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2023-12-30

志村正彦

フジファブリックって今まで聞かず嫌いしてたけど、志村正彦ってミュージックメイカーだったんだな

ポップな歌を聴いてから聴く若者のすべて五割増しで良くてびっくりしちゃった

2023-12-01

スタローンのあの表情から放たれる哀愁って志村正彦の声くらい無二な気がしてきた。シュワルツネッガー辺りの括りのアクションスターだと思ってたけど、繊細な演技をする俳優だと思う。

2023-11-19

スタンド・バイ・ミーイージーライダー青春映画だと言われて今は納得出来る。中学高校の頃にそう言われてもピンとはこなかったと思う。へえ。青春とは死体を探して線路の上を歩くことなんですか。しょーもな。って。

それは理屈理解するという類のものではないと思う。

例えば土曜の部活をサボって多摩川チャリで下った思い出がある。

車のディーラーファミレスセーブポイントのように点在するばかりの幹線道路。歩いていてここは自分の居場所じゃないと思ってしまうような他所住宅街。近くをウロウロしていても楽しくはない。Googleマップ面白そうな場所を探しても、近しい範囲に目ぼしいスポットはない。晩飯時間もあるしそう遠くは行けない。

フラフラチャリを漕いでいたらデカい川に辿り着く。見飽きた退屈な通りに比べたらなんだか妙に魅力的に見える。今日半ドン時間もあるし海でも目指してやろうって思う。

最初楽しいけれど、すぐに川の流れも見飽きてくる。陸側の景色も「無」のような国道を挟みつつ、マンション物流倉庫か謎の事務所かの繰り返し。全部やたらと横にデカい。大きめの駅があるらしい、高い建物の密集する地帯が時々近付いては遠ざかっていく。

途中休んで水切りでもしてやろうかと思うけど、良さげなスポット釣り人や浮浪者や遊び回るガキがいて近寄り難い。陰気な高校生が一人で水遊びするのもなんだか気恥ずかしい。

段々海を見ようと息巻いた気持ちも静まってくる。楽しさもなくなってただチャリを漕いでいると、段々漠然とした焦燥感のようなものが湧き上がってくる。「こんな事してる場合か?」って気持ちになる。先駆的覚悟だとか自己実現だとか、そんなような根源的な焦りや不安大人になったら人から借りたそういう陳腐言葉で片付けてしまうようなもの。常日頃感じつつ蓋をして押さえつけていたものが暴れだす。

焦燥感に駆られてペダルを漕ぐまま、結局晩飯時間を考えて世田谷辺りで折り返した。海というゴールを迎えてればまた少し違う思い出になってたかもしれない。

後日友達チャリ多摩川を20km下ったんだよと言って、バカでえと笑われた。その時はその程度の出来事だった。

後になってスタンド・バイ・ミーという映画を観て、それが青春作品に分類される事を知った。死体拳銃も劇的な出来事も無かったけれど、華やかなものではなかったけれど、あれは紛れもない青春だったのではないかと思った。

川沿いを走るでもなく死体を探すんでなくても、別な形で同じ様な青春を過ごした人は沢山いるのかもしれない。抽象的な焦りではなく、進路考えないとだとかもっと具体的だったり切迫した悩みだったかもしれない。あの時の思い出はおれだけの宝物だと思っているけれど、誰でも似たようなことを経験するからこそ青春という言葉があって、スタンド・バイ・ミー青春作品として支持されているのかもしれない。

先週大学をサボって多摩川をほっつき歩いてみた。あの頃感じた焦燥感が薄かった。

今は門限もなければ外食代くらい訳ないし、電車に乗れば海へ行くのも造作ない。自己実現が僅かにでも進んでいるから焦りが減ったのかもしれない。諦めたか妥協を受け入れてしまたか、忘れ去ってどうでもよくなってしまったのかもしれない。

ナイーブな悩みにあまりしがみつきすぎない方が良いと思える程度のバランス感覚は手にしたような気がするし、それをすっかり捨てたら人間として終わってしまうような気もしている。

茜色の夕日を見て、短い夏が終わったのに子供の頃の寂しさがないことを少し思い出した志村正彦も似たような気持ちだったんだろうか。

青春と銘打って鮮やかに彩色してしまいがちだけれど、当時抱いた決して明くはないあの気持ちは忘れずにとっておきたい。それを忘れてしまったら、あの頃忌み嫌っていた、お前は子供エアプなのかよと思うような大人になってしまいそうな気がする。

明るい結末に終わらないアメリカンニューシネマも後味が悪い所はあるけど、その居心地の悪さは当時体験した青春への誠実さだと思うのでおれは好き。

2023-10-26

カラオケ通ってフジファブリックとかブルーハーツとか歌いやすいので喉を慣らしてたら、リライトの消してェーーーーーーを絶叫出来たり出来なかったりになって大変気持ちがよろしい。

向井秀徳のシャウトはどうやっても裏返っちゃうYoutube動画とか観てもてんでダメなんで多分一生出来ない。

あと志村正彦の声が欲しい。

TAIFUはライブ映像で歌のヘタクソな志村正彦もえらく気張って歌ってるなと思って、試しにカラオケ入れてみたら大変気持ちよく歌えた。最近割と聴くようにもなった。志村期のフジももはや往年のロックか。

星降る夜になったらは歌っても聴いても最高だな。

2023-10-19

眠気の峠を超えたというか、ここで眠ったら最高に気持ち良いって所を耐えきると不発のあくびみたいなのが延々と続いてマジで気持ち悪い。でもこれを耐えて概日リズムを取り戻す。20時間寝るとリバウンドするから30時間起き続けるしかない。全く頭は働かないし、起きるためだけに起きている。それでも再び充実した日々を取り戻すために……

こうなる事が分かっていてなぜ夜更かししてしまうのか。夜には希望がいっぱいだけどいつも物足りない。志村正彦もそう言っている。

2023-10-08

ロックバンド演奏巧拙とかよっぽどじゃないと分からない。あのバンドリズム感がどうのとか評するのも全く分からない。志村正彦は歌が下手とかいうのなら、Youtubeライブ映像とか観てる分にはまあ分からんでもない。でもスタジオ盤だとちゃんとしてるし。やっぱ良い声してるし。

「外し」とかは置いといた最低限の技術ラインを超えたらあとは好みだと思うし、メジャーデビューしてるようなグループなら大抵は最低限のラインくらいは超えてる気がする。

じゃあアマチュア演奏を聴いてみれば何か分かるかもしれないと思って、Youtube学祭とかの演奏を聴いてみた。

人前でやる以上はそれなりの完成度でやるもんだと思ってたけど、おれでも分かるくらいにリズムの縦がズレてるのはザラだった。

このくらいでも人前でやってもいいんだって思った。

いや別に誰が何と言おうがやるのは最初から自由ではあるんだけど。

思えば自分吹奏楽部やってた時も、週3,4日の練習があるとはいえ楽譜通りに吹くのが精一杯って感じだった。初めて数年のトーシロなんだしまあそんなもんかと思ってたな。

プロアーティストライブ動画観てると、声が出てなかったり届かなかったりちょっとしたミスはあるけど、著しくリズムがガタガタだったり音程ブレブレだったりとかはあり得ない。演奏技術けがプロ要件ではないけど、そういうとこなのかなって思った。

でもやっぱり最低限のレベルを超えた中でも特に上手いみたいなのは、やっぱり好みに収束するのではないかしか思えない。

スーザンボイルとか?あんまり知らけど一義的ニュアンスで「歌が上手い人」の曲とかおれはほとんど魅力を感じないし。

2023-07-19

ここんとこギター練習カラオケに通ってる。

全く歌わないのもなんか損な気がして休憩がてらちょくちょく曲入れてる。

最近リライトのサビで声が届くようになった。気持ちいいねえ。

フジファブリックブルーハーツはおおよそ90点取れるようになった。

ナンバガも歌ってて結構気持ち良いけど、向井みたいな歌い方ってどうやってんだろうな。全くマネできん。

自分歌声ってどんなもんだろと思ってこの間録音してみたらド下手で泣いちゃった。

音程が外れてるとかは上手い下手以前に論外だと思う。おれはただただ声が悪い。

志村正彦の喉をくれ。

2023-05-29

惡の華、プンプン、オナマス青春ジュブナイルが大好き。

青春が終わっても、何を成し得ずとも人生は続く。

凡庸でも惨めでもカッコ悪くても、自意識と折り合いをつけ人は生きていかなければいけない…

みたいな。

中高生だかの頃、まさに当事者だった時にも読んだけど、当時はあんまりテーマ理解してなかった。

なんか変態的でショッキング作品くらいに思ってて、そういうのに惹きつけられる年頃だから読んでたって感じ。

まあ青春当事者青春について言及する大人を非常にウザく感じるものだし、そういうもんだと思う。

若さ大事しろよ~と語る大人への死ねカスという思いは今でもよく覚えてる。

何を描いてるかをはっきりと意識したのは20前後になってからだった。

でも10代の頃も、ジュブナイルだの自意識だの定型的なワードに頼らず、肌感覚で描かんとするものに接近してたような気もする。

読んだ後の諦観や爽やかさの入り混じったような感情や、心の中の大事な部分を突っつかれたような感覚はまだギリギリ覚えてる。

この手の作品ってどれもこれも「自意識の殻を破り、凡庸さを受け入れて生きていく」みたいな似たり寄ったりの着地点になってしまってなんかなあって思う。

もちろんその結論大正義って訳じゃなくて、物語の示す過程がその平凡な結論に納得や実感を持たせる所に意義があるんだけど。

それでもたまには違うゴールがあったっていいじゃんねって思う。

スーパーサクセスストーリーもいいけど、それは思春期自意識というテーマからちょっとズレる。

普通に、かっこ悪く生きていくなんて嫌だが?自意識と向き合うのを諦めて、生活凡庸さに屈するのは全くかっこよくないが?

美しく生きられず、美しく死ぬ事もできず、死んでないだけの人間自己弁護だが?

でもこの鬱屈をぶつける先とかそのための才能とかは特にいから、枯れかけた若さを大切に抱きしめながら美しく死ぬが?

つって首吊るなり飛び降りるなりする話があったっていいと思う。いや探せばあるのかもしれんけど。

そういうキャラクターがいたとして、せいぜい作品の芯になる部分と対比的に置かれるような扱いになってそうな気がする。

ネット小説サイトにそういうの書いたらふつうにんげん達に独りよがりだの厨二病だの拗らせてるだの、ボロクソに言われそう。

そもそもまれなさそう。

まあ実際私も然るべき時期に自意識と向き合い、ある程度の折り合いはつけたんですけど。

ただ、中年危機どころか23にして「ええんか?」という気持ちが沸々と湧いている。

ニーチェやらハイデガーやらが語るような価値あるサムシングを、たった一度の人生で得ようとしなくてええんか?

今際の際に後悔が過るのは怖くないか?って。

フィクションみたいな出来事でもなければ、自意識は爽やかにハイヨナラと決別できるものではないっぽい。

押さえつけるために、これでいいんだと思えるような、強い納得という重しが必要になる。

これは邪推だけど、思春期延長戦やってる人間をやたら嫌う人もまた、胸の奥に未消化なそれを抱えてるんじゃないかなって思う。

何かしらの納得という重しもなく雰囲気ふつうにんげんをやってるからこそ、同族嫌悪的な苛立ちを感じるのかなって。

まあそれはともかく、ふつうに生きるには自意識を抑えるための重しが要る。

例えば結婚するなり家庭を持つなりして他者への愛、他者からの愛というありきたりながら固有の充足を得て、人生の指針とする。

これはジュブナイル作品主人公の多くが採用していますね。勇気を出して積極的に人と関わればそこに人生リアリティがありましたと。

あるいは、賃金労働に心をすり減らして抽象的な思考をする余裕などなくなってしまうか。現実にはこれも結構あるのかも。

私は青春作品眺めてニチャニチャするフェーズ愛着を感じてるし、この居心地の良さにもっと浸ってたい。

このまま40,50になったらもう妖怪になってしまうな。

そういう人らを別にキツいとも思わんけど、ふつうにんげんに擬態する身としてはキツイと言っておかなければならない。

それが社会性ってもんなので。

なんてことをあれこれ考えていた折、『桐島、部活やめるってよ』を観た。

ラストシーン映画部の底辺オタク神木隆之介イケてるグループ東出昌大の会話がとても良かった。

8mmカメラについて触れた東出に、オタク特有早口で嬉しそうに説明する神木

カメラを向けてインタビューする東出に「将来はプロですか?」と訊かれ、少し表情を変える神木

予算撮影場所もロクにない。8mmカメラで撮るのは手作り感満載の不出来なゾンビ映画

きっとプロになんてとてもなれない。でも、時々「憧れ」と接近している気持ちになれる。

フィルムは手に入らない、現像は面倒、画は汚い8mmフィルムにも、ビデオにはない味があるはずだと信じながら映画を撮る。

「生きるとは…」とまではっきりはしなくとも漠然とそんな悩みを抱えてた東出は、そのやりとりで涙を浮かべる。

素敵な作品だなと思いました。

言ったら自己満足趣味な訳だけど、それを心から愛せるのなら人生の芯に成り得るはず。

それは10代の頃の自分が辿り着いた結論と丸っきり同じだった。

思春期自意識は、自分の内なるものを形にしてみたい気持ちにさせる。

あるいは、なにかくりえーてぃぶな事でチヤホヤされたいという程度のものかもしれない。

でも誰もが才能がある訳じゃない。どこかで折り合いをつけなければ。

だったら自己満足でもいい。心から愛せるものなら、それはきっと確かな納得になるはず。そういう折り合いの付け方もある。

古今東西、陰気ボーイズはそういう結論に辿り着くものなのかもしれない。

でも『桐島~』の神木隆之介と違い私の「好き」は漠然としたもので、自意識を抑える重しとしては軽かったっぽい。

もっと真摯カルチャーを愛したい。

ほどほどにふつうにんげんをやりつつ、奥底では変態でありたいねクソムシでなく。

まあホントは今でも全然草野マサムネ志村正彦みたいに思春期イノセンスを卓越した言葉選びで紡ぎたいし、ついでにチヤホヤされてえんだけどなァ~

2023-05-13

フジファブリックの星降る夜になったらを聴いた。

なんか自分音楽に期待してたものの全部があるような気がした。

もっと覚めた夢の続きに期待していたいし、言葉の先を待っていたい。

そういう気持ちを大切に抱えながら生きていたいけど、目先のくだらない生活に圧し潰されそうだ。

最近死にたい気持ち不思議と結びついて、これ聴けたからもう死んでもいいかなって未練みたいなのがふっと薄れた。

これ聴きながら死んだら気持ちいかな。志村正彦に会えるかな。

大切にしてる気持ち最後まで大事に抱えたまま死ねたらどれだけ良いことか。

そんな事ばかり考えて現実逃避してる。そうしてるのが一番落ち着く。

どうせ死ぬ勇気なんてないし、考えるだけ時間のムダ、と思って蓋をしてきた。

でもその蓋に重しをできるだけのものがもう何も残ってない。

から積み上げていくのももう面倒臭い努力は疲れる。見返りもしょっぱい。

まだ23だし人生やり直しはきくかもしれないけど、ああやって美しい音楽をやってキラキラするにはきっと遅すぎる。

独りよがり思春期卒業なんかせずに究極の現実逃避をしたい。

2021-05-09

椿屋四重奏解散と中田裕二10周年に寄せて

最初、音がごちゃごちゃしていてうるさくってナルシスティックでなんて気に触る曲だろうと思った。

でも音の抜き方が絶妙でおしゃれでどうしてもやるせなくてかっこいいと思ってしまった。

椿屋四重奏 - 恋わずらい on YouTube

ベスト盤を借りてきてひと通り聞いてその一枚で充分で、ほかのバンドと同じようにそのまま記憶の隅に眠ると思った。

それでも他のデータウォークマンの残り容量を食っていってもたまに取り出しては聴いて、私は椿屋四重奏を消せなかった。


彼らを見つける前の話をする。

私は志村正彦音楽が大好きだ。

もし音楽物心がつく時があるならば私の場合志村正彦出会った時だ。

シンプルなのに予想と異なり期待を上回る音が大好きだ。だからこそ限られた曲をすべて聴く勇気が今でも出ない。すべてが予想通りの志村正彦音楽になってしまうのが恐ろしくて堪らない。

必死になって代替品を探した。彼のルーツ、好きだと話した音楽、同年代音楽。分かったのは私はロックがあまり好きではないということと同じものはないということ。


閑話休題

月日は経ちひょんなことからノイジー音楽が入り用になった。私のウォークマンの中で一番うるさいのは椿屋四重奏だった。周りの音を掻き消せば事足りた。

でも一枚ではもの足りなくなってしまった。

深紅なる肖像薔薇ダイヤモンドTOKYO CITY RHAPSODYCARNIVAL

アルバム一枚分ずつ椿屋四重奏ウォークマン侵食していった。彼らは欲しい音を激しい音も穏やかな音も確実に鳴らしていった。

孤独カンパネラを鳴らせ、一枚だけが残っても躊躇はなかった。その名の通り椿の落ちるような鮮やかな解散はただただ美しく見えた。

椿屋四重奏が残した映像はあまりにすくない。音も画面もバキバキでみにくかったが中田裕二の歌だけは際立っていた。ナルシスティックに聞こえた歌は、つぎはぎだらけの架空のかっこよさではなくそのまま彼から出ているものだということを数年ごしに知った。

もっとその声が欲しくなってしまった。中田裕二は生きているから。怖々と私はソロ楽曲試聴した。椿屋然とした曲は最初なじまなかった。それでもやわらかであでやかさを増した楽曲達は椿屋四重奏よりもずっと好みだった。

椿屋四重奏と同じ数だけのアルバムウォークマンに収まる頃には私は椿屋四重奏よりもむしろ中田裕二に魅入られていた。


いつから手遅れになったのだろう、とたまに思う。

昭和歌謡カバーアルバムを聴いた時から

中田裕二ジャズをたしなむことを知った時から

ギター弾き語りだとその声がよく引き立つことに気がついた時から

école de romantismeのさみしさを孕んだうつくしさに聞き入ってしまたから?

ライブごとに曲のアレンジを変えた最高の状態演奏しつづけるさまを見せられたから?そもそも椿屋四重奏をきいた時からだろうか。

春あたりに一年に一回のペースで出るフルアルバムとそれに伴うバンド編成によるツアー、全国での弾き語り、年によってはトリオなどのトリッキーな編成のツアーをこなされたらほかに気がうつる暇もない。去年はひまだからなんていって二作品アルバムを出してしまった。

ワインウイスキー日本酒と忙しなく熱を注ぐのを見てしょうがない人だなと思う。調味料の話します!と話してもの足りなさそうに切り上げるのを見て面倒な人だなと思う。

でも、アルバムが出るたびライブを見るたび、何度でも魅入ってしまう。最高の演奏の後、これからも好きなようにやりますとへらへらと笑っているのを見たらお願いだから好きなようにやってくれと心から思うのだ。

まるで炎のように常に揺らめいて姿を変えて魂ごと取り込まれしまいそうなほど、見入ってしまう。

どうか健康末長音楽を続けてくれたら嬉しい。

血を吐き出すようだった椿屋四重奏という季節に囚われないでいい。

でもたまに歪んだエレキギターをかき鳴らすのも聴きたい。

おだやかなPredawnも激しい群青も全部等しく愛している。


TWILIGHT WANDERERS


 

2019-08-13

フジファブリックと僕

フジファブリックと僕

フジファブリックが大好きだった。中学生高校生の頃にCDを擦り切れるほど聴いた。2008年RIJFレイクステージのトリだったフジファブリックを観たことは数あるライブ経験の中でも、楽しくて忘れられない経験だ。B.O.I.P.のライブアレンジが、たまらなく楽しかった。ポリープを取った?直後だった志村の声はあんまり出てなかったけど、1000回聴いた銀河ライブで聴けて、ティーンの僕は幸せだった。

クロニクルというアルバムが出て、「このアルバム消化するのに時間がかかるな」と感じていた頃、志村正彦は居なくなってしまった。当時フジファブリックを好きだった人と同じように大いに悲しんで、志村以外の3人で続けて行くという事を応援しつつも、曲をチラリと聞いて、違う と思ってしまたから、追いかけなくなった。新譜は買わず大学フジファブリックが好きという人に出会っても、当時の大好きな気持ちは表に出さず、ヘラヘラしながらやり過ごした。

そうこうしながら社会人になって、フジファブリック聴くことを忘れていたのに、Mステ出た映像ツイッターで見てしまった。お涙頂戴の演出だなぁと思いながらも、繰り返し見た。ふとした拍子に思い出す様になった。

今年のRIJFの最終日のチケットはもともと取っていたけれど、フジファブリックを観るつもりはなかった。お笑い第7世代Creepy Nutsを頭から観るつもりだったし、2008年とは別物の彼らを観る必要はないなと思っていた。当日の朝までそう思っていた。

a flood of circleフルカラープログラムカバーを聞いて、The chef cooks meが目をウルウルさせながらライブしているのを見て、tricotの爆裂パニエさんを聞いて、初めてポルノグラフィティの変な踊りして、ティーンの頃の僕と音楽をこの日で総括しないといけないという気持ちになった。勝手エモい気持ちになっていたのだ。

そうして自己中な気持ちをもって、パークステージのトリのフジファブリックを観た。二曲目のSugar!!から泣いた、号泣した。志村正彦が居なくなったこと、僕は何も消化してなくて、目を背けていただけだったと気付かされた。そうして泣いた次は、山内総一郎金澤ダイスケ加藤慎一の3人で演奏していることが、余計に志村がいないことを強調していることに気づいて泣いた。彼らの楽器の音とかプレイは2008のライブで見た時と地続きにあったから。そして、山内総一郎MCで泣いた。きっと僕が抱いている様な身勝手な思いを一身に受け止めて、それでもバンドを続けていたのだという事実に。

これからきっと僕は追いかけなかったフジファブリックの曲をリリース順に聴いて行くのだと思う。あと、フジファブリックで泣きすぎてCreepy Nuts見に行く気力無いだろうとライブ中は思ってましたが、撤収の際にThe BeatlesHere Comes The Sunがかかって、佐久間宣行のann0を思い出して、気力を回復して見に行けました。ありがとう佐久間宣行さん

2010-12-24

12月24日

フジファブリック志村正彦が亡くなって早1年。

ふと、彼について想うことを書き認めたくなってこうしてキーを叩いている。

1年前、彼の急逝の知らせはまさに青天の霹靂だった。

春にリリースされた「CHRONICLE」はとても良いアルバムで、年末になっても日常的にアルバムの曲を聴いていて、次のアルバムでの変化をわたしは楽しみにしていた。

そんな矢先の出来事だった。

家でひとり泣いた。

私は志村正彦と面識などもちろんない。

フジファブリック音楽は彼らがメジャーデビューしたころから聴いているけど、ライヴには一度も行ったことがない。

それほど熱心に雑誌インタビューなどを読んでもいない。

熱烈なファンかと問われると、実際そうではないかもしれない。

そんな私ではあるが、志村の死に泣いた。

フジファブは初期に春夏秋冬テーマした曲をリリースしている。

あんなもんを残されたらそれぞれの季節がくる度に嫌でも思い出す。

桜が咲けば「桜の季節を」、灼熱に揺らめく街角では「陽炎」を、金木犀の香りを鼻にすれば「赤黄色の金木犀」を、澄んだ冬の夜空には「銀河」を。

極めつけは命日が12月24日である。忘れられるわけがない。

今でも日常的にフジファブリック音楽を聴いている。

何度聴いても、志村の声はその瞬間のまま色あせることない。今、志村がいないことのほうが不自然なくらいに。

12月24日、世間がクリスマスで浮ついた気持ちになっているのを尻目に、私は志村の不在に胸を詰まらせている。

 
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