現代社会において少なくない割合のひとにとって、創作できるかどうかってのが個人が承認されるかどうかの踏み絵だと信じ込んでいるから。この「少なくない割合のひと」が、じゃあ、創作できるかって言うとそういうこともなくて、創作できない(技術が低い)にもかかわらず、そのジャンルで承認されないと精神が辛い人って結構な数がいる。もっと言っちゃうと彼らは承認されたいわけであって創作したいわけではない。そんな彼らがそのコミュに参加する経路が創作論なわけだ(かなり穏当な表現)。
彼らにとって、創作ってのは酸っぱい果実なわけであって、諦めるには自分自身に対してお薬を(大抵の場合モルヒネだけど)処方しなければならない。「才能がないなら努力したって無駄」っていう言説は、誰よりも彼らが自分自身に対して向けてる言葉なんだよ。まあ、自傷行為のついでに周囲を傷つけてるわけだけど。クリエイターちょっとした不祥事で人格批判をつづける粘着炎上なんかも、おそらく文脈としてはほぼ同じで、嫉妬と自己防衛に他ならない。
ぶっちゃけ、個人が幸福になるにあたって創作出来るかどうかなんて大した差異じゃないと思うし、周囲から褒められたり認められるにあたって、創作なんてのはドン引きするほどコスパが悪いって、創作勢は全員知ってる。
21Pの漫画を完成させるために必要な時間は100時間を超えるなんてザラだけど、それを消費するには10分もかからない。小説も、音楽も、動画も、作るのには莫大な時間がかかるけれど、レスポンスはびっくりするほど遠く細い。ちやほやされるという目的のために創作は効率が悪すぎる。
プロになったからと言って心が満たされるようなファンと出会うなんて稀だし、そんなファンと仮に出会えても彼らとの交流に耽溺すれば次の作品作らなくなって忘れ去られるだけだ。
褒めてもらいたいなら普通に仕事してキャバクラでもホストクラブでもいったほうが手っ取り早く効率的だし、質を求めるなら恋人か配偶者作るほうがずっと良い。
だから創作で承認欲求みたすなら自分が自分を承認出来るのが良い(これを作れた俺は偉いぞ、世界のだれが褒めなくてもオレはオレを褒める)し、そうでなければ続かないと思うんだけど、創作をせずに創作畑に憧れているひとには、そういうのはどうも見えていないみたいだ。