はてなキーワード: エッセイとは
独特のリズムを伴った美しい文章を読むたびに、どうしたらこのような物語やエッセイを書けるのか、いつも感心するばかりです。
さて、ワールドワイドに活躍されている村上様ならばきっとご存知かとは思いますが、新潮45という雑誌がLGBTを明確に差別する意図を持った議員や文筆家と称する輩の愚劣な文章を掲載し、世に出してしまいました。そんな掃溜のような雑誌を出版した新潮社という会社から、村上様の出版物を購入するのは、何物にも変えがたい苦痛を感じるのです。どうか、どうかお願いです。新潮社以外の出版社から物語やエッセイを出していただけませんか?
かくいう私もLGBTのはしくれです。これまでも新潮社の雑誌の中には下劣で低俗なものもありましたが、今回の剥き出しの悪意と差別意識に、恐怖すら感じました。村上様は、このような声にきっと耳を傾けていただけるものと信じています。よろしくお願い申し上げます。
↑これ読んでて思ったのが、最近のラノベってつまらないというかテンプレ化が酷い気がするって事。(もうずっと言われてると思うけど)
何というか、ラノベは置いといて、小説なり、評論文なり、エッセイなり、文章って何か必ず根本に芯みたいなものがあると思ってる。その文章を書く上で、作者が1番伝えたいというか1番書きたい事が必ずあると思う。
もし仮にそれが同じだとしても人によって表現の仕方が違うから面白いんだと思う。
話が逸れるけど、
小松左京が書いた日本沈没ってあるじゃん。あれ同じ日本が沈むって題材で星新一が書いたらきっと、
みたいにすごく短くなると思う。(ふざけるなって思った人が居たらごめん)
これは決して星新一をバカにしてるわけじゃなくて、星新一らしさというか星新一の表現方法だとこんな感じだよねって事が言いたい。
つまり何が言いたいかって、同じ日本が沈むって題材でも、1行で終わらせられる人もいるし、何ページも書く人がいて、それぞれにそれぞれの表現の良さがあるから面白いよねって事。
話が逸れたけど、どんな文章にも、読者に伝えたい事や、作者が書きたい事があると思ってる。だから作家に求められてるのは、書きたい事の面白さ、書くときの表現の仕方の2つだと思う。(当たり前って言えばそうなんだけどさ)
で、話をラノベに戻す。
昔のラノベって言うとなんだろうって考えると、自分はハルヒ、ゼロ魔
、とらドラ!がパッと出てきた。少しマイナーな所だと断章のグリム、半月とか。
SAO、さす兄、アスタリスク、リゼロ、このすば挙げていくとキリがない。
昔は今ほどラノベが無かったというのもあるが、どれもそんなに題材が被ってないと思う。(というか思いつかなかった)恋愛ものって括りにすると被っているものは沢山あるが、恋愛のシュチュエーションまで被っているものはそうないだろう。あったら教えて。
次に今のラノベは多い。まず出版社が多くなった。それに所謂なろう系があるため更に本が出ている。
だから話が被るのは仕方がないよねとは思う。ただ、被る量が多すぎる。というより被らないもの、つまり全く新しい設定が出てくる事が減ったと思う。
なろうで異世界転生って調べて欲しい。多分想像以上にあるから。
SAOやさす兄、アスタリスク、キャバルディ、バハムートの頃はファンタジーで俺つえーものが流行っていたと思う。
それでもSAOはゲーム、さす兄は魔法がある世界みたいに(アスタリスクとキャバルディが同時にアニメやった時には笑ったが)、それぞれの主人公がオレツエーする世界観に違いを出していた。
ただ、最近のリゼロ、このすば、その他有象無象のラノベは、取り敢えずなんか異世界行って、地球というか元の世界の知識でオレツエーしてハーレムって言う流れがお決まりだと思う。そこに死に戻りだの、ほのぼの日常系でバトルじゃなくて金儲けに元の世界の知識使うだの色々変化を加えている。だか変化球とはいえ、どれもコースが一緒だと思う。お決まりの流れって言うコースは出ない。
SAOやさす兄とどう違うんだよって思う人が居ると思う。
違いを挙げていくと、1つ目はオレツエーする手段(SAOだとゲーム内、さす兄だと魔法使ったバトル)が元の世界の知識って決まっている。
2つ目は理由。SAOだとゲーム内にずっと閉じ込められていたからとか、さす兄だとなんか手術受けたとかそれぞれ一応ある。だが異世界ものは、元の世界から来たから、で全て解決する。
3つ目は世界観。SAOはゲーム内に入れる!って言う世界観を壊してない。さす兄は設定複雑すぎて分かりません。取り敢えず名前に数字が入ってる人は偉い?と世界が設定されてて、その世界内でオレツエーする。だけど、異世界ものはせっかく異世界(何かしら元の世界より劣ってる)っていう設定を作っても、結局元の世界の知識を使うから世界観を壊してる。
違いを例えるなら、
騎士道!とか言ってる中世で、ど田舎生まれなのになぜか剣の才能があって、戦で活躍するのがSAOとか。
中世にタイムマシンか何かでマシンガン持って行って、剣で戦ってるところにマシンガンで戦うのがリゼロ系。
さっきも言ってるけど世界観を壊してるか否かの違いだと思う。
しかも設定がモロ被りなうえ、そんなに表現力に差が無いからどれも似たような感じになってる。
最近のラノベは設定から話の流れまで殆ど同じで、表現力に差が無いから量産型なんて言われる。
https://anond.hatelabo.jp/20180908072532
これを読んで触発されたのでまとめてみた。
創作歴だけは長く、ラノベとか何かしらの文章を書いてみたいとの相談をよく受ける人です。
せっかくなので相談を受けた時に紹介しているURLを増田用にまとめてみたよ。
紹介しているページは全部なろう(小説家になろうってサイトね)の中から。
「げ、なろうかよ……。しっかりしたサイトか本を紹介しろよ」と思うかもしれない。
以前は本も紹介していたけどね、不思議なことに本を紹介した人は書かないままになる。
もっと効率的な書き方があるはずだとか、この本は合わなかったから新しい本を買ったとか言って、そのまま書き方本ジプシーになっちゃう。
読書が好きな人ほどその傾向が強くて、書かなきゃ意味ないから本を紹介するのをやめたんだ。
ラノベでもエッセイでもblogでも、書いて書いて書かないとだめ。
そういう視点で考えると、本を熟読するよりもなろうくらいでサラッと読み流して、テキストエディターを立ち上げるのが正解ってことだと思うよ。
紹介するページは、相手の性格をみて選んでるから合わせて書いておくね。
https://ncode.syosetu.com/n3716ba/
基礎知識が足りない人。参考資料は多ければ多いほど安心する人。とにかく書き始めたいから、わからなくなったら辞書のように調べられる何かが欲しい人向け。
書きかけだけど、正直な話この内容で十分。
すでにエンジンが温まってる人なら知識を与えれば動き出すから、これが一番いいかな。
2 小説が書きたいけど、何をしたらいいかまったくサッパリ分からない人へ
https://ncode.syosetu.com/n7845ce/
書いてみたいなくらいの軽いノリの人。基礎知識は足りないんだけど、参考資料の物量に圧倒されてフリーズしてしまう人。とりあえず書き始めてから考えていきたい人向け。
資料は多ければ多いほど安心する人と、逆に不安を覚えて腰が引けちゃう人がいる。
これは後者向け。
あと、本当はあんまり書く気がないのに話の流れで書きたいって言ってる人にも紹介する。
相談を受けている以上は紹介しないと悪い気がするし……もしこれで興味持ってくれたらいいよねって。
紹介するのはこの2つが基本になってる。
3 現シナリオライターが、物書きに必須な『考える』を掘り下げていきます。
https://ncode.syosetu.com/n4067en/
上の2つに合わせて紹介することがある。
これはハクを大事にする人向け。やっぱり仕事してます、これで食ってますっていうハクがあるのとないのは違うし、ちゃんとしているという評価に繋がるっぽい。(確かめようないけどね)
内容はタイトル通り書き方というか考え方。
技術的な話より、考え方とか想像の仕方がわからない人によく紹介する。
https://ncode.syosetu.com/n5017ej/
これはちょっと毛色が違うやつ。
すでに頭の中でキャラとかストーリーを動かしてるけど、お気に入りの一部分しか妄想できてない人向け。
妄想で楽しんでいた世界を取り出して、足りない場所を埋めてく方法って感じかな。
おまけ 小学生が週刊少年ジャンプ編集部に漫画を持ち込んでみた結果 ~そしたら今でも使える創作のヒントが見つかった
https://ncode.syosetu.com/n0005et/
これは書く時には参考にならないかも。
小学生なのに作品を完成させ、なおかつあのジャンプ編集部に持ち込むというバイタリティがすごい。
書き上げたあとに自信をなくして作品を引っ込めたくなった時に読む。
下手で恥ずかしいってモジモジしてる人にもよく紹介するよ。
以上です。
このまとめが増田達の参考になればいいな。
オレも一読して違和感を持った。たとえば男が女性の浴衣を「脱がせにくい」などと文句を言ってて女性達が「知ったことか」と反発、だったらよくある炎上風景だが、当の着る側が脱がせにくいやすい…? 脱ぎやすいではなく?
妄想話と現実を切り分けられていない、っておねえさんは思ってるようだけど、そのマンガはエッセイ的に、現実の浴衣のイメージを語っていると思う。まとめにいる人達は「脱がせにくさ」で共感できている。考えたんだけど、彼女らは下心と言ってはいるが、実際に祭りの場で男と出会って脱がされることを期待しているわけではない、気がする。そうでなく浴衣を「脱がす着物」と考えているんじゃないか。服の価値として洋服などにはない、脱がす際のエレガントさを指して、そこにセクシーさを見出している。映画とかドラマとかで脱がすシーンを見たんだろう。脱ぐ側からはそれがどんな情景なのかわからない。だから「脱がす」側の視点で捉えていて、そのような表現になった。
わたしはそうは思わなかったなあ。
ただショックというよりも、こんなに図太い人でも早死にするのか…って、『憎まれっ子世に憚る』この言葉通りさくらももこは長生きするんだと思ってたから驚きが大きい。
いただろうか?
さくらももこ氏の訃報を聞いてふと気になったが、どうにも思い出せない。学齢で言えば小学1、2年生の頃だが、どちらかというと幼い頃は『なかよし』に夢中になっていたような気がする。
当時の『りぼん』は、『なかよし』に比べて恋愛要素の強い作品が多いイメージだった。とは言え対象年齢的には、自分のような田舎の女児がぼんやり理解してドキドキできる程度の、恋の入口やもどかしさを描いた作品が多かったのだと思う。
言わずもがなの「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症」である。
私は、ひたすらに「お父さんは心配症」の父・光太郎が怖かった。ハイテンションで誌面の中を飛び回り、典子への行き過ぎた愛情から北野くんとの恋愛どころか自分自身まで自虐でぶち壊しまくる光太郎が、ひたすらに怖かった。ページを開きたくなくて、作品ページをホチキスで止めていたかもしれない。他の怖い本はそうしていたから。
逆に「ちびまる子ちゃん」は癒しの作品だった。恋愛ものに息切れした女児のオアシスのように、まる子はただただ普通に、家族と友人と、そこで暮らしていた。あるあるネタと少しだけ古い時代背景と共に、穏やかに、時にシニカルな空気を携えて、毎月私の所へやってきた。
そう、「ちびまる子ちゃん」は連載時に既にレトロだった。私の知っている人気アイドルはヒデキではなく光GENJIだったし、百恵ちゃんは引退していた。アニメ放送を母と見ながら解説を受けるまで、私の中でヒデキと西城秀樹は繋がっていなかったし、百恵ちゃんはまる子が憧れる女の子のままだったのだ。
「お父さんは心配症」の異質性が『秩序の破壊』だったとすれば、「ちびまる子ちゃん」のそれは『虚実を織り交ぜた過去』だったと私は思っている。
乱暴な括りだが、私にとっての当時の『りぼん』作品は、基本的には未来を指向した現在進行形のものだった。ドジで失敗ばかりの現状であっても、これから自分はどうしたいか、どうなりたいのか、主人公は常に考え続ける。人の自然な成熟過程をなぞり、周囲の支えを受けながら、成功も失敗も糧にして成長していく。
そういう理想の学園生活がキラキラと眩しく、同時に私にはどこか息苦しかった。
「今よりももっとかわいくなれる」
その語尾に、私は「…なくてはならない」という言葉を感じ取っていたのだと思う。
作品世界に憧れることと、自分の身に置き換えることは決してイコールではないのだが、拙い想像の中であっても「私はこうなれないだろうなあ」と諦めることは、大人になった今思うより苦しかったのかもしれない。
前述の時代背景と共に、まる子が作者の子ども時代をモデルにしているということは知っていた。つまり、すでに「結末が確定していること」であり、「私ではないひと」の話だった。
まる子も成長し、恋愛や友人関係や自分のコンプレックスに深く思い悩む日が来るのかもしれない。しかし、それは永遠の小学3年生の「ちびまる子ちゃん」のまる子には当てはまらないし、モデルとなっている作者はマンガ家という進路を選択済みなのだ。
私は、まる子でもたまちゃんでも丸尾くんでも花輪くんでもはまじでも永沢でも藤木でもなく、ただの読者として、安心して「ちびまる子ちゃん」を楽しむことができた。
勿論リアルタイムで読んでいた小学生時代にこんなことを意識していたわけではなく、単純に『りぼん』の中で一番楽しんで読むことができた作品だったのだと思う。
クラスのどのカーストの女子でも「ちびまる子ちゃん」は必ず読んでいた。あの頃の共通言語になっていた作品の代表格だった。
その後私はくるりと掌を返し、破壊度の増したあーみんギャグに恐ろしい程はまった。「こいつら100%伝説」は現在も本棚に置いてある。「ちびまる子ちゃん」はもう手元にはないが、「心配症」の方のまる子×心配症コラボの掲載巻は実家にあると思う。
成長していく私は、いつの間にか自分がまる子ではないことに安心するだけでは物足りなくなってしまったのかもしれない。けれど、久々にニュースで見た「ちびまる子ちゃん」の表紙には、やはりとてつもない懐かしさと安心感があった。
そして散々言われているが、彼女の初期エッセイは最高に面白い。読書慣れしていないひとに「おすすめの本は?」と聞かれた時に挙げる1冊に必ず含めていた。
私にとってさくらももことは、この4000バイト強の文字の分しか接点がないひとではある。
しかし、訃報を聞いて、居ても立ってもいられず匿名アカウントを取るおばさんを生み出してしまう、そういうひとだったのだと思う。
割と似たような感じだわー
宝石の話も同じ
アニメはね、特定のキャラいじりとか変な人化みたいなのばっか話題になった頃から見てないや
昔はそういう意味ではまんべんなくだったんだけどねえ
たまちゃんのお父さんとかさー
保育園でちびまるこちゃんのアニメを見ていた記憶がある。みまつやで何か買ったり川辺の風景だったりのエンディングを覚えている。
小学校に入ってから友達の家でちびまるこちゃんの漫画を読んだ。面白かった。
中学に入ったくらいか、エッセイの「もものかんづめ」は読んでてまじで笑った。こんなに面白い文章があるのかと衝撃だった。その中の「メルヘン翁」という話、実際の祖父はめちゃくちゃ嫌な奴で死んだ時みんな喜んだし死に顔が変で爆笑したって話は今でも覚えてる。
それから出ていたエッセイは全部読んだ。どれも面白かった。尿を飲んでるのだけはどうかと思った。
高校では友達がコジコジにハマって貸してもらった。めちゃくちゃ面白かったしなんかオシャレに感じた。さくらももこの描く太陽とか模様とかが独特で好きだった。正月くんとか覚えてるな。
大学入った頃だったか、自伝的漫画「ひとりずもう」は買って読んだ。もともとエッセイだったのを漫画にした感じだったと思う。エッセイも読んだ。とにかく三年寝太郎のようなぐーたらで漫画ばかり読んでいる作者だったが、作文だけは得意で何かのコンクールで「現代の清少納言」とか評されたらしい。漫画のコンクールに出してみるも中々上手くいかない中で、エッセイを漫画にしたらいいんじゃないかと思い付き、デビューを決める。今では当たり前のエッセイ漫画はさくらももこが最初だったのかな?でも自伝漫画は若干の美化を感じてちょっと嫌だった。自伝って難しい。
前後関係は覚えてないけどさくらももこのケータイサイトみたいなのも当時あって、登録して読んでたけど、あんまり面白くなかった。さくらももこが宝石にハマって出した宝石エッセイみたいなのは全然面白くなかった。ただ金持ちの道楽に感じた。前みたいに笑えるエッセイが読みたかった。
漫画「永沢君」も買って読んだ。これは面白かった。中学生に入った永沢君が主人公で藤木と小杉とつるんでる話でこいつらが本当にどうしようもない性格で、さらに美人の城ヶ崎さんが「汚されたい」願望から永沢を気にしたりするというとにかく全編ブラックジョークでしかない漫画だった。
20代半ばくらいにそれまで持ってたさくらももこの本は全部ブックオフに売った。それからはたまにテレビでちびまるこちゃんを見るくらい。今見ると不細工をとにかく馬鹿にするところがあるので子供の教育上よろしくないとか思っちゃう。作者が亡くなって、コジコジくらい買おうかなという気になっている。全4巻。アマゾンで見たら発送まで1〜2ヶ月とかになってるけど重版かかりそう。
あの人ってかなり疑似科学というか民間療法に親和的な人だったよね
飲尿療法とかさ
だから今回のニュース聞いて真っ先に「ちゃんと標準治療受けてたんだろうか?」って思ってしまった
当然標準治療受けてても亡くなる人はいるし、こんなのただの部外者の憶測であり余計なお世話だろうけど
思い返してみると、一番最後に読んださくらももこのエッセイはさくらももこの尊敬する絵本作家が死んじゃって、生きてるうちに彼に会おうと行動に移さなかったことを後悔したももこがその後イギリス行ったり、彼の作品のコレクターに会ったりして彼の生きた痕跡?を辿るみたいな話だった
「さるのこしかけ」「もものかんづめ」「たいのおかしら」みたいに爆笑できる箇所はほとんどなかったけど、読後感は悪くなかったような記憶
さくらももこさんが亡くなられた。
私は熱心にそれを見ていた訳ではないが、同氏が原作を書かれた作品は知っているし
いわゆる「国民的アニメ」の原作者であるから日本人であれば余程のご高齢でなければ
誰もが知っているだろう。
早速テレビでは報道される、当たり前だしそれ自体は全く問題ない。
次に同氏の著書、エッセイ集が3冊スチルで写される、
ただこれに圧倒的な違和感を感じる。
主に同氏の関わった作品で報じられたのは「アニメ98%、同氏の著書2%」
同氏の直接の著書が何冊発刊されているだとか累計部数も
同書がどう広がったのかも報じられない。
いわゆる原作起しのシーンであったとしても
ここは同氏が命を削って世に出した著書を、功績をもっと報じるべきではないか。
まぁそうなってしまう理由は簡単、その場で手に入った原作がエッセイ集3冊しか
なかったのだろう。報じられた3冊はスタッフの私物だったとかそのあたりだろう。
たとえはずらっと並べるにしても全巻は手に入れるのが面倒、
これですべてか各編集者にお伺いを立てるのも面倒、
アニメは同局内で連理を後処理できるから簡単、関係者もブログから引用すればいい。
原作や同氏に全くリスペクトを感じない、いわゆるテンプレ報道であることに
圧倒的な違和感を感じた。