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はてなキーワード: 自己実現とは

2024-01-26

anond:20240126092710

お前はどこに行っても出世できないヘタクソだな

そういう時はどういう自己実現をするか話す

無難系だと「そのころには家族がいると思うので、上手く両立して生活を安定させていたい」とか?

自分ストレートに「貯蓄2000万目指してるんで、10年後にはある程度目途つけたいっす」とか言うわ

2024-01-25

anond:20240125181351

かに嫌われるだろうとも思うし、同時に嫌われないだろうとも思う。

どういうことかというと、「オタクというのはただの消費者ではない、ただの消費者以上のナニカなのだ」っていう前提を置きつつ、ただの消費者自分のことをオタクだなんていう自意識で生きるなら、そりゃ理屈の当然として嫌われるし、嫌われてもしょうがないだろ。一方で、「オタクというのはただの消費者の別名なのだ」という前提をおくなら両者は同一なんだから嫌われないだろ。

じゃあ、前者と後者のちがいはどこにあるのか?

それは自己認識とその認識権利意識だよ。

それは例えば、(オタクである自分オタクではなかった自分とは違って〜)参加コミュニティがあるとか、居場所があるとか、何らかの個性的自己実現やら、人格財産が入手できるとか、まぁ、そういう意識だよ。当たり前だけど、ただの消費者なんだから、そんな権利はないしそんなものは手に入らない。

仮に手に入ったとすればそれはその方向に何らかの行動をしたからであって、消費者だったからではない。

行動もしないただの消費者が、ただ単にアニメ見るというような消費だけで、「ただの消費者以上のナニカ」つまり前述のような自己実現を手に入ると思ってるのだとすれば、それはすなわち「オタクというのはただの消費者ではない、ただの消費者以上のナニカなのだ」っていう前提を置いているわけだから、そりゃ嫌われる。

「お前はただの消費者だろ」っていう批判は、そういう意味だよ。

2024-01-22

anond:20240122074414

やる気満々の人間増田に出入りしないだろ

そんな暇あったら自己実現のために頑張ってるもんな

anond:20240121063718

お金にならないことをやる原動力」についての考察ですね。人々がお金にならないことをやる理由は様々ですが、その中でも最も一般的理由は、**自己実現**です。自己実現とは、自分自身能力を最大限に発揮し、自分自身を満足させることです。自己実現によって、人々は自分自身を成長させ、自分自身をより良い方向に導くことができます。また、人々は、自分自身が何かを達成したときに、達成感を感じることができます。この達成感は、人々が自分自身をより良い方向に導くための重要な要素です。

お金に関心がない人もいれば、お金持ちの人もいますしかし、お金に関心がない人でも、自己実現のために何かをすることができます。また、お金持ちの人でも、自己実現のために何かをすることができます自己実現は、お金関係なく、誰にでも可能なことです。

以上のように、人々がお金にならないことをやる原動力は、自己実現であることが多いです。

2024-01-19

女が結婚出産するメリットが何もない

今日Twitter卵子凍結がトレンド入りした

正直「育てる自信がないから」「子どもが好きではないから」「自由時間がなくなる」そんな簡単で単純な言葉で片付く問題ではなく、日本少子化には根深問題がある

小学生の頃から今の社会子供を産み育てるに疑問を抱き、女性視点でのメリットが何ひとつないと結論が出ているため理由を書き出してみた

ちなみに優生思想フェミニズム、反出生主義ではありません

子どもを産むメリットについて冷静に考えてみた結果です

昨今の政治家異次元なことを言い過ぎ


子供を産むことは起業するよりもギャンブル性が高く後戻りができない

子育て自分に合わなくても、子供を育てるお金が無くなっても、離婚しても、元の子供の居ない人生には二度と戻れない

会社のように廃業倒産そういったことが何もできない。自分意思決定できない。放棄すれば犯罪者になる


妊娠間中身体精神負担が大きく10か月間ほどの自由人権がなく、その後も高確率キャリアが途絶え20年間ほど自由を失う

産んだ後は社会的な立場自分時間を全て失う、軌道修正は困難、社会制度がクソ

代替わりするので、自由時間がなくなるどころか、自分人生の主役ではなくなる

人生の主役の座から降りることになり、自分子供人生インフラしかも、体作り頭作りメンタル作り体験作り等も策定するコンサルインフラ

両親の自己肯定感が高くないと難しい。このことを理解せずに子供を作ると毒親になってしま
子供競走馬ではないと思う


男性リスクを一切負わないから不平等、そのため軋轢も起きやす

女性は1年近く身体不自由麻酔もかけずに時間自分人生を失い命がけで子供を産むのに対し、

一切痛みを伴わず一瞬の快楽だけで自分の子供が作れる男性側は楽しいし、家族を養わなければならない場合基本的に世話も出来ない

男性のように子供を産んでも楽しさや自由があるわけではなく、女性自分人生をすべて失うことと引き換えになる


100%健常な人が生まれると保証できない

知的障がいや発達障がい、身体障がいを持ってしまった場合育てる時間や労力がない。健常者で大学に行かせても将来ひきこもり病気になる可能性がある

医療現場で勤務経験のある自分現実が見えて周りにそういう状況で苦労している親御さんばかりで、何も明るいイメージが出来ない


老後の世話をしてくれるとは限らない

仲の良い家族でも世話はしない。障害を持っていると世話はしてもらえないし、たとえ自分の言うことを聞く健常者が生まれても独立するとホームに入れて会いに来ないし、海外移住もある

ヤングケアラー奴隷にさせることになる。昔のように子供が親と一緒に住んで下の世話までさせるのは虐待だと思う


今の社会では生きづらい。大学行くのが当たり前の世の中

「外見至上主義」や「能力による階層化」が進んだ今、「普通人間」という水準が爆上がりして子供に求められる能力が高すぎる

とにかく子供のしたいことをさせるには財力は絶対に不可欠

子育てに伴う人間関係は面倒

ママ友付き合い、受験戦争、近所付き合い、親戚付き合い「子供を産んだ」ということだけが接点の人間との付き合いはリスクが多すぎるし苦痛

親戚やママ友からの、顔面比較能力比較セクハラなど、犯罪まがいの暴言差別子供母親を傷つける


国が求めるような消費と納税が出来る子供を3人産んで大卒にするには財力も体力が必要

20代までに結婚20代前半で第一出産、35までに産み終えるなんて高校卒業してすぐ結婚するような女になるしかない


から老後に2000万円貯金しろとも言われている時代に、さら子供を1人の養育費教育費総額約2,000万~4,000万円も用意できない


さら住宅ローンもある場合、1億という金をどうやって稼ぐのか正直イメージできない。もっと安くできるという意見もあるだろうが

子供労働力になった時代じゃあるまいし、学費ケチって子供可哀想な思いをさせてまで産みたいと思えない


そもそも生涯のうちに産める適正タイミングがない

正直国の理想では1020代子供を産むのがベストだが、高卒結婚して金のない状態ですぐ産むなんて多くの現代女性には不可能

大学や働きながらの妊娠出産ヤリマン呼ばわり。職場学校マタハラを受けることもある。キャリアを維持するために産んでも育休が取れない。キャリア形成の出来てくる30代で産むのは厳しくリミットが訪れる

やっと自己実現可能になった40代以降ではかなりハード


とにかく変化の激しい世の中で10代で計画的に80年以上も生きる人間自分意志で作ること自体無理ゲー



2024-01-11

anond:20240111184834

給与水準自己実現(やりたいこと)もWLBも考えないなら、むしろ何を考えるんだ。

anond:20240111183730

自己実現とかワークライフバランスとか、どっから受け売りだよ

何かもう就活生だとしても今時の子もっと賢いしリアルに考えてるもんだと思ってたけどな

anond:20240111182432

明らかにつの基準になりうると思うんだけど、どう?もちろん自己実現とかワークライフバランスとかそういうの込みの総合的な判断になると思うけど、職業選択年収度外視ですることってそんなに普通じゃないと思う。

2024-01-04

通信設備復旧の為に現地入りしたハイエース火事場泥棒と誤解し拡散

災害時にSNS拡散なんてなんの役にも立たないんだからするなよバカ共が

おまえ等にはせいぜい金を送るくらいしか出来ることはないんだよ

アホがしたり顔

やらない善よりやる偽善とかしたり顔で言うけど

おまえ等の足りないおつむには想像できないだけで

世の中にはやらない方がマシな事ってのがい~~っぱいあるの

そんなに役に立ちたいなら日頃から災害救助の訓練でも個人的にしとけよ

大した対価も無しにスマホポチポチして何かを成し遂げた面するとか厚かましいんだよ

地震が発生したのはお前の自己実現欲求を満たす為じゃないんでそこんとこ勘違いしないで下さいね

2023-12-24

なぜエンジニアは「浅い」記事しか書かないのか?

浅薄記事ばかり書くな

タイトルや以下における「エンジニア」とはソフトウェアエンジニア的なものを指すとする。

この時期に各種アドベントカレンダーで見かけるような、あるいは平時でもはてブの「テクノロジー」タブに上がってくるような記事は魂に訴えかけるものが皆無な浅い記事ばかりだ。マネジメントがどうのだとか、○○プログラミング言語で△△してみましただとか、無味乾燥なこと甚だしい。それはなぜかというと、そうした記述はいわば児戯を一生懸命やっているだけであって、社会世界のことをなんら考慮しておらずなんの影響も与えることができないものからだ。

そうした浅い記事が生まれ理由について考察してみた。

理由1: 採用転職ゼロサムゲームの1つのギミックから

求職側において、個人ブログ等で発信することでポートフォリオ代わりになり、転職活動に有利になるというインセンティブがある。求人から見ると、自社ドメイン技術ブログ等で発信することで採用市場におけるプレゼンスを高めたいという動機がある。この双方向の動きにおいては、情報を多く出したもん勝ちであるため、浅い記事が量産されるというわけだ。

求職者は人材会社陰謀に嵌められて義務的情報発信させられていることも多く、被害者だとも言える。しかし、求人側がこの動きに加担するのは非道徳的であるたか採用のために競合と人間認知許容量を巡るゼロサムゲームを繰り広げて貴重な人類知的エネルギーを浪費しているのは端的に反社売国奴である

理由2: ブルシットジョブから

IT業界は、火のない所に無理やり火をつけてからなるべく複雑な消火のソリューションをなるべく高値提供するというブルシットジョブの宝庫である。何社もの企業キラキラ業界ヅラして犇めいている分野においても、冷静に見るとその分野自体社会不要(それどころか有害であるということはよくある。自分が携わっている分野においては正常性バイアスでそう感じないかもしれないが、他分野を見たときには同じように感じる方は多いだろう。

そもそもがブルシットジョブなのだから、それについて何をどう語ったところで本質的伽藍堂なのである

理由3: 記号接地していないか

AI身体性を持たないため、記号記号としてしか処理できず、現実実体が持つ意味と結びつけられないという記号接地問題課題となっていた。特にサーバーレス環境において、エンジニアAIと同様な状況に陥っている。コードを書いてCDデプロイしてクラウドで動かすという開発のサイクルは現実物体との関わりがなく、自分の行いが現実においてどういう意味なすかという意識希薄になるからだ。そのような状況では空論を弄ぶことしかできなくなるのは当然の帰結だ。

記号接地問題解決する側にいるはずのエンジニア自身が同じ問題に囚われるとは、なんたる痛快事であろうか。

理由4: 馬鹿から

エンジニアというのは誰でもできる職業なのに高給取りだというイメージが付いており、思考停止しているくせに一発逆転を狙う馬鹿を呼び寄せている。

また、仕事それ自体によって、あるいは仕事で金を稼ぐことによって自己実現をしようと企むナイーブ価値観蔓延している。もともと馬鹿ならそのままぬくぬく馬鹿のまま育つし、大学一般教養を学び大学院でコンピュータサイエンスを学んだような本来は"頭の良い"人までそうした朱の馬鹿共に交わってより赤き馬鹿に成り下がってしま環境なのだ

まり、端的に馬鹿からそもそも浅い思考・浅い言論しかできないのだ。

2023-12-09

anond:20231207125338

もちろん擁護してるぞ

彼のような最底辺クラス犯罪を犯さなければ

この世は平和平等で誰もがそこそこ自己実現できるところだと人々は錯覚してしま

底辺が行動を起こすことで社会は良くなる

どうしてこんなに錦鯉のことが好きなんだろう

 たぶん、彼らが許される世であって欲しいと思っているんだと思う。その願いと、そっちの世の中のほうがなんだか楽しそうだという希望見出してんのかな。錦鯉が好きな理由を考える時、西成あいりん地区三角公園を思い出す。どんなに治安が悪くて、どんな人相の人がいるんだろうとか思って行ったけど、公園で過ごしている人たちは朝っぱらから発泡酒を飲み、チューニングのあってないギターを弾き、踊り、その脇でボールもないのに全力でピッチング素振りバッティングじゃない)をし、事情はあるにせよ彼らはかなり幸せそうにみえた。私にとって錦鯉は、三角公園でみたあの光景に近く、彼らが注目されている現状は三角公園に沢山の観光客が集まっている様子を想像する。あの空間はあのまま保たれていて欲しい。西成あいりん地区おっさんが昼間っからピッチング素振りをしていることが許される世の中であって欲しい。

 先日、空気階段もぐら、ニューヨーク嶋佐、トマホーク坂井が「ボクらの時代」に出演していて、坂井が「結局、何かで抑圧された人が自己解放のために芸人やってる人がほとんど。俺はおやじコンプレックスだと思う。おやじ人生みたいになりたくない」と言っていたんだけど、芸人に限らず人は自己実現とか自己解放とかなんやかんやできっかけや理由目的を求めるもんだと思う。元々あるのではなく能動的に探す、見つかる。でも彼らはずっと受け身。野心や頑固さ、見栄、敵意などの突き動かすような大きな意思を感じない。そりゃM1の優勝を狙っているくらいだから無いわけではないと思うけど、熱すぎることもなくかといって冷めすぎてもいない。2人が出演したしくじり先生で、優勝を逃した2020年M-1を「僕たち2人に、人生で初めて悔しいという気持ちが芽生えた。しかもその悔しさはどんどん増した」と(主に渡辺が)振り返っていて徹底的に情けないと思いつつ、その情けなさを恥を忍んで言えるおじさんたちにちょっと胸を打たれた。

 「誰も傷つけない笑いなんてものは本当に存在するのか」というテーマを一人遊びのおもちゃにしていた時期があったんだけど、表現をする人は常に誰かを傷つけるリスクがあり、たとえどんなに気をつけていても知らないところで見知らぬ誰かが傷つき不快な思いをしている可能性は捨てきれない。実際にミルクボーイM1決勝ネタをみていた友人が「モナカってチョコモナカジャンボのこと?」と彼氏に聞いたところ「最中も知らねえのか」と随分バカにされ傷ついたみたいなことを言っていたし、さっきの三角公園の話も、きれいなところだけを観てわかったような態度でいるよなと自分自身で思う。

 私は2020年M-1錦鯉ネタパチンコ」でソファから落ちるほど笑ったんだけど、何が痛快だったかっていうと、パチンコに行ったことない人にとって、まさのりのあの顔が初めて見る「パチンコ台」になったこと。パチンコを知らなくても笑えるネタは、本当の意味で誰も傷つけてないし、置いてけぼりにもしてない。ネタを見ている人が例えパチンコを知らなかったとしても、誰からバカにされないように、まさのり自身パチンコ台になってくれる。錦鯉は、バカ担当まさのりさんがこの世の全ての"傷つき"を一身に背負ってくれてるんだと思う。「どうせみんなこうなるんだよ」「からっぽだよ」と冒頭から徹底的に自分を下げ、コンプレックスを持つ人たちに対して「俺のほうがもっと下だから安心しなよ」みたいな態度を取り続けてくれる。だから私は錦鯉のどんなネタ安心して観ることが出来る。一番好きなネタは「数え唄」です。

2023-12-01

青春映画が好きなんですよね〜という時、おれは当たり前のようにスコセッシの映画とかサタデナイトフィーバーとか桐島、部活やめるってよとかああいうのを想定して言ってる。それで通る事も多い。

青春情熱を描いた系というニュアンスで受け取られる事もあるけど、それならそれでまあピンポンとかアツいですよねという方にも話を持って行ける。陰か陽かの問題で、どっちにしろ似たようなテーマの「青春」だし。

ただ、たまに青春映画=キラキラ恋愛ストーリーみたいな受け取り方をされる事もある。おれはそういうのにマジで一切関心がないし、自己実現への焦燥感や閉塞感を描いた鬱病みたいな映画が好きなんですと回りくどく説明してみても伝わりがあんまり良くない。その辺は理屈というより感覚問題なので仕方がないとは思うけど。

2023-11-29

中年になってモブ人生が確定してマジでつらい

タイトルのとおりなんだけどいま30後半で、今後の人生のことを考えるとむなしくなるわ。

結婚しているやつはいいわな。パートナーと楽しく生きろよ。

子供いるやつもいいわな。子育て醍醐味を味わって生きろよ。

仕事自己実現できているやつもいいわな。その調子スキルアップしなさいな。

で、この三つがどれもできていないおっさんはどうやって生きていけばいいわけ

まれからずーっと、人に言われたことだけやって、我慢料として安い給料を渡されてさ。

誰かを稼がせるためにロボットのように働いて、動けなくなったらポイでしょ。

七時ごろに仕事が終わって、飯食って、酒飲んで、寝る。誰かを稼がせるためにそれを繰り返す。

自己実現できていない会社員って置き換え可能botしかないわなぁ。むなしくなる。

無私な毎日だわな、ほんと。宇宙人が見たら、あまり規則性に驚くと思う。人間がアリの習性に驚くように。

はいはい、きみらの言いたいことはわかるよ。「趣味に生きろ!」とか言うんでしょ。

自分オタクなので人並み以上にアニメ漫画ゲームは好きだが、面白い作品供給を待つだけの人生にも疑問が出てきたんだよね。

結局、消費者しかないし、自分趣味に合う作品が配給されなくなったら終わりじゃん?

生産的な趣味を持て!」とか言われるだろうけど、生産的な趣味承認されるほどのスキルがあったらこんなことで悩んでいないのよ。

今まで何もしてこなかったおっさんが急に生産的な趣味に目覚めても、周りの生産性との差を自覚して惨めな思いするだけでしょ。

孤独おっさんが誰にも承認されずに趣味に生きてなにが楽しいのよ。

4連休もな~んにも楽しくなかったよ。

あ~あ、これからどうやって生きていけばいいんだろ。安楽死しかないのかね?

2023-11-28

子供の頃から死ぬのは苦しそうだという恐怖がパラノイアのようにまとわりついていた。ある時気絶を経験してみて、死なんて案外こんなものなのかもしれないと思った。睡眠は死のイトコとはよく言ったものだ。身体的な苦痛に対する恐怖は薄れていった。恐怖は抽象的なものスライドしていった。

「無」になることが怖くなった。

意識の断絶。経験したことのない状態体験した者は一人残らず口が聞けなくなっている。これはどういう思考過程で恐怖が薄れたのか忘れてしまった。どう足掻いた所で避けようもない。火の鳥吸血鬼はきっと存在しない。ならば不安になったって仕方がない。考えるのをやめることでいつしか怖くなくなっていたのかもしれない。

存在を忘れられることが怖くなった。

無になっても、他人を介して自分存在を繋ぐことが出来るのではないかと考えるようになった。それが成し遂げられないことへの不安だった。

大抵の人がそうであるように、自分という存在もまた忘れられれば初めから無かったかのようになってしまう。結婚して子供を残せば自分存在を残せるかもしれない。でも4代5代も先になれば、誰も読みやしない墓石に刻まれ文字だけの存在になるだけだ。遺伝子を残した所で、それが自分アイデンティティを為すものだとはどうしても思えなかった。それはただのモノだ。いつか朽ち果てる墓の中の骨と変わらない。そこに自分の考えや言葉性格は何もない。そもそも血が途中で絶えない保証なんてどこにもない。

思春期自己実現への焦燥感や全能感と合流して、偉大な存在になれば望みは果たされるだろうと思うようになった。教科書に乗るような存在になれば永遠になれる。誰も自分を忘れない。

しか自分が大それた存在ではない事を薄々受け入れていく内に、この望みも薄れていった。ビートルズだって数百年先も人々の記憶に残っている保証はない。バッハだってカエサルだって仏陀だって、いつかは忘れられるかもしれない。

生きている間だけ存在し続けるのも、死後せいぜい数十年、数百年、数千年の間人々の記憶に留まるのも、永遠に比べたら誤差のようなものだ。それに身も蓋もない話をすれば地球だってどうせいつかは爆発するらしい。他人を介した方法でも、永遠存在になろうとすることは諦めた。今思えば、地球がなくなっても宇宙へ住処を広げない可能性がないとも言い切れないけれど。

これらはすべて理屈問題というよりは納得、受容の問題だった。

後悔を抱いて死ぬことが怖くなった。今に至るまでこれだけが怖い。

死は避けようもないが、しかしたった一度きりの生があるのもまた事実だ。

生きる意味などどこまで考えても見つからなかった。理詰めで問うていけばどれもこれも絶対的地盤などなく、あやふやものの上に成り立っていた。宗教というものの意義が肌感覚理解できた。しか自分なりに意義を見出す事は出来るはずだ。ならば心からの納得が欲しい。

死ぬ間際に人生こんなんで良かったのかという思いが頭を過る事に対して、強迫的な焦燥感を抱くようになった。

しかし肝心の焦燥感をぶつける先が見つからない。

映画を見漁っても、友達付き合いをしていても、方々を歩き回ってみても、楽器を弾いてみても、曲を書いてみても、心からの納得は得られない。

それを振り切れるほどの情熱もないままに、存在不条理なんていう目を向けてはいけないもの凝視し続けて頭がおかしくなってしまった。

意味などない生活を積み重ねる事が苦しくなった。気が滅入る。

情熱を持って生きるか、それが出来ないならせめて日々の気晴らしにかまけて人間存在不条理など忘れ去ってしまった方がいい。

くだらない考えもほどほどに目の前の生活淡々と送る。それが地に足のついた人生であり、そういうバランス感を模索していく事が人生の中で生き甲斐を見逃さないための誠実な生き方というものなのかもしれない。

そう頭で思っていても、情熱の燃料にもならない湿った焦燥感がどうしても捨てられず、後生大事に抱えている。これを捨てたら比喩ではなく石ころと同じ存在になってしまうように思えてならない。石ころと同じ存在になってしまうのはとても恐ろしい。仏教はそれを肯定しているらしいが、何をやっても納得してくれない心がそれだけは強く否定している。

思えば初めからそうだったのかもしれない。子供の頃から普通に楽しく生きていれば、生きている実感を見逃さなければ死になんて目も向かなかったかもしれない。鬱病の素質があっただけかもしれない。

世の中の人間は意識的にでも無意識にでもこんな事は踏まえた上で、バランスよく自分なりの賢い生き方をしているのだろうか。まあ他人のことはどうだっていい。

といったような考えに10代の大半と20代の少しを費やしたが、同じような内容が大学哲学系の講義でサラッと語られていた。

読書をしていればこんな考えに時間を浪費する事もなかった。車輪の再発明だ。無学の悲劇だ、と笑われそうだが、自分はそう思わない。そこには単に理屈だけではない実感が乗っている。価値観DIYのようなものだ。拙くとも自分で辿り着いた事に意義がある。今更のポジショントークなのかもしれないし、それのせいでバカみたいに勝手に苦しんでるんですけど。

2023-11-25

anond:20231125112348

仕事自己実現なんて求めない趣味に全力投球で土日は飛び回るし仕事は金稼ぎの手段

って選択した奴はそうなるのはわかっててそっち選んだんだろ

自業自得じゃね?

2023-11-24

anond:20231124103808

強制労働を強いられている訳ではない」と「自ら望んで働いている」の間には天と地ほど差があろうよ。

 

家族のためとか自己実現のためとか色々言い方はあるが要するに

人間らしく生きる」

ために胃の痛くなるような朝も仕事に通っているわけ。

 

人間らしく生きる」はタダじゃないんだよ、

労働者はみな不安に耐え、歯を食いしばって一人前の座にとどまり続ける努力をしてんの。

 

それを日がな一日だらだらと炎上増田練ってるようなアホがちゅーちゅー吸いに来るわけだ。

その上「私たちだって人間らしく生きたい」だの「ウナギ喰いたい」だのほざく。

 

そらまあムカつかないわけがない。

ダニに吸われる血の量なんてたかが知れてるが、痒くて不快だし大量に発生すれば病気だって運ばれるしな。

2023-11-23

anond:20231123185448

まあでもよくある話だよ

持たざる者としてゴミ階級に生まれ

自助努力自己実現と騙されて底辺で健気に生きてるのに加害者扱いされて

犯罪者障害者烙印を押されて弱者ビジネスに吸われるだけの人生

2023-11-19

スタンド・バイ・ミーイージーライダー青春映画だと言われて今は納得出来る。中学高校の頃にそう言われてもピンとはこなかったと思う。へえ。青春とは死体を探して線路の上を歩くことなんですか。しょーもな。って。

それは理屈理解するという類のものではないと思う。

例えば土曜の部活をサボって多摩川チャリで下った思い出がある。

車のディーラーファミレスセーブポイントのように点在するばかりの幹線道路。歩いていてここは自分の居場所じゃないと思ってしまうような他所住宅街。近くをウロウロしていても楽しくはない。Googleマップ面白そうな場所を探しても、近しい範囲に目ぼしいスポットはない。晩飯時間もあるしそう遠くは行けない。

フラフラチャリを漕いでいたらデカい川に辿り着く。見飽きた退屈な通りに比べたらなんだか妙に魅力的に見える。今日半ドン時間もあるし海でも目指してやろうって思う。

最初楽しいけれど、すぐに川の流れも見飽きてくる。陸側の景色も「無」のような国道を挟みつつ、マンション物流倉庫か謎の事務所かの繰り返し。全部やたらと横にデカい。大きめの駅があるらしい、高い建物の密集する地帯が時々近付いては遠ざかっていく。

途中休んで水切りでもしてやろうかと思うけど、良さげなスポット釣り人や浮浪者や遊び回るガキがいて近寄り難い。陰気な高校生が一人で水遊びするのもなんだか気恥ずかしい。

段々海を見ようと息巻いた気持ちも静まってくる。楽しさもなくなってただチャリを漕いでいると、段々漠然とした焦燥感のようなものが湧き上がってくる。「こんな事してる場合か?」って気持ちになる。先駆的覚悟だとか自己実現だとか、そんなような根源的な焦りや不安大人になったら人から借りたそういう陳腐言葉で片付けてしまうようなもの。常日頃感じつつ蓋をして押さえつけていたものが暴れだす。

焦燥感に駆られてペダルを漕ぐまま、結局晩飯時間を考えて世田谷辺りで折り返した。海というゴールを迎えてればまた少し違う思い出になってたかもしれない。

後日友達チャリ多摩川を20km下ったんだよと言って、バカでえと笑われた。その時はその程度の出来事だった。

後になってスタンド・バイ・ミーという映画を観て、それが青春作品に分類される事を知った。死体拳銃も劇的な出来事も無かったけれど、華やかなものではなかったけれど、あれは紛れもない青春だったのではないかと思った。

川沿いを走るでもなく死体を探すんでなくても、別な形で同じ様な青春を過ごした人は沢山いるのかもしれない。抽象的な焦りではなく、進路考えないとだとかもっと具体的だったり切迫した悩みだったかもしれない。あの時の思い出はおれだけの宝物だと思っているけれど、誰でも似たようなことを経験するからこそ青春という言葉があって、スタンド・バイ・ミー青春作品として支持されているのかもしれない。

先週大学をサボって多摩川をほっつき歩いてみた。あの頃感じた焦燥感が薄かった。

今は門限もなければ外食代くらい訳ないし、電車に乗れば海へ行くのも造作ない。自己実現が僅かにでも進んでいるから焦りが減ったのかもしれない。諦めたか妥協を受け入れてしまたか、忘れ去ってどうでもよくなってしまったのかもしれない。

ナイーブな悩みにあまりしがみつきすぎない方が良いと思える程度のバランス感覚は手にしたような気がするし、それをすっかり捨てたら人間として終わってしまうような気もしている。

茜色の夕日を見て、短い夏が終わったのに子供の頃の寂しさがないことを少し思い出した志村正彦も似たような気持ちだったんだろうか。

青春と銘打って鮮やかに彩色してしまいがちだけれど、当時抱いた決して明くはないあの気持ちは忘れずにとっておきたい。それを忘れてしまったら、あの頃忌み嫌っていた、お前は子供エアプなのかよと思うような大人になってしまいそうな気がする。

明るい結末に終わらないアメリカンニューシネマも後味が悪い所はあるけど、その居心地の悪さは当時体験した青春への誠実さだと思うのでおれは好き。

2023-11-13

田舎物価が安いよ

https://anond.hatelabo.jp/20231112174416

スタバなんて高級店だぞ

コーヒー飲みたかったら自分で淹れるか缶コーヒーだな

田んぼ仕事してる人が多いか基本的缶コーヒーになる

缶コーヒーの値段は変わらないけれど、都会の人はスタバとかブルーなんとかを選ぶだろ?

田舎だとそんなオシャレなものは選ばない

というか都会でもコーヒーにあの価格出してるわけじゃなくて作業スペース・休憩場所としてあの価格を出してるのであって

田舎にそんな発想はないぞ

休憩は車の中の方が快適なわけだ

都会でそんなことしたら駐車料金取られるから結果的には高くなるな

同じようにスーパー惣菜弁当も安いぞ

チェーン店コンビニなら都会でも値段は同じだけど

そもそも都会住みだとRF1とか良い感じにオシャレな店行くだろ?

まぁ田舎でもイオンモールに行ってちょっとオシャレな食べ物買ったりするけど

どんなに多くても週に一回なんよ

都会だと週3ぐらいでは行くわけ

RF1に週3じゃなくて、その手のRF1っぽいとこに週3な

下手したら週7で惣菜買うよね

田舎ではそんなめんどくさいことしない

から結果的には田舎の方が食費が安い

まぁ野菜や米とか作ってるっていう理由もあるけど

買うのが面倒だから自炊するっていう部分が結構大きいと思う

ここまで書いて思ったけど、都会だと承認欲求自己実現を満たすための費用が高い気がする

SNSにアップするわけではなくとも、オシャレなカフェ仕事したりちょっと良い物を食べたりしたいんだよね

あと、下手に美味いものとか良い物を知ってしまっているせいでクオリティが低い物に出費できないわけよ

なので都会の人が田舎移住ってのは全くオススメできない

田舎人間が都会に行って、その手の費用辟易として田舎に帰ってくる、ってのが多い気がする

2023-11-10

anond:20231110134521

実際、女子スポーツ界はトランス女性排除ルールに向かってるが、その理由トランス女性無双すると客が減るという商業上の都合でしか無いんだよな。

もし駅伝ケニア選手だらけになったら日本人の客が観なくなるから、何らかの方法ケニア人の参加を防ぐルールに向かうだろう。それと同じ。

弱っちい身体女性が健気に頑張ってる姿が客に受けるんです、それをゴリラみたいなトランス女性が蹴散らしたら客が離れるんです、客が観たいのは身体女性の演じるポルノなんです、それが女子スポーツ価値なんです

そういう見世物なのは理解できるし、いいんじゃない

ただし、やってることは黒人無双すると白人日本人の客が離れるから黒人選手の参加を認めないというのと同じことで、

トランス女性という「女性」を排除する差別の上に成り立っている商売なのだから、フェアネス(公平)だの「女性」の自己実現だのエンパワーメントだのは二度と口にするなよ、女子スポーツ界のクズ差別主義者どもは。

2023-11-08

産前は、ほぼ男女の違いなんぞ感じずに暮らせていた。今思えば幸せだったなあと思う。

仕事には早々に復帰した。1歳児以上の保育園入園が難しい地域に住んでいる。自己実現を囁かれてきた世代でもあるが、何よりそういう職業柄だったので復帰を急いだ。

職場は男女比が狂っており、私は所属している部署で唯一の女である。夜は遅くまで、持ち帰り仕事もあるような職場給与は高くない、でも名誉はある、そんな職業である

ブラック職場なので産休育休中も「自主的な」活動として諸々降ってくる。席があるのはありがたいのだが、せめて休ませて欲しかった。

子供可愛い。持ち帰り仕事なんぞやめてずっと寝顔を見ていたいくら可愛い。帰ってきたら寝るまでずっと一緒に遊んでいたい。家事なんて放り出して、ずっとずっと可愛い子供と遊んでいたい。

仕事は予定より遅れている。仕事量は産前と変わらない。持ち帰り仕事をやる時間はない。保育園の送迎も子供基本的な世話は私が担当しているので、壊滅的である。夫は毎日疲れているらしい。スマホゲームやらYouTubeやら見て22時には寝る。

私の方は子供を産んでからろくに寝ていないのに、よく言うよねえ。子供が寝たら残りの家事をこなして、仕事をして25時以降に眠る子供は夜通し寝ない。起きればあやす。なんで夫は育児家事もしてくれないのか。言葉に出すと空気が悪くなるので言わない。「これをやって」と言えばやってくれるが、分担の申し出はない。気が向いた時にだけ、家事育児を手伝う。

もう疲れた。ままならない仕事、非協力的な夫、家事仕事忙殺されて子どもとあまり遊べない、最低な親だ。

だってわかっている。仕事を減らしてもらえるよう職場交渉し、夫に育児家事をするよう指示すればいい。でももう無理だ。疲れてしまってこれ以上、ストレスに感じる行動はできない。

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