はてなキーワード: 室町時代とは
大河ドラマをきっかけにWikipediaを見ていて、室町時代・足利幕府の混沌ぶりと、その後始末をつけた戦国3英傑は日本を変えたと思った。本能寺の変は、その3英傑が生まれたきっかけだが、主たる動機・要因が分からない。明らかな後継政権による証拠隠滅が感じられる。真相が知りたくて仕方ない。
何とかこの原因を解明しないと、なぜ「東京一極集中」が肯定されるか分からず、少子化による人口減少を食い止める手段はない。東京は、徳川家康の街づくりの影響をまだ引きずっている。徳川家康を関東に追いやったのは秀吉で、秀吉の天下統一は、独裁の織田信長とその家臣が築いた基盤があったから。本能寺の変がなければ、ずっと信長の独裁政権が続いていたはず。
「地方創生」を掲げる地方出身政治家は、政治が小さな国単位だった織田信長以前に戻すのか、大きな国を維持しつつ、大阪・京都・滋賀(近江安土)・名古屋(尾張)・岐阜(美濃)のいずれかに遷都するか、諦めて関東(首都圏)・関西圏・中京圏に日本の全人口を集中させるか、どれがビジョンを示すべき。日本が一応統一され「大きな国」となったのは天正年間で、その時から残る天皇家と元号は何としても守らなければならない。
今後、確実に地震被害が発生するであろう関東にこだわり続けると経済的に終わるし、少子化改善しないと天皇家も終わるし、新型コロナを機に(たとえなかったとしても)、急激な人口減少によって日本人は消えゆく。滅びの美学だからいいのか。今こそ戦国時代の天下統一の影響下から抜ける機会。地方自治を目指すなら道州制(広域エリア制)に切り替え、目指さないなら完全にルール・条件は全国統一して欲しい。現時点で、Uber Eats未導入で、今後2年間に拡大予定のないエリアは、もう人が住むべき街ではない。地方は観光産業だけ残して解体してもいいでしょう。ただし、歴史のある神社仏閣・城その他の名所は残さなければならない。
「しゃもじ」とか「ひもじい」とかの「もじ」って普通に「文字」らしい。もともとこれらは女房言葉・女房詞といって、室町時代初期頃から宮中や院に仕える女房が使い始めた隠語だそうだ。「お」をつけて丁寧にする言い方や、いろんな婉曲用法があるのだけれど、語の最後に「もじ」を付けて婉曲的に表現するのを文字詞(もじことば)と呼ぶらしい。
じゃあ、「〇文字」という言い方に五十音全部あるだろうか。調べてみた。
け、つ、や、はブックマークより。出典は「日本国語大辞典」とのこと。多謝。
あ文字 | 姉 |
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い文字 | イカ、石 |
う文字 | 妻、宇治茶 |
え文字 | エビ、エソ |
お文字 | 帯、恐れ |
か文字 | 髪、母、餅、かたじけない |
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き文字 | 気分、貴~、キツネ |
く文字 | 漬物、還御(尊い人が帰る)、酒 |
け文字 | 健康な |
こ文字 | 鯉、(女房詞ではないが)小麦 |
さ文字 | 魚、サバ、寂しい、ささやかetc. |
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し文字 | ? |
す文字 | すし、推量 |
せ文字 | 世話 |
そ文字 | そなた |
た文字 | タコ、煙草 |
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ち文字 | ? |
つ文字 | ツグミ |
て文字 | ? |
と文字 | 取る、取られる、父 |
な文字 | ? |
---|---|
に文字 | ニンニク |
ぬ文字 | 盗人 |
ね文字 | 練貫(絹織物の一種)、練り絹、ネギ |
の文字 | 海苔 |
は文字 | 恥ずかしい、お歯黒 |
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ひ文字 | 空腹である、「ひだるい」の「ひ」 |
ふ文字 | フナ、文、母 |
へ文字 | ? |
ほ文字 | 干し飯 |
ま文字 | ? |
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み文字 | 味噌 |
む文字 | 麦 |
め文字 | お目にかかる |
も文字 | ? |
や文字 | やりくり、遣り手 |
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ゆ文字 | 腰巻、入浴時の単衣 |
よ文字 | ? |
ら文字 | ? |
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り文字 | ? |
る文字 | ? |
れ文字 | ? |
ろ文字 | ?※ |
※呂の字ならある。キスのこと。「口」の字がつながっていることから。だが女房詞ではない。
わ文字 | わずらい、若者、我 |
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ゐ文字 | ? |
ゑ文字 | ? |
を文字 | ? |
ん文字 | ? |
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ご文字 | 御寮人(女性への敬称) |
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きゃ文字 | 華奢な |
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しゃ文字 | 杓子 |
オバケの「お」の字も出ない、という表現、「オバケ」や「お」を別のにしたのを見かけるけど、どれが一番最初なんだろ。辞書を引くときはどうやって調べればいいのか。「文字」の項目?
幼い頃、母が「あっちゃん、あんころもち、あにぶた、あんこ。あってもあっても、ありきれない」という歌を教えてくれた。この「あ」を、該当する人の名に買えて遊ぶのだが、ネットでは見つからなかった。ローカルネタ?
小説を読んでいるとたまに出てくる言葉で、今まで読み飛ばしていたのだが、改めて調べると面白いことが分かった。
そもそもインド更紗、ジャワ更紗、ペルシャ更紗、シャム更紗など、「更紗」にさまざまな種類があり、なにをもって「更紗」と呼ぶかが一貫していない。一般には天竺風の唐草、樹木、人物などの文様多色に染めた木綿製品を指すが、日本製の更紗には絹地のものもある。
木綿を用いていて、折ることではなく染めることで模様をつけている異国風のもののを、概してそのように読んでいるらしい。元来「日本後紀」によれば、綿の伝来が799年のことだが、栽培方法等がよくわからないままに絶滅してしまったとのことである(そういえば羊も伝来したが根付かなかったし、乳製品は伝統的な日本料理ではほとんど見られない。「醍醐」「酪」の記録そのものはあるのに)。木綿が本邦に根付くのは室町時代を待たねばならない。米作よりも収益性が高いこともあって、江戸中期以降生産が盛んになり、広く普及したそうである。
正字正かな遣いクラスタの用いる言葉がバーチャルすぎて半笑いになる。
本人は格好つけている、あるいは意義があってそうしていると思っているのだろうが、例えるなら日本語の文法がおかしい人が一生懸命頑張ってるみたいに見える。
A時代(明治と大正末だとだいぶ違う。昭和戦前が一番イメージしやすいだろう。江戸時代でも鎌倉時代でもいい)で異なるし、
B書かれる媒体(新聞なのか随筆なのか、個人の日記なのか)で異なる
今でもそうでしょう。
1999年頃の、ギリギリまだ怪しい雑誌に怪しいライターがひしめいていた時代のあの文章。思い出して欲しい。
ちょっとカタカナ混ぜたり、トカ? ゲーム批評のガップ獅子丸みたいな文章。今だいぶ雰囲気変わったでしょう。
逆にいうと、今風の? 切込隊長やよっぴ〜みたいな文章も、ネットで見られる時代の象徴的な文章としてのちに振り返られるかもしれない。
20年でだいぶ違う。
そして、これらの文章はビジネス文章や国会の答弁、ニコニコ動画のコメントなんかとはまた質的にことなる。
当然、歴史のどこかの時期にもこうした現象は発生していて、ほとんどの正字正かな遣いクラスタはその事態に対応できていない。いつどこの文章か定めていない。
自分の、なんとなく知っている文字や用語だけを用いてネットに書き込んでいる。
本人たちは別に自分で用語を選んでいるんだからいいだろ、という認識のようだ。それは別に選択だからいい。正字正かな遣いクラスタをやるのはなんらも問題ではない。
だが、その用語の選択はとても格好が悪い、あるいは選択のセンスが低いということだ。何回も言うけど、任意で日本語のあるバージョンを選択すること自体は別に問題ではない。選び方のセンスがダメ。全くダメ。
新しいジャンルならセンスも何もないのだが、日本語の表現なんていういつもいろんな人間が手を染めてきた分野だから、やってることの格好の悪さが際立つということだ。
例えるなら小学校高学年くらいの時に50音にそれぞれ謎の記号をつけて、オリジナル暗号を書いていた人はいるのではないだろうか。
正字正かな遣いクラスタのやっていることはこれに近い。大人のオリジナル暗号やってるみたいな。
周りの人は「大人」だから読めるし付き合ってやってる。これくらいの格好の悪さ。格好の悪さの格調が低い。
さてどうすればいいのか。私案。
ネットに書く時には様々な制約がある。異体字や縦書き、横書きの制約。「つんぼ」とか差別的な意味合いが深まった表現とどう対峙するか。
俺だったら明治〜大正時代の行政文書、あるいは室町時代の日記あたりで挑戦してみたい。
相当原典にあたり言葉に詳しくならないとならない。「正字正かな」を用いると言うことはそういうことが必要だと思う。
要するに、正字正かな遣いクラスタは、言語や用語にこだわっているように見えて、実態のところ非常に個人的で恣意的な操作をしている。
このアンバランスが最高に格好悪いということ。
まず、この枝では言葉がここ500年で変化したかどうかが議論になっています。ある増田はそんなに変わっていないと言い、ある増田はいや変わっているだろと反論する。
後者の増田は、時間軸だけでなく空間軸でも変化があると論じている。
私はこれらに明確に答えを出せないけれども、二人の言わんとしていることはなんとなくわかる。
これはたしかにその通りで、たとえばwikipediaの「中世日本語」の項目を見ると、「この時期に古代から備わっていた特徴の多くは失われ、現在の日本語にかなり近い形となった。」
とあり、その細かい要件が書かれている。わかりやすい例でいうと、散々古文で苦しめられた「係り結びの法則」が最終的に崩壊するのがこの時期。
私たちが古文で苦しむのは、この時期に古文が古文になったことが関係している。
増田はこの辺りを論点として「変化がない」と主張したのだろう。
ネットで見られる具体的な原典として大英図書館所蔵『天草版平家物語』を見てみよう。
https://dglb01.ninjal.ac.jp/BL_amakusa/show.php?chapter=2&part=1
発音に多少違いはあるのだろうがこれ、令和を生きる私たちも結構読める。
と表題に書いてある。ぜひ原典と対応させて読んでみてほしい。読める。
正長元年ヨリ
ヘカラス
正長元年より先は、神戸四箇郷に負目あるべからず。字の流れ的にはいけなくはない。
前段では意外に室町時代くらいの日本語ならば通じるのではないかという話をしたが、実は通じないかもという話をする。
世話にやはらげたる
のところ。「世話」も「やわらげたる」も現代語でもほぼ通じそうだ。「世話」という言葉は今も使われるし、「やわらげたる」は「やわらげている」とすぐに発想できる。
ただ現代では、直接「世話にやはらげたる」の意味がわからない。
ところが他に「話し言葉、世俗で使う言葉」という意味がある。現代ではほぼ失われた用法だ。
つまりここでは、『平家物語』を(当時の)現代語に和らげて書きましたよ、ということを示している。
つまり、文法は近いけれども、用いられる言葉やその意味が全然異なるのだ。
方言の問題、あるいは発音の差異の問題と絡めて、この点は500年前の人と会話を難しくする要因になる。
二つの異なる意見が、それぞれ正しさを持っていることを見てきた。
見てきた通り、行けそうでもあるし行けなさそうでもある。私は、それでも、いけるんじゃないか、と思っている。
なぜなら日本語には文字がある。それも、平仮名も片仮名も漢字もある。そして、述べてきた通り音もある。
『論語』やそれこそ『平家物語』など、共通の「話題」もたくさん存在する。
これらを駆使して「会話」すれば、互いの言語感覚を調整・修正しながらコミュニケーションを取れるのではないかと思う(そして、当然と言えば当然なんだが平安人より室町人の方が格段に「会話」は簡単だと思う)。
この点は、元増田の「言語的に正しい大河ドラマ」を作ったり私たちが見て楽しめたりできる可能性を肯定する。
字幕入れたり解説入れれば、英語の字幕より近い感覚を持って楽しくドラマを見られるのではないか。
俺は、俺好みの室町の貴族の娘や守護大名、守護代クラスの娘(前髪ぱっつんの「のじゃ」口調の姫(大人っぽくてもロリっぽくても可))が異世界転生して俺の部屋にシュワみたいにやってきた場合に備えて、室町人と対話する準備はできている。
(1)「稲作」が普及した奈良時代まで(100万→500万)
(2)「二毛作」「牛馬の使用」など農業が改革された室町時代終わり(800万→1200万)
(3)「小農の自立」が起きた江戸時代前期(1200万→2500万)
(4)「産業の改革」が起きた明治時代(3000万→6000万)
(5)「経済成長」が起きた戦後(7000万→1億2000万)
となる。
もちろん医療の充実とか社会構造、家族関係などもこの間には変化しているんだけど、こう並べてみると結局「食い扶持」に連動して人口は変化するのだと分かる。社会構造がどう変わろうが、医療がどう進歩しようが、社会全体でその人口を支えられなければ結局人口は増えないし、社会がそれをまかなえる限り、人口は増えていくもののようだよ。
だから、個人的には「●●年後には日本の人口は半減!」とか煽る未来予測は嘘だと思ってる。冨がなければ人は増えない、冨があれば人は増える。多分、長期的にはそれくらい単純に出来てるものみたいだ。
かん水入り麺を使うのって日本のラーメンの特徴であって中国では使われてないんだってな。
そしてかん水麺のルーツは経帯麺という室町時代の麺が最初だそうだ。この経帯麺以前は日本でラーメンが食べられていたという記録はないらしい。
でもさ、だったらそれ作ったヤツなんでかん水入れようと思ったんだろう。
だって中国ではかん水入り麺なんてないんでしょう?そしてラーメン自体当時の日本にはまだ存在してなかった。
だったら最初はオリジナルの製法が伝来して、その後にかん水麺を日本に住む誰かが発明・普及したとかいう流れになるもんじゃないの。
「コレがラーメン?なんか違うんだよなぁ。よっしゃかん水入れたろ!」って全くラーメン知らない奴がやったのかよ。スゲーよその独創性。尊敬する。お前が日本ラーメン界のレジェンドだ。岩明均の漫画に出てきそう。