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はてなキーワード: バイアスとは

2020-05-14

anond:20200514160139

ガラスは硬いほど割れやすくなる。

あとiPhoneユーザーが多いので割れてる画面も見かけやすバイアスがある。

anond:20200514125830

でもそれって結果論しかなくない?避難せずに済んだのは運が良かっただけだろう、あの時点で逃げる逃げないのどちらが正解かなんてわからない

からないのに結果次第で「バイアス」と呼ぶのは間違いではないか

逆に「異常化バイアス」で困ってる奴いないの

ていうか十分な判断材料がないのに予想したら大抵どっちかに外れると思うんだけど

どういうのがいけない「○○化バイアス」なんだろうか

anond:20200512230455

>もう何かのバイアスしか思えないので無視するようにしている。

でも説得力ある説明はできないと

2020-05-13

どんな間抜け政治的発言であろうが

少なくとも政権擁護なら一定数は支持され守られるという非対称性を忘れるべきではない。そういうバイアス理解してれば黙っているのがフェアな態度だろう

プライベートコミュニケーションにおいて(知的)自信を与える

公的私信

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tl;dr

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前提

  • その場で個々人が「自信を与えられた」「自信を傷つけられた」と感じること自体相手によって尊重されなければならない。「あなたがそう感じるのが誤っているのだ」という考え方は、そこにどのくらいの誤解や無理解があるかに関わらず、表題文脈において無意味である

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「ある男がパートナーの女の(誤った)発言に対して毎回優しく肯定的に応じたのち、間違いを説明する」というカップルの在り方について、「優しく肯定が入る方が女性側の立場として自信が得られる」という考えについて。

基本的にこの構図がお互いの認識になること自体が mansplaining さがあって嫌なのだけど、それは表題文脈の下では脇に置いておいて、そこでの選択肢として、{肯定的/否定的}に応じ間違いの説明を{しない/する} という4通りにおいて、{肯定的, する} というのは確かに望ましい。まず、批判非難の違いが一般理解されにくいのは、批判否定的な口上は例えばその場が学問であるといった「場」があることで信頼が支えられていて初めて機能するので、それ以外の場で批判(正/偽)と非難(善/悪)が混同されることがあるのは、必ずしも混同する側が悪いわけではない(cf.SPEED今井絵理子議員の「批判なき政治発言)。その意味で、プライベートコミュニケーションにおいて、{肯定的/否定的}というのはニュートラルではなく、肯定的の方が心理的効果として望ましいといえる。また、毎回間違いの説明をすることは、毎回間違っているということに気づかされることになり自信を喪失しうるが、指摘しないままにパターナリスティックに傷つきやすにの配慮して放置することは相手反論したり、追加情報提示したりといったことを通して「相手の方が正しかった」という可能性に賭けないということであり、他者としての尊重に欠けるばかりか、相手の成長の機会をも奪うことになる。ただ、陰謀論的だったりオカルト的だったりといった特定バイアスを含む情報ばかり拾ってくることは、一朝一夕改善するものではない。そうならないためには相応の努力知識必要なのであって、場合によっては、ずっと同じ構図を繰り返しその構図がお互いの認識になるということが生じてしまうかもしれない。そのどうしようもないギャップを、他の側面で補うことで相互尊敬を維持できるならば、これは問題として前景化しないかも。でも、その切り分けをせずに、繰り返し続けている誤りについて、口上のオブラートごまかしたとしても、少なくともそれは知的自信の向上までにはつながらない。自信を支える相応の能力実践、もしくは基礎的な肯定感が必要である

ここで、「もしくは」になるのは、「自信」の性質に拠る。(上のような話をしておいてリテラシー低めの引用をするのは気が引けるが、読みやすさを重視して、参考: https://diamond.jp/articles/-/78423?page=4 )自信を得るのに能力や実績が有効ではあるが、能力や実績がなくても自信が得られないわけではない。生来自己肯定感などによってそれは変わる。逆に言えば、そこが低いと、小手先で何をしたところで、自信は低いままにもなる。病的であれば、薬によって脳内神経伝達物質バランス改善を図るということも視野に入れるべきであるしかし、そこまででないならば、「他の側面で補うことで相互尊敬を維持」という意味で「愛されている」という実感による基本的肯定感の向上などが有効でありうる。逆に言うと、自分を愛さな人間と一緒にいることは、自己肯定感の側面からかなり危ない行為であることに留意したほうがいい。ここで、愛も、条件付きの愛とそうでないものがあるが、条件を、性的ものや、ある1つの能力的なもののように一側面の条件に頼っていると、それは脆弱になる(というかそれは愛ではないと思うが)。条件付きであっても、それは、条件と等価以上に為されるものであることで(cf. 信頼と信用の関係、『信頼の構造』を想定しているけど、アドラーでもなんでも同じようなこと言ってる) 肯定感を支える愛になりうる。

少し話をもどして、プライベートコミュニケーションにおいてそもそも正しいことが必要かどうかというのも一考の余地はある。例えば、「今日は空が赤いねぇ、不吉な感じすらするねぇ」という言葉に対して、「空は予言能力はない」なんて返したら、その返しすらギャグである場合を除いて、「科学的に正しいこと」に重きを置きすぎていると言われてもしょうがないだろう。いつもいつも科学的な正しさを持ち込むべきではない。一方で、「〇〇という薬が効くそうだよ!」という言葉に対して、「それは××という危険性が指摘されていて安易に飲むべきではない」と応じることは、プライベートの場面であるとはいえ、いやむしろ、服薬するという最も実践的な場であるからこそ、科学的正しさが適切に活かされなければならない場面である政治的な発言については、例えば「#検察庁法改正案に抗議します」とだけ呟いた芸能人に対して「なんも分かってないだろ」といったクソリプが相次いだけれども(それ自体は具体的ではない発言に具体的ではない形で具体的発言のなさをなじっていて全くクソリプしかないと思う)、そこで立法の背景の正当性についてどう思うかと問うこと自体は(数の暴力を伴わなければ)議論を深めるために民主主義的には望ましいコミュニケーションである。それがTwitterのようなパブリックな場ではなく、プライベートコミュニケーションにおいても同じく妥当する。ただ、政治的な話をすることというのは、それ自体が嫌がられるし、議論となるともっとそうだ。特段の配慮必要でもある。学問的な話なら、それが宇宙人存在についてであってすら、正しさはむしろ娯楽のために重要である。それが(学問ではなく通俗的意味での)文学的な話ではないと相互了解があった上ではあるが。つまり、「タコ型の宇宙人って歩きにくくない?」から始まる会話は科学的正しさによって楽しもうという意思は見られないので、それはまるで漫才相方のように応じればよいのである。{正/偽}をコードとしない意外と多くの場面でも正しさというのは実用的にも楽しさの面でも重要なのであり、それが、「知的レベルが合っていないと楽しくない」というのがよく言われる原因でもある。もちろん、賢いなら相手に合わせることもできるのだが、それは冒頭の話に戻る。そのパターナリスティック対応は、相手尊重しているのですか、と。

2020-05-12

富川悠太アナの嫁とうちの嫁同じなんだが

富川悠太アナ鬼嫁と言う記事を見て、「あ、これうちじゃんw」って笑ってしまった。

我が家小学生の子供が1人いる3人家族

嫁は自分の親・兄弟と仲が悪く絶縁状態。俺の実家とは仲が良いが遠方なので年一会う程度。

結婚する前は嫁はすごい気が効く優しい人だった。が、結婚してから豹変ちょっとしたことヒステリック激怒するようになった。たまにトイレ電気を消し忘れただけで、鬼軍曹な太い声で「トイレ電気消せっていってんだろおおおぉぉぉ!!!」と怒鳴り込んでくる。本人としてはそれは怒っているわけではなくただの指摘らしい。ちなみに嫁もよく消し忘れる。

自身からも「家族だと思うと止められない」とはっきり言っていた。結婚前まではセーブしていたらしい・・・

かに結婚前に嫁の実家に行った時に嫁の親とか兄弟に「部屋が汚え!」と怒鳴ってたわ。あの時は「自分はこんな扱われ方はしない」って思っていて完全に正常バイアスだったわ。これから結婚相手を探す人は、親・兄弟との仲をよく見ておいた方が良い。ちなみに嫁も片付けられない人だ。

嫁はプライドが高く基本他人を見下している。その態度で友達を失ったこともある。そしてフェミニスト女性軽視な発言出来事には激昂する。怒りの沸点が低く、一般人の「それダメだよ」の軽い指摘が、嫁がやると「何やってんだおらああぁぁぁ!!!」になる。

嫁が他人を見下せるほどできた人間なら良いのだが、まったくそんなことはない。

怒りっぽい人のあるあるだが、他人に厳しく自分に甘い。怠惰暮らし体重は年々増えている。

出会ったとき正社員仕事はやめ、今は趣味みたいな利益ほとんどでない(ってか赤字?)仕事個人でやっている。他人に指図されるのが嫌いなので、組織で働けないのだ。そして家事全然できない。料理はかろうじてできるがそれ以外の掃除洗濯などは一切やらないのですべて俺がやっている。

子供にも同様に厳しく、幼児のころから能力開発系の通信教育をやらされ、今も習い事学習塾で忙しく友達と遊ぶ時間なんて皆無の状態だ。そして、うちの子不器用な子で、自分子供の頃と比べても勉強運動全然できない。そんなんだから、嫁はさらヒートアップ休校中の今は毎日家で嫁の怒号が飛んでいる。

最近の話ではないが、昔実際に警察も来たことがあるらしい。嫁の怒号と子供の泣き声で近所の人が虐待を疑って通報したらしい(その出来事があってから数年経ってから子供から聞いた)。そのときは注意で終わり、次またあったら逮捕しますということを言われたとか。

そんな嫁と俺との関係なんだけど、喧嘩する段階はとうの昔にすぎ、今は家庭内別居状態。完全にただの同居人。最低限の会話しかしない。子供のことに関しても俺が口を挟むとかえって炎上するので、暴力が起きそうなよほどのことがない限りは静観している。家にいても息苦しいので週末は日中公園とかで読書とかゲームとかで時間潰している。

子供はと言うと、そんなママでも好きらしい。嫁は子供には優しい時は優しいのだ。割合でいうと5%くらいだけど。そんな感じなので、子供のことを考えると離婚しづらい。したいけど。ちなみに嫁と離婚話をしたことも何度もある。

から離婚を言い渡されるか、子供社会人になるまでとりあえず我慢しようと今は思っている。

富川悠太アナも今同じこと考えているかなと思った。

コロナ対策自粛トロッコ問題に似ている

何もしなければ、主に高齢者基礎疾患ある人が死ぬポイントを切り替えて自粛すると失業者が増加し現役世代自殺する。

トロッコ問題と違うのはポイントを何度も切り替え出来るのとパラメータが外的要因によりコロコロ変わるし結果の予測が難しい事だ。

しか本質的には同じだろう。

過激な言い方をするなら、自粛継続すると言うことは主に老人を守るために若者を引き殺すと言うことだ。

自粛を求める人達は現役世代を引き殺す事を求めているのと表裏一体だと言うことを自覚しているだろうか。コロナリスクがわからないので安全サイドに振るべきと言う人は現役世代危険サイドに振ることを主張しているのと表裏一体だと自覚しているだろうか。それ高齢者現場で頑張っている医療関係者の前でも言えるのって聞く人は自殺者の遺族になんて声かけるのか考えてほしい。


話は少し変わるが、この世のリスクコロナ自殺だけではないのは言うまでもないだろう。

だが人間は昔からある身近なリスク無視して新しいリスクを過大に評価するバイアスがある。

原発事故後に東京に住めなくなるとか騒いでた人いたよね。

今考えているコロナリスクも過大に評価していないか冷静に見つめ直してほしい。逆に日頃気にしていない身近なリスクを過小に評価していないか見つめ直してほしい。

コロナで大騒ぎしている人は毎年インフルエンザ予防接種を受けているだろうか。風疹予防接種無料クーポンを受け取った男性は捨てずに受けただろうか。感染症の他にも交通事故とか風呂溺死とか階段から転落死とか身近な高リスクは多数あるが特に高齢者(のいる家庭)は気をつけているだろうか。

数多くのリスクの中でコロナリスクの大きさを年間の死亡者数で比較検討したことはあるだろうか。


りあるリソースを全てコロナ対策につぎ込むのではなく、費用対効果考慮しいろんなリスクに対して効率的に使う事を全ての人に考えてほしい。

2020-05-11

anond:20200510180035

冷静に分析してるつもりかもしれないけどバイアス掛かりまくって何いってんのこいつってかんじ

2020-05-09

anond:20200509082755

……この様に、データ量が少なかったり、バイアスのかかった質の悪いデータばかりであったりすると、過学習が起きて間違った答えを出すモデルが出来上がってしまうのです

2020-05-08

ジェンダーロールを降りられるのは強者だけで弱者は降りづらい

結局ジェンダーロールを降りられるのは強者のみで、

弱者ジェンダーロールから降りづらい…って話に尽きるのではないか

まっこと残念な話ではあるが、現代でもなお男らしさ女らしさを求められる局面はまだまだ根強い。

もちろんそういうものへのカウンターとして「男らしさ女らしさとか下らない!解放されよう!」

というメッセージは私も素晴らしいとは思うのだが、ここで問題となるのは、

ジェンダーロールを捨てた結果生じる生きづらさだ。

そしてその生きづらさを補填できる存在こそが「強者」であって、「弱者」は補填しづらいのではないか

(ここで言う「強者」とは年収とか容姿とかコミュ力かにまあ多岐に渡る要素に関してハイスペであることを想定しちょる)

昨今にはジェンダーフリーを標榜する芸能人活動家セレブなど数多に存在しているし、

彼ら彼女らは実にキラキラしていて素晴らしい。

しかしそれこそ彼ら彼女らがジェンダーロールを降りてもキラキラ輝けるのは

まさに「強者」…ハイスペであるからであって、

わいら弱者が彼ら彼女らと同様にジェンダーロールを降りてキラキラ輝けるもんなんけ?って話やんけ。

…結局弱者が取りうる道とは、

ジェンダーロールから降りてドロドロのジリ貧になる」

ジェンダーロールにイヤイヤ適応して平均的に生きる」

…の2つしかないのでは。

いや私は世の人みんな男らしさ女らしさとか下らないものから解放されたら良いとは願っていますよ。

私が言いたいのは「ジェンダーロールから解放されよう!」という主張は結構ですが、

ここらへん「強者ほどジェンダーロールを降りやすく、弱者ほどジェンダーロールを降りづらい」

しいて言うなら『強者バイアス』こそが、

昨今のジェンダーフリー談義において圧倒的に無視されてるのではないか?ってことですよ。

子供向け漫画に出てくる父親がだらしないことが多くて萎え問題

ちょっと前に、「科学者の絵を描いてください」と言うと、白衣を着て眼鏡をかけた、髪がボサボサの男性を書く人が多い、というジェンダーに関するバイアス話題を読んだ。

https://eijionline.com/n/na333fc832278

かいところはさておき、全体としては同意する内容だった。

些細に見えるステレオタイプ描写も、それが固定観念を強化して循環してしまうようなイメージを持った。

それで思い出したことがある。しばらく、モヤモヤしていたことなんだが、ここで吐き出したい。

タイトルにも書いたんだが、子供向けの漫画に出てくる父親がだらしない問題に、けっこう辟易している。

たとえば、小学生くらいをターゲットにしていて、日常をほのぼの描くギャグテイストマンガとかを想像してみてほしい。

そこに出てくる父親は、だいたいサラリーマンで、休日仕事に疲れて家でゴロゴロしていて、だらしなくて自分奥さんに怒られることが多かったりする。

ちょっとくらいならいいんだけど、そういう描写が多かったり、複数種類のマンガでそういう描写があると、だんだんと嫌になってくる。

増田父親で、複数人の男児を育てている。シンパパではない。

家事育児も、かなりの割合担当している。そこそこ手を抜きながらやってはいるが、子育てにおいてメインの責任者である

で、息子たちが読んでいる本の中に、上記のような描写がたびたび登場する。息子らはゲラゲラと楽しそうに読んでいて、深いことは感じていないように見える。そう、些細なことだな、とは思う。でもこれはきっと、冒頭で書いた科学者ステレオタイプに似ている気がする。

こういうステレオタイプステレオタイプを強化していくかもしれない。

子育てをしていれば当然、性差を感じることは多い。男女が全く同じだとは到底思えない(ただし、それすら環境なのかもしれないが)。ただ、性差があるのは全体の傾向としてだ。一人ひとりを見れば、十人十色

たとえばある男児目線から見て、ケアバー母親女性だけで、その母親たちがこぞって「男の子ってこうよねー(乱暴、がさつ、めちゃくちゃ etc etc)」などと何度も語っていると、そうしたステレオタイプが強化されてしまうのではないかと思う。つまり、「男の子っていうのは概して雑で、家事労働はあまりせず、危険な遊びを好むものであり、本来は良いわけではないがまあそれで許容されてしまうのだ」、というメッセージが何度も刷り込まれていくのではないだろうか。母は男児をわかり合えない宇宙人として扱い、あきらめて(比喩的意味で)放り投げてしまう人が多い気がする。

対して女児は、わかりやすい同性のロールモデルである母親が目の前にいて、母親の方も娘を自分と同一視しがちで、ケア提供者だったり、大人っぽい振る舞いをするというエッセンスインストールされていくように思う。

(4歳くらいの女の子でも、母親とまったく同じ口調で怒ったり愚痴ったりするのは笑えるがちょっと怖い)

あれこれ書いたのだが、こうしたマンガ描写にせよ、ちまたに見る「男の子ってこうよね~」という物言いは、あまり全般に浴びせるのはちょっと慎重にしたい。まぁマンガ描写は生暖かく見守っていきたいが、元少年増田としては、自分の口から出る「男の子っておばかねー」みたいな発言は慎重になりたい、と思う。

2020-05-07

anond:20200507162226

かに見える人を探して回る行為意味はあるのか?

自ら自分視野バイアスをかけて精神を歪めていく趣味があるなら止めはせんが

概ね一般人バイアス必然的に取り込んでしま

そして破裂するまで膨張する

2020-05-05

anond:20200505102836

んー。多分、増田の本当に意味するところは分からないでもないんだと思う。しかしどうにも言い方が悪い。

大学出て良かったな、学びがあったな、今の仕事に役立っているな、と思っている人間に、大学なんて無意味だ!結局政治家の子供が政治家やってるじゃないか官僚も全員バカ!やめちまえ!と言っても、最初の「大学なんて無意味だ」で引っかかってしまって、同意できなくなってしまうのかな。それは俺のバイアスだし、申し訳ない。

どんな間抜け政治的発言であろうが

少なくとも政権擁護なら一定数は支持され守られるという非対称性を忘れるべきではない。そういうバイアス理解してれば黙っているのがフェアな態度だろう

どんな間抜け政治的発言であろうが少なくとも政権擁護なら一定数は支持され守られるという非対称性を忘れるべきではない。そういうバイアス理解してれば黙っているのがフェアな態度だろう

2020-05-04

 

どんな間抜け政治的発言であろうが少なくとも「政権擁護」なら一定数は支持され守られるという非対称性を忘れるべきではない。そういうバイアス理解してれば黙っているのがフェアな態度だろう

anond:20200505102614

どんな間抜け政治的発言であろうが少なくとも「政権擁護」なら一定数は支持され守られるという非対称性を忘れるべきではない。そういうバイアス理解してれば黙っているのがフェアな態度だろう

anond:20200503204026

分析

風俗嬢刺身 ともに理詰めで考えると、<サービスを生み出す主体>が不幸になる ということであるという指摘に同意したとする。

勉強不足、考え足らずのダブルスタンダード非難するのは仕方がない、といえる。

一方、そもそも 社会の全構成員が全ての情報を知っているうえで判断する、という視点立脚するのではなく、

限定的知識で行動することがある、という視点に立ったとすると、

その場合刺身のようにポジティブ評価になるか、風俗嬢のようにネガティブ評価になるのか、それは

直感にわかるかわからいか、が ポイントかもしれない。

カツオ刺身風俗嬢の間には、行動経済学バイアスに相当するものがある、ということか。

https://www.tfics.jp/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0-new-street/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%8A%95%E8%B3%87%E5%AE%B6%E5%BF%83%E7%90%86%E6%95%99%E8%82%B2%E3%82%92/

心理学立場から(カーネマン経済学者ではない、認知心理学である個人心理まで分析して経済分析する手法が現れたのは必然である。このような個人経済人を「ヒューマン」と呼んでいる。「ヒューマン」は、合理的経済行動をとる「エコン」に比べて、不合理ともとれる行動をしばしばとる。それはバイアス認知錯覚からくるものである

2020-05-02

上白石萌歌初恋の人に似ててつらい

初恋なんて30年前の事で、今となっては当時の自分のウブさに酸っぱい唾出てくるんだけど、上白石萌歌がその初恋の人に似ている。眉とか頬の具合とか。

記憶の美化バイアスはかかってるだろうけどね。

見るたびに当時を思い出してしまうから、口の中が酸っぱくて大変。

2020-05-01

anond:20200501014246

TwitterのTLなんて事実のごく一部で、それは往々にしてバイアスがかかっている。

あなたのほうがよっぽど独善的気持ち悪い。

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