はてなキーワード: 少女マンガとは
TLどこで読んだのかわからないけど、Renta!とかの1話切り取り型よりも
単行本の作者は、1冊分書き溜められる実力があるってことだから、
TLが微妙なのは、少女マンガがSEX描写OKになりつつあるのとも関係あって
本当にストーリーや構成力、心理描写のクオリティが高いTLを読みたいなら
少女マンガを読んだ方がいいかもね。
石田拓実が一番TLに近いかも。
他に、金田一蓮十郎なんかも、ふつうに登場人物がSEXする(特にニコイチ)。だが10代ではないか…。
岡田コウとかはかなり繊細な書き味な気がする。
って、元増田がTLに求めてるものはなんなんだろう。きれいな絵柄か、ストーリーか、関係性か、ぶっとんだ展開かw
少女マンガ原作のアニメを嫁が流してたので一緒に見てたら、「私コレ漫画で途中まで持ってるよ」と言うので読ませてもらった。赤髪の白雪姫。
主人公の女の子が身分の差とかを乗り越えながら王子とイチャラブする話っぽい。
最初の方は
主人公がえらくたくましいけどこの娘の異様にマッチョな精神構造は女子読者に共感してもらえるんやろか?
それにしても次から次へと色々トラブル起こるなあ、おっ、また仲良くなれたね!よかったね!
でもお互いの事を立場の違いも考えつつ大事におもっとるんやなあ、ええ子らやなあ
と思いながら読んでたんだけど、手元にある最後の巻で急に
王子「なんかそんなんとは違うとか言うてたけど、やっぱ異性として好きやわ」
主人公「私もです(照れ)」
ってな展開になって
なんでや!?急にどうしたお前ら!?何があった!?ついこの間までそんなんちゃうかったやんけ!と、ものの見事においてけぼりになってしまった。
あー、モヤモヤする。一体なにがどうなってそうなったんだろう。一巻とばしたわけでもなかったし……もう一回読んだらわかるかなあ?
妻が持ってる少女マンガで勉強しようといくつかすすめてもらって読んだことはある。
疑問に思った箇所に説明が欲しくて付箋つけてたらものすごい付箋まみれになったので、
なんか怒られそうな気がして全部はずして単純に読み流すだけになった。
それでも読めるマンガとどうにも受け付けなくて読めないマンガがあって、結構両極端。
最近読んだのだと、「暁のヨナ」とか「堀さんと宮村くん」とかは割と楽しく読めた。
「暁のヨナ」と作者が一緒だというので読み始めた「NGライフ」は即脱落して、
「神様はじめました」はある巻で急に主人公が「○○が好き」とか言い出して大混乱して妻に訴えたら、
「えっなんで?この子は序盤から好きでしょこれ」って言われて撃沈した。
小学生ぐらいまでは家にあった母親の少女マンガを手当たり次第読んだりしていたので、背の高い本棚2つ分ぐらいの少女マンガは読んだハズだけれど……。
読んだのをはっきり覚えてる少女マンガは「綿の国星」「BANANA FISH」「残酷な神が支配する」とか。
他にも数冊で終わるようなやつとか色々読んでた気がするけどタイトルまでは覚えてない。
ある程度成長してからは、ベタベタに甘いようなやつは「わけのわからないもの」「不快感が残る」と思って自然と避けるようになってしまった。
中学生のころに「フルーツバスケット」とか、なんか子役の女の子の出てくるやつとか借りて読んでた気がする。
小説だと高校生の時に現代文の問題文で出てきて、わかんなさすぎたのでリベンジしようと買ってきて読んだ吉本ばななが意味不明すぎて、
理解できなくて泣くとかいう事態に陥ってちょっとしたトラウマになった。
洋画のラストで脈絡もなにもなく急にヒロインと主人公がキスするやつとかは、もうお約束なんだと思ってみてるけど、それはそれであってるんだろうか?
この前やってたアニメの「時をかける少女」はなんか得体のしれない不快感がこみあげてきて見てられなくなって別室に一時避難した。
増田に感情的な記事を書いて約一ヶ月が経ったけど、だいぶ落ち着いた。
http://anond.hatelabo.jp/20150608210855
「二次元に欲情した程度で傷つくとは、自分をどれだけ高尚な存在だと思ってたんだ」系のコメントをもらって、
まあ、そうだよなと思った。別に人々の手本になるべき立場でもないし、迷惑をかけない限り好きに生きればいいのだよな。
もう好きなキャラクターのpixiv作品は見尽くしてしまったので、好きな同人作家さんの他の作品も見るようになった。
弱虫ペダルや刀剣乱舞などの人気ジャンルでも創作していることがあって、原作を知らなくても楽しめた。
腐女子の世界では「ジャンル友達より、性癖友達の方が長持ちする」と言われているらしい。
わかるかもしれないと思った。だって趣味が同じ人の作品なら、原作を知らなくても良かったわけだから。
あと、長らく腐女子が少年マンガばかり好むことを謎に思ってたけど、それも解決した気がする。
少女マンガだと、このキャラとこのキャラはこういう恋愛をしますよ、と作者に決定されてしまう。
言い方が変かもしれないけど、同人作家は創作プラットフォームとして世界観とキャラクターを用意して欲しいんだね。
そして恋愛・セックスなどの要素はサードパーティーである私たちに投げてくれという感じ。
これ、刀剣乱舞でめちゃくちゃ顕著じゃないですか?狙ってやってませんか?
好きな作家が一次創作もやっていたことで、オリキャラ界隈も覗くことになった。
ここまで来ると男性の作家が多くなってくる。人外・ケモショタなど、現実で叶えられそうもない嗜好の数々。
それに萌えるかというと別の話だけど、世界の広さが新鮮でツイッターなどを読み漁った。
オリキャラ界隈、嫁をフルスクラッチビルドしてんのね。光源氏の比じゃないね。
二次創作だと嫁を共有しているから嫁話コミュニティも盛り上がるけど、オリキャラ勢は壁打ちも多い。
なんだか妙にストイックに感じた。描いているのはエロ絵なのにな。(しかしめちゃくちゃ上手い)
ある男性同人作家のツイートに、「生きた人間に欲情するとか正気か。人権侵害にも程があるだろ」といったものがあって、
そういやはてブ見ててもそういう考え方って見かけたなと思って、でも改めて目から鱗だった。
私にとって、学生時代なんかは特に、生身の異性と付き合うのって「推奨される行為」だったんですよ。
そうではないクラスタがあるっていうのは、非常にいいことだと思う。価値観は多様だった方がいい。逃げ場になるから。
もらったトラバに「自分の中で好き勝手に理想化できるフィクションのキャラクターを好き勝手してしまっている背徳感」
というのがあって、それな、ほんとそれな!と思った。
それも一般男性が読むような作品のノンケのキャラクターがゲイの受けになっているような作品に萌えたりするから、
「このキャラを普通に好きな人からすると腹が立つだろうな」とも思うんだよ。
そして「そんなにホモが好きなら最初から一次創作の商業BLに行けや!」となる気持ちもわかる。
でも、二次創作が無かったら私は私の欲望を発見出来てなかった。
18禁作品なんて手に取ることも無かったし、一般向けの、男女共に楽しめる作品に、そのキャラが居たから出会えたんだよ。
そのキャラ名でツイッター検索するだけで二次創作が溢れていたから、この世界を知れたんだよ。
公開アカウントでエロツイート問題とか、住み分け問題とか、色々荒れる話題らしい。
でも私にとっては良かった。私にとっては。それしか言えないな…。
笑顔でいるように心がけているのではなく、病的に笑いのツボが浅いだけなのだ
喉が弱いのでなるべく声を出さずに顔だけで笑う癖がついた
なぜだかよく分からないが毎日楽しくて仕方がないので1日の9割は笑っている
しかし、何も面白いことがない時や真面目にしなければならない時はキリリとしてみせることもある
元気なのに元気ないねだなんて言われることがおかしくて、笑ってしまう
すると大抵の人は なんだ、元気じゃん といつも通り接してくれる
でも、私のことを特に気にかけようとしてくれる人はそうはいかないらしい
私に好意を寄せてくれている人(とすごく御節介な博愛主義の人)はそれを作り笑顔だと勘違いする
辛くない?無理するなよ?俺が相談に乗るよ?話聞くから飲みに行こうか?大丈夫、俺がそばにいるよ!
などの的外れな事を言ってくる
満開大笑いだ
ちょっと風邪気味だけど平静を装っているヒロインに、イケメン君が お前熱あるだろ! とおデコをコツンとする場面だ
彼らはそれを目指しているのかな?なんて思ってしまう
その話は置いといて、
現実社会で、他人の心境を表情で読み取るのはすごくリスクがあると思う
心配してくれると 優しい人なんだなー とは思うけれども、間違えていると恥ずかしいから、もっとオブラートに包んだ心配をしてあげればいいと思うよ
友人に勧められて、俺物語を読んだ。
「猛男を好きになる」「猛男に興味がない」「猛男の家族」と、全ての軸は主人公基準。「猛男を好きになる」人は善人に「猛男に興味がない」人は、悪人のように描かれる。
そして後者の女たちは、外見だけで砂川に一方的に惚れ、一方的に告白し、一方的に振られるというヤラセのような因果応報?を受けている。
このくだりを読んだ時「ああ、これは宗教だ」と感じた。
ある程度友達がいればわかることだが、男を外見だけで好きになったり嫌いになったりする女は、ネットで言われるほど多くない。
それに、これまで猛男が女の子に振られたり、悪口を言われたという話も
猛男の性格を考えると、外見とは関係なく、嫌われるべくして嫌われたのだろうと思う。
大和のような優しい女の子から愛情をたくさん受け取り、男友達から人望を得ながら
「俺はモテないから」と言う所は、あまりに卑屈で、周囲の人間に失礼すぎて、少女マンガの恋愛の男キャラとしてこれでいいのか?といささか疑問だった。
この漫画は、1巻でカップル成立してからは、主人公(とヒロイン)のために、ひたすらマンセーを繰り返すイケメンキャラ(砂川)と、脇キャラたちのエピソードが延々と続く。
最初は、砂川というイケメンキャラが何のために居るのかわからなかったが
「女にモテている上位カーストの男から認められたい」というホモソーシャル欲求に応えてるのかと思うと腑に落ちるし、女性に受けられているのも納得がいく。
どれくらい年下かというと、僕の年齢の半分よりさらに少ないくらい。
そんなに若いのに、いや若いからなのか、いつの間にか風俗に体験入店していた。せっかくかわいいのに、まだまだ少女マンガみたいな男女関係を夢見たっておかしくない歳なのに、そんなところで青春を浪費してしまうなんてバカみたいだ。
一方僕はといえば、その子の体験入店が終わるのをわざわざ車で1時間かけて迎えに行くくらいの大バカだ。タクシー代わりにいいように使われてるのに、「しょうがないなあ」なんて言いながらも行ってしまうどうしようもないオッサンだ。さらに言えば、車の中で「今日はどんなことされたの?」なんて聞いて、想像以上の答えに胸が締め付けられながら、それはそれで快感だなあと思ってしまう変態でもある。
そのあと川沿いのホテルに入って二人でゴロゴロして、その子がなぜかベッドにうつ伏せになったまま頑なに上を向かないから理由を問いただしたら、「だって、キスマークつけられてちゃったから」だってさ。
それを聞いて、仰向けにしてキスマークを確認したら、なんだかもうたまらない気分になってしまった。誰かわからないような奴にキスマーク付けられて、いろいろ弄られて感じさせられて…、という時点でもう胸が締め付けられてしまうのだけど、そのキスマークを僕に見られたくなくて隠してたというのがさらに悶え苦しませてくれる。なんだ?それを見られたくない程度には僕のことが好きなの? それともプレイを盛り上げる演出なの? 健気なの? よくわかりません。
まだ2カ月くらいしか経ってないのに、倍以上も歳が離れてるのに、どんどんハマっていってる。こうやって「王様の耳はロバの耳!」って吐き出さないとたまらないくらいになってきた。
いいか?今からお兄さんが凄くためになることを教えてやる。将来お前がお婿さんもらう時の為にだ。
【男は、基本的にはやりたいだけと思え】
ただ、お前を愛しているという男がいたら、それは八割方演技だと思え。指輪をくれるかどうかは何の関係もない。あれはただの文句封じだ。
ただし。ただしだ。もう一個言っておくぞ。
【演技は演技であり、本当にお前を「まったく愛していない」という意味である】
ここが物凄く大事で、しかも忘れられがちなところなんだが、愛しているには二種類ある。
・肉体的に愛してる
・精神的に愛してる
この二種類だ。
これが、女にはどうしても、どーーしても分かりづらいらしいんだな。
肉体的な愛っていうのは絶対だ。それは体調とか気分とか、すげーー面倒くさい諸条件などは関係ない。ひたすらやりたいのだ。
で、精神的な愛いうのは何かっていうと、すげーぶっちゃけていうと、【認められるということ】だ。相手にセックスをしてもいい男だと思われたい。、自分は男として認められていると思いたい。そうすると精神的満たされる。認められてくれている女に情が移る。
だから、「愛している」って言う演技っていうのは二つの意味があって、相手が演技でやりたくなってくれればセックスできるし、女の体内に勃起した陰茎を挿入してて自分が男として認められていると自分が思い込めば自分も気持ちいい、という側面がある。
つまり、
【男は女のことなんかこれっぽっちも考えていない】
女はやらしてくれさえすればいいのだ。
だから、愛しているといってほしいとか、指輪がほしいとか、おごってほしいとか、友達に自慢できる彼氏でいてほしいとかそんな要望にこたえるのは別に本当にお前を愛しているからではなくて
え?じゃあ、どうして「愛している」なんて言ったのかってか?
そりゃお前、根本的なところで、「わたしを愛してくれる人としかエッチしないの」になられるとすげー面倒くさいからなんだよ。
【「愛情」とかいうものは少女マンガの演出だからドブに捨てろ】
【彼に飽きられる。いつか捨てられる、というのは大体当たっている】
大体文字通りなんだけどな。なんか永遠の愛とか、ずっと一緒とか、アレ、ただの伝説だって。神話だって。レジェンドだって。実際本当にお前を一生愛するなんて思ってるなる男いねーって。
あ、ここでいう「愛情」は肉体的な愛情の方な。精神的な愛情の方は相性とか好みとか色々あるから別だ。
「愛情」にこだわって、愛情を色々感じさせようと妙な「テクニック」に走る女って、大体「あたし尽くしてる」っていうところだけで、「男に体だけ求められてる」っていう気づきが微塵もないんだ。そこが問題だ。
違うんだって。男にとって重要なのは、やれるってことなんだ。それがトリガーで精神的な愛情は後からついてくるものなんだよ。そういう意味では、デートとか、プレゼントとか、ごはんつくってくれるとかよりも、やれるっていうことが遥かに大事なんだよ。
あ、やれるっていっても、ただ股ひらいて、はい勝手に動いてって言うのはだめな。マグロは認められる感なくてめちゃなえるからな。
【重要なのは挿入させてくれることと、出させてくれるっていう行為であって、愛していると言うのはそのための手段でしかない】
【愛情にこだわるな。愛情を求めるな。「愛しているからやりたいんだ」と勘違いするな】
【男を起たせるのは、お前の心ではなくお前の肉体だ】
私が言いたいのはそれだけだ。
一番好きだったのはりぼんだったけど、なかよしもちゃおもある程度大人になるまで読んでいた。
結論から書くと、恋愛にドラマチックな展開を求めてすぎてしまうのだ。
この歳になって、恋愛は平々凡々であることが幸せであるとやっと分かった。
もちろんちょっとしたサプライズやときめきは良いスパイスになるが、愛する人とご飯を食べたりデートをしたり、そういう穏やかな愛情の積み重ねが幸せを生み出すのだ。
しかし少女マンガで描かれる恋愛はそんな生易しいものではない。
ちょっとでも順調にいきそうになると彼氏の元カノが現れたり聞かれたくない一言を聞かれたり出生の秘密が明らかになったりする。
今振り返ると、例えば彼氏がいるにも関わらず他の男に思わせぶりな態度を取ったり、(思ってもない)辛辣な一言を彼氏に浴びせたりしていた。
そして、そんな自分に酔っていた。
そういったトラブルを乗り越えて真実の愛を手に入れる私達、みたいな妄想を繰り返していた。
私はひょっとしたらもう手遅れなのかもしれない。
結婚式はやらなかった。
夫婦ともに人前に立つのがすごく苦手なので、その選択を後悔してはいない。
ただ、もうすぐアラフォーを目前にして、ウェディングドレスを見るとモヤモヤすることが増えた。
テレビのCMや街中のショーウィンドウ。友達から送られてくる写真や絵葉書。
真っ白なドレスを見て嬉しそうに微笑む彼女たちを見ると心がざわつくのだ。
「ちくしょー!うらやましい!私もそれ着て、夫に可愛いって、キレイって言われたい!」
もともと、女性らしい格好は苦手で今もクローゼットには冠婚葬祭以外のスカートは入っていない。子どもの頃からズボンをはいて野山を駆け回る男勝りな子だった。
いつからそうだったんだろうと記憶を掘り起こしてみれば、おぼろげに見えてきたのは幼稚園頃の思い出。
友達がとても可愛いお姫様のようなワンピースを着ていて、自分もそれが欲しいと両親にねだったのだ。両親はその願いを一蹴した。理由は分からない。
それ以降、私は女の子らしい服装を憎むようになった気がする。
手に入らない物に憧れ続けるのは辛いことだからその反動だったのかもしれない。
イソップ童話でいうところのぶどうが食べられないキツネと同じ心理だ。
Wikipedia先生によると「フロイトの心理学では防衛機制・合理化の例とする」とあった。
なるほど。さっぱり分からん。
なにはともあれ、私は女らしさを立派にこじらせたまま大人になり、紆余曲折を経て結婚をした。
そして今頃になって「え?もしかして私、ウェディングドレス着たかった?」と狼狽している訳である。
もちろん今からでも着ようと思えば着ることは可能だ。写真だけで満足すると思うので10万円も出せば簡単に夢は叶うだろう。
しかし。
しかし、だ。
アラフォーババアのウェディングドレスなど正視に耐えないものになるのでは…という恐怖が拭えない。
お姫様に変身した姿を期待して鏡の前に立つ、そこに映っていたのがボストロールだったら…。女性としてのプライドは完膚なきまでに打ち砕かれ、きっと立ち直れないと思う。私はこれまで以上に女性らしさを憎むようになるだろう。
それに夫に何と説明すればいいのか、という問題もある。
今更、ウェディングドレス姿を残したいです、とか恥ずかしくてとてもじゃないが言えない。今まで築いてきた「ウェディングドレス借りるだけで数十万?アホらし。それなら叙々苑で焼肉食べるわー」キャラが、イメージが瓦解してしまう。
もしそこで夫に一笑に付されようものなら、私の女性としてのプライドは(以下略)だし、「お前も女だったんだなぁ(微笑み)」などとしみじみされてしまったら恥ずかしさのあまり死ねる。
夫から突然「結婚記念に写真を撮ろう。どうしてもお前の姿を写真に残しておきたいんだ」と懇願されて、「あなたがそこまで言うなら仕方ないね」としぶしぶ写真を撮りに行く、というのが一番ベストな手段なのだが、世の中そんな都合の良いことが起きるわけはない。
妻に絶対ウェディングドレスを着せたい!なんて思っている男性は現実にはそうそういないだろう。大抵の男性にとっては『結婚式なんて金の無駄遣いだけど、親or彼女(妻)がどーしてもと言うから仕方なくやっとくか』というもののはずだ。
『人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない』
今日、久しぶりに読んだマンガにそう書いてあった。ええ言葉や。確かにそうだと思う。
私は自分の小さいプライドや見栄を気にして、何も犠牲にしないから、何も得ることは出来ないのだ。
20年ぐらい前のこと、読みきりしか載っていない少女マンガ誌があった(今もあるのかな?)
恋愛モノや友情モノが大半を占める中、茶揉みを題材にしたマンガがあった
そう、茶揉み
蒸したお茶っ葉を手で揉んで針状にするあれ
主人公はいちおう少女だった記憶があるが、話のフォーマットとしてはミスター味っ子とかスポ根に近いものだった
ドジっ子女子高生(?)が、すたれつつあった伝統の茶揉みと出会い、苦労の末に技術を身に付けて、茶揉みコンテストで優勝する、とかそんな感じ
コンテストで、ギャラリーが「なんだ、この甘い香りは!?」「うわあ、こんなに美味しいお茶、初めて!」とか言っちゃうような…
恋愛マンガをドキドキしながら読んでいた私にとって、唐突にあらわれた茶揉みマンガのインパクトはあまりにも強烈だった
少女マンガを読まなくなって久しいが、よっぽど印象に残っていたのだろう
新聞の書評で『茶柱倶楽部』なるマンガが紹介されていたのを見て記憶が蘇った
なぜ少女マンガ誌に茶揉みの話が…?
あれはなんだったんだろう…
ひょっとしたら幻だったのかもしれない…