はてなキーワード: キャバクラとは
土曜日にキャバクラでエロい話になって、俺はつい、前にセックスした女がオマンコを広げている写真をキャバ嬢に見せた。
そうしたらキャバ嬢はまんざらでもない顔をしていたので、意外だった。
女の方が意外と、オマンコを見ていないのかもな。
https://anond.hatelabo.jp/20180709194600
元増田です。鋭いコメントありがとうございます。本筋から少し外れますが、仰る事に同意です。
看護師を含め医療従事者の多くは、自分達の行為が、形式的には暴行罪、傷害罪、逮捕監禁罪といった犯罪行為の構成要件に該当する、患者の法益を侵害し得る行為であるという認識が「無い」
多くの看護師は、その認識が欠如していると思います。結果的に、日常的にそういう感覚のまま、人間性というかモラルの低下につながっていきます。
私なりに具体的な論理を補足させて頂くと、
看護師は刑法第174条という法律に規定されている「わいせつ罪」の行為、つまり「普通人の正常な性的羞恥心を害し」を患者に対して行うのも仕事です。(洗体とか陰洗とか直腸・・以下省略)
・性欲の興奮、刺激を来すこと
それが犯罪にならないのは、もう一つの構成要件である「善良な性的道義観念に反すること」でない純粋に看護行為の一環として行うこと、に患者が暗黙の社会的合意していることになっているゆえに法律違反という犯罪から特別に免除されていると言ってよいでしょう。
もし、「わいせつ」の最後の構成要件である「徒に性欲の興奮、刺激を来すこと」をした時点で看護から逸脱していることから「善良な性的道義観念に反すること」に抵触しかねない。看護師の職務行為は「わいせつ罪」と本当に紙一重の事を、社会からの信用「信頼を基盤として成立している」という事ですね。
必然的にこういった事について、医療従事者・看護師達は、無感覚になりがちです。
具体的には、ひと昔前に副業で風俗嬢をやる看護師達の事が議論となりました。
http://blogos.com/article/86641/
私の結論は、風俗売春行為をする看護師は、社会の人々からの信頼を毀損する ー 「看護はわいせつ行為と同じではないか」、「そんな事に同意した覚えはない」と。そして看護は、"看護を必要とする人々からの信頼なくしては存在しない"からして、看護師は風俗嬢として副業すべきでない、と(実際は、似たようなもん、と言ってバイト感覚でキャバ嬢・風俗嬢やる看護師が非常に多いらしいですが)。ゆえに、キャバクラ含む風俗で働くような看護師は免許を返上すべき、と。
また、
「パターナリズム」という言葉は父権的干渉主義などと訳されます。本人の意思にかかわりなく、本人の利益のために、本人に代わって意思決定をすることを意味し、父と子の間のような保護・支配の関係を指します。相手を無知な存在として扱うパターナルな押しつけ
患者が望んでもない医療行為を勝手に押し付ける、という問題です。患者の自己決定権の否定につながります。日本ではまだまだ「お医者様様・看護師様様」状態で、全然だめですね。一般、つまり患者側の権利意識が無さすぎます。
医療側がとる「あなたのことは何でも分かってる」とでもいうような態度はパターナリズムの典型ですね。パターナリズムは、パトレ(pater)つまり牧師・父性。つまりは、「子らよ、私の言うことを黙って聞き入れなさい。これは神からのお告げなのです。すべては子らの幸福のためなのだ」というやつです。医者が自分より目上の大人をまるで子供扱いしてしまう自己陶酔の状態。看護師なら「知らないでしょ、あなたの為なのよ、やってあげてるのよ」、という"上から"の態度をひけらかして患者を自分の思い通りにさせようとします。
英単語の「patronize ペイトロナイズ」という同じくpaterを語源に持っていて、直訳すると「保護者ぶるー>(転じて)子供騙しな扱いをする」となる。これは英語圏でも相手を侮辱する行為である。だから”Don't patronize me!”というのはよく聞かれるフレーズ。
就寝前のお供に
キャバクラ的な所に連れてかれてキャバ嬢の人となんとなく話す。
個人的には自分から話すよりも、基本的には話を聞く方がしたいのですごく苦手。逃げ出したくなる。
ある話題でなんとなく話が進んで、自分の感想を言った時に「わかる」的な反応をしてくれたんだけど、ここでふと「わかる」的な反応をしたけど、実は全然真逆の意見を持っていて、ただ単に話を合わせる為に同意しただけで心の中では苦虫を噛み潰したような思いをしていたらどうしよう…
と考えたら話が続けられなくなってしまった。
そんな素振り風のは実際感じなかったんだけど、急に怖くなってしまったし、もし普段からそういう事を自分がやっていたらどうしようと思って勝手に反省した。
何度か行ったことあるんだが、お医者さんが「うんうん」「わかる」とか語彙力無くなったツイッタラーみたいな反応返すの眺めてるだけで終わったんだよね。
強いていうなれば、お互いに水すら飲まずに話すおかげでドリンク代をボッタクられずに済むのが利点かなあ。
お金ない身としては助かる。
でもなあ……お金も休みもない身で金と時間をやりくりして行った病院でキャバクラごっこして終わるのはマジでストレスやったなあ……。
どうすりゃいんだろう。
最近足元のゴミ箱とか机のカドに尋常でない頻度でぶつかるぐらいに注意力欠如が発生してるから、症状的には心療内科行くべきシチュエーションなんだがなあ。
本でも読んで自分で治すか
当然、再就職を考える。
面接をセッティングしてくれるかと思えば、「7月にまず会社を見学に来てくれ」
という会社ばかりだ。
7月だと、、、?
業種の縛りというのもあるが。
そうこうするうちに、大規模な就職会みたいなのがあり、それにも出席してみた。
エージェントは何をしているのか。
もちろん、僕も悪いところはある。
ヘンなこともしていて、遊びに時間を使いすぎかもしれない。
それに、エージェント任せで、自分から職業をネットで探すことはしていない。
エージェントのHPで、自分で見つけて、自分でアプライすればいいのだ。日雇いでもやればいい。
しかし、やらない。
やらない理由は、何か。
なんと、キャバクラで飲んだりしてるのだ。
こんなことで、20日たってしまった。
メールは100通以上送った。
成果はゼロ。
面接予定は無し。
恐ろしい。沼じゃなかろうか。
数ヶ月で感じたこと
Vtuberの面白さは「その人を知る過程」という面が一番大きい
これは友人、恋人、同僚と知り合う行為に近いし、もちろん生主、キャバクラ、メイド喫茶にも近い。
(以下、便宜上「知人化」と呼ぶ)
・動きが見えるのに、素顔は見えない
・双方向性が強い
という点がある
これらのお蔭で「知人化」作業は複雑かつよりエキサイティングになる
作業を分解するとこんな感じ
(中の人の趣味や経験 + ロールプレイ + 状況 → 発話)
発話から逆算して、「中の人の趣味や経験」と、「ロールプレイ(つまり設定)」を学習していく
中の人と設定は2つで1つであって片方だけで成り立つものではない
もちろんVtuberによっては、中の人を完全封印していたり、ロールプレイを完全放棄しているので片方だけとなる
素顔が見えないので、見た目から得られる情報が制限されることが大きい
普通よりもスタート地点が後ろにあるので、この作業はゲーム足り得る
これは姿が見えない相手と文通する楽しさにも似てるかもしれない(メル友でもいい)
双方向性が強く、質問を投げかけることができる(マシュマロ、質問箱)
これもゲーム性を強くしている
視聴者は時によって「中の人」を聞き出したり「設定」を聞き出したりする
やってることは「その人を知る」作業だ
身バレはどういう過程で起こるのかと言えば、この「知人化」のネタバレを見ようとする行為に近い
これは3Dモデルを触ってみるとか、制作関係者を調べる行為があたるだろう
ただ、生身の人間に比べたら圧倒的に情報量が少ないので身バレの方が確実に目立つ
これらによって参加型に近くなる
言及するほどでもないだろうが、画面の向こうに自分の行動が影響するのは楽しいものだ
その人を「知った後」
「知人化」作業はそのうち終わりを迎える
複雑なパーソナリティや、人生経験を持った人であっても、大体1クールもあれば底が尽きてしまう
この時点で視聴者とVtuberの関係は、双方向性が強ければ友人、単方向ならキャラクターに近いだろう
これによってどんな些細なことであっても「その人がやってるだけで面白い」という状態になりエンタメ足りうる
「Vtuberが面白くない」と批判してる人は単純に知人化できていない可能性が高い
視聴者の中には「知人化」が好きな人と、「知人(知人になったあと)」が好きな人が居る
これがこの界隈を地獄たらしめていると思う
知人化そのものが好きな人は「新しい出会い」を求めて自然と離れていくわけだ
おそらくだが、知人化が好きな人はリアル生活でも大人数と知り合いたいタイプではないだろうか
逆に知人が好きな人は少人数と長く付き合いたいタイプかもしれない
わかりやすいところで言うと、箱推しは知人化好きタイプ、個別推しは知人好きタイプだと予想してる
パーソナリティをさらけ出したあとはどうあがいても「パフォーマー」と「視聴者」という関係が強くなる。
この時に取りうる視聴者との関係性でいくつかパターンが考えられる。
↑単方向性が強い
・テレビ型
・ラジオ型
・劇場型
・リクエスト型
↓双方向性が強い
テレビ型が一番大きなパイを狙えるが、最も難度が高くネタ切れに喘ぐ方向でもある
またどれを狙うにしても「何か面白いことをする人」あるいは「話していて楽しい人」にならない限り視聴者は離れていく
最初の「知人化」の時期は少なくない人数が注目してくれるので
それまでに如何に楽しませるかで長期的な勝負が決するのではないだろうか
(ただ一部の企業的な戦略に乗ったVtuberはちょっとまた法則が違いそう、あれはもはやタレント業だ)
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おまけ
最近VtuberのYoutube登録者数が伸び悩んできている
大体100万人は居ないくらい?
現代社会において少なくない割合のひとにとって、創作できるかどうかってのが個人が承認されるかどうかの踏み絵だと信じ込んでいるから。この「少なくない割合のひと」が、じゃあ、創作できるかって言うとそういうこともなくて、創作できない(技術が低い)にもかかわらず、そのジャンルで承認されないと精神が辛い人って結構な数がいる。もっと言っちゃうと彼らは承認されたいわけであって創作したいわけではない。そんな彼らがそのコミュに参加する経路が創作論なわけだ(かなり穏当な表現)。
彼らにとって、創作ってのは酸っぱい果実なわけであって、諦めるには自分自身に対してお薬を(大抵の場合モルヒネだけど)処方しなければならない。「才能がないなら努力したって無駄」っていう言説は、誰よりも彼らが自分自身に対して向けてる言葉なんだよ。まあ、自傷行為のついでに周囲を傷つけてるわけだけど。クリエイターちょっとした不祥事で人格批判をつづける粘着炎上なんかも、おそらく文脈としてはほぼ同じで、嫉妬と自己防衛に他ならない。
ぶっちゃけ、個人が幸福になるにあたって創作出来るかどうかなんて大した差異じゃないと思うし、周囲から褒められたり認められるにあたって、創作なんてのはドン引きするほどコスパが悪いって、創作勢は全員知ってる。
21Pの漫画を完成させるために必要な時間は100時間を超えるなんてザラだけど、それを消費するには10分もかからない。小説も、音楽も、動画も、作るのには莫大な時間がかかるけれど、レスポンスはびっくりするほど遠く細い。ちやほやされるという目的のために創作は効率が悪すぎる。
プロになったからと言って心が満たされるようなファンと出会うなんて稀だし、そんなファンと仮に出会えても彼らとの交流に耽溺すれば次の作品作らなくなって忘れ去られるだけだ。
褒めてもらいたいなら普通に仕事してキャバクラでもホストクラブでもいったほうが手っ取り早く効率的だし、質を求めるなら恋人か配偶者作るほうがずっと良い。
だから創作で承認欲求みたすなら自分が自分を承認出来るのが良い(これを作れた俺は偉いぞ、世界のだれが褒めなくてもオレはオレを褒める)し、そうでなければ続かないと思うんだけど、創作をせずに創作畑に憧れているひとには、そういうのはどうも見えていないみたいだ。