はてなキーワード: ヴィジュアルとは
俺が見たいものは一般のみんなが見たいもの理論で、普通中の普通の人を監督に任命して、上がってくるシナリオや脚本や映像を「普通に面白いか」という視点でジャッジしていくだけで、普通に面白いものが出来上がるはず。
それはさすがに無理。監督が「普通の観客の視点」を持っていなければならないのは確かだけど、その視点でおもしろいものを「作る」のにはただの観客には知り得ない全く別のノウハウがある。
増田は監督を「スタッフが上げてくる素材にyesかnoか言うだけ」のように思ってるかもしれないけど、まあ表面的にはそう言えなくもないんだけど、難しいのは「あらゆるディテイルに関してyesかnoかを判断すること」だ。完成した映画一本を観てそれがおもしろいかつまらないか言うのは普通の人にもできるだろう。でも、他の映像が出来ていない段階で、上がってきた30秒の映像にokを出すには、あるいは撮影時の役者の一言の言い回しをokかngか判断するには、さらに遡って、ヴィジュアルなイメージも無い、配役も決まって無い段階で脚本の一行に込められた意味を判断するには、「まだ具体物が出来ていない段階で全体を見通した基準を頭の中に作る」ことが必要だ。それはスキルの要る専門職だよ。そんで熟練した監督であっても作ってみないとわからないことってのはあって、作ってみたらあの時のあの判断はやっぱり違ってたとか、あの時見逃していたディテイルが結構重要だとわかったけどそれが甘いために全体がユルくなった、とかいうことが起きる。
一旦全部作ってからやっぱりだめっつって直すってことを無制限に出来るなら普通の人を監督に据えてもいいかもしれないけどね。それは無理な前提だから。
で、邦画の現場は知らないので憶測になるけれど、業界が小さいために、ちゃんと育成する体制がないこととか、製作にあたっての健全な競争が少ないことがあるんじゃないかと思ってる。その条件で頑張ってる知人もたくさんいるので外野から批判したくはないのだけれど、米国の現場と比べるとやってくのは色々難しそうだなあと感じることが多い。
少ない女性ゲーマーとの共通の話題だし、面白いと感じることができればいいなと思って1本始めてみたけど(もはやタイトルすら忘れた)気持ち悪いというか、寒いというか、シラケるの一言。
まず設定が寒い。
「華道家元」「某国の王子」「モデル」「天才のショタ」とかいう特殊なポジションの方々がなぜかこぞって最初から主人公の事が大好き。
どこのハーレクインだよ。
ヴィジュアルも、無駄に長髪が多かったり、髪の毛が半分色違うとかピエロかよと思う人達だったり、
確かにイケメンはイケメンなのかもしれないけれど、なんというか狙いすぎて寒い。
これは女性キャラにも言えるけど、いかにも萌えで、ロリで巨乳でツンデレとかいうコテコテの設定だと萎える。
乙女ゲーにはそういうテンプレみたいなキャラが多い。ほんと設定見てて萎える。
ゲーム性も酷い。これは基本無料ソシャゲだったから多少はやむを得ないにしても、
突然学校の廊下とかで、主人公の愛をかけた男同士のバトルが始まる。
お前誰だ?ってキャラが登場するし、女の「私のために争わないで〜」的なポジションがくっそムカつく。
初代ときメモはプレイしたことがあるんだけど、髪の毛はやたらカラフルで紐尾さんみたいなちょっと飛んだキャラもいたけど、そんなに嫌だと思ったことはないんだよね。
特にギャップの見せ方は上手かった。お嬢様に見えた鏡さんが実は面倒見が良かったり、スポーツ万能の清川さんが乙女な一面を持ってたりする特徴がふせられてて、仲良くならないと見れないというのが良かった。
決して最初から「クールなのに甘いものが大好き」とかさらけ出したりはしていない。
自分はもしかして男性を恋愛対象として見れなくてこんな文句たらたらなんだろうか。でも女性が好きというわけではないし…
たまたまクソゲーに当たっただけで、それこそときめもGSとかなら楽しいんだろうか…
なんか色々考えてしまう。
「人は五感で感じないと感動しない」:アマナグループ CEO 進藤博信に訊く、ヴィジュアル・コミュニケーションの未来
http://wired.jp/2014/04/12/amana-ceo-interview/
この違いは何だろうって思いますよね。みんながいいっていう写真が3万円で、片や、パッと見でいいとは思われない写真が2,200万円。なぜこんなことが起こるかというと、それは、いま風に言うと「コンテンツがコンテクスト化されている」からだとぼくは考えています。(中略)そういったコンテクストは人がつくり出していくもので、この先アマナは、コンテンツばかりではなく、コンテクストをつくり出していく仕事をもっと担うべきだと思っているんです。
これってみんなが価値のないと思っているもの、つまり真の価値がないものに対して、コンテクストやらブランドやらで価値を無理やりつけて高く売ろうぜってこと?
ビジネスとしてはそうすべきだと思うけど、それって彼らが言う"アートフォト"じゃないよね。それこそコマーシャルフォト(商業用写真)だと思う。こうしてつまんない写真が日本にあふれていくんだろうな。
ずっと考えてたんですけど、春香と優ちゃんではどっちが先に妊娠するんでしょう。二人の感情が唇という一点に集中し、唾液という名の潤滑液を通して頻繁に行き来するこのえろい状況で、おそらく唾液は精液のかわりになって子宮に着床、女の子どうしでも妊娠は可能になるはずです。そう考えると、あとは気持ちの問題なので、どっちがより強く妊娠したいと願っているかが問題になるわけです。
自分としてはだんぜん春香が妊娠するほうを推します。ただしヴィジュアルとしては優ちゃんのおなかがらーじぽんぽんになっちゃうのはものすごくえろいと思うので、二人とも妊娠すればいい!とかも思いました。
それにしても優ちゃんと春香がどこでもちゅっちゅするのは大変なことだと思いました。恋愛感情が明示されない状況で繰り返されるキスは、つまり性欲の所産であり、キスは即セックスです。キス即セ。セックス即キスキス。世界でいちばん腐った般若心経を唱えつつ、約束のニルヴァーナに還ろうと思います。「即」しかあってねえ。ありがとう、ありがとうワールド。
AKBは日本の現代社会の考察対象としての興味は強くあったが、メンバーそのもの自体にはあまり興味がなかった、しいて言うなら峯岸みなみが好きだった。
彼女の顔が好みだったというのもあるが、彼女の自分を下げるようなことをしてまで笑いをとるサービス精神が気に入っていた。
それは彼女の持つ、一種の愛に対する不安感がそうしているのではないかと思っている。心の奥底で、しっかりと安心した愛を受け取れなかった寂しさ。
しかし、その行為は、彼女に備わる本質的な優しさがそうしているのだと思うのだ。
実存的な不安から来る愛の渇望を埋める方法は人それぞれ違う。他人のことをわがまま放題に振り回したり、異様に執着したり。多くの場合はそうなる。
だけど、彼女は意識的ではないだろうが、自己犠牲を選んだ。自己犠牲なくして、何が本当の優しさなのか。
女性特有の利害関係への敏感さを標準以上に持つ他のメンバーの対して、異彩に存在していると感じていた。
彼女にたいする愛はこのへんにして、本題に入ろう。
今回の坊主謝罪問題は、AKB48というゲームを破壊するほどの衝撃がある。
「恋愛禁止」は、ファンと運営の間にある馴れ合いの果てに生まれたルールだ。
恋愛という実に個人的な出来事を、仕事であるアイドル活動に結びつけるのは、昔からあるアイドルの伝統ではある。
しかし、そういった不文律だったのものを、はっきりと打ち出したことは、AKBの大躍進の起爆剤になったのは間違いないだろう。
アイドルに抱く願望を、はっきりと約束してくれる。これは最初は一種のネタのようなものであったようだが、徐々にファンと運営の間での前提となっていったようだ。
ファンと運営との馴れ合い(ふれあい?)は総選挙やじゃんけん大会などがファンからの要望を答える形で誕生したように、AKBの伝統なのだろう。
そのファンと運営とそれをとりまくメディアとの馴れ合いのゲームそのものが、AKBというプラットフォームであり、彼女たちはゲームのキャラクターのように象徴化されて愛された。
そのゲームが現実にならないようにするには、彼女たちに生身の人間としての行動を許してはならない。それが恋愛禁止へと至ったのだと思われる。
しかし、今回の峯岸みなみの事件は、その関係に亀裂を生じさせる始まりになるのではないか。
これはゲームに熱中しすぎて、ゲームそのものが成立する条件を破壊してしまうということだ。
例えば、こういう経験はないだろうか。子供の頃、友だちとふざけてじゃれあってる時に、徐々に叩き合いになり、そして、ある瞬間一線を超えて喧嘩になる。
あるいは、文化祭の準備で、実行委員長が本気になりすぎて周りが引いてしまう。
ゲーム(遊び)が成立していた関係性や暗黙の了解が、参加者が過熱しすぎることで暴走し、破壊されてしまう。
これと似たようなことが、今回の事件で起こった。
AKBの人気が頂点を極め、ショービズの世界に巨大な化け物ように君臨した時、自分たちの成功法則の一つ、恋愛禁止のルールの存在が大きくなりすぎてた。
それは過去のメンバーへの激しいバッシングや、脱退や移籍などの処罰(人間的行為なのに!)を受けたのを見ればわかるだろう。あれほどの人気を持ちながら、その地位を奪うほどだ。
前田敦子なんて、恋愛禁止がいやで脱退したと言われるほどだ。それほどのことなのに、誰もそれを批判しない。まさにゲームが行き過ぎて暴走していた状態だ。
彼女が実存的な不安を抱えていると想定すると、きっと自分の居場所が消えてなくなるほどの強いショックを週刊誌を読んで感じたのだろう。
それがパニックとなり衝動的に坊主にしたのだろうと思っている。運営が事前に知ってたら絶対こんなマイナスなイメージを与える結果になるようなことはさせない。
坊主にしなければ許されないと彼女を追い詰めるほど、恋愛禁止ルールは暴走していたのだ。
そして、多くの人が後味の悪い気持ちになる。恋愛禁止を旗手にもってそれを犯したメンバーをバッシングしていた人も、今回は彼女に拳を振り下ろすことに躊躇するだろう。
なぜなら、自分が人を追い込んだことを坊主というはっきりとわかるヴィジュアルで見せられたら、さすがに自分がこれからやろうとすることの意味に気づいてしまう。
そして、それまで白熱していたことが、ゲームだったことに気づいて覚めた気持ちを抱くのだ。ネタだったものがマジになっていき、そして行き過ぎた時にネタだったことを思い出す。
あるいは、からかって遊んでいるつもりが、いつの間にかいじめになり、相手がひきこもりになってようやく自体を理解するような。
一度人はゲームに覚めてしまうと、なかなかまた再熱中出来ない。
もしかしたら、今回の事件がきっかけに、AKBは崩壊するかもしれない。
そして、今の芸能界と日本に漂う、自己増殖的に増えるゲームが、崩壊するきっかけになるかもしれないなんてのも思う(話を広げすぎだけど)
音楽評論家の宇野功芳に「メータ(注:インド出身の指揮者)のブルックナーなど聴くほうがわるい、知らなかったとは言ってほしくない」という言葉がある。
その言葉にならうのであれば、本作を過剰に批判する側にも、称揚する側にも、「ヱヴァンゲリヲンはそういうものなのだ。知らなかったとは言ってほしくない」の言葉を添えたい。
「Q」はアップデートされた「エヴァ」であるから「旧作の狂気が帰ってきた」と称揚する評は間違っている。「意味がわからない、映画としての書法をなしていない」との評価も間違っている。
その言葉は伊達ではなかったと、冒頭シーンで感じないものがいればそれは不感症なのだ。
あの冒頭シーンを見てこの作品を全否定するその神経が分からない。
状況の分からない空間戦闘からNノーチラス号の発艦シーンまでの息詰まる緊張感と圧倒的なヴィジュアルにため息をつかないものがいるとすれば、それはブーレースの演奏するマーラーを前に「精緻にすぎる」などと見当外れの批判をする童貞クラヲタのようなものだ。
圧倒的な美しさ、スタイリッシュさ、その疾走にはに頭を垂れるしかない。涙は追いつけない。
参照される古今東西の映像作品の断片に庵野の美意識が振るわれ、結晶として屹立するその様はベルント・アロイス・ツィンマーマンの音楽を思わせる。
あるとすれば、脚本、演出による。
いくつか代表的なものあげてみよう。面倒なので3点に絞る。
1.いみがわからない
私も意味がわからなかった。もう自己パロディとしか思えないほどのとっちらかった謎、伏線、設定に呆然とする気持ちはわからないでもない。
しかし、こうした要素は「わからない」ことも含めて、自らを「サービス業者」と規定する庵野の「サービス」であり、そのインタビューにもあるように「酒のツマミ」として楽しむべきものなのだ。すでに2ちゃんには解釈をめぐりいくつもの「名解釈」が登場している。そこにエヴァの本質はないのでその解釈論争の成立自体「そういうもんだ」と楽しむのが正解だ。「しらなかったとは言ってほしくない」
だいたい、我々が生きているこの世界自体、意味がわからないだろう。
2.登場人物の行動に整合性がない
そうだろうか。ある程度登場人物のおかれた状況に寄り添って、「補完」すれば整合性は保たれてはいないか?たとえば「破」で「行きなさいシンジくん」と煽ったミサトが「Q」で別人のように冷淡だというのも「ミサトの14年間の辛苦」といったものを忖度すればあながち整合性がとれないわけでもない。
だいたい、我々が生きているこの世界の人物自体、行動に整合性がないだろう。
3.リアリティにかける
ゲンドウと冬月の「二人のネルフ」はどんな金で動いてるんだとか、吹きっさらしのグランドピアノがなんであんなに綺麗なんだよ普通弦さびるだろとか、まぁ分からないでもない。
しかし、エヴァとは「私小説」なのだ。プライベートフィルムにおいて、美意識と表現される「わたくし」の前に「世界」のリアリティはある程度犠牲になるのだ。
つーか、あの廃墟、ぐっとくるじゃん。それでいいんだよ。
だいたい、我々が生きているこの世界の自体、リアリティがないだろう。
どこ見てんのかね。この「狂気」は完全に「作った狂気」だ。綺麗にまとまりすぎているし、旧劇場版のアドリブ奏法のようなどこに行くのかわからない狂気ではなく、計算された狂気だ。
「序」と「破」をいったんたたき壊すための仕掛けであり、旧劇場版の「狂気」に魅せられて未だに90年代から一歩も動けていないものへの「釣り針」だ。
この作品は「シン」へのかけ橋である以上、注意すべき点は以下の3点に絞られる
・旧劇場版とほぼ同じ立ち位置にいる「無限に後退していくシンジ」をQで再度設定しながら、決定的に違うのは旧劇場版のシンジの周りにはダメな大人と壊れたアスカしかいなかったのに、新劇では導き手としてのアスカとマリが設定されていること。
・旧劇場版で「鬱シンジ」を否定し、「序」、「破」で設定した、ポジティブな「シンジさん」(セカイよりもポカ波を選んだシンジ)も「Q」で全否定したこと。
・露悪的な破壊の中で、通奏低音のように「やり直し」「成長と大人になること」「社会とつながること」を流していること。
上記を踏まえると、庵野<旧劇場版で引導を渡したはずの「エヴァ」に依存するヲタク>をもう一回、別のアプローチで説教しようとしているように見えて仕方ない。ヒントは同時上映された「巨神兵、東京に現る」に流れていたようにも思える。
我々は上記3点の「伏線」に「シン」でどうオトシマエが付けられるのかを見守るべきであり、やはりつまらぬ結論ではあるが、それまで判断を留保すべきなのだ。
浜田「ものすごいファン これどゆこと?」優木「これも?ガクトさんですね!」
Gackt「ボク?あ~ボク。あ~ボク。あっ、あ~あ~あれなんですよ、バンドの時に~」
Gackt「昔マリスミゼルっていうバンドやってて。当時ヴィジュアル系のバンドが腐るほどいたんですよ」
浜田「なるほどなるほど!」
Gackt「で、そのころに、全国的にいた有名な・・まぁ・・その・・・グループを組んでいる、チームの女の子達がいっぱいいたんですよ。」
Gackt「まぁファック隊って言うんですけど。」
一同爆笑
優木「wwwwwwwwww何そのファック隊って!wwwwwww」
浜田壁を殴る
浜田「なんやねんwwwwwwww」YOU「そうなっちゃいますね。」
Gackt「まぁ、あの、一応全国にいるんですよ(笑)」優木&YOU「うわ~うわうわ怖い怖い怖い」
浜田「そうか色んなところでライブするから その土地土地にファック隊がおるんねや」
Gackt「あの~ボクらライブハウス周るじゃないですか。で、ボクらだけじゃなくて、そのヴィジュアル系のバンドって全部周るんで、
もう北海道ファック隊まぁ札幌ファック隊函館ファック隊とか・・もういっぱいいるんですよ。」
一同爆笑
浜田「あっちはええことしとんやからwwwwまぁファック隊もええことしてんのやけどwwww」優木「響きだけでwwwww」
Gackt「だいたいライブをやると、わかるんですよ。ライブハウスの、あの~前には・・前から、
一番後ろのちょっと前くらいまではファンの子たちがすごい勢いでノってるわけじゃないですか。」
浜田「もう熱狂的に、こう~見てるわけや」
Gackt「一番後ろの一列だけ、その・・スーツを着た女の子達で、髪の毛を立ち上げてる子達で、完全に・・・一応来てはいるんだけど、
"私達は全然違うのよ"みたいな。で、こうパッとそこに目線をやると、こう顔を上げるんですよ(笑)(顔を斜め上に上げるしぐさ)」
浜田「フフッwwwwwwww」Gackt「何だコイツらwwwとか思って」
浜田「ハハハハハハwwwwwwww」陣内「そうですねぇ~!」
Gackt「で・・当時ファン打ちっていうのが結構普通で、ファンの子達と合同で打ち上げをやることがよくあったんですよ。」
一同「へぇ~!」
Gackt「で、そこで、何故か・・・その・・・ファック隊達の子がいるんですよね。」
浜田「そらそうでしょ~・・そこには絶対に~・・」
Gackt「で、狙ってたんですよ。メンバーを。それで、ボク・・その・・ファン打ち結構苦手で、もう露骨に来るんですよ。
ファック隊の子達も。で、良くいつもメンバーに『先上がるわ・・』て言って、上がってたんですよね。」
浜田「あっ、ガクちゃんはファック隊にはお世話になったことは無いわけ?」
Gackt「駄目だったんですよ。あの・・・何かこう~露骨なんですよね。」
浜田「まぁ他にもバンドがいっぱいあるから、そいつらはまぁ色々こう~お世話になったりして・・?」
Gackt「・・・・でもあの~・・岡山で・・・まぁ抜けて。(ファン打ちを)」浜田「まぁ一人でね」
Gackt「バーに行って、まぁ飲んでたんですよね。したら横にすーごい綺麗な女の子がいて。この子可愛いなぁー・・と思って、
声かけて、『ちょっと一緒に飲もっか。』って言って飲んでて・・・そのまま連れて帰ったんですよ。」浜田「おぅ!連れてかえろ!wwww」
Gackt「部屋で・・まぁちょっと喋って。」浜田「おぅ~!喋ろう!」一同「wwwwwwwwwwww」
Gackt「・・・で、先にシャワー浴びて来いって言って浴びてたんですよ。」優木「浴びて"こい"ってww」
Gackt「そしたら目の前に・・テーブルの上に、その子の手帳が置いてたんですよ。」一同「おおww」
Gackt「で、こう普通に全然関係無いページが開いてたんですけどやっぱりああいうのって、いつも開いてるページに開くじゃないですか。
こう(ページがめくれるジェスチャー)」
YOU「癖がね。癖が。」大沢「サラッと!」優木「型がついちゃってますからね。」
Gackt「途中でピタッピタッピタッってなって、ピタッって止まった瞬間に・・・・こう・・・・バンドの名前がものすごい勢いで書いてあるんですよ。」
Gackt「そこには、あの・・・マリスミゼル。うちのバンドですよね。には空白だったんですよ。
これ一体なんだろうな・・・・って思ってて、でハッと思って、ファック隊だ・・・・!と思って。」
一同爆笑
Gackt「あの、そこの・・・用はそのバンドの名前と、バンドのメンバーの名前と、そのメンバーの横に正の字が書いてあって。」
一同「ええええええええこっわ~」浜田「なるほど!!」陣内「すごいなぁ・・・・」
Gackt「バンドの名前が書いてあってぶわーっとこうリストになってるんですよ。ショックで。」
浜田「やばいでー!wwwwwファック隊にやられるでー!wwwww」大沢「シャワー逃げろシャワー!!」YOU「逃げろー!!!!!」
陣内「でもシャワー浴びてるんでどうするんですかガクトさん!!」
Gackt「とりあえず出てくるじゃないですか。でもそれまでは、バンドなんか全然興味無いみたいな顔だったんですよ。」
浜田「バーの時はね。」
Gackt「ええ。で、バッと見せて(手帳を)何なんだコレ(笑)って。お前ファック隊だろって。」
浜田「ハハハハハハハwwwwwwwwwwww」優木「言ったんだ~!」
YOU「刑事みたい!刑事!カッコイイwwwファック隊だろ!ww」(梅沢辰夫が腕組んでて怖い)
Gackt「じゃあ・・とりあえず・・嘘はいいから、もう本当・・・この名前は・・・『これはした相手だろ』」
浜田「なるほどね。正の字もあるし!」Gackt「したら、『そうだ』と。」浜田「あ~・・・吐いたか!」
Gackt「でもその中には(失笑)ボクの信じられないくらいボクの知ってるバンドが、メンバーが。まぁもちろん友達もいるわけじゃないですか」
浜田「wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
Gackt「友達の名前も全部そこに載ってて。」一同「へぇえぇええええーー・・・!」
Gackt「でー・・それは言えないですけど、もうあまりにもショックで。」
浜田「うん。やっちゃった?(その綺麗な子と)」
一同爆笑
浜田「wwwwwwwww泣きながらやっちゃった?wwwwww」
YOU「そっちですかぁー?!」
浜田「wwwwwwww」
Gackt「(笑)ボクはさすがに、やっぱり・・みんなの弟になるのは・・やっぱ嫌じゃないですか!」
浜田「アッハッハッハッハwwwwwww」
YOU「順番かぁ~。」陣内「ガクトさんから声かけるくらいの美女やったんでしょ?」
Gackt「うんすごい綺麗な子だったんですよ。すごい綺麗だったんですけど、でも良く見ると、例えばこの有名なバンドの、
例えばボーカル、ギター、ギター、ベース。名前書いてあるんですけどドラムの名前が入ってなかったりとかwww」
浜田「なるほどなるほど」
浜田「おい!wwwwwwわかった今ので!!wwwwwwww」
Gackt「wwwwwwwwwwww」
一同爆笑
陣内「ガクトさん何となくわかりました。」YOU「まぁじっすかぁー」陣内「何となくわかりました。大ヒント。」
Gackt「そういえばいっぱいあったんですよ。」
Gackt「でもうちの・・一応バンドのメンバーの名前は入ってなかったんですよ。」
浜田「なるほど。」YOU「そこにガクト一!って」浜田「すごいなぁー危ない危ない」YOU「怖ーいねぇ~・・・」
優木「すごいのがいるなぁ~」陣内「そのファック隊はそこにガクトさん来るのわかってたんですかね?」
Gackt「いや、多分たまたまだと思うんですけど。う~ん。」
YOU「つけてたんですよ~」陣内「つけてたのかもしれないですね~」
浜田「そりゃそやわ~・・・・声かけてきたからキター!て思たんかもわからへんで。」
Gackt「ボクはそのファック隊にすごい敏感になっちゃって。行く土地行く土地ファック隊いっぱい
いるんですよ。で、その子から情報もらって、何処にどういう子達がいるのか?ってことを聞いたら、」
Gackt「すごい数で。何故かわかんないけどボクらが泊まってるホテル全部知ってるんですよ」
優木「えー怖いー><」
浜田「ガクちゃんそれちなみにファック隊って誰がつけたの?」
Gackt「(笑)ボクが東京来てバンドやる時にはうちのメンバーに説明されたんですよ。」
Gackt「これから、まぁ神戸に行くけど、『神戸ファック隊がいて!』」
浜田「wwwwwwwwww神戸ファック隊wwwwww『京都ファック隊!』ww」
Gackt「もうすごい色んなところにファック隊がいるんですよ。で、『まぁ綺麗だけど・・・後でややこしくなるから、手は絶対に出すな』と」
優木「すっご~いwwwwww」YOU「そんな全国にそんな"隊"があるとはすごいですねー。」
Gackt「いや・・・今はもう一回ヴィジュアルブームっていうのが落ちちゃったんで。それと共にいなくなっちゃってると思うんですよ。」
浜田「そりゃそうやんな。イトキン(?ET-KINGの禿げ)なんか周りにおらへんやろ。ファック隊。」
禿げ「ファック隊はおらんすねー」
一同爆笑
早すぎる一般化は危険だ。
あとで意味を解説するが、そのことを踏まえた上でぼくは仮説を立てよう。
「ぼくは人が好きなわけではないかもしれない」という仮説だ。
ぼくは坂本龍一の書いたDNA/Introという曲が気に入っていて、見つけたその時からほとんど毎日この曲を聴いている。半年の間ずっと。
いつも飽きっぽいぼくがたった11分ほどの一曲をそうまでして愛でるようになったのは、これまでの人生史上かつてないことだった。
耳から入ってくるそのふるえこそが、ぼくにとっての音楽のほぼ100%を占めていて、それ以外の情報は瑣末なものとしてしか扱っていなかった。
みんな誰もが知っているであろうクラシックの名曲、古典と言われる振動。
あなたがそれに感心があるのならおそらく作曲者の名前や曲名は知ってるだろう。
ベートーヴェンの交響曲第九番とか、ラヴェルの水の戯れとか、エリック・サティのグノシエンヌとか、バッハの小フーガト短調とか。
熱心な人なら作曲者の略歴とかその曲がなにを表さんとしているかとかいつ書かれた曲であるとかどこで生まれた曲であるとかいうことも知っているかもしれない。
そして繰り返しになるが、ぼくにとってはそういう情報はどうでもいい。
坂本龍一がどういう人で、いつ書かれた曲で、表題はどういう意味で、どんな思想的意図があったかもどうでもいい。
「この曲はべつに坂本龍一が書かなくてもよかった」
誰が書いていてもぼくはこの曲を聴いていたのだろう。ぼくが坂本龍一という作曲者と曲名を知っているのは、それを知らないと探せなかったからだ。
同じふるえであるならぜんぜん別の作曲者にぜんぜん別の曲名でもよかった。
さっきの話は別にクラシック愛好家だけに適用される事柄ではない。
あなたのプロフィールには「好きな音楽」になにが書かれていますか?
KARA、サカナクション、凛として時雨、アーバンギャルド、ヒャダイン、Dragon Ash、ELLEGARDEN、Chris Brown、Jagged Edge、Alton Elis、Peter Tosh、Mondo Grosso、安室奈美恵、宇多田ヒカル、鬼束ちひろ、東京事変、菅野よう子、サンホラ、レッチリ…
あなたは好きなその「人」をどこまで知っているんだろう。
ぼくには好きな「曲」はたくさんあるけど、好きな「人」は別にいない。
理解できないのだ。
その人のアルバムなら全部持っているとか、ライブは年に一回は必ず観に行くとか、その人の曲なら全部好きだとかいう感覚が。
ぼくが好きなのはその人のヴィジュアルではない。その人の話し方や考え方ではない。その人のダンスではない。その人の美貌ではない。
そしてこのことは何も音楽に限ったことではない。芸術なら全部そうだ。
ぼくが好きな絵は「雨・蒸気・速度」であって、ターナーではない。
ターナーのことなんて1mmも知らん。
映画だって監督や役者が好きなのではない。その映像が好きなのだ。
AVだってその女優が好きなのではない。そのプレイやシチュエーションや映像自体が好きなのだ。
飽くまで作品が好きなのであって、人はいつだって二の次だ。ぼくにとっては。
ずっと前から「芸能人でだれが好き?」という類の質問に疑問を持っている。
当然のごとく誰もいない。
なんでだろう。
なんでみんなそんなに人間に興味を持てるのだろう。
ぼくみたいな人が他にいるんだろうか?
そんなことどうでもいいとは思いつつも、ことあるごとに「好きなバンドは?」とか聞かれれるといつも虚無感に襲われる。
ほら、面接でも聞かれるでしょう、「尊敬する人は誰ですか?」って。なんのことだかさっぱりだ。
ぼくのことをよく知っている人には、ぼくが人に興味がないのをとっくに見透かされていて、それでぼくは「自分に一番興味がある」ということにしている。
実際はたぶんそれも違う。相対的に見ると自分が一番大事であるというだけだ。そんなのは誰にとっても当たり前の話だ。自分の命より他人の命が大事だと心の底から思っている人はそんなに多くはないと思う。
ぼくが立てようとしている仮説はいま書いた事実から憶測したものだ。
人に興味が持てないという事実が、音楽や絵なんかのアーティストとか、芸能人とか、そのレベルに留まっていたなら別に問題はない。
そんなもんは人が好きであろうが、作品とか活動だけが好きであろうがどっちでもいい。
問題は、この事実が友情や恋愛にまで及んでいるかもしれないということだ。
前のmixi日記に書いたことを自分で読み返して検証してみた。
日記にはこう書いてある。
『もしぼくに彼女がいたら彼女のことをたくさん知りたいと思います。たくさん話したいと思います。
彼女の好きなこと、嫌いなこと、毎日欠かさないこと、これだけは譲れないもの、どうでもいいとおもってること、無意識にしてしまうこと…(続く)』
ぼくは特定の誰かと付き合いたいのではない。
たぶんそういう「付き合い方」に憧れているのであって、相手はぶっちゃけだれだっていいのだ。
友だちだってそうかもしれない。
その人ではなくて、友だちとしてのあり方が心地よいのであって、それが実現するのなら誰でもいいのかもしれない。
でも慎重に考えたほうがいい。
アーティストや芸能人が好きになれないからといって、友情や恋愛においても人が好きになれないとは限らない。
AがCなんだから、Aとよく似たBもCなんだろうと決め付けるのは早すぎてはいけない。そういうのを早すぎる一般化というらしい。
簡単に言うと人間はわりと自己暗示にかかりやすくて、「自分はどうしようもない人間だ」と思っていると、ほんとにそういう人間に近づいていく…こともあるらしいということだ。
人を好きになることができないわけではないと思う。
少なくとも元カノのことは好きだった。これ以上ないくらい愛していたと思う。
その元カノのことだって付き合う前は別に好きでもなんでもなかった。
基本的に恋仲になる相手は誰でもいい。動機はない。
良く言えば付き合ってみないと好きかどうかわからないのだし、「どんな人がタイプなの?」という質問には「好きな人がタイプ」ということだ。そうとしか言えないんだけどね。
これが正直な気持ち。
思うのは、ぼくは付き合いさえすれば誰でも好きになれそうだということだ。
いや、高確率で好きになるはずだ。というか「人が嫌い」という感覚を今まで味わったことがないし、これからも味わうことはないと思う。急に人が嫌いになったりすることなんてないと思う。
で、それは好きって言っていいの?
誰でも好きになるかもしれんのに?
「嫌いじゃない」ってだけじゃないの?
だって、ぼくはもしかしたら彼女という人が好きなんじゃなくて、彼女とのやりとりが好きなだけかもしれないから。
友だちだって、友だちとのやりとりだけが好きなのかもしれない。
誰でもいいから付きあいたいと言って、それにYESという人は存在するの?
そういう自分の正直な気持ちを知っているから、なおさら恋人が欲しいなどとは言えない。
恋人がいたその時々で、その人が自分にとっての100%だった。
でもその理由は、「まさにその人だったから」ではないような気がする。
さっき言葉は自分を縛ると言ってたけど、ぼくはもう随分前から縛られてる。
ずっと人に興味がないことにほんのささいな劣等感というか罪悪感というものを持っている。
「どんな人がタイプ?」「好きな芸能人は?」「尊敬する人は?」「誰が好き?」という質問を何回も何回もされて、それで正直に「いない」と答えると「えーなんで?」と返ってくる。どうもこの世界では誰かに興味を持ってなきゃいけないようだ。
そりゃあおかしいのは、間違ってるのはきっとぼくのほうだとか思ったりもする。
だからぼくは自分で友だちや恋人を選んだりする権利がないと思ってる。
それが先鋭化して、ヒマであっても誰かを遊びに誘えないまでに至る。
「そんなのは責任を避けたいだけだろう」と罵られても別にいい。
2年ほど彼女がいないという話をするとよく、そのうち好きな人が現れると言われるのだけど、その可能性は限りなく低いと思う。
簡単な話じゃない。異性として好きかどうかだけでなく、ぼくは人間全体にそれほど興味がない。
なんでその状態で急に好きな人が現れるというのか。
付き合わない限り好きな人など現れない。
そしてぼくには「付き合ってください」などと言える資格がない。
どうしようもない。
そのことに悲観視も楽観視もしていない。
『魔法少女まどか☆マギカ』が耐え難い。いや、耐え難いなら見るのやめろよって言われるのは当然だけど、イヌカレー戦闘パートとかは本当に格好イイと思っているんだ。でも、24分のうち他の16分くらいが非常に辛い。イヌカレーパートを見るために耐えているが第6話で心が折れそうになった。
何よりもダイアローグが致命的にツマラン。口でうだうだと説明するアニメは云々……っていうテンプレートな説教をしたくなる。この説教はその実は甚だ疑わしいけども、『まどか』くらいストレートに当てはまってしまうアニメもないよね。『攻殻機動隊』のように聴いてて面白いダイアローグが展開されるわけでもない、ただただ退屈なだけのダイアローグが、なぜか毎回毎回長大な尺を占めている。ボクには訳がわからないよ。
聞いていると途中で聞き流すようになり、後からちゃんと聞こうとして再視聴してもやっぱり挫折して途中から聞き流す。演出の工夫を見せてくれればまだ耐えられるかも……と思ったが第7話でイヌカレーが会話パートに投入されたにも拘わらず途中で挫折してしまったので、ああこれは純粋に脚本の問題なのかなと思った。こんなしんどいアニメをよくみんな直視できるよなって思う。いや、私の我慢が足りなすぎるのか。みんなすごい。
つかあれだけ映像の工夫を見せているのに、「ゾンビになった」とかいうさやかのヴィジュアルに何の変化もないのはどういうこってい。口先だけで「魂が抜かれた」とか「ゾンビになった」とか言われても見た目に変化がなければ共感できんよ。正確にいうとそういう抽象的なことをクソつまらんダイアローグで処理するからキツイんだよ。6話の気を失っただけみたいな描写では弱いって。魂が抜かれたなんて口でいくら言われても実感なんて無いわ。QBも肉体の強度を上げたいんなら、草薙素子よろしくこの子たちを全身義体化すればいいんじゃないかな。
影絵バトルマジ良かったよ。
577 :氷上の名無しさん@実況厳禁:2010/03/03(水) 19:56:04 ID:Wkbj2Iq70
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こういう事をのたまうオタクは結構いる。
一見、矛盾している言動に見えるが、何のことはない。
いわゆる恋愛シミュレーション要素を含むギャルゲ(ときメモ、ラブプラスなど)と、
いわゆるヴィジュアルノベル要素を含むギャルゲ(クラナド・リトバス・シュタゲなど)もの。
彼らは、後者を好む者たちであり、故に、後者の要素を含む“エロゲ”は余裕なのである。
(そして、ただエロイだけの本当の“エロゲ”は敬遠することが多い)
ここで興味深いのは、前者のみをさして“ギャルゲ”と評し、後者をその範疇に含めない傾向にあるということだ。
いやはや、オタク界隈もなかなか深遠なものなのだなぁ。
もう契約満了から2年経過したし、そろそろ話してもいいかな、と思ったのでこちらに。
同人ゲームやらそうでないゲームやらお手伝いする中で、当然開発に至らなかったゲーム、というのも存在する訳です。
謝礼も振り込まずに素材だけ受け取って逃げた、とかなら別の話なんですが、素材開発も完了して、依頼料も受け取って、それでも開発完了と至らなかったケース。
これはこれで今考えるととても厄介だよなぁ。
謝礼を頂いてしまった手前、僕はあれこれ主張する立場にはないし、相手を避難する立場には無いので、どのような扱いを受けても文句を言ってはいけないのですが。
やっぱりお手伝いした立場としては、製作したデータが表に出ずにそのままお蔵入というのは悲しい。僕にとって最初の同人活動だと思うと尚更です。
あくまで僕はお手伝いをしただけであって、その素材がどのような扱いをうけたとしても、それは依頼主の裁量だと思っているのでなんとも言えないのです。
幸いなことにそのゲームの事前評価がよかった手前、それで次の依頼や後に繋げることができたので、ノウハウも勉強出来たぶん、全体的に見れば成功だったんだと思うのだけど。
どうしても心に蟠りとして残っているのがアレなんだろーと思います。
そりゃあ開発では自分も未熟(今もだけど)だったので色々と衝突したこともあったし、依頼主もプライドの高い方だったので喧嘩になったこともありました。
まぁ今になって考えれば、僕等の立場とすれば依頼主のイメージを形にするのが第一であって、あまり自身を主張してはいけない(担当部署としてもそうするべきだった)立場にあったので、依頼主にあれこれ文句(ex;マトモな仕様書を出せ)を言ったのは間違いだったと思います。
今はみんなでわいわい楽しく同人やろう、なんて気持ちはもう無くて、割り切って作業として考えるようにしたので精神的負担はかなり減ったのですが、当時はまだそんな気持ちも残ってたのでやっぱり精神的に負担になりすぎたってのはあります。どうしても言葉尻がきつくなってしまって、依頼主のプライドを傷つけてしまいがちになってしまいました。立場はわきまえるべきだと今では反省しております。
立場をわきまえた上での話ですが、それでも開発終了に至らなかったのはシナリオ担当兼リーダーの責任です。
自己評価が苦手なので自身についてはあれこれいうのは控えますが、あのプロジェクトに関わっていた自分以外のスタッフは極めて優秀だったと思います。どのスタッフもセミプロだったりプロだったりする方々で、少なくともヴィジュアル面においては、他の追随を許さない出来でした。結局完成しなかった今、何を言っても絵に描いた餅でしかないのですが、完成していれば、ヴィジュアル面だけでも相当の評価を得ていたのは間違い無いと思います。これだけ優秀なスタッフを抱えていて、それでも完成しないとすれば、それはやっぱりリーダーの責任としか言いようがありません。リーダーがあまりにも未熟過ぎたのが開発失敗の原因なんだと思います。
集団作業で製作される作品の失敗、成功はリーダーの能力に左右されます。今回の件ではまさにリーダーの能力が失敗の原因なんだと思います。
仕様書もまともに出さない、質問する度に説明が違う。曖昧な指示、一部スタッフとの過剰な癒着、リーダーのプライドの高さ。数々の問題があったと思います。
というかリーダーは某スレのやめとけ基準全てに当てはまるような地雷だったわけだし
その辺を見抜けなかった自分も未熟だったといえばそれまでの話なのだけれど。
まぁ二度と製作物が日の目に出ないのはあまりにも不憫だなぁー、と思う。僕だけの問題なら残念でもいいけど
他のスタッフ様にしてみても、貴重な時間の能力を費やして製作したデータが表に出ないのはつらいだろーなぁ。
その辺のことを他の方がどういう風に対処しているのかは知りたい所。
他にも色々と手伝わせて頂いているし、失敗した例にいつまでも取り憑かれているのはあれだから、どっかで毒を吐いて過去と決別しなければならない。それだけの話でした。
努力は無駄になるということはある程度覚悟して作業していくべきなのかもしれません。同人ゲーに関わらず、なんにせよそーなんだろーけど。
かと言って努力しない理由にはならないし。
まあ、なんとはない。
の本日付朝日新聞の巽孝之による書評を読んだらば、これは久しぶりな「必」読書かと思って、近くのショッピングモール内紀ノ国屋に行ったらば、「カルチュラルスタディー」も「言語学」のコーナーもないので、あるはずもなく、とりあえず出て行ってタワレコ入ってみれば、
を見っけたので、何とはなしに購入。
でうろとろして帰宅せばいと徒歩すれば、突然老人が「○○○○はあとどれ位かかるのかねぇ」と徒歩では数時間かかる場所を尋ねてきて、「実家は誰もいーへん」だとか「100円玉が入っとる思ったら数十円しかなかった」とか言いやがって、どうしたいんだろうともわからず、この場から離れるために300円をこの老人のために渡してしまった。
故に、金銭感覚の非境界性、なのだ。