はてなキーワード: グローバル化とは
まず、今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々のお見舞いを心から申し上げます。
次に、僕のスペックです。都内の大学に通う学生(新二年生—ちなみに一浪—)です。所属学部のカリキュラムによって、ほとんどの授業を英語で行って、レポートも英語でたくさん書きました。といっても、僕の英語の能力はだいたいTOEIC700点前後だと思います(TOEICはうけたことがありませんが、学校で受けさせられたテストなどで換算するとこのくらいです)。700点前後なので、あまり大したことは言えた身ではないのですが、英語については昨年度かなり自分でも悩み、考えたし、また、TOEICなどのスコアだけで英語の実力のすべてが測れるとも思っていないので、僭越ながらも英語についての意見を述べさせてもらいます。(ちなみに未だ日本から出たこと無いです)
最後に、書こうと思った動機について。主に二つ。ひとつは、日本人の英語熱が、去年のユニクロ、楽天の英語公用語方針表明から、加熱の一途を辿っていることを受けて、自分—英語が公用語の学部で学んでいる自分—が何か良い意見を述べることができればいいなと思ったから。あとひとつは、自分の英語に関する考えを今の時点で言語化して整理しておきたいという考えがあるからです。
英語学習者の多くは「英語ができるようになりたい」や「英語上達!」などと言います。が、少し待って下さい。その宣言って少し漠然としすぎではないでしょうか。ここで、試しにあなたが今思っているその「英語」に修飾語を二つ付けてみて下さい。例えば、ある会社員の場合は、practicalと businessを足して、”Practical business English” (実践的ビジネス英語) となります。こうすることで、あなたが必要な英語がもっと鮮明になるでしょう。さらに対策だって立てやすくなると思います。子供が語学を身に着けながら成長するときの様に、日常の様々な場面での遍く英語表現を身に着けることは大人には困難です。しかし、範囲をうまく絞れば、そこに特化して勉強することで仕事で困ることが少なくなると思います。
僕は昨年度、英語を話す日本人を数十人ですが見てきましたが、およそ二つのグループに分けることができます。それは、日本語を話すときと同じ感覚で英語を話している人と、英語を話すときは全く別の口の開け方や筋肉の動かし方、さらには呼吸法までする人たちです(帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます)。タピオカドリンクを飲むときは、コーラを飲む時に使うストローじゃ飲めないように、英語を話すときも日本語用の発声方法を脇に置いて、英語用の発声フォーマットで話さなくてはならないのです。先に示した前者の人々はだいたい、声が小さいぼそぼそとしたしゃべり方をします(もちろん発音は滅茶苦茶チョッピーです)。これは、はっきりいって意識の問題だと思います。発音やアクセントの前に態度(attitude)の問題だと思います。
これは上とだいぶ関連があるのですが、英語を真剣に話そうとすると多かれ少なかれ「欧米人っぽさ」や、悪く言えば「ネイティブかぶれ」が現れてしまいます。だが、これらに対して嘲笑したり、からかったりしてはいけないと思うのです。日本人の間で「かぶれ」に見えてしまうことも、英語話者同士では普通の事なのです。だから、間違っても日本人によるつまらない価値観から、その人の外国語に向かおうとする態度を軽蔑してはならないと思います。お互いにとってマイナスにしかなりません。
英語がわからないから話が理解できない、と思ったことがある方。それは本当に英語が問題でしょうか?例えば、去年流行った「ハーバード白熱教室」。この番組はiTunesやYouTubeで無料で見ることができます。僕も、視聴していて三周目も終わろうとしている頃ですが、まだよく理解できているとは思えないです。『これからの「正義」の話をしよう』も、その原著である”Justice-what’s the right thing to do-”も持っていて一通り読みましたが、未だ理解できたという確信がありません。なるほど、「テメエがアホなんだよm9(^Д^)プギャ―」という意見もあるでしょう。しかし、サンデルの授業内容がそれなりに高度なことも事実ではないでしょうか。日本語で聞いたとしてもそれなりに高度なことには変わりません。それをさらに外国語でとなると余計に理解が難しくなってしまいます。自分の英語読解/聴解能力を疑う前に、言語に拘わらずそれを理解できる知的基盤が備わっているか。それをただ「英語が分からない」と悲観する前に、確認する必要があると思います。
某経済評論家などを「達人」と見做している英語学習者は、いつまでたっても英語ができるようにならないと思います、失礼ながら(インタビューもそんなにあてにしちゃいけない)。そもそも、本当に英語できる人間は、日常のほぼ全てのタスクを英語でこなしているような人たちではないでしょうか。論文であれ、企画書であれ、会議であれ、学術発表会であれ。そういう本当の「達人」らは、われわれ一般人に指南するような立場を超越していらっしゃいます。さらに、そういう人たちはあまり表に出ない人たちです。なぜなら、一流のビジネスパーソンは週刊誌の英語特集に顔だすくらい給料安くないし、言語学など学問分野の一流たちもそんなところに出て自分の株をさげるようなことをしないでしょうから。
では誰をロールモデルにするのか。はっきりいってツールである英語にロールモデルが必要であるとは思わないのですが。強いて言うなら、『英語達人列伝』の中から探すといいと思います。これを読めば、「日本人は英語ができない」といった言説が神話であると思え、すこし勇気が湧いてくると思います。
英語学習において、発音を磨くことは何かと批判の対象になります。恐らく、それは英語学習における贅沢品と受け取られるからでしょう。目玉焼きも焼けない人間が高級イタリア料理「カルパッチョソースのデミグラス和え 地中海の新鮮な貝の奏でるムースとともに」(※こんな料理はありません)を作ろうとするように捉えられてしまうのかもしれません。
しかし、僕は発音も大切だと思います。磨けるなら磨いた方がいい。じゃあ、どのくらいまで磨くか。もちろんネイティブレベルとは言いません(発音向上批判がネイティブ信仰批判と結びつけられることも多い)。が、強いて言うなら「自分の発音に自分で酔えるくらいまで」としておきます。英語を話している時の自分がいつもと少し雰囲気違うな、とか仕事できそうだな、くらいに思えるくらいです。語学学習は基本的に孤独な作業であると思います。周囲に誰も人がいない部屋で黙々と音読…そんな状況で心を支えるものが、わずかながらのナルシシズムだと思うのです。ここで注意しておきたいのは、自分の発言を瞬時に考えて話す「スピーキング」と音読教材を見ながら話す「スプリクト読み」の際の発音能力は個人の中でも違いがあるということです(ここでは詳述しません)。
昔NHKで「英語会話」の講師をしていた東後勝明氏はこう言っています。
「発音が大切だ」と言えば、すぐに、「本国人のような発音の必要はない。日本人なのだから日本人の発音で十分」と反論が返ってくる。「単語を覚えたほうがいい」と言えば、「単語だけを覚えても何もならない。その使い方を覚えなければ駄目」と言われてしまう。うっかり「会話ができなければ」などと言おうものならたちどころに「ただペラペラしゃべれるようになるだけではかえって人間が軽薄に見えて困る」と一蹴され、「それより、内容のあるものが読めることだ」とか「話す内容が大切」ということで会話の重要性は影をひそめてしまう。
「文法をしっかりやりなさい」と言えば、「文法に頼る英語力には限界がある」とか「文法を教えすぎるから、英語が使えなくなっている」と、これにもまた反論が出る。それでは「実際にありそうな自然な対話をそのまま暗記してみれば」と言えば、「会話はそんなに準備されたせりふ通りにはいかない。そんなものをいくら暗記しても役には立たない」と誰かが言う。… ( 東後勝明 「聞き、覚え、使う」 現代新書編集部 『外国語をどう学んだか』 講談社 1992)
要するに、唯一絶対の方法なんてありませんよ、ということであり、たとえ少し間違った勉強法をしてしまっても、それほど差はないですよ、ということ。やりかたで戸惑って学習不安なんて愚かだと思いませんか。ネットで情報収集だけに一生懸命になっている方、とりあえずブクマして満足している方。
世界に飛び出ていく為のツールである英語を、日本の企業や学校の基準に合わせてどうするのでしょうか。会社や学校の要求に応えることが重要であることは言うまでもないですが、これから英語を勉強して身に着けるということは必要不可欠であるということ。すなわち、グローバル化によってかつては「あった方が有利」だった英語から「ないとダメ」というように変化してしまったのです。だから、これから英語学習する人――特にビジネス面の方々――は、外国、とくに韓国、中国にライバル意識を持って外国語を学ばなければならないのではないでしょうか。
英語に関することで今問題だな、(というか、もったいないな)と思うのが巷の「英語学習」と、学問としての「英語教育」との乖離です。この春休みに入ったころに、集中して現在刊行中の「英語教育学大系」シリーズ(大修館)を読んだのだが、個人的に得るところが結構あった。そういった学問分野での研究成果をうまく巷の「英語学習」に反映させればいいと思うのだけれど、実際「英語学習」者たちの間でウケてしまうのはTOEIC900点をとった人たちのアドバイス記事。もったいない。
これ500B!超えたらblog再開させようかな…なんてw
訂正
帰国子女の方々は生まれつき後者の姿勢が備わっているきがします→帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます
ちがう。単なる 冷戦特需。人口とか戦略とか実はあまり関係ない。
次に、中国のほうが人口は多く、教育程度もよくなってきている。
現在の日本の優位性は、パテントやブランド つまり、一部の人間の既得権益または知的生産物 であって人口の過多ではなくなっている。
・すでに出ているけど、情報のグローバル化によって、働いている人間、いない人間の情報がつぶさに伝わってしまうために 後方が戦闘に参加していないとなると前線の士気が下がるという 士気の観点。
・農業・林業・水産業など既存の1次産業の効率が戦場になるので、これはどうしても後方の戦争になってしまうという戦場の観点(TPPとか波はもう来てるでしょ)
・後方が知的生産訓練をあまりにしていないために、後方におくっている資金を有効に活用出来ていないと思われるために、すくなくとも、もうちょっと訓練しろや。という意味で戦場に近いところに立たせようとというのが現状の中央の考え方という観点。
・最後に、いまは、アメーバー的な分散してみて、結果が出たところにみんなが攻めこむ方式が主流なので(こういう戦略になった経緯はいろいろあるが、時代の流れが早いというのがひとつのりゆうか)なんかやってみて。という 意外となんかできんじゃね?的観点。
とりあえず、弱者は守らないということではないんだ。 弱者を守るのではなく、敗者を守ろうというのが、これからのマインドだと思われる。
まぁ、あと、最初に戻るけど、国自体の収支が悪くなってきているので、そういう中で、戦わない人、後方と、戦っている人前方では、先に後方の物資から減らされるのは仕方ないよね
という、切羽詰った話で。
それを 所得移転であり、貧乏人がより貧乏になるというのとは、違うと思うけどね。という話で、 全部の話は一連だと思っている。
オートメーションが進めば、なくなるのは「肉体」労働なのか。
機械だけになって機械を作る機械が出来ても、その機械を設計する人間は必要になる。だから、肉体で労働するわけじゃないが頭を使って労働する人間は必ずいる。
そして、次にメンテナンスが必要ということだけど、そのメンテナンスをそもそも人間自身も行ってるわけで、
なぜ他の人間がいなくてもメンテナンス出来るかといえばそれは自立行動し自分で栄養補給し排泄することが出来るからだ。
とすれば、全てを機械にやってもらうためには自動メンテナンスすることが必要だ。
さらに、知能労働が人間だけのものということでもなくなってくる。
自動メンテナンス出来る機械が誕生すれば、そもそも自分の意志で何かを考えることが出来る機械が登場してもおかしくはない。
その機械を何らかの方法を使って制御し、ある一定の労働のみを行わせることが出来れば・・
確かに教師ロボットなどの知能労働をするロボットは過去のSF作品でよく出てくるしありきたりな話ではある。
しかし、人間そのものが大幅に変わってしまうという作品はなかったかもしれない。
そこで人間がどうなっていくかを考えれば、やはりこれは機械に近づいていく。つまり、機械のような都合の良い肉体を求めていくということになる。
たとえば、視力が落ちない義眼、怪我に強く疲労しない腕や足、睡眠の必要がない身体。
そもそも人間が人間にとって都合の良い世界を作るために必要としたのが機械だ。機械を必要としているのは、人間というよりは人間の脳だ。
だとすれば脳以外の肉体をそっくり人工の、脳にとって都合のいい身体に変えてしまっても問題はない。というより、それが脳の願いなんだろう。
機械が徐々に人間らしくなっていき、人間が徐々に機械になっていく。どこまで行くかは分からない。しかし、今の自分の想像力では、機械が完全に人間になるということは多分ないと思うし、人間が完全に機械になるということはない。
機械が人間になるということは、本来の機械の役目(都合の良い労働力)が失われてしまうし、人間が機械になったら、つまり人間の脳まで機械になってしまったら、それはもう人間とは言えないし、都合の良い身体を欲しがる人間はいても、人間を捨てて機械になりたいと思う人間がいるとは思えない。
でも、人間と機械の微妙な均衡点というのが一体いつまで維持されるのか分からないし、それを維持するという明確な理由が見つからない。つまり、「人間が機械になってはいけない理由」や「機械が人間になってはいけない理由」。
人間が機械になるなら、都合の良い労働力として工場に派遣されても問題はないし、元機械だとしても性質は完全に人間のそれと同じなら彼らを機械とカテゴライズする理由もなくなってしまう。
個人的にこの未来は恐ろしいと感じる。この恐れは、多分自分が許容できる未来の限界点を示してるんだろう。
人間が機械になり、機械が人間になる、こんな未来がいったいいつになるのか想像も出来ないが、もしかしたら1000年以内にやってくるかもしれない。500年以内と言っても早くはないかも。
結局、脳は機械になることを望んでいるんだろうか。
脳の持つ性質は、人間味という言葉からはいずれも遠いし、脳が願ったものを見てみても、そこに人間らしさというものはない気がする。
デザインという右脳の意向が強く反映される部分だけ見れば確かにそこには人間らしさがあるが、ほとんどの部分は左脳の意向に沿ったもので、そこにあるのは無駄がないすっきりとしたデザインだ。
このまま行けば、もしかしたら右脳が完全に左脳にとってかわられ、人間らしさというものは完全に失われるのかもしれない。
たとえば、機能ごとに何を選ぶかという自由はあっても、同一の機能で違うデザインのものということはない。
ファッションを見ると、概ね左脳に支配されていない、つまり時間軸的には過去、文明でいえば未発展のほうがより派手で無駄が多いデザインになってる。
これは、右脳がそういうものを求めていて、まだ言語世界が発達していなかった世界ではそういう華美なものが求められていたのかなと思う。
逆に現代に近づくにつれ、だんだんと右脳よりも左脳がデザインに口を出すようになり、より合理的で、無駄がなく、画一的なデザインが選ばれるようになっていった。
グローバル化もそれに似ている。素晴らしいものが一つあれば皆がそれを真似し画一的になる。萌え絵、ハリウッドの方法論、ファストフード店、郊外型店舗などなど。
このまま左脳が優位になればどうなるか。人々は次第に画一的なものを問題だと思わなくなっていく。
たとえば草食系。必要のないものにはお金をかけない、すなわち安い画一化されたものを購入する世代の出現。
ユニクロがバカ売れする時代。もはや重要なのは「機能的かどうか」であって、個性的かどうかではない。
言語も統一される可能性がある。英語かどうかは分からないが、この勢いでいけばやはり英語が地球標準言語となる可能性は高い。
しかし言語というのはその土地に根差したきわめてローカルな存在だから、もし英語で世界の言語を統一するとなれば、よりグローバルな言語となるため進化が必要になるだろう。
ここで考えられるのが、どうやってグローバルな言語となるために進化するのかということ。
確かに元々ローカルな言語というものは、どうやったってその民族、環境などに影響されやすい。
まず環境を考えるとすれば、実は地球上では既に環境のグローバル化が起きている。それが、自然環境に左右されない都市化という現象だ。
都市は概ね自然から断絶されており、都市間には自然環境ほどの劇的な違いは見られない。どの都市もコンクリートで舗装された地面があり、車が走り、高層ビルが立ち並び、駅やコンビニが点在している。
ということは、実は都市だけを見ればほとんどの都市は似たり寄ったりで、そうなるのは必然なのだ。
次に、民族。これも、実は統一されつつある。都市間の流動が激しくなっている。
日本はそうでもないかもしれないが、アメリカには中国系日本系韓国系インド系ドイツ系・・いくらでもいる。
たくさんの民族が一つの都市で暮らすことが出来るのは、都市が画一化されていてどこにいても大して変わらないからだろう。
かつての江戸とロンドンはあまりに違う。人々が着ている服も習慣も全く異なっていた。しかし、今は不完全ではあるがすべてが画一化されようとしている。
また、混血も重要だ。日本人とアメリカ人を先祖に持つ人間というのは珍しくない。移民がネガティブな問題として取り上げられることが多いためまだ混血というのは多くないかもしれないが、確実に今後は増えていく。地球という広い土地の上で、かつて絶対に交わることのなかった複数の民族の血が混ざるという時代に既になっているのだから。
地球人という考え方が当たり前になれば、次第に言語も統一される。次はやはり宇宙の時代になるんだろうか。
大手企業の外国人採用枠が絶賛拡大中。グローバル化が進んで変わらなくちゃ死ぬのみよ。 なんて言説が溢れてる。そしてこのようなことは10年以上も前から言われていたような気がする。
私はとある大手製造業グループの子会社に勤めている。親会社は外国人採用枠をどんどん増やす予定だが、正直、この閉鎖的な(いい意味でも悪い意味でも)日本的である大手製造業で外国人を雇い入れることなどできるのか甚だ疑問。社内で重視されるのは、高度に空気を読む能力、言われたことをモレなくソツなくこなす能力、いや、こなしたかのように見せる能力、資料に書いていないことを読み取る能力、など高度に日本的な文化に起因したスキルだったりする。
「イノベーティブ?そんな割に合わないことするやついるの?そんな暇ねーよw」「TOIEC700点!?納期遅らせてもいいなら採るよw」的な雰囲気が蔓延している。親会社の外国人採用枠の大幅拡大についても「どーせ他の企業がやってるからウチもやるんだろ。でも、うまくいかないよ。泣かされるのは現場の課長たちだな。アハハ…」なんてみんな言っている。そうして変わらず従来の仕事のやり方が続けられていく。
それでも商売できているんだから政治とボリュームビジネスのスゴさを思い知らされる。
でも、こんな調子だとGMや日産の二の舞なのかな。競合他社さんはどーなんだろうか。先進的な取り組みをしている楽天やユニクロも内実はどうなんだろうか。本当に変わらなければやっていけないのだろうか。この過度に日本的である大企業は変わることなんてできるのだろうか。もしかして、このように身動きが取れなくなってるのは私が勤めるグループだけなのだろうか。
んー、でも日銀の後ろ盾のない金融機関って当然だけど信用度がクソ低く
預金自体が超リスクになっちゃうわけで、「闇」ってのは考えにくいかもね。
預金を得るってのはそう簡単に出来ることじゃないから。このシナリオから恐れるべきはむしろ
民間の極めて信用度の高い存在が、日本銀行に代替するレベルの中央銀行業に近い信用創造機能を得てしまうこと。
つまり、「日銀に預けたら減るが、ウチなら減らない。ウチに準備預金を積みなさい」ってやられる可能性がある。
これは、規模がどれだけ大きくなっても所詮個人間の資金融通なので規制が極めてやりにくいんだよね。やばいやばい。
日本銀行が何物かにとって代わられるリスクがある。日銀は、金融機関日本最高お信用創造機能を差し出して、代わりに統制を取ってる。
しかし、マイナス金利下ではこの機能が極めて弱くなる。金融機関が日銀の言うことを聞く理由がなくなる。結果として、すっげえ怖いことに。
「闇」じゃないんだよ。そこまで行くと「闇」なんてカワイイレベルじゃすまない。まるっと入れかわる。
んで、この問題を抜きにしてもマイナス金利を実行するということは、セットで「金融鎖国」みたいなことが必要になる。
グローバル化の浸透圧に苦しむ日本にとって、一つの処方箋なのは間違いないよ。思考実験としてはね。
ただ、それに付随するものが超めんどくさい+恐ろしいんだよな。
http://d.hatena.ne.jp/thir/20110212/p1
時給1000円になったら中小企業はつぶれるか雇用を減らすでしょうし。
新卒一括採用をやめたら英語も話せない稼げる技能もないような「普通」の人間は単純労働しか道はないでしょうし。
ヨーロッパ並みに若年失業率が上がるのかもしれないけど本当に能力のある人は活躍するんでしょう。
そもそも今までが奇跡的であっただけなので。
そもそも日本が沈んでいくのだから生活保護を含めて中間層以下多くの日本人はもっと低い水準が妥当なのでしょう。
もちろん日本がぶっ壊れることに賭ける人もいるのでしょうが。
当たり前ですが「生活保護が糾弾されている実態を見てほくそ笑んでいる」ような人間は
再構築されたシステムの中でもそれなりの地位を占めることになります。
システムが崩壊したとき、一番痛い目を見るのはいつも弱者≒低能力者です。
下剋上?
能力もない人間が分不相応の地位を占めることはそもそも「既得権」だったはずです。
あなたは発展途上国(中国・韓国でもいいです、お好きな国を想像してください)に出自を持つ、
必死に勉強したり留学した、英語がペラペラでガツガツしていてエネルギー溢れるような人に対して、
「日本人である」ということを除いて彼らの代わりにその地位や待遇であることを万人が納得できるような根拠を示して説明できますか?
ただ景気のいい時に就職できただけの中高年が仕事にありついていることに不公平感をもっているのは私も同じです。
しかしその仕事を日本で、日本人がしていることはそもそも公平なのですか?
肉屋を支持する豚?賢くて優秀な方々にはそう見えるのかもしれません。
しかしまともに市場に評価されたら単なる無能で、今以上の待遇は決して得られないような無能な日本人のためのセーフティネットなのです。
雇用や経済が自由化したって、TOEICで700点もとれなければ技術もないような無能な人間は「人殺しの顔」をしていくしかないのでしょうから。
【インタビュー】セコム創業者 「草食系」という言葉に「嫌な言葉だね」[11/01/31]
1 :やるっきゃ騎士φ ★:2011/01/31(月) 14:56:18 ID:???
セコム創業者で取締役最高顧問の飯田亮氏は、日本に初めてセキュリティ事業を導入して、
さらにその事業対象は、警備から防災、医療、介護、情報まで拡大し続けている。
新規事業を次々と生み出してきた飯田氏は、“日本発ビジョナリー・リーダー”の代表格とされる。
* * *
--今はビジョンがないまま、日本社会全体が疲弊しているように見えます。
特に最近の若者たちは、仕事や出世、私生活での「欲」もなく、新しいことに挑戦しようとしない
一方で、企業は急速にグローバル化しているのに、若者は海外へ出たがらないなど採用面で
ミスマッチが生じている。
飯田:「草食系」? 嫌な言葉だね。メディアも含めて世間が「今どきの男は……」と言い過ぎだよ。
そんなおかしな言葉は使わないほうがいい。
企業も「最近の社員は海外に出たがらない」なんて言う前に、無理やり海外でも地方でもどんどん
出せばいい。
だいたい、無駄な情報が多すぎるんだ。あまりいろいろなことを知っちゃったら、
俺のやっていることはつまらないのでは、と思ってしまう。それよりも、訳もわからずジャングルに
入ってみたら、ジャングルの面白さがわかるかもしれないじゃないか。第2次世界大戦時に編成された
米軍日系人部隊・米陸軍442連隊の合言葉である“Go for Broke.”(当たって砕けろ)の精神だよ。
--しかし「当たって砕けろ」を実践するには、やはり「自分は何をやるべきなのか」というビジョンが
必要では?
飯田:そう。大人はよく若い人をつかまえて
「世間はそんなに甘くない。正しいことをやっても通らない。損するだけ」なんて小賢しいことを
言うけど「正しいことは通る」「正しいことを貫け」となぜ言わないのか。
ソースは
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/financial/489140/
関連スレは
若い奴がだらしないのは認めるけどさ
若い奴が欲を求めることを否定する年配者もいるって事実にも触れろよ。
そんな年配者に影響を受ける若い奴がどうしようもないとは思うよ。
でもさ年配者が押さえつけて押さえつけて若い目を潰しているのも事実だろ。
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=2289
↑の記事がブクマ数を稼いでいる割に内容があまりにヒドいので、
検証記事を書くほどの気力はないが、(検証するまでもない)目についた明らかにおかしな点を挙げていこうと思う。
日本全体で犯罪を行ったとして検挙された人(刑法犯検挙人員)の推移をみると、総検挙人員に占める外国人の割合は2%前後で、ここ15年ほど、ほとんど変化はありません。
なぜ15年という数字で区切るのか。ある数字の推移を見るのに、その期間の妥当性(せめてキリがいいとか)を全く語らないのは意図を隠してる(ウソをついている)のと同じではないか。
また、犯罪数は検挙人員だけで測れるものなのか。実際検挙件数は外国人犯罪が5%と伸びているが(思わず調べてしまったが)、相反する結果があるにも関わらずそのことに触れないのはミスリーディングを誘ってるのと同じではないか。
外国人の特別法犯の8割は入国管理法の違反であり、これは日本国籍者にはほとんど適用されません。そのような特別法犯の検挙件数や検挙人員と、刑法犯のデータを合算すると、統計上、「外国人犯罪」の割合が高くなります。
外国人の犯罪は入国管理法の違反が多いというなら、その特別法犯を除いた刑法犯のみの統計を示して比較すればいいのは誰にでも分かることだが、なぜ刑法犯のみの統計を示ないのか?
特別法犯を除いても外国人犯罪数の比率が高いという事実を知られたくないのか。
この文脈からでは特別法犯をのぞけば外国人犯罪は日本人並(あるいはそれ以下)だというふうにとれる。(つまりウソをついているのと同じではないか)
凶悪犯とされる犯罪(殺人、強盗、放火、強かん)は、日本人でも来日外国人でも、一般刑法犯の1%を占めるにすぎません。来日外国人だから多いという統計上の証拠はありません。
ここでは比率をだしてきているが、人数比で見るべきでは?
これでは窃盗犯の多さに対して凶悪犯が少ないということしか言えない。
日本全体の一般刑法犯の検挙人員における外国人非正規滞在者の割合は、わずか0.4%に過ぎません。また、日本で「凶悪犯」として検挙される人に占める非正規滞在者も2%前後です。非正規滞在者が犯罪の温床と言える証拠はありません。
そして今度は凶悪犯に限定している。
検索すれば「侵入盗では42.2%」http://www.npa.go.jp/hakusyo/h22/honbun/html/md120000.html :title=犯罪のグローバル化における背景]
と出てくるが、「国民が身近に不安を感じる犯罪」が多いなら犯罪の温床と言えるのではないか。
日本のマスコミは、「外国人犯罪」を日本人の犯罪以上に大きく取り上げたり、「外国人犯罪過去最多」「急増」という警察発表を検証することなくそのまま報道する傾向があると指摘されています。その傾向は、警察庁が「緊急治安対策プログラム」を発表した2003~2004年頃に顕著でした。当時の小泉首相は、「最近、凶悪な少年犯罪、不法滞在の外国人による犯罪などが多発し・・・」と発言しています(2004年7月26日)。
2003~2004年に「急増」という報道が多かったのは、事実、急増していたからではないか。
ご自身で取り上げた真上のグラフを見ても急増しているが、何かトリックでもあるのか?
実際、最近は「外国人犯罪が急増している」とは言えないのは事実だが、
ただグローバル化で世界の平等化も同時に進んでしまっているため増えた富は途上国に行ってて先進国の富はちょっとしか増えてないと言う話。
具体的にどういう形で途上国に富が流れてるの?寄付とか援助金とか?がそんなに多いの?
よければもうちょっと詳しく教えて。
そら、スタイルの問題やw
サバサバいいあう、海外するタイルと 察しと思いやりの日本スタイルは確かに問題起きやすいけど・・・
これからは、グローバル化の時代だし、サバサバ言い合える空気を作ることも重要だと思われる。
外に干すのはいいけれど、濡れる心配と、盗難の心配があるよね。それを解決できるなら、
他に良い干場があるから、そっちに干してくれといえばいいだけじゃないかな?
そうじゃないと、高い傘はほんとうに高いから、盗難の心配はあるよねー。
和を以て貴しと為す とはいうけれど、 日本文化限定 ではなく、 異文化含め和を以て貴しと為すとできるように 観察と提案と考慮の繰り返しだと思われます。
大変だろうけど、がんばってください。
うん、だからさ。
BIってのはそういう連中に「やることはもうやった、潔く死ね」って突きつけるための制度なんですよ。
ネットで買った痛み止め飲んで、自力で整復して、後は家で震えてろ当然の結果だゴミクズ。っていう。
大体、生産業がグローバル化の浸透圧+機械化の波に押されまくって
単純職工の需要が激減してる時代に、そんな生き物に費やすゼニはねぇってこと。
その辺りの馬鹿を差し引いても、日本は回るからね。むしろ、生活保護費やらなんやらのしちめんどくさい
社会的アレコレが省けて、かなりのコストダウンになる。ケースワーカーさん全部要らなくなるから公務員も相当シェイプアップ出来る。年金もナシに出来るしね。
まぁ、なんにせよ。「親子三代生活保護」とか「字もかけましぇーん」みたいなゴミクズは
現代日本では生産性的に無視していい、というかいない方がマシな生き物なので、そんなのを慮ってやる必要は1ミリもないんでね。
これはすごい刺激的なエントリーだ。考えさせられた。
今、世間では食品に対して非常に敏感になっていると思う。
我々が果たして何を食べているのか?食べさせられているのか
を嫌でも考えなければならない時代にいるからだ。
それがグローバル化によってますます複雑になってしまっている。
「日本産」と記載されていても使われている材料がなんなのか
いちいち調べるのは不可能だ。かといって朝から晩まで働いている
ば難しい。
個人的な考え方だが、我々は「信頼」するしかないと思う。
コンビニで買った弁当だったり、スーパーで買った惣菜だったりが
健康に害がないものだと信じて。
だって安全に対して真剣に考えるだろうし・・・
量的に問題ない毒物が入っているのを騒ぎ立てて回収させる。
なぜそんなことが起きるのか?
それは世間が食品に対して敏感、もしくは敏感になりすぎている
のをわかっているのだ。
古い社会体制が残ってる例
UN report criticizes Japan for gender inequality
http://afeministotaku.wordpress.com/2009/08/25/un-report-criticizes-japan-for-gender-inequality/
http://www.weforum.org/pdf/gendergap/rankings2010.pdf
具体例
http://phlogiston.blog110.fc2.com/?no=3739&ul=11a93612f99a58c5
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201011110291.html
「リスク社会化と個人化が同時に起きていることに着目してほしい。グローバル化のもとで、保護されることなく責任の持ちようもない状況が、広がっているのだ」