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2024-05-19

誰かポケモン世界観について教えてくれ

一か月くらい前にポケモンスリープを始めた。

ポケモンは初代を友達に貸りて少し遊んだくらいで全然詳しくない。

ポケモン図鑑では各ポケモンの寝方が解説されているが、「敵に襲われないように」といった不穏な表現散見される。

野生のポケモンってお互いに捕食者/被捕食者の関係があるの?

それともポケモンではない肉食動物(ネコ科の動物とか猛禽類とか)がいて小型のポケモンそいつらに襲われてるってこと?

もしくは、襲ってくる敵はポケモンを捕えようとする人間ってこと?

少なくともポケモンスリープから殺伐とした雰囲気は一切感じないのに図鑑には「敵」とか「襲う」とか書かれているから、ポケモンワールドがどういう世界観なのかが分からなくて困惑している。

誰か教えてくれ。

若い男が中心でキャラを作った学マスはフェミに厳しい

この記事は男向けに書いてます

主人公は男固定で一人称は俺

男性向けのゲームから主人公が男なのは本来であれば当然だが、今の御時世にそれをやると苦情が来るし最近ソシャゲでは選べたりボカされたりしている部分

現にXではこの件で女さんのお気持ちポストも見られている

主人公が女に対しても全く容赦がない

キャラにハッキリ物言いすぎて今までのアイマス主人公より全く優しさや遠慮がなく、他作品でもこの感じは見たこと無い(悪人とかではない)

主人公が女に厳しすぎてXで戸惑っている人も割と見かける 

  

キャラが男からの厳しさを普通に受け入れるし、言われずとも頑張ってる(一部を除き)

アイドル練習熱心で主体性責任感があるが、アイドル同士は仲良しとは限らない

主人公であるプロデューサーには信頼寄せがちだが……

今までのオタク向け作品女性像ではないなと感じた

この手の女性像はフェミニストから名誉男性と言われがちだ

作中では主人公アイドルたちの関係は割とフェアで対等だし、それは今までのアイマス以上だ

アイマスに限らず女キャラに厳しく接してそれを受け入れられるという発想は普通しない

だってファンタジーだと思ってるから

主人公ハイスペでアイドルの心を射止める

これだけ見るとフェミニストは好きそうだが、女が嫌いそうな理屈っぽく辛辣で時に否定的言動をする

フェミなら色々と文句をXや増田やらに書き込むしリアルでも愚痴る所だろうこの主人公には

だが作中では有能であるという一点で女キャラアイドルから好感を持たれたりもする

女性社会進出SNSの浸透により真面目さや優しさを美徳とする男性いかに冴えなくて魅力がないか語られてきた昨今

今までの男向け美少女作品なら男の人間的な優しさや誠実さに女キャラが惚れる場面もよくあったが、それが幻想なのはよく理解しているはず

今作は違ってて、超絶有能という一点やプロデューサーという立場、使えるか気が利くかで信号機アイマスのメインキャラ3人。ポケモンで言う御三家世間で言うメインヒロイン)の女がついてくるし好感を持たれる

この点でも今までのアイマスとは性質が大きく異なる

令和らしい価値観男女平等ではあるが、フェミには明らかに都合が悪い 

フェミニストの考える男女平等は全く男女平等ではないとか、どういう連中なのかは非リベラルな男増田なら説明不要だろう

この学マスの世界観弱者男性的な令和の男女観に近いなと感じた

弱者男性価値観に近いという事はフェミとは相容れない事など自明の理だし今後なにかある可能性も考えられる

俺は学マス好きなので、フェミにはあまり目をつけられない事を願う

三宅乱丈イムリ

やっぱり無料で読み進めて、難しくて途中放置になってたやつ

続きから読もうとしてもさっぱり分からない

けど、世界観にひかれて、もう1回読もうかなってなってる

その星の現地民と主人公との会話

お互い、人種文化も違うから理解できなかったり、新鮮な価値観でハッとさせられたりする

現地民の気のいいオジサンが、○○(なんか特殊能力もつ人種はいつでも遠くにいる人とでも会話できるんでしょ?亡くなった自分の親とでも。すごいよね、羨ましいね、なんて言うシーンにぐっときたりする

自然主義文学

国木田独歩氏の『源おじ』は、妻を二人目の出産で失い、残された子を水難で失い、一人で舟渡しを営みつつ老境に至るところを、ある乞食の子との縁があり、我が子と思うように世話するも、乞食からはさしたる恩も情も返されず、夢に出る内心では妻や実子に対する後ろめたさを抱えつつ、ついには乞食に去られ、舟も嵐で失い、生活にも仕事にも支えを失い、首を吊って死ぬという、救いのない話になっている。

だが、まさにこれこそ自然主義文学という感じもした。運命宿命からはみ出ようとする人間意志容赦なく飲み込む決定論世界観を感じさせる。

夏目漱石氏が言うところの「理想」を坂口安吾氏は「モラル」と呼んでいたが、それがないことに対する解釈の違いが興味深い。世間の潮流の移ろいに伴い、自然主義も興亡していったのであろう。

実はこれこれで、あなた金剛石を弁償するため、こんな無理をして、その無理が祟って、今でもこの通りだと、

逐一を述べ立てると先方の女は笑いながら、あの金剛石は練物ですよと云ったそうです。

それでおしまいです。

これは例のモーパッサン氏の作であります

最後の一句は大に振ったもので、定めてモーパッサン氏の大得意なところと思われます

軽薄な巴里社会真相はさもこうあるだろう穿ち得て妙だと手を拍ちたくなるかも知れません。

そこがこの作の理想のあるところで、そこがこの作の不愉快なところであります

よくせきの場合から細君が虚栄心を折って、田舎育ちの山出し女とまで成り下がって、何年の間か苦心の末、身に釣り合わぬ借金を奇麗に返したのは立派な心がけで立派な行動であるからして、

もしモーパッサン氏に一点の道義的同情があるならば、少くともこの細君の心行きを活かしてやらなければすまない訳でありましょう。

ところが奥さんのせっかくの丹精がいっこう活きておりません。

積極的にと云うと言い過ぎるかも知れぬけれども、暗に人から瞞されて、働かないでもすんだところを、無理に馬鹿気た働きをした事になっているから、

奥さんの実着な勤勉は、精神的にも、物質的にも何らの報酬モーパッサン氏もしくは読者から得る事ができないようになってしまます

同情を表してやりたくても馬鹿気ているから、表されないのです。

それと云うのは最後の一句があって、作者が妙に穿った軽薄な落ちを作ったからであります

この一句のために、モーパッサン氏は徳義心に富める天下の読者をして、適当なる目的物に同情を表する事ができないようにしてしまいました。

同情を表すべき善行をかきながら、同情を表してはならぬと禁じたのがこの作であります

いくら真相穿つにしても、善の理想をこう害しては、私には賛成できません。

文芸哲学的基礎 夏目漱石

https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/755_14963.html

愛くるしくて、心が優しくて、すべて美徳ばかりで悪さというものが何もない可憐少女が、

森のお婆さんの病気を見舞に行って、お婆さんに化けている狼にムシャムシャ食べられてしまう。

私達はいきなりそこで突き放されて、何か約束が違ったような感じで戸惑いしながら、

然し、思わず目を打たれて、プツンとちょん切られた空しい余白に、非常に静かな、しかも透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見ないでしょうか。

その余白の中にくりひろげられ、私の目に沁みる風景は、可憐少女がただ狼にムシャムシャ食べられているという残酷ないやらしいような風景ですが、

然し、それが私の心を打つ打ち方は、若干やりきれなくて切ないものではあるにしても、

決して、不潔とか、不透明というものではありません。

何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ、であります

文学のふるさと 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html

そこで私はこう思わずはいられぬのです。

まりモラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、

我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、

そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。

文学のふるさと 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/44919_23669.html

ピッコマ三宅乱丈ペット リマスターエディションが全話無料

途中まで読みかけだったのでこの機にと読んだ

けど話が難しく、途中からだと人物理解、状況理解がおぼつかず、なんとなく雰囲気で読み終わった

けど分からないままに読んでても、世界観みたいなものが興味深く、おもしろく読めた

続編のフィッシュ無料で1巻よめたので、こちらも無料範囲だけ読み切った

続編は読み進めるのにちょっと時間がかかったが、同じ世界観の続編ということでそこそこ興味持って読めている

とりあえず次の巻買ってちょっと読み進めてみるか

2024-05-17

https://anond.hatelabo.jp/20240516095143

元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。

物事について即座に優劣で評価する人だった

早押しクイズみたいに。評価が高速で断定的であればあるほど頭の回転が速いと考えているようだった。

優越欲求自体は私の中にも存在するし、それが無ければ大学受験就職活動を乗り切れていないようにも思う。

エナドリ飲むように、優れていたいとか勝ちたいとかいった感情に酔っぱらうことで戦えるという一面はあるけど、それが人生のすべてではない。

勝つことが全く意味がないとも思わず人生のなかの重要な一部であるとも思うけど、プライベート人間関係に持ち込むのは相性が悪いから使い分けが必要だと今の私は考える。

しかし優勝劣敗が物理法則のようにこの世のすべてに当てはまるような世界観を手放さない人だった。

私をマウント素材にしつつ私のブスさを憎んでいた

身長が低い男性や、肥満体型の男性など、女性けがよくなさそうな容姿の同性の友達とつるんでいた。

彼女ができる可能性が低そうな友達の前で、自分彼女持ちであることをマウント要素にしつつも、私がブスでなければもっとマウント取れたのにという不満を持っていた。

友達の前で私の容姿馬鹿にしていた。おそらく友達可愛い彼女ができて、「負けた」と感じたら元彼発狂していたと思う。でも知りうる限りそんなことは起きなかった。全く女に縁がない男の具体的なイメージとして今でも彼らの姿が頭に浮かぶ

別れたあと悪評を流された

この人のそばはいたくないと思って別れてほしいと言ったら、すぐに別れてくれたけど悪評を流された。

訂正して回る気が起きなくて共通の知人がいるコミュニティからも逃げた。小学生ときいじめられたことあるんだけど、それとは比較にならないほどのストレスを受けた。ストレス反応の身体症状が出まくった。このときの対人関係ストレスを上回る出来事はその後起きてない。

それ以降、伝聞の悪口を信じなくなった。その噂は丸々嘘の可能性もある。

 

なんで元彼と付き合ったのか。

口説き方が強引で明確だったか

行儀が良いコミュニティにいたのを、ブスだから私には誰も欲情しないと思っていた。男性ストライクゾーンの広さについての理解が浅かった。お互いが唯一の存在になるという女性向けコンテンツありがちな関係幻想に染まりすぎだった。

最初露骨口説いてきたのが元彼だったし、私に勃起する人がいるんだと感動した。

(これを若いブス狙ってレイプすりゃいいんだなと解釈する人間が湧きそうで本当に嫌だ)

「俺に欲情して強引に露骨口説いて彼女になる女はいなかった。ブスにはそういう男が湧くのに。やはり女はイージーモード」と呪われそうだ。

買って済む話ではないことはわかる。ホスト貢ぐための金を得るために必死な女の時間を買うことでは解消できない種類のもの

同じ大学、同じオタクという同類意識があったか

私大の陽は怖いけど受験勉強を真面目にやった芋なら大丈夫だろうみたいなポジティブ方面偏見安心感を持っていた。単純化は愚か。怠惰

救おうとか考えた

元彼の両親は偉い父親専業主婦、うちは二馬力だったので家庭に関する感覚が全く違っていた。

元彼父親強要された価値観に苦しめられているように見えたけど、父親価値観インストールして母親馬鹿にしているようにも見えた。

「親によって苦しめられ歪められた人を恋人が救う話」というコンテンツの影響を受けてきたオタクだったから、初めての恋人との関係美談に仕立て上げていたが、元彼は私にまったく救われていないし、そもそも私に救われることを望んでいたか。私が空回っていただけの可能性が高い。元彼の望みは「整形ではない可愛い処女彼女ができて高カーストの男からも羨ましがられるようになる」辺りのほうが本質的だったのではないかと思う。

初デートサイゼ論争が噛み合わない理由

初デートサイゼ論争はことごとく議論が噛み合っていない様子である

サイゼ論争を眺めるにつけ、みんな明後日の方を向きながら演説しているだけなのに距離が近いか議論ぽく見えてしまっている……といった印象を毎回抱いている

この噛み合わなさの要因は一体何なのか

議論を観察するうちに気づいたことだが、実は「初デートサイゼ」という事象には3つの捉え方があるようなのだ

初デートサイゼを語っている人間は大きく3つのグループに分類され、それぞれ常識経験世界観が全く異なっているために同じ「初デートサイゼ」を語っているように見えても実は全く異なるデート事象を取り上げている

ここでは初デートサイゼ論争を繰り広げる層を3つに分類し、それぞれの層が指す初デートサイゼの正体について深堀りしてみようと思う

それぞれの誤解が解きほぐされ「初デートサイゼ」にまつわる相互理解に少しでも繋がれることを願っている

層1.婚活女性の思う初デートサイゼ

まずは初デートサイゼに対して激烈な嫌悪感を示している層である

概ね下記のプロファイリングに該当する層であり、初デートサイゼ論争においては否定派に回っている

20代後半から40代女性

マッチングアプリ婚活アプリ結婚相談所等の利用者

結婚願望が強い

恋愛経験豊富とは言えない

恋愛経験があったとしても自分理想恋愛経験ができた経験はなく、過去恋愛黒歴史だと思い込む節がある

自身ハードルを越えてこない男に対して嫌悪感を持つ

相対的価値観幸せを感じる傾向がある(自分が好きかどうかではなく周りからどう見られるかを重要視している)

・「〇〇すべき」「〇〇しないとみっともない」といった「べき思考」を内面化している

自己肯定感は低いがプライドは高い

こういった層が想定する「デート」とは、マッチングアプリ等によって知り合った人間との初めての顔合わせである

婚活をしない層からすると信じられないことだろうが、彼女らの思うデートとは「相手スペックを品定めするための場」であり、純粋恋愛過程を楽しむためのものではない

さながら、事前に定められた規格に対してその製品合格できるかどうかを確認する試験のようなモノなのだ

そういった層からすれば当然のことながら「初デートサイゼ」はナシとなる

この層における初デートサイゼとは、「相手男性給料は相当低い」「自分を魅力的に見せる努力を怠っている無能力者」「こちらを舐めている、足元を見ている」「こちらを楽しませようという甲斐性は一切ない」などといったことを意味する符牒となるのだ

故に初デートサイゼ肯定派を見たとき彼女らは自身価値毀損させられたかのごとく怒り狂うし、あるいは「初デートサイゼ悪くないじゃん」的なことを言う女性に対しては「穴モテのクソ女!!」といった反応を寄越すのである

層2.チー牛非モテ弱者男性の思う初デートサイゼ

初デートサイゼを支持する層ではあるが、こちらもこちらでデートに対する認知は歪みまくっている

プロファイリングは下記の通り

10から50代くらいまでの男性

恋愛経験はない、陰キャ

リアル恋愛事情等には疎い

基本的恋愛知識ネットアニメ漫画から得たものしかない

他人気持ちを読むことが苦手

ルーティンから外れることを嫌う特性がある上に周りの目を過度に気にする

・そのため外食はもっぱら通い慣れたチェーン店しか利用しておらず、恥をかくのが怖すぎてひとりで行きつけのお店を開拓することができない

恋愛幸せに対する考え方が幼稚で独善的自分が好きなことと相手の好きなことが一致することが幸せだと思っている、相手の喜ぶことに合わせるといった思考がない)

自己肯定感は低いがプライドは高い

この層はデートを「恋愛関係に至ったあとにする行為」だと思ってる

より正確に言うなら、「好きです!付き合ってください!」などという告白によって交際スタートし、その後初めてふたりで出かける行為を「初デート」だと思っている

しかも、基本的女性に対して歪んだ幼児的な見方しかしておらず0か100かでモノを考えているうえ、「ありのまま自分をそのまま認めてもらえるのが良い恋愛」だという幼児的な世界観脳みそ支配されている

そのため初デートサイゼに連れていくという行為について、

初デートサイゼになるのは仕方ない(他にお店を知らないし怖いから)」

理解のある彼女ならこちらの事情を察して初デートサイゼ文句は言わない」

「っていうか初デートで高い飯奢られようとするとか普通に性悪ビッチなのでは?」

サイゼうまいんだし普通文句言わないでしょ」

初デートサイゼは何もおかしくない!むしろ初デートサイゼ文句言ってんのは性悪のクソビッチ!」

と思っている

彼らからすれば層1の主張をする人はみんなビッチになるというわけだ

層3.一般人の思う初デートサイゼ

ネット上の初デートサイゼ論争は主に層1と層2が噛み合わない議論を延々と繰り返すことによって形作られている

が、実は層1も層2もノイジーマイノリティであり大半の人間が思う一般的初デートサイゼの印象からはだいぶ外している

ではここでいう一般人とはどんな人なのかというと、

・ある程度の恋愛経験があり恋愛の酸いも甘いも知っている

大人として成熟しており自と他の区別ちゃんとついている

自己肯定感もそれなりにある

といった人だ(逆に言えば層1と層2にこのような要素はない)

この層3は初デートサイゼと聞いた時、

中学とか高校デートだとどうしてもそうなるよね」

趣味で知り合った間柄だと初デートサイゼ普通にあるよね、好きなバンドライブ行ったとき食事とか簡単ものになりがちだし」

「あとから振り返って「そういえば俺達の初デートってサイゼだったねー」ってなることあるよね、友達以上恋人未満ときにノリでファミレス行ったりすることあるじゃん」

などと、個々の事情次第でそういうのもあるよね、といった反応になる

層1や層2と異なり「こうなるべき!!」といった思考には支配されていない

またそうであるが故にネットレスバに参加することも少なく、仮に参加しても過激なことは言わないので意見は埋没しがちである

しか社会一般普通感覚といえば層3だと言っていいだろう

結論相手立場になって考えよう

サイゼ論争を実りあるものにしたいならまずは相手過去ツイートなどを漁って相手の人柄が何なのかを把握するべきだ

また、その姿勢自分に向けて「なんで私は初デートサイゼにここまで感情が高ぶっているのか」を分析することも重要だろう

ここで紹介したプロファイリングも全部が全部当たるわけではなく、例えばこの間話題に乗っていた「女性サイゼに連れて行って試すことの何が悪いんだ!」みたいなこと言っていた人は層1の異性版といえる

いずれにせよ、初デートサイゼに口角泡を飛ばしている時点で恋愛に対して歪んだ認知を持っていると言えるのでカウンセリングを受けたほうがいいかもしれない

2024-05-16

anond:20240516173214

評価が25万も入ってるじゃん

対立するな!議論するな!みんなで手を繋いでハッピー!みたいな世界観は完全に崩れ去って久しいから当たり前か

https://anond.hatelabo.jp/20240516112310

仁王の世界観はあえてトンデモ戦国時代として描いている。白人侍もそのトンデモひとつ

アサクリは歴史考証がシッカリしてるシリーズで、日本舞台作品に限って創作採用しているのが問題

anond:20240516120747

アンチリベフェミの生きる世界

主人公は何の瑕疵もない絶対正義で、敵対者擁護余地が一欠片もない絶対悪って言う古典的な娯楽作品に多かった世界観の中で生きている。その主人公は女であったり、プーチンロシアであったり、山本太郎であったりと色々ではあるけど、絶対正義絶対悪の戦いと言う構図はどこもあんまり変わらない。」

そんな構図を一段上のステージから分かってる俺

リベフェミの生きる世界

主人公は何の瑕疵もない絶対正義で、敵対者擁護余地が一欠片もない絶対悪って言う古典的な娯楽作品に多かった世界観の中で生きている。その主人公は女であったり、プーチンロシアであったり、山本太郎であったりと色々ではあるけど、絶対正義絶対悪の戦いと言う構図はどこもあんまり変わらない。しんどいねー。

anond:20240515221358

続きです。

しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった

「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった

しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロ自由からだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコ子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガエロ同人エロいのだ

そして俺は漫画家になりたいのではない。エロ二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし精緻な設定も重厚ストーリー人生経験エロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは読子まほろさんをんほおさせること。それだけだから

とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサン勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして

マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ

だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガ形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う

そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ

いきなりコミケハードルが高すぎるし、何よりもサークル当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロしか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる

そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)

そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在から、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして

初めてのエロ同人完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ

そこから俺はイベントごとにコンスタント新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店メッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫ショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった

一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入エロ同人から得ていたからだ。就職卒業もする意味理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった

から就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家フリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ

さて、無事に大学卒業して「職業エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメゲームを見ては妄想股間を膨らませて、いかにこのキャラアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は

だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガ技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初デビュー作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ小学生の描くバカみたいなマンガプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人作家」としては何も進歩進化もしてないのではないか。そう思った

学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなもの不要だと考えた。エロ同人必要なのは、一にも二にも画力エロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった

しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか小手先エロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか

俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家ありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした

から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない

から俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックス体験すれば、それが何らかの形でマンガフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった

だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しか女の子イチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ

話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある

でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望ありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ

俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ

とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかエロ同人的な世界観内面化している自分が、常識的セックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれ

話を戻すと、いざ実際に現実女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった

だがこの感覚マンガフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロ昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした

ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった

後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事同人イベント敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀なのだと俺は思う

そして迷走してはいものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性サークルスペースに現れた

まだ続きます。。。

2024-05-15

小説インターネットに公開したらパクられた話

とてもしょーもない話。

なろう系の小説が好きで、自分でも小説を書いて小説家になろうとカクヨム投稿し始めたのが数ヶ月前。

俺は、なろう系のテンプレ展開が好きだからその辺りは置いといて、だ。

タイトルと序盤のインパクトだけは独創性のあるものにしたいな〜ってことで、今までにない(少なくとも小説家になろうとカクヨムでは全く見られなかった)展開で、ざまぁ系というか、成り上がり系でスタートさせた。それが一部の読者に刺さって、カクヨムの方で(2桁順位だけど)日間・週間ランキングに載って、超嬉しかった!

とここまでは良かったんだが、その後、主人公能力世界観ちょっと変えただけ(亜人いるかいないか〜とか、スキルがなくて魔法しかない〜くらいの違い)のパクり作品を書かれた。もちろん、その後の展開まで一緒というわけではないけど…。それが、俺が書いた小説よりもバズって、これもランキング入り。

一応、サイト知ってる人向けに細かい情報書くと、現状で俺の小説は星3桁(500ちょいくらい)、パクりは星4桁いってる。

視界がぐにゃあ〜ってなりながら毎日更新は続けてるんだけど、モチベ下がりすぎてやばい

んで、晒したとてじゃん。相手アカウント消して転生するだけだし、俺は俺で「こいつはこんな細かいこと気にして晒すようなやつ」ってレッテル貼られる。

そもそも、パクってきたやつは無敵の人みたいな感じで、伸びなかったらエタるのは当然!みたいな投稿履歴してるし…)

あー、めんどくせぇ〜ってなったんで、この小説書き終えたらなろうとカクヨムから撤退しようと思ってる。遊び半分で始めたこととは言え、気分のいいものではないね

これからは…というか、これからも読み専でいいわ俺。手出しちゃいけない世界だった。

anond:20240515162347

リベラル日本は心強くない。ロシア中国韓国は心強い」

やっぱりリベラル世界観が出てるねえ〜敵対国かどうかでいえば韓国敵対国でしょ

anond:20240515143624

此岸彼岸の間に橋がかかっている、という世界観自体馴染まないっつうか、この表現しか聞かなくない?

彼岸へ渡るシチュエーションを語るなら普通三途の川を(船で)渡るというイメージを使う

anond:20240515105514

から女に自由意思というのはマジでないんだよ

何もかも男と社会強制されていて女は被害者という世界観で行くなら、結局そういうことにしかならない

2024-05-14

anond:20240514122455

BG3みたいなFFを求めてるんだよな。

人の業が詰まったクエストの数々をこなし世界観にどっぷり入り込めてるようなFFをさ。

2024-05-13

チー牛ファッションよりアニメキャラとかバンドマン意識したファッションの方がクソダサい

チー牛スタイルがまともに見えるくらいにファンタジー系のアニメキャラロックバンドマン意識したような格好した人はめちゃくちゃクソダい

おしゃれに興味なかった人が好きなものを参考にした結果そうなったって感じ

おしゃれ頑張るなら変に世界観作らずユニクロコーデかオフィスカジュアルとかそっち方面行ったほうがいいと思う

anond:20240513143223

リアルタイム直撃世代でまあまあ信者だった者だが、なんか色々「あ~もういいや」て思ったのは事実

なんか前向きにもうええわってマジで思った。

だってなんか色々ありそうだったのがつまるところウルトラマンAというか特撮世界観なんだって示されちゃったらさ、特撮マジレスなんかできねーじゃん。

anond:20240512160208

当たり前じゃん

いや当たり前などではない。「愛のあるセックス」とかいタグがごく少ない性交の絵に付けられて、まるで愛のないセックスデフォルトであるかのような状況がリアルであってたまるものか。

セックス経験者の絵描きが増える過渡期だという可能性はあるが、少なくともアダルト方面イラストにおいてリアリティは必ずしも求められていないと思う。剣と魔法世界観がいまだに隆盛してるのもリアリティが人気でない証拠だ。フェミニストによるオタク漫画女性表現への「リアルじゃない」という駄目出しも共感が少なく反発が多い。曰く「リアルじゃなくていいだろ、ファンタジーなんだから」。

東京まれ東京育ち、大体オタク

渋谷区で生まれて、大学の時に4年間だけ地方都市に住んでたけど、

それ以外はずっと東京山手線の内側で過ごしてきた。

ひい爺ちゃんの代から東京なので、まあ江戸っ子と言っても遜色ないかなと思う。

なんだか東京で過ごすことに、やたらとプライド持ってる人とか

やたらと敵視してる人がいて、東京育ちの人間からするとマジで意味がわからない。

まれてると言われれば、そうだと思うけど、それは地方だっていい所あるんじゃないの?知らないけど。

んで、本当に東京で生まれ育った人間について、書いてある文章少ないなと思ったので、ちょっと実情を書いてみる。

オタク仲間がたくさんできる

思春期90年代2000年代くらいだったのだけど、明らかにオタク系の友達が沢山いた。

新宿西スポヴァンパイアハンター大会とか出て、梅原にボコボコにされたり、

秋葉イエサブMtG中古カード買い漁ったり、国府田マリ子ラジオの公開収録行ったりと、

オタクコンテンツへのアクセスがめちゃくちゃ良かった。

コミケに初めて参加したのも16の時で、中学校の時の同級生女子がレッツ&ゴーのコスプレしてたのに出会ったりしてた。

最近でも仕事とかで仲良くなった同年代東京の人と話すと、

確率ゲーセンの思い出話なんかが出てくる。

押切先生ハイスコアガール世界観はかなりリアルで(可愛い女の子は出てこないけど)、

あんな感じのコミュニティが当時の東京にはゴロゴロあった。

パリピ友達もたくさんできる

クラブも近かったので、よくチャリンコで深夜遊びに行ってた。

ゲーセンに居た夜職の兄さんに誘われて行ったのが初めてだったと思う。

ちょうどR&B全盛期の時代で、宇多田ヒカルAutomaticクラブに歌いにきてたり、

ダンスバトルみたいなのもよく見に行った。

当時は無茶苦茶緩くて高校生でも、なんか適当な偽造IDとか作ってもらって、それで入ってた。

高校生男子に色々と教えたい大人達がたくさんいて、とてもみんな優しくてアットホーム

週4〜5でクラブに行ってた時もあった。行きつけのクラブ店員友達になったりしてたので、

エントランスはいつも無料で入れてもらってた。

自分TCG大好き格ゲー大好きのオタク少年だったが、クラブに行くときコンタクトに変えて

ダボっとしたKANIを着込んで、武装してた。上京したての女子大生をナンパして、

初めての彼女を作ったのもこの頃だった。

東京コミュニティはすぐに生まれる。そして、すぐになくなる。

東京で生まれコミュニティは、基本的新規参加者へ寛容である

地縁血縁を軸としたコミュニティではないので、基本的に同じ興味対象があれば、誰でもウエルカム

逆に来なくなっても、別にそれはそれ。誰も追いかけてはこない。

なんなら、突然コミュニティ自体簡単霧散するなんてこともよくある。

とにかく、こういった人の集まり無限に生まれて、どんどん消滅する。

自分を振り返ってみても3年くらいで周りの友達関係は一掃する。

ただそれでも、その中で特に仲の良かった人とかは、コミュニティがなくなっても

普通に友達として繋がったりしてて、それで人間関係が残っていったりする。



・周りの人間に対して無頓着になる。

逆に自分と繋がってない人に対しては、全く興味を持たない。

隣が誰住んでるのかも知らないし、参加しなければ近所のコミュニティなども全く知らない。

人はたくさんいるけど認識しなければ風景と同じで、お互いにそういう感じで過ごしている。

逆説的に、人を認識しないので人との繋がりが少なくて快適なのだ

認識した時だけ人がポッと現れて、認識を外すときえる。

その心地よさが東京本質なんじゃないかと思う。


文化資本が豊かかはわからないけど、マニアには優しい

総じて、東京の良さは何かにハマった時のコンテンツ距離が近いこと。

これは同好の士リアルで会うのも簡単であるというのも含む。

ポケモンセンターバイトしたりしたこともあったけど、中の人との距離感近いのも東京の特徴だと思う。

あとは、周りが放っておいてくれる。勉強しろとか言うのは、親と学校先生くらいで、

それ以外の大人世間は、ほとんど自分に対して興味を持っていない。

おかげで、ファッションがどうであれ、趣味がどうであれ、自由自分のやりたいことにハマれる。

そしてハマった先には、もっとハマってる先輩方がいて、受け入れてもらえることが多いような気がする。

自分オタク系の趣味クラブという趣味つの全く異なる趣味にハマったけど、

こんなことを許容してくれたのは、東京という土地からのように思う。

多分、美術マニアでも、ラーメンマニアでも、フィギュアマニアでも、

なんでも受け入れてくれる懐の広さが、この街の良さだ。

何か熱中してるものがあるなら、東京に来たら良いと思うんだよね。

きっと、東京にはあなたを受け入れてくれるコミュニティは沢山あるよ。

文化にハマれなかったオタク女の愚痴

TRPG、ひいては卓文化にハマれなかったオタク女の愚痴

どこにでもある、ありふれた、ただのコミュニティから溢れたオタク女の嫉妬だ。




私には10年以上繋がっているフォロワーがいる。彼女たちはみんな、一次創作と銘打ったいわゆる「うちの子文化が元で繋がった。

当時、私たちは「うちの子語り」を頻繁にしていて、彼女たちの語るキャラクターの魅力や世界観が好きだった。

その時その時で作者の推すキャラクターは変わるが、どのキャラクターも魅力的だった。

親しい人同士で組んでいた関係、いわゆる「うちよそ」の話をする人も多く、そのうちよその話も、基本媒体Twitterなので、手軽に情報アクセスすることができた。

どんな関係性なのか、どういったところがこのふたりの魅力なのか。作者たちの力の入った紹介やイラストを見るのがとても好きだった。

生憎、私は自己完結型オタクだったので、うちよそを組んで交流!といったタイプではなく、淡々キャラクターの掘り下げとストーリーの公開を行っていた。それでも、彼女たちとはキャラクターへの推し感情を伝えたり、日常的な話での交流は頻繁に行っていた。

創作活動なしに、良い関係を築けていたと思う。現実での悩みを相談しあうような、親しい仲の友人と言える存在だった。






そんな状況を変えたのが、TRPGブームだ。

いわゆるCoCがとにかく流行った。

みな語る内容が「この間の卓が〜」「HO○が〜」とTRPGの話に変わった。

当時私は既に就職しており、夜の8時まで仕事がある日も少なくない、おまけに平日休み彼女たちと全く予定が合わなくなっている状態で、後から時間差で「なんか遊んでるんだな〜」と確認する程度で、完全に波に乗り遅れてしまった。

その乗り遅れている間に、彼女たちは共通体験をしたものしかからない、いわゆる"身内ネタ"で盛り上がっていく。

そうして、みるみるうちに、取り残されてしまった。





かつて仲の良かった人達がどんどんと、いつも卓の話ばかりになっていき、そのままいつも卓を囲む面子しか話をしなくなる。

その様子をただ見ていることしかできなかった。

これは私のコミュニケーション不足が招いたとも言えるが、その"身内"の固まるスピードが異常だったのだ。本人たちは楽しく遊んでいるだけではあるので、水をさすような真似はできなかった。

媒体Twitterからdiscordに変わり、discordグループでの会話が増え、Twitterでのツイートが減っていく。

コミュニティ外の人になってしまった私は、彼女たちが楽しく過ごしているのを見るだけで、入り込めなくなってしまった。



Twitter上で「つわぼ!鯖にて!」「通話出来る?」と私抜きで仲良くしている様を見ることしかできないのは、とても寂しかった。

でも仕方がない。私はTRPGをやっていないので、そのコミュニティへの参加資格はないのだ。


一度気を回してもらったのか、卓に誘われ、参加させて貰ったことがある。

経験者たちがサクサクと「キャラシート」なるものを作っていく中、「これ回して!」と言われたステータスデータ提示して、「じゃあこういう職業ができるよ!」「キャラデザ、メーカーでいいからざっくり考えてきてね!」と放り出され、キャラクターについて考える間もなくセッションが開始してしまった。楽しさを知る前に、あっという間にセッションは終わってしまった。

その時に嘘でも「たのしい!またやろうね!」と言えれば良かったのだろう。

でも、どうしても楽しいものには思えなかった。使い捨てのこの一瞬のためだけに作られたキャラクターたちに愛着を持てなかった。

そこで、かつてのキャラクターを掘り下げて、楽しそうに語っていた彼女たちはもういないのだと悟った。

CoCに限らず、TRPG時間と遊ぶ相手必要ゲームだ。

頻繁に一緒に遊び、時間を共有する友人により深い友情を感じるのは必然と言えるだろう。

それでも、急速に完成されていくコミュニティ。それに加え、彼女たちは無自覚でも排他的空気コミュニティを作ってしまっている。

それが恐ろしく、悲しかった。


彼女たちと私の愛したかつてのキャラクターにはもう会えない。

コミュニティに参加することも出来ない。その勇気もない。

ただ、取り残されたという被害妄想を抱えた、私という愚かなオタク女が取り残されただけだ。

俺はね、世界観とか寄り添いとか、そういうふわっとしたワードじゃなくて機能要件をまとめろって言ったのよ

そうしたら誰も具体的な話をしねーの

例えば動画アプリを作るなら、動画の長さはとかスマホでの使い方はとかそういう話になるでしょ

そしたら自称アーキテクトはハッタショの有害性という社内文書を書き始めたのよね

仕事って糞だね、まあ昔の話だけどね

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