はてなキーワード: フリーライダーとは
子どもに優しくない せかい の子どもは臓器になったりポルノの被害者になったりクソ安い働く機械になったりします。
どんな世界でどんな天才的な子どもが相手であっても
身体の大きい/人生経験豊富な大人の方が強いです。
守られたから成人出来た事を忘れてはいけないと思います。
ただ、守られる事が前提だと生存競争に勝ってもいない(子育てする時間と給与を得る選択や修練をしてない)のに
ポコポコ子どもを産むフリーライダーは出てくるわけで
そういうのに対する怒りはあって当然だけど
もう40年以上前から庶民の自宅環境は最悪(赤ちゃんギャン泣きが周囲に伝わらないとか無理)だったわけで
誰にも迷惑を掛けずにというのは出生が庶民である限りはあり得ないと思います。
でっかい動物病院じゃなくて、獣医師1-3人くらいまでの小〜中規模の話。
動物病院の粗利の高い仕事ってワクチンとかフィラリア予防薬とかの予防獣医療なんだよね。
一方で、病気の検査・治療・手術は実入りが悪い。検査機器は高額だし時間はかかるし人医療と違って100%自己負担だから請求額はどうしても控えめにならざるを得ない。動物病院が高額なイメージがあるのは、人の医療費は国民皆保険で自己負担が3割だったり子供はただ同然だったり、高額療養費制度があるからだ。人の医療と同じことをやっても同じ金額は貰えない。
最近は高度医療を行う大規模動物病院も増えているので、そういうところは高い機材を揃えて専門性の高い獣医師が診療している分請求額もしっかりしているんだろうけど、小さいところはなかなかそうもいなかい。
そんな動物病院で働いていてね、結構こういう人が来る。初診だったり滅多に来ない人だったりなんだけど…
「いついつからどこそこが具合悪くってー。普段は近所の動物病院でワクチンとかはしてもらっているんですけど、そこは本当に注射とかでしかかからないんでー。」
この飼い主さんは、
「近所の動物病院よりもあなたの動物病院の獣医療の質が上だと思っているんですよ信頼しているんですよ」
ってアピールしているつもりかもしれないけれど、ぶっちゃけこちらとしては怒り心頭…とまではいかないけれど、ゲンナリですわ。予防からうちでしっかりかかっていただいている患者さまと同じテンションで診察してもらえると思うなよ…くらいには思っちゃう。もちろんやることはちゃんとやるよ。やるけど、気持ちはどうしようもないじゃん。
動物病院に予防でかかるってのは保険みたいなもんなのよ。そこで稼がせてもらう代わりに比較的安価に治療が提供できるんだぜ。こんなこと言っても飼い主さんは知りようがないんだから仕方ないんだけど、治療だけで来る人ってのはフリーライダーなんだよ。保険料納めてないのに保険金だけ貰ってるようなもんよ。
増田読者に動物飼っている人は少なそうだけどさ、お願いだよ。治療を任せたい信頼する動物病院があるなら、普段の予防からそこにかかってくれよ。やっすい動物病院に行ってるなら治療もそこに行ってくれ…っていうのはある程度本心だけど、業界の構造を知りようがない一般飼い主さんは仕方ないよな。
でもさ、これを知ったおまいらが、もし今後犬や猫を飼って動物病院を利用するとしたらさ、治療を任せたいと思う動物病院に普段からかかってねってことさ。それはその動物病院を応援するってことでさ。
助けたり、助けられたりすること。それを「お互い様」という。この駐車場の例って、逆の状況もありうるわけでしょ。わりと頻繁に。であれば、助け合うのが合理的。この場合、急ぎっぽい人に「善意」を与えて助けたところで、自分に損失がほとんどないわけだから、なおさら。
で、助け合うタイプの人と、助け合わないタイプの人が世の中には存在していて、前者は後者が困っている時に助けるけど、後者は前者が困っていても助けない。つまり、後者の人のほうが、実は世の中の善意のフリーライダーなんだよね。共感力のある人は、共感力のない人にも人権があると考えてちゃんと助けてあげるんですな。そういう恩恵にあずかっている人たちは、そこを理解して、ありがたみを感じて欲しい(無理なんだけど)。
まずソースがしっかりしていれば適格な当事者が話題問題の核にいるわけだけど
フリーライダーは正面から少しずれたところに援護射撃のつもりで発言する
少しずれてるから少しずれた的or敵が加わる…+…+
結果全方位とは言わないけど当事者は多方面作戦を強いられることになるのでは。
一人を相手に戦うorいびるために取り囲んでいるつもりが
政治的に影響を及ぼしたいから投票行く、って人見たことない。政治的に影響及ぼしたければ選挙に出ろ。
いったい何様だよ。ぼくちんの一票が無駄になって気分わるーい、ってか。アホか。そのうちこじらせてテロリストになるやつか。
投票という行為で莫大な人間が政治に関わっている、その数が一人でも多いことが、政治家への有形無形のプレッシャーになるんだよ。それが民主主義だ。政治家に政治を私物化させない、政治はおまえの私物ではないという恐れを持たせるために。そして、今の日本の政治家に一番欠けているものがそれだ。なぜか? こいつみたいに自意識ばかり肥大して社会的責任を考えないアホが多いからだ。わがまま坊やが多いからだ。
政治家が政治を私物化できない仕組みを作るため、先達が文字通り命がけで選挙という仕組みを作り上げたんだ。一票を投じる権利があるということがどれほど歴史的に見て貴重な権利か、ものを知らないおまえはそれを取り上げられない限りわからんのだろう。おまえが言ってることは詰まるところ「俺の意見をもっと聞け」というただそれだけの戯言だ。自分が一億分の一であることに耐えられない、と。それが「肥大化した自我」でなくてなんなんだ? それで批判だけはされたくアリマセン、と。真正の馬鹿だな。
投票が「権利」である限り、行使はお前の自由に委ねられている。だが投票に行かないことを正当化できるいかなる理由も存在しない。お前は自分勝手で不当な理由によりただただ「投票をさぼっている」だけの屑、それが事実だ。社会のお荷物、フリーライダーの一員、世間に対して何を訴える正当性も持たない人間、に過ぎない。どんな真っ当な意見であっても、それを述べる正当性のない人間の口から出れば説得力を失う。たとえば平気で車の窓からゴミをポイ捨てする人間が「環境問題」についてどんな真っ当なことを言おうと説得力をもたないように、お前が社会に対して何を言おうと、俺は「所詮選挙に行かない人間が何を言う」という目で見るだろう。お前は自ら選んでそうなった。そのことを忘れるべきではない。
消防団とか操法が悪いんじゃなくて「意味も分からず伝統を振りかざす非民主的なコミュニティ」が問題なだけなんじゃね?
自治は大事よ。日本中どこに住んでても、自分の住んでるコミュニティの運営に何の貢献もしていないなら、端的に言ってそれは単なる子供かフリーライダーでしょ。でも、貢献する以上口出す権利もあるので、それが保証されていないならそりゃ間違ってるでしょ。「後からきたもんがごちゃごちゃ言うとまとまらんやろ」みたいに考える人がいるのは分かるが、自治にかかるコストってのは「そのメンド臭さ込み」のことなんだよね。
例えばさ、ある消防団や自治会が「伝統」でクソみたいになってたとする。でもって、ある人が極めて善意で改革を進めて、色々なことをすごく簡略化して、最低限のことだけを残す形を作ったとする。でもな、それはそれで「伝統」になってしまうわけだよ。
次の年新たに入る人は、「その前」のことは分かんねーから、その「最低限」にも疑問を感じたり文句を言ったりするわけ。場合によったら、せっかく止めたことを復活させるようなことも言うわけ。そこで「黙ってろ」って言ったらもうそれはただの「糞伝統」にしかならないんだよ。面倒くさくても、「何が残すべき伝統か」ってことをしっかりと明文化できてない以上は、新しく来た人の意見を採り入れて変化することを避けては通れない(それを避けようとすると「糞伝統」保存主義になってしまう)んだよ。それが民主主義のコストってやつなんだ。けど、これができている地域、人や組織はほとんどない。そうして、山のような糞がそびえる伝統国家ができあがっていくわけなんだよ。
うちの会社って、圧倒的多数の凡人を一部のスーパーマンで養ってる会社なんですわ。
でね、労働の議論をしてる人達はあんまり知らないかもしれないんですけど、そういう会社には労働組合ってのがあって、36協定とか、それよりも厳しい労働協約とかってのがあるんですよー。
これがあってみんなお手手繋いで「あんまり働いちゃダメだよー」ってなってんすよ。
で、最近ってただ物を作って売っていたら食える世の中じゃなくなってるんですよ。
たらたら働いてる凡人じゃ会社潰れちゃうんですわ。だからスーパーマンがいろいろ仕組み考えて、なんとか儲かるようにしてくれてるわけですわ。
ただ、凡人の皆さんはスーパーマンはただで助けてくれるもんだと思ってるみたいで、スーパーマンが自分たちよりも多くお手当をもらうことを良しとしないんですよ。同じ雇われ方してるんだからスーパーマンでも同じ給料じゃないとおかしいでしょ?って。
だからスーパーマンの雇用の枠組みをちょっと変えて、スーパーマンをめっちゃ働かせようとしたら、凡人さんから非難轟々なんすよね。「俺らを安い給料で無限に働かせようとしてるな!」って。
いやね、誰もあんたらに働いてほしくないわけよ。残業すらしてほしくない。だって赤字になるもん。
ただでさえ、凡人さんの働きざまをカバーするために契約さんっていう真面目な働き蟻さん雇ってるんですよ。たまんないよね。雇ってる側からしたら優秀な契約さんに凡人さんの給料取り上げて渡してあげたいくらいだよ。
あ、凡人さんに純増で契約さんの待遇アップするのは勘弁。お金ないもん。
ほんとは半分くらい凡人さん解雇して契約さんの給料上げたいんだけどね。
だから同一労働同一賃金とかいうアホの寝言はマジ勘弁。やるんなら解雇規制緩和してからにしてよね。ほんと。
世の中人が足りないーって言うけどさ、実際は「使える人」が足りないんであって、会社の中にはマジ勘弁ってくらいのフリーライダーがいんのよ。
それはコモンズの問題。社会を維持するためには様々な物が必要で、そのひとつがコモンズ。社会参加者の行動規範もあたえるし、法や制度にまで落とし込まれていない福祉とか地域社会の維持とかもコモンズに寄りかかっている。「みんなが当然だと思ってるから機能している無形のインフラ」はおおよそコモンズ。
もちろん町内会やPTAのように徐々に時代とそぐわなくなる慣習やコモンズもあるんだけど、公園がきれいなのも、人気のラーメン屋に行列ができるのも、コモンズのおかげ。
これがあるからみんなが快適に暮らせているわけなんだけど、これって参加者がそれぞれに行動自制や労力を持ち寄ってるから維持されてるわけ。コモンズによって生きていられるのだから、その維持には全員参加で貢献しなければならない。
日本は比較的恵まれてて豊かな先進国なのだけど、その居心地の良さはコモンズが強力であることが背景にある。悪い方面で評すれば同調圧力だけど、良い方向に評すれば謙虚で几帳面な生活文化があるから。金払ったんだから俺らはお客様だぞー! なんてサッカースタジアムにうんことゲロ撒き散らかしたりはしない。
んでまあ、コモンズは前出したように「みんなが心地よく過ごせるという利益を得ているんだから、みんなも維持に貢献しましょうね」って理屈で動いてるんだけど、それを、子どもに言い含めるように理屈抜きで感情駆動にした表現が「日本は良い国、愛そうぜ」ってものだ。
だから、本質的には愛情は必要ない。愛情なくただコモンズの維持に貢献すればいい。でもそれって普通の人間の精神には難しい。参加コミュへ「参加している意識」が必要で、必要ならば愛着心とか向上心とかあったほうがずっと楽で、多くの場合まっとうだ。愛国心はそこまで必要じゃないけれど、社会貢献は必要だ。
「法に反しない範囲であるのならば暗黙の前提や協定であるコモンズなんて破ってもOKだ」という人間がいるけれど、じゃあ、彼らはコモンズから利益を得ていないかというと、得ている。秩序ある社会の利益は万民にとって有益だから。なので、そういうことを言う人は「社会維持観点でのフリーライダー」だとみなされる。
近年、経済的に厳しさを増す中で、ベンチャー企業のオーナーの発言などが合理主義に偏りすぎて、この種の「コモンズに対する搾取」方向になったりして炎上する(法的には無罪なんだから何言っても/何やっても良いだろう系)。また移民が増えれば、彼らは日本旧来のコモンズ維持の習慣なんかは学習していないわけだから、当然日本のコモンズへ貢献しない(でも清潔や安全や信頼ベースの商習慣などの利益は得る)。そういう光景が日常化して、世間でも、コモンズの維持に敏感になってきているように思える。日本的に言うと「これだから他所者は信用できない」だ。
愛国心を求めるような言説はその文脈に従って理解されるべきだと思う。要するに大事なのは地域社会の心地よさなんだから、そこに参加して貢献すればそれでいいだけだ。
2018/06/10 13:44 追記
なんかブコメいっぱいつけてもらったんで、補足を追記。上記の生地は裏返しても成立する。つまり「国を愛する精神を声高に叫んでも、地域社会の維持に貢献しなければコモンズ的にはタダ乗り」。素人Web論壇みたいなのが花盛りで、そういう「愛国心だけをさけぶひと」が可視化されちゃったのも不幸なことだと思う。公共の場所はきれいに使う、列の割り込みはしない、軽挙妄動せず災害に備えて準備する、子どもがかけだしたら安全に注意する。別に大した話じゃないのに愛国なんとかで締め付けるのは窮屈。良い文化は捨てる必要ないよ。
広告を原動力とした”今の”インターネットは近い将来崩壊すると思う。
この技術がどんどん進歩して今以上にユーザーに合わせた広告が表示されるようになる。
そして突き詰めれば、客になる見込みのある人にしか広告が表示されなくなる。打率がとことん高くなっていく。
GDPRは今後欧州に留まらず、米国やアジアでも同じような法律ができてもおかしくない。
これが当たり前になる事によって、却って『広告の対価としてのサービス』という位置付けが明確になる。今までのように「なんで無料なんだろ〜ふしぎ!」「個人情報抜いてたなんて酷い!」と裏切られた気持ちを抱く人はいなくなり、広告の対価としてサービスを受けていることを、みんなリテラシーではなくサービスの入り口で理解するようになる。
そしてサービス側も「同意を得てんだから」と今まで以上に過剰に個人情報を引っこ抜くようになる。
パーソナライズが究極形態まで到達すると、ある人物の可処分所得と固定消費額/浮動消費額がある程度算出されるようになる。それが分かれば「この人物は月に3万円分の広告価値しか生まない」という事が分かるようになる。クレジットカードの信用情報のように個人の購買力が数値化され、そのスコアが一定以上ないと無料では利用できないサービスが登場する。
富裕層専用SNSなんてものは詐欺の温床になるから本当の富裕層は近付かないだろうが、購買力スコアによって料金が値引きされるNetflix、みたいなものなら抵抗も少ないだろう。
この段階になるとこういった形でしか無料では高品質なサービスを受けられなくなる。
アドセンスが登場してからパーソナライズされない直接契約の広告はほとんど見かけなくなった。facebookが登場してからTwitterはジリ貧になった。広告を出稿する側が非効率な方法を避けるようになったからだ。購買力スコアによる広告が登場すれば、購買力スコアに基づかない広告は二足三文のゴミになる。
こうして、何でも無制限に無料で享受できる“今の”インターネットは、0円携帯のように過去のものになる。一部には残るだろうが、それは一段劣るサービスになるだろう。