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はてなキーワード: 「ムー」とは

2023-07-10

anond:20230708195412

追記言及ありがとう〜!

グリーンサムの「イエローブレッド

パンエスプレッソ「ムー」

・かまぱん「食パン

の3つをオススメさせてもらったブクマカです!

うそう、そのURLバッチリ合ってます!◯


少し補足を…

グリーンサム「イエローブレッド

バター感のある食パンということでおすすめさせてもらった。

ただ、皮の硬さはそんなにないのでトーストで!

パンエスプレッソ「ムー」

皮は薄いけど、焼いて食べると油分の多さからクリスピーな感じになるのと(かなり焦げやすいので注意)、とにかくバター感が強いのでおすすめさせてもらった。

中身がふわふわで甘みがある食パンなので、結構デニッシュとかブリオッシュに近いかもしれない…

・かまぱん「食パン

これは、パン自体バター感があるとか皮が硬めとかではない、ずっちりもっちり系の食パンなので、全然好みと違うかも。

ただ、生地が甘くないぶんバター塩味が超生きるのと、小麦の風味もすごくて焼くとカリッと感が出やすいので、

バタートーストにした時に「バター感、皮の旨味、カリッと感」が相まって塩パンを噛み締めたときのようなガシュっとジュワッと感があるのて、求めてる味になるんじゃないかなあと思って書いてみた!


どれもぴったりした回答ではなかったらごめんなさい!

一番近いのはグリーンサムかなあ。でももちょっと硬さや重さのあるものが好きそう。


あと解決策ではないんだけど

秋葉原にある「ヴェルデガーロ」がハードから食パン惣菜、甘い系までかなりこだわって多種作っているので、店長さんに聞いたら好みにピッタリのものがあるかも?

店長さん、自分は好きだけどなかなか天才肌っぽい雰囲気の方なので、質問して怒られちゃったらごめん!

最後に、京都パン情報いろいろメモさせてもらいました〜!ありがとう!!

2023-07-08

(追記)パンに詳しい増田たち助けてください(特にパンに関して)

(神戸増田を受けて追記) あえてケーキ屋のパンということなら、京都アッサンブラージュキモトで売っているパンも端正でバランスが取れており良いと思っている (下に主にケーキについての詳細有り、パンについても感想は割と被る)。回想に書いた店はもうパンは出さないだろう……



ここやここやここにパンに詳しい増田たちが集まっていると見込んで質問がある。

色々なところに必死に顔を出して済まない。

anond:20230707144742

anond:20230708152236

anond:20230709032032

マニアック申し訳ないのだが、こういう食パンはどこで食べられる?

東西どちらにも行けるんで、教えて欲しい。ずっと探している。

バターを効かせている

外側(みみ部分)も内側(白い部分)も、しっかりとバターの味がすると嬉しい。

出回っている食パンは、高級食パンを含めても、バター香りが立ってこないものが大多数だと思う。

・外側が分厚くてハード

外側が分厚くてハードだと嬉しい。

ただしフランスパンの外側のようなパリパリ感ではなく、しっかりバターを効かせているためにガリガリの重めの食感の外側が作られているような感じ。

・内側の生地が甘くなく、過度なもちもち志向でもなく、デニッシュ生地でもない

最近流行りと逆行しているのはわかっているが、こういうのが好みなんだ!

追記

多分増田が求めてるのに一番近いのは食パンじゃなくてデニッシュ パンドミいわゆる日本食パンにはバターは使わない

そう、なので自分が求めているのはマニアック食パンなんだよな。発酵バター香りが立ち、綺麗な四角に整形されたクラストが硬い食パンクラスト部分はバターを使っている影響で少しデニッシュ感を感じさせるものデニッシュよりバター量が少ないため硬くしっかりとしているような。一方であくま食パンフォーマットに留まっており、内側の白い部分はきめ細かく滑らかで、典型的デニッシュのように生地を織り込んだ形跡がない。そういう食パン

たま木亭

ありがとう京都ではあそこも美味しい。生地にもフィリングにも相当量の油分を使っている上で小麦粉をしっかり焼き上げている。しかボリュームに比して安い!日本惣菜パン最上クラスではないかと目している。

ル・ペールという店のタルトタタンフルーツケーキは他店には無いものだった

ル・ペール、寡聞にして存じ上げなかった。人生の中からあの味が消えてしまったという哀しさ、よくわかる。

京都市はパン消費量支出日本一だから、おいしいパン屋さんがたくさんあるよね。ちなみに2位は神戸

この辺は行ってぶらつく楽しみが多くて嬉しい。

普通ハードトーストの山型食パンでよいのかな? 甘くなくてデニッシュでもなくて。

それで大丈夫です!

上では綺麗に四角と書いたような気がしたが、金型に蓋を載せず山型に膨らませているようなタイプでも、こういう食パンがあるなら大歓迎です!!

パン

すみませんバターを使った塩パンは好きだが、求めているものとは違う。ハード系の店であっても、多くの場合、外側が薄いかふわっとして硬くない(パン外側の皮自体バターの美味しさを効かせているというより、中の生地に閉じ込めたバターを強調している)ケースが多いように思う。

ただ、複数の方が連想して下さっているようなので敢えて塩パンと関連させて言うならば、よく焼かれて皮が厚いタイプの塩パンの、オーブン天板と接触する面(下側)の、バターが効いてかつガリっと硬い感じを想像して欲しい。そこからさら食パン向けに洗練された感じの外側(みみ)を持つ、そういった感じの食パンを知っていれば教えてくれると嬉しい。

グリーンサムの「イエローブレッド」か、パンエスプレッソ「ムー」とか?いずれも皮ガリガリではないので、家でトーストして食べたら希望と近い食感になるかも。かまぱんの食パンバターのせたら近いかも。

b:id:tkggohan

ありがとうありがとう!!!それぞれここの店かい

食べに行くか取り寄せる!!!

聞いてみて本当に良かったよ。

https://greenthumb.tokyo/

https://www.bread-espresso.jp/

https://foodhub.shop-pro.jp/

ちなみに、

皆に紹介されているパン屋の中では、JR京都駅構内のル・プチメックが非常に行きやすいし美味いよ。是非寄って食べ歩いてみて欲しい。

あとは京都のアルチザナルも良かった記憶がある。アルチザナルを紹介した増田デニッシュ系が好きなようだが、自分ハード系の惣菜パンが好みだった。特にソーセージを使ったパンチーズパン。おそらくソーセージチーズにかなり拘っている。ソーセージは汁と油が溢れて香味が立ち、チーズ惣菜パンありがちな悪い癖がない味で香ばしい。あれは美味かった。

(追記) 東京おすすめありがとう。s.igarashiとブーランジェリー セイジアサクラは是非行ってみたい。期待大。

さらにちなみに、

京都繋がりだと、京都ケーキ屋では、パティスリータンドレスアッサンブラージュキモトが本当に美味い。皆美味いと思うらしく食べログでも日本で上位。

パティスリータンドレス上品優美な味で、特に複数の味を重ねて束ねる系のケーキが非常に美味いと思う。スパイス使いも上手い。寄りづらい立地だが、Twitterでその日のケーキ現在店頭に並んでいる数をアナウンスしている。

アッサンブラージュキモトはとにかく磨き抜かれた味がする。見た目も格調高く美しい現代ケーキシェフショコラティエでもあるのでチョコレート系が美味いが、それ以外も相当に洗練されている。こちらは比較的寄りやすい立地。

パンケーキの回想

なお、上記自分食パンの好みを形作った店は、フランス系の味のケーキ屋で、パンも一時期作っていた。そのパンの一つがこの食パン。その店ではフランス風パンドゥミと呼んでいた。ただ、この店、おそらく人手不足パンを出さなくなって久しかったところに、現在、店主のご都合で一時閉店中なので、店名は出さない。もう今後パンを出してくれることは無いだろう。

そこは、生菓子焼き菓子バタークリームをどっしり効かせた硬派な味が特徴で、長く続く人気店だった。いや菓子に硬派も何もあるかよと思うかもしれないが、行った人もネット上のレビューもそう評する。バターをしっかり効かせると菓子の味が重くなるんだけどそういう感じのイメージさら生地密度ふわふわ柔らかくなくずっしりしている。それでいて"バタ臭い""油っぽい"には陥らず、果物の酸味や、香辛料お酒や焦がしのフレーバーで、強いバランスを取っていた。

そんな感じだったもので、最近流行りの繊細な菓子という訳ではなかったが。デコレーションも凝っていなかったし。

ああ美味かったなあ……

2023-01-12

anond:20230111192455

対談載ってる媒体「ムー」とかならオカルトを信じてるふりして語っても「ネタですよ。冗談ですよ」で乗り切れると思うが

「みんかぶマガジン」とはそういうネタ媒体だと周知されてるのかな?

俺は辛うじて副島は陰謀論の人と知ってたけど、その知名度も低いだろう。

よって単純に「佐藤おかしくなって陰謀論を信じてる証拠」として今後引用され続けるだけではないかな? ディープステイト云々の発言は。

2022-02-20

素人「ムー」を読んでみた。

こんにちはアラサーの女です。何よりも嫌いな場所職場です。

最近行きつけの美容室雑誌の代わりに雑誌がたくさん見られるアプリの入ったipadを渡されるようになりました。

美容室としては美容百科とかwithとか日経ウーマンとか適当に選んでね、って感じだとは思うのですが、

せっかくだから普段本屋では絶対に手に取らない雑誌を読もうと思い、人生で初めて「ムー」を読んでみました。

面白かったので感想を残しておきます

文章ぎっしり

1ページ5段くらい組んでて写真だけのページはほとんどない。

オール讀物状態

もっと未確認生物の鮮明写真とかあるのかと思ったけど、写真数は少ないし、サイズも小さい。

しかも大体白黒でしっかりピンボケ

写真の拙さは文章で補っていく昭和感漂うストロングスタイルが素敵。

個人的には読書好きなのでいっぱい読めるところあって嬉しかったです。)

カタカナ多くね?

全ページに渡って文章の半分以上がカタカナ。8割カタカナのページも割とある

文字ぎっしり漢字が多いとごちゃごちゃしてて読みづらいので、カタカナ多めの方がすっきりしててかえって読みやすいかもしれない。

カタカナ用語意味不明

プラズマクラスターみたいなのがいっぱい出てくる。

文章の半分以上がカタカナなのでリアルパルスファルシのルシがパージコクーン状態

これがどこまで読んでもずっと続く。

熱量がすごい。

「なんと!!あの!!!パルス!!!ファルシのそう、そうなのだ、そのルシが!!!!驚くべきことにパージ!!!すなわちコクーンだったのだ!!!

みたいな感じ。

言ってる意味全然わかんないけど、この熱量で言われると「そっか、パルスファルシのルシがパージコクーンなんだ。」って理解した気になれる。

(ただ、記事によっては熱量は伝わるけど分かった気にはなれないので理解した気になれるのはその記事を書いたライターさんの文章力が高いのかもしれない)

⑤たまにとても有益情報が混じっている。

大学研究された脳波集中力関係記事リラックスしていた方が集中できるとか)は普通に覚えておこうと思った。

まぁ記事自体はその後スプーン曲げに繋がってたけど。

起承転結の「承」の部分は意外にまともな研究なことが多い。

転の部分で大学研究結果を全て飛び越え最終的にはエイリアンと繋がるのはさすがムーだと思った。

⑥たまに飽きる

心霊とか生まれ変わりの記事はどの事件記事を読んでも同じことの繰り返しで「いや、もうわかったよ!」ってなる。

途中で飽きて最後まで読めなかった。

「ムー」特集で一気にたくさん読んで初めて心霊とか前世記憶の話ってプロットが全部一緒だって気がついた。

今度からそこら辺の話を創作する人はぜひ今度からプロットに挑戦して欲しい。

(*ムー記事に載っている事件創作とは言っていません)

美容師さんに何読んでるか聞かれて「ムーです」って答えたら無言のままスルーされたけど、総じて読んでて結構しかったです。

2021-09-18

中抜き95%税が日本イノベーションを殺している

ひろゆきが、「政府に近い仕事お金もらう方が、イノベーションするよりはるかに金が儲かる」と言っていた。

これについて考えたい。

(以下は妄想で書いているだけなので、事実とは一切関係がない「ムー」のような娯楽のためのフィクションです。)

  

イノベーション企業で作ることができるのは、企業価値10億円程度まで。100億円近くなると潰される説

これは完全に自分感想なんですが、

100億円くらいの企業価値になってくると、ライブドアみたいに逮捕されて潰されるような気がする。

100億円以上の企業価値で潰れないパターンは、「政府の中に食い込んで、下請け仕事をふる中抜き構造に加担する」パターンしかないと思う。

  

企業価値10億円って、実質しょぼいwebサービス会社くらいじゃね?イノベーションできるのか?

じゃあ、10億円レベル企業というと、どの程度だろうか。

年利が粗利で2億円レベル企業利益の5年分の価値企業がM &Aされるという前提)くらい。

年利が粗利で2億円というと、

ユーザー数5万人くらいのサブスクとか、

そこそこ値段する家具とか不動産とか売ってる中小企業あたり。

ユーザー数5万人って、ニコニコの30分の1くらいのサービスですかね。テーマを絞れば、そういうwebサービスはできるかもねくらいですか。

もちろん、BtoCではなく、BtoBなら、もう少し小さい規模でもやれる。1企業から200万円/年(しょぼい従業員1人分)のシステム契約なら、100企業くらいと契約取れば、2億円の粗利は出るか出ないかくらい。

  

では、僕らがイノベーションと感じるレベルってどのくらいだろうか?

GAFAはキツいとして、メルカリとかだろうか?

メルカリは7000億円企業なので、かなりすごい。

じゃあ、10億円企業までしかスケールできないと、どのくらいのイノベーションができるのか?全然できそうにないなーとなる。

  

政府に近い仕事って何?

では、100億円企業以上になると、政府に近い仕事になるとして、どういう仕事なのか?

95%を中抜きして、実際に物を作る下請けに5%しか行かない構造じゃなかろうか。

原発オリンピックとか、コロナ対策では、「中抜き」が問題になって、下請けには全然お金が渡されなかった。

そういう仕事ではイノベーションは無理でしょうね。

  

政府の95%に同意しないとどうやって潰されるのか?

法律や慣習で「曖昧に済まされている部分」を利用して潰されるものと思われる。

営業停止くらったり、経営者逮捕されたり。

村上ファンドとかじゃないけど、既存体制無視して利益を得ると、強引に潰される。

  

100億円企業以上のイノベーションをしようとすると、イノベーションを殺す「政府から受注する95%中抜きシステム」に組み込まれることを要求される。

同意しないと逮捕

  

政府の人は何が楽しくて、イノベーションを殺すシステムをやってるのか?

政府効率悪すぎて、民間に頼るしかない。

民間に頼ると、95%中抜きシステムでないとできない。

イノベーション企業を潰さないと民間大手が怒ってしまうので、イノベーション企業を潰す。

2019-09-26

anond:20190926105609

すまん、「結城友奈は勇者である」みたいなことを言ってるのではないのは分かるよな?

ダンジョン飯ウィザードリィ等のCRPGありがちなファンタジー世界モチーフとしている」等の、ある表現された形や絵に対してのオリジンとなる(何を表現たかったのか)の話をしてるのは分かるよな?

んで、宮崎映画における飯描写は、千と千尋みたいな特定作品を除いたら「お約束」として出しているものであって何かを表現たかったりして出している<訳ではなさそう>っていうのも理解はしてくれるよな?

んで、一番わかり辛い「崖の上のポニョ」は何をモチーフにした作品なのかって「これ!」って断言できるか?

断言してもいいけど、増田が出せる答えは雑誌「ムー」記者が書く妄想よりも数段根拠にも理屈にも劣ったものしか出せんぞ。

そういうことや。

2017-06-04

ドッジボールはいじめに繋がるか?−ネット微妙な異常さ

人口に対するネットユーザー比率ビックリするほど増えた割に

ネットメジャーになる思想の極端さもまたビックリするほど顕著である

 

これはネットメディア特性に過ぎないのか

はたまた時代による考え方の移り変わりなのか

自分の回りには自分とともに年を重ねた人間しかいないので今ひとつからない

 

とかくネット思想は極端である

中庸とはかけ離れたある種の怨讐じみた極論が支持を得がちである

 

個人的特にからないのが、運動音痴な連中による体育への怨嗟である

単に体育嫌いが分からないという話では、もちろんない

 

自分もいわゆる文化系であり体育は苦手な方だった

体育会系の「ノリ」も大嫌いで、徹底してそういう連中とは距離を取って来た

からないのは、これらの怨嗟がことに目の敵にする「ポイント」の微妙なズレである

 

例えば一時期やけに槍玉に挙げられた「ドッジボール

ネット「声」曰く、ドッジボールは「暴力的」で「特定個人集団でいたぶる」ことができ、「いじめに繋がる」そうなのだ

寡聞にしてドッジボールがそんな風に受け止められているところをこれらの人々の書き込み以外で見たことがない

 

ドッジボール標準的ルールに則れば「顔面セーフ」「一回当たったら外野」「敵は全員平等に倒さないと勝てない」はずなのだ

一体どういう風なローカルルールを作り上げれば「いじめられっこが集中的に狙われる」事態などが起こりうるのだろうか?

 

もちろん、ドッジボールいじめに「使われる」ことはあり得る

ドッジボールと「称して」ボールをぶつける暴力行為存在は容易に想像出来る

 

しかしそんな事を言い出したら「野球と称して」棒切れで叩くいじめもあれば

サッカーと称して」集団で足蹴にするいじめもあることも普通は知っているはずだ

なぜドッジボール「だけ」にこの何か特殊な怨讐は狙いを定めてしまったのか?

 

ドッジボールに対しては、自分の知る限りでは他の球技に比べより平等な楽しみ方ができる中庸ものという捉え方が多く見られる

「逃げ回ってれば良い/人に隠れてれば良い」から運動音痴でも楽しめたという声は数知れず

とあるノスタルジー系の漫画でも「女子男子が交じって遊べる」球技として言及されていたし、

アメリカではドッジボールは実際禁止のところもー」なんて怨嗟連は言うのだが、明らかにオタク系のアメリカ人

HxHのドッジボール編の感想で「ドッジボール好きなんだよねー」と漏らす始末

 

もちろんドッジボールにいやな思い出がある人間存在否定するものではないが

どう考えてもそういう経験、考え方の方が特殊事例であるように見えることは否めず

どうしてここまで「ひた隠しにされていた真実」といった感じの風を吹かせているのかただただ理解に苦しむ

 

ことがたかドッジボールから大げさに聞こえるかも知れないが、非現実性で言えば「ムー」ともタメを張っている

何のこととは言わないが「ネットの声」というものはおおむね他の事例もこのような極端さを持っている

 

面倒くさくなったので個人的結論をまとめると

こう言った中庸さの欠落には以下の三つの理由が考えられる

一、極端な思想は極端な声の大きさを持つ

 説明不要

二、中庸自体への反逆

 いわゆる反知性主義という奴か、ドッジボールのような「味方も多い」ものこそ噛み付きたいのかも知れない

三、お客様アンケートのズレた感じ

 コンビニなどで商品への要望を客に聞くと、必ず健康的な商品などが上げられるのだが、実際出しても売れないのだそうだ

 自分はこれを「アンケートに答えるような奴は賢しらにアドバイスがしたいだけで本当の要望なんて本人にも分かってない」からだと思っている

 有り体に言うと「言ってみただけ」

 とにかく何か槍玉に挙げてみたかたかマイナーな攻めどころを探しただけなのだ

 

ネットの声に騙されやすい人たちは「中庸こそ武器である」と知った方がよろしおす

2016-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20160902030318

時代にもよるのかな。

ぼくらが小学生の頃はUFO超常現象ブーム「ムー」やなんかが学級文庫として置かれてたし、テレビ番組でも毎月のようにUFO特番があって、準レギュラー並の出演頻度でナスカの地上絵が出てきて「宇宙人へのメッセージ!?」みたいに扱われてた。そういう時代経験してると「ナスカの地上絵」に触れないってのは帰国子女テレビを見せてもらえないガリ勉かと思うのも致し方無い。

2014-01-12

はてな脳」は感性を殺す?

はてな村の住人は分析論理を重んじる。重んじ過ぎている、とすら言える。

先日、昔投稿していた小説サイトを久しぶりに覗いて、過去自分の作品を読んでみたのだが、技術の如何はさておき、小説としては今はてなで書いている自分の文章よりはるか面白い

当時は自分小説がそんなに面白いものだとは考えていなかった。プロの書くものにはかなわないと思っていた。

歴史ものを書くときには史料にしっかりとあたるように心がけていたが、それ以外のジャンルを書くときには、感性の赴くまま、理性のたがを外すようにして、心の隙間から生まれ出てくるものをそのまま創作物にしている感覚だった。

それは謎を謎のままとして楽しんだり、不可解なものごとに理由を付けず、ただ気味の悪いものとしてそのまま恐れるような感覚を文章にしていたといっていい。

それに比べて最近自分が書いている文章は、論理的分析的かもしれないが無味乾燥だ。なぜこんなに心が乾いてしまっているのだろう。

2chはてなで論争を繰り返し、理論武装するようになってからこうなってしまったように思う。

謎や不可解なものの裏側にある秘密を暴いて、構造を明確にしてゆくと、圧倒的なものに触れたときに生まれた表現への初期衝動は薄れていく。「セックスなんて所詮脳が生み出す電気信号のやりとりに過ぎない。脳の特定部位に電極を突き刺せば同等の快楽は得られる」などという、大脳生理学にかぶれた輩の物言いにも似た事態だ。

はいえ、その物言いは、事実無根だと切り捨てられないのがもどかしい。たしかセックスとき人間が感じている感覚は、脳の反応を見ればただパルス適当な部位にはしっているだけのことだろう。いや、そうではないのだ、といくら強弁したところで、科学的な根拠は提示できない。ネット言い回しを使えば「ソースはない」ということになる。

学研「ムー」という、オカルトの有名雑誌がある。どう読んでもネタしか思えない。だがしかしひょっとしたら事実かもしれない。そんな虚実の入り混じった面白さを楽しむことが、かつての日本の言論状況では可能だった。しかし、はてな村以降の世界では、虚実の虚には完膚なきまでに論破され、挙句、あんな曖昧雑誌はなくなってしまえばよい、という科学原理主義者の物言い正当化される。

別に私もあんな雑誌がなくなっても日常生活に不都合はありはしない。しかし、日常を彩るエッセンスひとつとして、タバココーヒーのように、害を知りつつもほどほどに付き合い、楽しむことが出来るものとして存在していてもいいのではないか、と思うだけだ。

都市伝説ひとつ存在しない、川口浩探検隊のような種類のエンターテインメントがまったくない世の中が、今よりも素晴らしいといえるのだろうか。

サブカルチャーの中で描かれる妖精精霊は認めるのに、一方で、その源流たるアニミズム的な発想はくだらないオカルトとしてバッサリ切リ捨てるような状況には、矛盾したものを感じなくもない。

散漫になった。まとめると、創作に感動をもたらすのはうさんくさい「隙間」だ。隙間なくびっしりと埋められた世界からは、感動するものは出てこない。逆に言えば、感動は理由づけした時点で死に絶える。批評重要だが、創作物には作者すら理性的には踏み込めない部分があり、そこは尊重する必要がある。

目に見えない可能性を潰して回っていると、人類世界を見る目は皮相的な、浅いものになっていくばかりだ。何もファンタジーに限らない。全部理論的に何一つ矛盾なく説明できるSFは突飛さがなくつまらない科学読み物になってしまうし、予測不能の事態が起こらない歴史もの教科書を読んでいるようであくびが出る。

この文章にも反論はあるだろう。論破しようとすればいくらでも出来るだろう。理屈と膏薬はどこへでもつくのだからしかひとつだけたしかなことは、隅から隅まですべてを認識し、理解し、分析しようとする態度は、感性を殺す。仕事ときならそれもいいだろう。仕事感性関係がない。しか仕事と離れた場所で、つまりはてなブックマーク匿名ダイアリーで、仕事のように論理的な態度を崩さずにいることは、不健康だ。もっとはてな村は気楽になったほうがいい。クリエイティブ空間としてはてな村再生されることを望む。

元ネタhttp://anond.hatelabo.jp/20140112071842

2007-05-30

ムー 2007年 06月号 [雑誌]

出版社: 学習研究社

発売日: 2007/05/09

今号では、何度目かのヒトラー特集

目新しさはあまりなかった

でも、ついつい買ってしまうんだよね 「ムー」 

 
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