9・11以降、アメリカは大規模な対テロ戦争を展開。
イスラーム過激派は軍事的、経済的に追い詰められる。
組織論の変更が必要な状況へと陥ってしまった彼らは、
脱集権化を進め、小規模な組織として分散していった。
だが彼らは、再び大規模に再組織化し、武装化を進め、
再建する機会を伺っているだけに過ぎないのであった。
望まれるのは中央政府弱体化、周辺領域の統治の弛緩。
勿論、それはただの妄想に過ぎないと思われていた――
アラブ諸国で、激しい政変の嵐が吹き荒れてゆく前は。
◆◆◆
2010年のジャスミン革命に始まる『アラブの春』。
ほがらかな名前を冠してはいるが、その内容は苛烈だ。
ひとりの青年による焼身自殺に始まった一連の運動は、
アラブ諸国における情勢を瞬く間に激変させていった。
長期に渡る独裁政権の崩壊が、幾つもの国で実現した。
アラブ諸国で、政治参加が可能な状態が生まれたのだ。
イスラーム主義の政党が誕生し、遂には権力を握った。
エジプトでのムスリム同胞団が代表例と言えるだろう。
だが彼らは軍や官僚による抵抗により、追い出される。
エジプトでは、一年の統治期間しか与えられなかった。
その間に統治能力を示せなかったのは内在的な失敗だ。
一方で、外在的制約が彼らを許さなかった側面もある。
制度の中での戦いを否定されたイスラーム主義者達が、
制度の外での戦い―ジハードを求めるのは自然である。
ここで『アラブの春』のもう一つの成果を見てみよう。
成果というには余りにも過酷で、凄惨な、混沌である。
「革命」とは、実際には、ただの「反乱」に過ぎない。
多くは混乱と分裂の元、再び独裁のくびきに繋がれる。
事実、シリアは国土を焦土化する内戦の淵へ沈み込む。
これこそ正に、過激派が長年求めていた状況であった。
中央政府の弱体化と周辺領域の統治の弛緩が実現する。
かつてのアフガニスタンのような聖域が目前にあった。
シリア内戦を通し経験を積んだイスラム国の戦士達が、
イラク北西部を制圧したのは2014年の6月だった。
Permalink | 記事への反応(1) | 23:30
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