はてなキーワード: 自分たちとは
どこからか、ポストが流れてきて、”高校卒でもちゃんとした文章を書く人がいる”と書いていた。
びっくりだ。日本では義務教育の目的として、公民として自分の意見をちゃんと発表できるように国語教育をしているのではないだろうか?
こういうひとが大学でおしえているんだーとびっくりです。
昔高峰秀子さんが書いた文章修行について書いた文章で、彼女が書いた本について、
(学者や小説家みたいですが)小学校しか出てない人に書けるはずがないので代筆だろう
というようなことをいわれた、と書いていました、まあいまだに大学の先生といったたぐいのひとには、文章を書くには自分たちのように赤ペン先生に直されないと書けないと思っているひとがいるということでしょうか。
大学の先生であれば日本の義務教育ではなぜ文章は書けないのか、ぜひとも示してほしいものです。
はっきりいって大学の先生でも何を言ってるのかわからない文章を書く人はたくさんいると思うので学歴や職業は関係ないと思いますけどね。
君たちは今までは私の行く場所や私のことを一方的に監視できたから私を頭のおかしなストーカーとして、自分たちを可哀想な悲劇のヒロインとして演出したりできたんだろうけど、もうそれも通じないだろうな
もうやめなよ
君たちが私の行く外食先で食べて友人のフリしてたり
おばかちゃんを悲劇のヒロインにするために頭の悪い人たちがわたしの友人のフリして自作自演したり
残念だけど私は君たちレベルの低脳じゃないから、そういうノリわからない
ほんとに興味湧かない
ちょっと前に女性限定公募で燃えてた人いたじゃん?真偽はともかくとして、自分だけいい顔して後進の人間だけ断罪しやがって、他人の腹で切腹すんなよとか言われてたわけだが
弥助問題も割と似たイメージを持ってるんだよね。君らの歴史でやらかしたんだろうけど、それを持って日本にその話を持ってくるなって話だし、日本を舞台にしておきながらヨーロッパ土人が自分たちだけ上から目線でポリコレした気持ちになってオナニーすんなっていう
ほんと気持ち悪い
アサシンクリードは、理不尽な支配に反発して権力者を暗殺する「アサシン教団」と、時の権力者を操り社会を裏から支配する「テンプル騎士団」の、古代から続く戦いを描いたゲームである。「混沌・悪」VS「秩序・悪」という感じである。
アレクサンダー大王も、始皇帝も、カエサルも、チンギス・ハンも、永楽帝も、チェーザレ・ボルジアも、実はテンプル騎士団の一員だったし、実はアサシンに暗殺されていたんだよ!という世界観である。ちなみに過去の作品ではフランシスコ・ザビエルがテンプル騎士団とされているので、今回(シャドウズ)もイエズス会はテンプル騎士団の手先だったりするのだろう。
アサクリのもう一つの軸が「イス」と呼ばれる超古代文明人の存在である。彼らは人類を創造した神のごとき存在であり、実際にギリシャ神話や北欧神話に登場する神々の正体は「イス」である。彼らが遺した強力なオーパーツを巡って、アサシン教団とテンプル騎士団が争奪戦を繰り広げていく、というのが一つのパターンである。
また、この「イス」の遺した技術に基づいて、現代では「アニムス」と呼ばれるバーチャルリアリティマシンが開発されており、それを使って過去の様々な時代のアサシンの記憶を追体験している、という基本設定がある。つまり、実は主人公は、アサシンの活躍を仮想的に体験しているだけの現代人なのである。アサクリには「現代パート」もあるのだが、これは完全な続き物になっていて、シリーズを追いかけていないと意味がわからないので、なかなか評判が悪い。初心者は現代パートなんかすっ飛ばしても問題ないぞ。
というわけで、リアリティのある歴史ドラマかと思ったら急に濃度の高いオカルト伝奇SF要素をぶちこんできて暴走しはじめるのがアサシンクリードの魅力である。詳しくは年表を見よう!
アサシン クリードシリーズにおける年表 - Wikipedia
アサシンクリードの特徴といえば何と言っても「オープンワールド」と「パルクール」だろう。「どこでも登れる」「どこまでも行ける」というオープンワールドアクションの本家本元とも言えるシリーズなのである。窓のフチや壁のヘリなどを掴んで、するすると登り、飛び上がり、軽やかに街を駆け巡る。何にも邪魔されることなく思いどおりに移動できる楽しさがそこにはある。
そのオープンワールドで何をやるのかと言えば「ステルスアクション」である。敵の拠点に侵入し、見つからないように探索し、標的を殺して脱出するのである。
まずは侵入するまえに敵拠点の構造を入念に調査する。どこに敵が配置されているかを確認し、それらの移動パターンを観察して、どういうルートで侵入するかを考える。サッと壁を登って開いている窓から侵入しよう。いやいや屋根伝いに高所から標的を探すのもいい。手薄な裏口の敵をこっそり暗殺するのはどうか。もちろん正面から殴り込んで敵を全員ぶっ殺しても構わない。
つまり、オープンワールドとしての移動の自由度がそのまま、プレイヤーが取れる侵入ルートの自由度に転化しているのが、アサクリの醍醐味なのである。「たった一本しかない正解のルートを見つけ出す」のではない。「数多く用意されたルートの中から一本を選び出す」のが楽しいのである。
さらに、この「街を自由に駆け巡る」「敵の拠点に侵入する」といった要素から生まれたのが、アサクリの「歴史考証」の部分である。
そうしたゲームシステムでは「街並みをどう作るか」「建築物をどう作るか」がとても重要になってくる。なにせ「プレイヤーが侵入する建物だけ作ればいい」「プレイヤーが移動するルートの周りだけ作ればいい」というわけにはいかない。広大な街を作り上げて、そこにいくつも拠点を建て、大勢のNPCを配置して、そしてプレイヤーが隅々まで移動できるようにしなければならない。それがゲームの面白さに直結していくのだから。
そこでアサクリは「歴史上の街を再現する」という方法を選んだ。完全にオリジナルの街を一から作るよりも、見本を用意したほうがある意味では作りやすかろうし、その副産物としてプレイヤーの没入感と知的好奇心を得ることもできた。建物や文化風俗の再現度は高く評価されており、アサクリの売りの一つになっている。
もちろん史料の調査には限界があるし、ゲーム的な都合が優先されることも多い。過去のシリーズでも「この年代にこのアイテムはまだない」「この街にこんな建物があるのはおかしい」といったようなツッコミが入っている。前々作『ヴァルハラ』などは特に批判が多かったというので、地域や年代によってまた作りやすさが変わってくるのかもしれない。
とはいえ、アサクリがわざわざ歴史考証のチームを設置し、多くの史料を確認し、専門家の監修も受けているのは事実であって、ただのゲームとしては相当に頑張っているのは間違いない。プレイヤーとしては、決して完璧ではないということは頭に入れつつも、巨額の予算によって作られた「自由に走り回れる歴史的景観」を楽しみたいところである。
とりあえず現時点でオススメするなら前作『アサシンクリード ミラージュ』だろう。元は前々作『ヴァルハラ』のスピンオフとして制作されていたということもあり、『ヴァルハラ』の前日譚のようなストーリーになっていて、ボリュームも控えめである。ゲームシステムとしても原点回帰を目指したシンプルな作りで「これぞアサシンクリード」という作品になっている。
『ミラージュ』をクリアしたなら、続けて『ヴァルハラ』をやるのもいい。前述したとおりストーリー的に繋がりがあるし、『ヴァルハラ』はシリーズのなかではかなり変わっていて、「アサクリらしくない」作品でもある。主人公がアサシンではなくヴァイキングなので、ステルスよりも正面切っての戦いのほうが得意だったりするし、各地の勢力とひとつひとつ同盟を結んでいったり、自分たちの拠点を開発して発展させていったりするような、戦略的な側面が強い。
このあたり、近年のアサクリは「従来通りのステルスアクション」と「他のゲームのようなバトルアクション」のあいだを揺れ動いていて、『シャドウズ』ではついに「ステルス」担当の奈緒江と「バトル」担当の弥助のダブル主人公になったという経緯がある。
アサクリシリーズは、オープンワールドにおける一つのスタンダードを生み出した、現代ゲームの粋と言っても過言ではない名作である。プレイしないまま死ぬのはもったいない。いまのうちに『ミラージュ』『ヴァルハラ』をプレイしながら、日本が舞台となる『シャドウズ』の発売を楽しみに待とうではないか。
現代日本は暴力は絶対にダメ、言葉の暴力は暴力じゃないからOKみたいなバカな思想が蔓延してるから、不届き物は成敗されるみたいな一種の緊張感が無いんだよな。
軽く小突いただけでも逮捕だけど、いくら罵声を浴びせてもまあまあその辺でみたいな感じで済まされる。だからクソ野郎が調子に乗る。
理屈の世界に入り浸り現実が見えてないお花畑の法曹関係者、武力行使を自分たちの特権にしたい警察関係者、こいつらが基本的に悪い。
第三者が客観的に見てやむを得ない、情状酌量の余地がある場合はある程度の暴力は口頭注意程度で済ますべき。そうすりゃ他人に無礼な態度をとる奴は減るよ。っぱ武力よ。
自分たちより劣ってるはずの私にストーカーして週末にイベントまで行かなきゃいけないのかな?
何で私より頭が良いはずなのにテストで8割も取れなかったのかな?
どーゆーことなのかな?
日本人だって中華料理好きだけど中国人嫌い多い。その国の文化を好ましいと思うこととその国の人間に差別感情があることは別の話。
日本文化が好きなら日本人を差別しないって思ってるならお花畑すぎる。日本スゴイ系のコンテンツに染まりすぎなんじゃないの
Twitterのアカウント見てりゃわかるんだけど「弥助は伝説の侍!!!それに反対派は白人のレイシストだけ!!!日本人は全員アサクリ楽しみにしてるぞ!!!」って鼻息荒く主張してる海外の層って大多数が黒人アカウントなんだよ。
なんというか、こう、、、、きつい。今まで自分たちの人種が主人公のゲーム作品なんて滅多になかったからどうしても弥助庇いたくなっちゃうんだろうなって思う。
黒人で歴史的に有名な武将なんて殆どいないから、物事を冷静に見れず、弥助を戦場を駆け巡った立派な戦士だと妄信しちゃうんだろうなって思う。それが側から見ててすっごい哀れできっつい。
アサクリのゲーム喜んでる層って大体アニメ好きの親日家なんだよ。それが弥助関係のキツさに拍車をかけてる
なんで結婚して子供を産んだ家庭の意見なんて聞く必要があるんだよ。
そもそも、そういう人たちが愚痴ばかりこぼすから少子化が進んでるんだろ?
独身やDINKSの方が現実的な意見を持ってるに決まってるんだ。
理由ははっきりしてて、自分たちが対立軸としてる政策が全然国民の関心ないってバレちゃうからだと思うんだよね
けどそれって大多数の国民にとって、自分とは関係ないからしたいならすればって意味での賛成であって
いざ、直接投票で政策実現するかってなったら投票率めちゃくちゃ低くなっちゃうんだよ
こうなるといかに野党の対立軸が国民の関心に欠けるものかってバレちゃう
しかも、直接投票で仮に政策実現しちゃうと、野党の存在意義が相対的に低くなる
お前らさ
めちゃくちゃ騙されてるんだよ
政治家は自民党と戦ってる感だけだしときゃ、次も当選出来るから決してお前らの要望を叶えようなんて思わない
言ってる意味分かる?
確かに、弱者男性っていう概念を持ち出してくるのは、フェミニストたちの戦略の一つだろうね。
何か問題があるとすぐに男が悪いっていう風に仕向けるための手段だよ。
そんなことはないと思うけどな。
だって、フェミニストたちが声を上げている場面ばかりがメディアで取り上げられているだけで、実際のところ一般の人たちの考えはそんなに変わってないだろう。
まあ、どんなに女性たちが自分たちを正当化しようとしても、結局のところ社会全体の問題は彼女たち一人だけのせいじゃないし。
頑張ってる男性がたくさんいるのにね。
また由来の分からない議論で、結局、「女性の歴史が長いから、男性の問題は後回しにしてもいい」って理屈にしか聞こえないな。
そんなこと言い出したら、一生解決しない問題が山積みになるだけだろう。
弱者男性の問題は今の社会で認識され始めたばかりだけど、それが突然認められてもおかしくないんだ。
それに、「男らしくない権利」なんて曖昧な言葉で片付けられてしまうと、実際の問題は見えにくくなるんじゃないか?
世界には様々な家庭環境があること、私はかなり有難い環境で暮らせているのだろうということは理解しているつもりです。ある人からは自慢だと思われるような文章になってしまうかもしれませんが、自分の気持ちの整理と素直な気持ちを書きたいので失礼します。
私は今留学をするために色々な準備をしているのですが、その中でたくさんの人とお金を動かしていて申し訳なくなる気持ちと有難い気持ちで毎日押しつぶされそうです。そして思ったことが一つあります。
親という生命体、本当に謎!!!どうして他人にここまでお金と時間をかけられるの。自分だったら絶対嫌ですけど、他人に多額のお金使うの。
留学をしたいというのも私の一種のわがまま。というかもう自分で言うのもなんだけど本当にわがまま人生でかなり希望通りの人生を歩ませていただけていると思います。ここまでの私の人生好き放題やって、さらにここから留学!お金かかるし心配かけるし嫌な子供だ本当。
親というものは自分たちのエゴで子供を産んだと思っています。だから自分たちの子供の未来に責任を持たないといけないし、そのためには子供にお金を惜しみなく使わないといけないと思っています。なので私のために親がここまでしてくれるのも理解できるっちゃできる。責任があるから。
私がこう思っているだけなので親が同じ考えなのかはわからないけれど、なんか親って本当にすごい変だな~と思います。
私は自分で稼いだお金は自分のために使いたい!子供のためも嫌だし何なら婚約者のためにも使いたくないです。
私は親が自分にたくさん尽くしてくれて大切に思ってくれていることを知っているからこそ、(もし産まれた)自分の子供には同じようにしなくてはいけないと思っています。産んだのなら。