はてなキーワード: AV女優とは
男の欲望重視のグラビアアイドルの平均身長ってどんなもんなんだろと思って軽く調べてみたら、
https://ameblo.jp/cozee-ayano/entry-11450161789.html
AV女優もそう
ほんこれ
配信の中身を見ずに「かわいい」みたいなコメント残していく人、
自分はガチガチのゲーム配信だったからかそんなに多くなくて無視してたけど、こういうのばっかり湧いたらと思うと正直ゾッとする。
「🤗今日も来たよ😚😚😚」
「たゆんたゆんですね😍」
「どきがむねむねします」
「1:58 見えた?」
ってのと大して変わらない。
こういうのに穏便に注意して 「褒めてるんですよ🥰」 とかコメント返ってきたら、
「クソがあああああああ!オメーみてーなクソじじいに見せてんじゃねえんだよせめて黙ってみてろキモいキモいキモいうぜええええええええ!!!!!」
って思わん?
そういうことだよね。
あ、明らかに異性向けにやってりゃ配信者側が我慢しなよと思うけどね。
(8/4 13:50 言葉の種類やキツさの話じゃなく視線や態度の話なんよ、というのが伝わってなかったのでキモコメント追加)
素人という設定のAV女優を街でナンパしてセックスするAVで、ナンパする女の子の設定上の職業に偏りがあって面白い
たとえば普通の看護師はほとんど出てこなくて、美容外科の看護師ってのが多くでてくる。普通の看護師はキツそう、疲れてそうというイメージがあるからか?歯科助手とかもわりと出てくる。
物を売る仕事では圧倒的にアパレルが多いな。間違ってもホムセンとか家電量販店の店員とかは出て来ないな。意外とケーキ屋とかお花屋の店員も出て来ない。でもパティシエはなぜかめちゃくちゃ多くでてくる。パティシエそんな街歩いてるか??でもこの辺に視聴者にナンパの夢を感じさせる塩梅があるのだろう。
サービス業ではエステサロン勤務が大渋滞。人気すぎ。あとは美容師、ネイリストも多い。意外とジュエリーデザイナーとかもでてくる。女を感じさせる仕事なのだろうか。似顔絵の絵師とかはでてこない。
この他大量にあったものの、増田の仕様にひっかかりそうなのでここまでとする
もう誰かWikiでも作っておけよ
埼玉県営プールでの水着撮影会のガイドラインが発表されて、過激なポーズや水着が禁止されたことに検閲だとか言って噴き上がってる表自をTwitterとかはてなでも見かけるんだけど、正直馬鹿なのかなと思う。
まず県としては水着撮影会の運営を認めるためにはなんらかの基準を設定せざるを得ないし、実例を交えてガイドラインを定めたことについてはありがちなどうとでも取れる曖昧な基準から一歩踏み込んでいて、利用側からはわかりやすい。こう言ったものがでてくるのは従来から基準を示せと主張してきた表自側の要求にも合っている。また基準自体も、容易にズレて中身が見える恐れのある水着や意図的にズラして中身が見える可能性のあるポーズを禁止しており、水着の中身を見せるのはそもそも公然わいせつにあたる可能性があるため妥当と思える。月島さくらとかいうAV女優が実際にはニプレスや前張りをしているので公然わいせつにはあたらないとか息巻いているが、それらが徹底されているかどうかは施設管理側からは確認が難しく、また公然わいせつには当たらなくともニプレスや前張りを見せびらかすのは軽犯罪法1条20号に抵触する可能性が高い。
つまり今回のガイドラインの趣旨は未成年の起用も含めて法に触れるリスクのある撮影会はするなと言うことであり、この基準よりも緩めた場合は施設側の管理責任が問われる、実質的なお目こぼしの意味が強い。それにも関わらず表現の自由という馬鹿の一つ覚えで批判を繰り返す表自界隈は馬鹿としか言い様がない。自分は撮影会の中止については同情的だったが、従来の撮影会がこの程度の統制も効いていない、法令違反の可能性がある状態で撮影会をしていたのであれば中止もやむを得なかったのではないかと思う。
元増田の疑問、公共の場のエロ規制がマジョリティのお気持ちに過ぎないのではないかという疑問に、ズバリ回答しよう!
どういうことか、説明しよう。
公共の場での表現についてメルクマールとなる「囚われの聴衆事件」で判示されたように、これは「受忍限度」の問題である。広告を出す側には当然に自由があるし、広告を受ける側も広告で内心の静穏を乱されない自由がある。つまりこれは、自由と自由の対立であって、何かしらの調整原理が必要であり、このような場合では「受忍限度」という考え方が用いられる。
しかし、受忍限度と言っても、例えば性犯罪被害者は、僅かに性的な広告であってもトラウマを呼び起こし、とても耐えられない場合がある。逆に、ポルノを好む男性であれば、AV女優のヌードの広告が電車内に掲出されていても平気だろう。その他の受忍限度の問題となる騒音や臭気についても同様に、人によってどこまで耐えられるかは差がある。だから、誰がどの程度耐えられるのか、ということが問題になる。
この基準を「繊細な人が」「嫌悪感を感じる場合」とした場合、多少性的なニュアンスを含む広告はもちろんのこと、一部のネトウヨが嫌悪するハングル表記や外国人モデルすら規制されることになる(ハングル表記はまだ合理的理由があるが、一般的に外国人モデルを起用する合理的理由はない)。また、騒音であれば日中の僅かな物音、臭気であれば僅かな調理の匂いですら、違法ないし不法として、刑事罰を与えたり、賠償をしなければならなくなる。逆に、「図太い人が」「ギリギリ耐えられる」という水準を問題ないとすると、それこそ腐乱死体のグロ画像やハードコアポルノを街頭に掲出しても問題ないし、深夜の住宅街で街宣車が大音量で軍歌をかけたり、隣人が庭で糞尿を煮詰めて異臭を発生させても問題ないということになる。これらは両方ともナンセンスな話である。
そこで、このような中で、誰が・どの程度、というのを考えると、「普通人が」「耐え難い程度」という基準が無難になるので判例上はそういう基準が採用されている。つまり、「マジョリティがNGと考える「なんとなく」のライン」になる。
結局、基準をどこかで切らなきゃいけない以上、究極的には理不尽(根拠はない)だけど、現実的なラインというのが探られているわけ。
あと、どうでもいいけぞ、AVやエロマンガの広告でも、直截な表現がなければ、公共の場に掲出することには問題ないと思われるぞ。