「ヒットラー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ヒットラーとは

2023-12-17

anond:20231216161822

お前が無理矢理性格テスト受けさせたんだろ

分類して差別ってやることヒットラーと変わらねーよ

2023-10-11

まあ、どっからどう考えても勝手建国して勝手他民族追い出したユダヤ人が悪い…とは思わないけど、報復を受けるのは当たり前じゃない?とは思う

自業自得というか、それはそうというか、それはそうなるでしょっていう

ヒットラーは正しかったんだなって軽口叩ける日本で良かったわ

欧米住んでたら思ってても言えないし

ユダヤ人というより、ユダヤ教はほんとヤバいと思う

2023-08-26

アン暇界隈のはしゃぎっぷりを見ていると

有名アルファから無名雑魚まで、皆一様に大はしゃぎ

よっぽど悔しかったんだろうなぁ…としみじみ

ただの雑魚ならここまで感極まって無いとは思う

裁判的に言えば初戦で先制点決めた、ぐらいのものではあるんだけど(それはそれで幸先良いとは思うけど)

まるで既に住民訴訟もそれ以外の訴訟も含めて全勝利たかの如くの勢い

中には係争中の輩(新橋とか名前を呼んではいけないあの人とか)も混じって暴言吐いてるけど、今後の裁判に悪影響出るとは思わないのかな?思わねえから口が滑るんだろうな


あのはしゃぎようと、(大正義神原弁護士先生自分が敗訴した裁判判決には欠席したという事実無視して)裁判への出廷を只管要求して煽っているのを見てると

暇の顔が特定されたら、安倍ヒットラーみたいな愚弄コラが量産されるだけでなく、ガチ脅迫とか襲撃とかありそうで怖いわ

リベラルとかフェミニスト界隈って言動反社っぽくて恐ろしい

現代文明人のノリじゃないだろアレ

2023-03-07

anond:20230307145815

ほとんどのファン日本人女性チャートで頻繁に1位を取るくらいにその活動を支えていたからだろ。

ヒットラーが悪いのは当然として、それを支持してのさばらせたのはナチ党員だろ。

同じ話だ。

実際にこの放置され続けた犯罪可能にしたのはファン日本人女性たちだ。

2023-02-02

政治で強すぎる言葉を使う人が嫌い

安部元首相をヒットラーだとか、今回の立憲の「プーチン氏の方がまし」だとかで改めて思ったけど、政治で強すぎる言葉を使う人は怖い。

自民もひどいところがあるけど、立憲が政権取ったらこういう過激派が影響力を持つんだと考えたら投票したくない。

いまの岸田首相自民は地味ではあるけど、児童手当制限撤廃年収の壁撤廃も進めようとしていてオレは評価できる。

国民が欲しいのは政策の実現なのに、立憲がやりたかった政策自民がやるとそれを評価するどころかくやしそうに恨み節を言うのはいただけない。

これってつまり立憲を政権につかせるより自民リベラルな人を増やして首相にすればいいってことじゃん。

2023-01-23

anond:20230123193350

あと本当か嘘かしらんけど

要約しますと、もともと彼はHitlerという名前ではなかったのです。親族関係はHiedlerまたはHüttlerという名前だったのです。Adolf Hitlerオーストリア人でドイツ住民登録する時に登録官が間違えてHitlerと書いてしまったのです。

このHitlerという名前がついた少数の人達戦後名前を変えたか子供がいなかったので、Hitlerという姓はドイツにはもう存在しないのです!

ただオーストリアオーバーバイエルンでは今でもHiedlerとHüttlerという名前の方たちが住んでいます

まずご質問に答えますと、現在ドイツではヒトラー姓Hitler(もしくはヒットラーHittler)という名字の人はいません。

またヒトラードイツ人ではなくオーストリア人でドイツ移住してきたのですが、オーストリアにもヒトラー姓の人はいません。

ヒトラーっていうおばさんはいないっぽいよ

これは昨年の統計ですが2018年6月調査で46,171人のアドルフという名前の人たちが今でもドイツに住んでいるのです。

ドルフならわりといるみたい

2022-07-21

anond:20220717035358

ヒットラームッソリーニと肩を並べる世界三大悪人の一人であり、何千万も殺した自称現人神を国を挙げて崇拝するよりははるかにマシだな。

淫夢はもとより統一被害も小さなものだ。

2022-07-10

一水会代表による反統一教会論文昭和六十年 朝日ジャーナル

「そしてその時ではもう遅いのだ。」 http://www.asyura2.com/sora/bd11/msg/691.html

阿修羅よりコピペ


勝共連合民族主義運動の敵だ

――――文鮮明王朝建設に利用される日本若者

右翼民族派の人たちが統一教会原理研国際勝共連合のことをどう思っ

いるか書いて下さい」と『朝日ジャーナル』の記者に言われた時には正直い

って気が進まなかった。

しか右翼の連中の中には「反共の同氏だ」と思っている人はいる。また、

原理はウサン臭くて嫌いだが勝共は仲間だ」と公言する人も多い。警察の公

安や公安調査庁人間だって反共なんだから仲間だし、日本共産革命が起き

ときには一緒に決起してくれると信じている<純朴>な人も多いこの業界

から原理運動をそう思ってもても仕方はない。

しかし、少なくともわれわれ民族派、また新右翼といわれる若い人間にはそん

混同を起こす人間はいない。だから、『朝日ジャーナル』の記者の話を聞い

て、何を今さらと思ったのである。それに、右翼全体なんてどうでもいいとい

う気もあった。多くの右翼原理勝共反共の味方だとおもっているのなら、

それでもいい。何もおせっかいをして、原理勝共実態はこうなんですよと

<告げ口>することもあるまいと思っていた。

ところが、筑紫哲也氏の「原理不可解な右翼沈黙」(本誌一二月十四日号)

を読んで少し考えが変わった。その種の挑発にはやはり乗るべきだと思った。

それに、『世界日報事件追放された副島嘉和、井上博明両氏が『文藝春秋

に書いた内部告発を読んだ時の衝撃も忘れられない。原理とは大学時代から

長い付き合いだが、最近の<豹変>ぶりも見てきた。

原理運動が初めて日本に入って来たのは二十五年ほど前だというが、本格的に

やり始め、世間の耳目を集め出したのは、それからしばらくしてだと思う。原

運動のことを直接にしったのは、僕が昭和三十八年、早稲田に入ってから

(その前から漠然とは知っていたが)。

それから二,三年して早稲田で全学ストライキがあり、それが全国の学園紛争

火をつけて全共闘時代の幕開けとなった。それに刺激され対峙する形で民族派

学生運動も出てきたし、一時は全国30大学自治会を握り、「民族派全学連

を結成しようというところまでいった。その学生運動の嵐が起こる前から、原

理研駅前で黒板を出して演説したり、個人オルグをしていたが、大学に入

りこみ、サークルをつくったりして組織的全国的に活発にやりだしたのはこ

早大ストのころからだと思う。

全共闘民族派原理。この三つの違った運動があの早稲田の一点から、ほぼ

同時期に生まれ、全国に広がり燃えさかっていった。換言すれば、全共闘に刺

激され、全共闘反面教師としながら民族派原理も、己の組織化を急ぎ、全

国的な広がりをつくっていったのである。われわれもそうだったが、原理研

今やっている大学でのサークル学内新聞づくり、自治会奪権闘争……などは

完全に全共闘から学んだものである。逆接めくが、今の原理運動民族派の運

動もある意味では「全共闘遺産」なのである全共闘との付き合いについて

はこれまでも書いたことがある。今回はもう一つの原理について書く。

はじめに、「何を今さら」といったが、われわれ、戦後体制打倒をめざす「一

水会」の機関紙レコンキスタ』(スペイン語で”失地回復”の意味)でも何

度か原理についての批判をしてきたし、原理運動研究家第一人者である茶本

繁正氏を招いて一水会事務所勉強会したこともある。その時のテーマは「

勝共連合愛国者なのか」であったし、彼らは民族派の味方ではないこともわ

れわれは明らかにした。

また、われわれの仲間には何人か原理オルグられたり、「合宿」に誘われて

行ったことのある人間もいる。二年前、そんな一人に「私はこうして”原理研

が治った」という体験談を話してもらい『レコンキスタ』に載せた。当時は「

こうして新左翼が治った」「べ平連が治った」「アナキストが治った」といっ

体験シリーズをやっており、それら左翼運動と同次元原理も考えていた。

さらには、われわれ一水会連帯している統一戦線義勇軍機関紙義勇軍報』

でも原理勝共との戦いを呼びかけており、事実一水会義勇軍は他の民族

派と共闘して彼らとの闘いを展開していた。

小さいながらもこうした反原理・反勝共の闘いをやってきたが、これは右翼

からは不評で、「思いつきでやってる」とか「勝共は仲間なのに」「敵を利

する」などと批判された。しかし、大学時代からわれわれは彼らを一度も味方

だと思ったことはないし、民族運動の同志だと思ったこともない。学生の時、

早大で知ってた彼らは決して右翼ではなかったし、反共でもなかった。「天皇

なんて関係ない。文鮮明師がすべてだ」「憲法なんてどうでもいいし、興味は

ない」と、正直にいっていた。われわれとは立場は違うが、宗教団体としては

それも当然だろうと思っていた。ところが最近、急激に「右傾化」した。「天

皇制を守り、憲法改正、スパイ防止法の制定を」と言っている。

統一教会原理研勝共連合は別だと言う言い訳は通じない。やっている人間

は同じなのだ。なぜ、急に右旋回し、豹変したのか。その右旋回は本物なのか

どうか。すっと疑問に思ってきた。最近の派手な言動に幻惑されて、即「味方

だ」と思ってる右翼同調できない理由もそこのある。そんな疑問に答えてく

れたのが副島、井上両氏の『文春』のレポート「これが『統一教会』の秘部だ」

だった。そして、『原理講論』をはじめて通読し、両氏の告発が嘘でも誇張で

もないことを知った。

反共方便、実際は共産主義

イエスが再臨する「東方の国」は韓国であり、韓国語が祖国語となって世界

一つになるという。なぜ、「東方の国」が韓国かというと、中国共産化した

からサタン側の国であり、日本は「代々、天照大神を崇拝してきた国として、

さらに、全体主義国家として、…・

韓国キリスト教迫害した国」だから、これも「サタン側の国家」だという。

また、「第二次世界大戦は、民主主義によって結託した米、英、仏の天の側国

家と、全体主義によって結託した独、日、伊のサタン国家との対戦であった」

という。

これは、『原理講論』にかいてある通りである。そして、韓民族いかに「サ

タン」の日本によって、侵略され、迫害され てきたかがこれでもか、これでも

かと書かれている。『文春』の告発レポートでは、さらに驚くべき事実が書か

れている。韓民族選民であり、他民族優越しており、再臨主とは、すなわ

文鮮明氏のことであり、文氏によって世界統一され、必然的韓国世界

の中心となり、韓国語が世界共通語となる。こう説かれているという。

また、われわれ民族派としては見逃せないこととして「敬礼式」についても『

文春』に書いている。これは文鮮明氏をメシア、王の王とみなす象徴的な儀式

だそうで、本文から引くと…・・。

統一教会が四代名節と呼ぶ記念日には、早朝五時から敬礼式があり、そこ

では聖壇に座った『文氏』とその家族に対し、統一教会の主要幹部が三拝の拝

礼を行う。場所はだいたい『文氏』の私邸であるアメリカニューヨーク州

イーストガーデンである。その際、天皇陛下をはじめ、レーガン大統領、全斗

大統領ほか主要国の元首の身代わりを、それぞれの国の教会幹部担当し、

文教一族に拝跪して全世界主権者文教祖に拝礼したという儀式を行うの

である日本天皇陛下の身代わりを演ずるのは、日本統一教会会長久保

氏なのである。何とも奇妙で、そして国民象徴として天皇を上にいただく日

本国民としては見逃せない情景ではないか

全くもってひどい話である文鮮明氏の精神は、信仰王国ではなく、現世の

王国を夢み、その独裁者たらんとする。これはまるで弓削道鏡だ。「彼らは反

共だから味方ではないか」と言っていた右翼の人々も、これを読んだら、とて

もそんなことはいえないはずだ。実際、「許せない」「こんな反日集団は敵だ」

と激高していた人が多くいた。僕としても前から、その性格漠然とは知って

いたが、これだけ証拠をつきつけられては改めて愕然とする思いだった。

これを見ても分かるように、原理勝共は決して右翼民族派ではない。では、

一体何なのか。

まず第一に、これは裏返しの共産主義である。「原理研が治った」青年も言っ

ていたが、反共を唱えてはいるが、内部の生活はむしろ共産主義だという。人

生について考えている青年や悩んでいる青年オルグってきては「合宿」につ

れ出し、何日もロクに眠らせずに「洗脳」をする。はじめは「そんな馬鹿な…

・・」と心の中で抵抗していても、しまいには疲れ果てててしまい、批判し抵

抗することも面倒になって全面的に受け入れてしまうという。「思想強姦

である。また、洗脳の途中で頭の回路が外れて気が狂ったりした人間も多いと

いう。さら自由を許されない共同生活、文氏の決める人と結婚する集団結婚

式。本場の共産主義国家ソ連中国でも、ここまでは共産主義化していない。

自分たちの内部生活共産主義で、外部に向かっては反共を唱えている。その

反共本心かどうかは分からないが、本心だとしても、日本民族主義とは一

切無縁のものである。さきほど見たように、これはソウルを中心とした反共

ンターナショナリズムである。初期の共産主義がモスクワを中心としたインタ

ナショナリズムだったのと同じ構造である共産主義と同様に、この原理

勝共もまた、最も反日的、反民族運動である

第二に、その「反共」すらもが本当かどうか怪しい。「統一教会勝共連合

宗教活動愛国運動は『文鮮明氏』の野望を実現することを目的とした方便

である」と、副島氏も告発している。

世界の王になるためには、ます韓国の王(大統領)にならなくてはならない。

韓国反共バリバリの国である。文氏は日本の人と金を湯水のように使って、

世界的規模での反共活動の「実績づくり」をしている。そのための反共であ

り、韓国世界の王に向けての手段である反共運動の全部が全部、仮面とは

言えないにしても、原理運動世界の王になることが第一目標であり、反共

運動二の次、三の次ぎであろう。

また、反共活動をいっしょにしている自民党体制文化人にたいしては、勝

連合に入るように勧めるが、統一教会原理研には入れようとはしない(な

かには一部の例外もあるが)。原理運動をしている人間想像を絶するストイ

ックな生活をしている。物欲でこり固まった自民党体制派の人間をストイッ

クに改造はできない。反共という衣をつけて、ハナから利用するためだけに近

寄っているのだ。あるいは、そうした金と物欲に目がくらんだ自民党サイドの

人間に対し、「いつか必ず自分たちの前に拝跪させてやる」と復讐の念を燃や

しているかもしれないが。

虐殺兵と似た目つきの原理研

第三に、これは全体主義である。茶本氏は「ファシズムへの道」だというが、

その通りだ。文氏は、いわはヒットラーであり、『原理講論』は、さしずめ『

マインカンプである。『マインカンプ』の中には徹底した日本人軽視、黄

禍論があったが、日本語板ではそれを削除し、ヒットラーの力の前に幻惑され

日本は手を結んだ。それと同じように韓民族選民であり、世界の中心だと

いうことは、日本語板の『原理講論』では意図的に削除されてきた(最近は居

直って日本語板にも出しているが)。これと同じ過ちを日本体制側、そして

一部の右翼は再び犯そうとしている。

第四に、この狭量なストイシズム宗教としては光輝いて見えるが、世俗的権

力の奪取、文王朝建設を目指すという政治世界には入るや、必ず悪い結果

になるということだ。ロベスピエール、カルヴィン、松平定信…・・と、その

先例は歴史上にいくらでもある。

ツヴァイクの『権力とたたか良心』によると、宗教改革に成功したカルヴァ

ンは、他人のどんな小さな過ちも許せない狭量、厳格な人間で、徹底した恐怖

政治を敷き、「罪ある者が神の裁きをまぬがれるくらいなら、むしろ罪のない

者が処罰される方がいい」と公然告白したという。また、カルヴィンやロベ

ピエールはそのいい例だが、「禁欲と苦行のひとというのは、いちばん危険

専制君主典型である」と、ツヴァイクは言う。

それをもっと推し進めればカンボジアのポル・ポトになる。古い体制、古い倫理

観の人間は殺して、殺し尽くした。人口の半分も殺したというが、国民の半分

を殺して達成しなければならない革命とは一体何なのか。地獄カンボジア

実際に見てきたある新聞記者はこんなことを言っていた。古い体制人間を殺

尖兵は、少年たちだったという。その少年兵たちの目は、人間の生死はもと

より、もう何事にも感動を示さないし、 いわば<ゾンビ人間>の目だったとい

う。そして、その目はしょうど原理研の人たちの目に似ていたという。未来

暗示するようで、何かゾッとする話だ。

贖罪意識」につけ込む文鮮明

第五に、彼らもまた、<狼>だ。これだけでは何のことか分からないだろう。

僕は十年近く前、三一書房から腹腹時計と<狼>』という本を出したが、そ

爆弾事件の<狼>とあまりに似ていると思うのである個人的なまじめさに

おいて、また、日本戦争に対する贖罪意識の余りの強さにおいて・…。両者に

とっては先の戦争はまさしく原罪である日本韓国中国侵略し、残虐の

限りを尽くしたひどい国だ、と教えられ、一途に信じ込む。だから、再び、そ

うした国に経済侵略してゆく企業には爆弾を投げるという<狼>。彼らの中に

は「自分祖父や父は兵隊になって侵略たか自分はその贖罪のために新左

運動に入った」と公言するメンバーもいた。

それに対し、侵略した「サタン側の国」(日本からは、いくら金をしぼり取

り、人間消耗品のようにつかってもいい、という原理勝共朝鮮人参、印

鑑、大理石のツボ、花売り、街頭カンパ等、ありとあらゆる方法日本から

をかき集める。詐欺まがいの商法で、ピンク産業以外は何でもやっているとい

う(もっと統一教会としては、上からの指令はしていないと逃げているが)。

末端の会員ですら月に100万円のノルマを課せられ、日本全国からは月に2

0億円、年に240億円もの金がアメリカ文鮮明氏の元に送金されていると

いう。合法非合法を問わない強引なやり方で「サタンの国」からは徹底的に

金をしぼりとり、文王朝のために日本人は手足として使い、使い捨てにすれば

いいという考えだ。

会員もそれに甘んじている。これは日本戦争に対する韓国側の復讐なのかも

しれないが、日本人会員にとってはそうすることによって「侵略戦争」の贖罪

ができると思っている。<狼>クループ同様、屈辱的な贖罪史観、敗戦コンプ

レックスを色濃く引きずっている。

第六に、文王朝建設のために日本人の<献身美徳>が最大限に利用されてい

る、ということだ。いつの時代にも、他人のため、世界のために体をかけて働

いてみたいと願う正義感の強い青年たちはいる。方向性は違っても、戦前の青

将校、在野の右翼運動日本赤軍…・・。そして多分、原理運動に飛び込ん

だ人たちも大部分はそうした純粋動機からだろう。

今の日本のように皆が皆、自分さえよければいい、金がすべでだ、マイホーム

だ、酒だ女だとPermalink | 記事への反応(7) | 19:56

2022-04-27

anond:20220427020227

ヒットラーの上だとスターリン毛沢東

ヒットラーの下だとレオポルド2や東条英機(昭和天皇)。

あたりが殺人者ランキングの記録として残ってるみたいだね。

このランキングでいうなら、ヒットラーの隣に昭和天皇がーじゃなくて、ムッソリーニがいるのがおかしい。

殺した数が他より桁違いに小さいから。

ただ、ファシズムの生みの親ではあるけどね。

20世紀は史上最も大量殺人が行われた人類が狂ってた時代だった。

21世紀はまだわからん

核を使えば、プーチン歴代最高記録を断トツ更新できるだろうが、

はたしてどうなるか。

2021-07-23

アウシュヴィッツガス室への誤解

anond:20210718162617

人口数について簡単解説したけど、そのついでというかこんな話も。

 

大したプランもなしに始まったガス室

ホロコーストは誤解が多いというか、そんなに簡単でも無い話なのは間違いない。日本人ありがちな多くの誤解の一つが「アウシュヴィッツドイツにある」というものだろう。日本人に取って縁遠い話だし、義務教育世界史でも大して詳しく教科書に書いてあるわけでも無いから仕方ないが、ドイツ本国ではそんなに沢山のユダヤ人は殺されていないだとか、強制収容所絶滅収容所は違うだとか、ソ連でも現地虐殺部隊映画では例えば『炎628』は有名だが、あんな風なことが実際にあったかもしれないけど、その多くはピットを使った銃殺である現実の現地虐殺映画にしたら正視に耐えないだろう)でたくさん殺されたとか、細かい話をし出すと訳がわからなくなるかもしれない。

 

そんな多くの無理解や誤解の中でも、「ヒットラーナチスドイツ計画的ユダヤ人大量虐殺した」なる言葉に対する誤解があると思う。「計画的とあるから、何やらナチスドイツユダヤ人絶滅のために綿密なプラン策定してから絶滅計画推し進めたかのように捉えられがちだが、実は全然違う。むしろ最初から計画されたものではなかったと、今ではほとんどの歴史家同意している。昔は意図派と機能派と呼ばれる歴史家グループが盛んに論争したそうだが、最初から計画的意図的にユダヤ人絶滅を進めたという説はこの論争に敗れ去ったようである。私個人は、ナチス内部の権力争い・主導権争いがユダヤ人絶滅引き起こした原因だと考えているが、ユダヤ人絶滅ヒトラーの夢でもある事は間違いなかったと考える。そうでなければ、親衛隊だけでなく、ナチス全体、国防軍までユダヤ人絶滅に協力するなんてあり得なかったろうからだ。

 

しかし、ユダヤ人絶滅は、当初は確かに単なる支配地域からユダヤ人排除だった。そして当初のユダヤ人排除マスタープランであったマダガスカル作戦バトル・オブ・ブリテンでのドイツ実質的敗北によって実行できなくなった為、ドイツ地域東方へ拡大するというヒトラーの目論みと共に始まったバルバロッサ作戦、すなわち独ソ不可侵条約勝手に破ってソ連領へ進撃すると、今度はヨーロッパユダヤ人ソ連地域追放するという東方移送計画生まれる。ところが、この独ソ戦の見通しの甘さから最初こそ快進撃だったものの、1941年末には戦線が拡大しすぎて膠着状態に陥ってしまう。

 

しかし、ユダヤ人ポーランド地域などにあるゲットーへの移送(要するに狭い地域に押し込めることによる排除政策)がずっと続いため、とうとうゲットー悲鳴を上げ始めた。で、ゲットーに集めておいて、さら移送させるなどという面倒な事はやめて、ユダヤ人を殺すべきだ!との声が実際に上がり始めたのである現実には、共産主義と結託していたとみられたソ連地域ユダヤ人危険と見做され、ドイツ軍の進撃とともに、現地で絶滅させられる動きが既に始まっていたからであろう。

 

このような流れの中、1939年から既に始まっていた障害者絶滅作戦であるT4作戦を、ユダヤ人絶滅に流用する形で、ガス殺による大量殺戮実施されていくのである。だから毒ガス代表であるとされる青酸ガス=チクロンB最初は用いられず(実験的に使用されたという説もある)、T4作戦を引き継いだ形での一酸化炭素ボンから始まったのだ。もっとも、最初ポーランドポズナンでの精神障害者虐殺からスタートしたものをその辺の地域ユダヤ人殺害転用しただけのことである。そのうちに、ガスボン積載車地域を移動してガス殺を行うようになり、それがガソリンエンジン排ガスを使えば手っ取り早いということで、本格的なガス車へと移行していく。

 

このガス車によるユダヤ人殺害が、その近くにあったリッツマンシュタット・ゲットーでの「ユダヤ人なんか殺すべきだ!」との声に呼応する形でヘウムノ収容所で利用されるようになっていく。こうしてまず最初絶滅収容所であるヘウムノ絶滅収容所がガス車を持ちた形で稼働し始めたのであるリッツマンシュタット・ゲットーユダヤ人絶滅させるために。ヘウムノは一旦1943年中に活動を終えたのちに、1944年短期間だけ再稼働され、トータルで15万人以上のユダヤ人虐殺されたと言われる。

 

アウシュヴィッツビルケナウのガス室はどうだったのか?

これがいまいちよくわからない。ベウジェツ・ソビボル・トレブリンカはラインハルト作戦収容所として、ユダヤ人絶滅目的だけのために建設された収容所であり、かなり計画的ものであった事は間違いない。しかし、アウシュヴィッツラインハルト作戦収容所ではなく、そもそも一般強制収容所捕虜収容所であり、絶滅機能はあとで追加されたものであった。ではどのような経緯で絶滅収容所に設定されたのか? これが司令官だったルドルフ・ヘス証言の中にしか出てこない話で、ヘスは記憶を誤って証言したりしており、はっきりしない。最初ガス室アウシュヴィッツの基幹収容所で始まったのであるが、最初にガスで殺されたのは、1941年当時大勢いたロシア人捕虜だった。だが、この時確かに毒ガスを、アウシュヴィッツでは他の絶滅収容所とは違ってチクロンBで行くと決めたのであるチクロンB自体はマイダネク収容所も使っていたが、マイダネクでは一酸化炭素ガスやガス車もあるようで、これについては実態不明瞭ではっきりしない)。

 

そして、アウシュヴィッツビルケナウで本格的なガス室によるユダヤ人大量虐殺が始まったのは、実はアウシュヴィッツ基幹収容所ガス室観光用に公開されているガス室)でもなければ、有名なビルケナウのクレマトリウムでもなかった。ビルケナウの敷地外にある農家を改造した、日本語ではブンカーと呼称されるガス室からだったのである。このガス室は二箇所あったが、一箇所は既に影も形もなく、もう一箇所はほんの少しだけ土台を残す程度であり、おそらく一般にはあまり知られていないだろう。ここで、おそらく1942年3月から1943年3月頃の一年の間に15〜20万人程度のユダヤ人虐殺されたと考えられる。なお、同時に基幹収容所第一火葬場のガス室も使われていたようであるが、ここでは併設の火葬炉を死体処分に使っていたのだが、この火葬炉の数が少ししかなかったため、一度のガス室での殺害人数の少なさや焼却処理能力問題があり、毎日使うなどは全く無理であり、トータルで一万人もガス殺はされていないと言われている。このガス室1942年末で使われなくなった。

 

では有名な、ビルケナウのクレマトリウムはどうだったのか? 実は当初はこのビルケナウのクレマトリウムにはガス室は設定されていなかったのである。元々は純粋ビルケナウの囚人用のために設定された火葬場であり、のちにガス室となる場所はただの死体安置所であった。これが、どうしてガス室に変わったのかは、事情は複雑である。この謎については、実際にはとっくの昔にルドルフ・ヘス自伝にその理由を書いていたのだけど、細かく解き明かしたのは、1989年に発表されたJ-C-プレサックという薬剤師(プレサックは当初はホロコーストを題材にしたSF小説を書こうとしていたのである)による『アウシュヴィッツ ガス室操作技術である

 

ヘスは自伝で、ブンカーのガス室殺害遺体は、最初は単に近くにピットを掘って、埋めていただけだと書く。ところが、この大量遺体の埋葬が衛生的な問題引き起こしたので親衛隊トップヒムラー命令で、アウシュヴィッツを含めた各地の大量埋葬地の遺体をもう一度掘り起こして、焼却処分することになった。だがアウシュビッツでは焼却の始まる夏の終わりまでに10万体もの遺体を埋めていたため、これを焼却し切るには昼夜を問わず延々と焼却をし続ける必要があった。これが問題化する。夜でも煌々と光る焼却の炎は何キロも離れたところから見えるほど目立ち、ものすごい煙で悪臭が周辺数キロにまで漂い、地域住民は全員がアウシュヴィッツで大量殺戮を知ってしま事態へと発展してしまう。すでにある程度はガスによる大量虐殺情報は外部へ漏れワルシャワ地下組織などに伝わっていたが、この焼却はなんとニューヨークタイムズで報じられるまでになってしまう。

 

実は、ビルケナウのクレマトリウムガス室を併設する案は、これが原因だったのである。野外焼却をこのまま続けるのは秘匿性の観点問題ありすぎるので、ビルケナウの焼却場で遺体焼却を行い、それなら基幹収容所ガス室同様、焼却等に併設してしまえということになったのだと考えられる。そして、ソ連アウシュビッツ博物館資料から大量の図面を入手していたプレサックは、クレマトリウムに重大な設計変更がなされていることを見抜く。1942年の夏頃の図面にはあったはずの地下死体安置所に死体を下ろすための死体シュート1942年12月19日図面から消え去っていたのだった。これはどう考えても、死体が地下へ自分の足で降りていくことを意味するとしか考えられない、とプレサックは自著に記述したのである。他にも、死体安置所の扉は内開きだったのが外開きに変更されていたり、その後の図面では外開きの一枚扉に変更されていたりと、結論としてプレサックは、やはり多くの証言どおり、図面には死体安置所としか記述されていないそこは、ガス室である事は間違いないと決定付けたのだった。なお、証拠はそれだけではないのだがややこしくなるのでここでは省く。

 

このややこしい経緯のあるガス室全否定する修正主義者

修正主義者達はどんなことがあっても、ガス室だけは絶対に認めない。知恵の限りを絞り尽くしてでも、ガス室否定する論拠を導き出し、それがどんな出鱈目でも採用しようとする。有名なアルフレッドロイヒターなる死刑技術コンサルタント(当時彼1人しか全米にいなかった)がカナダ修正主義者エルンスト・ツンデル扇動罪に関する裁判で、有名なロイヒター報告を裁判に提出した(しか裁判から証拠採用されなかった)。曰く、アウシュヴィッツガス室とされる場所採取サンプルを分析すると、極めて微量のシアン化成分しか検出されず、ガス室などなかったと結論付けられると。「極めて微量」というのは、チクロンB合法的使用方法である害虫(疫病を媒介するシラミ駆除をしていた害虫駆除室のサンプルと比較して、という意味であるしかし、これは分析ルール違反であった。なぜなら、害虫駆除室と殺人ガス室におけるチクロンBの使い方は同じガスを使うというだけで全く異なる使用方法であり、さらに、害虫駆除室はガス処理は二十四時間が基本(ガス殺は1日あたり一回で30分程度)、その使用状況の違いか害虫駆除室ではプルシアンブルーという極めて安定したシアン化合物を生成しており(殺人ガス室にはなく、通常の壁表面などに浸透したシアン成分は安定度が低く、水などで大半は洗い流されてしまう)、これをロイヒターはサンプルにしているのだからほとんどインチキなのである。なお、余談的ではあるが、このロイヒターのアウシュヴィッツにおけるサンプル採取は完全に違法であり、無許可である。その上、ロイヒターらは入ってはいけない施錠された部屋の施錠を勝手にぶち壊したりして入ったりもしており、無茶苦茶であった(それをあろうことかロイヒターのチームはビデオに収めて堂々と公表しているのだから呆れてしまう)。

 

その数年後に、ポーランドクラクフ法医学研究所アウシュヴィッツ博物館側の正式依頼でロイヒター報告に対する対抗調査を行なって、プルシアンブルーを除外した上で分析した結果、殺人ガス室であると断定できる濃度のシアン成分を殺人ガス室から検出している。しかし、修正主義者は、クラクフ調査方法の方がインチキであるとして全く譲る気配はなかった。ともかく、修正主義者は、ほんとに知恵の限りを絞り尽くしてでも、そこはガス室絵ではなかったという結論を無理からにでも捻り出して、断じて認める気配はない。プレサックの死体シュートの話だって、実際には設計変更が工事の進捗状況に間に合わず死体シュートが作られてしまっていたことを理由に「死体シュートはあったのだから死体シュートは実際に使われたのである」などと、設計変更のことを無視したりしている。だが、その死体シュートが使われた証拠は何もない。

 

ガス室を正しく理解するのは難しいけれど

そう簡単な話でもないという事は少しは理解してほしい。もしホロコースト勉強したいのなら、修正主義なんかから入らず、まずは普通ホロコースト関連書籍を読むべきである。どうしてユダヤ人迫害ホロコーストに発展してしまったのか、あの時代はどんなことがあったのかなど、先に歴史を学ばないと、修正主義にコロッと騙されると思う。ガス室ひとつとっても、述べたようなさまざまな経緯の中で成立したものなのであって、予断を可能な限り廃して、普通の真面目な歴史学者・研究者達の記述内容に従うべきだろう。

 

でも、一部のネット民全然学ばないで修正主義に走るんだ、これが。なんでなんだろうね?

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん