はてなキーワード: そよ風とは
横断歩道、ホームから見る線路、エレベーターの扉の先、道路の真ん中、車道の先
私は、それを死が香る場所と言っている
何故なら、時間という位相がずれた隣の「空間」には、死があるからだ
そこにいれば、人間には確実に死が待っている
私が死んでいないのは、その時にそこに居なかったからに過ぎない
5秒前にそこにいれば、私はこの世界に居なかった
5秒後にそこにいれば、私はこの世界に居なくなる
たったそれだけの違いが、私をあっけなく(この世|枠組み)から追放する
じっと、じっと、永くじっと、ひたすらその香りを、漂い移ろうそれを眺め続ける
そして、ふと考える、思い浮かべる
そこにいなかったのは、偶然に過ぎない
私の頭の中の一個の神経細胞が、一個の軸索が、一個の伝達物質が、一筋の電流が、発火が、発作が、偶然が
そよ風一つで揺らぐような偶然が、私の(死と生|死/渡世)を分けたに過ぎない
現在は営業時間は短縮し、サウナやマッサージなどは閉まっているけど、入浴は問題なくできる
行政の言うサウナはダメだけど銭湯はOKというのはそういう意味じゃないような気がするけれども、まあ都内じゃないからなんでもいいんだろう
一番風呂を目指す爺さん需要を回避して10:00過ぎの到着を目指した
決して起きられなかったわけではない
一番空いていそうな時間を狙ったのだ
決して起きられなかったわけではない
もっとガラガラかと思ったけれど、空いているなりに人入りはあった
いくつかある湯船に、必ず誰か一人はいるくらい
平日の午前中から暇な奴らめ
ジェットやら電気やら、薬草とか炭酸とか、ありがちな湯はひと通りあった
別府から湯を運んできてるとか正気の沙汰とは思えない湯まである
「硫化硫黄泉」という意味のわからない文字列が目についたが、見なかったことにした
このスーパー銭湯の優れている点をひとつ挙げるとすれば、露天風呂が充実していることだ
先ほどの別府の湯を含む4つの湯が屋外に設置されていて、それぞれ十分に広い
都市部で、さほど大規模でない、600円程度で入れる店舗で、これだけの露天風呂を用意しているところはそう多くない
景色こそ臨めないものの、空は大きく開かれていて、開放感がある
昼間っから何をやっているんだ
その後は軽くのぼせ気味になりながら、更衣室でグリーンダカラと麦茶を飲む
食堂もあり、時間柄それなりににぎわっていたけれども、今回は立ち寄らずに帰った
とても良かった
なんかみんながみんな私の所に「あの件」はと言ってくるけど、
みんなにとってのあの件かも知れないけど、
私にとってはもうちょっとヒントででもくれないかなと思いつつ。
あなたのあの件はあれね?のクイズと正解とのクイズ形式で午前中が終わってしまうから、
せめてもの何か具体的なことを言ってちょうだいって思っちゃうわ。
あと正解したらダブルアップチャンスもゲットさせて欲しい!
って本当は良くないけど、
まさに1人の人にあの件と言われてもどの件?ってなるから
そんな午前中もうお昼前だというのに、
自分のことすらもできないじゃない。
自分のやりたいこと、
やらなくちゃいけないこと、
お願いされてること、などなど
いっぱいあるけど、
そりゃ一番自分のやりたいことから仕事を片付けちゃいたい所だけど、
あとで嫌いなもの残していても
重い腰が重いので、
嫌なこと先にやりたいじゃない。
だからなおのさら具体的な感じであの件と拳を突き上げて申して欲しいのよね。
それが私の少なくともお願いしたいお星様へのお願いだわ。
あなたの使ってるモバイルルーターの見たことない画面の設定の仕方が分からないと私に言われても
私も知らないし、
だからいつも言いたいのよ、
それを言っちゃ終わりだよと啖呵を切りたいけど、
私は優しく
ググって調べて下さいねって言って追い返すの。
場所が近いからってすぐここに来ないで社内IT関連に詳しい部署かセクションか担当の人のところに行ってちょうだいと思いつつ、
またいつものような感じで何をしていたか分からないような流れの午前が終わってしまって、
私の機嫌は斜めだけど、
ご機嫌ななめをまっすぐになる美味しいランチでも食べに行くわ。
今日はそんな日ね!
うふふ。
ベーコンエッグトマトサンドのエッグが目玉焼きだったのでテンションが上がって美味しかったわ!
私一番美味しい顔して食べる自信あるわ!
なんか涼しくなってきてるけど、
微妙に湿度があってなんだか高原のそよ風の霧ヶ峰とは随分違う感じで
今シーズン初めてかな?と思うホッツ梅ウォーラーにしてみちゃったりして、
うーん味は良い塩梅だ!なんだ塩は入ってないけど、
違いの分かる感じで唸ってみたわ。
でもちょっとまだホッツは熱いかななんちゃってと言ったところよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
真面目かよ。そよ風が梢を揺らして鳴った葉擦れの音だとでも思えよ。
半分青いの珍しかったところとして主人公が「そよ風ファン」という実在する扇風機の開発者になる点がある。
NHK朝ドラでは「実在する人物」の人生をモデルにして今まで何作もドラマが作られてきたが、そうではなく、実在する作品や商品に対して「これはドラマの登場人物たちが作りました」と言ってるのは、今までも多少はあったが、ここまであからさまなのは半分青いが初めてではないかと思う。「そよ風ファン」を作ったスズメだけでなく、くらもちふさこ作品の作者になってる秋風羽織もそうだ。
これらが許容されるのならば、もっと突っ切って「iPhoneを作ったスズメ、Googleを作った律、ワンピースを描いた秋風羽織」なんて設定にしてほしかった。
いや、NHKには今後の朝ドラを作るにあたっては、ぜひともiPhoneを作ったのは日本人の女性として、脚本を書かせてほしい。
さすがにGoogleを作るみたいな壮大な朝ドラヒロインは書けないかもしれないが、東日本大震災と絡めて「LINEを作った朝ドラヒロイン」なら現実味がありそうだ。
仙台で暮らす主人公、震災で電話が通じなかった、そうだネットを使おう!LINE作ったよ!さすがヒロイン!みたいな朝ドラにがっつりハマる脚本になる。
残念ながら、この世の中には優秀な医者とそうでない医者がいる。
では、その違いは何なのだろう?
ちなみに出身大学ともあまり関係はないと思っている。東大や京大を出ようとアホな医師はアホであり、カネを積めば入れると言われている私立を出ても優秀な医師は優秀だ。
実は、医師が遭遇する多くの場面において両者にそう大きな違いはない。
診断・治療に対する各種ガイドライン等が(内容の是非はともかくとして)かなり整備されてきており、医療機器の進歩も相まって、大抵の場面においてどんな医者が診察・検査・治療を行っても結果に大きな違いが生じない状況がかなりできあがってきている。
ただ、残念ながらあくまで多くの場面においてであり、すべての場面で違いが出ないわけではない。
むしろ、多くの場面で違いが出ない分、違いが出る場面では如実に優秀さの違いが結果に表れる。
重症患者の管理や急変時の対応、難しい症例における診断能力、年末年始など繁忙期の救急外来の待ち時間などなど、決して頻繁に遭遇するわけではないが避けては通れない状況においては優秀さがその結果にコミットする。
当たり前と言えば当たり前の話だが、うまくいっている時は誰がやってもうまくいくが、うまくいっていないときは優秀なやつがやらないと最終的にうまくいかない。もちろん優秀なやつががんばってもうまくいかないことも多々あるが。
一見したところ合理的な制度に見える複数主治医制がイマイチ広まらないのもここに理由がある。
”あなたの主治医は女性が交代でやりますがいいですか?~東京医大女子減点問題が迫る「患者改革」”
という記事がはてブで大いに叩かれているが、内容の是非は置いておいて、ブクマのコメントを読むと多くのはてなユーザーは複数主治医制に賛成らしい。
だが、実際に自分が患者もしくはその家族になったときに、諸手を挙げて賛成してもらえるかは甚だ疑問だ。
もちろん、診断や治療がうまくいっている時はいい。別に誰が担当しようとほぼ変わりない。
問題はうまくいっていない時だ。
ひどくざっくりした例えで申し訳ないが、ほぼ同じ経験年数の優秀な医師A、普通の医師B、アホな医師Cという3人で患者の主治医をしていて、担当医は研修医で基本的に指示したことしかできない、指導医は外来で忙しくて基本的に入院患者は任せっきりという状況を考えてみる。
担当患者の一人が急変して集中治療室に入室して厳密な管理が必要になったため、当直帯や休日も3人の主治医のうち誰かが交代で病院に常駐して対応することになったとしよう。
優秀なA医師が綿密な治療計画を立てて、B医師・C医師とも積極的にミーティングをして治療方針を共有し、当初は治療がうまく進んでいるように思えたが、やはりこうした状況で急変はつきものであり、当直帯で急激な状態の悪化があった。
そのとき病院にいたのはA医師で、適切な検査と対応によって何とか状態は持ち直し、患者家族は「やっぱりA先生は優秀で頼りになるわ」と胸をなでおろした。
ただ、その後は状態が不安定になり、一進一退を繰り返す状況になった。
今度はC医師が病院に残っている時に急変が起きた。A医師は優秀なので、考えられる限りの状況とその対応法を電子カルテに申し送りとして記載して家に帰ったが、急変の状況はA医師も予想していなかったものだった。
C医師も考えられるだけの検査を行って原因と対応法を探るが一向にわからない。
そうこうしている間に患者の状態はどんどん悪化していき、患者家族にも「大丈夫か?」と不安が募っていく。
C医師は自分だけでは対応できないと考えて指導医に電話するが、指導医も「電話ではよくわからないからとりあえず病院に行くけど、私も集中治療は得意じゃないからちょっと対応できるかわからないけど・・・。A先生に相談してみたら?」と言うのみ。
担当医の研修医が不安そうに「C先生、どうしましょう?A先生呼びますか?」と言ってくる。
患者家族も「この前状態が悪くなったときはA先生がうまくやってくれた。このまま死んじゃったらどうするの!早くA先生を呼んで!」と怖い顔をして言い出す始末。
アホながらも責任感の強いC医師はなおもA医師に電話しようか迷っているが、その間に「このままでは患者さんが死んでしまいます。C先生が呼ばないなら私が呼びます!」といって夜勤の担当看護師がA医師に外線で電話をかけて状況を説明し、A医師がダッシュで来院。
レントゲンと各種データを確認して人工呼吸器の設定を変更し、何とか状態は改善したものの依然予断を許さない状況。
細かい投薬の調整や人工呼吸器の設定の調整が必要なため、A医師は結局その後1週間は泊まり込みで患者の対応に当たることになり、B医師とC医師もシフト表に従って病院に泊まってはいるものの、看護師は「A先生が泊まってるならA先生に相談しよう」と言うことで、シフト表を無視して何かあれば時間関係なくまずはA医師に電話をかけるように。
患者家族も「A先生が対応してくれるなら安心」と言うことで急変時の怖い顔はどこへやら。
その後患者さんはA医師の献身的な治療によって何とか状態を持ち直し、集中治療室を退室して一般病棟へと戻っていきましたとさ、めでたしめでたし。
だいぶデフォルメして書いたが、これと多かれ少なかれ似たようなことは日本全国津々浦々で起こっている。
同じ医療職で看護師ではチームによる交代勤務ができるのに、医師ではなぜできないんだと言われているが、看護師の業務については教育や指導によって個人の技量をある程度均一化できるが、残念ながら、ここで書いたような医師の「優秀さ」は教育や指導で何とかなるものではない。いかに優れた教育をしようと、到達できるレベルには限界がある。
一定の基準は保証されているものの個々人のレベルが大きく異なり、しかも置かれた状況によっては求められるレベルが限りなく高くなるということが、医師の業務と看護師の業務の根本的な違いであり、多くの人が思っているように医師の交代業務が浸透しない理由だと思う。
一定の基準が保証されているのであれば、それで満足すべきだと言うのが理屈ではあるが、人間はそんな単純なものではない。
選択肢がないのであれば納得するしかないが、眼前に別の優れた選択肢があるのであれば、理に適っていなかろうが、それを選びたくなるのが人情というものだろう。
上に書いたような状況で、理屈に従って「A医師を呼んで!」と言わない自信がある方は大手を振って複数主治医制に賛成と言ってもらっていい。
自信がない方は少し考えて欲しい。
A医師が身を粉にして奮闘した結果として得られるのは、自分の優秀さで患者さんを良くしたという大きな達成感と幾ばくかの時間外労働に対する報酬、そして周囲からの高評価のみである。
治療を受けた患者さんや家族の負担は変わらない。今の日本では誰に治療を受けようがかかる医療費は同じである。患者さんが呼び出し手当を払うわけでもない。
A医師のことだから他の担当患者や外来などにも迷惑をかけないようにしっかりやっていただろう。
色々なところで言われているが、現在の医療において「利便性」と「成果」と「医療者の労働環境を含めたコスト」の3者は残念ながらトレードオフの関係にある。
現状ではこのうち「コスト」、しかも「医療者の労働環境というコスト」に負担がのしかかっている状態で何とかバランスが取れている。まぁ、そよ風程度でもう崩れそうであるが。
極論すれば、この「医療者の労働環境というコスト」を最も多く払えるのが若い活きのいい男性医師と言うのが、東京医大の女子減点問題に端を発する一連の問題の原因の大部分を占めている。
この問題を受けて、この「医療者の労働環境というコスト」を減らせば良いという意見が声高に聞こえてくる。全く以てその通りである。このアンフェアな関係を早く何とかして欲しい。
ただ、そのコストの総量が減った場合にどこがそれを補填してくれるのだろう。
AIを含めたテクノロジーの進歩で状況は劇的に変わるかもしれないが、すべての医師を「優秀」というレベルまで持って行くには到底至っておらず、現状は実用面ではまだまだ未来の話としか言いようがない。
とにかく、リソースが限られている以上、夢のような解決法がないことだけは確かである。
医療関係者だけでなく、多くの人が当事者として今後の医療のあるべき形を考えて行って欲しいと思う。
「優秀な医者とそうでない医者の違い」とかいうタイトルのくせに結局この話か、と思われた方におかれてはタイトル詐欺で誠に申し訳ない。
だが、現在のシステムの崩壊によって結果的に患者さん側に「利便性」や「成果」のコストを押しつけるようなことはできればしたくないと多くの医療者が思っていると思う。
その医療者の端くれとして、微力な自分にできるのはこうして増田として自分の考えを書くことくらいなんだよ。
ここまで読んでくれてありがとう。
昔の扇風機って
[電源切][弱][中][強]
ってボタンが4つ並んでて、タイマー用のダイヤルがついてたじゃない?
外から汗だくで帰ってきて、すぐ涼しくなりたいってときは、バチッと強ボタンを押せばすぐ強風が吹く。
エアコン併用してるからそよ風が欲しいってときは弱ボタンを押すだけ。
しかもボタンが凹んでる=その風量で可動しているという、インジケーターの役目まで果たしている。
タイマーをつかいたときはは10分でも1時間でも設定はグリッとダイヤル回すだけ、0.5秒で設定完了。
アナログ入力だから細かい時間指定できるしタイマーダイヤルの位置で残り時間も一目瞭然。
すっごい楽。
今の扇風機って
[電源ON/OFF][風量調整][タイマー設定]とか並んでて、今の風量やタイマー設定を表示するためのLEDインジケーターがついてるじゃない?
外から汗だくで帰ってきて、すぐ涼しくなりたいってときは、電源ONボタンを押して、そのあと風量LEDを見ながら風量ボタンをポチポチ数回押す。
タイマーを使いたいときもLEDみながらポチポチ押す、めんどく時間がかかる上に10分、20分。30分、1時間とか大雑把な時間しか指定できない。
なんなのこれは。
もちろん、毒親でない家では家父長制度であってもよいのかもしれんが。
だから、父が理想的な父であることに日々励み努力する、また、家父長制度から逃れるすべもあっての家父長制度だ。
上が下を労い、下が上に従う、というのが儒教における理想社会だが、
上がやるべき目配り、行動をせず、後者だけを押し付けるから、儒教は糞だと言われてる。
まあ、それは間違いなんだが。
でも、日本会議みたいなのは後者を好む。だから、下がこうあれみたいな教育勅語みたいなのをありがたがる。
天皇制も、天皇が国民のことを目配りして、それこそそよ風みたいな存在になっておられるから、国民に反発はないが、