はてなキーワード: 古今和歌集とは
むかし、かやのみこと申すみこおはしましけり。そのみこ、女をおぼしめして、いとかしこくめぐみつかうたまひけるを、人なまめきてありけるを、われのみと思けるを、又人きゝつけてふみやる。ほとゝぎすのかたをかきて、
ほとゝぎすながなくさとのあまたあれば猶うとまれぬ思ふものから
といへり。この女、けしきをとりて、
名のみたつしでのたおさはけさぞなくいほりあまたとうとまれぬれば
時はさ月になむありける。おとこ、返し、
いほりおほきしでのたおさは猶たのむわがすむさとにこゑしたえずは
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蓬生麻中不扶自直 『荀子』勧学
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南柯之夢 『南柯太守伝』唐 李公佐
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偶来松樹下、高枕石頭眠、山中無暦日、寒尽不知年 『唐詩選・太上隠者作、答人詩』
世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる 『古今和歌集・雑歌』
飛鳥川の淵瀬常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃李もの言はねば、誰とともにか昔を語らん*。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。『徒然草』
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鬼が出るか蛇が出るか (傀儡師口上)
古今如一丘之貉 『漢書・楊惲伝』
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爛柯不識残陽景、後葉空逢七袠霜 『述異記』
精誠所至,金石為開『荘子・漁父』
君子之交淡若水,小人之交甘若醴。君子淡以成,小人甘以壞。 『荘子・山木』
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ゼミでやらされながら短歌も俳句も自分にゃ無理だな!!!となった者だけれど,大事なことは古今和歌集仮名序が既に全部言ってるんだなあ……と思う今日この頃。
やまとうた(漢詩ではない、和歌)は人の心を種として,万のことのは(葉)とぞなれりける。
(やまと歌は、人の心の動きを元にして、様々な言葉になったものである)
世の中にある人事業しげき(繁き・繁樹)ものなれば,心におもふ事を,見るもの聞くものにつけてい言ひだせるなり。
(世のなかにある人は、事象が沢山あるので、心に思うことを、見るもの・聞こえるものに託して言葉に表しているのだ)
ざっくりと言えば,少なくとも心情を情景に託すことが出来ていないか,それが(なるべく初見で)読者に伝わらない句は駄目っぽい。
(終助)
①自分の判断を強く言い切ったり,主張したりするのに用いる。「ぼくの方が正しい」「これならきっとうまくいく」「そら,やる」
②疑問詞と呼応して,反語や疑問を強めるのに用いる。やや文章語的な言い方。「一体だれがこの難問に答えられよう」
(副助)
文中の疑問詞を受けて,不定の意を表す。「だれに聞いてくれ」「なん食べ物はないか」〔の終助詞は近世以降の用法,の副助詞は中世以降の用法〕→ぞ(係助)
ぞ
(係助)〔古くは「そ」。上代から中古にかけ次第に濁音化し,「ぞ」が一般的になる〕体言・活用語の連体形・種々の助詞などに付き,取り立てて強く指示する意を表す。
①一つの物事を特に取り出して強調する。「峰高く,深き岩の中に聖入りゐたりける/源氏物語」「野中に岡だちたる所に,ただ木三つたてる/更級日記」
②文の調子を整えるのに用いる。この場合,動詞の連用形に付き,サ変動詞「する」で受ける。「折りてみば落ちしぬべき秋萩の枝もたわわに置ける白露/古今和歌集」
文末にある場合。その文を強く言い切るのに用いられる。「我をいかにせよとて捨てては昇り給ふ/竹取物語」「この西なる家には何人の住む/源氏物語」→ぞ(終助・副助)
新自由主義を批判していることで知られる、英国の著名な人文地理学者David Harveyは、彼の著書の中で「『個人の自由』を至上の価値に戴く個人や集団は、容易に新自由主義に乗っ取られる」と云う箴言を記しています。
福澤諭吉は、おそらく最も本邦のネットウヨクに人気がある思想家です。福澤諭吉は神仏の類いを一切信じず「人間の在り様は全て『個人の努力』のみによって決定される」と考えるような「近代日本における『自己責任論者』のパイオニア」でした。ですから、巷間よく言われる「ネットウヨクは『保守』ではない」と云う言葉は、正しいと言えると思います。(四書五経や日本の儒学者の著作、仏典、古事記・日本書紀・万葉集・古今和歌集などの国文学等に親しんでいるネットウヨクなどは、ゼロではないでしょうが多数派でもないでしょう。)
その福澤諭吉は、彼の自宅を訪れる人間が貧しかったり地位が低ければ「そいつがそんな状態に在るのは、努力を怠っているそいつ自身の自己責任なのだから、そいつをぞんざいに扱っても構わない」という態度で、わざわざ安物の茶を出すなど対応の仕方を変えていたと伝えられています。
我が国におけるアジア諸国に対する蔑視感情も、福澤諭吉の系譜に連なる「日本は努力して脱亜入欧を果たした。しかし、彼奴等の国は努力をしなかった。だから、オレたちが彼奴等を見下しても彼奴等の自己責任だ」という考えに帰着します。
さて、現在のはてな界隈では「不寛容な(例えば、人権意識が低い)人間に対しては、こちらも不寛容な態度に出ても構わない」とする考え方が主流のようです。
そこで、私個人の考えていることは、
(1) 寛容性は、教育・学習により身につく知的な財産である。
(2)_a 格差社会が深刻化すれば教育・学習格差も拡大して、貧しい教育しか受けられない人間が発生する。
(2)_b 仮に経済的に貧しい家庭ではなくとも、保護者に問題があって、教育ネグレクトや洗脳の状態に置かれれば、学習機会を得られない人間が発生する。
(3) そうして教育・学習の機会が貧しくなり、寛容性を身につけられなかった人間が発生する虞がある。
ということです。なお、(2)_bの教育ネグレクトや洗脳の被害者に対するセーフティネットも、格差社会が深刻化すれば、貧弱なものになると予測されます。
それを踏まえて、ここで私が問いたいのは、我々が不寛容な人間に遭遇した時に「それは、そいつが『不寛容な人間』にならないように努力することを怠った結果なのだから、我々もそいつに不寛容な態度をとっても構わないのだ」とすることが許されるのか?と云う点についてです。
ある人は言うでしょう。「教育・学習の機会が貧しくても、そういう人間の全てが『不寛容』になるわけではない。だから、そいつが不寛容なのは、やはり、そいつ自身の責任なのだ。したがって、こちらも不寛容な態度をとっても構わない」と。
あるいは「こちらが不寛容な態度をとることによって、奴らに目を覚まさせるのだ」と。
かつて生活保護バッシングが起きた時(と言うか今でも現在進行形で起きているのですが)に、決り文句のように言われた/言われるのが「貧しい人間の全てが、生活保護に頼っているわけではない。条件に拘らずに働き口を探せば、生活保護を受けるような貧困状態に陥るはずがない。生活保護を受けるような人間は、そいつが怠惰だからなのだ」とか「生活保護に頼らざるを得ないような、不健康な状態にまで身体を壊したのは、そいつが努力を怠って不節制な生活を送っていたからだ」といった言葉です。
はてな界隈では、リベラルや左派の方が多いので、経済的な貧しさ、疾患・障害などの肉体的な貧しさ等に関しては『自己責任』論者が批判される傾向にある一方で、知的な貧しさに関しては『自己責任』論者となる人が屢々見られるので、私は不思議に感じてます。
以前は「攻撃や争いよりも対話や教育を」という姿勢の方も多数見かけたような気もしますが、最近では「彼奴等は、あんな奴らだから、関わったり対話を試みるのは徒労だ」として、対話の努力を放棄したかのような人も増えたように見えます。
はてな界隈は、個人の自由を重んじる人が多いので、D. Harveyの言うように新自由主義に乗っ取られてしまい、結果として「自己責任論者」が主流となったのでしょうか?
575(+77)のルールでどこまで連鎖を繋げられるか、短い中にどれだけリリックとライムを詰められるかって競技の記録じゃん。
でもそれって詩としてのクオリティが高いかって定規を当てると真に自由なポエムよりも劣ると思うんだよな。
なんか世の中には俳句こそ最高のポエムだぜBUMP OF CHICKENよりも上!みたいな連中がいるんだが、いやBUMP OF CHICKENは置いといて俳句がポエムの頂点だとは思えねえんだけどなって。
日本人は制限をかけたほうが強いって話はあるけどそれって単に制限の中で強いだけで青天井にした途端しょぼーんって萎んでくやつじゃん。
51.平城天皇(806~809)
官司の統廃合、観察使の派遣など行政の立て直しに取り組んだ。藤原薬子を寵愛したが、譲位後薬子の変が起きたため、出家した。
薬子の変を鎮圧。弘仁格式、新撰姓氏録を編纂した。三筆の一人にも数えられる文化人
在位中に令義解が施行され、日本後紀が完成した他、承和の変が起き藤原氏繁栄の基礎となった。医学、書道、和歌など初学に精通した知識人
55.文徳天皇(850~858)
続日本後紀の編纂を開始した。病弱であったため、政治の実権は藤原良房がが握った。
56.清和天皇(858~876)
幼くして即位したため、良房が実権を握り、元服後も握り続けた。在位中に貞観格式が編集された。
57.陽成天皇(876~884)
乳母子を殺す、宮中で密かに馬を飼うなどの奇行が多く、藤原基経に譲位させられた。
58.光孝天皇(884~887)
55歳という高齢で即位し、基経に「実質的な関白として政治を任せた。
阿衡の変により、藤原氏を疎み、菅原道真を重用した。在位中に多くの歌人が輩出され、遣唐使が廃止された。
60.醍醐天皇(897~930)
藤原時平の讒言を信じ、道真を左遷した。在位中に古今和歌集の勅撰、三代実録、延喜格式の編纂が行われ、その治世は村上天皇と共に延喜・天暦の治と称された。
在位中は天災が多発し、平将門・藤原純友が乱を起こすなど、多難な時を過ごした。
63.冷泉天皇(967~969)
病弱であったため、藤原実頼が関白として実権を握った。安和の変の後は、摂政・関白が常置されることとなった。
64.円融天皇(969~984)
藤原氏の政権争いに翻弄され、出家、文化人として風流な生活を送った。
在位中藤原道長が実権を握り、紫式部、清少納言、和泉式部などの文化人が活躍した。
道長の孫。在位中は道長・頼通が実権を握り、藤原氏の全盛期を迎えた。
在位中は頼通が関白として実権を握った
藤原氏を疎んじ、新政を行った。記録所を設け、成功、重任を禁じ、宣旨枡を定めた
在位中に富士山噴火、後三年の役が起きた。譲位後、院生を行った。
在位中は院生が行われたが、藤原師通の補佐により自らも政治に関与し末代の聖王と称された。
譲位後、崇徳~後白河の3代に及ぶ院政を行った。崇徳院を無視して、後白河天皇を即位させたことが保元の乱の原因となった。
鳥羽上皇に冷遇され、譲位させられた挙げ句、息子の即位も阻まれた。これを不満とし、保元の乱を起こすも敗れ、讃岐に流された。死後怨霊として恐れられた。歌人としても名高い。
76.近衛天皇(1141~55)
17歳で亡くなったため、崇徳院、藤原忠実・頼長親子に呪われたのではないかと噂された。
77.後白河天皇(1155~58)
保元の乱で崇徳院を破った後、譲位し院政を行った。平治の乱、治承・寿永の乱、鎌倉幕府成立などの激動の時代の中、権謀術数を巡らせ朝廷権力を維持した。
78.二条天皇(1158~1165)
崇徳院の子を差し置いて、皇子になったため、保元の乱が起きた。即位後は後白河院の院政に抵抗するも病気のため叶わなかった。
自身への敵対勢力に擁立されることを恐れた後白河院によって、わずか4年で譲位させられた。
80.高倉天皇(1168-80)
81.安徳天皇(1180~1185)
壇ノ浦の戦いで入水した。日本史上最も短命な天皇で、わずか7歳で崩御した。
82.後鳥羽天皇(1183~98)
譲位後、土御門~仲恭の3代にも及ぶ院生を行う。承久の乱に敗れ隠岐に流された。
父である後鳥院とは不和で承久の乱にも加わらなかったが、自ら望んで土佐に流された。
85.仲恭天皇(1221)
わずか10歳で即位したため、天皇になったことのない守貞親王が後高倉院として異例の院政を行った。
滑石を用いたいたずらが原因で転倒し崩御した。
88.後嵯峨天皇(1242~1246)
譲位後、2代にわたる院政を行った。死に際して、帝位継承者決定を幕府に委ねるとしたため、南北朝問題の原因となった。
90.亀山天皇(1260~74)
大覚寺統いわゆる南朝の祖。父後嵯峨院に愛され、兄後深草院を差し置いて子の後宇多天皇を即位させたため、南北朝問題の原因となった。譲位後南禅院を建立
91.後宇多天皇(1274~1287)
大覚寺統。在位中に元寇があった。譲位後、持明院統の伏見天皇を即位させるが、続いて持明院統の後伏見天皇の即位には反対したため、両統送立が始まった。院政を行うが、後醍醐天皇と対立し、政治から身を引いた。好学の天皇として知られる
93.後伏見天皇(1298~1301)
譲位後、院生を行う。元弘の乱後、東国へ逃れるも捕らえられ出家した。
94.後二条天皇(1301~08)
大覚寺統。持明院統から2代続いて天皇が出たことに後宇多院が抗議したため、幕府の計らいで即位。両統送立が始まった。
95.花園天皇(1308~1318)
鎌倉幕府打倒に貢献した後、建武新政を行う。足利尊氏に敗れ吉野に逃れ南北朝時代が始まる。
高師直に攻められ賀名生に逃れる。一度京都を奪還するもすぐに北朝に奪われた。その後も京都回復を狙い、各地を転戦するも果たせなかった。
98.(南3)長慶天皇(1368~1383)
和歌を愛し、五十番歌合、五百番歌合などを催した。
足利義満の誘いの応じて、南北朝の和解を実現。しかし、義満の死後冷遇され、和平の条件であった両統送立も果たされなかった。
後醍醐天皇の失脚を受けて即位したが、鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐の廃位と光厳の即位が否定された。
足利尊氏の擁立により即位。譲位後、観応の擾乱によって南朝に捕らえられるが後に解放された。
北3.崇光天皇(1348~1351)
北4.後光厳天皇( 1352~1371)
後村上天皇の一統が破れると、足利市に擁護され即位した。南朝の攻撃に遭い、美濃・近江などに逃れたこともあった。
北5.後円融天皇(1371~1382)
家近良樹『歴史を知る楽しみ』(ちくまプリマー新書、2018年12月)
石川松太郎監修・小泉吉永編集『女大学資料集成〈別巻〉』(大空社、2006年)
伊藤セツ『山川菊栄研究――過去を読み未来を拓く』(ドメス出版、2018年12月)
今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』(ベストセラーズ、2014年)
岩田真美・桐原健真編『カミとホトケの幕末維新』(法蔵館、2018年11月)
大塚英志『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』(星海社新書、2017年)
小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川学芸出版、2016年)
金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』(慶応義塾大学出版会、2017年)
上條宏之『絹ひとすじの青春――『富岡日記』にみる日本の近代』(NHK出版、1978年)
神谷大介『幕末の海軍――明治維新への航跡』(吉川弘文館、2018年1月)
神谷大介『幕末期軍事技術の基盤形成――砲術・海軍・地域』(岩田書院、2013年)
佐々大河『ふしぎの国のバード』1~3巻(ハルタコミックス、2015~16年)
サビーネ・フリューシュトュック他編『日本人の「男らしさ」――サムライからオタクまで 「男性性」の変遷を追う』(明石書店、2013年)
篠田信一『殴り合う貴族たち――平安朝裏源氏物語』(柏書房、2005年)
中公新書編集部編『日本史の論点――邪馬台国から象徴天皇制まで』(中公新書、2018年8月)
内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書、2019年2月)
中野節子『女はいつからやさしくなくなったか』(平凡社新書、2014年)
長山靖生『帝国化する日本――明治の教育スキャンダル』(ちくま新書、2018年9月)
本郷和人『戦いの日本史 武士の時代を読み直す』(角川学芸出版、2012年)
松浦だるま『累』全14巻(イブニングコミックス、2013~18年)
宮地正人『日本史リブレット人68 土方歳三と榎本武揚 幕臣たちの戊辰・函館戦争』(山川出版社、2018年8月)
森正人・鈴木元編『文学史の古今和歌集』(和泉書院、2007年)
山川菊栄記念会・労働者運動資料室編『イヌとからすとうずらとペンと 山川菊栄・山川均写真集』(同時代社、2016年)
山本ルンルン『サーカスの娘オルガ』第3巻(完)(ハルタコミックス、2019年)
吉田麻子『知の共鳴 平田篤胤をめぐる書物の社会史』(ぺりかん社、2012年)
和田裕弘『織田信忠――天下人の嫡男』(中公新書、2019年8月)
渡部周子『〈少女〉像の誕生――近代日本における「少女」規範の形成』(新泉社、2007年)
渡邊大門『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』(PHP新書、2019年9月)
渡辺尚志『江戸・明治 百姓たちの山争い裁判』(草思社、2017年)
★再読★
鬼頭宏『日本の歴史19 文明としての江戸システム』(講談社、2002年)
ニコライ著・中村健之介訳『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫、1979年)
中屋敷均『ウイルスは生きている』(講談社現代新書、2016年)
家近良樹『歴史を知る楽しみ』(ちくまプリマー新書、2018年12月)
石川松太郎監修・小泉吉永編集『女大学資料集成〈別巻〉』(大空社、2006年)
伊藤セツ『山川菊栄研究――過去を読み未来を拓く』(ドメス出版、2018年12月)
今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』(ベストセラーズ、2014年)
岩田真美・桐原健真編『カミとホトケの幕末維新』(法蔵館、2018年11月)
大塚英志『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』(星海社新書、2017年)
小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川学芸出版、2016年)
金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』(慶応義塾大学出版会、2017年)
上條宏之『絹ひとすじの青春――『富岡日記』にみる日本の近代』(NHK出版、1978年)
神谷大介『幕末の海軍――明治維新への航跡』(吉川弘文館、2018年1月)
神谷大介『幕末期軍事技術の基盤形成――砲術・海軍・地域』(岩田書院、2013年)
佐々大河『ふしぎの国のバード』1~3巻(ハルタコミックス、2015~16年)
サビーネ・フリューシュトュック他編『日本人の「男らしさ」――サムライからオタクまで 「男性性」の変遷を追う』(明石書店、2013年)
篠田信一『殴り合う貴族たち――平安朝裏源氏物語』(柏書房、2005年)
中公新書編集部編『日本史の論点――邪馬台国から象徴天皇制まで』(中公新書、2018年8月)
内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書、2019年2月)
中野節子『女はいつからやさしくなくなったか』(平凡社新書、2014年)
長山靖生『帝国化する日本――明治の教育スキャンダル』(ちくま新書、2018年9月)
本郷和人『戦いの日本史 武士の時代を読み直す』(角川学芸出版、2012年)
松浦だるま『累』全14巻(イブニングコミックス、2013~18年)
宮地正人『日本史リブレット人68 土方歳三と榎本武揚 幕臣たちの戊辰・函館戦争』(山川出版社、2018年8月)
森正人・鈴木元編『文学史の古今和歌集』(和泉書院、2007年)
山川菊栄記念会・労働者運動資料室編『イヌとからすとうずらとペンと 山川菊栄・山川均写真集』(同時代社、2016年)
山本ルンルン『サーカスの娘オルガ』第3巻(完)(ハルタコミックス、2019年)
吉田麻子『知の共鳴 平田篤胤をめぐる書物の社会史』(ぺりかん社、2012年)
和田裕弘『織田信忠――天下人の嫡男』(中公新書、2019年8月)
渡部周子『〈少女〉像の誕生――近代日本における「少女」規範の形成』(新泉社、2007年)
渡邊大門『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』(PHP新書、2019年9月)
渡辺尚志『江戸・明治 百姓たちの山争い裁判』(草思社、2017年)
★再読★
鬼頭宏『日本の歴史19 文明としての江戸システム』(講談社、2002年)
ニコライ著・中村健之介訳『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫、1979年)
中屋敷均『ウイルスは生きている』(講談社現代新書、2016年)