「日能研」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 日能研とは

2023-02-06

anond:20230204134024

日能研カバンあるけど別に強制じゃないだろ…

これだけで増田の頭の悪さが知れるな

2023-02-04

日能研カバン強制なのにSAPIX自由なんだよね

面白すぎるよな。

自分で考える頭のないやつはまず型から入れる。

自分で考えられる奴には無理に型を押し付けない。

これはあらゆる物事の基本なんだろうな

2022-11-16

お受験ラップ

俺ら小6 おめーらもうろく

キレる12歳の気円斬 消える旧時代試験

夢に見たお受験 ウケにきた少年

クレイジーな挑戦 嬉しいな応援

本当はもしかしたら滑り止め

穏当に模試からしたら無敵オレ

御校に落ちたりしたらうめき声


驚愕創作で 高額の工作

上達の口角で 聴覚恐喝

狡猾の籠絡で 共学の合格

 

ありがとう 父の財布 母の狂気

I got all 君を愛すから勝利

二月の勝者はリアルの王か(桜花)?

SAPIX怪物

四谷大塚王者横綱

日能研一騎当千

早稲アカ替玉

総員ぶち抜いて

押韻スキルにて

入学式限定出席

中学1年生首席

麻布 武蔵 開成

What's up? Fly high, Yeah!!

雙葉 桜蔭 JG

Pure Heart Goin' Crazy!!

https://anond.hatelabo.jp/20221109222210

2022-09-20

anond:20220920132120

子供東大に入れるのはどんなに高くても4千万

ネタだろうけど小中高田舎の公立で塾なしでも合格するし、小三から日能研いっても落ちるのが東大

2022-04-20

anond:20220420141114

そういうファッションって日能研とか今だとSAPIX?とかのバッグしょった小学生がしてるイメージSAPIX公式バッグがあるのかは知らない…なさそうだが)

2022-03-30

anond:20220330092841

新百合ヶ丘といえば、前田亜季が通っていた日能研(?)があることで有名だな

2022-02-26

anond:20220226191139

歩いて数分のところの本屋に行って、自転車で行ける駅前日能研駿台に行って、大学ドイツ語再履修になったわいには何言っているか意味不明

2022-02-22

四谷大塚桜蔭同日受験体験

2/1、四谷大塚にて毎年(たぶん)開催されている「開成桜蔭入試同日体験受験」を受けてきた(娘が)。

開成桜蔭入試同日体験受験」ってなんやねん

2/1、小学6年生たちが最高峰入学試験に挑むその日の午後に5年生(新6年生)が同じ問題に挑む謎の試験

はっきりいって正気の沙汰ではない。

精鋭の小6生たちが万全の準備をして挑み、それでも涙することがある試験別に同じ合格ラインを目指すわけではないが、小5生がわざわざ一年前に挑むなんて、なんのメリットがあるのかわからんし控えめに言ってあたおか。増田もこのの試験存在を知った当初そう思っていた。

それでも結果として小5の娘に桜蔭同日を受けさせることにした経緯やその有用性について、せっかく受けたので、n=1の意見ではあるもののまとめておきたいと思った次第。だって事前にネット検索してもろくに情報なくて困ったから。誰かのなにかの役に立てば嬉しいし、そうじゃなくても娘がめっちゃ頑張ったから誰かに自慢話を聞いてほしいので記しておく。そうこれは自慢です!

増田スペック

かわいい。3年2月(新小4)四谷大塚入塾。Yにした理由は徒歩で通えるから。入塾時はA4。4年後期にC、5年夏にSに上がり以降S4〜6をうろうろ。直近の組分けは65でS4。志望校判定は67。サピックス1月組分け61。毎日めっちゃ頑張っててえらい。

  • イッヌ

かわいい。3歳のポメラニアン女子めっちゃビビリ。かわいい

かわいい公立中→県立高校国立理系院→IT社畜→ほぼ専業主婦

都内私立中高(界隈の人にはふんどしリズンとして有名なところ)→国立文系IT限界社畜

そもそもなんのためのテストなのか

増田最初にこの試験存在を知ったとき第一感は、「一年前に既にガッチガチに仕上がってる自信アリアリの猛者たちが腕試し(≒トロフィー)的に受けるいけ好かない試験」であった。なんかもういろいろまじすまん。

しかし、11月にあった6年生に向けてのガイダンス内で新事実(増田にとっての)が判明。日曜日に行われる学校コースを受講するための選抜試験だったのである

サピックスSS、早稲アカのNNと同じようなアレが四谷大塚にもあって、それが学校別。四谷大塚では前期(2月から8月)と後期(9月から1月)があり、前期の学校別は開成コース桜蔭コースのみ。開成or桜蔭と冠がついてはいものの、前期は開成or桜蔭に的を絞った問題ではなく応用や難問を広く取り扱い、後期学校別にスムーズにつなげるためのもの、という位置づけらしい。このへん、文書による説明はなく塾の先生に聞いたらこんな感じの説明をされた。また、四谷大塚ホームページには後期学校別の情報はあるものの前期のは見つけられなかった。しかし内部生しか受けられないわけではないようで、試験を受けたらもらえた文書には外部生向けの料金の案内もあった。えっじゃあホームページに載せたらよくない?四谷大塚のショボい広報力なんなの?あとホームページめちゃくちゃ見づらいんだけどもしかしてまだ中の人90年代生きてるの?そんなんだから令和の保護者にウケないんだよ!

受けることにした経緯

ともあれ、2月開講の桜蔭コース(※ただし桜蔭特化ではない)を受講したければこの試験を受けるよりほかない(もしかしたら組分けでの超優秀層はこの限りではないのかもしれないけど増田にはわからない)。

増田娘は基本的勉強が好き(えらい)だし、特に算数が大好きで、難問に苦戦しているときすごくいい笑顔を浮かべる。ちょっと心配になるぐらい。とはいえものすごくよくできるわけではないのだけれど、とにかく好きなのだ。そういう娘にとって、前期学校別はひどく魅力的にうつったようだ。わかる。増田もうちの娘に合うんじゃね?って思った。先生誘導にホイホイのせられるちょろい家族である

ほぼ腹は決まっていたような状態だったが、同日受験の是非については親ふたりで話し合った。中学受験において、最新の過去問初見ではなくしてしまデメリットは軽視できない。が、我が家にとって桜蔭そもそも志望校ではない。実際に受験する可能性は限りなく低い。そして桜蔭過去問は同校を受けるのでない限り取り組む必要性は低い(と塾の先生確認済)。最終的には、娘が希望しているのだし試しに受けてみてもいいのでは、との結論になった。

実際に試験を受けた方々の志望校がどこなのか知る由もないが、本命が別の学校であるほうが受けやす試験というのはなんだかなぁちょっと思う。

まりにできなくて自信をなくしてしまうんじゃないか…との懸念もあったものの、娘は基本的にめちゃくちゃ負けず嫌いだし嫌なことも一日寝ればだいたい大丈夫になるメンタル強め女子そもそも、Cに上がったときもSに上がったときも週テストこてんぱんにやられているので、太刀打ちできないテストへはある程度免疫があるのだ。なんとかなるだろう。なんともならなかったらミスド山ほど買って忘れさせよう、と思っていた。ちなみに、まるで過去のことのように書いたがSの週テではいまだにやられっぱなしである。だいたいいつも40台前半。これまでの最も楽しい記録は13。後ろから数えてトップ3だったこともある。のびしろしかない。もはや最近は週テストから(震え声)フォローすることもない。組分けさえなんとかなりゃええんや。週テストなんか全科目0点でもクラスコースも落ちんし(暴論)。

結果(自慢)

2/3昼過ぎ。あのどうしようもなく見づらいホームページからログインしてみると、得点が出ていた。

2/8、所属校舎にて受講可否の通知をもらってきた。結果は合格。受かったー!やったー!と喜ぶ娘。わけもわからキャンキャン吠えるイッヌ。増田も一緒になってヤッターヤッター騒いでたら確定申告の準備頑張ってたヨッメにうるさいとめちゃくちゃ怒られた。ごめんなさい。

それにしても、わざわざ封書に入れられた【合格】と書かれた紙を取り出す作業さながら本番のようでちょっとキドキした。いまや本番がほぼネット発表なのは知ってるけど。

ネットで見た受講許可ラインはこの試験偏差値55または直前の組分けでSコース偏差値50とのことだったけど、増田娘が貰ってきた紙には点数のみ書いてあった。4科目の偏差値53相当の点だった。

終わってみての雑感

よかったこ
  • 娘が楽しそうだった

当日の付き添いは増田担当させてもらった。来年の本番もこんなふうにして付き添うのかなとドキドキしていたが、娘はさほど時間の余裕がない道中でタピオカを飲ませろと強請ってくる豪胆な女だった。っょぃ。知らない会場(いうて四谷大塚だけど)で難しい学校試験を受けることに終始ワクワクしているようだった。娘の成長を感じて増田ドッキドキ。

娘を送り出したとき、三年生の二月に三年後に向けて走り出したときには天竺イスカンダルかと思われた受験本番が一年後に迫ってきているのだと実感できた。あしたの今ごろならぬ来年の今ごろを思い、ちょっとセンチメンタルな気分にもなった。増田もきっと泣いているような気がする。嬉し涙だといいな。そんなことを考えていたので、申し訳ないことに増田試験中に開催された説明会の内容をほとんど覚えていない。ごめんなさい。だってとてもじゃないけど受講基準クリアするとは思っていなくて…。桜蔭志望でもないし…。

繰り返しになるが、2月から前期桜蔭コースに参加するにはこれを受験するしかない。内容が桜蔭特化ではないので桜蔭志望者にとってマストではない(と思う)が、だからこそ、桜蔭志望ではない子も受講を目指してもいい、というのはもうちょっとアピールしてくれてもいいと思う。ていうか前期講座の情報のなさなんなん?四谷大塚広報力のなさはわざとなの?ほんとホームページなんとかならん?サピックステスト受けて一番ビックリしたのはマイページスマホ表示に対応してたことだよ!四谷大塚もやってくれよ!日能研対応するってよ!うらやましい!

で、結局デメリットは?

四谷大塚もっと広報せーやとさんざん文句を言ったものの、誰でも受けてどうぞの講座じゃないのはわかる。たぶん大多数の子どもにとってこの時期毎週別校舎に通ってこんなことしてる場合じゃない。始まったばかりの新6年のスケジュールに体をなじませる、新出単元がまだ続く理社の予復習、算国の強化、やるべきことは山ほどあるので。往復の時間と体力も行かなければ節約できるものなので、メリットが大きくなるかどうかは子どもによってわかれると思う。ただ、どうせ日曜講座に通うのであれば、学校別講座開催の校舎が自校舎or近隣の場合には受かったら通ってみるのもいいと増田は思う。いい刺激になって好循環を呼ぶかもしれない。ただし逆もまた然りなので、アカンと思ったらすぐ塾の先生相談&自校舎の日曜講座に戻る選択肢は常に頭に入れておく必要もあると思う。増田はこの点3回ぐらい所属校舎に確認した。無理だと思ったらすぐ戻ってきてどうぞ、とのことだったので安心して送り出している。今のところ増田娘は超たのしそう。

試験パスしたとしてやっていけるかどうかが不安場合そもそも受けるかどうか迷う場合は子をよく知っている所属校舎の先生相談するのが良いと思う。増田娘は「受けてみて受かったら行けばいいんじゃない」と言われ、増田は「受かったら行って大丈夫ですよたぶん」と言われた。(その心は、対策(過去問とか見て)せずにパスできるならなんとかなるよ、というところだと思う)

他塾生が日曜だけこの講座を取るのは、増田だったらさせないかなーと思う。何度も同じこというけど、桜蔭特化講座ではないので。各々の塾にも日曜なにかしらあるよね?だったらそれ受けたほうがいいと思う。

たぶんこれが最大のデメリットなんじゃないかなーと受ける前は思っていたけれど、今はそうでもないかなという感想。前述のとおり増田娘の第一志望は桜蔭ではないので特にフワっとしている点は否定しないけど、そうでなくてもそれほど大きなデメリットではないと思っている。そもそも四谷大塚生が使用している予習シリーズには各学校過去問の改題があちこちに散りばめられている(らしい)。予習シリーズ使用状況に限らずどこかしらに通塾していればそう大差ない状況だろう。また、トップ校の試験は最新入試トピックとして目にする機会も多い。子ども新聞とか塾配布の雑誌(四谷大塚ならドリームナビ)にもさらっと載ってたりする。まだ出題ホヤホヤ、本当に絶対初見のまま挑める2/1に受けてしまうこの荒業同日試験はなんだかんだアリでは?というのが今の感想

また、いざ桜蔭を志望するとなれば各塾桜蔭のための講座が開講されていて、腕によりをかけて桜蔭っぽい問題が作られ桜蔭っぽい採点と解答が研究されている。その気になれば塾のハシゴをして教材を手に入れることもできる。共学人気といわれる昨今ではあるが女子トップはやはり桜蔭というのがまだまだ界隈の共通認識であり、各塾が力を入れて対策をしているのは違いない。そんな信頼がおけるテキストが塾の数だけあるのに、過去問一年分消費したとてそれほどのデメリットだろうか。

とはいえ増田子の第一志望が桜蔭だったらもっと悩んだと思うからなんともいえん!自分で考えて!

そのほか反省

各科目10点超えたら君にとっては満塁ホームランだ、的な言葉をかけたんだけど、イマイチだったなと反省してる。親としてはプレッシャーをかけたくない気持ちとうっかり期待しすぎないよう己に釘を刺すためのものであった。受講許可ライン超えるといいね、ぐらいは言ってもよかったかもしれないと今もなおぐるぐる反省している。声かけ難しいネ。

  • 平日の予習がなかなかヘビー

所属校舎の日曜講座は翌週の取り扱い単元の導入的授業をしている、というテイだけれど、増田娘の所属クラス先生方みんなドSなのでプリント課題が出てそれを解いているそう。このプリント増田娘は木曜にもらって帰ってくる。=火曜までにやって自力で追いついておけ(平日の通塾日は火曜と木曜)。桜蔭コースでは前週までの単元(前日土曜に週テストしてる分)の応用演習がメインで、理社は次週分の予習もしてくれているみたい。だけれどやっぱり火曜までにやらなければならないことは変わらないのでけっこうヘビー。今のところパンクしてるようすはないけど今後も要観察。

まとめ

以上おわり。長文拝読サンキューやで。

2021-12-20

22時過ぎの道玄坂ダメ人間しかいない

22時過ぎの道玄坂ダメ人間しかいない。ポケットに手を突っ込みハイヒールでズンズンと駅へ向かう私もその一人。あの男。18年ぶりにTinderで再会し、手コキで果てた神奈川大卒の男。美しい思い出を性欲で汚した愚かな男。そして、彼を見下し、利用しようとして報いを受けた慶應卒の愚かな私。

 

私は私の人生がかわいかった。腹を痛めた我が子のように。当然だ。様々な苦しみを食べてこの人生は育ってきたのだから教育ママ日能研のバッグ。中学受験女子校人間関係大学受験。滑り止めの慶應経済就職活動。いろんなものをすり抜けて、私のソコソコ幸せなこの人生があるのだ。

 

中央林間のあたりで生まれて、小学校までは地元公立に行っていた。色んな人がいた。「じゅんやくん」とは母親同士がママさんバレーの友達で、家も近かったからよく遊んでいた。青い屋根瓦の古い平屋。中に入るとワサビみたいな匂いがした。夏も冬も、いつもヨレヨレのタンクトップを着ていた。

 

じゅんやくんはモテた。足が早くて、サッカーもやっていた。土曜日に校庭に遊びに行くと、真っ白いソックスを膝まで上げたじゅんやくんが中盤からいいパスを出していた。かっこいい。顔はよく覚えていない。小学生恋愛なんてそんなもんだ。初めてチョコをあげたのもじゅんやくんだった。

 

女子学院への進学が決まった。じゅんやくんに伝えると、お前のことちょっと好きやったで(笑)と言われた。ちょっとって何だよ、と思いつつも純粋に嬉しかった。それから人生で、ちょっとでもいいから私に好きだよと言ってくれる人は他にいなかったから。その日は二人でマックに行っておしゃべりした。

 

メルアドを交換して多少のやりとりはしたし、全然更新しない彼のアメブロくらいは見ていた気がする。でもお互い新しい環境で新しい友達ができて、思い出話と近況報告以外に特にネタもないし、そして何より、小学生の「好き」なんて、その程度の曖昧ものなのだ大人のそれも似たようなものだけど。

 

JGの新しい友達はみんな「きちんとした子」が多かったし、母もそれを喜んでいた。特にじゅんやくんやそのお母さんの話はしなかった。もしかすると、私の人生自分作品のように思い込む短大卒の教育ママである母にとって、あん公立校の人間関係なんて忌むべきものだと考えていたのかもしれない。

 

そんな背景もあり、私は次第にじゅんやくんのことを忘れ、何事もなく人生は進んでいった。第一志望の東大は落ちたけど、滑り止めの慶應経済に入った。慶應卒の父はそれはそれで喜んでいた。塾高生の目が届かない弱小テニサーでは、志木高生が俺たちこそが内部生と言った顔でオラついてて可笑しかった。

 

サークルゼミの先輩たちに色々手伝ってもらって、リクルートスタッフィング内定を決めた。キャリア内定者の何となく見下してくる感じはムカついたが、腐ってもR。腐っても銀座OL。初めての一人暮らし。限りなく浜松町に近い田町の月10万の1K。まいばすけっと自炊を頑張ってみたがすぐ飽きた。

 

仕事は楽しかったし、なによりRの空気は私に向いていた。JGと慶應経済の面倒なところを煮詰めたら多分Rのそれと同じような味がする。電話をかける。ビルを倒す。派遣された高時給のエンジニアたちがちゃんとやっているかフォローする。いくつか賞ももらった。私の人生は引き続き順調だった。

 

唯一の問題私生活にあった。慶應卒のかわいくない総合職女の子、ほどの恋愛における弱者はいないんじゃないかと思った。ルッキズムには排除され、オレが養ってあげたい派より年収が高い。共働き尊敬し合える関係が、とか言ってるやつも、だいたい前掲のどちらかを心に持っている。行き場がない。

 

入社2年目くらいのときに、三菱商事との合コンがあった。商事の中でも三軍みたいな連中。微妙顔面高慢な態度。「派遣とか竹中平蔵じゃん(笑)」「お前はどうしたいの?っておれに聞いてみてよ(笑)」内心分かりやすハイスペ好きで、今日合コンのためにまつパに行った自分を殺してやりたかった。

 

そんな行き詰まりがずっと頭の中にあった。何となく始めたTinderゴミの山だった。日東駒専大東亜帝国なんて現物と会ったこともない。なんと高卒も!世の中の広さを思い知らされる。この国では生きる世界が何層にも分かれていて、コンビニレジとか、違う世界の人は目の前にいても透明に見える。

 

同じ社会に生きる透明な人たち。彼らが可視化されるのが面白くてTinderにハマった。何を売ってるのか、こんな国語力で本当に売れるのか分からない謎の営業たち。ホテルマンと車のディーラーはやけに多い。恵比寿フレンチで働いてるシェフ何だか好感が持てる。そんな悪趣味Tinderをやっていた。

 

マッチゴミの山を漁っていたら、一人の男が目に止まった。神奈川大学卒。神奈川大学?白楽だか東白楽だかの果てにあるらしい。体育会サッカーをやっていた。今は営業をやっている。また営業。こんな営業会社に来たら嫌だな。Junya。30歳。Junya?彼だ。

 

18年ぶりに幼馴染みと再会した。よりによって、このゴミの山で。身分を超えた恋、と言えば美しいので、そう呼ぶことにした。すぐに彼からメッセージが来た。はじめまして😆✨よろしくお願いします❗冷静になった。●●小のじゅんやくんだよね?すぐに返信が来る。当たりだ。

 

話すことはたくさんある気がするから、私からすぐに飲みに誘った。家も職場横浜のあたりと言うから東横線で出てきやす渋谷にした。店知らんから任せていい?🤣と言われたから任せられた。ラフな感じがいいな、ラフな感じでいいやと思って道玄坂の「どうげん」を予約した。

 

彼が人生の曲がり角になる気がした。ハイスペを追っては追い返され、低スペは追われる前にドアを閉める。私のかわいい人生恋愛ときで躓かないよう、学歴や社名で相手を選んできた。スペック依存しない私の新たな人生幸福が、おそろしく低スペな幼馴染との再会で始まるんじゃないかと期待した。

 

金曜。どうげんに焼肉を食べに行くだけとは思えないほど気合いの入った格好で山手線に乗ってしまった。この日のためにアリエクで買ったスカートは思ったよりピチピチだし安っぽかったが、神奈川大の男にはこれくらいのほうがいいんじゃないかと前向きに履いた。慣れないハイヒールはやっぱり慣れない。

 

20時。彼は少し遅れて来た。黒のカナダグース。ピタピタの白ロンT。膝の破れた明るい色のピタピタデニムナイキスニーカー。顔は、調子悪い日の槇野に馬を足した感じ。真っ黒に焼けていた。TikTok流行っている音楽に詳しそうな雰囲気をしていた。「久しぶり😆✨」発言の末尾に絵文字が見えた。

 

彼は私のアジアン隅田似の顔に少しギョッとしたが、お酒を飲むとどうでもよくなったみたいだ。よく飲む人だった。一息でジョッキを半分くらい飲み干した。杯を乾かすと書いてぇ〜😆顔カンパーイ😆✨よく食べる人だった。りんごを巻いた肩ロースを何枚も吸い込んだ。営業接待で大変なんよ🤣

 

話は割と盛り上がった。中学高校でもサッカーを続け、インターハイにも少しだけ出場したこと。強豪大からは声がかからなくて神奈川大に進学したことプロを目指したがまるでダメで、今は横浜部品会社営業をやっていること。大学時代マネージャーと付き合っていたが、浮気されて別れたこと。

 

1時間も経っていないのに、彼はかなり仕上がっていた。てかスカートめちゃエロくない?😍(笑) 急に空気が変わるのを感じる。性的質問が増える。テーブル席の向こうから、彼の鍛えられた足が妙に触れてくる。ZARAのいつ買ったかも分からない安そうな彼のデニム。昨日きちんとムダ毛を剃った私の脚。

 

私は変に冷めていた。話が合わない。共通話題がないとかじゃなくて、会話の技法とか、語彙の辞書そもそも違うような感覚ロシア語ポーランド語のような関係。分かるが分からない。目に見えない学校から目に見えない会社に入り、目に見えない人たちとテング酒場男梅サワーを飲んできた人。

 

私の期待は外れた。当たり前だ。私たちは同じ国の、目に見えない違う国で育ったのだ。それが交錯するのが首都圏公立小学校であり、そこを出れば二度と交錯することはないし、交錯すべきでもない。美しい思い出は美しいまま、卒業アルバムと同じダンボールに入れて二度と開けなければよかったのだ。

 

迂闊にも、実家ホコリを被っていたそれを開けたのは私自身だ。それも、美しい思い出とその中にいる彼を、私は見下し、見下したそれらが私の人生好転させてくれると期待した。最悪だ。そして最悪な彼は、自分のために着飾ってきたブスに勃起している。彼にはその権利があるような気がした。

 

例によって、このあとホテルに誘われた。お店に入って1時間余り。モクモクとしたどうげんのテーブル席。私の美しい思い出が、トイレから帰ってきたらこっそり近所のラブホ検索していた彼が、ニタニタ勃起しながら最悪の誘いを投げかけてくる。すべてが面倒になり、割り勘をしてホテルに向かった。

 

緊張緩和のためか、途中のコンビニで買ったストゼロを彼はガブガブと飲み、結果勃たなくなった。少し待つと復活したからまずは手でしてあげると、アッアッというピトーに脳をいじられたポックルみたいな声を出してすぐに射精した。そうして二度と勃たなかった。手を洗うときに鏡で見た私の無表情な顔。

 

時計を見るとまだ22時で、なんだか疲れたから私だけすぐ帰ることにした。ライン教えてよ、と言われたけど、ラインやってないので… とそのままドアを閉めた。通りに出るとゴミみたいな人たちがいっぱいいた。何の仕事をしてるのかも知らないが、おそらく一生知ることもない、違う国の人たち。

 

今年で30歳になります。帰りの山手線、窓ガラスに映った自分の顔にギョッとしました。頑張って生きてきたのに、恋愛肯定されることがなく、そのことは私の人間価値のもの否定されたような気分になります。家につきました。男たちの欲求狭間で、私は今夜も真っ白な天井を眺めています

 

実は― きょう彼にああやって求められたのが、一瞬、少しだけ嬉しかったのです。でも、やっぱりダメでした。致命的な知性の欠如。合わない人とは合わないほうがよいのです。それが分かると見下してしまうから。じゅんやくんのお母さんを何となく見下していたのを思い出します。

 

当然の報いです。美しい思い出を利用しようと段ボールガムテープ剥がした私。そんな私の手を汚い欲求で汚した彼。身分を超えた愛?Tinderを開くと彼からメッセージが来ていますが、何も見ずにマッチを解除します。ビールを飲みながら、早慶以上の人にだけいいねを送ります。今年で30歳になります

出典元:麻布競馬場 @63cities https://twitter.com/63cities/status/1472400671387582467

2021-09-16

anond:20210914204639

じゃあ、かつて「チンポをしゃぶったことのある」男はどうなったかということを、これから書いていこうと思う。

女性ゲイといった、具体例がわかない人には【大島薫】という人の人生を読んてほしい。俺は彼ではないけど、男なのにチンポをしゃぶって、しゃぶられて、彼女だけをつくって、ちんぽでアクメして、されて、女とだけと結婚して、自分の子供が欲しいし、射精前立腺快楽享受たかった、ということを書く。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E8%96%AB

いきなりカミング・アウトすると、俺は「中年童貞で、益田界隈では(KKO)で結婚してはいけない、社会最下層のヘテロセクシャルオッサンである。それでも、かつてはバイ・セクシャルだったし、性の究極点を求めていたのだ。それが、なぜにヘテロセクシャルに落ち着いたのかを、つらつら書いていくことにする。今となっては、増田の「毛の生えたちんぽを舐めたい」なんて反吐が出るし、つまりゲイ野郎も大嫌いだし、エロは「女に当然に中出し漫画に至っては受精シーン」を要求する。それでも「中1までに男と女セックスをして、ついでに男に掘られて前立腺刺激から射精気持ちよくなる」ということができなかった人生は後悔しているのだ。だから、元バイ・セクシャル懺悔を書いていこうと思う。

ところで、俺もちんぽをしゃぶったことある12歳ぐらいのときに、日能研に通っていた同期の男の子ペニスをしゃぶってみたんだよ。理由は思い出せないけど、受験で疲れていたからだと思う。彼はまだ毛が生えてなかった。その時は、包茎ちんぽを剥いて勃起させてハードにジュポジュポしてみて、途中で「ヤバいのがくる」からやめろって言われて、ストップさせられたから彼を精通させられなかったけどね。今となっては、もったいないことをしたと思う。当時はちょっと塩っぽい、カウパー腺の分泌液をもってして、他人のチンポってこんな感じか、と思ったものよ。いまとなっては、そこを超えれば精通させてあげれたし、他人の精液ってこんな味かと知る機会を失った。そして、増田の言うとおりチンポの感触は忘れられないのも、事実だ。

ただ、自分は当時、プラトニック関係彼女がいたのだ。それで、チンポをしゃぶったあとで後ろめたさはあった。ただ、匿名でこんなことを言うのはあれだけど、神に誓っても良い。チンポをしゃぶったことがあるのは、本当にこのときの1回限りだ。

そんで、中学受験の果に、中学に入って、当時はオナニーを知らなかったから、同期(♂)にオナニー方法を「手コキされて」教えてもらって、あまつさえ別の同期(♂)に「フェラされて」抜いてもらったことある。いま思い出すと、キツネ目で女顔の中1男子に「いま、イッタでしょ?」ってニヤニヤしながら「手からドロっと滴るマイ精子をみせつけられたシーン」とか懐かしいし、そいつの無理やりシコシコする手コキは痛かったし、さらに別のヤツに「いきそう!」といった瞬間に激しくなったフェラは下手くそだったけど、おっさんとなったいま思うと、青春だったと思う。当時の「オイラペニスはでかい」っていう噂を聞きつけて、何人かの男子にマイ・チンポを手コキかフェラで「抜いて」もらうイベントが発生した。概ね、施設公園多目的トイレに入って、まずはチンポをフルボッキさせるのね、お互いに。オイラのちんぽは中1で 14cm あって、しかも太くて、長さと太さで負けたことはなかった。なんだったかな、チンポはオナニーすると腹側が伸びるから努力しろってアドバイスもらったけ?そんなこんなで、かぶと合わせしたり、触らせてー、舐めてみても良い?、となって手コキかフェラでシコシコしてもらって、オイラ射精したら、お開きというのがルーティンだったかな。そんなときに限って「あっ///」みたいな、こもった声が出ちゃうのだ。自分でシコるときには声が出ないのにね。そんなこんなで、男に手コキとフェラで抜いてもらう経験を、1年間で 6人に 10回ぐらいやってもらったのだった。

もちろん、抜いてもらった瞬間はすごく気持ちが良かったが、当然にイジメ対象になった。たしか、ちんぽデカ夫、とか言われたっけ? それで辛くて、『性』が嫌いになったよね。チンコがでかくて、ホモが近づいてくる、そんなヤバイやつというのが当時の俺の評判だった。女にも「ちんこかいの?」「誰に抜いてもらったの?」と聞かれたっけ。どいつもこいつも「私(女)とセックスしよう」というやつはいなかったが。そんでもって、未だに童貞であるし、そのことに不満はないが、それでも後悔しているのが、男の同期にちんぽを尻穴に突っ込むか、突っ込んでもらって男色世界を知ろうとするチャンスをロストしたことだと思う。当時は、絶頂の果てに罪悪感がマックスになっていただろうが、性欲マックスのあの頃にしかできないであろう、男のケツで射精するのはこんな感じであるとか、他人のチンポを穴に入れられると気持ちいいとか、あのときに知っておきたかった。当時は性欲でホモになるのが怖かったし、自分の子供ができるのも怖かった。エレクチオン・バトルしたあとに、自分射精を終えたあとで「お礼に」ケツ穴を差し出せば良かったのだろうか。中高を通してヤリ目的彼女はできそうだったが、ヤった後で振る方法がわかんなくて、デートが続かなかった。ヘテロセックス子供ができるのが、どうしても怖かったのだ。それに、小6のときの本当に好きだったあの娘と橋の下キスしたあとに、無理やり押し倒してセックスをやれば脱童貞の果に、子供ができたとしても良かったのだろうか、という気持ちが「女に対する性欲」を打ち消してくれたのは、自覚的だった。俺は、今もあの娘のことが好きだ。消息は知らないし、今の俺に彼女幸せにできる余裕はないが、彼女の笑窪はどうしても忘れられない。

中1までに性欲の向けた先の限界を知れば、のこりの中高5年間を勉強に突っ走り、その後の人生は安泰だったのかもしれなかったが、もはや KKO になってしまったので過去はどうでも良い。童貞ではあるけど、風俗店なんかに絶対に行かないのは、小6・中1のとき自分に戻って「タダで男と女セックスできる」可能性が「自分にはあった」ので満足しているし、オッサンとなった今では「子供がほしいから女とセックスしたい」という気持ちけが残ってしまったので、おそらく『今は』ヘテロセクシャルだろう。だから増田のように「成人男子のチンポをしゃぶりたい」というのはわかんないけど、俺のような「若い頃はちんぽをシャブリシャブられた果に、ヘテロセクシャルオッサンができあがるよ」というのは教えてあげたいと思ったのだ。だから、この駄文を書いている。

これからは、ヘテロセクシャルおっさんが、男色に無関心となっていく理由を書いていこうと思う。今は、男性器が嫌いというか、少なくとも舐めたいとすら思わない。要は、他人のちんぽにそそられる理由が、年齢と比例して低下する根拠を書く。それなのに、相変わらずマンコは舐めたいし、ペニスでワギナに射精はしたいのだ。これはどういうことなのか?はやい話が、オッサンになったのだ、この俺が。

かに、俺は小6のときに「毛の生えていない包茎ちんぽを無理やり剥いてフェラして、あと少しで射精できただろうという経験」は忘れられないが、今は全然に興味が無い。少なくとも、無料で、無罪で、日本アフガンみたいな世界になっても「絶対にしない」と思う。なんというか、「あのときに」新品のチンポを舐めたという記憶が、性体験として自分の中では至高であっても、「ガキのチンポ?、全く興味ないよ」って言える。何故か?

たとえば、覚醒剤中毒者が「至高のエクスタシー」を知っているかもしれない。俺も、若いときには「それを知ってみたかった」のだ。だって、これだけ批判されるのに、彼らは消えないからね。ただし、逮捕は嫌だったか絶対に手を出さなかったが。でも、アナルなら逮捕されないらしいので、試してみることにした。芸能人ホモから追放された人は、少ないからね。

それで、結果として、ゲイの連中も覚醒剤中毒者が主張するような、前立腺という「肛門性交中毒性があって、ノンケであってもハマるし、知ってしまえばマンコはアナルに劣る」という主張が、無理だったことに気がついちゃったのよ。主に2つの理由で。

ひとつめの理由は、ホモになる努力、たとえば前立腺絶頂することに投資してみたけど、巷で言われるほど気持ち良い体験が得られなかったのだ。デイルドーで突いてみたけど、ウンコと血が混じったものが出てきて、そりゃゲイHIV にかかるわー、とすら思った。そして、受け側のゲイでも全員が肛門性交絶頂できていないことが 5-MeO-DIPT という「ホモ御用達」の薬物が違法化された事件で明らかになった。つまり、被挿入されるゲイの連中は、実は全員が絶頂できていないことに、俺は衝撃を受けたのだ。ホモは嘘つき、ってね。

ふたつめの根拠は、俺はどう頑張ってもマンコが大好き人間で、マンコが気持ちいいだけでなく、次世代を生み出す「ゲイには絶対提供できない」偉大さに気がついてしまったのだ。マンコは偉大。なんと言っても、男の俺が持ち得ない子ども提供してくれるからだ。どうしても、ホモ妊娠できないからね。

まぁ、なんだ、自分が「ホモでは無い」ことは死ぬまでわからんと思うよ。俺もわかないし。俺も「ちんぽを舐めたい」と思ったのは、小6から中1までだもん。個人的には、冒頭のように「誰かを射精させて、精子を飲んでみたかった」時期がありました、ってことは事実だし、実際にやった過去はありました。今はヘテロセクシャル自覚してるし、当時はチンポを舐めると「歓んでくれる」人が周りにいただけで、本当は「チンポが好きじゃなかった」ということに今はしている。それに、俺には、もう「チンポを舐めると歓ぶ」人がいないだよ。なぜかというと、俺はオッサンになって、もうチンポを舐める価値があると思える人は、誰かのものになってしまって、奪うと確実に「恨まれちゃう」年齢になってしまったのだ。それで、おっさんになった俺が「こいつのチンポをしゃぶりたい!」ってヤツと、俺に「こいつならチンポをしゃぶらせよう!」ってやつもいなくなったのよ。つまりバイ・セクシャルの「男☓男」「女☓男」は、前者の方が早期にマッチしなくなるのだと気がついたのは、おっさんになってからでした。あ~あ。

というわけで、おっさんからみたら、「マンコ」が好きな男は、若いうちは「チンポ」が好きでも問題ない。そんでもって、おっさんになっても超越した性的経験で「オーバーライドされて、ホモセクシャル化」されることは、すくなくとも俺はなかったし、ネットではみかけないし、大丈夫なんじゃないかと思う。仮にホモになっても、子供がほしけりゃ、精巣に注射して、静止を取りだして顕微鏡受精卵を作って、子宮に戻せば良いだけだ。ただし、産んでくれる相手がいたらな。

... 以上、つらつらとオッサンの後悔を書いてきたわけだが、結語として「もし俺が小6に戻れたとしたら、どう生きるか?」ということを書く。まぁ、そりゃ、小6のときコンドーム薬局自販機で手に入れて、あの日橋の下キスした後に好きだったあの娘を押し倒してセックス漬けの日々を過ごし、それと同時に塾では「浮気して」チンポを貪り食い、中学に入ったら小学校関係を捨て、更にはアナルでイクことを教えてもらって、中高大はマンコするだけの彼女をつくってヤりたい時にマンコしつつ、その一方で発展場でアナルの皆楽を貪り、資格をとって社会的に安定を獲得し、ちょうど『バイ』な性欲が両立できなくなった頃に「子供がほしいから」という理由で『ヘテロセクシャルに転換し、若くて美人貞淑女性を娶る、って人生になったわけだ。それは、それで地獄だな、って書いていて思う。そして、そんなことしてたら愛の無い子供をつくるか、H*V 拡散者になってただろうから、しなくて KKO と言われても全く恥ずかしくない。でも、いま小6に戻れたら「男に与えられた、前立腺の歓び」と「男に与えられた、射精の悦び」と「男に与えられた、孕ませる喜び」の3つを全力で獲得しにいく。絶対にだ。

結論。男においては「男好き」と「女好き」は両立する。それに、「男好き」の対義語は「女好き」ではない。それだけは、理解してほしい。あとは、自分で考えろ。そして、後悔しない行動をとれ。なんと言っても、時間は巻き戻せない。

2021-07-30

anond:20210730233811

ちょっとその辺疎くて日能研いま知ったけど無理やり体育会系にしたてあげるのやべーな

anond:20210730233649

やべえだろ?日能研に行った連中に、本気で「甲子園」「花園」とか目指させるのだぜ?

2021-07-07

ジェンダー雑感

息子が日能研に通っている。6年生。

校舎に3クラスあるうちの、一番上なんだが、ふと男女比はどうか聞いてみた。

女子ちょっと多いらしい。さらトップ3も女子だとか。

別の校舎では、最上クラス女子が8割なんてところもあるらしい。

30年以上前自分日能研に通っていたときは、

30人ほどいた「栄冠1組」に、女子は2人しかいなかった。

案外、世の中は少しずつ変わっているのだろうか。

2021-06-23

中学受験をさせるか、させないか

首都圏在住の小学校低学年の子どもを持つ親の悩みのひとつに「中学受験をさせるか、させないか」というのがあります首都圏中学受験をするのは6万人超で5人に1人、つまり20%くらいが中学受験をすると言われています

この文章は、私が「中学受験をさせるか、させないか」について相談されたときに、どのように考えるべきなのかという判断材料をお渡しするために書いています。なるべく客観的データに基いて記述をするために、偏差値といった数値的なデータを中心に取り上げることが多くなります。いわゆる学歴主義のように感じられる部分があるかと思いますが、そのような意図はまったくないということは強調させてください。私自身も中学受験経験し、偏差値だけでは表現しきれない私学教育の魅力や中高一貫教育メリットというのを肌で感じています判断材料として主観的記述を減らす都合で、このような記載になっているとご理解ください。

中学受験をさせると決めたら、一般的には新4年生の春休みから進学塾に通わせることになります。通塾費で200〜300万かかり、私立中学に無事に進学したとしても公立以上の費用がかかります。3年間の学習時間は2,000時間以上になるとも言われ、親はそのサポートに追われることになります中学受験は、並大抵のものではありません。金銭的にも時間的にも親の「覚悟」が必要になります特に金銭面での負担は大きく、私学中学に通う家庭の世帯年収は約800万円以上がほとんどだというのも事実です。

小学校の頃から塾通いなんてかわいそうだ、うちは『普通』でいい」

そう考える家庭も多いでしょう。中学受験をするには、多額の費用と労力がかかります。「そんなのは普通』ではない」そう考える気持ちは分かります。分かるのですが、ちょっと待ってほしいのです。中学受験をしなかった「普通」はどういうものなのか、それを理解した上での結論でしょうか。中学受験をしないと決めたら、地域公立中学校に進学します。そこで3年間を過ごし、ほぼ全員が高校受験します(高校進学率98.8%)。ですから、実のところ「中学受験をさせるか、させないか」という問題は「中学受験をさせるか、高校受験をさせるか」という問題になります

もし、中学受験ではなく高校受験選択し、平均的な学力高校、つまり高校受験偏差値50前後に進学したとします。進学先はどうなるのでしょうか。たとえば、都立S高校では、6割くらいが大学へ進学、3割が短大専門学校へ進学をしています大学進学先も、いわゆる大東亜帝国入学できれば成功の部類で、GMARCHは学年トップ数人だけが入学できる存在です。口コミ掲示板を見ると、数年前に上智合格をした先輩が伝説的な存在として語られているのが分かります

難関大学と呼ばれるGMARCHを狙える高校に進学したいのであれば、都立高校では高校偏差値65以上の進学指導特別推進校や進学指導特別推進校が選択肢になります早慶以上を目指すのであれば、高校偏差値70以上の進学指導重点校です。地元中学から進学指導重点校や進学指導特別推進校、進学指導推進校を目指すことを想像してみましょう。地域によって差がありますが、東京都区内の公立中学校の生徒数は、学年あたり100〜150人くらいの規模であることが多いようです。ですから偏差値65以上(上位6.68%)の学校に進学できるのは、学年で10名くらいになります都立高校への進学には内申点も大きく影響してきますから、主要教科だけではなく副教科も含めて学年でトップクラスになる必要があります。これって「普通」でしょうか?

一方で中学受験の「普通」はどのようなものでしょうか。中学受験生の平均的学力中学、つまり偏差値50前後日能研)の中学校に進学したときの、大学進学の実績を見てみましょう。たとえば、T中学であれば、ほぼ全員が大学に進学し、そのボリュームゾーンGMARCHになります。S中学のように大学付属ながら、内部進学の資格を保持したまま難関大学チャレンジできる学校もあります中学受験をする層というのは全体の20%で、経済的余裕があり教育熱心な家庭になります。そこでの平均となりますので、全体から見たら上位の学力になります

もちろん、中学受験をしたからといって、ただちに学力が上がったり、しないという選択学力が下がるというわけではありません。あくまでもデータからみると、こうなっているということを示しています生存バイアスだという指摘もあるかもしれませんが、中学受験から離脱する割合が高いというわけではありません。

ここまで、データが示す「普通」がどれくらいなのかを示してきました。ご家庭で暗黙的に考えている「普通」とのギャップはあったでしょうか。「中学受験をさせるか、させないか」という問題は「中学受験をさせるか、高校受験をさせるか」という問題であり、親としての子どもにどのくらいの学歴学力教育を期待しているかという問題になります子ども能力と比べて過大な期待を抱くと、良好な親子関係への障害となってしまます。かといって、過少な期待をもって「縛りプレイ」をさせるというのも違うと私は考えます子ども能力に対して親としてどのような環境提供できるのか、この文章がご家庭で考えるきっかけになれば幸いです。

2020-11-23

サザエさん現代版でリメイクしたら

今の時代リメイクしたらきっとこんな感じ

*前提

平均的な首都圏の家庭を想定

*きっとこんな感じ

住まい

戸田公園あたり。二世住宅の一軒家とする。

波平家とマスオ家の玄関は別々にあり、日常そこまで会うことはない

ノリスケ家:

豊洲のタワマンかに住んでそう。(タエコがそういうの好きそう)


カツオ

ツーブロック


ワカメ

ミドリ、とかに名前改変。ロングスカート


マスオ

ツーブロック

イクラ

日能研かに通ってる(タエコがそういうの好きそう)

となりのイササカ先生

いない or なんかそこそこのブロガー

みかわやのサブ:

いない。お酒はカクヤスなどで購入

アナゴ

左遷

中島

「磯野―あつ森しようぜー」

タマ

ミルクとかそんな感じの名前

2020-08-22

今更だけど上野千〇子の祝辞に関して東大生が思うこと

私は一生公教育なんて信じない。私の命は中学受験で救われた。

私が小学生時代を過ごした土地は、所謂ニュータウン。街がつくられる時にそのまま居着いたブルーカラーの家と、ベッドタウンとしていついたホワイトカラーの家が、住んでいる地域でわかるような土地柄だった。

とてもではないが治安がいいとは言えない街。小学生放火をし、中学生喫煙し、高校生バイクで走り抜ける街だ。某児童売春斡旋組織事件発覚の発端となった小学生もうちの地元出身だった。

私の家は紛うことなホワイトカラー一家だ。元ボンボンサラリーマンの父と江戸っ子の母の間で、歳をとってから出来た一人娘として、それなりに大切に育てられた。世帯収入は高くも低くもなく、他に兄弟姉妹がいれば私立に行くのは許されなかっただろうレベルだ。しか女子校に入れたいという父親たっての希望で、私の中学受験は私が園児の時に既に決められていたことだった。

そうは言っても、その受験計画は実にのんびりしたものだった。目的あくまで「公立中学校に行かないこと」。小学校一年から塾に行くような子もいる中で、私の中学受験小学校四年生から始まった。それもSAPIX日能研といった進学塾ではなく、まったりとした中堅の塾。10人に満たない同級生たちと、地元の中堅私立を目指す予定だった。

しかし、それでも学校教員からの敵意からは逃れられなかった。

彼らは常にブルーカラーの子供たちの味方だった。ブルーカラーの子供たちはまさにギャングエイジといった風体で、私の学年は4年生になる頃にはすっかり学級崩壊に陥っていた。

そんな状況の中で、私のような「恵まれた家庭」の子供は、彼らを「根性論で更生させる」ための必要悪にするのに適していた。ホロコーストと一緒。共通の敵をつくることで、教員たちは彼らと連携をとろうとしていた。

まずは保護者会で、担任教師が「私は中学受験と塾が嫌いです」と言い放つところからスタート。この言葉はあっという間に子供たちにも伝わった。小学生にとって、それがどんな不良小学生だったとしても、「先生言葉絶対」だ。「先生が悪いと言った」子は、いじめたっていいのだ。

休み時間円周率計算暗記表を見ていたら、担任にそれを取り上げられ、クラスメイトの前で激昂された。帰りの会で黒板の前に立たされ、「私は学校で塾の勉強しました。本当にごめんなさい」と謝らせられた。それを皮切りに、ブルーカラーの子供たちからいじめが始まった。

帰り道で待ち伏せされる。容姿についての罵倒や、時には両親への悪口もあった。ある時はマフラーで首を絞めあげられた。子供の力なので大事には至らなかったが、笑い声のなか、酸欠で頭がぼうっとしてきたことは覚えている。

先生の言うことは絶対」。これは私にも有効だった。だから私は、自分は悪い小学生なのだと思い込んだ。

おうちが貧乏で、ちょっと不良みたいで、勉強は嫌いで、でも、中休みになったら一番最初に校庭に出てドッジボールを始める。そんな生徒が、「良い小学生なのだクラスメイトたちが音楽室に立てこもって授業をボイコットしていた時、私は大人しく教室で待っていた。でも先生が好きなのは仲間意識の強い」彼らなのだ

悪い小学生なのだから、虐められて当然なのだ。そう思った私は、繰り返されるいじめを誰にも相談出来なかった。

また、これは本当は幸運と言えるのだが、殊にこの場合にのみ不運と言える、両親の誤算があった。私の成績だ。

私はどうやら「出来る子」に分類される子供だったらしい。入った中堅塾ではあっという間にトップに立ち、テストも満点以外とれなくなった。ここまで来ると両親にも欲が出てきたようで、私はバスで通える範囲に出来たS某超進学塾に通うようになった。そこでも女子ではトップの成績で、あれよあれよという間に御三家を目指すことになっていた。小学生にとっての成功体験は、その子人格形成において重要だ。私は勉強するのが楽しかった。そもそも運動は嫌いで、中休み図書館にいるような子供だった。かけっこしか見てくれない小学校教員たちとは違って、塾の先生は私の「勉強の」成績を褒めてくれた。後は好循環だ。持って生まれメンタルの弱さで、模試の前に嘔吐するようなこともあったが、私の中学受験は大方順調だった。

一方小学校生活は、ぼろぼろのメタメタだった。私の通塾先が変わったことがどこから漏れ出て、「エリート意識を持った嫌な奴」の烙印を押された。低学年までは仲良くしていた子達も、私のことを大腸菌呼ばわりするようになった。

担任が、わかりやすく私に嫌がらせをするようになったせいだった。授業中に指されて答えても、「どうせ塾でやったんでしょうね」。覚えもないいじめ事件の首謀者にも仕立て上げられた。

だんだんと体調にも影響が出るようになっていた。学校に行く前に必ず吐いた。食道は焼けただれ、小学校5年生の冬には胃薬が手放せない体になっていた。

真面目な気質のせいで、私はそれでも学校に行くのをやめられなかった。親も流石に勘付き、担任嘆願書を出した。しかしそれも虚しく、担任は私にその嘆願書を叩きつけ、「どうしてあたしがいじめなんて言われなきゃいけないんだよ!!」と私を怒鳴りつけた。

別の小学校越境入学しようと思ったこともあった。別の中学受験をする同級生が、そそくさと学校を変えてしまたからだ。実際両親はその準備もしていた。しかし、自分学校問題があることが外部に晒されることを恐れてか、校長はそれに難色を示し、「○○ちゃんだって仲良しと離れたくないでしょ」と、結局その小学校から離れることは叶わなかった。

私の小学校時代は闇だ。小学生5年生の学芸会の劇で、悪役の親分オーディションに受かったら、自分母親と隣のクラス教員が寝ていると噂されたこともある。最高学年になる頃には、私は両親と塾の教師以外の大人を信じられなくなっていた。

話は飛んで、中学受験の結果から言うと、私は第一志望には落ち、第二志望の女子校に通うことになった。そこは天国だった。私が休み時間勉強していても、誰も怒らないし、誰も馬鹿にしなかった。正直それだけで救われたし、良き友人にも多く恵まれた。そして高校生活を経て、今私は東京大学に通っている。

もし父親先見の明がなかったか、私が過度のストレス受験全滅していたことを考えると、今でも寒気がする。

数年前の東大入学式の祝辞は、ノブレス・オブリージュについての話だった。私も上野先生意見に大方は同意する。しかし私は、もし「恵まれ人間」として支えなければいけないのが「あいつら」なのだとしたら、それは吐き気を催す話だと思う。

エリートが冷たいなんていうのは嘘だ。いや、もしかしたら真実場合もあるかもしれない。でも、そんな言説よりずっと、「学のない連中は残酷で野卑だ」という言説が本当だと言うことを、私は知っている。

2019-03-29

一言で言えば「それな」で済む話

https://anond.hatelabo.jp/20190328015628

リファレンスのやり方あってるかわからないけどいいか

この人が本物かどうかと聞かれたら、私は多分本物だろうと答える。多少フェイクは入れてるだろうけど。

なぜなら、少し似ているからだ。私と。

まあうちは普通サラリーマン家庭なので、ブランドの話はよく分からないし、小学校公立だし、大学は家から通える国立にしたけれど。でも、同じように御三家と呼ばれる女子校を出たものとして、その屈折した感情はある程度自分のものとして理解できる。彼女と同じ学校かは分からないが、多少の校風の違いはあろうとも御三家か、同偏差値帯の私立中の生徒の傾向は大まかに同じと言って良いと思う。彼彼女らを私立中に出荷するための生産拠点は等しくSAPIX日能研等の大手中学受験塾だからだ。大手中学受験塾は大体3年間で2,300万円かかる。それぐらいの学費を払え、かつ子供学習サポート出来る家庭というのはおおよそ似通ったものになるのは想像に難くない。と、いうか大体似ていた。レアケースがあることも否定はしないけど。

私は医学部志望では無かったのでその辺の事情には明るくないが、医学部を目指す子はやはり親が医者のケースが圧倒的に多かったように思う。そして、医者になるという目的があるからか、中学の頃から鉄やSEGに通って着実に受験に備えていた子が多かった。これは素直に尊敬してた。まあそれと同時に、塾で医系数学とかの授業を取ったりする過程で、この人の周りが更に私立中高一貫医学部志望医者家庭へと純化されていってたんじゃないかなとは思う。

それはさておき、単純に私が少し似ているなと思った部分についてつらつら書きたい。

まずバイトについて。この部分でひょっとしたら他校かなとも思った。周りにバイトをする高校生は誰も居なかったのは同じだが、そもそも高校生バイトをするという概念現実感を伴っていなかったので、バイト禁止だったかどうかも分からない。禁止じゃ無かったとしても多分そんなに歓迎されなかっただろう。親も親でバイトするぐらいなら塾に行ってくれた方がいいと考えている人の方が多いのは確実だ。

次に、暗黙のルールについて。確かに即物的なというか、実際の生活に関わる色々な数字は、同じ学校の生徒であるという点で=にされて不可視化されていたと思う。でも認知されていなかった訳でもなくて、ベールに覆われたように大まかに認識していたが、敢えて可視化しようとしなかっただけだろう。これは学校の態度の影響もあるかもしれない。私の知る限りでは、御三家には一斉に模試を受けて学校偏差値管理したり、成績を壁に貼りだしたりして、生徒同士の差を意識させる学校は無かった筈。加えて、これはこれで問題だと思うが、うちの学校では少なくない教師受験だとか偏差値だとかをまるでハリポタの「ヴォルデモート卿」と同じような、ゾッとする単語として捉えていた。

最後自己認識世間一般との差について。これは同じような環境で成長した人達と接していると、気付かないし、別に気付かなくても生きていける。でも、自分と違った環境で育った他者と接する時に切実な問題として浮かび上がってくる。私も、世間ではエリートコースと呼ばれるだろう経歴にはなったが、別に自分のことは頭が良いとは思ってない。小学校の頃も塾では一番上のクラスの下の方で、中高では結局真ん中より上の成績を取れなかった。ずっと自分より上を見上げるばかりだった。

から大学地方出身の「まっすぐ」育って来たんだろうなぁと感じられる子の万能感には相容れないものを感じる。万能感は自分人生で真っ先に失われたものの1つだからかな。

あと、自己認識がどうであれ周りからは期待されちゃったりするからそのギャップが正直キツいというのはあるんじゃない。

まあ長文並び立てたけど単純にそれなと思っただけ。最初共感した所だけ書いて去ろうと思ったけど思うところがあり過ぎて長くなってしまった。多分元記事の人はちゃんガス抜きできる人だからしっかりとした医者になれると思うよ。

広いインターネットで似たようなこと思っている人がいたのが嬉しかったけど、ひょっとしたら狭い世間の知り合いかもね。

2018-12-14

anond:20181214213734

日能研だかの吊り広告に載る入学試験問題だかで「世界貧困平和のためにあなたは何ができるか答えなさい」みたいなのが度々あるけど、あれ出してる教員てクソだよね。まず「私たち世界貧困を解消できないばかりか、とくに昭和の終わりにはお金価値もわからず贅沢させてもらって日本の文化も沢山壊してしまい、将来、つまりあなたたちにツケを回してしまいました、申し訳ありません」と前置きするのが真っ当な思考力と社会性があり健全精神の持ち主だと思うがね。

2018-08-22

さっきの筑駒ブヨに殴られて高校中退した増田だけど、そもそも地方出身から日能研がどうとかSAPIXがどうとか全然わからんのよね

あいつらさー入学したとたんからいきなり塾閥でまとまって外部を排斥してるんだもんな、あーキモキモ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん