はてなキーワード: 英才教育とは
https://www.youtube.com/watch?v=OdWdABGDsTs
↑見てて思ったこと
「睡眠欲ー寝ないと死ぬ」「食欲ー食べないと死ぬ」と来て、総括になるけど「生存欲ー生きたい」が3大ではないか
精神に問題無い限り、この3つは「生きてれば必ず欲するもの」だと思う(「生存」については他の2つみたいに積極的に行う「活動」ではないけれども)
そうすると「性欲」は疑問。アセクシャルじゃなくても「性欲わかない」は結構有りそう
(「それは精神の病やで」と言われたらそれまでだけど、ほんと「個人が生きていく」為に必須かってぇと違うしね。種の保存はまた別の話だなー)
あと、動画の中でも言ってたけど「文明の成長度合いと性欲って関係しているのかな」ってのはあると思う
文明が進むと「性」が秘匿され、なんなら忌避される傾向が強くなってる
その中で幼い頃から「エロはタブー」って意識が強くなり、不可触なものになる。するとどうしたって「性欲わかない」って状態に。ED・FSD英才教育
スポーツとか楽器とか英才教育をしてるジャンルがあるけど、それらが世襲制の世界線で特定の家系しかやってなかったら、今の世界線よりレベルはすごく低くなってると思う。
【追記】
こんなただのぼやきがホッテントリに入るとは。みんな気になってはいるのな。
「何の話?」って聞く人も多かったけど、そりゃあもうなんもかんもだよ。最近話題になっているものだと政治家の二世三世であるとか、梨園の市川なんたらの話とか。
個人的な話だと俺は地方都市で事業をやっていて、町おこし的なイベントで他の経営者やお店さんと関わることも多いのね。そういう中で創業者に比べて二代目って意識が低いというか見通しが甘いというか……そういう愚痴まじりのぼやきだったんだけども。
これは俺の書き方が悪かったんだけど、世襲をやる側にメリットがあることはもちろん知ってるよ。ノウハウやスキルと有形無形の資産の継承が容易なことや、一定のブランド力や信頼性を感じさせることとか。そういう要因があるから能力が不足していても世襲できるんだものね。
でもそれはその一族が競争力を持つ理由であって、だからこそ歴史の色々な場面で世襲が見られるんだけど、社会全体のプラスには決してならないよねって話。そういう競争優位性自体が新規の参入障壁になっている面がある。政治で言えば世襲政治家が選挙に勝つ理由ではあるけど、それが日本や地域のためになってるかっていうと疑問符がつくのではないかな。そのあたりを端的に説明してくれてるリプライがこれだと思う。
スポーツとか楽器とか英才教育をしてるジャンルがあるけど、それらが世襲制の世界線で特定の家系しかやってなかったら、今の世界線よりレベルはすごく低くなってると思う。
世襲がまかり通るとレベルが下がるんだよね。スポーツなんかの競技は結果がわかりやすいのでノウハウや資産の点で有利はあれども、能力以上の地位を得ることはできない。楽器というか音楽関係は世襲でレベルが下がっている面はあると思う。楽団のコネクションやファンはどうしても引き継ぐし、それで涙を呑んでいる実力者はいるだろうね。
あとは世襲に関して相反する意見が出ているのが面白いな。と思った。
だれもやりたくない役目を勝手に引き継いでくれる。
もちろんそれぞれ別の人が言ってるんだけど、ちょっと笑っちゃった。政治家の二代目が政治家の道を選ぶことを強いられているなら、それはまあモチベーションも上がらんやろね。世襲強要と世襲禁止とどっちが人権侵害度合が大きいのかしら。
これに関連して「職業選択の自由がある!世襲禁止は人権侵害!」というご意見は本当にごもっともで非の打ち所がないご意見なんだけども、書面上で平等なら平等でしょうというのは貴族的な考えが過ぎるように感じる。何人たりとも橋の下で寝てはいけない、なんて話もあるしね。
限られたポストに生まれによって能力不足の人が就くのは、あぶれた人の権利を侵害していると考えることもできる。そもそも政治家なんて望むべくもない生まれの人もいる。その事実は、差別ではない?
規制って基本的に差別なんだけど、社会をちょっと良くするために必要な場合もある。再エネに補助金出すのも差別。累進課税も差別。生活保護も差別。アメリカ大統領の三選禁止も差別。権力集中防止の観点から言っても、政治家の世襲には何らかの規制があっても良いんじゃないかと現時点ではまだ思う。
そして今回はじめて知ったけど、政治資金管理団体の相続はダメ、ゼッタイ!こんなのズルでしょうが!
ここにメスを入れることを公約に上げる政党があったら投票してやらんこともない(偉そう)
まだまだご意見募集中です!
特に世襲があることによる社会全体へのメリット(人権侵害でない)がうまく説明されてくれるならば、「世襲もいいよね!」と意見を変える準備はありまあす!
ムスコが平均サイズを少し下回っているという。
毎度、旅先の風呂場にて遠山の目付で観察を行っている。
別に、本気を出したムスコでチャンバラするのに大きい方が都合が良い、などと思っているわけではない。
しかし、中流より上に位置していることで安心を得るのが一般人の性である故、これは必要な行為なのだ。
なお、これが当地における統計的平均を示すものではないことは予め断っておく。
地元ナンバーがほとんどのスーパー銭湯ではあったが、わずか一時間ばかりの間の観察結果に過ぎないので、俺のは例外だ、と異議申し立てされても困る。
目立ったのは、皮付きだ。
部活帰りらしい高校生大学生からおっさんじいさんまで、多くの人が皮付きなのだ。
いや、見栄なのはわかっている。
これは地域性なのか?
各地での観察の結果、日本人の7割は火星という説はアテにならんというか、わからんな、という認識でいたのだが、ここ上越では確かに当てはまる。
大きさ的には普通だ。
皮付きか否かよりも長さの方で見栄を張っているのか?
サイズの分布に関しても、わりと一般に出回っている統計通りな感じだ。
観察していた中では、やたら立派なムスコをお持ちの方は二人いただけだ。
本気出したら最低でも1.5倍か、恐ろしいな。
小さい方も、やはりそこまで多くはない。
太ると埋もれる、という通説も確かのようだ。
今まで目にしたことはなかったのだが、残酷な遺伝の結果を今回は観測してしまった。
オトウサンと呼ばれた個体のムスコさんは小さく、ドリル皮付き。
一方、息子のムスコはかなりご立派。
10cmは下らないだろう。
毛が無い、色素沈着も始まっていない。
にも拘わらずそのサイズ、その露頭。
これはあれか、世に言う、母による「むきむき体操」による結果か。
あれ、ムクことに快感を伴うことを知った時、息子としては死にたくなること間違いない体操だよなと思って以来、反対の立場を取っていたのだが。
幼少期からの英才教育の結果がこれだとするなら、安易に反対もできない。
オトウサン、泣いていいぞ。
それとも、連れ子だったり養子だったりするんだろうか。
托卵の結果であるとは、同じ男として思いたくない。
さあ、次はどこへ行こうかな。
平成11年の 夏ごろに、 井上の鼻の孔が、 駿台模試の成績が返ってきた時にいったじゃん この大阪の 一位の生徒の名前は、 なんて読むんですかねとかいいながら
読み方を間違っていたけど覚えていない。 しかし、 主税に似たような名前だったと思う。 駿台全国模試でダントツ一位ということだった。
んでそんときに、こういう子は英才教育をうけてるんですねーとかでね、古小路英里子とか、前田隆信とかもそんときにそこの教室におったとおもんだけど
で、その時代は、その主税という全国一位の人がどんな人かしらんのやったんだけど、後日のことで、実は、昭和の遺物だったんですね
んで、その時代はすげーすげーと思っていたんだけど、実物みたら、滅茶苦茶ざんねんな人だったんですよね
わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入・容姿・コミュ力・モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。
そしてその層の生きづらさと鬱屈の責任を、弱者男性と対をなす「強者男性」ではなく、「弱者男性を相手にしない女性」に結びつけてきた。
声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。
こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやすい議論だった。
自分を弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面から向かい合ったら、そこには自責の余地が生まれる。
自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。
考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。
それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。
弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。
そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。
ところが去年、白饅頭が医療従事者を社会的強者として叩いて炎上した。
https://togetter.com/li/1926636
今回、わかり手が大谷の容姿をネオテニーだ中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。
https://togetter.com/li/2098940
どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性」自体を直接射程に入れた議論だ。
「医者はもっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的でブルジョワっぽいからキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家が経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュア・エリート出身者」「メス化」…。
ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、
それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。
(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者=医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)
彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間で活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。
だから彼らは、そうした現実をファンタジーの方に合わせようとして、
彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。
彼らは強者男性にいつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。
雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、
そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。
この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、
こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。
そこで語られるのは、端的に言えば、教育・就職先・文化資本・社会階級をめぐる堂々巡りの自意識だ。
そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。
単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIXや鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って
高収入を得て美しい妻を娶って生まれた自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が
人生の勝ち組であり、その中でも新参者や中途半端な位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。
この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、
トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、
そこにはもはや「女性は弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。
一億総中流と言われた社会が解体しきって、日本でもペアレントクラシーによる
階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。
わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。
その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組だから、という皮肉な現実はさておいても、
そもそもこうした露骨な階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。
タワマン文学時代の強者男性とは、すなわち階級的強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。
そうしたペアレントクラシーによる階級の固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。
でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。
そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。
語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさない真実というものがある。
LOVEBITESという日本の女性メタルバンドの周辺がいまちょっと面白いことになっているので解説します。ヘヴィメタルに興味がない人も人間ドラマとして味わい深いのでよかったら読んでみてください。
LOVEBITESの動画には「私は今年70歳になるロックファンだが30年振りに夢中になれるニューバンドを見つけた」というような英語コメントが頻繁に書き込まれる。「LOVEBITES reaction」でYouTube検索すると膨大な量の海外リアクターの動画と、そこに書き込まれた膨大なオタク早口の英語コメントを見つけることができる。Wikipediaは日本語版より英語版の方がはるかに充実している。そういう存在のバンドだ。
世界中の音楽チャートがヒップホップやR&Bといったダンスミュージック中心になってもう長いこと経つ。そんな中で日本のチャートは異様なほど独自の多様性がある。別の言い方をすると世界的な音楽トレンドから取り残されて、時代遅れのダサい音楽も生き延びる余地があるユニークなシーンだ。
2010年代前半BABYMETALがアイドル+メタルの企画物としてデビューした。しかしながらボーカルの歌声とメタルアレンジが本物すぎたので妙に受けた。特にメタル音楽がほぼ失速していた海外においてメタルファンが衝撃を受けた。それ以降、流行りの音楽とは別の嗜好を持った世界中の音楽ファンたちが日本のインディーバンドを熱心に発掘するようになった。
なぜ、日本ではロックバンドが生き延びているのか。アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の設定にもあったが、80~90年代のバンドブーム世代の人たちがお父さんお母さんになり、親の聴くロックバンドの影響を受けた子供たち世代が出てきたのが今の日本だ。
BABYMETALと同時期に国内ではDESTROSEという女性ジャパメタバンドが活動していた。DESTROSEはメンバーも安定せず成功したとは言い難いが、現在のシーンを牽引するNEMOPHILA、FATE GEARなどのメンバーを輩出した重要バンドである。そしてまたLOVEBITESも元DESTROSEのメンバーが結成したバンドだ。
NEMOPHILAやLOVEBITESの世代の特徴は圧倒的に本格派という点にある。例外はあるが、それ以前の女性バンドは男性バンドにくらべると演奏技術がそれほど高くなかったり、どこか女性的なポップさがあったりした。だが今のバンドは演奏技術や音の志向において、もはや男女の区別は意味を持たない。
LOVEBITESの音楽は、アイアン・メイデンやジューダス・プリーストのようなパワーメタルと、ハロウィンやドラゴンフォースのようなメロディックスピードメタルの系譜にある。サビがメジャーコードのメロスピを演奏してさまになるのは国内では稀有な存在である。
日本人女性の発声はハイトーンになると細くキンキンしがちでメタルでは不利なことが多い。BABYMETALは、アイドル的な透明感がありつつ激しい演奏の中でもよく通るSU-METALの声が重要な成功要因であった。LOVEBITESのボーカリストasamiは低い音から高い音まで発声の気持ち良さが特徴で、他のボーカリストやボイストレーナーから発声に関する評価が非常に高い。やさぐれた感じがせず声を張り上げたりドスをきかせたりしてもどこか品がある点も過去にあまりいなかったタイプだ。さらにクラシックバレエの素養もあり、長いギターソロ中でも手持無沙汰になることなくパフォーマンスできる。
バラードはほとんどやらない。全員が鍵盤楽器を弾けて本格的なクラシックピアノが弾けるメンバーもいるが、これまで50曲近くリリースした中で激しい展開にならないスローバラードはわずか1曲のみである。基本的にはテクニカルでパワーとスピード命で、海外メタルのトレンドも踏まえた音楽性になっている。そのためデビュー後すぐに海外からも注目された。
デビューの翌年には英国のメタル雑誌でBEST NEW BANDを受賞して、その次の年にはドラゴンフォースの英国ツアーに参加している。
バンドも好調で、2020年のZepp Tokyoのライブはもはや伝説的なクオリティだ。
そこまで注目されていたLOVEBITESだが、2021年ベースのmihoが脱退する。コロナの影響による環境変化でライブなどの活動ができなくなり、いろいろと思うところがあったようだ。mihoはバンドの創始者であり、LOVEBITESのコンセプトもmihoによるものが大きかったはずだ。バンドはそのまま終わってもおかしくない状態と思われた。
2022年コロナ禍が徐々におさまる兆しが見えてきた中、残されたメンバーはベーシストオーディションプロジェクトを発表した。東京都内近郊を拠点として日本と世界各地で活動できること、というのが唯一の条件で、年齢・性別・国籍・プロ/アマ問わず応募可能としていた。
このオーディションには、すでにソロ活動で一定の評価を得ている彪(AYA)、一ノ瀬といった実力派ベーシストも参加した。
ここで登場するのがfamiだ。
YouTubeにやたらうまいベース動画を上げているJKがいると以前から話題になっていた配信者、登録者数は67万人もいるチャンネルなので一度は見たことがあるかもしれない。顔出しをせず、自室のドアの前で踊りながらスラップやタッピングを多用したトリッキーなアレンジでボカロ曲カバーを演奏する。リアルぼっちちゃんレベル100みたいなベーシストだ。
高校を卒業し、クラウド・ファンディングでソロアルバムを出し、すぐに川口千里のような実力派ミュージシャンとして活動していくものと期待されていたが、その後あまりうまくいっていなかったようでYouTubeチャンネルも数カ月更新が止まっていた。
それが2022年10月に「皆様に大切なお知らせがあります」という動画を突然公開した。
YouTuberの言う大切なお知らせはたいてい大切でもなんでもないしょうもないものと相場が決まっているがこれは違った。
LOVEBITESのオーディション最終選考に合格して、バンド側の発表動画も公開されたという内容をオタク早口でたたみかける内容だった。また、この動画から顔出しをしてカメラに向かってしゃべっており、アーティストとしてあらたな道を踏み出した決意を感じる。
どんなベーシストでも前任者のmihoと比べられてしまうのは避けられない。mihoは安定したリズムと時折見せるセンスの光るオブリガートの評価が高い王道メタルベーシストだった。手足の長い恵まれたスタイルに低く構えたベースのたたずまいはステージ映えしてLOVEBITESの悪そうでかっこいい側面を担っていた。
famiのキャラクターはそれとはまったく異なる。明るく楽しそうにぴょんぴょん飛び跳ねながら5弦ベースをスラッピングするベーシストだ。オーディション時点では19歳でおそらく他のメンバーとは10歳近い差があり新世代という印象だ。この新たな風こそがバンドの必要としていたものだった。
アイアン・メイデンのスティーヴ・ハリス的ベーシストが抜けてミスター・ビッグのビリー・シーン的ベーシストが加入しLOVEBITESは新体制となった。以前からfamiとLOVEBITESの両方を知っていたリスナーにとっては、別々の線がひとつに交差して、止まっていた二つの物語がトップスピードで再開するという衝撃的な嬉しいニュースとなった。
ただ、famiはトリッキーでテクニカルではあるもののメタルのベースが弾けるのか、と心配する声もあった。公開している曲はボカロカバーばかりだし、ソロアルバムもメタル色はなかったからだ。
そんな中、2023年2月22日に満を持してLOVEBITESの新アルバムがリリースされた。吉と出るか凶と出るかfamiにとってもバンドにとっても審判の日である。
そこにはBPM200の16分音符で凶悪かつスリリングにルートを刻むfamiがいた。ドラムとの相性もよくメタルのベーシストとしても超一流であることをfamiは実力で証明した。これを聴けばもう心配する人はいないだろう。実はLOVEBITES加入まで語られてこなかったがfamiもまたメタラー親父に英才教育を受けたメタラー二世だったのだ。
他方、バンドの方にも変化が見られた。アルバム発売日に公開された新曲のMVはいままでのLOVEBITESとかなり異なるものだった。曲のパワーとスピードはこれまで以上であるが、以前のようなメタルの美学的な映像ではなくカジュアルな服装で楽しそうにわちゃわちゃ演奏している明るいMVになっている。こういった演出もfami加入以前には考えられなかっただろう。
アルバムとしての評価も高く、すでに世界中のメタルチャートで一位となっている。
そして3月の復活ライブはチケットが瞬殺した。YouTubeコメントを見ると海外ファンも飛行機に乗ってこのライブを見るためにチケットを買ったらしい。その後も9月には国内ツアーが予定されている。完全復活である。近いうちに海外イベントにもまた出演するだろう。
○ご飯
○調子
・はじめに
1920年のイギリスを舞台に、新人メイドの女の子エリーが主人のアーヴィンが亡くなる夢を見る、彼女は両親が亡くなったときも同じように夢を見たことを思い出し主人の運命を変えるため奮闘するアドベンチャーゲーム。
株式会社オレンジのロマンティックミステリーシリーズの第一弾で、シリーズ間の繋がりとかはないのだけど、せっかくなので一作目から遊んだ。
主人公が女の子で、イケメンに囲まれて、意地悪な令嬢や同僚のメイドもいたりと、割と乙女ゲームな雰囲気もあるものの、大筋としては主人であるアーヴィンの身に巻き起こる様々な苦難を回避しつつ、その犯人を見つけるミステリなお話が主題。
とはいえ、最後の方には恋愛の要素も絡んでおり、オマケ程度かもしれないがキュンとくるやりとりもあった。
両親を亡くし幼いながらもメイドとして働いている主人公のエリー。
そんな生い立ちながら、かなりグイグイ事件に口を出す。
そこはもう少しおとなしくしておいたほうが…… と思わず心配になってしまう程度には事件や屋敷の噂話に興味津々に質問や立ち聞きを繰り返すにが図太い。
性格的にというよりは、ゲームの尺の都合でそうしているようで、本人的には度々反省のシーンが入るのも図太い良い子。
とは言っても、10クリックほど文章を読み進みるとまたシレッと立ち聞き、盗み聞き、遠慮のない質問を繰り返すのが面白かった。
これもゲームの尺の都合もあるのかもしれないが、犯人の自白シーンをスラスラと先回りして要約していく頭の良さが素晴らしい。
特に1920年代の倫理観というか、価値観を踏まえた仕掛けなんかは遊んでいる僕の推測を大きく先回りしていくところは、作者さんの中でエリーが生き生きと動いている証拠のように思えて楽しかった。
また、朝寝坊のシーンが多く、身支度が苦手な描写が多い女性キャラのことをパトレイバーの泉野明以来僕が好きなのも大きいかもしれない。
貴族としての英才教育と、ロンドンの学校での教育を受けていることで、貴族の中でも先進的なものの考え方をしている。
自身の当主としての責任をとても重く捉えており、領民や領地のことを常に考えノブレスオブリージュを掲げる良い貴族としての振る舞いが格好いい。
それでいてまだ学校を卒業したばかりなこともあり、主人公のエリーの図太い捜査や質問にはフランクに答えてくれるところが乙女ゲーしてる感があって良い。
しかし、彼の魅力はなんといっても、周りからすぐ殺されてしまう儚さだろう。
そういうゲームだからと言ってしまえばそれまでだけど、何をするにしても選択肢を間違うと彼が殺されてしまう。
間接的なソレも含めれば主人公以外のほぼ全員に殺される可能性があるとても可哀想な人だ。
別に彼が悪いことをしたわけでは一才なく、貴族としても人間としてもすばらいしい立ち居振る舞いをしているからこそ、
主人公のエリーがアーヴィン様を守るために奮闘する姿に感情移入でき、彼を救うためにゲームをプレイするのが楽しかった。
・ユーインはちょっと苦手だった
そんな冷静なアーヴィン様に対してもう一人の攻略キャラであるユーインは、ちょっと取ってつけた感があったかな。
遺産相続の場に何故か呼ばれた平民で、あまり良い暮らしをしてこず、マナーの知識もなく言動も乱暴なキャラ。
捜査の過程で仲良くなり最終的には結ばれることも出来るものの、3時間ほどのプレイ時間の中に二人の攻略キャラを詰め込むのは無理があった。
アーヴィン様と比べると単純に文量が少ない上に、エリーが何故彼に惹かれたのかがわかるシーンも少なく、ここはゲームの都合を都合として飲み込めずしっくりこなかった。
アーヴィン様の死を夢で知ることから始まり、それを先回りする展開が面白い。
予知という武器があるものの、一足飛びにソレを言っても信用してもらえないので捜査や聞き込みが必要なので、ゲームのプレイ感覚としては割と普通。
しかし予知による先回りが成功することで殺人事件を扱いながら人が死なないことで、加害者の罪が軽く再起の道も示されていて、優しい世界観になっているのが良き。
トリックらしいトリック、謎らしい謎の印象は薄かったものの、証拠品を集めて犯人と対峙するオーソドックスなADVとしての勘所である「指摘する快感」を抑えていて、こういうのでいいんだよこういうので、と納得できた。
・同僚のルイザがウザ可愛い
全体のボリュームとしてはとても少ないものの、同僚の女の子であるルイザは嫌味ったらしいし、かなり酷いことをしてくるんだけど、最終的には憎めないウザ可愛いキャラに感じられた。
ユーインのルートがしっくりこなかったのもあって、ルイザとの百合ルートがあればよかったのになあ、と妄想が羽ばたく。
同じ部屋で毎日寝起きしてるわりに交流が序盤しかないの勿体無いと思うんだよね。
・さいごに
ミステリの部分に関しては無理に気を衒った展開をせずに、物語の彩りとしてそっとやれるだけのことをやっていて、かつ丁寧でそれに自覚的なこういう作風が好きだな。
良い意味で小さくまとまっていて、余白を楽しめるのも好き。
よく来るパキスタン人のお客様と、そのお客様のご友人でたまに来る何人かは不明な(見た目的にパキスタン人のお客様とは人種と宗教が違っていそうだが、人種と宗教が違うってだけでやはりパキスタン人なのかもしれないものの、英語でコミュニケーションしておられるのでよくわからない)お客様が久しぶりに来店。この人達、時々ジョークを言うけど笑いのツボが日本人とは全然違うらしくて、店員の方がノると真顔になるところが地味に厄介だ。以前、彼らへの対応に困って私とAさんは話し合った結果、取り合えずスルーでいいんじゃね?(愛想笑いしても「は?」とか言われるし)という結論を出した。
パキスタン人のお客様とそのご友人のお客様が来店した時、私はトイレ掃除をしていたのだが、彼らはわざわざトイレまでやって来て、
「ハーイ、元気~? すごく久しぶりだねー!」
と声をかけてきた。めっちゃノリいいな今日。この人ら、「会えて嬉しいよ~」とか言ってきがちだけど、こっちが「私も~」と言うと急にテンションダウンして「ほんとはそんな事思ってないでしょ」とか言うので面倒臭いんだよな、と思いつつ、
「お久しぶりです~。元気です~!」
と答えた(ちなみに、外国語の授業のテンプレみたいに迂闊に「あなたは?」なんてつけると、スッゴいテンション低く「いや、僕はあんまり……」とか返して来て以後無言になるので面倒臭い)。でも今回は、
「僕、最近は夜にここに来なくなっちゃったから本当に久しぶりだよねー。会えて嬉しいよ~」
「私もお会いできて嬉しいですー」
と答えても寒い展開にはならなかったのでよかった。
で、トイレ掃除が終わった後、そのお客様達はまだ店内にいたのだけど、私がレジに戻ると買い物籠を持ってこっちにやって来きた。そしてパキスタン人のお客様のご友人なお客様は藪から棒に、
と言った。センシティブな話題でも果敢に切り出して来るなこの人。
「そうなんです、残ったの、私とそこの彼(Aさん)だけ」
と私が答えると、
「女の子達(女子フリーターアルバイトさんとDさん)はクビ?」
Oh……! 思わず肩を竦めたら偶然にもお客様とジェスチャーが合ってしまって、すごくノリいい店員みたいになってしまった。
女子フリーターアルバイトさんは本当にクビになったんだが、だからってええクビですなんて言うのは心証が悪いかもなと咄嗟に思った、それで、
「彼女らは二人とも、それぞれやることがあって辞めたんです。一人は他に稼げる仕事を見つけて、もう一人は外国に行きました」
と私は答えた。おっしゃ嘘は吐いてない! こういう時私は顔に色々出やすいらしく、よく外国人のお客様達から「今、嘘吐いたでしょ」と突っ込まれがち(例えば三色団子を美味しいかどうか聞かれて、よりによって好みが別れがちなものをと思いつつ「はい」と答えた時とか)なので、緊張する。今回の場合は、お客様は、
「そっかー。それは残念だけど仕方ないよねー」
と納得して機嫌よく「またねー!」と帰って行った。お客様、彼女達は絶対クビにならなさそうなタイプだと思って「クビ?」と聞いて来たのか、それともいかにもクビになりそうだったからそう聞いて来たのか、微妙。個人的は、彼女らは二人ともめちゃめちゃ有能だったが、それぞれクビになりそうな要素はわりとあったと思う……。
当店の付近には多くのパキスタン人が住んでいる。時々、彼らと結婚した日本人女性も当店に買い物に来る。ムスリムと結婚するには改宗必須なので、彼女達もムスリマらしい服装をしている。イスラム教徒の女性は他教徒からは色々言われているけど、規律の範囲内では案外自由なのかなという所もある。服装は決まっていてもメイクはしているとか、ここいら辺では治安とか夫の仕事の事情とかの関係か、一人で買い物に出歩いている姿もよく見かける。
けれども、当店に買い物に来るムスリムと結婚した日本人女性は……なんか、とても幸薄そうな感じなので、地味に気になる……。大丈夫か……?
当店の辺りにパキスタン人が多いのはけっこう昔からで、十数年前に私がとある工場でパートをしていた時に、先輩にパキスタン人の若者と結婚した女性(60代くらいかな)がいた。その人は旦那さんの実家に里帰りしたときは、一族郎党歓迎してくれて楽しかったと言っていた。皆と仲良くなって、本場のひよこ豆のグリーンカレーのレシピを教わって帰って来たと。
山田詠美の小説に出てくるようなファンキーな女性で、そうとう遊んでいるお洒落なヘビースモーカーだったけど、そういう人でもパキスタンに行っても馴染めるもんなんだなあーと感心してしまった。彼女と、現在当店に時々やって来るパキスタン人と結婚した若い日本人女性とは、タイプが真逆で、なんかすごい……。
最近、行政書士だかなんだかの政治家の人が、イートインの閉鎖されたコンビニの店内でおにぎり食ってそこの店員と揉めたニュースが話題になっている。当店にも店内で色々無視して店内飲食をする客はしばしば来るけど、そういう事をやるだけあって、人の皮を被った獣みたいな連中ばかりなので、注意するのはもう諦めた。オーナーも、ああいう輩はマトモじゃないから相手をしちゃいけないと言うので、私ども従業員も大人しくオーナーに従っている。
しかし、去年の暮れだったかに来た家族連れは凄まじかった。夫婦とその子供が四、五人というご一行だったが(とか言うとどうせ若い夫婦なんだろという偏見を持たれるのだが、別に若くない40代くらいの夫婦だった)、大量のパスタやグラタンを会計に持ってきて、すぐレンジで温めろと命じて来た。そして温まったそばから店内の、イートイン跡地に持って行っては子供達に立ち食いをさせるのだ。
両方のレジを使って大量の商品の会計をさせられた私とAさんは最初何が起きているのか分からなかったが、子供達がうまいうまい言ってる声が聴こえて来たところで、「あっこれ注意したら死ぬほど揉めるやつだ」と悟った。そこでもしわざわざ「店内飲食は禁止です」なんて言えば、
「もう子供達食べ始まってるだろ! なのに今から外で食えって追い出すのか!!」
なんつって、私どもの胸ぐら掴んで怒鳴り散らすパターン。悪い奴っていうのは、平気で子供を楯にして店員を恫喝してくる。コンビニバイト以外の接客業も私はしたことがあるけど、本当によくあることだ。これじゃ悪質クレーマーの英才教育だよなあと思って見てる。
緊張したり不安になると陰部を触ってしまう性質を持った人というのは一定数存在するんだけど
(どっかの芸能人もそうだったはず)
彼ら彼女らはだいたい親に「そんなところ触っちゃいけません」って怒られるのね
つまり、社会的に「自分の陰部を触る」ということ自体が「悪」だと認識されているわけ
18禁のコンテンツに触れる触れない関わらず「性に関わること全般」が「悪」として捉えられる実情がある
※実際には「公衆の面前で性的なことを行うことを悪としているのだが子供には判別がつきづらい」
もう20年前になるが、うちの家庭はドラマでキスシーンが映るだけでチャンネルを変えられていた
子供たちは「性的なことは悪である」という英才教育を受けて育った「性的なことは悪である」エリートであり、
社会が「性的なこと」をどう受け止め、どう教育していくかというもっと大きな問題だと思うのね
これは子供たちが「自慰は悪である」という思い込みを受けてしまうことのみならず
「自分の身体が性的な形に変化していくことが受け入れられない女子」のような
例えばね、絵だったらPixiv、小説だったら小説家になろうに行くと素人の酷い出来の作品に出くわすことがよくある。
でも今まで音楽ではそういうこと無かったんだ。
インディーズって言っても普通に聴けたし、地元のオーケストラのコンサートなんかも普通に聴ける出来。マイナーなアイドルの楽曲も、印象に残らなくても違和感を感じるまでではなかった。
その曲との出会いは偶然で、自分の推してる作家がMV作ってる歌のうちのひとつだった。その作家の作った新作の出来が良かったから過去の作品も見たくなったんだよね。ところが、そのうちの1作の歌が最後まで聴けない。歌手は無名で、音楽の素人の俺ではうまく説明できないが、構成が変、としか言い様がない曲だった。音痴とも違う。だが明らかに、欲しいメロディが来ないという感じで気持ち悪くなるような曲だった。
それで俺はやっと、今まで俺の耳に入っていた音楽は一定水準を超えていたんだなとわかった。考えてみれば、音楽というのは誰でも続けられるものではない。小さい頃から音楽教室に通って、楽器を弾けるようになり、正しい知識や理論を身につけた選ばれた人間だけが音楽を作れる。全身入れ墨のボカロPでもピアノを当たり前のように弾ける。それは英才教育によるものだ。
絵や小説とは、かけられている手間や金が違うのだと、俺は思ったね。
金で買えるのが機会だけなら博奕とかわらんやろ
教育を金に換えると幾らになるって基準がないと教材や授業の商業的価値としての値段しかないやろ
それを負担する一定の基準を設けるとしたら教育の水準の一定以上を購入できるとしてその負担を収入によって分けて機会を均等にすべきやろ
宝くじみたく あたるかあたらんかはしらんが、基準にそった定義がありその基準と価値と判断が等しくなるよう分けることができる
やる気や才能があるかはしらんが、結果に至る基準があって接する機会が均等にありそのための負担を分け合うことができる
競馬みたいに あたりが無いかもしれん全部が外れかもしれん基準は人気と天気と運でそれをだれが負担するかはもはや参加者の自己責任
ただ時間を教育らしきものに費やすという事だけに出費をするのに要不要の判断なく出費をするなら富裕層には学校など不要で英才教育を家ですべきとなるやろ
全員が読み書きできるように時間をつぶす子守をしてくれる事に無駄に金をはらうほど富裕層もバカじゃないだろ
みんなが賢くなって自分たちのような富裕層になれるチャンスを、てめえらは無料で自分たちが金を出して学ばせてあげるなんてことに愉悦を感じる人間もいないどころかそれは危機感を覚えんじゃねえの
おかしいとかそういうネガティブな方向性で社会的に追い詰めるから金持ちは金をだせみたいな方向性ってどっちにしろ生産性ないと思うんだよね
貧困層が富裕層からお恵みもらうのにもっと根本的に回避不能な自尊心への攻撃か、いい気にさせてその分払わせるかってほうがいいんじゃねえの?
負担をどこにもっていくかって議論より先に、なにが負担かってこととか、負担となっているのはどこかとか、その負担にはどれだけの価値があるのかを具体的な数字にする必要があるんじゃねえとって思うわ