はてなキーワード: 主犯格とは
詳らかに書くと万一加害者にこの増田を見られた時に身バレの危険があるからざっくりとしか書けないのが残念だ。
俺はその部活内で虐めに遭っていて、加害者はその虐めの主犯格の一人だった。
性被害に遭った時はたまたま俺と加害者だけが部室に居合わせてしまったんだよね。
俺が着替えてたら加害者が勃起したペニスを露出しながら近づいてきて俺にそれに触るように促した。
俺は当時苛烈な虐めに遭っていたせいで無気力状態だったので嫌々ながらも特段抵抗もせず加害者のペニスの先に触れた。
ヌメっとした感触がとてつもなく気色悪かったのをよく覚えてる。ダラダラに濡れてたんだよな。今でも思い出せるよ。
それで加害者は満足したのか、それとも発覚を恐れたのか、あるいは両方かもしれないけど俺に強く口止めして行為は終わった。
俺は校舎の玄関口の脇にある水道で何遍も何遍も繰り返し加害者の性器に触れた手を洗ったよ。
それから俺に不思議な現象が起こったんだよね。後遺症と言ってもいいかもしれない。
増田の場合は男性に対する恐怖心と女性に対する性的モノ化が強迫的に発現したみたいだけど、俺はそれとは全く違う現象に見舞われた。
俺は自分が同性愛者なんじゃないか?っていう疑念に苛まれたんだよね。
もちろん俺は同性愛者ではないはずなんだけど、同性からの性被害体験を経て以降の俺は、事あるごとに自分が実は同性愛者なんじゃないか?という疑念を覚え苦しめられた。
こういうことを書くと同性愛者に対する差別感情を疑われるかもしれないけど、そんなものは抱いたことはない。
ただ異性愛者だと思って、というかナチュラルに異性愛者の世界観に馴染んで生きていた自分が暴力的で未知の同性愛的行為を受けて懊悩し、苦しんだってことだと思う。
実は俺は自分が同性愛者なんじゃないかという疑念に一時期屈服して女性ホルモンを服用していた時期さえあった。
それは10代後半の一時期のことだったけど、某個人輸入代行業者を利用して女性ホルモンを服用していた。あまつさえ母親に「俺はゲイだと思う」とカミングアウトすらしてしまった。
でもさ、この時期もそうだし、なんなら今に至るまで俺は一度も”男で抜いたことがない”んだよな。当時の俺がどれだけ倒錯していたかわかるよな。女に興奮して女でオナニーしてる癖に自分はゲイだと確信して女性ホルモン服用して母親にもカミングアウトしてたんだよ。完全にどうかしてた。
そんな俺の妄信を解いてくれたのが意外なことにWikipedia先生だったんだよね。
ゲイになっても(便宜的にこう表現するけど後天的にゲイになるということはあり得ない、はず)なお過去の性被害に苦しめられていた俺はGoogle検索で「少年 性被害」とかそんな感じの検索ワードで検索を試みた。たぶん。正直ここら辺は記憶が曖昧。「少年時代 同性 性被害」とかだったかもしれん。
それで検索結果に表示されたこの記事を読んで俺のゲイという性自認は倒錯だって気が付けたんだよね。
具体的にはこの部分だね
加害者が男性の場合は男児が同性愛であれ異性愛であれ自分自身の性的指向や性的同一性に危機をもたらしやすい。
この疑問が激しくなりやすいのはどちらかというと異性愛の男性である。さらに、虐待時どれだけ自分の性的指向と性自認について自己認識がはっきりしていたかを考慮すると、この問題に関する議論はさらにややこしくなる。かなり低年齢の場合性自認に疑問を持つことが多いが、ある程度年齢が上がり性自認の自己認識がはっきりしてきたときであっても、今度は性役割のほうに不安を持ったりもする。たとえ性自認が安定していても、自分が主に同性愛か主に異性愛かがよく分からないときに虐待を受けた場合には自分が本来的に同性愛か異性愛か両性愛かとか様々に疑問を持ちやすい。
性的虐待を受けた男児が必ず同性愛者ではないかという誤解は本人と社会に共通のものだが、これは誤解である。だが性的虐待を受けた男児は異性愛であっても、被害を受動にし、同性愛に結びつけた結果として自分自身の性的指向の認識に著しい混乱をきたす。虐待の最中に勃起や射精が起こった場合、この混乱はより激しいものとなる。ペニスを挿入され前立腺を刺激されれば本人がどんなに嫌だと思おうと勃起する事が多いのであるが、こうした常識が日本に浸透しているとは言いがたい。
こういった性的虐待の場合には性的指向のセクシュアリティが揺らぐことが多いが、これは本人に激しい苦痛を与える。だが、性的指向を二分法で捉えがちな社会の常識に反し、実際には性的指向のセクシュアリィは複雑で多層的であるとアルフレッド・キンゼイは主張した。
俺は被害当時13歳で、かなりの低年齢ではないにしろ、自分が異性愛者である、という確固たる自覚みたいなものは持ち合わせていなかったし、オナニーだってしたことがなかったくらいに性の知識に疎く、言うなれば性自認が未分化な状況だった。
その様な状況下で鮮烈な同性愛的性被害を受けてしまったことで、俺はその後何年間も自分が同性愛者なのではないか?という疑念に苛まれる羽目になったわけだ。
ということで今では女性ホルモンも服用してないし完全に異性愛者っていう自覚を持ててるし母親にも気の迷いだったって説明することで解決を得てる。
俺は増田みたいに男性に対する恐怖心はあまり抱かなかった。幸いなことだったのかもしれない。でもその代わりに性自認が揺らぐっていう特殊な体験をした。
こうして増田の投稿にかこつける様な形で自分の性被害体験を語るのは本来あまり快いことではないかもしれないけど、もしかしたら俺みたいに同性から性被害を受けたことがきっかけで「自分が同性愛者なんじゃないか?」と悩んでる人の一助になるかもしれない、と思って書いてみた。
もうかなり経って今の私は完全に立ち直ったけれど、友人の従兄弟も似たような目に遭っていると聞いたので書く。告発とまではいかないが、子供を塾に通わせてる親はマジで気をつけてほしい。
私がいじめを受けたのは小学生の時で、有名なチェーン塾に通っていた。名前は伏せるが、合宿でハチマキを巻いて勉強するタイプの進学塾だ。小学四年生で入って、小学五年生の夏に辞めた。原因はお察しの通りいじめである。
いじめが始まったのは、入塾して二ヶ月が経った頃だった。組分けテストで好成績だった私は、下の方だったクラスから、一番上のクラスまで一気に上がった。上がった翌日には、私が先生に媚びた上にカンニングして上がった、という噂が流れていて、いじめられるようになった。勿論事実無根だ。先生には度々質問しに行っていたが、媚びてなどいないし、カンニングもしていない。事実無根のたったそれだけの理由で、私は延々といじめられる羽目になった。
いくら小学生と言えど、受験を目指している子供だ。頭がいい。証拠が残ることは一切されず、されたのは教科書やノートを隠されたり(授業後に返される)シャーペンの芯を粉々にされたり、あとは無視と悪口と痕が残らない程度の殴る蹴るの暴力を一年と少し。
ご飯が食べられなくなり体重はごっそり落ちたし、髪もかなり抜けたが、受験勉強によるストレスだと思う親は気づかない。先生も授業が終わればすぐに教室を後にし、クラス付けの先生もいないので気づかない。自分から助けを求めようにも、何度冤罪だと訴えても聞いてもらえなかった私は、先生や親に訴えて、信じてもらえずに軽蔑されるのが怖く、誰にも言えなかった。自分がいるのは一番上のクラスなので、勉強してクラスを変えよう、というのも無理だし、下に落ちれば未来はない、と先生に言われているのに手を抜くのも無理だった。要するに逃げ場がなかったのだ。
そして小学五年生の夏、足を蹴られた私はそのまま倒れ、机の角に頭をぶつけた。浅く、結局痕も残らなかったが軽く出血し、先生が来て大騒ぎになり、全てが露呈した。先生と主犯格の親が家まで来て平謝りしていたが、当然私は塾を辞め、少しの間カウンセラーに通った後に転塾した。中学には第二志望に受かった。今ではそこそこいいとこの大学生をやれている。
ただ、もしあそこで辞められていなかったら私は自殺していたと思う。実際末期には、暇さえあれば死に方を考えていた。塾という場所自体がいじめが起きやすい場所だと、もっと社会全体で認識すべきだと思うのだ。勉強や先生からのストレス、大人の目が少ない閉鎖空間、頭が良い子が大半を占めていて、真面目な子供は気が弱い子が多い。むしろ学校よりも条件が整っている。学校でのいじめ対策をしっかりする取り組みは行われているけれど、塾となればろくに行われていないのが現状だ。塾に子供を通わせている親は、その面でもしっかり目を光らせてあげてほしいし、塾自体の仕組みとしても、もう少し対策をしていくべきだと思う。誰かが死んでからでは絶対に遅い。
最初は、クラスの全員から無視される、掃除の時間にぞうきんを取られて取り返そうとすると投げ合って返してくれないなど。そこからさらにエスカレートして、私の椅子や机、文具などに触ると〇〇菌が移ると言って避けられるようになった。いわずもがな、私の身体がクラスメイトに触るととても嫌な顔をされた。身体的なものはなかった。ただただ精神的にきつい仕打ちが繰り返された。
それが半年〜1年くらい続いたと思う。先生は特に助けてくれなかったけど、翌年度のクラス替えで主犯格は全員別のクラスになったから気づいてはいたんどと思う。
今、30代半ば、それなりの大学を出て、何度か転職をしたけど、それなりの会社で働いている。
いまだに同僚や上司といった私的な付き合いのない人間が信頼しきれない。信頼というと大袈裟だけど、対人関係に常にうっすらとした不安感があるというか。
周りの様子を見ていると、ふつうは信頼するとかしないとか、そんなこと考えるまでもなく、人付き合いをしているみたいに見える。
不安感がずっと強くて、近頃生きているのがいよいよ辛くなってきていて、なんでだろうって考えたときに、とても古い出来事なのにいじめのことが思い起こされて、ここに吐き出している。
その後何年か、何十年か経って、まだ何か影響ってありますか?
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今日、小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。
その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された自分も同罪だし、あれはクラス全員が共犯者だった」と言った。
「”聲の形”のようにYさんを今から救うことはできないし、許されることもないし、反省して何かを学び取るしかできることはない」と言った。
あの時、だんじりから転げ落ちた私を見た人たちも罪悪感を抱えているのだろうか。そうなのだとしたらそれも狂気を止めなかった私のせいな気がする。
B中学校の出身でいじめをしていた人間は罪の意識に苛むことはあるのだろうか。何もなかったようにのうのうと生きているのだろうか。
どこかで偶然遭遇したとして、Yさんは私からの謝罪が欲しいだろうか。楽になりたいと思う私のエゴだろうか。
こういうことは忘れてはいけない気がする。だからまた”聲の形”を見る。
私は今、何をすることができるだろうか。贖罪とは。
最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。
昨日何度目かの視聴をした。
かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。
なんというか、人間の記憶は主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。
ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体もあやふやになる。
少しぼかして書いていることもある。
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クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。
何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。
喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我もしょっちゅうしていた。
私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。
そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。
男の子、女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲームが好きな人、ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。
カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。
小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。
5年生のクラスのメンバーには1年生の時からの友達も3年生からの友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。
登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。
いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)
私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか、消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。
初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。
とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動そのものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。
当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずでわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。
また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプの女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。
クラス替えをして、全然知らない、普段静かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。
多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人の対応をできるわけがない。
もしかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。
幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。
後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくまで個人間の諍いであった。
私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。
給食の時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食室から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分で牛乳を配膳した。
大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。
当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。
1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。
周囲が異変に気付き始める。
「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初のきっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているからこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名を命名した。キャッチーなあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。
しばらくしてクラスの人間が真似をし始めた。地獄の始まりである。
子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪の判断がつかないまま真似をする。
「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。
「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。
当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティは破滅に向かう。場面場面でお調子者キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団でいじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。
「〇〇菌」
誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめの様相と化した。
ランダムにペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子も露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。
愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。
今日の今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者に一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。
しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやかな小学校時代をぶち壊した。
わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキルで相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。
私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。
これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気はムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。
6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。
高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。
他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪な問題が顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラスが学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である。自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。
Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンでご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。
ある時、昼休みだったか「総合」の時間割だったかの時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。
私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。
私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。
まずは「このクラスにいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。
なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。
全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。
「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。
いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。
「手から離れた問題が雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。
私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやすい戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。
誰かに「無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。
「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいつはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。
「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。
醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生のカーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。
本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやかな生活を台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足も修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。
学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラスの黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにかけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。
その後、地元の公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。
自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。
私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。
大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりにおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。
私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。
それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名や過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。
中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。
それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。
私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。
入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力や金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。
どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間は勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。
兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分に資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。
私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校の出身者は次々とA小学校の出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。
A小学校の時に明るかった人間やクラスのカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。
私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめの被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分の黒歴史を見るようだった。
小学校時代を猿山の大将として過ごし、学級裁判でだんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。
高校に入ってからはしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。
自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。
大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。
アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。
過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。
私は27歳になった。
人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。
職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。
でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。
これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)
二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間は自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔にしかならないからだ。
いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。
私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまりに勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。
Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか。大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊だけが目的の人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。
でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。
精神が成熟していないコミュ二ティは悲劇だ。教員のせいにすることもできない。
とんでもないくだらない理由でいじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。
イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。
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今日、小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。
その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41
小学生の頃私をいじめていた人が事故で亡くなった。主犯格ではないがネチネチ嫌がらせされて、保健室で先生と話し合ったこともあった。それでも終わることのなかった悪意たち。
あの時はずっと恨んで、でも何もできない自分が悔しくて、悪口を言われた悲しみとでゴチャゴチャになって、家に不幸の手紙でも入れてやろうかなとかいう気持ちになって。入れなかったけど。誰も聞いていないところで「死ねば良いのに」とつぶやいたこともある。
そしたら、本当に死んだ。バイク事故で、事故の原因はドライバーの不注意。「あいつは何も悪くなかった、運が悪かった」そう教師は言っていた。
本当にこんなことがあるのだと思った。恨めしくて恨めしくて仕方ない相手があっけなく死ぬこと。朝、母が部屋に入ってきて言った「〇〇くん、事故で亡くなったんだって」。寝起きもあって、夢かと思った。うちの学校の卒業生で初めての死亡者だったので知る人はきっと多かっただろう。
切望していた死。でも、その時の感情はやったー!とか、よっしゃ!とかじゃなくてそうなんだ、なんか違うな…だった。
死を喜んだらバチが当たる気がして、あの時あんなに望んでいた死を受け入れる方法がわからなかった。
ただ、ツイッターで「天国の〇〇に届け」だのなんだのラインとかメッセージのスクショを貼ってるやつらに対して、実際に1人の人が死んでるのにこんなお涙頂戴みたいなこと本気でやっちゃうんだ…とゾッとしたのを覚えている。
……数年前のことだが、強い恨みに駆られたとき、このことを思い出す。今はもうあいつはこの世に存在していない。一緒になっていじめてたやつらは、今でもあいつのことを考えている瞬間があるのだろうか?もしかして、親族以外で一番あいつの死を考えてしまってるのかもしれない。ヘドが出る。けどどうして、念願叶ったというのに、この虚しさは何なんだ。
もし良かったら読んでください。
私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。
髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことはほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。
(背中のニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)
小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。
今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識も攻撃性もなく、学校の先生が家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まいで5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。
家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜や冷凍食品ばかりだし誕生日もほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテストや定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲームや必要なものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。
母の少女趣味で、4歳からバレエやピアノの習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。
そんな子供だったから、小学3年生のとき、給食の牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。
私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識がシフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめのパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。
いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由で土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。
運悪く、担任の先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちらから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児とクラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。
たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分の下駄箱に他の男児の上履きが突っ込んであった。
これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履きを適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。
そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。
「何してるんだぁ!」と担任が一喝すると、クラス中の注目が集まった。
みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。
担任に話を聞いてもらい、事態は理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。
私は他のクラスメイトとは自分と感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。
自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。
友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。
成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導をいただき、都道府県で公立トップの高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分をいじめなかった。とても驚いた。廊下で男子にぶつかったとき、気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。
中学生ぐらいからは、部活の友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通に友達や仲間ができた。
しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分は高校生からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。
流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。
頭の中の時間感覚がおかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。
結局ほとんど絵も学問も勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生の身分となった。
浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系の勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。
高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年間ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。
それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市の地方公務員として働いている。
陰険な上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれて毎日が過ごしやすい。
20歳頃からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正をマメにかけるようになり、あれほど男子に不細工、キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代の男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。
過去のことは忘れないと思う。
というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。
幸せな子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。
今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。10〜20年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分の人生を大切にすべきだった。
世の中の男を虜にし続けている西野七瀬や1000年に1度の逸材の橋本環奈に似ていると自称するアカウントが量産され、泡のように消えてはまた増える。
このようなイタチごっこは、所詮嘘つきの心を満たすだけなのだが、連鎖は止まらない。
「嘘松」や「虚言垢」と称される前から、ネットには数多の虚言癖が存在するが、ここでは、私のかつての友人であった、虚言癖のAちゃんの話をしようと思う。
スタイルが良くて、ピアノが弾けて、足も速くて、真面目で優しいAちゃん。なんでもできる子だなと思っていた。
中学生で隣のクラスながらも同じ学級委員会に入り、関わる機会は少なくなかった。
ある日の放課後、Aちゃんに泣きながら「いじめられていて死にたい」相談された。
詳しく聞くと、私のクラスメイトに殴られたり、暴言を浴びせられたそうだ。
当時、責任感の人一倍強かった私は、Aの異変に気づけなかったことやクラスメイトによるいじめを見抜けなかったことを非常に悔いた。
「私も守れなくてごめんねAちゃん」
そう泣きながら告げると、彼女は日記を渡してきた。どうやら日記をつけることが日課のようで、いじめのことが事細かに書いてあった。
他にも、同じ部活のBくんに告白されて付き合っていること。大好きな祖母が亡くなったこと。祖母が亡くなった上にいじめられて死にたいこと。Bくんには相談できないこと。たくさんのことがAちゃんの細くて綺麗な、いかにも習字を習っている人の字で綴られていた。
先生は動かないだろうと思った私は、自分で証拠を集めることにした。いじめを認め、謝らせることが先決である。まずいじめの主犯格の子から問い詰めてみた。
当然「何も知らない」と言っていた。しかし、その子は暴力を振るったとする日に最初から最後まで部活に出ている証言。Aちゃんが殴られた現場を見た人はいないどころか、殴られたらしい教室には人が何人か残っていたという証言。
嫌な予感がした。辻褄が合わない。でもAちゃんはそんな嘘をつく子ではない…
証拠探しに励む中、Aちゃんが普通の子ではないと気付いてしまった事件が起きた。
不要物検査中、Aちゃんのロッカーから私が見せられたのと同じ内容の日記が複数冊出てきたのだ。別の日記ではなく、同じ内容の、祖母の死から恋、いじめまで綴られた同じ日付と内容の日記が何冊も、だ。
凡そ常人のすることではない。理解ができず恐怖した。不要物検査をしていた風紀委員は、化け物に怯えるような声と顔で話してくれた。
事の顛末。Aちゃんの虚言癖が発覚し、私はAちゃんと縁を切った。騙されていたのが嫌だったのよりも、普通の子ではなかったAちゃんが怖くて仕方なかった。
彼女は息をするように嘘を吐いていたことになるが、泣きながら相談したAちゃんも演技には見えなかった。
つまり彼女の中では日記は全て真実なのだ。祖母が本当に亡くなっていたかは定かではなかったが、BくんはAちゃんに告白された側で、虚言のことを伝えると「付き合って1ヶ月しないで別れてよかった」 Bくんは震えながらそう言った。Aちゃんの中ではまだ続いていることになっていたことは追い討ちをかけるようで言えなかった。
Aちゃんに「嘘だったんだね」と告げた時、「みんなに私を見て欲しかったの」
そう言っていた。
「私を見て欲しいから」という理由で嘘をつくのはAちゃんも嘘松さんも大量の西野七瀬似美白透明感爆発ブルベ美少女たちも同じであろう。
虚言垢をキャッキャと楽しんでいる人は、周りに虚言癖を持たない素敵な友人達を持った人なんだなと思う。
私はもう虚言癖に振り回されるのはごめんだが、ついついバズる虚言垢達を見ずにはいられない。怖いもの見たさなのである。
ただ一つ加えるとすれば、彼女達への「嘘乙!」「はい論破」は、煽ってる側からすれば顔を真っ赤にしている姿を思い浮かべるが、実際は火に油で、彼女達は悲劇のヒロインを脚本通りに進められてご満悦なのである。
「虚言癖」が笑いとして消費される日が来ようとは、Aちゃんに恐怖したあの時の私は一切思わなかっただろう。
この話はあくまで日本国民一億2000万人いる中の、ある一人の意見であって、他の人たちに当てはまるかどうかはわからない。
ただ、小学校2年からいじめられて、おかげで中学~高校とパシリ生活を送り。
30過ぎるまで、その影響を引きづってた人生を送った結果たどり着いた結論として、
「もし自分の子供が出来て、もしいじめられる立場にあったら、絶対こういう風に教えてあげよう」と思っていた事だったから、これを機に書いてみたい。
や、マジはてな最高。 昔は増田の意味も知らなかったのに(俺の嫌いな元上司の名前でもあるから、なおさら敬遠してた。はてな)
ドラマ・リーガルハイで堺雅人演じる古美門研介が、岡田将生演じる羽生晴樹に対して「それが人間だ!(それが人間という生き物だ)」と一括するシーンがあるんだけど、まさにそうで、人間って生き物の中で生きてる以上はいじめは必ず発生します。
何故なら人間には感情があるから。 あなたも心当たりあるでしょう?
不潔な人とか、臭い人とか、電車で奇声あげてる人とか「キモイw」とか言って敬遠してるでしょ?
みんな、知らず知らずの内にやってんだよ。「身を守る」とか言ってね。
社会でも普通に仲間外しやらいじめは発生しますよ。あなたもその当事者の一人ですよ?
・・こんな理由で辞めた人に対して、多くの人はこう思うでしょう
「次の会社大丈夫なの? また同じ理由で辞めない??(特に面接官なんかそうだと思う)」
今の学校のいじめを、あらゆる手(教師や周りの大人や何なら教育委員会とか)を使って潰したとしても
いじめが辛いのはわかります。俺もそうでした。30超えた今だからこんな事書けるっていうのも自覚はしてます。
ただ、探偵さんや教育委員会含めて第三者のおかげでいじめが解決した本人(俺もその一人に該当するだろう)は
全員が全員ではもちろんないけれど。
ほぼ全ての子が成長しない。
むしろ心の傷を負っただけで何もプラスにならない訳です。少なくとも自分はそうだった。
ドラクエで言うなら(第三者のおかげで)瀕死の状態で戦闘から逃げられた(ステータスゲージが黄色じゃなくて赤の状態)のはいいんだけど
答えは未だに治っていません。
(かなり治ったけど)
よく聞くでしょ。
いじめられるまでは活発だったのに、いじめられてから急に性格が反対になってしまった(おとなしくなってしまったとか・etc)
自分もその一人だと思っていて、小学校2年生まではクラスのリーダー的な感じだったと自認していましたが(小学校の話だけど)
いじめられてからは、一転しておとなしくなって嫌われるのが怖くなって衝突するのが怖くなって。
「嫌われる勇気」に出てくる主人公を地で行く感じになってしまった。
「かわいそう」「うちの子供にはそうさせないようにしよう」
共感よろしくって感じだね。可哀そうって一番嫌いな言葉なんだけど、まあそれはいいとして。
この精神状態になるだけで、社会に出てからも大分遅れを取ってしまうことは、ほぼ間違いないと思う
もちろん、子供のいじめに気付くってのが大前提なんだけど、気づいた前提で話を進めたい。
俺なら子供にこういうだろう。
「俺が後の責任全部取るから、そいつの所に行って殴って来い。言いたい事全部言って来い。言いがかりでも構わないから」
なんでこんな事を言うのか。
例のいじめ探偵さんと一緒に出演していた女性は(俺の見解では)かなり、思い込みが激しい状態だったと思う。
気持ちはわかる。俺も今でも似たような気分になる。ヒソヒソ話しをされてたら、俺の悪口言われてるような気分になるアレな。
いわゆるコミュニケーション不足。
といえば簡単だが、じゃあコミュニケーションって何なのよって話なんだよね。
それを埋める為の、話し合いが必要という事。 たぶんお互いの溝は埋まらないでしょう。殴り合いになってケンカ別れになるかもしれないでしょう。
でもそれでいいと思う。
この辺りのフェーズを学生時代に経験しておくことが大事だと言いたい。
社会に利用される人たちは総じて弱い人であって、自分を主張できない人。自分を通せない人
(全員ではないけど、その要素はあると思ってる)
(俺もそうだったから)
学生時代はその練習が出来るチャンスなんですよね。周りのクソ共が何と言おうと。
自分で(もしくは、周りの親に知恵をもらいながら)はねのけるのが、本当の意味の成長なんじゃないかな。
そうしないと、本当に「私は(俺は)過去にいじめられた事がある」だけで終わっちゃうんです。
そうじゃなくて、「いじめられた事があるけど、そいつら全部ぶんなぐってやったwwwww」ぐらいにしてくれれば、自分の傷も癒されるし、
何より「自分の意見を通すこと」の「加減」 ←ここ大事! が肌感覚で身につく。
加減がわからないから、喧嘩出来ないし、出来ないからいじめられるでしょ? みなさん。
(みんなじゃないと思うけど)
高校なんて、親もいて、教員もいて周りに迷惑かけてもある程度は許される時期じゃないですか。
ここで他人に頼るようじゃ、社会に出てからも同じだと思うんです。
自分は一度、小学校の時にいじめてくる主犯格クラスの奴に抵抗的な事をした事があったけど、それからしばらくいじめは無かった。
相手もビビったんでしょう。大人の今になったらわかる事ではあるけれど、小学生のあのころに戻れるなら言ってやりたい。
「気のすむまで殴れ」って。別にストレス発散したい訳じゃなくて、あそこでそういう事を経験しておくことっで
将来社会に出てから、不良なんかが隣に座った時にやけに動悸が激しくなる・・・なんて事もなかったと思うんですね。
(実際小学校~高校の間に起こしたケンカ(少なからずもあった)は、実は社会に出た今でもかなり人間関係の駆け引きの部分で役に立っている)。
から、子供が出来たらこの考えは変わるのかもしれない。みんな子供は大事だものね。
でも大事だからって生暖かいお風呂に入れっぱなしにしていると、いずれ一人では出られなくなりますよ。 それが今回の文章の趣旨です。
それだけです。
長くなりました。
おなか減った。
静岡で起きた看護師拉致殺人事件の主犯格とされる男(39)が自殺したらしい。この被害者は不幸としか言いようがないが私は被害者よりも自殺した犯人の方が気になる。39歳で住所・職業不詳ということだが、今までどんな人生を送ってきたのだろうか。被害者とはどういう関係で目的はなんだったのか。全てが謎だ。
なぜ私が犯人のことばかり気にするかというと自分も将来、住所・職業不詳になる可能性があるからだ。収入が絶たれると誰もが犯罪者になってしまうのだろうか。もしそうなら私は犯罪を犯す前に自殺したい。
私はマスコミはあまり好きではないが今回だけは期待している。犯人の経歴を調べ上げ卒業文集も見せて欲しい。犯人の生い立ちを反面教師にして人生を立て直したい。
まあタイトルの通りなんだけどどうすりゃいいんだろう
例えば用務員のおっちゃん(今時はいないか)とかスポーツ少年団のコーチだとか本屋の絵本コーナーだとかおもちゃ屋さんだとか
そういう感じの「学校の先生じゃないが子どもと関わる仕事」に就いてる
でも一応、素行の悪い子は注意して指導しなきゃいけない立場にある
ここ数か月一部の子の間で性的な話をするのがブームになってるらしく
保健体育の授業に使うような本を見て「思春期になるとぉーー!!男の子はーー!!性器から毛が生えてぇー!!」なんて読み上げたり
辞書を引っ張り出して「コで調べてみよ!!あったぁーー!!肛門だってぇ!!!」「『ま』は~~?www」「まんこっ!w」「まんこは載ってないでしょwww」
みたいな会話をけっこうな大声でしてて困る
男女混合っていうのもあるし正直内容が内容だけに直接注意しに行けなくてどうしたらいいものか悩む
自分が小学生の時を思い返すとこいつらの歳くらいにはネットでエロ小説を探してこっそり読んだり
留守番中に父親の隠していたエロ本を見たりしていたので人のことは言えないが
大変なむっつりスケベだったので口に出してまんことか言うのは理解できない。しかも異性と一緒になってとか
いい大人になった今でも無理だ
やめさせるにはどうしたらいいんだろうか……
前にその子らの学校の先生に相談して注意してもらったことがあってその直後はおとなしくなったけどもう注意されたことなんか忘れてるっぽいんだよな
主犯格の子の名前は分かるが取り巻き全員の名前は覚えきれないし
取り巻きの子が「一緒にはしゃぐふりをしていたけど本当は嫌だった」とか言い出して最近のストーブ焼肉の件みたいに不当な連帯責任がーみたいになったらどうしようとか
いろいろ考えてしまう
ネットでもエロサイトとか見てるみたいだけどスナッフビデオまがいのものを見ちゃってトラウマにでもなればおとなしくなるだろうかと思う