はてなキーワード: 現代文明とは
殺害数トップ50と称する対人戦ランキングが13位までしかない 参加者が13人
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2chスレッドはPart18を2年かけて消化した後、次スレは立っていない模様
シャイヤ Shaiya -Light and Darkness- part18
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42 :名も無き冒険者[sage]:2008/08/04(月) 18:08:15 ID:NM4j8/dt
今まともにINしてる総人口って200人くらい?
ちょっと顔出すだけとか除いたり、サブとか2PCとか除いたら実質それ以下だよね
タダゲ厨が半分、普通の課金者からプチ廃課金者(課金売りやガチャ等込みで1万円以下)が90人
廃課金するやつが10人いたとしても売り上げ100万から200万位だよね
サーバー維持費(数十万?)、開発費用(月当たりで数十万?)、運営資金(バイト数人社員数人で100万前後?)
それ以外にも雑費かかるだろうし赤字じゃね?これで月額だったら完全にサービス終わってたな
単純計算するだけで今後月額MMOは日本ではやらないんだろうな~って思えてきた
48 :名も無き冒険者[sage]:2008/08/05(火) 19:12:04 ID:j6PYJRiL
あえていいところあげるとしたらグラの割に軽い
でもキャラデータが重過ぎて対人とか人集まるところがすげー重いし
蔵も貧弱だからハイスペックPCでも落ちるしやっぱダメだな・・・
どう見てもMMOツクールで金かけずに作った感強いから元はとれてるだろうね
homageもすげーシャイヤに似た安っぽい作りだけど
技術屋の俺が来ましたよ。ちなみに原子力屋ではありません。当然「原子力村」からの「利権」なんて全くもらえません(というか「原子力村」業界って学歴から考えたら決して給与水準高くないんだけどなあ。旧帝大出て日立や東芝や三菱重工に勤めても東京23区内にマンションはなかなか買えないよ。ちなみにキャリア公務員も同レベルの薄給です。「利権」って何なんだろうね?それおいしいの?)。
むしろ、失敗が許されないからこそ、
正しく科学的手法を用いて、
状況を観察し、
理論を立て、
将来を予測し、
次のステップに進む
ことが求められるのではないか?
あなたの言うとおりで、その「科学史家」(余り本気で探してないけど、どの発言か見つけられなかった)はナイーブに過ぎると思う。
「失敗が許されない」ものについては科学的手法は弱い、というのは確かにその通りなのだけれど、別に「失敗が許されない」のは原発に限らない。むしろ今回の福島の事故なんて人は死んでないわ健康被害もおそらく出ないだろうわで、「失敗」の規模は非常に大きいけど「取り返しのつく」失敗でしかないわけで、なんでみなさんそれほど原発に対してだけあんなに厳しいのかなと正直理解に苦しんでます。
人は死ぬわメキシコ湾全体が汚染されかけるわの、福島第一事故よりもっとひどい大惨事だった原油流出事故なんてみんな存在自体忘れかけてるし、あんなことがあったから「脱石油」なんて誰も言わないよね。本当は温暖化のこととか考えたら「脱火力」の方が「脱原発」よりよっぽど優先されるべきだと思うんだけれど。自然エネルギー開発はいいとして、原子力と火力の二正面作戦するなんてそれどこの旧日本軍?とか思うよね。それとも孫正義信者や原発版「ネットde真実」の人たちは「温暖化CO2原因説は原子力村の捏造」って立場なんだっけ。まあそんな仮説が正しいより核燃料サイクルが数十年内に実用化される方がよっぽど蓋然性高いと思うけどね。
失礼、話がちょっと逸れた。
いずれにしても、現代文明ってのは結構その辺はあまり綺麗事言ってられないレベルに来てると思うのよね。何せ人口が多すぎる。これだけの人間を食わせるためにはどうしたってエネルギーは必要だし多少危険なことにも手を染めなければいけない、結局そういうことなんですよ。こういうと「数十年前はもっと低い消費エネルギーで生きてきた」と言われるだろうけれど、数十年前は平均寿命も現代より短ければ公害でバタバタ人が死んでた、そういう時代だったりするわけですよ。エネルギーが足りなくなれば、確実に伝染病やら熱中症やらで弱い人からやられていく。そこはもう不可避な問題で、だったらたとえば「弱者にリスクを集中させるよりは交通事故というかたちで社会全体に分散させた上で全体としてのリスクを下げた方がマシ」という判断で車を使おう、ということになったりする。交通事故で人が死んだり傷ついたりすれば既に「取り返しのつかない」失敗を犯していることになるわけだけれど。
まあ、要は世の中って残酷だねってこと。危険な技術に手を出さなければもっと危険な目に遭うかも知れない。そのリスク自体を度外視して綺麗事なんて言ってられないよなって思うんだけどね。
現代社会で商品を売ろうと思ったら、広告宣伝は欠かせない。商品がどれだけ売れるか、どれだけ利益をあげられるかは、広告にかかっている。それゆえに、どの会社も大量の費用を広告宣伝に使っている。その結果として、雑誌や新聞が(比較的)安く読めるし、民放地上波テレビは無料で見られる。現代文明を代表する生活スタイルであるテレビ視聴を成り立たせているのは広告宣伝なのである。
商品がとても酷い場合ですら、テレビコマーシャルと営業マンの売り込みで、売り上げナンバーワンということもある。製品の品質が重要なはずのセキュリティソフトでもそういうことがあるのだ。
消費者は商品の質ではなく、テレビコマーシャルで示される商品イメージによってどの商品を買うかを決めているのである。それは結構高い買い物である車であっても、また、その後の人生にとって重要な家やマンションであっても、商品イメージが購入の強い動機になっている。商品のイメージと実質の差から、広告宣伝費が支払われているとも考えられる。そして広告宣伝費によってテレビ局や雑誌社は成立しているのだ。
農畜産物も同様に、テレビコマーシャルとブランドイメージで購入されている。むしろ日本の高い農畜産物を消費者が購入しているのは、ブランドイメージがあればこそだと言えよう。
消費者は広告宣伝によって作られた商品イメージによって商品を買っているのだから、何らかの別の原因によって商品イメージが低下すれば、商品を買わなくなるのは当然である。
また、広告宣伝関連業界にとってみれば、せっかく作り上げた商品イメージが、別の理由によって低下するのは実に嫌なことであろう。それゆえ、広告宣伝関連業界は声を大にして叫ぶのである。
「風評に惑わされないで!」と
高度な文明を持った宇宙人がいる・いないの話になると、いつも、「調べてみなきゃわかんないよね」っていう話になってつまらん。「恒星を覆える程度の宇宙人は銀河系内の近くにはいなさそう」は言えるんじゃないか、と思ってちょっと考えてみた。
文明が高度になれば、恒星を構築物で覆ってエネルギーを取り出すだろう、と言われていて、このような構築物のことをダイソン球という。ダイソン球というのは、要は宇宙規模のダムで、水源に対してダムを作って水の流れをせき止めて水力発電などに利用するのと同じように、恒星という熱源を覆って放射線や粒子線の流れをせき止めてエネルギーを取り出す、という方法だ。ダイソン球を使うのと同じ規模のエネルギーが欲しいとなると、ダイソン球以外の方法でダイソン球より低コストにエネルギーを取り出す方法はちょっと思いつかないから、たぶん、そのレベルのエネルギーが必要な文明はダイソン球を使うだろう、という予想は成り立つ。
ダイソン球が作れる程度の技術を持ち、自分たちの存在を知らせる意思のある文明が存在するならば、ダイソン球で恒星を覆う量を調節する方法で信号を送ってくるはずだと思う。ダムはずっとせき止めっぱなしだと崩壊してしまうので、どのダムもせき止める量を調節出来るようになっている。ダイソン球も同じで、恒星を覆いっぱなしだと熱を発散する方法がなく、そのうち崩壊してしまうはずなので、ダイソン球を作る程度の文明があれば、必ず、「覆う量」を調節出来る仕組みにするはずだ。覆う量を調節するということは、人工的に、恒星を点滅させることが出来るということだ。恒星を点滅させることが出来れば、他の文明に自分の文明の存在を知らせる最も有効な方法になるはずだ。どの文明でも、望遠鏡さえ作って星を観測することが出来れば、よいのだから。少なくとも、他の文明に自分の文明の存在を知らしめるためにだけに、強力な電波源を作る方法よりは、有効な方法になる。そもそも、強力な電波源を作るには強力なエネルギー源が必要になり、恒星以上に強力なエネルギー源というのはなかなかない。さらに、恒星は全方向に輝いているので全方向に信号を送ることも出来る。
要するに、ダイソン球が作れれば恒星から膨大なエネルギーも取れるし、自分たちの存在を他の文明に知らせることもできて一石二鳥なので、もしダイソン球が作れるレベルの宇宙人が近くにいたなら、やってるはずだが、そのような人工的に点滅している恒星が今まで観測されていないということは、少なくとも銀河系の我々の太陽の近くには、ダイソン球が作れるレベルの高度な技術を持ち通信の意思がある文明は存在しないってことは言えるんじゃないの?ということが言いたい。
だいたい、高度な文明を持つ宇宙人がいたとして、自分の存在を他の文明に知らせるためのプロジェクトに、どれぐらいの労力を賭けると思う?どの方向のどの星にいるかも分からないのだから、自分たちの文明を発展させる「ついで」じゃないと、そういうプロジェクトに労力が回らないのではないかと思う。つまり、宇宙人がいたとしても、何かの「ついで」じゃないと、そこまで頑張って信号を送ってこないと思うのよね。パイオニア探査の金属板みたいにさ。だから、電波を送ってきてくれる、と考えるよりも、ダイソン球を作る「ついで」にそういうことをしてくれると考えたほうが合理的だと思う。地球の技術でも、後、数千年ぐらい経てば、ダイソン球を作れるぐらいのレベルに文明が達するんじゃないか、と思う。タイムマシンとかワープとかは、基本的には物理法則に反している方法だから、後、数千年経っても、物理法則に反さずに実現する方法が見つかるかどうかは分からない。物理学上のブレイクスルーが必要になる。でも、ダイソン球は別に物理法則に反したことをやろうとしているわけではないので、技術的なブレイクスルーの積み重ねで作れるはず。
追記:
補足。言いたかったことは、むしろ、「地球より優れた文明を持つ地球外知的生命体がいたら、ダイソン球ぐらい作っているだろう」なんだよね。
…というロジック。むしろ、「わざわざそのためだけの専用の機器を作る必要がある」、「パワーの問題から全方向に信号を送るのは無理」といった問題点があるのに、地球外知的生命体が送ってきてくれる「はず」の電波を調べる方が、地球の現代文明の考え方に縛られていると思うんだけど。
考えることが、そもそも否定や失敗といった-から始まる。
要は、新しいことや何か違うことをするさいには、今が駄目だからこう新しくやってみた。っていうのが普通で当たり前かと。
現代文明の否定とは、自殺者数や離職者数やストレスなど現代文明の社会で生きづらい・辛いと感じることだろう。なぜ辛さがあるかといえば、それは文明の発展により様々な恩恵を受けたが、同時に面倒くささや辛さやいろいろなものも引き込んでしまったからそういう風になったのではなかろうか。
文明社会:+100の便利さ 一方でその便利を誰かに供給する側にたったりするので、-80の苦労。合計20。
未文明社会:或る程度文明らしさをすてると、+35の便利さ -10の苦労 合計25。
単純に、自然に還る生き方をすることを妄信するひともいるだろうけど、
自分はロハスというものを、自らの欲を調整して、するとされるのバランスを丁度よいところでとめようとする生活様式だとおもってる。生産と消費のバランスと言い換えても良い。
数年前に、大学の関係でロハスな生活をしている人たちのところへ行った
愛とか平和とか本気で言っちゃう人たちが集まって農業をして暮らしている…らしい
それ自体は好きに生きればいいと思うから否定しない
ただ、不思議なのはどうしてこの人たちは現代文明を否定するのか、と…
文明って、農業こそが始まりじゃないの?ってすっごく疑問だった
現代の人たちは病んでいるとか、農業こそが自然だとか、現代文明が人をダメにしたとか、
そうかなあ…
生きることとまったく関係の無い職業や文字や道具が生まれたりして、
人は文明を築いていけたんでしょ?って私は単純に思ったんだけど…
最近のホメオパシーの現状を見て、前にロハスな人たちのとこで感じたこと、思い出した
詳しくないからよく知らないんだけど、ホメオパシーって否定の上に成り立ってるのかな。多分そうなんだろうなあ
「インターネットエクスプローラー」の「ブックマーク」という機能で気に入らない人のサイトをブックマークから外すとできるらしいですよ。
ダンコーガイは経済的な問題でアメリカの名門大を中退したというのは有名なはず。
だとすれば、ダンコーガイは書類上はともかく、実質的にはよくある高学歴人間だ。
大検とか中退なんてのは別に珍しいことでもない。それこそ京大にでも多くいるよ。
実際のところ、ダンコーガイが知識を披露している文章の多くは「その道の人にはイロハのイ」程度のことをわかりやすく書き直したものであることが多い。彼が「頭がいい」と尊敬されている部分のかなり多くは、「高学歴者」特有のスキルと共通する部分なのだ。
そんな人間が、どうしてことあるごとに学歴を目の敵にして、中卒を自称(これはある種の学歴詐称だと思う)するんだろうか。なんか意図があるのか。
自分もいい大学で勉強したのなら、学校で学べることの凄さも限界もある程度は自分でわかってるはずだろう。
学校で学べることというのは確かに限られた知識だ。だが、それが何の役にも立たないだとか社会での優秀さと何の関係もないと言ってしまうのは言い過ぎだ。
単なる知識の積み重ねは百科事典やGoogleが代替できるとうそぶく奴らは、知識の恐ろしさを知らない。現代文明はまさに、古代からの知識の集積の上に成り立っているのだ。これが「つまらないこと」であると言ってしまうのであれば、世の中に面白いことなどなにもないのではないか。
また、学校の勉強が人格形成と無関係というのも大嘘だ。何かを一生懸命努力した人間は、怠惰に過ごした人間よりは確実に何かを得ている。スポーツ選手や芸術家にたとえてみるとわかりやすい。彼らの中には社会性が欠ける人間も多くいるかもしれないが、人間性が薄っぺらい奴は少ないだろう。程度の差こそあれ、高学歴者にも似たようなことが言える。
そして、ダンコーガイを崇拝している自己啓発大好きな人たち(マッチョワナビー)の特質を見ていると大笑いだ。彼らは学歴が大嫌いだが、彼らの思考回路は受験勉強のパロディそのものなのだ。
よく考えてみるといい。就活オタクは、受験オタクと何が違う?セミナーで「コミュニケーション能力」や「人間力」を鍛え、ギョーカイ人とのコネを自慢する彼らは、模試や夏期講習などで予備校に足繁く通い、カリスマ講師を崇拝する受験生と何が違う?
ITのなんちゃってエンジニアたちも同様だ。「ITは学歴無用の実力の世界」というが、従来型の技術の世界なんて昔からそうだ。「大学は不要、Webで学べる」と言ってる人間も多いが、単にIT(というか一部のコーディング技術だね)が学問として未成熟で断片的な知識の集積だから、キーワード検索した結果を画面上で閲覧するだけで事が足りてしまっているだけの話なのだが。アカデミックの発祥期の真似事をしているとてもほほえましい世界としか俺には思えない。
もういい加減、学歴は役に立つか立たないかなんてつまらない二分法はやめたらいいのに。学歴もビジネスも所詮手段だろうが。勉強ができる人間と金を儲けられる人間はどっちが偉いかなんて、本当にくだらんよ。
本idの方、プライベートモードで使用中なんだが、私信出さないといけなくなったんで、ちょいと借りますよっと。
関係ない人読んでもつまらんよw
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080330/p1
>「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミットを批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」
なんというわら人形。一番本質的な所が全く述べられてないんだが。その記述に倣うならこう。
「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミット『をチベットに関連付けする事で、本来チベットへ向かうべきであった問題の焦点をずらし、エネルギーを分散させてしまう事』を批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」
ブコメだから適当読解で、言ってもいないことを勝手に読み取るマンはカンベンな。
要するに、自分の信奉する政治的ポジションの囚人になった馬鹿どものウチゲバで、チベットを仮想敵イデオロギー陣営の攻撃の道具として使うせいで、普通にチベットに懸念を持つだけの人の気持ちの発露を邪魔すんなよということ。まぁ普通ならそれで分かるんだが、一貫性を具体的に示せといってるんで、もうちょい詳しく説明しておくかね。
世界各国の民主化されたメディアに接する事の出来る所に住む普通の民衆が、パレスチナや昨年のミャンマーや今回のチベットといった場所で人民が生命の危機に晒されている不正義に反応して緊急的な対応を求める意思をネットを通じて表明したりデモを行ったりする訳だ。
そのような注視の蓄積は、国際的な圧力として該当国・関係国に自制を、対応の緩慢な自国の政府に対応を促す事に繋がると信じる。市井の人の感覚とはそういうものだ。
ところが、そういった時にどうもいろんなイデオロギー的な主張の臭いを放たずにはいられない連中が、その表明行動に関与する事を目論む訳だ。
例えば、サヨ系平和団体が憎くて仕方ない連中がいるようで、こぴぺ発祥と思われるものからチベット事件のまとめガイドラインのようなヘイトサイトまで立ち上げて、ここぞとばかりにサヨ系平和団体と呼ばれる団体の欺瞞を喧伝する事に血道をあげている訳だ。または、チベット虐殺抗議デモin大阪(撮影日08/03/23)このようにデモにかこつけて竹島のためにチベットをダシに使う屑とか、他にも色々ウンザリさせられるものがあるだろう。
その逆に、「チベット問題との温度差をすげえ感じた」このエントリはどうだ。
チベットを枕にしたことで、生命に関わる緊急性も自由度も違う、直接関連する属性といえば少数民族に対する弾圧という話を「もしチベットについて語るのであればアイヌについても同じレベルで語れ!」とばかりに賭け金を引き上げ、市井の人のチベットへの素朴な感情の表明に対して冷水を浴びせているのに他ならない。
そんな事は無いって?いや、そうなんだよ。善良な市民と自分で名乗るほど恥知らずではない善良な市民はだれもチベットに声を上げる時にイデオロギー問題まで関わりあいたくないんだ。君が、『なぜなら、最初から「チベット「も」」問題であることを認めているからだ。』と主張し、『主観的には、一貫したものを作ろうと考えている、行動しているつもりではある』のであれば尚更、チベットにコミットする際には、今は緊急性と結束したシンプルなメッセージが要求されている事だと判断をして、アイヌに関する問題については、絡めない細心の努力をしなければならないんだよ。
わしがチベットについてはてぶで一貫していっているのはそれだけの事だよ。だから、わしの中でとりたてて「中国が嫌い」なんていう要素を見出す事ができないんだ、期待に添えなくてすまんね。
まぁそうは言っても、アイヌについて言及すべきではないという主張については不満は残るだろうし、そういえば
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080326%23p2
この辺でカリカリきてる人も居るようだし、「抑圧者側」とか選べない属人論法という煽りもあるので、件のアイヌデモについて思うところも語っておくか。
まずは件のデモの、配布されたパンフレットにあったという主張をみてみる。
> 差別は貧困を拡大し、貧困はさらにいっそうの差別を生み、生活環境、子弟の進学状況などでも格差をひろげているのが現状です。
この主張は要するに、現代文明の日本人として普通の水準の生活を送らせろという主張なのだから、アイヌである事を主張するのは矛盾してるんじゃね?
このグループの主張を見るに、アイヌゆえにというのがあるが、それこそアファーマティブアクションの負の側面がここまで明らかになっている今なお、部落差別の利権構造と同じ泥沼へ、自ら色をつけて堕ちていくようにしか思えない訳で。痛いニュースに取り上げられた反応は、チベットとは関係なくて、そういう手口をやる人間特有のあさましい部分を見透かしての反応なのではないかな。童話の青い鳥の食事に飛びついてしまった事を認められない自分の内面までは、社会には救えないんだよ。
それに対して、わしの言ってるのは、イオル(狩場)ごと返還して生活が成り立つように、アイヌのアイデンティティに対して本当に誇りを持っている者こそ望む物を渡すべきだと主張してるのだが。
そもそも、大部分のアイヌは二風谷ダムの立ち退きには生活向上を引き換えに同意した訳で、その中で強制収用と戦い抜いたのは、二軒だけだったというのは前提でよいよね?そうやって誇りを守った萱野茂も亡くなった状況で、本当に返還して、覚悟なしに単なる山地でどう過ごすのかと。本物のアイヌの生活はサスティナブルな生活様態の先達として敬意を払うべき対象であるが、その厳しさも想像できるからこそ、実践する覚悟は問われても仕方ないんでは?覚悟が無いなら、文化は博物館の中に入れて、日本人の人権の範囲で生活向上を求めるしかないじゃない。
地図を見てたら、この地域なんか典型的な間延びした生活前線であるな。持続可能な生活様態への変革が至上命題だと常々主張しているわし的にも、是非ともこの近辺の非アイヌ住民には、平取ダム作れとかゴネる下流住民ごとまとめて、集約されたコンパクトシティへと移住して頂いて、北海道経済を疲弊させているインフラコストの無駄を省ければ効率もよくて一石二鳥でもあり、実現していただきたいな。
この記事の追記的な話なんだけど、もしヒトの繁殖スタイルがそうしたものだったら、果たして文明って今みたいに発達したのだろうか。
オスはメスにアピールして繁殖の権利を得るために、食料確保や生活環境の整備・安全保障などのサービスをやっきになって提供し、そのことが経済や文化の発展につながったというようにも考えられる。
「文明は男が作ったもの」って言うと反発されるかもしれないが、それはある程度は事実としか言いようがない。で、現代文明において支配的な価値観はやっぱり男系社会のものだし。
もしのうのうと過ごして適当にセックスできるって環境なら、男は多分そんなにはがんばらないんじゃないかな。
で、その場合は例えば国家とかの巨大な共同体が発生したかどうかもわからんし、個体のオス同士の小競り合いは発生するとしても、集団と集団が戦闘行為を行う「戦争」なんてものもそもそも発想すらしないかもしれん。「戦争」なんて完全に男の仕事だし。おお、元増田にやっとつながったぜ。
まあ、女性主導でも経済なり文化なりの文明は発展したかもしれないけど(確かめる方法はないが)、それは現代文明とはかなり違った形のものになるのではないかと思う。
だから、「浮気がダメなのはなぜか」みたいなちょっとした倫理観でも、実は社会のあり方に相当広範囲な関連性を持っていると考えられる。
だとすると、
というのも、あながち間違いではないかもしれん。
ただし、そうした倫理観は「メディアの悪影響」といったレベルで決定されたものではないだろうし、その変更は社会や個々人のあり方を根底から変えることに等しいのでおそらく不可能だと思うが。
日本みたいに生活の難易度はそれほど高くなくても失敗した時に生命に関わる様な訳の分からない社会の中で生きるには、常に揺るがないモチベーションを保て。
今渡っているのが丈夫な橋なのかそれともボロボロで崩れかけの吊橋なのかは知りようもないが、自分から足を踏み外してしまえば元も子もない。谷底へ落ちないという保証はないが、とにかく下は見るな、歩け。
脆弱な基礎の上に成り立った現代文明こそが日本なのだから、それに依存した高度で知的で文明的な生き甲斐に頼って生きていくのはやめろ。それが万が一出来なくなった時、生き甲斐を見失った時、働く意欲はどこから出てくる?底辺から這い上がる苦痛をどうやって耐える事が出来る?
金がなくなっても、PCが使えなくなっても、マズい食事にしかあり付けなくなっても、冷暖房が使えなくなっても、住む所がなくなっても、腐ったものしか食べられなくなっても動じない、白痴にしか理解できないような下らない生き甲斐を見つけろ。見下すべきなのは名誉と高いプライドだという事をいつも頭に置いて考えろ。
常に怯えて暮らせ。何があるかは誰にも分からない。生き甲斐なんかにコストを掛けている場合ではない。どんなに見かけ上の生活が良くなっても、衣食住の危機は常に足元に見え隠れしている。
平等な社会、などと最初に言ったのは誰だったか。
社会という存在は生まれながらにしてある種の差別を抱えている。
つまり、「社会に参加できる者」による、「社会に参加できない者」への差別のことだ。
一万年と二千年前。
人類の中に“コミュニケーション”という能力を持つ者たちが現れた。
それは1+1を100にも200にもする力。
彼らは“社会”という集団を結成し、勢力を拡大していった。
敵などいるはずもない。
世界は社会に覆い尽くされた。
彼らは、自らを“コミュ”と称した。
一方で、コミュニケーション能力を持たない者たちは、
いつまでも1のまま、力を持たないまま、コミュたちの社会に押しつぶされた。
「コミュに非ずんば人に非ず」
彼らは“非コミュ”と呼ばれた。
生きていくためには働く必要がある。
そして、働くためには社会に参加せねばならない。
なんという差別だろうか。
考えてもみろ。
だが我々は、役所に電話のひとつも掛けられないのだぞ。
――インターネット。
それがあれば、非コミュたちもコミュニケーション能力を持つことができた。
非コミュたちは、有史以来はじめて互いの存在を確認しあい、そして泣いた。
非コミュの夜明けがついにやってくるかと思われた。
コミュに攻撃され、火をつけられて、いくつもの非コミュサイトが閉鎖していった。
非コミュは、非コミュ相手にさえ、トラックバックを送ることができなかった。
インターネット上ですら、非コミュたちはまともなコミュニケーションを取れなかった。
ましてやオフ会など。
そう、先日のオフ会は惨々たる有様だった。
オンラインではそこそこ盛り上がっていたものの、結局、集合場所には誰一人として現れなかった。
実は、かく言う私も行かなかったので、本当に誰も来なかったのかはわからない。
しかし少なくとも「第一回・政府に非コミュ支援を訴えるオフ」が失敗に終わったことは確かなのだろう。
調子に乗って「第一回」とか付けるんじゃなかった。恥ずかしい。死にたい。
…失礼。
今日はこの増田の場を借りて、「第二回・政府に非コミュ支援を訴えるオフ」の告知をしたいと思う
諸君、今回は顔を合わせなくてもいい。
声を掛ける必要も、あの忌々しい自己紹介も必要ない。
ただそこに立っていてくれるだけでいい。
それが我々の“団結”だ。
それこそが、団結する力を持たない、我ら非コミュなりの“団結”となるのだ。
我々の力を、コミュのやつらに見せ付けてやろうではないか。
決行は次の日曜。
集合場所は国会議事堂前。
万国の非コミュよ、“団結”せよ。
と言うのも、明らかに石原慎太郎はネットを「有害なもの」と看做しているから。
携帯電話とかパソコンといった現代文明の所産は通話による情報交換の便宜の末に、情報の氾濫(はんらん)をもたらしたといえる。その結果多くの人間たちは大脳生理学の公理になぞらえていえば、実がなりすぎて上部の大脳が肥大しすぎ肝心の幹である脳幹の発育が追いつかず、嵐が来たら上の重みに耐えきれず簡単に折れてしまうリンゴの木のように、過剰な情報を収(しま)いきれずに人間としての本質を失いつつあるような気がしてならない。
子供たちの所持している携帯電話には規制の無いまま、売春や変質者の嗜好(しこう)に応えて容易に多額の金を手にする手引きまでが盛り込まれている。それらの情報は風俗の紊乱(びんらん)にとどまらず、若い世代の人間たちの人間としての本質を狂わせてしまいかねない。こうした状況は性愛に関していえば「体は手に入るけれど、心が手に入らない」といった根源的な喪失を生み出してしまう。今時の若い女の子たちが「腐女子」などと呼ばれるような兆候は、喪失以外の何ものでもありはしない。これは若い人間たちだけではなしに、総じて情報の氾濫に巻き込まれている人間たちを本質的に衰弱させてしまう。
ネットで都知事選について言及しているブログや掲示板などを読んでみると、候補者の国家観や教育観などについては盛んに言及されているにもかかわらず、今現在自分達がそれを語っている場であるインターネットについて、候補者がどんなスタンスを取っているのか言及しているものはほとんど無いことに驚かされる。
インターネットというのは、現在、国民が自由にものを言えるツールとして非常に有用かつ重要なものになっているわけだが、その一方で、何か事件があるたびに槍玉に挙げられてしまう存在でもあり、いつ規制が入ってもおかしくない状況にあるということを、先ず皆が認識しておかなければならない。
そして、そういう状況が存在する以上、ネットユーザーとしては、自分達の表現の場を守るために、選挙時においても、候補者がネットについてどんな考えを持っているのか知っておくべきであって、そこを争点として意識できないことは非常に危険なことだと考える。
そういった観点から見てみると、「大脳生理学の公理」などという「トンデモ」としか言いようのない理屈をネットを有害視する理由に置いている石原慎太郎には、ネットについての冷静な考察は期待できないし、彼が元々規制についてあまり抵抗のない保守的な人物であるということも考え合わせると、何かのきっかけに規制の動きが持ち上がったらそのまま歯止め無しにネットの自由を脅かす存在となってしまう可能性の高い人物であると考えるべきだろうと思う。
ネットの自由を楽しみ、また、その自由の中に新たな言論の可能性を見出している私には、ただでさえいつ規制が入ってもおかしくない状況にある今の時代に、そのような人物を支持することはとてもできない。
従来の選挙における争点を越え、有権者もインターネット社会への影響といった視点を踏まえ政治家選びをしなければならない時代になっているのだということをよく理解しておきたいと思う。
近年、出生率の低下が問題視されているがこれにはちょっとした誤解がある。下がっているのは「知的水準の高い人間」に限った出生率であり、馬鹿は馬鹿みたいに発情し、欲望の赴くままにセックスをして、子どもを産んでいる。
馬鹿はコンドームを買う金がない、もしくは避妊の方法を知らないので、当然妊娠することになる。もちろん、中絶する金もないので、無計画に出産し、馬鹿だから教育を与えられないので生まれた子供は馬鹿に育つ。馬鹿に育っている子どもを横目にまたセックスをし、馬鹿を産む。こうやって馬鹿を量産する。
一方、知的水準の高い人間は教育にかかる費用や難しさ、それと避妊の方法を知っているので安易に妊娠する危険性のある行動はしない。結婚に対しても、様々なことを考慮に入れ、時間をかけて熟慮する能力があるので、衝動的に結婚することはない。また、知的水準の高い人間は同じく知的水準の高い異性とつき合う傾向にあり、こういったカップルは男女ともに社会のために頭脳・肉体を日々働かせているので時間的余裕がなく、さらに馬鹿と違ってセックス以外の娯楽を知っているのであまりセックスは行わないのである。
このようなことから、現在先進国に馬鹿が大量に発生している。近い将来その比率は大きく差がつき、馬鹿が圧倒的な多数派となり、馬鹿が社会を運営することになるだろう。知的水準の高い人間は全て骨となっていなくなる。機械は壊れたまま放置され、治されることはなく、新しく作られることもない。字を読める人間はいなくなり、知識の継承はなくなって、学問は滅びる。栄華を極めた現代文明は全て灰になる。
そして、再び原始的な世界がやってくるのだ。ウパー!
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061227/1167212479
「人間らしい暮らしをする人間の数が、爆発的に増えたからだ。」これって環境問題でもあるよね?それだったら話は分かるよ。
発展途上国の人達の生活レベルが現在の先進国並みになってしまったら地球の収容能力を超えてしまって、人類は破滅してしまう、みたいな話を聞いたことがある。
化石燃料の採掘可能年数も諸説あるけど有限には違いないだろう。
経済的な問題以前に環境的な限界が来るんじゃないかっていうのは悲観的な観測だろうか。
そういう意味で分裂勘違いさんのこのエントリの結論は全然違う意味で正しいのかも知れない。が、果たしてここで語られてる生活規模の縮小、の認識はこんなもんでいいのかな。
果たして近所にSHOP99がある状況が贅沢じゃないと言い切れるだろうか。ネット環境があるのは贅沢じゃないと言えるだろうか。
貯金してスキルも身につけたところで、インフレが起きて貨幣価値が100分の1とかになったらどうしよう、とか、そのスキルは本当に今後生きていくのにずっと使えるのか、とかね(ま、例えば料理というか自炊の研究をして「1ヶ月1万円生活」みたいなのを極めるとか、とりあえず日本を脱出してもどこの国でも暮らせるように英語を学ぶとかだったら死ぬまで使えるスキルだとは思うけど)。
こんなこと考えるのは杞憂というか考えすぎだろうけど。
ま、でも当面の最大の問題は「みんなが清貧の生活になったらこの国の経済はどうなるんだろう」ってことだったりもするわけで。
モノが売れなくてメチャクチャな状況になるんじゃないのか?教えてエライ人!