はてなキーワード: ペドフィリアとは
君等が何言ったところでペドが許される国の方がマイノリティなんで。
日本もいずれそうなるんで。
というか、絶対そうさせるんで。
持ってあと5年かな。
ペドが詭弁で反論すればするほど世論はペド規制に向かっていく。
どんなに隠れて逃げ回っても暴き出して規制してペドは全員逮捕されるような健全な社会になるよ。
せいぜい苦しめ、異常者共。
良記事とか丁寧な説明とかのブックマークがついててマジか?って思った。
藁人形論法だし、データのソースがないし、主張と論拠がつながってないし。
だれかちゃんと指摘してやれよ。
ペドフィリアとチャイルドマレスターは実際に事を起こすまで見分けられないことに難があるって人は
ペドフィリアのフリさえしていなければチャイルドマレスターを事を起こす前に判別できるんだろうか
すごい眼力だな
エロトフォノフィリアを警戒しない理由は、それが漫画として描かれる機会があまりに少ないからだよ。
どんなに怖く恐ろしいものであっても、それが漫画という形で身近に接する機会が無い限り怖がる必要性が無いのだ。
ペドフィリアなんて、ちょっと大きな大人向けの本屋に行けば、どこにでも目に付くやん?
だから怖いんだよ。
別に人形買って自分で処理しているとかそういう分には構わないんじゃないのとか思うんだが、よく考えたら性的興奮を覚える対象に性的にアプローチをかけたら犯罪になるセクシャルマイノリティってたくさんあるじゃない。
ズーフィリア
エキシビショニズム
クレプトフィリア
タナトフィリア
タフェフィリア
ピロフィリア
インファノフィリア
ここにたくさん書かれている。上記がそれぞれ何かは調べたら良いと思う。
↓
https://note.com/urue/n/n41fe95033f33
というように、軽度から重度な犯罪につながっていきそうな性的嗜好が山のようにあるのに、何でペドフィリアだけ事さらに叩くのか、というのがよくわからないんだよね。
子供が犠牲になっても良いのか!という人たちは、ペドフィリアはもはや自分の性的欲求をコントロールすることができなくなっているという風に差別していると思うんだよね。
例えばコントロール不可能になったエロトフォノフィリアはもはや無差別なんだが、そういう人に警戒しようという人は見たことがない。近所にエロトフォノフィリアがいる!追い出せ!とかは聞いたことがない。
確かにペドフィリアはひどく差別されている。なんでか知らないが明らかに的にされている。的にしている人たちが社会正義を背負いやすい構図なのもあるのかもしれない。
「車を運転する人は、人を殺す危険性を十分理解し認識していろ」
っていうのと同じだと思うんだけど
なんで「小児性愛者を差別する気か!」「同性愛と同じだろうが!規制するな!」「無意識に人の趣味嗜好を差別するキチガイだ!」みたいに明後日の方向にキレる人が出てくるんだろう
車に例えたとしても
別に車に乗るなとも言ってないし乗る人は頭がおかしい犯罪者予備軍だなんて思わんでしょ
ぺドの嗜好を持つことはけして悪じゃないよ
ただ、その嗜好は危険性を伴うものだということを分かっていてね、というだけ
「実際に手を出す前に」と書いてしまったのがいけなかった
私もだけど、あれを読んで「この人は本当にフィクションと現実の区別がついているのか?」と疑問に思った
「実際に手を出す前に」=「ラブドールが無ければ手を出す」と読み取れてしまった
(そんなの勝手な勘違いだろという意見はそうだねそれはお前の意見だねって事で知りません そういう風に読み取る人が多かったからこれだけ騒がれてるんだし)
だから周りがこれだけ言ってるんだよ
「小児性愛を抱く人達は、本当にその危険性を理解しているのか?」と
それに対して「フィクションの中なのでw」「フェミがまた叩いてきたw」「犯罪するわけないw」ってなあなあに誤魔化す行為をするしないは勝手だけど
ヤフコメにネトウヨが集まるように、はてブにペドフィリアが集まってる。
寄ってきたのか元からなのかわからんが、最近ペドフィリアの話題が多くあって、ブコメを見るに、ほとんどペドフィリアの人のコメントになってる。
最近は色々なところで色々なものが燃えているがとうとう自村も燃やされた。
・これまでのあらすじ
発端はとある絵師が男児型ラブドールを購入し、そのレポ漫画をpixivにアップしたことらしい。
私はその漫画を読んでいないし、リアルタイムで事態を追っていたわけではないので、漫画の内容や作者本人の発言等についての言及はしないが、ようはリアルなショタコンの実態が描かれた漫画が非ショタコンの目に触れてヤバイキモい性犯罪者やんけ!!!と批判されてしまったというのが大筋のようだ。
まず本題に入る前に、ペドフィリアという性癖がペドフィリア以外の人にとっては気持ち悪く、危険なもののように感じられるということについて、私は反論するつもりはない。
小児性愛は倫理的に大きな問題を抱えた性的嗜好(指向)であり、性的マイノリティのLGBTQと比べても、受け入れられ難い。
また、児童への性的行為は明確に犯罪であり、その被害者が実在する以上、けして公にできない趣味である。
当事者は自分の性癖に関して慎重に振る舞う責任があると思うし、理解のない人たちがペドフィリアに対して身構えてしまうのも仕方のないことだ。
そのうえで、今回の漫画の内容、公開手段には問題がなかったと主張したい。
ここでは、争点の一つとなったであろう「インターネットの公共性」について考えてみようと思う。
これ、本当か?
・「公共性」とは
「公共性」、最近一部界隈でよく見かけるようになった言葉だ。インターネット激アツエクストリームスポーツであるところのツイフェミvsアンチフェミ闘争では毎秒この言葉が使用され、醜い表現物を公共の場に持ってくる持ってこないの論争が日々行われている。
これまでツイフェミ陣が燃やしてきたものは、主に自治体や献血等のコラボポスターだったりテレビCMだったりした。
フェミ陣営の批判の根拠は多岐に渡るが、その中の一つが「公共の場に相応しくない表現である」というものだ。
ポスター、広告、政府のHP、そのどれもが(一応は)不特定多数に向けて無差別に公開されているものであり、しかるべき場所に行けばいやでも目に入ってくるため、それが苦手な人たちにとってハラスメントになりうるというのがだいたいの主旨である。
この話題に深く突っ込むことはしないが、これらの炎上と今回の炎上が決定的に異なる点があるとするなら「公共性」、この点だと思う。
過去、インターネットとは便所の落書きであった。汚い言葉の廃棄場であり、そこには現実とは異なる独自のルールが存在した。
インターネットにおいては、基本的に「嫌なら見ない」がマナーだった。そもそも歩いていれば目に入ってくるような看板広告などとは違い、インターネット上のコンテンツは基本的に検索しなければ出てこない。
「全世界どこからでもアクセスできるから」「誰でも見られるから」
だから発信するな、やるにしてももっと隠れてやれ、そんな意見をたくさん見た。
でも、本当にこれが規制の根拠になり得るのだろうか。誰でも見ることができる、ということは、誰の前にも無差別に出てくる可能性がある、ということではない。
インターネットの仕組みは見たい人が見れるというものであって、見たくない人に無理やり見せつけるようなものではない。
今回の漫画に関して言えば、これはpixivにアップされたようだ(もちろんR18タグや注意書きありで)。あとTwitterで告知もしたかもしれない。
この時点で、件の漫画が目に入るのは「pixivで作者をフォローしている人」「似たような絵をいいねしていてオススメ欄に表示された人」「Twitterのフォロワー」そして「RTでそれを目にした人」たったそれだけだ。作者には3万人フォロワーがいたらしいが、絵師のフォロワーは大多数が作品のファンであると考えられるので、数の多さは重要ではない。
この中のうち、一つの集団を除いては、誰もあの漫画を問題とは思わないだろう。好きで見ているのだから。
この点から、問題の本質はインターネット上で公開したことではない、ということがわかってくる。好きで見るなら問題はない。
彼らはどうだろう。もちろんショタラブドールレポ漫画を堂々とRTするような人をフォローしている人は、似たような変態だろうと考えるのが自然ではある。
でも万が一、そうでない人がいたら。見たくもない特殊性癖のディープな漫画を見つけてしまい、さぞ不愉快な気持ちになってしまうことだろう。
つまり、問題の核心は「公開をある程度限定しているにもかかわらず、見たくない人の前にその情報が流れた」というところにある。
なぜショタコンでもない人にショタラブドールレポ漫画がシェアされてしまったのか?
これはTwitterの仕様であるリツイート機能が原因だと思う。
自分のフォロワーに向けて特定のツイートやウェブ情報を公開できる機能は、手軽に情報を共有できるという利点はあるが、相手に見たくないものを見せてしまう危険性を常にはらんでいる。
リツイートはたんに便利なだけの緑色のボタンではない。ある意味では、二次的な情報発信手段なのだ。だからリツイートする人は、その情報がフォロワーにどんな影響を及ぼすかを配慮する必要があると私は思う。
RT先で誰かが嫌な思いをした場合、そのツイート主本人よりも、むしろリツイートした人間にこそ責任が問われるべきなのではないだろうか。
そう、まさにこのリツイートという行為こそ、炎上を引き起こす諸悪の根源に他ならない。
想像してほしい。
インターネット教室の隅で、オタクがキモい絵を描いている。それ自体めちゃくちゃキモいし、周囲から白い目で見られてしまうのはもう仕方がないことだが、その中に猛然と突っ込んできて絵を引っ掴んで
「おい!!!!!!オタクがこんなキモい絵描いてる!!!!!!!」
と触れ回る奴がいたら、どうだろう。
オタクは自分たちのキモい絵をパンピに見られたくはないし、みんなもそんなもの見たくない。なのに、わざわざそれをオタク→一般人に拡散するやつ……
なんでそんなことするんですか。
放っといてくれればいいじゃないですか。
不快なものを見たとき、「ウワ!マジでキモい!!」と言いたくなる気持ちはわかる。だが幸にして、インターネットは情報を選択することができる。見たくないものはミュートできるし、気に入らないユーザーはブロックできる。
もしオタクのキモい絵をみて反射的にRTしてしまったら、フォロワー全体にそのキモい絵が拡散されてしまう。キモい絵をみた人たちは嫌な気分になり、その中からさらに絵を拡散する人が出てくる。
だが、最初にキモい絵を見たとき、「これキモいんだけど〜!」と言いたい気持ちをグッと抑えてRTの代わりにブロックボタンを押すことができたら。キモい絵はオタクたちの間でひっそり閲覧されるし、フォロワーはそんな絵のことなど知らずに可愛いねこの画像とかにいいねをする。
それは被害者の方であれ、まだ幼い子ども(といってもインターネットは使える程度の)であれ。嫌だなと思うものは見なくていいし、公開する側もそういう選択ができるように、キャプションやbioで注意書きをしている。
見たくないし、見られたくない。ペドフィリアと一般人の間の距離感はそんなふうに保たれてきたし、これからもそうあるべきだと思う。
結論。燃えるべき問題など最初からどこにもない。ショタコンの漫画はショタコンしか見ない。内容が多少、かなり、めちゃくちゃ過激だったとしても、見ない人には「関係ない」。
それなのに、
性犯罪の被害者や、子持ちの親御さんや、多感な時期の子供を不安にさせる、
そんな人たちこそ、1番の加害者なのではありませんか。
今、現在、性犯罪の被害者や子供たちを直接傷つけているのは、気持ち悪いペドフィリアたちではなく、あなたかもしれないのです。
・おわりに
これを書く前、あるツイートをみた。
「自分はショタコンだったが、子供が生まれて考えが変わった。ペドはいるだけで不安だから、規制してほしい」
なんだよそれ。子供産まれたら気が変わったからもうショタコンは消えてくれって?
ふざけやがってクソが。テメーみたいなのが一番迷惑なんだよ。そんな程度の気持ちでショタコンやってんじゃねー
以上です。
はてブを眺めていると「小児性愛は性的指向ではない」と言い切っている手合いをよく見かけるけど、ちょっと納得感がない論理が多い。
特に見かけるのは、
・小児性愛は加害性と表裏一体なので、合意の取れる同性愛やその他性的指向とは異なる
の二つ。
まず、性的指向というのは性的魅力を感じる対象のパターンに過ぎないので、加害性があるから性的指向ではない、というのは言葉の意味を理解できていないですと言っているようなものだ。
多分、「小児性愛も性的指向の一つ」という言葉に「だから受け入れろ」という意図を感じて反発しているんだろうけど、言葉の意味を曲げて反論する姿には違和感がある。
現状、医療現場でペドフィリアが障害として扱われていることは事実なので、一定の理解はできる。
ただ、実態としてこの部分は今もなお議論が白熱しており、指向と嗜好を完全に区別するにたる根拠を提示する人はいないので、結論ありきでニュートラルなスタンスとは言えない。
その姿勢を改めない限り、多分「ネットでペドフィリアの表象を擁護する派閥」は世間的な信頼を勝ち得ないと思いますよ。ずっと喧嘩してるのが趣味な方もいらっしゃると思うので、無理にとは言えませんが、非生産的ですね。
昨日から何回か書き込んでいるが、私は小学校低学年の時にペドフィリアの被害に遭っている。
身体的外傷を伴ったので、当時は「怪我をさせられた」という認識だったが、大学生くらいになって「性的な被害にあった」という自覚が生まれてきた。この不快感や絶望は一生続くのだと思う。
小児性愛は持つだけで罪なのかと言うと、嗜好までは問えないとは思う。私も二次元の獣姦は好きだ。
しかし、実行に移した段階で、例え犯行当時児童が笑っていたとしても、それは十分罪だと言えると思う。
はてなに書き込んで、いくつか意見をもらった(または見かけた)。それに私の体験をもって答えたい。
・小児性愛の実行は遊郭時代からの日本の特徴。金と力だけではダメで、品格を問われるからOK→私があった被害は、紛れもなく「力による」加害だ。
・児童が嫌がってなかったら減刑すべき→小児性愛の被害者は、被害の自覚にタイムラグがあることがある。未来の被害者を守るためにも、分別がある大人が基準を設けないといけない。性愛の話の時だけ、都合よく小児に自立と判断力を求めないで欲しい。
・同人誌の参考に性器を握らせるくらいで多くの人は留めてる。それ以上は大人になってからが常識だから目くじらを立てるべきではない→釣りであることを願います。
まず
・暗数はあります。ペドフィリアによる被害の特徴として、被害者が被害当初は「何をされているかわからなかった」ため、発覚が送れる場合が多いというものがあります。私は最初の身体的外傷を伴ったものだったのですぐ判明しましたが、その後にあった出来事でも、成人してから「あれは被害だった」と気づくものは少なくありません。「当時被害意識がないならいいじゃん」と言う方もいらっしゃいますが、それって本気でそう思ってるんでしょうか。
そして
・フィクションの所持自体を私は否定しませんが、今回の件は少し「加害匂わせ」が強すぎたように思います。私が否定しているのは確実に存在する「実際に行為に移すペドフィリア」であり(この場合のレイプは挿入を伴わないものも含みます)、今回の件で擁護派に回る人々にはそういう人物の実在から目を背けている人が少なからずいるとも感じました。「そんなに事件はない」と何故か言いきれるあなた含めです。
Twitterで色々な意見を読んでいて、多くの点がこんがらがってないか?と思ったので書きまとめる
読みやすいように書いてないから読みにくいとか知らん 私が一番読みにくいわ
世界的には「パラフィリア 性嗜好障害」と断定されている。ただ、「忘れ物が多い人が全員ADHDである」ということではないのと同じように、小児への好意や性的な欲求、加害性などの諸々を鑑みて治療が必要か否かを判断するのではないだろうか。
「人を殺しまくるゲームが好きな人は全員現実でも人を殺したいと思っているのか」と同じ問いだと思う。
全員がそうでは無いし、そうである人もいる。単純にイコールでは結び付けられない事柄。
小児性愛は言ってしまえば特殊性癖でしかなく、社会に認められはしないものである。
それは、未成年に手を出すことは法律上犯罪とみなされているから。
ただ、個人の趣味嗜好を制限する権利は誰にもないため、小児性愛を抱えること自体は悪では無い、と私は思う。
もちろん、子を持つ親は小児性愛者が犯罪者予備軍のように見えると思う。我が子の身に降りかかりかねないことだからね。
だからこそ、あのレポ漫画はひっそりと仲間内で喋る程度に収めておくべきだったと思うし、「ラブドールいいぞ!!犯罪する前に買え!」という文章はまずかった。
あれだけを読んだ人は「この人はラブドールが無ければ罪を犯す人である」と思ってしまう。どれだけ作者が「現実に手を出しません」と言ったところで信憑性は薄くなってしまう。
ゲームで人殺してるんだ!現実で人を殺さないために!って言われたところで安心する?無理でしょ こいつヤベー奴だと思うでしょ
結局「小児性愛は社会からそう捉えられている」というのを認識できなかった点で落ち度があると思う。
仲間内でひっそり楽しむべきものなのか、公に喋っても大丈夫なものなのかを考えるべきだったのでは。
そもそも性的マイノリティというのは、マジョリティから外れたマイノリティの話で、それが性的嗜好、性自認などのタイトルが付いていること。(だと思っている)
なので広義的に捉えれば、社会的なマジョリティからは外れているという意味で小児性愛も性的マイノリティとすることは出来ると思う。
ただ結局、「未成年に手を出すことは犯罪」である社会で未成年に好意を抱くということの危うさは同性愛にはないと思う。(もちろん男性が男児に手を出したら同性愛だろうが犯罪)
もちろんこの理論は「同性愛が犯罪ではない」という社会でなければ成り立たないのだけれど、なによりは対象者が「大人が守るべき未成年者」である点ではないか。
対象が未成年だからってだけで犯罪とされるのか!未成年もひとりの人間!自由!って思う人は児童婚の実態とかを調べてね。
判断力のない幼い子どもを自分の欲求のために利用することがどんな事なのか目の前の箱で検索してね。
だからこの「小児性愛は同性愛と一緒」という意見は「社会に犯罪とみなされてきた性的嗜好」という点でしか見ていないのだろうと考える。
「なぜ小児性愛は批判されるのか」「なぜ同性愛は批判されるのか」に対しての回答は別物なのに…
と
ここまで書いたけどこれ「未成年者に手を出してもいい」と本気で思っている人には理解できない文章だよなぁ
未成年に本気で手を出してもいいと思ってる、未成年は守らなくても良いと思ってる人には分からないよな
結局「小児性愛は違法」という考えは「未成年に手を出してはならない 未成年は守らなければならない」という前提意識がないといけないので…
分からなくなってきたので一旦切る
追記すると思う
分かったかも
同性愛はそもそも「性的マイノリティ」と名付けされているだけで本来自由なものであるべきだし、公にしていいものなんだ
だけどペドフィリアは違って、行えば犯罪で好意を伝えたとしても人権侵害になりうるんだ
ぶっちゃけ未成年に手を出しもいいと思ってる奴は実際に手を出すんだよな
結論として
・ぺドフィリア自体は悪では無いけど、それを公にした時の反応を考えるべきだった
・実際には手を出すな
だな
セクションの付け方を教えてくれてありがとう心優しき人
ペドフィリア、レイプ、痴漢、露出狂、死体、といった要は性癖の達成イコール犯罪につながる人たちにとって、その性癖自体が犯罪と言われてしまうとどこにも相談できないし、相談された方も治療できなくならない?
病院に悩みを相談しに行ったら犯罪告白になるかもしれない。通報されるかもしれない。すごく難しい問題だからLGBTQと同一に扱えというのに無理があるのは承知してる。
そんな訳でLGBTQをセクシャルマイノリティとして扱おうというムーブメントには、別に私達は迷惑してないからセクシャルマイノリティといて扱ってやろう、というような傲慢さを感じてどうも好きになれない。
自身は32歳。既婚者。それなりに金もあるし、それなりにモテる。ただしロリコン。
ロリコンといいつつ、ペドフィリアとかアリスコンプレックスと言われるやつである。
https://togetter.com/li/1166414
好みど真ん中は小4〜小6。とはいえ、低学年も中学生も好き。高校生以上は普通に女性と見なすので、山Pがロリコンとは思わない。
とはいえオナニーの対象とするだけで、もちろん実際に手を出したことはない。
児童ポルノにも興味はなく、今のジュニアアイドルやジュニアモデルのTwitterやインスタに上がる画像や、雑誌のニコラ/ニコプチ、知人のFacebookに上がる娘とかがオカズ。
これは成人女性でも同じで、ヌードやAVよりグラビアや女優、後輩のインスタのほうが抜ける。
きっかけはわからないのだが、むしろ小学生の頃に同級生で抜いてたのがそのまま下限が変わらずここまできたという感覚。
もちろん妻は同世代だし、年上も全然いける。18歳年上の女性といたしたこともある。
正直、低学年ならわかるんだが、小5以上の女の子がなぜみんな対象にならないかわからない。そりゃその辺歩いてる小学生ならまだしも、雑誌モデルやってメイクばっちりの子とか普通に女じゃん?