はてなキーワード: 歌手とは
他に書くとこないんだ。
数日前酔っ払って閲覧注意案件を検索したら半端ないグロ画像を見てしまって、酔いが覚めた今になって頭から抜けない。
経緯はよくわからなかったけどまあ政府の何かに殺されたんだと思う。
それの何が胸糞かって顔が生きてる頃そのままで首から下を開かれてる。
顔が分かるから本当キツイ。見てる時は酔ってたからおえーくらいにしか感じなかったけど今反芻すると気持ち悪いわ怖いわでしんどい。
そんなの検索しなきゃよかったんだけど、そもそも何でそんなのにたどり着いたかというと、酔っ払ってる時に好きな歌手のMV見てたらふとなぜか「人類の不思議展」思い出したんだ。
知ってる人は知ってると思うけど、あれも死体を作って人間の標本にしてたとかでかなり胸糞な案件だった。
あれってどんな感じだったっけ?と検索したらその記事が出てきた。
合成かフェイクか何かと信じたいけどあの国の事だし本物なんだろうな、と思うと更にキツイ。
そんで、人間酔ってる時は残酷なもの見ても大してショック受けたり気持ちに響いたりしないんだな。
素面で見るのはまず無理だわ。
北海道出身の30歳男。
いいか。北海道出身の奴は全員大泉洋、水曜どうでしょうのファンだと決めつけるのはやめろ。
あれは完全に世代がある。
北海道で水曜どうでしょうが流行ってたのは90年代後半頃で、当時高校生~30台だった人にウケていただけだ。
当時小学生だった俺は、水曜どうでしょうが放送されている時間は爆睡している。
そんな番組やっているなんて知るよしもない。
そりゃあ、クラスに一人や二人くらい水曜どうでしょう観てる奴はいたが、親が若くて深夜でも起きていることを許していた家か、小学生なのに高校生の年の離れた兄貴がいて自然に観ていたような特殊な環境の奴だけであって、
ほとんどの当時の小学生は水曜どうでしょうなんて知らないし観てないのだ!
当時の北海道の小4~小6の間で話題沸騰だったテレビ番組は、「ボキャブラ天国」「学校へ行こう」「伊東家の食卓」など、バリバリのゴールデン番組だけだ!
少なくとも、この3つはクラスの全員が観ていた!
「どんぐりころころのメロディーで水戸黄門歌える裏ワザめっちゃ笑った」「昨日は海砂利水魚がチャンピオンになったけど、爆笑問題のほうが面白かったよな~」なんて話題してる途中に「来週の水曜どうでしょうはお遍路で…」とか割って入ってもみんな「なにそれ?」って言うだけだ。
水曜どうでしょうがピークだった頃を知らないので、世代以外の北海道民は水曜どうでしょう、及び大泉洋にそこまで思い入れはないのだ。
いや、たまにあったよ。クラスの一人に熱狂的な水曜どうでしょうファンがいて、
「録画したから!絶対面白いから!皆で見よう!」とみんなでそいつの家で集まって水曜どうでしょう鑑賞会。
知らない(当時の小学生視点で)おじさん達が、ただ笑ってるだけの謎の内輪映像見せられても。
それより、うちの父親のエロビデオ勝手に持ってきたんだけど!!と、すぐさまAV鑑賞会よ。
物心ついたときには水曜どうでしょうなんかやってなくて、おじさんに「大泉洋面白いよな~、え、お前北海道民なのに水曜どうでしょう観てないの?」って言われるにが凄く面倒くさくて、余計にウザいわけ。
ちなみに、北海道で水曜どうでしょう人気がピークを迎えていた当時、北海道の若者には熱狂的に支持されたが
当時の大泉洋は「見たこと無いタイプのブサイク」って感じで、中年から上の層には江頭や出川みたいな印象に映り、嫌われていた。
うちの親も、大泉洋がテレビに映ると「生理的に無理」とチャンネルを変えていた。(今でこそ流石に慣れたが)
後にオンエアバトルにエレキコミックが出るようになると「大泉って東京で芸人やってるの?」と言われる程度には世代以外の北海道民には混乱を招いた。(あと、いつも大泉洋と一緒にいる鈴井?とかいう人は、東京でインスタントジョンソンっていう名前で芸人やってるんだね~とか。)
基本的に、北海道民にとって大泉洋とは深夜の人で、日曜夕方に大泉洋と地元のアナウンサーが北海道の小学校とか巡って地元の飯食うだけの「1×8いこうよ」という番組で見る機会はあったが、出掛けてるしあんま日曜夕方にテレビ見ないし、
そもそもそんな内容であんまり面白くないので「やること無いので仕方なく見る」番組でしかなく、特に印象はない。
今でいうなら日曜夕方に宮川大輔が知らない田舎の農家行ってそこでとれる野菜食って「うまーい!」って言うだけの超つまらない番組(満点レストラン?みたいなタイトル)やってるけど、あんな感じ。別にわざわざ見るもんじゃないよね、みたいな。
大人になって、上京して同世代の北海道出身の奴を見つけては「水曜どうでしょう好き?」って聞いても、やっぱり「見たことない」「興味ない」って言うやつばかりなので、やっぱりあれは特定の世代の流行でしかないのだ。
なんか2000年代前半に雑誌とかでやたら水曜どうでしょうが特集されて、当時人気だった歌手とかモデルが「ファンです」って公言しだして、全国的に「水曜どうでしょうを観るのがオシャレ」みたいな空気になった瞬間が少しあって、東京モンが北海道人より水曜どうでしょうに詳しくなってしまった。
そんな東京モンは北海道人全員が水曜どうでしょう大好きだと思って憚らないが、あれは断じて特定の世代だけの流行だと言いたい。
今は水曜どうでしょうの再放送を深夜にやっているが、今の北海道の若者にとって大泉洋とはただの「北海道出身の俳優」であって、水曜どうでしょうの再放送を見せられても「大泉洋とその他のおじさんが笑ってるだけの内輪映像」でしかない。
テレビにでてる俳優やアイドルや歌手にいっさいトキメかなくなった。
彼らがおもしろいことやかっこいいことをしてる才能あふれる動画がバズっていても「わーほんとだかっこいい!」とか、「カワイイー!」「おもしろいー!」とすら思わない。
だってこいつらはどーーせ私に惚れることはない!とわかってしまったから。
もしかして芸能界に揉まれて美男美女には懲りて、平凡な自分を選ぶ可能性があるかもなんてことは実際ないし、美男はより若い美女を選ぶし、美女はより金持ちの美男を選ぶ。
例外はない。
絶対ないとは言い切れないとしても、その宝くじを自分がひき当てる才能はない。
やっぱりアイドルやら俳優やらにはまれる人ってどっかに夢要素(いつか出逢ったら恋愛関係になるという淡い幻想。幻想は幻想としりつつもそこも込みで可能性はゼロではないとおもうこと)という自惚れがあるからこそあんなにも赤の他人に関心が持てるんだと思う。いまはそんなノンキさもうらやましい。
恋愛までいかなくても、運良く知り合ったら相手にとって自分が多少なり影響を与えられるほどの関係になれる(頼りにされる、あいつはちょっと違うなと思われる、おもしろい人だと思われる等、他の人よりは個体認識され大事に思われる)という期待をもって自惚れていられるからこそはまれるものなんだなって。
オタクに優しいDAIGOですら「奥さんの美しさに二年たっても慣れない」って奥さんの容姿に固執したノロケをいってるのみてがっかりした。やはりどんな路線で売り出そうがイケメンが女性と趣味や思想が合うことでノロケることはない。
特に男というのは自分より二回り格上の容姿の女に惚れるもんなのだ。
(男の方が自分に自信過剰であり根拠のない自信を持ちやすいとなんかのデータでみた。テレビ番組の中でその実証に男女に玉入れゲームをさせてその点数をゲーム実施前に本人に予想させてから行わせていた)
いまやぺアーズやオミアイやその他出会いアプリで様々なタイプのイケメンと思う男性に、それこそ千人単位でイイネを送ってみて、笑っちゃうほどイケメンには相手にされないことがわかってからだ。
もはやドキドキして照れながら送ったのは最初の10人くらいで(このときはまだ夢や幻想があったから)、あとはもうこの確信を得るだけの数値ほしさにいいねを連打した。データといえる数にするには千人を超えないといけないとかどこかで聞いたから、その数値までやってやろうとおもってやった。その結果だ。
ほんと、みんな早く目を覚ましたらいいと思うよ。芸能人やアイドルに興味持つの、無駄。
そっちのほうが現実問題ではあいつらに少しでも近づく方法だと知ってほしい。
結局みんな自分のことがいちばん好きなんだから、推しのステージや舞台が生活の張りなんです!とかいってても自分の容姿が向上したほうが満足度は高いことに早く気づいてほしい。
身綺麗にして、自分を最大限素敵に見せる服を模索購入して着て、回りの対応が変わってきたら、赤の他人のただの1ファンでいる自分の現実より、人に声をかけられる自分である現実の方が楽しいに決まってる。
アイドルオタクが親衛隊の番号競うのだって結局は自分という存在を回りの人間に認知されたいからだ。
アイドルや俳優の人格の良さだの性格の良さだのを見抜く見識眼がいくら備わっても、あなたの容姿は一ミリも向上しない。
そもそも上辺だけしか見せてないショウビズの人間を相手に「あの子は頑張ってる」だの「あの人は他の人より本当に努力家だから」だの、なに見えた気になっているんだという話。
酔ったときどうなるのか、なにに愚痴り、怒り狂うのか、人間性のでる場面は彼等彼女等は私達にみせない。
その相手は引退するときの本当の気持ちをあなたに語ってくれるか?という一言に尽きる。SMAPだってももクロの子だって本当はどんな気持ちでいたか?なんてファンにも誰にもわからない。
昔マツコがアイドルは二十歳で卒業しなさいといったような記憶があんだけど、ほんとそれ。
若いうちに「もしかして相手とどこかで知り合って…」なんていう幻想捨てて、若さという価値のあるうちに自分の容姿で捕まえられる最大限いい人を見つけておく。
現状の自分の市場価値に納得行かなかったらスキルを上げたり話術を磨いたり整形でもなんでもしてレベルをあげて、納得行くまで相手を探す。
それでそのあと恋人との関係が安定したらまたアイドルでも俳優でもハマったらいいんじゃないかと思う。
現実が見えた私みたいな人達に「万一が起きない相手にまたハマる」なんてことがあるのかわからんけど。
たとえが古いけど私はマトリックスみたとき赤い薬を飲むタイプだなと思った覚えがある。現実はひどく苦いし、そのなかでベストを尽くすしかないが、虚構の世界で自分の殻に閉じこもって生きるより良いと私は思った。
キャラメルにおもちゃつけたら、おもちゃのほうが人気出てしまった場合
キャラメル自体の価値での商売にならないから、キャラメルの質の向上は期待できない
キャラメルのファンが「おもちゃファンは害悪だ」と言っても販売者としてはビジネスでやってるので受け入れない
下手すると古参・老害のように扱われ、界隈にとって煙たがれる存在になるかもしれない
同じ商品を買っているのに、評価軸が異なるファン同士はまるで仲良くなることはない
上手くいって奇妙な隣人である
漫画、映画、ドラマ、吹き替え、声優、アイドル、歌手、服や食べ物やCDなどなど
とは言え大体は「軽症」だから、それぞれがバランス良くやっている
そしてバランス良くできるから先鋭化はできず、腐り、ゆっくりと死んでいく
奇妙な隣人はいつまでも隣りにい続ける
時折殴り合いながら
そういう時代だ
彼女はアフリカ系の血を引いており、肌色は明るめのブラウンである。そんな彼女がロレアルパリのヘアケア商品の広告に出たとき、「白すぎる」として批判された。確かに、いつものビヨンセより明るい白っぽい肌になっている。これが「黒人を白人化している」として大きく批判された。
キム・カーダシアンというアメリカのセレブがいる。彼女の夫はアフリカ系のラッパーカニエ・ウェストで、その娘はアフリカ系の血を引いているため、髪の毛がかなり強めのカーリーヘアだ。ある時、母親のキムは娘のカーリーヘアに縮毛矯正を当て、いわゆるストレートヘアにした。これがまた批判され、バッシングされた。黒人特有のカーリーヘアを、白人風のストレートヘアに矯正する行為だ!白人化だ!と。
私はアメリカ人じゃないというのもあるんだろうけど、自由を尊重するアメリカ人どうした?って思ってしまう。私は沖縄系の血を引いているせいなのかそうでないのかは知らないが、生まれつき浅黒い肌で、天パだ。化粧品で白い肌にして縮毛矯正でストレートヘアにしている。もし、こういった行為を批判されたらと思うと息が詰まる。私の美意識に反するから白くするしストレートにする、じゃだめなんだろうか。髪を赤毛っぽく染めるのは?白人化なのか?ただ肌がきれいに見えるから赤毛にしたいだけなのに。ポリコレってなんなんだろう。
とある歌手がファンに「頑張ってください」と声を掛けられるたびに「今でも頑張ってるのにまだ頑張れって?」と常々疑問に思っていたそうだ。
しかし海外のイベントで出会うファンは「I Love You」と声を掛けてくる。あなたが好きとストレートに気持ちをぶつけてくる。
そこで気がついた。頑張れ≒I Love Youなのではないかと。
「あなたが好き」を直接言えない日本人が少し違う言い方にしてとっさに出てくるのが「頑張ってください」になると結論づけてからは、頑張れという言葉も素直に受け取れるようになったらしい。
だからまあ、カンニング竹山さん他有名人の方々は頑張れと言われてもキレずに声援だと思って受け取ればいいんじゃないんですかね。
最初は好きな歌手のサイトなんかを見たりタイピングの練習したりしてたのに、気付けば56kのアナログ回線をテレホーダイで22:00〜8:00まで余すことなく使い2ちゃんねるに毎晩書き込みしてたあの時代から早●●年。