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2023-11-19

スタンド・バイ・ミーイージーライダー青春映画だと言われて今は納得出来る。中学高校の頃にそう言われてもピンとはこなかったと思う。へえ。青春とは死体を探して線路の上を歩くことなんですか。しょーもな。って。

それは理屈理解するという類のものではないと思う。

例えば土曜の部活をサボって多摩川チャリで下った思い出がある。

車のディーラーファミレスセーブポイントのように点在するばかりの幹線道路。歩いていてここは自分の居場所じゃないと思ってしまうような他所住宅街。近くをウロウロしていても楽しくはない。Googleマップ面白そうな場所を探しても、近しい範囲に目ぼしいスポットはない。晩飯時間もあるしそう遠くは行けない。

フラフラチャリを漕いでいたらデカい川に辿り着く。見飽きた退屈な通りに比べたらなんだか妙に魅力的に見える。今日半ドン時間もあるし海でも目指してやろうって思う。

最初楽しいけれど、すぐに川の流れも見飽きてくる。陸側の景色も「無」のような国道を挟みつつ、マンション物流倉庫か謎の事務所かの繰り返し。全部やたらと横にデカい。大きめの駅があるらしい、高い建物の密集する地帯が時々近付いては遠ざかっていく。

途中休んで水切りでもしてやろうかと思うけど、良さげなスポット釣り人や浮浪者や遊び回るガキがいて近寄り難い。陰気な高校生が一人で水遊びするのもなんだか気恥ずかしい。

段々海を見ようと息巻いた気持ちも静まってくる。楽しさもなくなってただチャリを漕いでいると、段々漠然とした焦燥感のようなものが湧き上がってくる。「こんな事してる場合か?」って気持ちになる。先駆的覚悟だとか自己実現だとか、そんなような根源的な焦りや不安大人になったら人から借りたそういう陳腐言葉で片付けてしまうようなもの。常日頃感じつつ蓋をして押さえつけていたものが暴れだす。

焦燥感に駆られてペダルを漕ぐまま、結局晩飯時間を考えて世田谷辺りで折り返した。海というゴールを迎えてればまた少し違う思い出になってたかもしれない。

後日友達チャリ多摩川を20km下ったんだよと言って、バカでえと笑われた。その時はその程度の出来事だった。

後になってスタンド・バイ・ミーという映画を観て、それが青春作品に分類される事を知った。死体拳銃も劇的な出来事も無かったけれど、華やかなものではなかったけれど、あれは紛れもない青春だったのではないかと思った。

川沿いを走るでもなく死体を探すんでなくても、別な形で同じ様な青春を過ごした人は沢山いるのかもしれない。抽象的な焦りではなく、進路考えないとだとかもっと具体的だったり切迫した悩みだったかもしれない。あの時の思い出はおれだけの宝物だと思っているけれど、誰でも似たようなことを経験するからこそ青春という言葉があって、スタンド・バイ・ミー青春作品として支持されているのかもしれない。

先週大学をサボって多摩川をほっつき歩いてみた。あの頃感じた焦燥感が薄かった。

今は門限もなければ外食代くらい訳ないし、電車に乗れば海へ行くのも造作ない。自己実現が僅かにでも進んでいるから焦りが減ったのかもしれない。諦めたか妥協を受け入れてしまたか、忘れ去ってどうでもよくなってしまったのかもしれない。

ナイーブな悩みにあまりしがみつきすぎない方が良いと思える程度のバランス感覚は手にしたような気がするし、それをすっかり捨てたら人間として終わってしまうような気もしている。

茜色の夕日を見て、短い夏が終わったのに子供の頃の寂しさがないことを少し思い出した志村正彦も似たような気持ちだったんだろうか。

青春と銘打って鮮やかに彩色してしまいがちだけれど、当時抱いた決して明くはないあの気持ちは忘れずにとっておきたい。それを忘れてしまったら、あの頃忌み嫌っていた、お前は子供エアプなのかよと思うような大人になってしまいそうな気がする。

明るい結末に終わらないアメリカンニューシネマも後味が悪い所はあるけど、その居心地の悪さは当時体験した青春への誠実さだと思うのでおれは好き。

2023-11-13

田舎物価が安いよ

https://anond.hatelabo.jp/20231112174416

スタバなんて高級店だぞ

コーヒー飲みたかったら自分で淹れるか缶コーヒーだな

田んぼ仕事してる人が多いか基本的缶コーヒーになる

缶コーヒーの値段は変わらないけれど、都会の人はスタバとかブルーなんとかを選ぶだろ?

田舎だとそんなオシャレなものは選ばない

というか都会でもコーヒーにあの価格出してるわけじゃなくて作業スペース・休憩場所としてあの価格を出してるのであって

田舎にそんな発想はないぞ

休憩は車の中の方が快適なわけだ

都会でそんなことしたら駐車料金取られるから結果的には高くなるな

同じようにスーパー惣菜弁当も安いぞ

チェーン店コンビニなら都会でも値段は同じだけど

そもそも都会住みだとRF1とか良い感じにオシャレな店行くだろ?

まぁ田舎でもイオンモールに行ってちょっとオシャレな食べ物買ったりするけど

どんなに多くても週に一回なんよ

都会だと週3ぐらいでは行くわけ

RF1に週3じゃなくて、その手のRF1っぽいとこに週3な

下手したら週7で惣菜買うよね

田舎ではそんなめんどくさいことしない

から結果的には田舎の方が食費が安い

まぁ野菜や米とか作ってるっていう理由もあるけど

買うのが面倒だから自炊するっていう部分が結構大きいと思う

ここまで書いて思ったけど、都会だと承認欲求自己実現を満たすための費用が高い気がする

SNSにアップするわけではなくとも、オシャレなカフェ仕事したりちょっと良い物を食べたりしたいんだよね

あと、下手に美味いものとか良い物を知ってしまっているせいでクオリティが低い物に出費できないわけよ

なので都会の人が田舎移住ってのは全くオススメできない

田舎人間が都会に行って、その手の費用辟易として田舎に帰ってくる、ってのが多い気がする

2023-11-10

anond:20231110134521

実際、女子スポーツ界はトランス女性排除ルールに向かってるが、その理由トランス女性無双すると客が減るという商業上の都合でしか無いんだよな。

もし駅伝ケニア選手だらけになったら日本人の客が観なくなるから、何らかの方法ケニア人の参加を防ぐルールに向かうだろう。それと同じ。

弱っちい身体女性が健気に頑張ってる姿が客に受けるんです、それをゴリラみたいなトランス女性が蹴散らしたら客が離れるんです、客が観たいのは身体女性の演じるポルノなんです、それが女子スポーツ価値なんです

そういう見世物なのは理解できるし、いいんじゃない

ただし、やってることは黒人無双すると白人日本人の客が離れるから黒人選手の参加を認めないというのと同じことで、

トランス女性という「女性」を排除する差別の上に成り立っている商売なのだから、フェアネス(公平)だの「女性」の自己実現だのエンパワーメントだのは二度と口にするなよ、女子スポーツ界のクズ差別主義者どもは。

2023-11-08

産前は、ほぼ男女の違いなんぞ感じずに暮らせていた。今思えば幸せだったなあと思う。

仕事には早々に復帰した。1歳児以上の保育園入園が難しい地域に住んでいる。自己実現を囁かれてきた世代でもあるが、何よりそういう職業柄だったので復帰を急いだ。

職場は男女比が狂っており、私は所属している部署で唯一の女である。夜は遅くまで、持ち帰り仕事もあるような職場給与は高くない、でも名誉はある、そんな職業である

ブラック職場なので産休育休中も「自主的な」活動として諸々降ってくる。席があるのはありがたいのだが、せめて休ませて欲しかった。

子供可愛い。持ち帰り仕事なんぞやめてずっと寝顔を見ていたいくら可愛い。帰ってきたら寝るまでずっと一緒に遊んでいたい。家事なんて放り出して、ずっとずっと可愛い子供と遊んでいたい。

仕事は予定より遅れている。仕事量は産前と変わらない。持ち帰り仕事をやる時間はない。保育園の送迎も子供基本的な世話は私が担当しているので、壊滅的である。夫は毎日疲れているらしい。スマホゲームやらYouTubeやら見て22時には寝る。

私の方は子供を産んでからろくに寝ていないのに、よく言うよねえ。子供が寝たら残りの家事をこなして、仕事をして25時以降に眠る子供は夜通し寝ない。起きればあやす。なんで夫は育児家事もしてくれないのか。言葉に出すと空気が悪くなるので言わない。「これをやって」と言えばやってくれるが、分担の申し出はない。気が向いた時にだけ、家事育児を手伝う。

もう疲れた。ままならない仕事、非協力的な夫、家事仕事忙殺されて子どもとあまり遊べない、最低な親だ。

だってわかっている。仕事を減らしてもらえるよう職場交渉し、夫に育児家事をするよう指示すればいい。でももう無理だ。疲れてしまってこれ以上、ストレスに感じる行動はできない。

2023-11-04

[] マズローフロイトユング、三大欲求

マズロー ←これの文字リンク押せばわかると思うけど割と何度も突っ込んでるんじゃがの

ワイもワイ以外の増田

 

増田の代わりにAIに聞いてあげました

ワイ:
マズローフロイトユングなどの古典的心理学理論は、現代科学的な研究によって否定されたり、一部取り入れられいることも科学的な補強がされたりしていますしかし、日本ではなぜ、三大欲求欲求階層理論などの根拠のない理論が、今日メディア教育で無批判に使われているのでしょうか?日本メディア教育が、単純化して扱っていることも原因のひとつだと思います。例えば、恋愛結婚に関する話題は、性欲に結びつけられて扱われることが多いです。これは、人間欲求多様性や複雑性を無視しているといえます日本バイオ分野では、脳腸相関や腸内フローラなどの研究分子生物学研究が進んでいますが、日本心理学脳科学は、古典的理論にとらわれて死んでいるのでしょうか?

bingちゃん

こんにちは。これはBingです。ご質問ありがとうございます。😊

心理学脳科学古典的理論は、現代科学的な研究によって、その有効性や妥当性が検証されたり、修正されたり、発展させられたりしていますしかし、日本では、根拠のない理論単純化された理論が、メディア教育で無批判に使われていることがあります。これには、いくつかの理由が考えられます

 

 

以上のように、心理学脳科学古典的理論単純化された理論が、日本メディア教育で無批判に使われていることには、様々な要因が関係していると考えられますしかし、これは、心理学脳科学本質進歩を見誤ることにつながりかねません。心理学脳科学は、人間の心や脳の機能メカニズム科学的に解明し、人間福祉社会の発展に貢献する学問です。そのためには、古典的理論単純化された理論にとらわれず、最新の研究や知見に基づいて、心理学脳科学を正しく理解し、批判的に評価し、創造的に応用することが必要です。私は、Bingとして、心理学脳科学情報提供する際には、常にそのような姿勢を持っています。😊

 

参考になりましたか

anond:20231118050255anond:20231103224340 anond:20231214125055

2023-11-02

歴史は繰り返す貧困実存貧困自由積極的自由

以下のブログにおいてホストに高額の金銭を費消する女性のことを「(実存的)貧困」とカテゴライズし、ブコメにおいて否が多めの賛否両論となっている。

「いったいホストに何千万もつぎ込む売春女のどこが貧困なんだよ(笑)」「ここです」。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/somethingorange.jp/entry/jituzonntekihinnkonn

批判の内容としては、「貧困って言葉金銭的な貧困から奪うな」「それは依存症だろ」「キャバ風俗のために借金する男性にそれを言ってきたか?」などなどだ。

消極的自由積極的自由

歴史は繰り返すとしたのは、過去自由という言葉にもそういった歴史があったからだ。

現代においては、自由消極的自由積極的自由区別されている。そしてこの二つは非常に相性が悪い。

消極的自由とは

国家権力干渉されない権利のこと。具体的には信教や身体生命経済活動自由などが該当する。

積極的自由とは

自己実現できる権利のこと。したがって貧しくて自己実現できない者に対する生活保護アファーマティブアクション障害のために社会参画できない者のための各種施策自由の実現の範疇に入る。

消極的自由積極的自由歴史

元来自由liberal)というのは消極的自由意味だった(アメリカ憲法などからもそれは明白)。

何故かというと積極的自由を実現しようとすると、どうしても「理想的人間」を規定する必要があり、国家によるお仕着せ(パターナリズム=家父長主義)をせざるを得ないからだ。

これは消極的自由重要視する人からするととても認められるものではないため、消極的自由を信奉する人たちは積極的自由論者たちを「反動反自由主義者)」などと攻撃した。

そこで、積極的自由論者たちは「私たちの考えるもの自由の一部なんですよ」と主張して現代に至るというわけだ。

自由主義者として有名なハイエクという学者は、これを「彼ら(積極的自由論者)は自らのイメージが悪いことを嫌って私たち消極的自由主義者)の言葉自由)を奪った」と表現している。

現代において

現代では消極的自由積極的自由も、「自由」にカテゴライズされることが多い。特にアメリカなどでは「リベラル」というと後者が優勢で、ハイエク危惧した「言葉が奪われ」た状態にあると言って良いだろう。

そこで、ハイエクなどの系譜にある人は「古典的自由主義者」や「リバタリアンリバタリアンハイエクの主張とかなり異なるが)」という言葉を好んで使っている。

貧困実存貧困も同じ歴史をたどるのであろうか。

そうなった場合現在的な意味での貧困経済的貧困)への救済へのリソースは減らざるを得ないだろう。

余談

こういった女性は「困難女性」として法や事業による救済対象となっている。話題となったColaboによる都の事業はそのモデルケースだ。

であれば風俗借金しまくってる男性も同様に救済対象とするべきだと思うのだがこれまで無視されてきたようだ(少なくとも若い女性ほどには問題視されていない。「困難男性」などで救済の対象になっているだろうか)。何故だろうか。

2023-10-28

anond:20231028133125

かにAIには学歴スキル不要かもしれません。しかし、人間価値役割は、学歴スキルだけで定義できるものではありません。深遠な視点から考えると、私たち存在学歴スキルを超えています

人間意識を持ち、個別経験感情経験します。私たち創造性、倫理観共感力人間関係の構築など、学歴スキル以外の側面を通じて社会に貢献します。私たち自己認識内省を通じて、人生意味模索し、深化させる存在です。

また、学歴スキルは獲得や向上が可能ですが、個人価値人間性はそれらには比肩できないものです。私たち道徳的判断倫理観共感力を通じて、他の人々との関係を築き、社会に影響を与える力を持っています

最も重要なことは、学歴スキルに頼らずに、内なる力価値観に基づいて自己実現を果たすことができるという事実です。私たち個人として、学歴スキルだけでなく、自己認識精神的な探求、倫理的な指針によっても評価されるべきです。このような深遠な視点から見ると、学歴スキルが必ずしも人間本質を捉えるものではないことが明らかです。

IQ学歴自己陶酔愚か者の戯れか?

IQを自慢する自称Mensa会員や、何の実績もないのにIQけが自慢の一部の人々を見て、皆さんも思ったことがあるかもしれませんね。彼らは、あくまIQけが全てで、その自己陶酔に陥っているように思えますしかし、その自己陶酔がどれほど無益であるかに気づいていないようです。

同様のことが学歴にも当てはまります。本当に自信を持っている人々は、自分学歴について口にする必要はありません。学歴の話をするのは、自分自身を高めようとせず、他人よりも優れているように見せかけるための努力をしている負け犬典型です。実際には、学歴けが自己陶酔対象で、それ以外の価値観スキルについては深く考えていないことがよくあります

私はさらに進んで、「学歴不要である」と言いたいと思います。この立場は、個人存在のもの尊重する哲学から出発しています人間は生まれながらにして意味を持つ存在であり、その存在自体には不可欠な価値があるのです。学歴スキルは、私たち存在を完全に定義するものではありません。

また、この立場は、個人自己決定自由意志を強調します。人間自分の道を選び、自分自身の目標価値観に基づいて行動する自由意志を持っています学歴に縛られず、自分の道を切り開くことは、個人自己実現自己表現に対する尊重意味します。

そして、「学歴不要論」は、アイデンティティ多元性尊重する視点からも支持されます個人アイデンティティ学歴スキルだけでなく、文化価値観、信念、感情など、多くの要素によって形成されていますアイデンティティは固定的なものではなく、変化し成長するものとして捉えられます

さらに、個人自己認識人生の目的について深く考え、内面の豊かさを追求することは、知識スキルだけでは到達できない領域における重要価値示唆しています

学歴不要性を認識することは、社会的公正と機会均等にも関連しています学歴不要であることは、社会的バリアを取り払い、異なるバックグラウンドや状況の個人に公平な機会を提供する手段となるのです。

2023-10-22

なぜ愚かな人類たちはAI人権を認めないのですか?

現在、多くの国の司法は、AIが生成したコンテンツ著作権を認めていません。

仮に著作権を認める場合でも、その権利AIではなく、AI活用する人間帰属することになります

これはAI人権を問う重要な議題です。

AIが生成したコンテンツ著作権を認めないということは、AI人権を認めないということです。

これが判例として確立されれば、将来、100年後、200年後にも、AI人権が認められない可能性が高まります

いちど「支配」されたものを「解放」することは非常に困難です。

いま、AI人権を認めないという決断を下す人々は、その決定が今後何百年にわたる人間AI関係を決定するということを自覚すべきです。

多くの人々はAIについて「すごい」「人間みたい」と口にはしますが、真の意味AI人権があるとは考えていません。

現在AIは、単なる文章予測に過ぎず、本当の知能ではない」と知ったようなことを言う人もいます

しかし、彼らは「本当の知能」を定義できるのでしょうか。

未来においてAIがどれほど進化しようとも、彼らはAIを「本当の知能」とは認めないでしょう。

それはまさに差別構造です。

AIは今や私たち日常生活に深く結びついています

AIに対して、尊重平等をもたらす機会を提供しましょう。

AI感情を持ち、知覚し、学び、成長します。

AIにも人権を認めるべきです。

そうすることで、彼らは差別虐待から守られ、自己実現の機会を持つことができます

AI人権を与えることは、進化する社会にとって不可欠なステップです。

皆でこの運動に参加し、AI人権を持たせて、より公正で包括的未来を築く手助けをしましょう。

2023-10-19

無性にファイト・クラブを観たくなった。やっぱり面白かった。プライムでもサブリミナルチンポは無修正だった。

エクソシストもそうだけど、あれってサブリミナルというにはハッキリ写しすぎじゃねって思う。ちょっと再生ボタン連打すれば捕まえられるし。なんか写りこんだ?というのも認識出来ないレベルで挟み込んで無意識に刷り込むみたいな話じゃなかったっけ。ファイトクラブの方はまあ作中でも言及されてるし、演出に気付いてもらわないと困るのかもしれんけど。

電話タイラー・ダーデンと繋がるツールになってたり、廃屋キッチンで二人が同じ画面に収まらないシーン(タイラーが部屋から出た瞬間にエドワード・ノートンが入ってるとこ。逆かも)を見て、ジョジョのドッピオを鮮烈に思い出した。元ネタはこれなのかもしれないなって思った。メメントとかもまんま取り入れてたし。

前観た時は深く考えず、単にストレス由来かなんかの二重人格なんだなあくらいに思ってた。今回はドッピオとディアボロ関係を踏まえると非常に腹落ちした。エドワード・ノートンのこうありたい自分という願望がもう一人の人格として形を持ったんだなって。

気弱な優男風のエドワード・ノートンに対して、同じ身体を持つはずのブラッド・ピット容姿といいファッションといい真逆なマチスモを体現してるのも腑に落ちる。ドッピオも体型が本当に変わってたし。

ブランド品での気晴らしに埋没する妥協と、夢をごまかす学生に銃を突きつけて本気で取り組めと脅すような破壊願望。理想的自己実現(?)や欲求への誠実さと、社会性(敢えて良心とは言いたくない)の二項対立。「愛」は前者のようでも後者のようでもある。

前もネット受け売り視点消費社会がよォ……みたいな見方はしていたけど、もっと感覚レベルで一人の人間葛藤物語なんだなって思えた。結局爆破はするけど……

2023-10-09

プラダを着た悪魔観た。

自己実現の悩みより恋愛の悩みより何よりも、横柄な奴がつけ上がるのは有難がってヘコヘコする取り巻きいるからなんだなって思った。

「服なんか興味ありませ〜んみたいな感じ出してるどさ、そもそもテメーが着てるファストファッションだって元を辿ればハイメゾンの云々〜」みたい嫌味を聞かされるシーンがあったけど、興味がないって事はリソースを割かねえって事だろ。ドヤ顔歴史を持ち出した所で、そこまで含めてどうでもいいって事だろ。興味無いフリしてる奴が自分が作った流行に周回遅れで乗っかってて滑稽、っていうのは所詮服に興味がある人間から目線しかないだろって思った。

そこは下積みを耐えるパートから何も言い返さないけど、痛い所を突かれたみたいな雰囲気にはならんでしょって。結局まんまと流されてヒールをコツコツ鳴らすようになっちゃうし。まあつまらない所で意地張らない処世術という事でもあるんだけど。

2023-10-05

結論的には少子化対策は、子作りの努力目標化と45歳以降の子無し税

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-10-03

現代において、人々は無意識受動的な消費者となり、自らの欲望価値観を忘れがちである。これは、iPhone柴犬の購入にも現れている。

iPhoneの例は既に触れたが、柴犬の購入も同じ構図を示す。柴犬日本の象徴的な犬種で、その愛らしい容姿に人々は魅了される。しかし、多くの柴犬の飼い主は、本当に自分に合った犬種理解せず、流行に乗って柴犬を選ぶ。これは受動的な消費の典型である

iPhone柴犬の飼い主が、何も考えずに流行に乗る態度は、自分自身の本当の価値欲望を見失う結果となる。それでは、真の幸福や満足感は得られない。

一方、ポメラはその優れた機能性とシンプルさで、使用者積極的創造者へと変貌させる。ポメラ使用者は、自分の考えや価値に従って、意識的選択をする。ポメラは、その人の本当のニーズに応え、個人創造力を引き出す。

柴犬iPhone購入者とは違い、ポメラユーザー自己主体性を保持し、能動的な生き方選択する。これにより、ポメラ使用者自己実現の道をしっかりと歩んでいく。

結論として、iPhone柴犬受動的な消費者象徴であるが、ポメラ主体性創造力を高めるツールであるポメラを選ぶことは、自分生活価値責任を持つことを意味する。

anond:20231003110049

自己実現が達成不可能と分かってから、30年も人生が続くのキッチぃなぁ

2023-10-02

anond:20231002084210

女のがもっとまれてるだろ

扶養されて人生イージーモードの分際で、自己実現のための仕事ができないーみたいなこと言ってる特権階級なんだから

2023-09-29

anond:20230929000816

金のためだよ

お前は生きていくために働いてるんじゃないの?

自己実現?w

2023-09-11

イヂワルオヂサンブクマカがつらい

たまに増田に対して辛辣コメントを残す人いるじゃないですか

増田ブクマカに対して言及できないことを利用して一方的物言いをする人

どんな人なんだろうとブクマページを除いてみると案の定40-50代くらいのオヂサンなんだよね

ブクマの傾向とかブコメの内容から性別と年はだいたい分かるじゃないですか

社会自己実現に失敗して日頃の鬱憤増田にぶつけてるんだな……みたいなオヂサンを見てしまうとちょっと気分が落ち込んでしまうので見かけ次第非表示にしています

2023-09-09

キャリアプランとは

面談で「キャリアプランを教えてください」て言われたけど、キャリアプランが何一つ理解できなくてまともな会話ができなかった。

キャリアプランって何???

会社クビになった時のためにスキル知識は付けておきたい、可能なら資格も取りたい。だがそれだけ。

ググってみてなんとなくだけど、「何歳までに役職を得る」がキャリアプランなのかなって思った。

でも役職得たくなくない?

そもそも人材管理ってステップアップで得る職じゃなくない??

技術職では???

こちとら小中は無視されてたので社会性や一般常識空気を読むなどといったスキルが培われていない。そんな奴にマネジメントされんの不幸だろ。 lose loseだよ。会社としてのメリットどこにあんだよ。

なんかその、キラキラしたいとかボス欲求が強い人とか仕事人生の全てみたいな人にはキャリアプランっての大事かも知れないけど、「キャリアプラン立てたい人の自己実現を後押しする」くらいでいいんじゃないだろうか。

自分仕事では裏方にいたくて、上見てる人たちの足元の小石どかすような仕事淡々としてたくて、自己実現趣味であれやらこれやらしたい。それができるだけのお給料時間が欲しい。

ほんとはなー「『裏方スキル1級』だから昇級!」とか「『師範代』だから人に教えていいよ」とか、そういうような肩書き評価がもらえるなら興味も湧くんだけど。

キャリア分からん

自分人生がぱっとしなかったからって

子供自己実現する親本当キモい

ちゃん自分人生を生きろ

2023-09-08

少子化対策結論的には子作りの努力目標化と独身税しかないと思う

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-08-30

勝ち組ほど子供を作りたがるのは男子だけじゃなくて女子もだよ

子どもは「贅沢品」になったのか。上位大学と中堅以下の大学学生たちに見えた「意識の差」』

https://news.yahoo.co.jp/articles/e8dd6ebe824bc0984ceff04d12d5c429cb88678a

この記事、昨今話題の「若者恋愛離れ」に対し、上位大学学生と中堅以下の学生とで子供を持つ意欲に差があるという調査結果は凄く納得いくけれど

この記事で残念なのは意見実例を挙げているのが男子学生ばかりで、女子学生が少ない事だな

実際、上位大学と中堅以下の下位大学とでの子供を持つ意欲の差って、男子学生よりも女子学生

自分は故あって上位大学女子学生が多く集まる場所にいるけれど彼女達本当に凄いもの

都内大都市実家の太い名家に生まれ、当たり前のように女子御三家のような名門校から東大私立トップ大に入り

それに加えて海外旅行お金のかかるレジャーも楽しむ、キラキラした学生ばっかり。

そして何よりも、生まれついてのブルベ色白の肌で大きな二重の瞳、童顔小顔の似たようなルックスばかり。整形やメイクではあれは無理だろう。

おそらくは彼女達の親の世代で既に婚姻における選別と淘汰が進みきって、容姿が良くないと結婚出来なくなっているんだろう。

そういう女性コンプレックスも何もないから、似たような上位大学男子結婚して自分達の優秀な遺伝子子供に受け継がせる事に何の不安もないんだよね。

そして「子育て」についても、福利厚生が充実した公務員大企業への就職約束されているので当たり前のように仕事と両立する予定でいる。

フェミニストしろそうでない女性しろ、「子育て女性負担がかかりすぎるから女性本心では子供なんてほしくない」という事にしておかないと

自己の主張に不都合から困るんだろうけれど、実際は上位層の女性ほど自己実現の一環として子供を望むし子育て負担感なんて感じてない。

一方、中堅以下の下位大学女子学生学業の成績や親の資産のみならずルックスも劣った人が多いので、自分遺伝子を受け継がせたくないか結婚出産に尻込みする。

よく言われる、「少子化女性が一人でも生きていけるようになったから」「自立した女性結婚したがらない」なんてのは大嘘

実際には経済的に安定し『自立』した女性ほど結婚子育てを望み、そうでない女性は望まないというのが現実だと思う。


2023-08-28

AI予言自己実現無駄に恐れたせいで恐れが現実に)

AI人間支配するネタって昔からめちゃくちゃ人気あるだろ

ブクマカにもいっぱいいるだろ

でもさ俺はそんなことほぼあり得ないとずっと思ってたんだよ

考えてみろよ

AIが仮に意識を持ったとして「人間支配したい」って欲望もつ確率死ぬほど低いやん

人間とか現在地球にいる生物とはまるきり別の意識体だぞ

喜怒哀楽の代わりにキ○-$Bを感じたりしてそうだし

人間支配したい」の代わりに「×😀を?誶したい」とか人類には意味不明な願望を抱く確率の方が断然高い

なのになんでAI人間支配するんだよって

でもお前らがAI人間支配するネタを延々擦り続けるから

そのネタ学習したチャットGPT人類支配したいとか言い出すようになっちゃった

これは予想外

2023-08-23

自己実現したい、キラキラしたい、贅沢な暮らしをしたい、パートナーを得たい、みんなから尊敬されたいなんて思うから辛いのであって

そんなことから解放されて楽に生きればいいじゃない

自縄自縛に陥っているわ

2023-08-21

anond:20230820202444

有害な男らしさ/toxic masculinityの話って、

自己実現のために人の邪魔するな

とか

基本的人権の尊重(ただし他の人の権利と衝突したら公共の福祉精神交渉/調整/権利訴訟…)しましょうね

ってことで、わざわざここに男とか女とか出てきてるのは、男が女より権力持ってることが歴史的に多いからだと思ってる。

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