はてなキーワード: ペドフィリアとは
なんか最近NIKEのCMが差別してるとか、してないとかで炎上してるけど、くっだらない。
俺はロリショタ好きのいわゆる小児性愛者、ペドフィリア(この言い方もなんか嫌悪感煽るような語感で不服だが)なんだが、
半年近く前にたかがショタ型のラブドールを買ったツイートに大バッシングして小児性愛差別のヘイトスピーチを繰り返して、
俺らロリコンショタコンが子どもとセックスしたい気持ちを押し殺してラブドールで我慢してるのに、
それを「危険だ!次は現実の児童に手を出すぞ!」ってそれすら盗りあげようとした。
30歳の人間が10歳の子と純愛するのが違法なら、20歳と50歳の金目的の結婚も規制しろよ。
あーあ、中東じゃあ10歳の女の子と結婚する30歳とか普通なのによ。
ていうか、子孫を繁栄するって本能なら若い子に欲情することこそ自然ですが?
つまりさ、倫理観とか価値観なんてものは教育っていう洗脳の結果でしかないわけ。
で、お前らはまんまと洗脳されて「子ドモト、せっくすスルノハイケナイコト」「日本ニハ差別ハアリマセン」
とか言って妄言吐いちゃってるわけ。
お前らはいつも「自分は差別してない!」「正しいことを指摘してるんだ!」って善良面して少数派の弱者を叩く。
ペドフィリアにしろ他の加害嗜好にしろ、それを望む気持ちは理解できないでもないけれど
この社会制度において不利なのは、パートナーや子供が「いない」人であって
アセクシャルである事特有のデメリットってせいぜい、片思いの状態で恋バナができないくらいしかなくない?
小学生か中学生、ギリギリ高校生くらいまでならあるかもしれないけど…
ポリアモリーは元々人間の気質だと思うよ。全員がそうではないけど一定割合でそういう気質の人間が発生すると思う。夜這いとか昔の風習みると特にそう強く感じる。
ペドフィリアは恋愛感情を上書きできてない社会的な成長ができなかった個体だと思う。もちろん許容はしない。むしろ医療処置が必要なんじゃないかと思うが。
アセクシャルは知らん。個体発生率としてはまぁありえるよなってだけで、それを社会的にどうのこうのする必要がない。まぁデリカシーのない親や親戚や周囲がいて、興味がないっていうのを理解してもらえなくてしんどかったという体験はあったりするのかもしれんが…社会的には他人の恋愛とか全然興味ないよ好きにすればってのが本音。
これからするのは非常に複雑で難しい話だ。
まず「ゲイに掘られれば」は異性愛者に同性愛を勧める発言であり、所謂「性的指向」が後天的に変更可能である事を肯定する発言である。
一方でロリコン、ペドフィリア等は「性的嗜好」と呼ばれ、主に後天的である事によって「性的指向」と区別される。
以前、ロリコンの窮状がLGBTに例えて説明された際に「ロリコンは性的嗜好であり、LGBT等の性的指向とは異なる」「一緒にするな」といった批判がフェミニズム等から上がった事が有った。
しかし先に示した非モテ男性に対する「ゲイに掘られれば」発言もまたフェミニストから上がっている場合が散見される。
どちらか片方の正当性の検討は置くとして、両方を正しいと主張することは出来ない事を示す。
非モテ男性と非モテ女性に関する議論において、非モテ男性に対し「(そんなにセックス出来ない事が辛いなら)ゲイに掘られれば」といった発言が幾つか上がった。
発言者の内一部はフェミニストであった訳だが、件の発言は非モテ男性に向けた物であり、当然そこにはヘテロ男性も含まれる。つまりヘテロ→ゲイの性的指向の変更を推奨する物だった。
性的指向と性的嗜好は主にその先天性により区別され、通常、性的指向は先天的であり、変更不可能、性的嗜好は後天的に変更可能である事によって区別される。
件の発言はヘテロ→ゲイという変更が後天的に可能であり、「ゲイになる事」を選択可能であるとする判断に基づく。
従って件の発言は、ゲイは後天的に変更可能な性的嗜好であるか、もしくは性的嗜好と性的指向は区別されないとする主張を含むものである。
(また、これはゲイ→ヘテロの後天的変更の可能性を示唆する物でもあり、だとすると別の意味で大問題である。ゲイに対する「ヘテロになればいいのに」という発言の許容にもなり得るのだ)
以前、ロリコンの辛さや差別的扱いを説明する際にロリコンの立場をLGBTに置き換えた物がネット上で幾つか主張された。
その際のロリコン攻撃者(主にフェミニストや女性)の反応は「ロリコンとLGBTは違う」「一緒にするな」という冷淡な物だった。
ロリコンは性的嗜好であり後天的に変更可能であるが、LGBTは性的指向であり後天的に変更不可能だから、違う、という事だ。
(尚、もう一つ理由として挙げられがちな「欲望を叶えることが犯罪になるか否か」については後程触れる)
しかしこれは当然前件と矛盾する。もし仮に、「ゲイに掘られれば」発言を肯定し、且つ「ロリコンとLGBTは異なる」と主張している人が居たら、どちらかは論理的に撤回しなければならない、という事だ。
ではどちらを撤回するのか、予想してみよう。
恐らく多くのフェミニストにとってより大事なのは後者だろう。また、そもそも前者は別の理由でゲイ差別的であると批判され得る危険な発言でもある。
よりリスクが少ないのは前者の撤回であるので、そちらをお勧めする。
性的指向・嗜好の違いの他に、ロリコンとLGBTを区別する理由として「欲望を叶える事が犯罪に直結する」事が上げられがちである。
しかしこれもまた今回の文脈では実は主張することが難しい。文脈とは「非モテ」である。
「ゲイに掘られれば」発言は非モテ男性による「非モテ女性は存在しない」とする主張に向けられたものだった。さて、「非モテ」が欲望を叶えることは犯罪に直結するだろうか?
その人間が非モテであり続ける限りは直結するだろう。性交に同意可能な異性がいる状態である限り「非モテ」とは言えないので、その欲望を叶える事は同意を得ない性交つまりレイプに成らざるを得ない。
(もし「性交に同意可能な異性がいる」かつ「大事にされる等の性交に依らない恋愛的承認が得られない」状態も非モテに含めるとしても、その欲望の成就は「(恋愛的承認を得られない状態における)恋愛的承認の享受」である為、実現が不可能であるか、洗脳等の非倫理的な手段を要する)
従って、「非モテ」とは「ロリコン」と同様、「欲望を叶える事が犯罪に直結する」属性である事に成る。
フェミニスト或いは女性の一部は「非モテ女性は存在する」と主張したい訳だが、そうすると、その女性は「欲望を叶える事が犯罪に直結する」存在であり、
これまで自身達がロリコンに対してしていた「その欲望自体がギルティである」「欲望を公表する事も止めるべきである」とする主張が非モテ女性にも向いてしまう事に成る。
非モテ女性が「異性にモテたい」と言う権利を奪ってしまう事を是とするか否か、恐らく多くは否とするのではないか。
(また、私は女性を「性欲の無い清純な存在である」という神聖視を悍ましいものと考えるので、女性にも性欲は存在すると考えている。その場合、非モテ女性も「セックスしてぇ~」と主張したい場合もあり得るだろう。
それもまた彼女が非モテ女性である限り「欲望を叶える事が犯罪に直結する」欲望の告白に他ならない訳だが、その権利を私は彼女に認めたいし、多くのフェミニストもそうである事を願う)
だとすれば、「非モテ女性は存在する」か「ロリコンはその欲望を公表するべきでない」のどちらかは否定できなければ、論理的な正当性を主張できない。
以上は複数の論題に渡り論理的な整合性を保つべきという規範に乗っ取った議論であり、
恐らく多くの人(フェミニストや女性を含む)にとって非常に複雑で難しい話だと思う。従って理解されない事も有り得るだろう。
例えば「こういう問題を一緒にするべきではない」とあなたは考えたくなるかもしれない。
けれどもそれは自死の道である。「複数の異なる問題の間に論理的な整合性・一貫性を求めるべきではない」という規範は、あなたの批判の大部分をも無効化してしまう。
あなた自身も「複数の異なる問題の間に論理的な整合性・一貫性を求めるべきではない」事に成ってしまい、あなたが誰かの異なる問題に対する態度の違いや一貫性の無さを批判したい時にも、その規範は適用され、批判は意味を失くしてしまうのだ。
矛盾には一つの問題内での矛盾と、複数の問題間の矛盾があるが、当然ながら後者の方が多い、それをみすみす手放し、前者のみしか批判出来ない様自分を縛ってしまっては、
あなたは多くの批判を手離してしまう事に成る。そのようなリスクに見合う程、今回の議論の否定は大きなものではない。従って、受け入れる事をお勧めする。
ここで語りつくすことは出来ないが、興味深い論点が有る為、補記として残しておく。
ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツにおいて、読者や視聴者に与える後天的な変更が取り沙汰される事が有る。
例えば「ロリ漫画はロリコンを増やす」であったり、「風呂覗きの描写は男性児童に悪影響を与える」等である。
一方で先日の足立区議会での自民党議員の発言の様に、「(コンテンツや制度的な承認により)LGBTが増える」事を危ぶむ差別的発言があった際、
「そんな事でLGBTは増えない」「あなたの生活は何も変わらない」といった反論が上がる事が有る。
これ等はLGBTの先天性を根拠の一つとして主張されるわけだが(それ故、「ゲイに掘られれば」発言による後天的なヘテロ→ゲイの変更は、これらの反論に真っ向から対立してしまう非常に危うい発言である訳だが)
この時、その先天性自体を否定する言説が現れた際、その言説に求めるべきエビデンスとは何であろうか?
通常、ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツの影響を論じる際、「統計等のエビデンスを挙げろ」といった反論がされるが、多くの場合は無視される。
つまり、(その状況を肯定する限り)ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツによる後天的な変更の可能性にはエビデンスは必要ないという事に成る。
これと同じ規範を適用すると、「(コンテンツや制度的な承認により)LGBTが増える(後天的な変更は発生する)」という主張にもエビデンスは何ら必要ないという事に成る。
もしLGBTの先天性を事実として保護したいのであれば、LGBTへの後天的な変更が可能とする主張にはエビデンスを要求する必要があり、
そのような規範を持つ限り、ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツによる後天的な変更の可能性を論ずる際にも、エビデンスは必要と考えない訳には行かないのである。
今回はここまでにしておくが、とあるコンテンツや制度による受容者への影響、またはそれらを論ずる際に必要とするべきエビデンスの問題は、
LGBT等への配慮の問題と関係するという点でこれらの論点は非常に興味深い。
これまで主にリベラル側で軽視されてきた強力効果論等のメディア強化論のエビデンスの重要性について、再度一考するインセンティブがリベラル側にも現れたという事なのだ。
きゃりーぱみゅぱみゅってペドフィリアだって海外で炎上したことあるんだけど、内容は全然「性的」とは違ったよ(ちゅーしたい、とは言ってるけど)。
ペドフィリア(英: pedophilia)とは、幼児・小児(一般に10歳以下)を対象とした性愛・性的嗜好のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2
そう思わない人も居るかもしれないが、犯罪報道の際、犯人の家にあった漫画やアニメグッズを報道するのと同じだと言えば「なるほど」と思う人もいるのではないか。
犯人は性別、国籍、年齢、病歴、趣味、様々な属性を持っている。その中で「犯人は外国人だった」「犯人はアニメオタクだった」と1つの属性を殊更に取り上げるのは、その属性と犯罪を結びつけようとする行いだ。
もちろん逆も真だ。
「犯人はアニメオタクだった」という報道に憤る人が「犯人は外国人だった」をセーフだと思うのは矛盾だが、
それを指摘する人がもし、「犯人はアニメオタクだった」という報道を問題だと思わないのに「犯人は外国人だった」に憤るなら、それもまた矛盾だ。
「犯人は外国人だった」が問題だと言いたいなら、「犯人はアニメオタクだった」も問題だとしなければ理屈が合わない。
さて、だとしたら、つるのを批判している人たちの内、一体どれくらいが矛盾せずにいられるだろうか?
「犯人は外国人だった」の問題点は犯罪に無関係な属性と犯罪を結びつけている点だ。この問題点は「犯人はアニメオタクだった」にも共通する。
当然ながら、こうした偏見を助長する発言の問題は犯罪に限らない。
犯罪に至らないが一般的に悪いとされている性質や、能力など、犯罪以外と結びつける場合も問題である。
つまり「なにかしら悪いもの」と例えば「オタク」を結びつける発言はどれもまずいのだが、そうした発言をしていない人がどれくらいいるだろうか?
「オタク」じゃなくてもいい。男でも女でも子供でも大人でも、ゲームでも漫画でも演劇でも映画でも、中国でもアメリカでも日本でも、右翼でも左翼でも、ロリコンでもペドでもショタコンでもゲイでもレズでもバイでも。(*)
「どのような偏見も持ったことが無い者だけがつるのに石を投げなさい」とは言わない。そうすると恐らく誰も石を投げられない。
しかしせめて、「自らの偏見を自覚し、悔いる者だけがつるのに石を投げなさい」と言わせて貰えないだろうか?
この事を以って「外国人に犯罪者が多いと印象付ける行為はするべきではない」と考えたいなら、「統計的に誤った認識を印象付ける行為はするべきでない」に同意する必要がある。
けれども「児童を対象にした性犯罪の加害者にペドフィリアが多いという統計的事実は無い」としたらどうだろう?
「統計的に誤った認識を印象付ける行為はするべきでない」に同意する限り、児童性犯罪者とペドフィリアを結びつけるような発言は出来ない事になる。あなたのスタンス次第では、それをすればあなたは直ちに差別主義者となるだろう。
それでもあなたは「統計的に誤った認識を印象付ける行為はするべきでない」に同意する覚悟があるだろうか?
もう1つだけ問題を提起しておきたい。つるのの発言はアウトである、では、つるのは差別主義者だろうか?
恐らくつるのを批判する多くの人は「差別主義者だ」と言うだろう。
けれども、つるのは問題のある発言をしたのと同時に、犯罪被害者でもある。
例えば、警視庁の性犯罪への注意喚起ツイートを引用する形でRTした女性が「私も被害に遭いました(現行犯でしたが※「日本語わからない」の一点張り)ので気をつけてください。」とツイートしたら、あなたはどう思うだろうか?
あなたが差別に反対する者なら、口調に気を付けつつ窘めるかもしれない「それは外国人への差別を扇動してしまう言い方だから、やめたほうがいい」と、
もししないとすれば、その理由は遠慮だけだろうか?本当は差別主義者だが、そう言えない事情があるだけなのだろうか?
無論、性犯罪と農作物の盗難は違う。しかしその違いの種類は、差別主義者であるか否かの程度に影響こそすれ、正否には関わらないのではないか?
あなたが農作物の盗難より性犯罪を重く見たとしても、私はそれに反対する事はしない、けれども、農作物の盗難を「どれだけ軽視するか」には注意を向けたい。その軽視は本当に適切な量の軽視だろうか?
もしかしたら、あなたの不当な程の軽視が、つるのを差別主義者と呼ばせることに繋がってはいないだろうか?
* おそらくここで違和感を持つ人も居るだろう。そう。「犯人はいくつも属性をもっているのに、何故外国人という属性だけ抜き出すのか」という差別の糾弾は、「偏見を持たれている属性はいくつもあるのに、何故外国人やLGBTという属性の時だけ問題になるのか」という違和感と実はパラレルなのだ。
そこにはひとまず「外国人やLGBTへの差別がより深刻だから」という理由が付く。これは正しいと私は思う。しかしそれは他の属性への偏見が正当化される理由にはならない、ただ優先度の高低が正当化されるだけだ。
にも拘らず、他の属性(オタクやロリコン、ペドフィリア、男等)への偏見は進んで嬉々として広める事自体の欺瞞は払拭出来ない。尤も、これをする人はこうした問題を認めないだろう。
すごく今更だけど、小児性愛について。
今回の様々な主張の流れを見る限り、「小児性愛を同性愛と同等と見るか否か」という議論が目立った。ホモセクシュアルもかつては病理として扱われてきたが、昨今では性的指向として認める方向に倫理が動いてきており、ペドフィリアも性的指向である以上、病理扱いして治療を勧めるのは差別であるという主張が小児性愛擁護側だと多い気がする。
個人的感情としては、ペドフィリアを病理として扱うのには反対したい。誰を好きになるか、誰に性的興奮を感じるかなんて個人の自由だし、自分ではどうしようもないことだっていくらでもある。
しかし、今後世間の潮流がペドフィリアもLGBTと同じだよね!となってくれるかというと、きっと暫くは無理だろう。今の流れはむしろ今までのぺド被害者の暗数を発き、加害者を弾劾する段階にある。よってたとえ加害はしなくても、ぺド側の権利が守られるようになるのは少なくとも子どもを守る環境や制度がある程度完成してからだと思う。
また、小児性愛は同性愛と違って、実行即加害になってしまうのも確かだ。小児性愛者なら等しく矯正しろ!治療しろ!という声に反発したくなる気持ちはよくわかるが、「手を出してしまいかねない」という段階まで欲求が膨れ上がってしまった自覚がある人向けに、それを抑え込むためのプログラムなどは組む必要があると思う。
こちらでは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2
日本では唯一NHKによる調査が存在する。『日本人の性行動・性意識』[8]では13歳未満の相手とのセックスについて、「してみたい」、「どちらかといえばしてみたい」、 「どちらかといえばしたくない」、「したくない」、「実際にしたことがある」、「無回答」の選択肢でアンケートを行った。「してみたい」と積極的肯定回答した男性は、10代(16 - 19歳)6%、20代5%、30代4%、40代1%、50代8%、60代0%であった。
書籍になってるっぽいけど、そこまで調べるのもだるいんで、まぁ多めに見積もって5%だとして500万人
一方
https://resemom.jp/article/2018/07/23/45798.html
親を2人でカウントするのかどうか問題もあるし、ここは面倒くさいから1.5人とするけど、その場合1700万人程度だとして、
親対ロリコンが7:2
元の犯罪率が7:3
リスクは2:3
となりましたが。
まぁ、書いてて思ったけど、あんま変わんねーな。もっと5倍とかになるかと思ったけど。
「ペドフィリアには社会的責任がある」と主張する人はペドフィリアの味方だろうから・・というふうによめてしまっておかしい。
「ペドフィリアには社会的責任(を今より負う必要)がある」と主張している人はご自身にどれだけの社会的責任が・・からのどんな本読んでる・・・ってことじゃないのかね、その筋をとおそうとした主張でさえ風がふいても桶屋は儲からないぞという反論を受けてしかるべしだけどね
この図に対して「じゃぁ資料を出せ」「参考元を出せ」という人もいた。いいでしょう、参考元を出しましょう。WikipediaとPixiv百科事典とニコニコ大百科である。誰でも書き込めるネット百科事典だ。信憑性ざまぁみろ。あとは、自分も性暴力の被害者の大学教授パメラさんが書いた「9人の性的加害者」も参考にしているし、BBCの番組でも苦悩する犯罪傾向のないペドフィリアを扱っている。他にもいくつか英語の資料は読んだ。ハーバードの医療学校のサイトとかニューヨークタイムズとか。ただこれらはWikipediaに書いてあることの確認程度である。
参考元を出しましょう。WikipediaとPixiv百科事典とニコニコ大百科である。誰でも書き込めるネット百科事典だ。信憑性ざまぁみろ。
ソース出せと言われてこれはない。
https://twitter.com/chang__air
ネットでいかれたやつらを山ほど見てきたがこいつは突き抜けている。
わかるのは全方位に噛みついていることぐらいだ。
ペドフィリアとチャイルドマレスターの区別がどうのと言うが、チャイルドマレスターはある日突然子供を襲うのか?その前段階に子供に性的な興味を持つ(それがペドなんだろ?)とか、そういう段階があるんじゃないのか?そう疑うからこそ警戒するし嫌悪するのだが、擁護してる人達マジで自分が子供だった頃や、幼い兄弟や、自分の子供に向けてそれ発露されて耐えられんの?ドールの画像の顔を自分の子供の頃の写真にすげ替えられて、ディープフェイクでドールを○○君の顔にしてシコって興奮した。実物に手を出す前にドールで遊ぶのがおすすめとかってツイッターで実名出されて書かれて平気なの?
小学生の間に実害を被って成人なっても性欲と思しきもの皆無で女性にも男性にも恋愛感情すら抱けず明らかにどっか壊れてる気がする性嫌悪に陥った人間からするとあそこまで公言する人間を内心の自由とか言って野放しにしようと擁護する声が多いこの社会が怖いわ。
自身にそのような嗜好がなく、子を持つ親としては、
身近にそのような人がいて欲しくないというのが正直な気持ちである。
しかし、どうも「ペドフィリアを社会的に隔離すべき」といった意見まででているようで、
これには眉をひそめる自分がいる。
以前から、個人の性的嗜好は何よって決定されるのか、ということに疑問を抱いてきた。
先天的な要素、遺伝子によって決められる要素が全くないと言い切れるのだろうか。
私は、遺伝的要素が全くないとは言い切れないのではないかと感じている。
ペドフィリアがその個人の持つ遺伝子によってもたらされている部分が多少なりともあるとすれば、
「人間を遺伝子で選別すべき」という考えに繋がるのではないだろうか。