はてなキーワード: 憂鬱とは
やっぱりそうだよな。
なんかもう怒り方が尋常じゃなくて、本当に顔真っ赤にして怒る人いるんだ・・・って感じだった。
別れ話切りだすのが憂鬱。
どうやら自分は「かわいげのない新人」なようで、会社の先輩から「お前は礼儀がなっていない」と注意を受けた。
・先輩が話しているときはひたすら笑顔でうんうんうなづいて聴け。時に全く笑えないいじりを受けてもニコニコ嬉しそうにしていなければならない。
・積極的にいじられろ。ただし自分から笑いを取りに行ってはいけない(先輩や上司へのツッコミなんてもってのほか)。
・先輩や上司と話しているときは、その人に出来る限りいろいろ質問しろ。「先輩や上司は会社のことや人生のこと、お前の知らないことをたくさん知ってるんだ。当然だろ?」
自分で言うのもなんだけどこんなこと言われる前から、料理の取り分けをしたり、誰かのグラスが空いていたらおかわりを聞いたり、積極的に会計係を申し出たりしている。
仕事だってきちんとやっている。上記のお小言も「お前は仕事はいいんだけどさあ」という枕詞からはじまる。
酒だって嫌いじゃない。友人と居酒屋に行って騒いだり時に真面目な話をするのは大好きだ。
飲み会という名のおっさんの接待をするだけの業務は嫌いだけど。
やりがいとかいらないんで〜みたいな本もあったけど、本当にこういうのに吐き気がする。
でも、世の中的には、こういうことができて上司や先輩に好かれる人が会社員として出世していくんだろうな。
先輩や上司はこういう新人を見て、ゆとり乙とか思ってるんだろうな。
それはなんとなくわかってるんだけど、とはいっても。
誰がこのことをはじめに言い出したかなんて、わからないけれど、
人間の幸せを正確に数値化することは現代の技術をもってしても不可能で、
もし、技術的ににできたとしても、ベンツの車で送り迎えをしてもらいながら育った人と、
かっぱ寿司が1年に1度のお楽しみだった人では幸せの感じかたが違うのは明らかである。
世の中的なフツウの見ること感じること味わうものすべてを人並み外れてありがたく思うわけではない。
100円のお寿司、久兵衛に連れて行ったり、しまむらを着てた人をドーバーストリートマーケットで好きなだけ買い物できたとして、すぐに幸せになれるかといったらそうではない。
貧乏だけではない。お金があっても、精神的な幸せを味わって来なかった、どこか物足りなさを感じていた人間は、幸せをイメージできないことがもっとも不幸なのだ。
つまり、美味しいお寿司、快適な車、お金、そして、何かからの愛をいざ手に入れても、その正しい価値を知らないから、ただもらっただけでは手放しで幸せにはなれないのである。
そんな私は、何か自分にとって幸せな瞬間が訪れたとき、私はつい後のことを考えてしまう癖がある。
これを食べたら太る、飲酒をしたら浮腫む、この靴を買ったら来月のカードの請求が、結婚までにそして、大好きなこの男とヤッてしまったらもうお付き合いができない…。
目先の快楽、そしてその先の幸せを、そんなネガティブがどんどんどんどん、薄めてゆく。ヴィヴィットカラーはチューブから出したばかりの色が一番綺麗なのだ。
食事、買い物、飲酒、セックス…すべてにおいて、数少ない経験則や人から聞いた話なんかを思い出し、ついつい物語の続きを思い描けず、ストップしてしまう。しかしこれは無理もないことなのかもしれない。
なぜなら私たちがお手本にしたかったおとぎ話は、ぜんぶ王子様とお姫様は幸せに暮らしました、で終わっているのだから。
その後、家庭内暴力を振るわれて離婚したとか、ふたりのもうけた子供に重篤な病気がとか、お金がなくなったとか、”めでたし”のあとロールモデルにすべきは自分で経験するしかなかった。
そんなわけで、こじらせ女子の幸せの時間は普通より短いかもしれないが、
あれや、これやと思いめぐらせている思慮深いところもあり、
そして、こじらせ女子だと自覚のあるものは、大変なことにならない程度に、まずは目先の快楽を手放しで受け止める訓練をするべきなのである。
ある日、しこたまお酒を飲んだ快楽のあと、たいへんな鬱状態に陥ってしまい、インターネットで快楽の後の精神状態について調べたことがある。
じつは、科学的にも快楽を享受している瞬間には、体内のセロトニンだかドーパミンだかなんだかわからないが、快楽物質を大量に消費するから、のちにとても気分が憂鬱になるというのが定説らしい。そしてそれは間違いなく当たっていると思う。様々な関連サイトを巡っていて、見つけた”快楽は幸福の前借りだ”というフレーズがあって、そのことばがたまらなく好きだ。
幸福の前借りをすれば、あとで必ず返済しなければならないのである。人によって違う、その落差が幸せをポイント化できる何かなのかもしれない。
デートでご飯を食べたら、彼が多めに出してくれる。
この前水族館に行ったときも、2枚同時にチケットを買ってくれて、お金を渡そうとしたら1000円でいいよ〜って言ってくれた。
無理に全額渡すのもアレだし、申し訳ない!ありがとう!って言って彼の好意に甘えてる。
彼は1個上の社会人で、早起きしなきゃいけなくて大変そうだから、平日に私の部屋に呼ぶことは出来ない。
そんなに遠いわけじゃないけど、すごく近くもなくて、電車で片道350円くらい。往復700円。意外と馬鹿にならない。
でも、2〜3週間に1回くらい、彼が私の部屋に来るときがある。
メニューは彼のリクエストで、ハンバーグとか豚の角煮とか、お肉料理が多い。
そのときの食費は私持ちで、彼は非常によく食べるので1日に2000円ほどかかってしまう。
彼は、ご飯をとっても美味しそうに食べてくれるし、たくさん褒めてくれる。
すごく嬉しい。すごく嬉しいんだけど。
なんだか、私の金銭的負担が、大きい気がする。
1週間に3回会いに行くとして、交通費が月に8400円。2週間に1回彼に手料理を振る舞うとして、食費が月に5000円。
対して、彼が2週間に1回会いに来てくれるとして、交通費が月に1400円。2週間に1回デートをするとして、多めに払ってくれるのが月に5000円。
やっぱり、私の金銭的負担、大きすぎやしないか?
バイトもしていない学生だから、本当に交通費が馬鹿にならなくて、最近はおいでって言われる度に憂鬱な気分。
じゃあバイトすればいいじゃんって話なんだけど、兄がブラックバイトで身体壊して1年休学しちゃってから、我が家は全面的にバイト禁止になった。
お金が足りなかったらお母さんに言いなさい、仕送り増やしてあげるから。って言われているけど、彼氏の家に行く交通費がないからお金ちょうだいなんて言えないよね。
彼には、お金ないよ〜って言ったことあるけど、交通費支給するからおいで!って言われて、じゃあと思って会いに行ったら結局支給されなかった。
しびれを切らして交通費は〜?って冗談ぽく聞いてみたら、本気にしてたのー?じゃああげるよーって笑いながら300円を手渡されてからそれ以上お金ちょうだいなんて言えなかった。
彼のことは好きだし、いつでも会いにいきたいくらいだけど、損得勘定で考えると、私が損してて彼が得してて、なんだか腹立たしいんだ。
私がお家の食費を全部持っているのは、頻繁に彼の部屋に行っていなくてデートだけの付き合いだった時期に、たまには私が出すねってことでそうなったのに。
外食のお金は目に見えやすいけど、自炊にかかる費用と交通費は分かりにくいよね。
私に負担がかかっていること、彼に気づいてほしい。
今の職場の雰囲気が合わず、仕事内容に慣れはしたものの仕事ができるわけでもなく未だに周囲に迷惑をかけてばかりいる。
人間関係が上手くいっていたらまた感じ方が違うのだが、正直居場所がなくてつらい。
事情を事細かに説明することが難しいが、メンタルクリニックで鬱病と診察された。
自分でも食らいついていきたいという気持ちはあるけれど、なかなか難しくドロップアウトのような感じで職場を去ることになりそうだ。
いま悩んでいるのは仕事を辞めるかどうかではない。
今現在の職場というのがよく言えばアットホーム、悪く言えば閉鎖的な環境にあり、人数が少なくかつ人の入れ替わりが極めて少ない。
先日もあったのだが、うちの会社はBBQなどのレジャーが年に数回行われる。
そのときに記念にと皆がべらぼうに写真を撮るわけだが、僕を含めた職員が満面の笑みを浮かべて写った写真が各社員のスマホに保存され、さらには楽しそうな写真としてFacebookに投稿されてしまっている。
もちろんタグ付けされて僕が写り込んでいるのが何枚もある。
その写真を見返すたびに職員たちは俺のことを思い出して「あいつすぐ辞めていったよね~いまどうしてるのかな~生きてるのかな~」などと噂されると思うと憂鬱だ。
僕が去った後でも連中の話のネタにされるのが耐え切れない。
今唯一にして最大の気がかりがこれなのだ。
人にもあげたし我が家でも飽きるほど食べた。
あげるために持ち運ぶのも説明するのもだるかったし、家の冷蔵庫が埋まってるのも腐らないように食べさせていくのも疲れた。
毎年憂鬱なのにどうして夏になると毎年どっさりと送ってくれるんだろ。
人にもあげたし我が家でも飽きるほど食べた。
あげるために持ち運ぶのも説明するのもだるかったし、家の冷蔵庫が埋まってるのも腐らないように食べさせていくのも疲れた。
毎年憂鬱なのにどうして夏になると毎年どっさりと送ってくれるんだろ。
特に右肩のコリがひどく、最近では上腕まで痛み始め扉の開閉やちょっと重いものを持つだけでもズキンと痛んでいた。
そろそろ整形外科にでも行ってレントゲンでもと思っていた矢先のこと、先日夜中にふと目を覚ました時の事だった。
まさに肩と腕の痛む部分とか同時にしびれを起こしていたのだ。
その理由はすぐに解決した。どうやら原因は寝ている姿勢にあったようだ。
最近は仕事のストレスも多く、また持病の腰痛も酷くなってきているためか、考えこむような姿勢と腰をかばうような姿勢を同時に取っていたのかもしれない。
腕を組みながらも体重が肘側にかかることで腕が体側に巻き込まれ、肩から腕にかけての血流が悪くなっていたようだ。
それからというもの、寝るときは腕をおろし仰向き姿勢を心がけている。
すると寝起きから嘘のように肩が軽い。
ついでに、腰痛由来と思っていた背中右側の肋骨が始まる辺りにもあった違和感まで解消してしまった。
腕まで痛み始めたこの半年は気分まで憂鬱だったため、今はあまりにも清々しい。
若い頃は痛みがないのが当たり前だったので寝る姿勢が悪ければ翌朝には気がついたものだが、年をとると至る所に慢性の痛みがあるためかこういうことの発見が遅くなることがわかった。
特に驚きはなかった。「やっぱりな」という感じだった。
思い起こせば心当たりは膨大にあった。
診断を受けてから、いや、自分がアスペではないかという疑いを持ってからというもの
ずっとずっと努力して戦ってきた。つもりだった。
でも、もう疲れてしまった。
子供の頃はよく親に叱られた。
曰く「なぜ人の気持ちを無視するようなことを言う」「なぜ言わないと行動できない」など…。
小学生はある程度いた友人も、中学、高校と進むにつれ離れていった。理由がわからなかった。
運動神経が悪く体育の時間はいつも憂鬱だった。体育祭を仮病でブッチ切ったこともある。
高校の頃、2chのアスペ叩きスレでアスペルガー症候群の存在を知った。
その症状があまりにも自分に合致しすぎていて強いショックを受けた。定型から蛇蝎の如く嫌われる存在であることも知った。
ショックのあまり3ヶ月位引きこもった。その後何とか立ち直って登校再開し、高校は卒業できた。
自分が変な病気であることを認めたくなかった。また、良くない事柄を病気のせいにするのは情けないことだとも考えていた。
そして社会人になりたての頃、まだアスペ疑いだけを持っていた頃は、とにかく同僚・上司に気に入られようと必死に頑張った。
仕事を覚えビジネスマナーも学び、自分なりに友好的な対応をしたつもりだった。
ダメだった。上司が自分のことを「殺したい」と漏らしていたと知った時はとてもショックだった。
そこまでの感情を抱かせるまでのことを自分はしてしまったのだろうか。そんなつもりはなかったのに。
そのしばらく後、冒頭の診断を受けた。
そしてアスペについて学び弱点を把握し、そこを補えるように行動してみた。
具体的な指示をもらるようにお願いしてみたり、迷惑をかけそうな人にカミングアウトしてみたりした。
ダメだった。上司からはしょっちゅう呼び出され勤務態度について注意され、下につけられた後輩はみんな辞めていった。
この辺りで自尊心は消えてなくなった。
「アスペである以上、他人に好かれる努力をいくらしても無駄。最終的には嫌われる」
「どうせ嫌われるのであれば、先にこちらから嫌ってしまっても構わないだろう」
「誰も信用するな」「自分も信用するな」
この思考に支配された私は最初の会社を辞め、転職を繰り返した。
その過程で、良くしてくれた人たちもいた。全て裏切った。どうせ嫌われていると思っていたから。
どう思われようと構わない、どうせ自分には価値がない。自暴自棄。
そのまま現在に至る。
この思考が間違っているのはわかっている。誰も得をしないのもわかっている。
自分が他人に不快感をまき散らすだけの害悪な存在になっているのもわかっている。
でも、では、どうすればよいのか。私はどうすればよいのか。
無駄な努力と分かっていて他人に好かれるような擬態を続けるしか無いのか。
もっともっと根を詰めて努力のレベルを上げていくべきなのか。甘えなのか。
努力しても評価されない。この病気は一生治らない。一生嫌われ者、変人扱い。
子供?アスペは遺伝するだろ諦めろ。障害年金?ちゃんと働けるだろ諦めろ。
諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ諦めろ
一般的に伝わっている人並みの幸せの殆どを諦めて、それでも生きていかないと行けないのか。
辛い。苦しい。もう、疲れた。
保険料の請求が来てる
保険料くらい払う金はあるが、とにかく払いに行くのが面倒ですごく嫌だ
いい歳して無職でだらしない格好をして役場に保険料を払いに行くのが嫌だ
何を言われるかわかったもんじゃない
そもそも無力感でそんなのいくほどの元気もない
1ヶ月位滞納してたら督促状が来たらしい
こんなことで騒ぎになるのも馬鹿らしいし
帰ってきて3ヶ月、親と話をしたのは「税金を払え」くらいのもんだ
結局カネかい
生きてて楽しいことがあるわけでもない、かと言って死ぬ勇気もない
こうやって文章にしてWWWに流してる時点で自分はかまってちゃんで生きたいと思ってるんだろうけど
死ぬか生きるかどちらかへ大きく舵を切る何かがないのだろうかと悩み続ける
今日は朝から雨で憂鬱だなとか思って駅までの道を歩いてたんだけど、目の前にオレンジ色した女性用っぽい傘に入って身を寄せたカップルがいたんです。
雨にかこつけてラブラブなんて羨ましいなぁおい。っていうか男も傘くらいもって出ろよとか思ってたいたわけですよ。
なんだか付き合いたてのカップル見たく朝からデレデレ歩いてて邪魔だなと思ってた追いぬかそうとしたら気づいてしまいました。
え?!それってつまりそんなにはまだ深い仲じゃないってことですよね?!
そう考えると傘が一つなのも超納得。
おそらくこの男性は昨日と同じ服装をしているに違いない。
まさにリアル情事。女上司、部下つまみ食いの巻きが完全にだだ漏れ状態。
昨日はすいすいすいようび。
ほぼ初めての仕事。
苦手な仕事だが頑張ろうと思った。
だが頑張っているつもりでも上手くいかない。
周りも「真面目は真面目なんだけど……」という感じ。
そもそも要領が悪く頭が堅いが、
そのうちできるようになるかと思っていた。
三ヶ月経っても注意されてばかり。
申し訳無さでどんどん表情が暗くなる。
会社側も「このくらいできるだろう」と思ったことが
まるでできるようにならない。
色々対策も考えてくれているようだが、
すべて逆効果。
どうしてこんな惨状なのかおそらく周りも気づいてきているが、
コミュニケーション障害が原因。
どういう組織でもコミュニケーション能力は必須だが、
自分が和を乱していた。
ここまで悪影響を与えるものだとは知らなかった。
今までは周りが良かったのだ。
実を言うと、コミュ障を克服したくて、
接客要素のあるこの仕事を選んだ。
やっているうちに慣れると思った。
慣れなかった。というかお客様の応対もそうだが、
社内での応対も上手くいかない。
これからも慣れる気がしない。
慣れとかそういう問題じゃなく、
自分のせいで、
実際業務に支障をきたしているみたいなので
我慢してやってみようとも思った。
せめて一年くらいは頑張ろうと。
でもこのままじゃいつか大損害を出す。
というか今の段階でまともに会話できないので
仕事にならないんだよなあ。
少しでもコミュ力ある人が本当に羨ましい。
みんな努力してるんだろうけど。
ときどきなんで生きてるんだろうって思う。
なんで「普通」にできないんだろう。
すごいな。
普通の人になりたい。
こんなこと書くと
「みんな頑張ってるんだから!」と言われそうだけど、
やっぱり違いはあるよ。
早く辞めて就活しないと。
辞めるまで気まずいなあ……
最悪だ。
「堕ろすとか、考えたくないよね。それ、殺人じゃない?」
「産まないって言い方したいけど、堕すことに変わりないしね……あーあ、うちの友達がこないだ中出し許しちゃって、妊娠して堕ろしちゃったんたげど、その子のことをみんなが歩く殺人現場って呼び初めてさあ、大変だったんだよね」
といった内容の会話を、わたしは友人とつい最近したばかりだった。
高校の頃、主要5科目の成績は最悪だったが、保健体育だけは常にA+の評価をキープできていた。
なのに、それなのに。
ベッドの上で震えるセフレ。なんだよ、今日はいつにも増して深刻な賢者タイムなのかよ、と思いきや、口を開いて直ぐに「ごめんなさい」と彼が呟いた。コンドームの先っちょだけが何故か丸く破れていて、精液は見当たらなかった。見事に中出しされていた訳だ。
わたしと彼は、急いで産婦人科に向かって、アフターピルを貰いに行った。
アフターピルをもらう際の質問用紙は結構えげつない物が多くて、いつセックスしただとか、コンドームつけてたかだとか、膣内射精か外出しかとかそんなことまで聞いてくる。レイプ事件でよく『セカンドレイプ』なる単語を耳にすることがあったが、これもちょっとしたセカンドレイプな気がしてわたしは嫌いだった。
なぜ、それらの質問をされる事が嫌いと言えるのか。
それは、愚かなことに、アフターピルをもらうのが二回目だからだ。
前回は、コンドームをつけたのにも関わらず、外れて漏れるなどといった事態が起きた。しかし、今回は漏れているのではなく、確実に膣内に出されてしまっている。それは、精液が溜まってないコンドームを見れば明らかな事であった。
「死にたい」
心からそう思った。アフターピルや中絶処理をされる患者の区分が『処置』になっていることに気付いて、私はより一層憂鬱な気分になった。隣にいたピンクと紫色の『ゆめ可愛い』カラーを纏った若い女の子が『処置』で呼ばれているのを見て、ハッとして周りをよく見た。胸のあたりが大きくあいた服、極端に短いスカート、産婦人科に似合わない派手な服装。こういった格好をした女の子たちは、お腹を膨らませて、ふんわりとしたワンピースを着ている妊婦とは全く違う世界の生き物で、扱いをされているように思えた。そして、わたしは前者の、『処置』されるような女の子として見られてることが何よりも辛かった。『処置』を待つ女の子が受付に「喫煙所ありますかぁ?」と尋ねている声を聞くと、思わずタバコが入ったポーチを捨てたくなる感情に駆られた。
てかさ、死にたいって思うなら最初からしなきゃいいし、なんでそんなリスキーなことするんだよ、しかも付き合ってない人間と!
だったらセックスしなきゃいいじゃん、ってしょっちゅう言われる。
私もそれが正しいと思う。
だけどできない。セックスはしたい。しないと、辛い。適切に性欲が処理できない。オナニーをする度に、あまりの虚しさに泣いてしまうし、手首や足もカッターナイフでズタズタになる。ベンゾ系の薬物を飲む。眠る。翌朝、また虚しさが残る。
セックスでなければいけなかった。
人の温もりを感じたかった。ベンゾに温もりを与えるなんて効用はもちろん無い。
わたしはベンゾを飲むのをやめてセックスを選んだ。
その結果がこれだ。
生理が早く来て欲しい。
確かに、煩わしさしかなかった筈なのに。
薬局に行って下剤をもらって体を壊そうか、食事をやめようか、暇さえあれば子宮のあたりを殴った。腹を壊して、下痢になった。
何もする気になれない。恐怖感だけがそこにある。