にできても、後々寝る前とかに自己嫌悪とかがぶわーっと来て消したくなる。これ治せるものなのかなあ……。
嬉しいも悲しいも一定の基準値内では変動するけど、大喜びしたり、その大喜びした反動でドン底気分になることもない。今日はすこぶる体調が良くてバリバリ仕事/勉強が捗る!なこともないけど体調不良でゲロゲロしたり些細な頭痛に悩まされることもない。極論、無機物が羨ましいに落ち着いてしまう。
昨日は結局朝起きれず迷惑かけた。自分が悪いのになんか、いろいろ、自分が子供っぽすぎてつくづく嫌気が差す。いつまでも成長できない周回遅れだと思う。
自己肯定感増長して毎日ある程度幸せになれる薬が欲しい。世間ではそういうのは危ない薬になるんですけどね。幸せ錠剤とか欲しいね。
元々あまりきつくない方だったが、歳なのか最初の2~3日はだるくて少し無理すると具合を崩すようになった。
だから、もう切り替えてその3日間は自分に楽させることにした。
仕事はどうしてもすぐやらなきゃいけないもの以外は「いつもの半分くらいのペースでいいや」という事にしてリラックスしながら作業。周期は把握してるのでその前後に倍頑張る。
大体キツい時にフルパワーでやろうとしてもかえってミスが増えるので、全体で見るとこっちの方が仕事が進む。
家でも、その3日間は家事も全部放り投げてだらだらする。一人暮らしなのでしわ寄せは全部自分に来るけどそこは未来の自分に期待。
食事もおかゆとかでササッと済ます。私は甘いものや油っこいものもキツくなるので。おかゆと味噌汁、美味いし最強。
寝たくなったら寝る。ただ、お腹の調子が悪くて眠れない日も多いのでそんな時は気になってた本を読んだりする。
普段心がけてる運動もしない。元来インドア派の自分を甘やかす。
前は「月に3日もキツい日があるなんて損してる気がする」と思ってたけど、徹底的に自分を甘やかす、と思えばかえって楽しみになってきた。家事やんなくていいし、さっさと寝られるし、気になってた本とか読めるし。だらだらアニメ見たり。
一人は楽でいい死にたくなるけど死ぬ意味もないから一人なら死ななくて済むと思いませんか?私にとって死は復讐の手段でそれは多分自分が愛されているはずという傲慢な思い込みの上に成り立った醜い子供の妄想をここまで持ち続けてしまった私・という存在、自体が悲劇、という劇中劇の様相を呈し、らせん状に渦巻いてどこまででも降りていくような感触がします。
とはいえ、私は今日もみっともなく生きていて私と死んだ人たちとの違いは何か?というと私は死んだ人たち・死にたい人たちのことをすべからく軽蔑していて、憎くてしかたないような気すらする日があるというのが正直なところです。
死んだ人の方が死にたい人の方よりはずっとましです。声も上げず死んだ人はなおいいですが、狼少年が如くじわりじわりと死にじゃれつき近づき気が付いたら後戻りできぬほど脚を絡め取られていたような死に方はみっともなくてたまらないように思えます。
なおわるいのは生に抱かれすがりつきながら死の方を胡乱に見やる自分、その自分を見て欲しくてしょうがない人々、そういうものです。精神的に辛かろうが何だろうが知ったことはないです。この世に精神的に辛くないということがあるでしょうか。至福の夢の中ですら頭にひっそり醒めた光が差してしまうこと以上にふしあわせなことなどあるでしょうか。みんな自分が肝要と、思っておきさえすれば傷つかないのに、どこかでふっとこの人はおのれよりわたしを優先してはくれまいか?と期待する、それがために精神が辛いという例の膠着状態に陥るのです。
ああ私はお医者様になればよかったなあ!
ひとの外側はなおったなおらぬがわかりやすくて良いです。傷だらけの人間にこそ価値があるようなことが一目でわかる。
死ねばそれまでと認めて終えばいいのに、たましいの話何ぞ始めるからややこしくなってしまうのです。「でも・たましいには・価値がある」というような話は無意味です。たましいなど。
たましいにあいた穴を誰が塞げましょう。よしんば、穴の有無など誰が見分けられましょう。さらに言えば、相手が本当にたましいを持っているのか、如何やって判別しましょう。馬鹿げています。
私たちみんな、「みんながたましいをもっているといいなあ」という稚児のふやけた妄想の中を生きているようです。たましいがあるからこの世は苦しいと、この子はまだ知らない。教えてやらなくてはなるまいよ、と私は思います。
とうとう森友で死人が出たか。
俺は一般的に言われるところの官僚って立場だけど、これはマジで恐ろしい。
俺達は国を守る為に全力で働いてる。
けれど、国は俺達を守ってなどくれない。
働いたことない人は全然わかんないだろうけど、官僚のエネルギーはすごい。思いは人によって様々だけど、共通しているのは、国を善くしたいって思い。
けれど、その思いは片思いで、俺達は平気で切られる。
それでも、国を善くしたい一心で、民間も真っ青な底無しブラックな環境を楽しんでいる。
誤解のないように言うが、俺達は決して国を盲信しているわけじゃない。
国の政策が全て正しいことなんてありえないし、間違っていることに対しては間違っていると言わなければならない。
政治家と官僚の関係には、極端なパワーバランスがあるけれど、だとしても様々な手を使って政治家を説得し、懐柔し、国を善くしていくのよ。
ただ、官邸主導が悪いとは思わない。あくまで国を決めるのは、国民の代表である政治家だと思っている。政治家の思いは国民の思い。そうやって我が国の主権は成立している。
実際、省益がぶつかり合って、どちらの意見も正しい時には、政治家が決定するプロセスが大事だったりする。突破口にもなる。
官邸主導は行き過ぎた。
上の人間は上ばかり見ている。
安倍さんが国を悪くしている、とも思わない。中にいると、官邸主導でトップダウンで物事が進んでいく勢いというか、国が変わるのが見えて、わくわくすらする。
でも、官僚は守られなくなった。
挑戦できなくなった。
思いきれなくなった。
森友で死んだ彼は、最後まで国を善くしようと戦っていたんだろうな。
誰にも守られなかったけれど。
追記 3/10 16:45
稚拙な文章で申し訳ない。増田の落書きを読んでいただき、厳しい御意見もいただき感謝。
イメージしている「国」は、官邸とか政府というより、国民総体を指している。国民主権ですので。ただ、国民の中にも様々な集団がいて、各省庁のバックには、見ている領域に近い、色々な利益団体がいる。それが省益。なんじゃこりゃ?と思う縦割りも多々あるが…
天下りできるなんて思って働いている中堅、若手はいないんじゃなかろうか。若者が年金なんかもらえないだろと思って納めているのと一緒。官僚にも世代間格差があるのです。
あと、勘違いされているが、法を守るのは当然、俺はこの件について非常に憤りを感じている。
追記 3/11 18:00
http://lite.blogos.com/article/282954/
ここまで反響があると思っていなかった。まだまだ世間から見たら官僚=悪で、確かに悪さをする人達もいるのだろうけれど、官僚虐めをしても、変わるべき人達は何も変わらない構造がある。
国を善くする主体が必ずしも官僚でなくてもいいので、憎みあわずに同じ方向を目指せたらと思う。これは別に甘い考え方だとは思わない。
つらつら書いてたら凄く長くなったので時間のある人よければ。私のクズっぷりにイラつくかもしれません。
クソつまらん理由というのは、部活のとある仕事をマジで絶対クソほどやりたくなかったから。以上。ちなみにこの仕事は私が高二の時に廃止になった。ちょっと笑った。
その頃の私は毎日活動のある部活に所属していて、学校に行く=部活に行くだと思っていた。部活のアレをしたくない→部活に行きたくない→学校に行きたくない。我ながら酷いダメ人間だと思う。
母は学校に行かないことにちょっと、いや本当はかなり反対していたのかもしれないが、「もう義務教育じゃないからね」と目を瞑ってくれていた。その代わり引きこもる間は私が家事をしていた。と、言っても洗濯と皿洗いと肉屋のタイムセールに行くくらい。かなり優しく甘い。でも部活が嫌すぎて精神が弱っていた私は否定されなくて安心した。本当にいいお母さんだと思う。
父は良くも悪くも寡黙な人で、私が学校を休んでいて暫く言わなかった。逆にドキドキしてたが、母には「あいつは学校に行かんのか」と相談していたらしい。わたしにも「高校なんて行かなくてもいい。大学で何をどのくらい勉強するかが大事」と言ってくれた。マジで優しい。大学生一年目に全然勉強してなかったら怒られた。二年目は頑張るよ。
最初一週間は風邪なことにしていた。症状が酷いことにして友達からのLINEもみなかったし返さなかった。見放さないでくれた友達全員が聖人過ぎる。きっとこの人たちは長生きするし良いことがある。
一月下旬、部活の仲良しグループのLINE通知を見て思わず既読をつけた。
「今から〇〇の家行くわ」
部活終わりの18:30過ぎの通知。見たのは19:15。お風呂で見た。学校から家までは大体1時間。私は大慌てで髪やら体やらを洗って風呂を出てまたグループを見た。
「マジでいってる?」
1ヶ月弱ぶりの返事に既読は即ついた。四人グループだから既読3。驚いた。
「ちょっと迷ったけどもうすぐ着く」
三人は本当に来た。お風呂上がりで髪の毛も濡れてるし死のうと思ってドアを開ける。学校来いとか部活こいとか言うだろうか。何を言いに来たんだ、どうしてきたんだ。
「あ、なんか思ってたより元気そうでよかった」
三人はそう言って笑って私に次に出る公演のチケットを渡すだけ渡して帰ろうとした。私はとりあえず三人にチョコパイを渡して、慌てて外に出れる格好に着替えて最寄り駅まで送った。
駅までの道で「死んでるかと思ってたー」「なんかこれ青春っぽいね」「お腹すいた」みたいな話をした。私はあーとかうんとか言うばかりだった。混乱してたし。
別れ際に一人が言った。
来たくなったらでいい、来れそうならでいい、とか続けてて私はちょっと笑った。この人たちは今でも仲が良い。本当にいい人達だ。誰も彼氏はいないけど。
でも私は行かなかった。本当バカ。行けよ。
二月。バレンタインの季節だなんて思ってたら担任から二者面談のお誘いが来た。外に出たくないわけではなく、部活に行きたくない、授業に行きたくない、学校の人に会いたくないだけだったので行った。家庭科の先生だったから家庭科室で面談した。
「やっぱり、部活のせい?」
私のいた部活は辞める生徒も毎年何人かいて、まあ厳しい部活だと思われていたのだろう。私は部活が厳しいから辞めるわけじゃないし、そこまでヘタレじゃないし。と謎の意地を張って(しなきゃいけないことがしたくない、つまり部活のせいで学校に来てないわけだけど)「違います」と言った。で、まぁぼんやり考えていたことを担任に言った。転校しようかなと思ってるとか、高卒認定試験受けようかなとか、学校にいく意味がわからなくなったとか。担任もまた良い人で、無理に来いとは言わなかった。「二年生として転校したいなら協力はするから、三学期末テストだけは受けて欲しい」とか「合唱コンの練習を頑張ってるから見に来て欲しい」とか言われた。私は三学期末テストを受けて合唱コンを見にいくことを決めた。
ちなみにこっそり見に行った筈の合唱コンなのにクラス全員に私が行ったことはバレていた。
Twitterの裏垢というのがある。仲良い友達同士だけでフォローし合う身内アカウントだ。そこで「三学期末テスト、受けるだけ受けようと思う」みたいなツイートをした。
クラスの仲良い子から電話が来てびっくりして出た。聖人二人組だった。
「一緒にテスト勉強をしよう」「いつもしてた(定期テスト前はグループ通話をしながら勉強した)みたいにしよう」「範囲は全部教える」私は受けさえすればよかっただけのテストを勉強しはじめた。
テスト一週間前くらいから聖人コンビはほぼ毎晩電話をかけてくれた。内容はほぼ雑談で何を話したかあんまり覚えていない。「一回学校来てみて」「一回きたらするっと復活できるよ」と言われたのは覚えてる。でも学校に関すること本当それだけ。嘘、合唱コンの結果も聞いた。一年生ではトップだった。
その日の朝は死ぬほど嫌で嫌で嫌で嫌で死にたかった。ヒソヒソ話されたら死ぬ。でももうあと3.4日でこの学校とはおさらばだ…四月から二年生として生きるために耐えるしかない…。
そう思っていたけど周りは普通だった。普通にインフル明けの人みたいに接してくれた。元気?とか遅刻してないねとか、覚えてないけど超普通でなんというか拍子抜けした。
次の日もその次の日もテスト最終日まで私は遅刻せずテストを受けたし赤点はなかった。なんなら数学は普通に点数良かった。
テスト最終日、数日後のレクリエーションの球技大会の競技決めをした。私も普通に頭数に入っていたし、私含めた八人グループみんなでドッヂボールにした。学校行ってこの人たちとドッヂボールしてからやめても良いか。
球技大会まで学校に行っててふと気づいた。別に普通だ。学校行って虐められるわけじゃないし普通に楽しいし、多少先輩がいるかもとか気を使うけど超普通。え?じゃあ学校行けば良くね?
学校は辞めなかった。転校もしなかった。
でも部活はやめた。でも家に来てくれた三人は変わらず仲良くしてくれた。
特に盛り上がるところは無かったが私が高校を辞めそうだった時の話はおわり。
話の構成下手ですまん。
とにかく両親と担任、友人五人に支えられて、この人たちのおかげで私は高校二年生になれた。
もちろん高校の人がみんないい人で私を指差して笑う人がいなかった(いたかもしれないけど私は知らない)から二年三年と辞めずに済んだ。
特に友達五人には感謝しても仕切れないしなんていうか意味がわからない。
出会って一年ない他人にここまで尽くせるか? 家まで行ったりテスト範囲教えて一緒に勉強したり、普通に学校戻っても仲良くしてくれたり。
私は高校三年間でたくさんの人にお世話になった。ここであげたのは八人だけど、私はこの八人なら誰の連帯保証人にでもなれる。
(追記)
映画見終わったら上の方にあってびっくりした。読んでくれた人本当にありがとう。
私がいいやつだったかは自分ではわからないけど、本当に周りに恵まれて愛されて育ったんだなって思います。あと連帯保証人はやめます。私の自慢の友達に限ってそんなことはないと思うけどね。
誰かを助けられるような人になるよ、ありがとう。
クレームっていうか、何かを見たり聞いたりされたりして不愉快な気持ちになる人の数って今も昔も変わらないと思うんだけど
(もちろん人口の推移はあるし、昔の方が今で言うところの『配慮』なんてものはなかったわけだから、むしろ昔の方が割合としては多かったのではないかという気すらする)
それなのに現代がクレーム社会になってるのは、配慮の足りない奴が増えたわけでも、気にしすぎな奴が増えたわけでもなく、クレーム入れることを実行に移す奴が増えただけなんだよな
昔は直接怒鳴り込みに行くか(あって電話)、そうでなければ誰かに愚痴り倒すか、泣き寝入りするかくらいしか選択肢がなかったけど、
今はネットで気軽に素性隠してクレーム入れられるようになっちゃったからなぁ
昔のクレーマーは顔なり電話番号なり自分の素性を晒すというある種の対価を払ってたわけだから、まだ正々堂々としてるだけマシに思えてきた